間の悪さ、というものは誰しもあるものだ。
春瀬直樹が
扉をくぐった途端、彼の目に入ったのは白銀の長髪とそこにある美しい肢体。
彼女を担ぐ存在は思考の外にあった。
「ああっ、女が出てるっ」
彼の使命は単純明白。
事務室にいる女に食事を与える。
部屋から出すな。
そして、この女で気持ちよくなってはいけない。
この三点だ。
自分は部屋から出していない。
でも、外にいる。これはどういうことか?
正気ではない頭はとんちを捻り出した。
「なら、気持ちよくなってもいいんだぁ……」
柱が布を引き延ばした。
身体が求める目的地に向かい、歩みを進める。
「お前もハンナを傷つけた
女が床に寝かされる。
そこで初めて、直樹は自身と相対する存在に気づいた。
「なんだお前はぁっ、邪魔するのかえーっ!?」
衣服を切り裂くためのナイフをポケットから取り出す。
邪魔者の頭蓋を貫かんと、逆手に持つ。
対する闇も、腰から驚くほど長い刃物を抜いた。
正気の頭ならば、不利を理解する。
自身を傷つけんとする存在を畏怖するだろう。
しかし彼の頭には、目前の快楽しかなかった。
「死ねええェっっッ!」
頭部のあたり目掛けて、振り下ろす。
害意に満ち溢れた攻撃。
とんっ。
その刃は、途中で静止させられた。
「……あぁ?」
肘の辺りからじわりと広がる熱。
それが徐々に輪郭を帯びる。
「いた」
まるで筆を描くように、肘にめり込んだ刃が走った。
上腕動脈を正確に貫き、線をなぞるような精密さで動脈を切開したのだ。
今まで見たことのないような勢いで血が噴出した。
瞬く間に床が血だらけになり、体が冷めていった。
死ぬ。
それを実感した途端、彼に憑依していた何かは霧散した。
「あ、がっ……おれ、し」
襲い来る死の気配に気を取られ、明確な死を忘れ去っていた。
顎に突き上げられた刃は、前頭葉の一部ごと恐怖を刈り取った。
「ごぽぉっ」
間抜けな音を鳴らした死体が、白目を剥いて天を仰いだ。
◆ ◆ ◆
人の血、殺しの証拠。
現実逃避する気もない。俺はあの時初めて人を殺した。
心に湧き上がったのは、罪悪感や後悔じゃない。
あいつは間違いなくハンナを傷つけたクズの一人だったし、こっちを殺す気だった。
ただ……
簡単すぎる。正直、拍子抜けした。
これだったら、豚を始末した時の方が大変だった。
人ってのは、こうも簡単に死ぬんだなーって。
多分俺、おかしいんだけど……
でも俺がまともだったら、ここで死んでたんだろうな。
◆その力の行使に、躊躇いはない───