2021年5月29日17:46 永葉県大桑村大桑研修センター
包囲する暴徒達から目を離すわけにはいかない。
では、もし攻めて来た時に誰が対処出来るか?
というと、現実的には誰にも出来ない。
しかし、唯一銃を持ち扱える警察官が比較的マシ。
本当にマシなだけで、間違いなく数で押し切られてしまうが。
それはともかく、栄輔が正門で見張りをすることになった。
「管理の人、管理人室で見つかりました」
「どうも。で、返事は?」
「何も。鍵掛けっぱなしで、返事もなくて……」
春香は見たまま聞いたままを報告する。
管理人である獄介はこの施設に住み込みで働いている。
生活基盤もここにあり、駐車場には彼が持つ古いドイツ製セダンがあった。
そう、この場で唯一動く車である。
車を活用すれば、状況を脱することが出来るのではないか。
という栄輔の判断だったが、肝心の所有者がこの有様である。
視線を、未だ動きを見せない暴徒達に向ける。
実力は行使しないが、首を提げた棒切れを掲げて、定期的にこちらへ殺意をアピールしている。
───すぐにでも、お前らを殺してやるぞ。
そう言わんばかりに。
松明の準備もしているため、夜になっても続けるつもりだろう。
「くそっ、何が目的なんだよ……」
独り言が口から溢れる。
こんな状況は訓練を受けていないし、想定もしていない。
車を活用する案だって、具体的な行動は何も浮かんでいない。
それでも、何かしなければ。
明白な脅威が、栄輔に不安と恐怖を与えていた。
視線を春香に戻す。
ひと目見てわかるほど、彼女も怯えていた。
当然だ。右も左も分からない土地で、こんな事件に巻き込まれているのだ。
さらに友人が怪我までしている。不安にならないはずがない。
───俺がビビっててどうする。どんと構えなきゃ。怖がらせちゃダメだ。
それが、今自分にできる警察官としての。
大人としての役割だった。
瞼を閉ざし、深呼吸する。
そして、笑みを浮かべた。
「大丈夫。俺が何とかするから。な?」
「……はい」
彼女は笑みを浮かべた。
ひどくぎこちない表情だったが、それでも不安げな顔よりずっとマシだ。
「俺が説得してみるから、見張っててくれ」
「わっ、私!?」
「動きがあったら、大声で呼んでくれ。な!」
暴徒達は栄輔を恐れて立ち止まっているわけではない。
先ほど襲い掛かってきたのだから、これは明白。
ならばここで無意な時間を過ごすより、管理人の尻を叩いた方が有意義だ。
◆ ◆ ◆
管理人室の前では困ったような表情を浮かべる弥生と、床に腰を下ろしている瑩が見えた。
「ども。ダメですかね」
「はい、全然開けてくれなくて……」
管理人室の戸は完全に閉め切られていた。
試しに動かしてみても、ぴくりともしない。話に聞いていた通りだ。
「俺が話してみます」
コンコン。少し荒めに戸を叩く。
「腹谷さん、いますよね。協力願いたい事があるのですが」
戸に耳を立てると、動く気配を感じた。
しかし、近寄ろうとはしない。居留守を決め込むつもりか。
「腹谷獄介さん。あなたの車をお借りしたいんです。ご協力願えませんか?」
しばしの沈黙ののち、くぐもった声が漏れた。
「お前がなんとかしろっ、お前の仕事だろっ」
語気だけは強い、無力で情けない言葉。
この場にいる最高齢の人間が放つ醜態だった。
しかし誰が非難出来るのか?
意味もわからぬまま、極限状態に放り込まれて。
それで「お前は年長だから冷静でいろ」と言われても、実践出来る人間はそういない。
いるとしたら、それは栄輔のような警察官や
あるいは、異常者だ。
とはいえ、協力を得られないのは困る。
駆け足で外へ出ると、管理人室の窓に回った。
手には警棒。
「申し訳ありませんが、今は非常事態なんです。協力してくださらないのなら、窓を割ります」
「やってみろっ、訴えてやるぞっ」
人が死んで、自分達もいつ殺されるかもわからないというのに。
普段なら立ち止まっていたが、栄輔も自分の命が惜しい。
この状況を脱するための手札は、一枚でも多く欲しかった。
「……ああ、出来るならな」
警棒を握りしめ、柄頭でガラスを突いた。
車用でもない一般家屋用の窓ならば、柄から飛び出しているクラッシャーを使わずとも割れたことだろう。
窓に残ったガラス片を取り除きつつ、カーテンを払う。
この部屋の主人は、片隅で強張った表情を浮かべていた。
「おっ、おまっ……」
「俺より年上のくせに、情けないこと言うな。
獄介は必死に目を逸らしてきた
年長者にして、この施設の責任者。
大人として。管理人として。
彼には彼の責任が生じて当然だ。
「くそぅ」
いやだ、怖い。責任なんて知るか、俺にはない。
このまま大好きなロックを聴いて、死ぬならせめて痛みを感じることなく終わりたい。
そんな現実逃避を心に押し込め、獄介は机の引き出しに手をかけた。
「……車を、使いたいんだよな」
「ええ」
「車が使えるのは、正門ぐらいだ。脱出に使えるのか?」
「現状では不可能ですが、即座に使えた方がいいでしょう」
車で暴徒を撥ね飛ばして逃げ切る。
現実的な話ではない。
人体が持つ質量は、たとえ相手の大多数が老人でもひとり50キロはある。
頑丈なドイツ製品でも、何人か吹っ飛ばせば車体が歪む。
それにタイヤで一人でも轢き潰せば、血が潤滑剤となりスリップを引き起こす。
この場にいる全員無理矢理乗って、暴徒達を突破出来たとしよう。
包囲を抜けた後も、追跡を振り切るために速度は落とせない。
しかも車はどこかしら損傷している。
恐らく坂のカーブを曲がりきれずに崖下へ真っ逆さま。
その場で死ぬか、動けなくなって暴徒に引きずり出されるか。
外を見ればわかるとおり、少なくとも死後の体は辱められるだろう。
「助けは?」
「連絡手段がありません。少なくとも、誰かが村の外へ行かない限り」
あれほどの村人が狂っているのだ。
その誰かの存在は、あまり期待出来ない。
生殺与奪の権は
自分達が今こうしていられるのは、背景すら定かではない相手の都合に過ぎないのだ。
「一斉に攻めて来た時、隙を突いて逃げるしかありません」
「……そうだな」
対話は成立しそうにないともなれば、そうするほかない。
引き出しから車の鍵を手にした。
「わかったよ。こうなったら、そうするしかない」
「ご協力、感謝します」
「……まったく」
一言でも嫌味を言ってやろうと考えたが、獄介にそんな余裕はなかった。
一方の栄輔も見張りに戻ろうと考えていた。
その時だった。
「お巡りさんっ! 先生っ! 誰かーっ! 来てーっ!」
外からの大声。
見張りをしている春香に違いない。
「くそっ、休まる暇がない!」
状況が、動き始めた。
◆破滅の足音───