2021年5月29日13:08 永葉県大桑村城下西部
「準備はいいか。はぐれたら全員死ぬと思え」
徹の言葉に、知樹と老婆は頷いた。
意見の一致を確かめると、缶から飛び出た
着火した線が缶の内部に達する前に、それを包囲する連中に向けて投擲。
缶の中身は砂糖、そして硝酸カリウムの化合物。
この化合物に火が付くと、どうなるか?
「あぁ? けけけっ、当たってねぇぞぉ」
転がった缶を見て暴徒が嘲笑する。
しかし、間もなくして缶の隙間という隙間から、白い煙が吹き出した。
「ゴホゴホっ、なんだぁっ」
複数投げ込まれた発煙缶により、辺りは霧が立ち込めたような有様になった。
この化合物の燃焼で生じた煙に覆われると、喉と目が染みる。
催涙ガスほどの威力はないが、暴徒達は何の用意もなく晒された為、ちょっとしたパニックに陥った。
「ううっ、ゲホッゲホッ」
暴徒には高齢者が多く、さらに肺がよろしくない者もいた。
そんな者に対して、この煙幕は劇物だ。
誰もが咳き込み、誰かがうずくまる。
そんな混乱の中に、素早く動く気配。
「待てよコラっ」
不審に思った暴徒が行手を遮ろうとする。
すると、見えたのは三つの黒点。
二つの瞳と、銃口。
「がふっ」
最期の光景だった。
胸部を撃ち抜かれた死体は口から空気を漏らしながら、その場に崩れ落ちた。
それを蹴飛ばしながら、徹が先頭を走る。
「清水ゥッ! お前なのかぁっ!」
「なんで生きとるんだ、ぶっ殺したるぞぉっ!」
たとえ恐ろしくとも、声を出してはいけない。
せっかく敵は自分達を見つけられていないのに、ヒントを与えるわけにはいかない。
混沌と不透明、そして銃。それだけが、彼らの優位なのだから。
知樹はわずかに見える徹の背中と気配を追いつつ、老婆の手を引いた。
視界不良の状況下では、土地勘のある徹の先導がなければならない。
知樹は徹の背後を守り、かつ老婆の護衛。
ふたりを守る重要な役割なのだ。
「煙から出るぞ」
煙幕の守護はもう受けられない。
あとは行き当たりばったりの、出たとこ勝負だ。
視界が開かれる。
抜けた先はこの辺りで暴徒達に発見された坂の目の前。
驚くほど正確な誘導だ。
「ガアアアッ!」
背後の気配。
咄嗟に振り返ると、老婆に向けて腕が伸びていた。
左腕を引いて老婆を寄せ、右腕だけで散弾銃を照準し、発砲。
イヤーマフ越しに響く爆音。
もし防護なしで耳にしていれば、爆音などという表現では済まない。
至近距離から散弾をモロに浴びた女の暴徒から、頭部の半分が消し飛んだ。
顔が左半分ない死体が両腕を前に突き出した姿勢のまま倒れ込む。
「ひいっ」
強い力を感じる左腕を少し強引に銃へ持っていき、コッキング。
これをしなければ、次弾を撃てない。
「目的地はまだ先だ、気を緩めるな!」
徹は年齢の割に恐ろしく健脚だ。
老婆の手を引いて走る知樹よりもずっと早く、坂の下で左右の安全を確保していた。
1発の銃声。倒れた気配は感じられないが、恐らくやった。
しかし、続いて飛び出した言葉は安全とは程遠いものだった。
「ここも包囲されてる! 止まるな!」
彼が駆け出す先はどう見ても民家だ。
知樹もその交差点に差し掛かると、タンスなどの家具や台車で作ったバリケードが左右に見受けられた。
もちろん、暴徒の姿もある。なるほど、そこにしか道がないわけだ。
この大桑村では、玄関を施錠する人間はそれこそ徹ぐらいなものだ。
もし住民に盗みの容疑がかかろうものなら、法の裁きが下るまでもなく村八分か闇討ちで対処される。
そのような、余所者の犯罪を考慮していない習慣があった。
民家へ飛び込むのに戸を蹴破る必要すらなかった。
標準装備されている錠に久方ぶりの任務を与え、どんどん奥へ進んでいく。
台所の勝手口から外に出ると、今度は家の塀を乗り越えた。
敷地の外は坂になっていたが、どのみち下へ行くのだから都合がいい。
破壊音が響く民家を背に、3人は転がるように坂を下った。
◆絶望からの脱出の一歩目───