2021年5月29日13:24 永葉県大桑村越智家
坂を下った先は、また別の民家の裏。
二階建てのそこそこ立派な建物だった。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
明らかに老婆の息が上がっていた。
常人ならば、若者であろうと倒れている強行軍だ。
彼女が追従出来ているのは、日々の鍛錬の賜物としか言いようがない。
「じいさん、ばあちゃんがまずい」
「わかった。越智さんの家を確保しよう」
幸いにも暴徒が追跡している気配はない。
家の中にいれば安全とは言い切れないが、外で腰を下ろすよりも見つかりにくいはずだ。
少なくとも、敵は民家を無差別に焼き払う戦術は採っていないのだから。
「
「ああ、大丈夫」
ナタのように大きなナイフで裏門の錠を破壊すると、そっと庭へと入り込む。
小さな裏庭には住民の趣味であろう盆栽。
隣にはおびただしい量の血痕と爪の破片が残っていた。
犯人は定かではないが、少なくとも住民がひとり欠けているのは確かだった。
「背後を頼む。俺は部屋を確保する」
縁側の隅でハルを休ませると、知樹は散弾銃を構えて接近する人影に集中した。
徹が音もなく突入した部屋では、素早くも小さな足音が忙しなく動いていた。
襖を開き、戸を開き、何かをひっくり返す。
「一階は大丈夫だ、二階に移る」
「ばあちゃん、中に入ろう」
彼女の手を取り中へ入ると、そこは仏間だった。
その間にも頭上で動く気配は続く。
古い建築では、わずかな振動も下の階層に響くのだ。
「この家は大丈夫だ。二階に来てくれ、見せたいものがある」
「なんだよ、
「いいから来い。重要な話だ、ハルさんも連れて来い」
本当ならハルに階段を登るような無茶をさせたくない。
彼女は老体の上に、今まで無茶な道のりを走らせてきたのだ。
この状況で膝を痛めたら、命はない。
「そこまで大事なんだろうな」
「確約する」
清水徹という男。
知樹にとっては元自衛官、それも父を裏切った部隊の人間とあって不信感が強かった。
しかし一方で、どこか落ち着いた。
認めたくなかったが、父やロシアで知り合った尊敬出来る人々と似た雰囲気があったためだ。
「くそ……ばあちゃん、あのじいさんが上まで来いとさ」
「うん、今立つで」
敷かれた座布団からゆっくりと立ち上がると、ふたりは急勾配の階段を登る。
徹は階段を登ってすぐの窓で外を伺っていた。
「来たな。南東の方角だ、見てみろ」
「何かいるのか?」
半信半疑ながら、知樹は彼の示す方向へ視線をやった。
「なにっ」
程なくして、ベルトのホルスターから単眼鏡を抜くことになった。
巨大な女。それは、いい。
その頭部の上半分がまるでハエのような形状をしていた。
背には巨大な半透明の
そんな異形の怪物が、かつての村人達の中心に立って何事か語る───いや、怒鳴っている様子だった。
真正面でぼさっと立っていた暴徒の首が、刎ねられた。
その腕はまるでカマキリの鎌のように、極めて鋭利な構造をしているようだ。
一体何を言って聞かせているのか、その声は届かない。
しかし今までの経験上、こちらにとってよくないことなのは想像出来た。
「あいつらが……外宇宙人?」
知樹の中で何かが結びついてしまった。
その言葉が耳に入った徹はギョッとした表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻して思考に横槍を入れた。
「余計なことを考えるな。今は推測より状況に集中しろ」
「……ああ」
気付かれることはないと思われるが、念のためふたりはハルに状況を見せてから身を隠した。
「……なんなの、あれ」
「いいか、あいつだけじゃない。この城下……いや、村中にあんなのがいる。そして恐らく」
「この状況の元凶」
知樹が簡潔にまとめた。
一方で疑問も浮かぶ。なぜ、あれだけでないと断言出来るのか?
「俺も遭遇した。あの昆虫女と、狂った顔見知り以外にな」
早朝、徹は日課のジョギングをしていたところだった。
ノルマを終えて帰宅しようとしていたその時、遭遇したのだ。
「巨大な骸骨、それも空に浮いていた」
「それで、テッくんはどうなったの? やっつけた?」
結果はハルの期待に応えられるものではなかった。
あまりにも突飛な事態に、武器すらない徹は首を掴まれた。
しかし、解放されたのだ。
「俺に、もっと絶望しろとさ」
「どういうことだ?」
「わからん。さっぱりだ」
徹が回想している間、知樹は二階の部屋で使えるものがないか漁っていた。
この階層はいわゆる子供部屋だったらしく、村にそぐわない現代的なものが見受けられた。
「なあ、ここの家の……子供かなにか、来てなかった?」
「越智さんの? そんなら去年の冬、息子さんと家族がいらっしゃっとったわ」
ダンボールの上に『忘れ物』と書かれた年代物の紙箱が置かれていた。
その箱を開くと───想像以上のものがそこにあった。
「ツイてる、充電器だ」
「なに? 本当か」
携帯型の充電器、モバイルバッテリーがそこにあった。
以前来た息子だか孫だかが忘れていったものを、ここにまとめていたのだろう。
さすがに半年近く経過しているものに不安はあったが、これでスマホを充電出来る。
「はよ、助けを呼んで」
「わかってるよ」
持ち込んでいたケーブルで接続し、充電を開始。
しばし真っ黒な画面が続くと、やがて赤い線が浮かんだ乾電池の表示が現れる。
「知樹。わかってるとは思うが……」
「わざわざ言うなよ」
知樹と徹が言葉を交わすと同時に、スマホの画面に彩りが映し出された。
◆スマホ復活! だが、しかし───