2021年5月29日16:45 永葉県大桑村鎮竜神社
異形の金切り声が、彼の気配を覆い隠した。
暴徒達は先ほどまで見ていた影を追うも、そこに敵の姿はなかった。
「どこ行ったぁ……ガアアッ、何なんだぁっ!」
「逃げるな腰抜け! 大人しく、ズタズタになれぇっ!」
憎悪を植え付けられたかつての人間が、心を支配する感情に従って叫んだ。
どいつもこいつも、痕跡を探すために下や前に視線をやる。
上方向は、完全に無警戒だった。
「んぐっ」
質量を持つ影が、最後尾を歩く暴徒に落ちてきた。
音もなく彼の口を封じた影は流れるように首を抱え、背骨の隙間に刃を突き入れた。
この影とは、言うまでもなく知樹のことである。
「なんだあっ」
鎧通を抜く暇はない。
痙攣するばかりの身体から手を放し、散弾銃を目前の標的に向ける。
歪みのないリズムで発砲と装填が繰り返される。
三つの空薬莢が地面を叩く。
命が失われつつある肉体の震えは、首裏の刃物を引き抜くと完全に停止した。
「ガアアアッ! 使えないィッ!」
恐らく銃声で手駒の失敗を確信したのだろう。
周囲に響く破壊音がさらに酷く、勢いを増した。
弾を込め直しつつ、素早く距離を縮める。
ここまで追い詰めて、動きを封じたのに。
逃げられてはたまらない。
「ただでは済まさない……四肢をもぎ取って、下顎を切り落として……」
腹部を揺らすと、ミシミシと木の繊維がきしむ音を感じた。
もう少しだ。カサンディは希望を抱きながらもがいた。
「眼球に穴を開けて、はらわた引き摺り出して目の前で食べて……!」
ガクン。下半身に衝撃を感じた。
痛みはあるが、それよりも圧迫が緩んだ。
急げ。急げ。使えない連中はもう自分を守れない、急がないと奴が来る。
「そうだっ、その状態でお尻に丸太をっ……」
「悪趣味な外宇宙人。悪逆非道な非人類」
あとちょっとだというのに。
彼女にとっての死が、すぐそばに感じた。
「どっ、どこにっ?!」
周囲を見渡しても、その姿はない。
いや、待て。まだ探していないところがある。
失ったばかりの、右側の視界。
体を捩らせて左の複眼をやると───
「俺はお前らと違う」
影と、黒点。
彼女が最後に見た光景は、眩い閃光だった。
「がっ、アアアアッ!」
カサンディの持つ視覚は完全に失われた。
世界は消えることのない暗闇に覆われ、音と触覚だけが、ここが元いる場所だと推測させた。
「まだやるか?」
「ヒッ、ヒィーッ……調子乗るなぁっ」
鋭い攻撃が、知樹のいた辺りの空気を裂いた。
手応えは一切ない。
代わりに、爆音と同時に胴体で死ぬほどの痛みが走った。
「聞きたいことがある、外宇宙人」
「なにを……?」
知樹はこの言葉を肯定の言葉だと誤解した。
「お前達の規模は? 何人で来た?」
「……」
「はっきり言えっ」
何事か、不明瞭な声量で聞き取れない。
流石に出血が多すぎたのか、先程の銃撃が相当効いたのか。
なんにせよ、体力が尽きかけているのだろう。
先ほどまでの威勢の良さとは打って変わった状態が、そう判断させた。
「……もう一度言え」
リスキーだが、張本人から情報を得られるのなら。
慎重に歩みを進め、カサンディの頭部に寄った。
「何だっ!」
「……お前の体を貰う」
虫の息。そこに、何かが迫り上がる音が混じっている。
それはもはや、本能だけで動いていた。
誰が想像するだろうか。化け物の口の中から巨大な線虫が飛び出して来るとは!
「こいつっ!」
咄嗟に大きな蛇ほどの線虫を空中で掴み、顔面の目前で掴み取る。
しかし、勢いが緩まない。うねうねと動き、知樹に飛び掛からんとしていた。
線虫に頭部らしきものはない。代わりに、先端には体いっぱいの口があった。
その口は大きく開き、知樹に害をなさんと牙を剥いていた。
───手を緩めたら、一気に飛び掛かってくる!
蛇と格闘した経験は一度だけある。
しかし、そんな既知の生物とは比較にならない瞬発力を感じた。
助けられる人間は、誰ひとり───
「動くなよ!」
その声に反応して、知樹は硬直した。
直後、線虫の頭部が吹き飛んだ。
手の内に残された胴体はブルブルと痙攣し、少しして脱力した。
もう、脅威ではない。彼は異形の残骸を捨てると、声の主へ視線をやった。
「死んだと思ってた」
「奴が近かったから声を出せなかった。代わりにモールスで信号を送ったんだが、聞いてなかったのか?」
清水徹。本殿の屋根にいた男は、小銃のボルトを操作した。
◆決着───