2021年5月29日18:35 永葉県朝津川県道32号線
まるで怨敵を目前にしているかのように。
福塚ハルはスマホの画面を睨みつけていた。
画面の左上では、変わらず圏外の表示が続いている。
この表示が棒になれば、通話が通じるようになる。
彼女にとって初の携帯電話は、責任重大な緊急連絡となってしまった。
道路で運転手が器用に転回し、10分ほど経った頃だろうか。
画面に変化が生じた。
「あっ!」
アンテナのような印に、一本の線。
知樹から聞いていた電波受信のサインだ。
「どっ、どうしました?」
「ああ、ごめんなさい。電波が良うなったもんで」
動揺した運転手に微笑みかけると、意を決して手順を遂行する。
緑色の受話器のアイコンを押し、電話帳の通話禁止を選択。
発信。
プルルル、コール一回で反応があった。
「
低音で落ち着きを持ちながら、なぜか印象に残らない声が響いた。
今相手の疑問に答えられるほど余裕はない。
彼が問い掛けている相手は今、命懸けで戦っている最中なのだから。
一呼吸おいて、ハルは口を開いた。
「助けてくださいっ、村がっ、うちの村が……!」
「……いいでしょう。お話しください」
竹馬と名乗った男は瞬時に状況を察知したのか、声色に緊迫感が混じった。
ハルは自分の体験を語った。
村人達が訳のわからない異形の怪物に洗脳され、普通の村人達を虐殺している。
話している最中、隣のJVF職員の視線を感じた。
正常な反応だ。熊に襲われたと言ってこの車に乗ったのに、彼女が今話している内容とは大きく
信じてもらえないとは思っている。
しかしそれでも、話さなければ理解さえされない。
「福塚ハルさん、でしたね。正直に申し上げて、あなたのお話は信用出来ません」
きっと、相手はボケ老人の妄想かイタズラだと判断したのだろう。
ハルは状況に一杯一杯で、こんな反応が返ってくる想定さえしていなかった。
あの異常な状況で落ち着いた少年は、信じてもらうための用意は怠っていない。
「証拠っ、この携帯でトモくんが写真とかビデオ撮っとったんだわっ」
「なるほど。そのファイル……写真とビデオ、こちらに送信出来ますか? 操作はこちらで指示します」
「や、やってみます」
この歳になると、新しい事には全く頭が働かない。
しかしやらねば、やり切らねばあのふたりが死ぬ。
地獄が、別の場所でも繰り広げられる。
───あの化け物が、もっと人を傷付ける! そんなことさせん!
恨みと義憤が、彼女の脳細胞を強く刺激した。
操作を理解した頃には電波は完全に回復し、住宅の明かりが見えるようになってきた。
「受け取りました。少々お待ちを」
その言葉ののち、彼女の神経を逆撫でするような保留中の音楽が響いた。
───こんな、人が大変な時にたぁけた音楽聴かせんといて!
内心を口にしたところで、意味はない。
数分時間をおいて、保留の音楽が止まった。
「福塚さん、お待たせしました。JVFさんのお車に同乗しているという話でしたね。行き先を指示するので、スピーカーモードに……」
「ねえっ、信じてくれたん?」
肝心な答えが聞けていない。
自分の証言や、撮影した画像。
それ信じたのか、然るべき対応をするのか。
「ふむ」
少し考えてから、竹馬は続けた。
「我々はあなたの証言と画像……あの“
「それって……」
「端的に申し上げて、現実に発生した事案と判断しました。必要な措置を講じます。申し訳ありませんが、これ以上はお話できません。説明は十分でしょうか」
全身の力が抜けるようだった。
信用を勝ち取り、状況を打開出来る救助を呼ぶ。
彼女の戦いは勝利に終わった。
───テッくん、トモくん。あたし、やったよ。
自分に出来る事はやった。
あとは、結果が良いものになることを祈るだけ。
しかしふと、ハルは気付いてしまった。
───電話の人、なんなん?
知樹は手っ取り早く、どうにかなると話していた。
てっきり彼が持つ警察か何かの伝手と考えていたが、それにしては様子がおかしかった。
それに、専門家。
果たして、あのような化け物に見識のある専門家などいるのだろうか?
達成したそばから、妙な疑念が湧いてくる。
雑念を振り払おうと瞼を閉ざすと、意識は流れるように
◆Szégyen a futás, de hasznos.逃亡は必ずしも無意味ではない───