そんなことは露知らず、ユウカは隣で懸命に走るアリスと共にお題を引く前の障害レースに挑んでいた。
平均台渡りではアリスの長く艶やかな黒髪を踏ませないように髪を持ち上げてあげたり、モニターに出題される謎解きを手伝ったりと、ユウカは相方の補助をしながらも次々とクリアしていく。
この競技は一校につき最大二人が参加できるため、他の学園も同じようにほとんどが二人一組となり協力しながらお題箱を目指していた。
「はぁ、はぁ……アリスちゃん、大丈夫?」
「はい! 協力プレイ楽しいです!」
「ふふ、それは良かった。えっと、私たちの今の順位は……」
前方には一人と一組のペア。つまり自分達は三番目に早い。運動がさほど得意で無くても、中々良い順位をキープしている。障害も半分以上は通り抜けることができたので、このまま順当にいけば三番目にお題を引くことになる。
「ここでおさらいをしておくわね。お題を引いてからはお互いそのお題は自分だけが分かるように隠しておくこと。誰かにバレた時、または自分でそのお題を発言してしまうと――」
『アーーット! 圧倒的な速さでお題にたどり着いたSRT学園のサキ選手! なんと、引いたお題の内容を言ってしまったので失格です!!!』
「……という感じで失格になっちゃうから気を付けようね」
丁度目線の先で良い例が現れたので、ユウカは思わず苦笑いを浮かべる。
しかし、これで順位は繰り上がりとなって現在は二位である。最後の障害をくぐり抜け、二人はようやくお題箱が設置してあるブースへとたどり着いた。
「よし……ここからはお互いがんばりましょうね。ルールとしては他人に見られてそれを告げられてもアウトだから、ちゃんとポケットに隠しておいた方が良いわ」
「ハイ! ここからはソロプレイということですね! 少しだけ名残惜しいですが……アリス、がんばります!」
「ふふ、私ももっとアリスちゃんと居たかったわ」
ユウカは眩しい笑顔を向けるアリスに同じく笑顔で返しながら、木箱の中に手を入れ、一枚だけ掴み取る。
丁寧に二つ折りにされた紙を、誰にも見られないように気を付けながら開いた。
「……?」
ピタリと止まる。その隣にいたアリスも見様見真似でお題を引くと、不思議そうな顔をして周りをキョロキョロと見渡した後、何かを見つけたようでユウカから離れていった。どうやら彼女を応援する部活動の仲間を見つけたらしい。
しかし、依然としてユウカはその場から動かない。
いや、と言うよりも、動けなかった。
「な、な……何なのこれは…………!?」
バッと実況テントへ目線をぶつける。そこにはノアが飄々とした表情で立っていた。
(こんなお題知らない……とすれば、これを書いたのはきっとノアしかいないわ。もう、全く。何か企みがあると思ったらこんなことをしてたのね。でも、結局これって……どうすれば……)
ユウカは頭の中で思考を張り巡らせながら、紙の文字をじっと見つめる。
「ユウカ、顔が赤くなってます。大丈夫ですか?」
「ーーッ!?」
いつの間にか戻ってきたアリスは、ユウカの顔を覗き込み、不思議そうに首をかしげた。
咄嗟に頬を触る。確かに熱くなっていた。そしてそれは、けして頭上に降り注ぐ太陽のせいではないことも分かっていた。
「あ、いや。えーっと、うん、大丈夫、大丈夫よ」
ユウカは取り乱しつつも、冷静さを保とうと胸に手を当てて深呼吸をする。
「……ふぅ。アリスちゃんもお題は引けたかしら?」
「ハイ! それを探しにいくつもりです! 後はそれをゴール地点に持っていけばいいんですよね。そしたらモモイ達がゴールで待ってくれるらしいです!」
「あら、流石アリスちゃんね。ゴールはスタジアムを抜けて隣の施設の芝生の運動場よ。そこに運営スタッフ達の判定がOKだったらゴールになるってことね。部活の仲間達が待ってくれるんだったら早くゴールしないと、ね?」
ユウカはゴール地点を指差すと、アリスはこくこくと頷き、キラキラと眩しい笑顔で腕を上げる。
「分かりました! ユウカもがんばりましょう!」
「ええ、私達でワンツーフィニッシュを狙いましょうか!」
パチン! と軽快な音を鳴らす。
ハイタッチを済ませたアリスは、穏やかな顔つきから一変し、真剣な眼差しでスタジアムの出場ゲートを目指し駆け出した。きっとスタジアムの外側にお題となる物があるのだろう。その様子を見届けたユウカは、自身の手の平に握り締められたお題をもう一度見直す。
(こ、これはちょっと……。でもこれに該当するなんて……たった一人しか……! いや、何を考えてるの私は? それじゃまるで……)
頭の中で葛藤する。
とはいえ、このまま立ち尽くしていても埒が明かない。現にユウカの周りには障害レースを乗り越えた選手達が続々と集まってきている。このまま動かなければどんどん追い抜かれていってしまう。
ユウカは額に手を当てて、思わず溜め息をついてしまう。
(はぁ……仕方ないわね……)
数人が横を通り過ぎ、各自お題に書かれたものを探しに動き出したところで、ようやくユウカも覚悟を決めた。
観客席を見渡して目標を探す。
「あそこね」
思っていたよりも簡単に見つかった。ここからあそこへ向かう最短距離を頭の中で弾き出し、早速行動へ移る。
実況と応援による歓声を耳にいれつつ、観客席へ駆け足で向かう。階段を登り二階の端に歩を進める。
ユウカの視線の先に、ひっそりと影を潜めるようにスタジアムを見下ろしている人物がいた。
その者こそが、ユウカのお題に該当する者であった。
「ふぅ、先生。少しお時間いただいても良いでしょうか」
すぐ側まで近づき話しかける。
その人物はゆっくりと顔を上げると、いつものようなへらりとした気の抜けた笑みを見せた。
「私とゴールを目指してくれますか?」
単刀直入に言う。それだけで十分伝わるはずだ。
一瞬だけ戸惑いを見せる。しかし、すぐにユウカの目的を理解してくれたのか、素直に頷き立ち上がってくれた。
先生の快い返事に対し、ユウカは照れくさそうに耳の横に垂れた髪を指でくるくると回す。
「……私の計算ではその返事をくれるのに、もう少しだけ時間がかかると思っていました」
大会前日には会場内を全て回ってみたいと言っていたのだが、競技に巻き込まれるとその時間が削られてしまうだろう。だから、いくら生徒思いの優しい人だからと言えども、少しだけ渋るのでは無いかと内心思っていた。
それに、自分が日頃口うるさくしてしまっている分、同行することにあまり乗り気になってくれないんじゃないかと思っていた分、先生の行動の速さはユウカにとって想定外で、そして正直嬉しかった。
「じゃ、じゃあ行きましょう。ゴール地点があるのはこっちです」
何にせよ、これで先生を連れていけば、かなり早い時間にゴールができる。長考していた時間のロスによって一位にはなれないかもしれないが、それでも好成績は残せるだろう。先にお題を探しにいったアリスが一番先にゴールしてくれればなにも問題は無い。
先生を気遣いつつ駆け足でゴールを目指す。障害レース越えた今、自分達を邪魔するものは何もないはずだ。
ーーしかし、ここでふと、とある言葉を思い出す。
その瞬間、眼前に映った特異な状況を見て、ユウカは己の想定の甘さ、そして生塩ノアの策略に嵌まった一人の生徒であることを自覚した。
「なるほど、そういうことでしたか」
水色の髪が揺れる。胸の前に抱えたタブレットはどうやら競技中でも手放すつもりはないようだ。
「一つ質問です。早瀬さんはこうなることを知っていた、ということなんて……もちろんありませんよね?」
アコはにこりと笑った。
いや、違う。あの表情をする人物と一緒に過ごしているから分かってしまう。
彼女の目は笑っていないのだ。
ユウカは顔をひきつらせた。
「え、ええ。もちろんよ。でもこの状況を生み出そうとした張本人は分かってるわ。どうしてこんなことを考えたのか分からないけど、とにかくーー」
話の途中で身を翻す。
そして一人だけこの状況を飲み込めてないであろう先生の手を握り、ユウカは同じく先生を狙う競技者達から引き剥がすために駆け出した。
「この競技はミレニアムが頂くわよ!」
「ま、待ちなさい!」
即座に先生を連れて逃げ出したユウカに遅れながらも、アコを含めた生徒達は動き出す。
アコを含める競技者達はその二人の背中を追うもの、先回りしようとするものに二分化された。背中からただならぬ圧力を感じつつもユウカ達は観客席を駆け抜ける。
「先生! 大丈夫ですか!」
手を引くユウカは軽く息を切らしている先生に気付く。
緊急時以外はほとんど机の上で事務処理を行っている人だ。それに、キヴォトスで暮らす自分達とは体の構造がまるで違っており、運動が苦手な自身よりも遥かに体力面が劣っている。
それは仕方の無いことだが、このままではすぐに追い付かれてしまうだろう。
ユウカは大丈夫だと自分を困らせないように強がり、更に自身の体力面も心配する素振りを見せる先生に対し、咄嗟に顔をそらす。
(もう、全然大丈夫じゃないわ。私を気づかってくれるのは……まぁ、嬉しいけど……とにかく他のみんなを出し抜く方法を見つけないと)
周りを見渡す。二人の逃走劇に沸き立つ生徒ばかり。
生徒間の武力行為が認められていない晄輪大祭のルールにおいて、基本的には逃げることしかできない。最悪、追い付かれても先生の性格からして、一番先にお願いをした生徒を優先して聞いてくれるはずだ。
(でも……)
しかし、どうしてか分からないが、胸騒ぎがする。
ああ見えて、中々の
何処かに見落としている部分があるのかもしれない。しかし、今はそれを考えている余裕は無い。
「とにかく、外に出ましょう。隣の施設に来てくれればいい……あれ、どうしましたか? 先せ……」
違和感を覚え、もう一度後ろに目を向ける。
「――え!?」
ユウカは思わず声を上げた。
なんと後ろで手を握っていたのは、見慣れない生徒だった。
目に映った大きな尻尾と狐耳がピンと立ち上がる。
「フフフ、掛かりましたね! これぞ忍法! 変わり身の術!」
「な、何なの!? ていうか先生は!?」
ユウカは手を離し足を止め、周りを見渡す。
先生の影すら見当たらない。いつはぐれたのかも分からない。そして一番分からないのは目の前の少女だ。
きっと同じ出場者ではあるだろうが、この行為に一体何の意味があるのだろう。
パチリと目が合う。何故か不思議そうに首を傾げたと思えば、ハッと目を見開いて、体操着から伸びる健康的な太ももに巻き付けられたホルスターから、何か小さな球状の物を手に取った。
「ハッ!? そうでした! 全然気づかないからつい!」
彼女は腕を振り上げる。
まずい、とユウカは謎の生徒を捕獲しようと手を伸ばす。
「それではまた! 忍ッ!」
ボフン! と音が鳴り、一瞬で目の前が白い煙で覆われてしまう。
咄嗟に身を守りながら、煙が晴れるのを待つ。
(くっ、なるほど……煙幕ならルール的にはセーフね。けど、まさかそれを携帯してるとは、やられたわ……!)
煙幕は簡易用の物だったのだろう。煙はすぐに霧散していく。
しかし、もうそこには彼女はいなかった。
『な、何と!!
どうやらその一部始終を撮影用ドローンが見ていたようで、会場内に歓声が沸き立っていた。
『あっと!!! こちらでは大玉転がしでも大波乱を見せたアリス選手が、キラリと輝く不思議な銅像を持ち上げながらゴールを目指し爆走中! その後ろを追従するのはアビドス学園の生徒二人です! 』
ユウカは一度深呼吸をして、クロノスの実況と客の歓声に耳を傾ける。
どうやら、他の生徒にも撮影用ドローンがついて回っており、映像も生放送で流されているようだ。
「……なるほどね。分かってきたわ」
ユウカは悔しそうに、しかし、何処か心の中では楽しんでいるのか、口元を軽く緩ませていた。
「これはただの借り物競争じゃない……そう、言うなれば、これは限られたお題を競技者同士で取り合うお題
上等である。やってやろうではないか。
ユウカは己の瞳に火を灯す。
このまま先生を明け渡すわけにはいかない。早急に取り戻さなければならない。
ユウカは早速動き出す。グラウンドに戻ると、やはりそこに先生を連れた少女が、ゴール地点を目指し突き進んでいた。
(もうあんなところに……! ていうか、先生もなんであんな素直に着いていって……ってダメダメ! 今はそんなこと考えてる場合じゃないわ!)
ユウカは首をぶんぶんと横に振る。
今は余計なことを考えている暇はない。あのままみすみす逃したらあっという間に一位を取られてしまう。
それだけは避けなければならない。
それに、ただ、それだけではない。
自身の胸中に渦巻く感情が、強く告げている。
自分のものを取られたのなら、必ず取り返せーーと。
「やってやろうじゃない……!」
ユウカは取り戻すための作戦を考えつつ、先生を奪っていった久田イズナを追いかけていく。
ユウカ達だけではなく、各場所で争奪戦を繰り広げる競技者達を実況する声が響き渡る。
先ほどまでの障害レースは序盤の中の序盤だったのだとユウカは理解した。
どうやらここからが本番のようだ。
先生をお題とする生徒がどれだけいるのかは分からないが、誰が相手であっても容赦はしない。
先生とゴールをするのは自分だ。
ミレニアムの優勝のため、そして、先生を奪われた時、自分の胸の中に生じた謎の淡い感情が、一体何かを理解するためにーー。