魔を従える者たちの狂騒曲   作:狗狼

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 元主天使な〈デビルバスター〉が地上に降りて、見聞きしたこと。

登場悪魔:ロキ、プリンシパリティ


堕天

「はぁ……」

 アートルムの口から漏れるのは盛大な溜息だ。問題ばかり起こす同居人たちのひとりが増えてしまった。増えること自体が問題なのではない。何故なら、増やしているのはアートルム本人なのだから。

「あれあれ、アート、どうしたの? そんなに溜息ばっかり吐いてると、幸せが逃げてくよ?」

 ひとりバベルの片隅で黄昏れていると、そこへ通りがかった青年がいた。鋭利なフォルムの眼鏡型COMP(コンプ)を掛け、常に白衣を身に付けたDBヒギラこと緋桐狗狼(ひぎらくろう)だ。

「あ、くろーさん」

「話すだけでも楽になるよ。おにーさんに話してごらん」

 そういえば、前にもこんなことがあったような気がする。とアートルムは思ったが、狗狼がにこにこと人の好さそうな笑みを浮かべている姿を目にして、警戒心はどこかへ消え失せていた。

 人好きのしそうな笑みを浮かべてはいるが、その実極度の厭世家。それが狗狼である。とはいえ、そんなことは露ほども知らぬアートルム。目の前に現れた狗狼を相手に、ここぞとばかり思う存分愚痴を吐き捲ったのである。

 へー、ほー、ふーんと適当な相槌を打つ狗狼だが、アートルムにとってはただ話を訊いてくれるというだけで、有難い存在だ。

 そのような訳で狗狼は、通称【天使の溜まり場(エンゼルスハングアウト)】と呼ばれるクランのクランマスターであるアートルムからその同居人に対する悩みを訊き出した。【天使の溜まり場】はパートナーとして飛天族を従える〈デビルバスター〉ばかりが集うシェアハウスに端を発するクランである。

「最近うちに来た子が……アイズミって云うんですけどね、なかなか打ち解けてくれなくて。なんか、壁を感じるって云うか。……まあ、しゃあないかとは思うんですけど、こう、ね。多分、名前も偽名だと思うんですよね~。私と話しながら目が泳いでましたし」

 などと云ってはいるが、アートルムだって偽名である。〈DBライセンス〉に書かれた名前がそのまま身分証明となるものではあるから、偽名であること自体は構わないのだ。狗狼は珍しく本名登録ではあるが、ヒギラは耳慣れない響きであるからクロウで通っているというくらいで、大抵の人間は本名など名乗らないのがこの世の中だ。

 それはさておき目下の処アートルムの悩みの種であるのは、アイズミという名の〈テンプルナイト〉()()()である。

 ()()()というのはどういうことか。

 アイズミは〈テンプルナイト〉に支給される〈テンプルナイトクロス〉を身に付けてはいても、正規の〈テンプルナイト〉ではない。それは〈メシア教〉の聖地であり〈カテドラル〉を内包する、シナガワの〈聖都アルカディア〉に確認済みである。

 では、何故アイズミなる者が【天使の溜まり場】の住人になったのか。

 それはひとえにお人好しのアートルムによるものである。アートルムが[シナガワフィールドで黄昏れるテンプルナイト]という世にも珍しいものを目にし、思わず声を掛けて拾ってきたのである。

 アートルム曰く「堅物そうな目付きの悪い男の口から魂が出掛かっているように見えて、放っておけなかった」とのこと。ついでに、アートルムは狗狼の前でこうも付け加えている。

「それに、なんか世間知らずっぽくって危なっかしいなぁって」

 狗狼からして見れば、アートルムも充分世間知らずで危なっかしいのだが、それは黙っておいた。

 そんな訳で、喩え独りになってもどうにか生きていけるようにと、アイズミなる青年に無理やり〈DBライセンス〉を取らせたのだとアートルムは大威張りであった。

 厭世家とはいうものの、狗狼は触れて愉しいオモチャは弄り倒す主義である。

 かくてアイズミなる〈DB(デビルバスター)〉を観察すべく、狗狼はアートルムにアイズミを紹介するよう唆したのである。

 

 

 

「何故、人間が〈ハマ〉を喰らうのですか! あり得ないでしょう!!」

 手にした鉄パイプで襲い来る悪魔を殴り付けながら、アイズミは叫んだ。アイズミはテンプルナイトクロスに身を包み、右目を眼帯で覆った黒髪の青年だ。鉄パイプはシナガワフィールドで拾ったものだが、しっくりと手に馴染み、使い勝手が良いのでそのまま使い続けている。

 理由はアイズミが叫んだ言葉通り。今回初めてパーティーを組んで任務に臨むこととなった同行者が、〈破魔魔法〉を喰らって瀕死状態になるなどというアクシデントが起こったからである。それはアイズミの常識で考えればあり得ない出来事だった。

 〈破魔魔法〉とは読んで字のごとく、魔を滅する力を持つ魔法のことだ。邪霊や悪霊、屍鬼などの死にまつわる種族が弱点とするのは当然のことであるが、邪悪な性質を持つ一部の悪魔に対しても弱点となり、術者の技量と運が良ければかなりの強敵をも一撃で滅することの可能な魔法だ。

 その代わりといってはなんだが、耐性を持つものに対しては一切の害がない。良くも悪くも融通の効かない魔法なのである。

 アイズミの知る限り。

「おンや、知らねェってのかい? この時代のニンゲンにゃあよォく効くンだぜ」

 処が同行者の従者たるロキは、驚くアイズミを見てくつくつと愉しげに肩を揺らしながら、そう云ってのけた。ロキ自身は破魔に耐性を持ち、大したダメージを負うこともなくぴんぴんしている。

 魔王ロキという悪魔の元々の霊格は、それほど高くない。魔王種の中ではほぼ最下位に当たるといっても過言ではないだろう。しかし、このロキは狗狼に使役されて、経験を積み、元よりも霊格が上がっている分霊(わけみたま)だ。

 そのロキが瀕死の主に代わり、至極愉しげにその隆々たる体躯から繰り出される拳で、〈破魔魔法〉の使い手である天使を片っ端から殴り倒していた。

 基本的には、人間に〈破魔魔法〉は効果が出ないとされている。

 しかし、清濁混じり合ったこの時代、ほとんどの人間が〈破魔魔法〉の効果を受ける。軽くは表皮に火傷を負う程度。運が悪ければ、云わずもがなである。

 ちなみに運が悪いほうの見本は、いまその場に転がっている狗狼である。

 大きな声では云えないが、現在人間とされている者たちは、〈大破壊〉以前の人間とは別ものなのではないかと(まこと)しやかに噂されてもいる。真偽は不明であるが、〈共同体社会〉に実験的に作られた〈自立型イノセント〉の一種なのではないかとの話まであるほどだ。

 魔王種である従者が平然としているその傍らで、主たる召喚者が瀕死の状態とはなんとも皮肉なものである。

「あァ、ソレとコレなァ。〈半魔〉なンだわ」

 目に見える範囲の敵を己の肉体のみで蹴散らしたロキは、倒れ伏した主を片手で抓み上げると、アイズミに向かってやれやれとばかりに肩を竦めてみせる。

 魔王を冠する高位の悪魔でありながら、人間の従僕に身をやつすという醜態を晒しているロキ。しかし悪びれる様子は一切なく、主を敬う気配も全くない。

 正直、この主従はどちらも底が知れなかった。

「〈半魔〉……ですって?」

 アイズミはロキの態度よりも、その言葉に片眉を吊り上げる。

 〈半魔〉とは悪魔と人間との間に生まれた者を指す。その出自を〈共同体社会〉に知られれば、人間に害を為す悪魔と同じく問答無用で駆除対象と見做される者たちである。

 流石に同行者のそんな経歴は訊いていない。

 アイズミはアートルムから訊いた緋桐狗狼という〈DB〉について思い返す。

『くろーさんはね、〈バベル〉の研究者なんだよ』

 確か〈新宿バベル〉の中層階ラボに勤務している研究員でありながら、回復支援が得意な〈デビルサマナー〉で、〈悪魔学〉にも精通した〈融合師〉でもあるとかどうとか。

 それだけでも情報過多だというのに、さらに〈半魔〉などという出自を隠したままで、〈共同体社会〉の研究機関に属しているなど、正気の沙汰ではないというものだ。

 〈半魔〉などという生まれながらに反社会的な背景を持ちながら、〈共同体社会〉の中枢に入り込める訳がない。ということは、完全に下っ端扱いなのだろう。

「だからこそ、純粋な人間より〈生体MAG〉量が多くて、オレみたいなモンまで楽に従えられるというワケだがな」

 けらけらと愉しげに嗤いながらロキが云う。

「オマエも似たようなモンだろ? もっともオマエはニンゲンそのものになっちまってるようだがなァ?」

 ロキは拾い上げた狗狼の身体をよっこらせとばかりに荷物を抱えるように肩に乗せ、俵担ぎにした。一応、主が完全に昇天しないよう、気を遣っている。ように見えなくもない。

「なにを云っているのですか!」

 私は天使だ。続けようとした言葉をアイズミは飲み込んだ。相手は魔王。御使いたる者、異教の堕ちた神たる魔王の諫言に乗る訳にはいかない。

「オマエは仲魔にした天使にすらコケにされてる、元天使だろ?」

 ロキはアイズミの隣に澄まし顔で控えるプリンシパリティを視界に入れて、小馬鹿にしたように嗤った。

 アイズミは言葉に詰まる。アイズミが声を掛け仲魔にしたのは、元々主天使であったアイズミよりも下位の権天使だ。下位の天使であれば、上の者には逆らうまいと思ったから仲魔にした。それなのに、この権天使には主である自分を敬う素振りが全く見られない。上の命令に従わない御使いなど、存在意義すらないというのに、仲魔のプリンシパリティは平然としている。

『あなたのどこが天使だというのですか。ただの人ではありませんか』

 冷ややかな目付きで見下されたことを思い出す。

『しかも、出来損ないの』

 その言葉にアイズミは反論が出来なかった。

 アイズミが仲魔にしたプリンシパリティは歴とした男性体だ。それはどういうことかというと、アイズミよりも天使としては古い生まれの者だということだ。

 天使に性別はないとされるが、決してそうではない。

 四大天使のひとりである水を司るガブリエルは紛うことなき女性体である。

 

 遥か昔、グリゴリと呼ばれる天使たちが地上に降り、人間の娘を妻に娶って禁断の知識を与えた。エチオピア正教会における旧約聖書のひとつである『エノク書』には、そのように書かれている。

 そして、グリゴリに知識と技術を与えられた人間たちの間には、多大なる恩恵が得られただけでなく様々な悪行が蔓延(はびこ)ることとなる。そのうちのひとつであるグリゴリと人間の娘との間に産まれた子供たちはネフィリムと呼ばれ、人喰いの巨人と化した。それらが引き金となり、人間は大洪水によって淘汰される。

 神の啓示を受けて方舟を作ったノアの一族以下、生き残った人々と動物とは神に叛いていないと見做されたものたちである。

 このグリゴリの反乱を経て、神は御使いから性別を奪ったのである。

 二度と人と交わり、子を為せないように、と。

 聖書に限らず世界各地に残された大洪水神話は、古き文明を悪しきものとして滅ぼし、新たな文明を正しきものとして定着させるための物語だと思われていた。

 それがごく最近にも繰り返された。

 〈大破壊〉を生き延びた者たちが、神に叛いていない者たちなのかどうかの真偽は置いておくとして、生き延びた者たちが作り上げた社会が現在の〈共同体社会〉である。

 

 下位の天使に個性はほとんどない。上の命に従い、機械的に任務をこなす歯車には個性など必要がない。階級名しか持たない天使は総て似たような身形で、似通った顔貌(かおかたち)をしている。

 しかし生まれ落ちた時期により、男女の性差を持つ者と無性の者に分けられるのだ。

 性別を持たないアイズミは、男性体であるプリンシパリティよりも上の階級に属していながらも、歳若い天使だった。元々性別など持たないが故に、地上に降りて人の身にやつしたときにも、肉体に性的特徴が現れることはなかった。

 アイズミとしては、下位の天使が自分よりも古い生まれに誇りを持ち、霊格が下であるにも拘らず、主となった自分を敬いもしないのは面白くない。

 アイズミは右親指の爪を苦々しげに噛む。

「処でオマエら、どっちかコイツを起こせねェのか?」

 ロキがアイズミと権天使を交互に見遣って横柄な態度で云う。

「残念ながら、私は魔法が使えませんので!」

 眉間に皺を寄せてロキを振り返り、吐き捨てるように口にするアイズミ。〈破魔魔法〉は得意だったはずなのに、人間に化けて以降、一切の魔法が使えなくなっていた。

「あァ、そうかい。ンで、そっちのは?」

「あいにくと、蘇生魔法は習得しておりません」

「コイツに死んでもらえりゃあ、ソレはソレで楽ではあるンだがなァ」

 くつりと愉しげに口角を吊り上げるロキの姿に、後退(あとじさ)るアイズミ。

「契約上、死なれても困るンでな。さっさと帰るぜ」

 不敵に嗤うロキはそのままスタスタとダンジョンの出口を目指す。

(なんなんですか、この悪魔は?!)

 アイズミは主が気を失った状態で自由に振る舞う仲魔を目にしたのは初めてだった。しかも、ロキは契約者である狗狼との精神的リンクが切れたからといって帰還するでもなく、意識がないのを良いことに暴走する訳でもない。

 曲がりなりにも魔王であるのならば、召喚者のことを喰い殺そうとするものではなかろうか。

 もし自分が意識を失ったら、隣に控える権天使はどうするだろうかとアイズミは考える。

 この権天使は初めて降り立ったシナガワの地で、拳にモノをいわせて仲魔にした者だ。〈回復魔法〉は使えるが、云われたことは最低限しかせず、まず初めに口答えをする。本当に本当に可愛げがない。

 しかしこの魔王ロキはあくまで理性的に行動しているように見える。

「ナニをボサっと突っ立ってるンだ、駄天使?」

「なっ!? 駄天使とは失敬な!」

 その場を動かず思い耽るアイズミを振り返り、ロキが眉をそびやかす。

 下位の魔王ごときに駄天使呼ばわりされる謂れなどないアイズミは、柳眉を逆立て抗議する。

 それを見たロキはふっと嘲るように息を吐き、ゆったりとした足取りでアイズミに向かってきた。アイズミは目を瞠り、息を呑むが、どうにかしてその場に踏み留まる。

 ロキはアイズミの目の前に立つと上半身を折り、上からアイズミを見下した。見下ろすのではなく、見下している。緩く波打つ豪奢な金の髪がさらりと滑り落ち、その口端はシニカルに吊り上がっていた。

「なァ、オマエ」

「お前ではありません! 私の名前はアイズミです」

 アイズミは仁王立ちになり、ロキに人差し指を突き付けながらキッパリと告げた。

 処がアイズミが名乗りを上げた途端、ロキは上体を起こして仰け反り、弾かれたように嗤いだしたのだ。

「フッ、く……クハッ、ハッハハハハハハハハハハハ!」

「なっ、なにがおかしいというのです!」

「コレが嗤わずにいられるかよ」

 慌てふためくでもなく困惑するアイズミを見て、ロキはさらに口角を吊り上げる。

「なァ、アイズミとやら。オマエは、()()()()使()なンだろう?」

 そこまで云われ、アイズミは息を呑む。

「そもそも、だ。下位の天使にゃあ、()()()()()()()()()()()()()ンだよなァ?」

 ロキの云いたいことは解った。アイズミには解ってしまったのだ。

 固有の名前を持つのは大天使と呼ばれる上級天使だけ。名前に固執する下級天使など、天使とはいえない。

「う、うるさいっ! 黙れっ! 黙りなさい、魔王のクセに……」

 最初は(いき)り立っていたものの、次第に精彩を欠いてゆくアイズミの声。終いには俯いて、悔しげにぎりりと唇を噛み締めることしか出来なかった。

「黙らせてみろよ、オマエの力で」

 それを目の当たりにしながら、んべっと舌を出すロキ。完全にアイズミをおちょくっている。

 ロキは狡知の神とも呼ばれる、知謀・姦計に長けた神だ。賢しらな主天使であった頃のアイズミならともかく、人間に身をやつしたばかりで大した力も付けていない新参者の〈DB〉でしかないいまのアイズミには、口だろうが腕力だろうが敵う相手ではなかった。

「オマエは自らに名を付けるコトで、天使という枠からハズれたンだ、()()()()

 普段は主である狗狼のことすら名前で呼ばないロキが、敢えて、態とらしくアイズミの名を口に出す。

 シナガワの地に自らの足で降り立ち、初めて味わう現世の空気を胸に吸い込み、喜びに胸を躍らせた。しかしどこに行ってなにをしようかと途方にも暮れた。選択肢が多すぎて選び切れずにいるなか、アートルムに声を掛けられたのだ。

 アートルムに名を訊かれたとき、たまたま目に入った看板広告に書かれていたのが【藍墨】という言葉だ。

 そのときは、ただその場を切り抜けるためだけに咄嗟に読み上げた言葉だった。

 アートルムやその他の人間にアイズミと呼び掛けられても、最初はなんのことだか解らなかったくらいだ。

『アイズミってば、何度呼んでも答えてくれないんだもの。お腹の音、すごいよ。で、なにか食べたいものある?』

 アートルムに訊かれるまで、人間には食事が必要だということすら忘れていた。書物で知識としては仕入れていても、空腹というのがどういうものなのか、本当の意味で解ってはいなかったのだ。

 きゅるきゅると不可思議な音を立てる自身の腹に手を当て、「そうですか。これが空腹というものなのですね」と驚いたものである。

 そしてアイズミという言葉は、いつの間にか己という存在を表す名前に変化していた。

 ふと思い起こされた人間になってからの記憶に、現在の己の立場というものをなんとなくではあるが察してしまった。そのアイズミの胸中では、絶望にも似たなにかが冬の嵐のように荒れ吹雪いていた。

 瀕死の狗狼を担いだロキの後ろをぼんやりと付いて歩くアイズミは、どうやって〈新宿バベル〉まで戻ったのか、憶えていなかった。

 

 

 

「あ~、いやぁ。アイズミくんにはみっともないとこ見せちゃったね~。今回はお手数をお掛けして大変申し訳ない」

 ベッドに横たわった狗狼はあっけらかんと笑う。

 ここは〈新宿バベル〉中層区の病院だ。ロキはバベルに着くなり、狗狼を担いだまま中層区へと向かった。一般的な〈DB〉には許可なく入ることの叶わないエリアだ。狗狼が中層区に勤務していることは訊いているが、それでもアイズミが無許可で立ち入るには抵抗があった。

 処がロキは勝手知ったるなんとやらで、狗狼の〈DBライセンス〉を勝手にセキュリティへ通し、平然と進んでゆく。

 そして病院とはいったものの正確ではない。ロキが狗狼を運び込んだ場所は、狗狼自身が所属する研究機関だった。

 狗狼の身体からは何本ものチューブが伸びて精密機器に繋がれ、さまざまな計器類がデータを取っている。

 この状況で何故、この男は何事もなかったかのように平然としているのか、アイズミにはさっぱり理解出来ない。

「なん、で……」

 アイズミは俯いて口籠る。いくら自覚のない愚か者とはいえ、ここから先を〈共同体社会〉の手の中ともいえるこの場で訊くのは得策ではない、という判断くらいは出来る。

「んん~? ちょっと待ってね?」

 狗狼はちらりとアイズミを見てから、顔を動かさずに眼鏡型COMPのコンソールにそっと触れ、キーをタップし出した。

「はい、お待たせ! ジャミング掛けたから、なんでも訊いていいよ。部屋の監視カメラもハッキング済みだよ」

 タタン! と軽快な音を立て、なにかのコマンドを打ち終えた狗狼は、アイズミに向けにっこりと笑った。

「えっ……」

「……んっ? なんか訊きたいんじゃないのかい」

 訊きたいことは山ほどあれど、初対面の相手に対して不躾な質問を投げ付ける訳にもいかない。況してや狗狼は、現在アイズミの保護者であるアートルムの知己なのだ。

 アイズミが所在なく狗狼に繋がれた計器類を凝視していると、狗狼は苦笑いを零した。

「ああ、これ気になる? ボクは()()()だからね。なにかあると、こういう仰々しい機械に繋がれてデータを取られちゃうんだ。アイズミくんも〈共同体社会〉には目を付けられないように気を付けて」

 狗狼はアイズミの事情など知る由もないだろうが、そう云って肩を竦めた。おまけにごく軽い調子で「あ、これ今回のデータだけど見るかい?」と、瀕死になってから蘇生までの詳しいデータがCOMPに送られてくるのを慌てて止めたアイズミである。

 確かにアートルムは「くろーさんの好奇心を刺激しないようにね」と云ってはいたが。

「魔王サマがここに運び込んでくれなきゃ、死んでたかもねぇ」

 狗狼の話振りはどこまでいっても軽い。

「オマエに死なれたら、オレは退屈な日々に戻るだけだからな」

「退屈でない日々を提供出来ているならボクも本望さ。それに、ここでは自分が異質なんだってことは重々承知してるよ。ただ、ボクはボク自分自身のことにも興味があるからね、別に気にしちゃいないんだ」

 悪魔を使役する理由がそんなものなのかと、狗狼とロキの会話にアイズミは困惑する。

 さらには人間を知るためという名目で、人間の姿になって地上に降りてみた知識欲の塊は、人間の中の知識欲の塊を目の当たりにして、呆然としていた。

 

(もう、充分です。上に、帰りましょう……)

 

 そう思ったアイズミだが、一度地上に降りた者がそう簡単に上へ戻れるはずがないということには、まだ気付いていない。




 このあと、某未熟ウリの処へ押し掛けるイベントが発生するアイズミさん。それはまた別のお話。
 アートルムさんちのクラン名、当時のクラン名は忘れましたとのことなので、勝手に命名しました。
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