「博士に差し上げたいものが在るのです」
そう云って、自律型〈イノセント〉の少年はとある悪魔の〈悪魔召喚プログラム〉が入ったマイクロチップをデスクに置いた。
「これは?」
訝しげにしながらも、白手袋に包まれた手がチップへと伸びる。
「弟さんの功績を称えて差し上げる積もりだったのですが、貴方に渡してくれと」
「魔狼が?」
博士と呼ばれ白衣を身に纏う痩せぎすの青年——緋桐狗狼は、内心はどうあれ躊躇いを見せずにマイクロチップを手に取った。
「……解りました。受け取っておきましょう」
「きっと、手放せなくなると思いますよ」
〈イノセント〉の少年が笑みを深める。その言葉に含まれる真意はさておき、青年は〈イノセント〉の少年に頭を下げてその場をあとにした。さまざまな陰謀が渦を巻き、重苦しい空気を漂わせている長官室を出た青年は、眉間に小さな皺を刻ませて喘ぐように小さく息を吐いた。
そのまま自室のある居住区へ向かおうとするが、道すがらマイクロチップを〈
「……なん、だって?」
ディスプレイに表示された文字が示すのは、とある特別な悪魔のデータだった。
青年の柳眉は吊り上がり、眉間に寄った皺は更に深まる。そして、苦々しげに吐き出される言葉。
「アイツら……また、こんなものを……」
データを確認した青年は、
研究員でありながら、研究対象とされている青年の自由はそれほどない。青年が向かう先は、〈新宿バベル〉を取りまくスラム街。中央政府の目の届かない、自分自身で用意した小さなセーフハウスだ。
大して広くもない、生活感のない部屋。そこにあるのは仮眠をとるためだけのパイプベッドと事務机。一応机の上にはこの部屋には似つかわしくない紅茶の缶が、ティーポットと電気ケトルと共に慎ましやかに並べられていた。〈大破壊〉後のこの世の中では人工合成された食品が殆どで、紅茶などの嗜好品は高級品に値する。しかもティーバッグではなく、茶葉の入った缶など一般人がお目にかかれるものではない。
それは青年の自由のない生活がもたらした、
青年は簡素なパイプベッドに腰を降ろし、インストールした〈悪魔召喚プログラム〉の情報に目を通す。セーフハウスとはいえ、〈COMP〉が起動している以上、青年の所在は知れている。しかし、ここであればなにが起きようとも〈バベル〉の監視はない。
もう一度、そのプログラムに記された悪魔のデータに目を通す。
間違いない。
プログラムを起動することで召喚可能な悪魔の中には、青年が従えている者と同じ種の悪魔の名があった。
魔王ロキである。
しかも、通常の手段では契約を交わすことの出来ない亜種。
青年の元には亜種ロキがもう一柱いた。
〈未熟なロキ〉。
魔王ロキの魂を欲していた青年には、例え未熟であろうがロキという悪魔の魂の欠片であれば、それは手に入れる必要のある者だった。自身の霊格を上げ、ロキの〈分霊〉と契約を交わしたあとであっても、〈未熟なロキ〉に対する青年の態度は変わりがない。まるで我が子同然といわんばかりの愛情を注ぎ込み、育成を続けていた。
そこに手渡された、第三のロキを喚び出すことの出来る〈悪魔召喚プログラム〉だ。
ここで右耳のコンソールをタップし、プログラムを起動させるだけで、新たなロキの〈亜種〉が手に入る。
それは青年にとってなによりも魅力的であり、しかしながら憤りを憶えることでもあった。
〈亜種〉とは、なんらかの要因で通常とは違う能力を授かって世に顕現した悪魔のことを指す。未熟であれば召喚に失敗し、不完全な形でこの世に顕現してしまった場合もあるだろう。
〈未熟なロキ〉を手に入れたとき、青年はたまたま不完全な形で顕現してしまった〈分霊〉を譲り受けたのだと思っていた。
しかし、〈三心合体〉で〈未熟な悪魔〉が産み出せるようになったことを知ったとき、それは初期の実験で人間が産み出した個体なのだと察してしまった。現在、〈未熟なロキ〉を確実に産み出せる合体法則は判明していない。実験の結果産み出されたうちの一柱が、己の手元にいる個体なのだとしても、〈未熟なロキ〉が確実に産み出せる合体法則など、見付からねば良いと思っている。
青年は人間が未熟な個体を創り出すことに嫌悪感を憶えていた。通常の合体で喚び出される悪魔であっても〈分霊〉に過ぎず、魔界に在る本体と比べれば未成熟といっても差し支えはないのだ。それをわざわざ未熟な個体として顕現させるなど傲慢も良い処だ。青年は人間のそんな傲慢さが嫌いだった。
その考えは〈共同体社会〉にしてみれば、危険思想とされるものでもある。大手を振って口にはしないが、青年の反社会的な態度に気付いている者もいるだろう。セツはその中のひとりだった。
そこへセツから手渡されたのが今回のプログラムである。
きっとこの〈亜種〉も、中央の実験により産み出された個体なのだ。そう思うと胸に苦々しいものが込み上げてくる。吐き気と云っても良かった。
だが、現世に生まれ落ちた以上、どんな者にも生きる権利はある。故に人間の手によって改竄された悪魔に欠陥がある訳ではない。
青年は大きく深呼吸をすると部屋の中央に立ち、気を静めて〈悪魔召喚プログラム〉を起動した。
レンズの内側のディスプレイに悪魔を喚び出すための見慣れたコマンドと呪文が流れる。
RESET;
SEI
CLC
XCE
CLD
X16
M8
LDX #1FFFH
TXS
STZ NMITIME
LDA #BLANKING
STA INIDSP
EL ELOHIM ELOHO ELOHIM SEBAOTH
ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI
JAH SADAI TETRAGRAMMATON SADAI
AGIOS O THEOS ISCHIROS ATHANATON
AGLA AMEN...
それと同時に、狭い部屋の床に青白い光の粒子で精密な魔方陣が描かれてゆく。
二〇世紀末にSTEVENという人物が作り出し、ネットを介して世界中に広めたとされる〈悪魔召喚プログラム〉。このプログラムのおかげで、人間と悪魔の在り方は大きく変わる。初めは普通のコンピュータで使われていた〈悪魔召喚プログラム〉だが、手軽に仲魔を呼び出すことが出来るよう、悪魔召喚に特化したハンドヘルドコンピュータである〈COMP〉が作られるようになり、裏社会で普及し始める。この〈COMP〉さえ扱えれば、細やかな儀式の手順を違うことなく、誰でも悪魔を喚び出すことが可能となったのだ。
しかし、喚び出した悪魔を従えることが出来るか否かは、召喚者の力量次第だ。黎明期には未熟な者が格上の悪魔を召喚した挙げ句に喰い殺され、術者の手を離れた悪魔が暴れ回るなどという事件が多発した。
そして時の政府は悪魔の存在を見過ごせなくなり、それまで裏社会の住人であった悪魔使いが認知されるようになった。公的機関に認知された悪魔使いは〈デビルバスター〉と呼ばれるようになり、政府の公式ライセンスである〈DBライセンス〉が発行されるようになったのである。
これは〈大破壊〉以前の話だが、〈共同体社会〉でもその仕組みは引き継がれており、青年はA級ライセンスを持つ〈デビルバスター〉であった。
召喚の淡い光に包まれて、見慣れた姿が目の前に顕現する。緩やかに波打つ豪奢な金色の髪をたなびかせ、白き外套に身を包んだ、堂々たる体躯の美丈夫。新たな魔王は身を包む外套を優雅に翻し、青年の前に跪く。一連の動作は流麗だった。心なしか、青年がいままでに知るどのロキよりも優雅な立ち居振る舞いをしているようだ。
「オレの名はロキ、永遠の伴侶を冠するモノ。オマエがオレの主となるのか、
永遠の伴侶を冠するロキは、頭を上げると蕩けるように甘やかな笑みを浮かべ、どんな頑なな蕾も綻ばせるような張りのある低音でそう告げた。それは、チビとも魔王とも違う第三の個性を持つロキの〈
「……お前の持つ破壊と混沌の加護をボクに」
青年が酷薄な声で告げる。伴侶たる悪魔は間を置かず、即座に主たる青年の言葉に応じた。
「お安い御用だ、
その言葉に青年も心底嬉しそうな笑みを浮かべる。己が下僕たる悪魔の頬に手を伸ばし、愛おしげに目縁を撫ぜた。
「服従の……証を示せるか? ロキ」
伴侶の目を見据えたままベッドに腰を下ろすと足を組み、青年は黒革靴のつま先をその眼前に差し出した。伴侶は憤慨することもなく笑みを深めると、恭しくその足を取り、片膝を突いた己の膝上に乗せる。そして流麗な仕草で屈み込むと、躊躇せず青年の靴に形の良い唇を押し当てた。
「仰せのママに。
そうして、青年は永遠の伴侶たる悪魔を手に入れる。
〈中央共同体〉の上層部に対する反発はあるが、青年はただただ嬉しかった。例え悪意を持って創造されたモノとはいえ、伴侶を冠するロキが自身の傍らに存在するということが。
新しく仲魔に加わったロキの〈分霊〉の個性を掴むため、初めて伴侶たる魔王を連れ出したときにもその表情は喜びに満ちあふれていた。
「早速、キミの資質を見に行こう!」
喜びを露にする軽やかな青年の足取り、それを見て伴侶は肩を竦める。
「どこがいいかな? どこへ行こうかな」
伴侶を振り返り、破顔する青年。
「何処へなりとも。オマエが望むのであれば、
綻ぶ笑顔を目の当たりにして優雅な笑みを浮かべた伴侶は、右手を胸許に当てると恭しげに頭を下げた。長い金色の睫に縁取られた氷蒼の双眸が伏せられ、青年は伴侶のいちいち大げさな立ち居振る舞いに、大きく息を吐く。
「……ま、いっか。取り敢えずそこらを歩いてみよう」
魔王ともチビとも違う個性を持つ新たなロキ。真っ向から向かい合えば不自然なほど意識してしまう相手ではあったが、青年は新たな仲魔を人に見せびらかしたくて仕方がなかった。
伴侶を連れて〈バベル〉を歩き、青年は他の〈
「なにか気になるものでも?」
不審に思った青年は、軽く問い糺す。
「いいや別に。ナニもありはしない」
真っ直ぐに青年を見遣る伴侶の瞳には、見慣れた悪戯な光が浮かんでいる。通りすがった悪魔を振り返る青年の目に入ったのは、夜魔リリスだった。
「まぁ、高位の悪魔は人間なんかとは比べ物にならないくらい、美男美女ぞろいだしなぁ」
原初の女である美しい女魔を目にした青年はくすくすと笑って返す。
リリスはアダムの最初の妻だが、閨にて神の教えに反する女性上位の体位を好んだために妻の座を追われたという。以降、悪魔と交わりさまざまな怪物たちを生み出した魔母であり、夜の魔女とも呼ばれる悪魔だ。
「人間の憧憬の念が形を成した、って部分があるよねぇ」
えてして、悪というものは人間の目には美しく甘美に映るものなのだ。そうでなければ誰も悪に靡くことなどない。青年はそう思っている。
「ン? オレにとってはオマエが一番だがな、
ロキという悪魔も、北欧の総ての女神と閨を共にしたといわれるほどの美丈夫だ。
そのロキのひとかけらである伴侶が青年の顔を覗き込み、蕩けるような笑顔を見せた。しかし青年は片眉を吊り上げ、にべもなく云ってのける。
「つーかさ、他の女性に見惚れてた奴の云う台詞じゃないでしょ、それ」
青年は呆れたように肩を竦めた。いまは伴侶の持つ違和感がなんなのか解らないまま、不貞腐れたように唇を尖らせる。
「こら、道ゆく女性に誰彼構わず投げキッスするんじゃない……」
道を歩けば傍らの美丈夫に見惚れて頬を染める女性はおり、伴侶は挨拶とばかりにウインクを送る。挙げ句の果てには伴侶が投げキッスを飛ばそうとするのを見た青年がジト目で制止する。
「ナンだ? 妬いているのか?」
クッと愉しげに喉を鳴らし、伴侶が嗤う。
「お前のそれは立派な攻撃手段だろ? ヤだよ、お前を連れ歩くたび、あちらこちらで腰を抜かすヒトが出るのは。ボクが怒られる。それとさ……」
不意に青年の表情が変わる。不貞腐れながらも人好きのする笑みを絶やすことのなかった青年が、急に眉間へと皺を刻んだ。
「〝
「ナニユエに? 主に対する下僕の態度として、オカシクともナンともなかろう?」
これまた愉しげな笑みを浮かべたまま、伴侶が嘯く。その様子を目にした青年は指で額を押さえ、深々と溜息を吐いた。
「……聞いてるこっちがこっ恥ずかしいんだよ。それに! ボクはそういう柄じゃない」
「そうか、では早く慣れるが良ろしかろう、
「…………なら、ボクはオマエのことを〝ハニー〟と呼んでやる!」
「永遠の伴侶を冠する者として、悪くはない」
伴侶は青年の反撃にもまったく動じることはなく、逆に至極満足げに頷いた。苦虫を噛み潰したような表情の青年は、自ら提案した手前、その場では黙って受け入れざるを得なかった。
だが、この新たな〈分霊〉と交わす言葉の遣り取りは非常に愉しく、会話を重ねるうちに最初に感じた違和感はいつの間にか消えていた。この〈分霊〉も、機転の利くロキであることに変わりはない。
そんなふうに仲魔の個性を確かめるのも、青年にとっては愉しいひとときだった。
それから数時間後。
「凄いな。霊格が三〇に上がるまでに4色〝カノン〟を憶えるのか……」
〝カノン〟は最近発見された特殊なスキルであり、習得する悪魔はごく稀だ。それを四属性総て習得するとは。確かにこれは特別な悪魔だと納得せざるを得ない。
〈COMP〉に蓄えられていく伴侶のデータを見ながら瞳を輝かせる青年。その期待のこもった言葉に、伴侶が苦々しく唇をかみ締める。
「ボクひとりでは無理だけど、これは後々大きな武器になるよ」
新たな仲魔の力を確認し期待に瞳を輝かせた青年は、傍らの伴侶の様子に気付かぬまま顔を見上げる。〈COMP〉のコンソールに手を掛け、軽やかに指先を動かしながら、ごく近い未来に想いを馳せる風情の青年。その旋毛を見下ろしていた伴侶は青年の頭の動きに釣られるようにして、顔に柔らかな笑みを浮かべた。まるで直前の表情を押し隠すように。
普段であればともかく、このときの期待と喜びに溢れた青年では伴侶の変化に気付くことが出来なかった。
「さーて、今日もハニーの育成に行こうか! なにせ〈リユニ〉は総てのステータスを8回上げ直さなきゃいけないからねぇ」
青年は基本的に仲魔の育成をそれほど急がない。新しい仲魔を早く強く育成したいというのは解らなくもないが、青年自身に仲魔を見せびらかすために育てる趣味はないからだ。仲魔を連れ歩く目的も決まっていないのに、ただ育成だけを急いでも意味はない。
多くの仲魔を使い分ける以上、青年は一番役に立つであろう場面を想定した仲魔の育成がしたかった。なによりも、その仲魔が生まれ持った個性や特徴というものを大事にしたかったのだ。
しかし、新たな仲魔が力を付けてゆく過程は見ているだけで心が弾むものだ。青年にとっては仲魔が傍らに在るというだけで、なにより頼もしく喜ばしいことでもある。
〈デビルリユニオン〉は確実に仲魔の力を高めることが出来る。喩え自分の仲魔が、本体から分かれた〈分霊〉にすぎなくとも、〈リユニオン〉を繰り返せば繰り返しただけ〈アツィルト界〉に存在する本体に近付いた力を持たせることが出来るのだ。
況してや青年自身は、自分が闘うことはなく仲魔へ支援を施し、己の代わりに仲魔の力をもって敵を殲滅する〈サマナー〉だ。
戦士が武器、銃士が銃に愛着を持って整備し、魔法使いが己の魔力を鍛え上げるのと同じように、仲魔を愛し育成するのだといっても過言ではない。
そのような訳でしばらくの間、青年が自分の持てる総てを新たな仲魔である伴侶に注ぎ込む日々が続いた。
初めての召喚後、己の主となった青年の喜びようには少し驚いた。
己がどうのようにして生み出されたモノなのかは、確りと自認している。
己の資質を知り、そんな御大層なモノではないとの自覚もある。
いずれ、そこに気が付いた青年はきっと落胆するだろう。
口が達者なのは、数少ない元より生まれ持った資質のひとつだ。
それを使えば、青年に見放される前にいくらでも取り入ることが出来よう。
相手は所詮、人間だ。
そう思って幾日もが過ぎた。
処が青年の態度はなにも変わらず、ただひたすら己をさまざまな場所へと連れてゆく。
青年は癒し手であり、目の前に現れる悪魔と闘い道を切り開くのは己の役割だ。
敵が現れれば支援を飛ばし、己の闘いを見護る。
悪魔の攻撃を受けて弾き飛ばされ、無様な姿を晒す己に癒しの呪と支援が施される。
膝を突くことは赦されない。
青年は闘うこと以外を要求しない。ただひたすら己を支援しながら情報を集めている。
次第に、何故己がこのような茶番を繰り返しているのか苛立ちを覚えるようになった。
青年を籠絡しようと試みたが、この貧相な体躯の青年は思いの外強靭な意志を持っており、手強かった。
日々はなにも変わらず、苛立ちは募るばかりだった。
そしてある日、事件は起こる。
「云いたいことがあるのなら、ボクの目を見てはっきり云うといい。……ロキ」
有無を云わせぬ凄みを利かせて、青年が口にする。
とはいえ、端から見れば極穏やかな口調でしかない青年の言葉から、凄みを受け取ったのは伴侶だけである。
〝ロキ〟——青年がその名を口にするのは、その場に自分と相手との二者しかいないとき。それはロキの〈分霊〉を複数柱持つが故に決めた青年のルールだった。
「五月蝿ェ! オレはこの腕で敵を殴ることも出来ない。一度に複数の敵を相手にするコトだって不可能だ!」
いままで優雅な立居振る舞いをしてきた伴侶らしからぬ物云いだ。逆をいえば、とてもロキらしい言動だということだ。
「ソレに御大層な威力を持つ技だとて、当たらねば意味がない! そのうえ、てめェに向かって飛んでくる魔法すら、避けるコトが出来ねェんだ! ハッ、伴侶が聞いて呆れらァ!」
自虐気味な笑みを浮かべ、伴侶は吐き捨てる。それを目の当たりにしてようやく、最初の日に抱いた違和感がなんなのか青年は理解した。永遠の伴侶を冠するロキが心の奥底に隠し持っていたのは、未熟を冠するロキのそれと同じもの。
「……そんなふうに生まれついた自分を呪うかい?」
青年は半ばやけっぱちな様子の伴侶を見て目を眇める。〈COMP〉を兼ねたシャープな陰影を作る眼鏡の下、伴侶は冷たく光る翡翠色の瞳を見返すことが出来ず、視線を足元に落とした。そして苦々しげに口を開く。隆々とした体躯を包み込んでいる真白い外套の下で、隠されたまま握り締められた拳とその全身を震わせている。それが青年には容易に見てとれた。
「伴侶だなんて御大層すぎて、オレには……似つかわしくない。オマエの求める伴侶は、アイツだろ……」
青年の手元には、青年自らが必要とし、力を最初から総て持ち合わせた〈分霊〉がいるのだ。それこそが、真に伴侶の名を冠するに相応しい。
喚び出されたときから知っていた。青年が求める者は己ではないのだと。だが、永遠の伴侶を冠する以上、その冠名に相応しく在りたかったのだ。
「そうか、解った……」
吐き出すように紡がれる初めての本音に、驚くことも躊躇うこともなく青年は応じた。伴侶を冠する魔王には、朗らかともいえる声に聞こえた。
「……契約破棄でも、合体材料としてでも……オマエの好きなようにするがイイ」
己が存在するために契約を交わした主と共に在るのもこれまでだと、諦めの入った心を隠しもせずに微笑む伴侶。
この世に喚び出された瞬間から、この身は目の前にいる貧相な青年のものなのだ。覚悟は出来ている。
しかし、青年は伴侶から目を逸らすと〈COMP〉の通信回線を開いた。
「緋桐です。いまアレ、空いてますか……ええ、はい。解りました。……ちゃんとあとでサンプルは提出します。勿論、貴方の名前で。……はい、はい。じゃ、そういうことで。すぐに向かいますので準備しておいてください」
なにやら事務的な口調で回線向こうの相手と交渉を始めるが、はじめは事務的だった口調へ次第に苛立ちが混じる。声の調子に変わりはなく、回線向こうの相手には解らないだろう。しかし眉間には薄く皺が寄り、いまにも舌打ちが聞こえてきそうな雰囲気だ。
「……愚物が」
回線を切ると、青年は苦々しげに吐き捨てる。苛立ちを顔に張り付かせたまま、伴侶を見遣ると淡々とした口調で一言。
「出掛ける」
「?!」
伴侶は青年の言葉をすぐには理解出来なかった。言葉を頭の中で反芻する。
「ぐずぐずするな。はやく来い」
その言葉の意味する処に戸惑い、躊躇う。だが、伴侶には大人しく従う以外に道はないのだ。そうしなければ、つい先ほど己が口にした言葉を翻すことになるのだから。不快の念を隠しもしない青年は、すたすたと歩き出し伴侶を振り返りもしない。
そして伴侶たる魔王は、唇を引き結んだままそのあとを追った。
覚悟は、出来ているのだ。
「ココ、は?」
重苦しい沈黙に耐え切れず、先に口を開いたのは伴侶だった。
青年が先に立ち辿り着いた場所は〈バベル〉内にある〈ヴァーチャルバトラー〉。とはいえ一般に開放されている施設ではない。それは青年が所属する研究機関のテスト用に使われているものだった。
「いまからテスト用の〈ヴァーチャルプログラム〉を起動するから」
青年は伴侶の問いに答えず、己の〈COMP〉のコンソールに手を掛け、なにやら忙しなげに指を動かし始める。先ほど己の処遇を好きにしてよいといった手前、伴侶はそれ以上の不満を顔に出したりすることもなく、青年の所作を見守った。
個人端末である〈COMP〉を研究施設の大掛かりなコンピュータに接続し、青年がホストプログラムをリモートコントロールする。
ヴゥンとノイズが走り、辺りの映像が無機質な壁とタイルに覆われた殺風景な空間へと変わる。それはイチガヤ駐屯地にある地下施設を再現していた。
「行くよ」
青年が歩を進め、伴侶がそのあとへ続く。仲魔を従える〈デビルバスター〉にとっては当たり前の構図だが、仲魔を先行させる機会が多い青年としては珍しい。
不意に行く手へ一柱のキリンが現れた。通常の大きさではなく〈イチガヤ駐屯地(金)〉に生息する異形のモノである。
「なんでも良いよ。あいつを倒して」
足を止めると後ろを振り返り、青年は伴侶を見上げた。伴侶は青年と部屋の真ん中に現れた聖獣を見比べ、しばし逡巡する。
青年はそれ以上口を開かない。動かない伴侶を叱責するでもなく、じっと凝視めている。
伴侶には青年がなにを考えているのか解らなかった。
覚悟を決め、伴侶は右手をゆっくりと己の顔の高さまで挙げた。それを聖獣へ向けて突き出す。目を伏せ意識を掌に集中するだけで、詠唱など必要とせずにエネルギーが爆ぜ、その掌の先に赫い火球が生まれた。目を見開くと火球は不規則な軌道を造り、緩やかな速度で聖獣へと向かって行く。
聖獣はそんな伴侶に反応することなく、ゆったりとした歩調で再現された空間を歩き回っていた。伴侶の放った〝コロナカノン〟は至極ゆったりとした速度で目標へと向かってゆく。カノンの弾足は遅く、歩いていても追い越せそうだ。〝コロナカノン〟を放ったあと、伴侶はもどかしげにその弾道を凝視めている。
しばらくして青年が満足げに笑んだ。それと同時に伴侶が安堵の溜息を漏らす。伴侶の放った〝コロナカノン〟は青年の支援を必要としなくとも、キリンを一撃で仕留めていた。
〈リユニオン〉もそれほど進んでおらず、大して霊格をあげてもいない状態で、だ。
「じゃあ次」
青年の声に次の聖獣が姿を現す。
「今度はあれに近付いて。カノンはいつ準備しても構わないけど、撃つのは指示を待つこと」
青年の指示に伴侶が従い、ゆっくりとした足取りで歩を進めた。歩きながら手に意識を集中し、先ほどと同じように腕に炎を纏わりつかせ、手の中には火球を浮かび上がらせる。聖獣との距離が徐々に縮まっていく中、伴侶がちらりと青年を見遣るも、青年は難しい顔をしたまま伴侶を凝視めているだけでなにも口にしない。そしてキリンは伴侶に見向きもせず、その場でうろうろと佇んでいるだけだ。
不意に聖獣が伴侶のほうを向いた。距離はまだ2メートルほど離れている。
思わず伴侶が手を挙げ、手の中に込められたエネルギーを解き放とうとする。
「まだだよ! まだ、早い」
それを見て青年が声を張り上げた。そして、青年が得意とする〈エンハンスメント〉の〝パルス・オブ・アサルト〟の詠唱に入る。そこで聖獣が踵を床に打ち鳴らす。聖獣キリンは魔法の詠唱に反応するタイプの悪魔だ。勿論、その狙いは近くにいる伴侶ではなく青年。ターゲットと見定めた青年のほうへと、一目散に駆けてゆく。
伴侶は青年を振り返り、許可を求めて声を上げた。〝パルス・オブ・アサルト〟の範囲には伴侶も入っていおり、伴侶は青年の支援を受け力がみなぎっているのを感じた。
「クロウッ!」
「まぁだだよ、ハニー♪」
処が青年は真っ直ぐに聖獣を見据えたまま微動だにしない。それどころかその面には愉しげな笑みが刻まれている。
既に聖獣は伴侶の脇を通り抜けようとしていた。
「そこっ!!」
青年の鋭いひと声に、伴侶は目の前を素通りしようとする聖獣の脇腹に向け、手の中のエネルギーを放った。伴侶の間近で炸裂する火球の威力は、青年の支援魔法を受けたいま、先ほどの比ではない。
仮想空間である〈イチガヤ駐屯地〉の室内に激しい爆音が響き渡り、爆風が伴侶の髪を靡かせた。
それと同時に、鋭い断末魔の悲鳴を上げ、聖獣は息絶える。
己の側に横たわる聖獣の死体を見下ろす伴侶に、満足げな声が掛けられる。
「カノンってやつはさぁ、詠唱で敵に気付かれることがないんだよねぇ。そして威力は〈上級魔界魔法〉よりもよっぽど上。〈ダイン〉より〈カノン〉のほうが基本性能上なんだって、知ってた? 〈カノン〉の着弾が遅いのであれば、0距離でお見舞いしてやれば良い。それだけだ」
伴侶は腕組みしたまま傲岸不遜な笑みを湛える青年を改めて見遣った。
「どーだ! 生粋の〈サマナー〉舐めんなよ、ハニー? 使えない仲魔なんてもの、この世に存在しないんだ。どんな仲魔だろうとボクは使いこなしてみせる」
ふふんと鼻を鳴らし、伴侶に向かって人差し指を突き付ける青年は、まるでお気に入りのおもちゃを前にした子供のように得意げだ。
「残念だったな? お前がロキだというのなら、このボクが簡単に手放したりなんてするもんか」
太々しく云い放った青年は、〈COMP〉のコンソールをタップする。ヴァーチャルプログラムを終了させた青年は、用は済んだとばかりにくるりと踵を返す。
が、コツリ、とひときわ大きな靴音を響かせ歩みを止めた。
振り返り、伴侶に向けてにやりと悪辣な笑みを浮かべてみせる。
「あぁ、でも……いまのお前じゃあ、お話にもならない。これからみっちり鍛え上げてやるから覚悟しとけ」
がらりと表情を変える青年。不遜に光る翡翠の瞳、口端には愉しげな弧が刻まれている。
「……あ、あァ」
その様子に臆され、小さな声で頷くことしか出来ない伴侶だった。
それからは、伴侶育成のためあちこちのダンジョンを渡り歩く日々が始まった。
「これ見て」
大きな姿見の前で身形を整えていた青年が仲魔を振り返る。いま青年の傍らに在る仲魔は、永遠の伴侶を冠する魔王。
「ほゥ、新しい服か。似合ってると思うぜ」
あれからまた幾日か経ち、青年は胸にひとつの決意を抱いていた。
「有難う。これさあ、キミのために用意したものなんだ」
「オレのため?」
青年が身に纏っているのは濃緑を基調とした執事服。襟足や袖口は金モールで縁取られ、執事というにはやや派手ではあるが、仲魔をサポートするための装備としては悪くはない。
執事とは、主人の総てをサポートする存在だ。悪魔を付き従えているとはいえ、〈サマナー〉は悪魔の力を借りねば闘えない。そこを勘違いし、ただ悪魔を使役しているだけの輩も少なくはない。
『支援の究極のカタチは、戦う側にキモチヨク闘って頂くこと』
青年に、そう教えたのはライバルにも等しい存在。而して、支援が途切れれば、死と隣り合わせなのだという支援の重要さも知らしめてやらねばならない。
支援とは、決して戦闘の補助などではないのだ。補給路を断たれた前線が闘えないのと同じなのだから。
「そう……この服の性能を、一番活かせるのはキミだ。勿論、いまのままじゃあ少し難しいけどね。そして……そのために、みんなにも色々手伝って貰わなきゃいけないんだけど……」
そこまで口にして、青年が軽く俯いた。
「今後、キミは〈WC〉で〝オーバーキラー〟と〝会心〟を取得するんだ」
青年が静かに口にしたのは決定事項だ。その瞳に宿る輝きには有無をいわせぬものがある。
伴侶は目を瞠り、己が主を凝視め返した。青年は揺るがぬ決意を込めて淡々と続ける。
「そして、一緒に〈ディアスポラ〉を攻略してもらう」
〈ディアスポラ〉、それは最近現われるようになった魔界である。魔階とは違い、ひとつのエリアそのものを再現するほど巨大な魔界。それはトウキョウの各地に散ったマサカド公の力の断片を狙う高位悪魔が作り出したモノだという。
現在、東京に顕現している〈ディアスポラ〉はふたつ。スギナミフィールドを根城にする魔王アスタロトが作り出した〈ディアスポラ・スギナミ〉と、シナガワフィールドに降臨した大天使メタトロンの作り出した〈ディアスポラ・シナガワ〉である。
「ボクは〈サマナー〉だから……。仲魔がいなければなにも出来ない。どんな仲魔も使いこなすのが〈サマナー〉だと思っているから、仲魔の力を最大限に活かすために……必要であればボクはなんでも受け入れる。仲魔が力を発揮するために必要なものを用意する。それは、ボクの役目だ」
己の決意を胸に長身の魔王を見上げて口にする。
「……とはいえ、あまりにおかしな格好はしたくないから、着られるのはせいぜいこの程度の服までだけどね?」
最後にくっと喉を鳴らし冗談ぽく肩を竦めた。
「キミが生まれ持ったスキルを活かす場所は在る。そこで最大限の力を発揮して貰うため、必要だと思ったから手に入れた」
愛しい仲魔に向け、はにかむように気恥ずかしげに云うと、手を差し出す。
すうっと息を吸い込むと、表情を一変させ悪辣な笑みを浮かべる。
「……ボクに、付いてこい。お前の居場所はここだ」
「あァ……総てはオマエの望みのままに、我が主」
それを見て、永遠の伴侶を冠する下僕は初めて心の底から笑む。そして、改めて青年の前に跪くと、その手を取って恭しく口付けた。
「今後ともヨロシク……ロキ」
そうして、青年と伴侶を冠する魔王の絆は揺るぎのないものとなった。
〈永遠の伴侶〉と〈荒ぶる情欲〉亜種としてはどういうコンセプトで作られたのか、いまいちわからない感じではありました(〈永遠の伴侶〉は男性悪魔で初期スキルが投げキッス、〈荒ぶる情欲〉は初期スキルがセクシーダンスでどちらもLv30までに四色カノンを憶えるいう共通点はありましたが)。
最終的には未熟なコッパテングに積んだ刹那五月雨撃ちでペアディアスポラのメタトロンソロをやりましたが、初期のディアスポラでは永遠の伴侶ロキのカノンでアスタロトもメタトロンも落としていたのですよ。御魂合体来なくて残念でした。
そんなことを思い出しながら書いたお話です。
てか強くない悪魔に対して使えねぇっていうのが嫌いでした。