2年連続でトレーナー試験に落ちた男とトウカイテイオーの話 作:キンニャモニャ
とある平日午後のこと、男は公園の定位置に陣取って、世界平和について考えていた。
それは1年以上続けている日課であった。まるで感謝の正拳突きを打つように、男は慣れた動作で世界平和を祈る。
今日も男の周りは平和だった。
その時までは。
男の耳に軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。間もなくして、つい数日前に見たウマ娘が男の視界に現れた。
「こんにちは! また会ったねっ!」
「……こんにちは」
みなが見惚れるような笑顔とともに挨拶をするウマ娘に、男はげんなりとした様子で返した。
「いやあ偶然! たまたまランニングしようかなって思ったら、どこかで見たことのある人がいるなって思ってさっ!」
男の様子を確かめつつ、ウマ娘は強引に主導権を握ろうとまくし立てる。
「暇なの?」
「こっちのセリフだよっ!」
「俺は無職だからさ」
「う、うん。そういえば前に言ってたね……」
しかし、ウマ娘の努力も虚しく、その場の流れは一瞬で男のものに変わった。
「夢が破れて、次の目標を決めるための充電期間中なんだよ。君みたいに夢の途中じゃなくて、夢が敗れた後なの」
「トレーナーはもう目指さないの?」
「まあな。冷静に考えてみれば、いくらスタイルが良いからって学生に手を出す20代はアウトだからさ」
どんなに自分贔屓で考えても、中学のウマ娘に犯罪者呼ばわりされるような人間はトレーナーに相応しくない。男は数日でその結論に至った。
「そうだね。刑事事件になるね」
「人にも法にも合わないなら、我を通すことは迷惑でしかない。そんなんで、どの口でトレーナーになってウマ娘の力になりたいなんて言えるのかって思ってさ」
男は心の底からウマ娘の助けになりたいと思っていた。トレーナーになりたいと思っていたのも、ウマ娘の力になりたいから。
決して、可愛くて、綺麗で、スタイル抜群で、性格もいいウマ娘と懇ろになりたいからではない。それが目的なら学生時代の彼女と別れることはなかった。
だから、そんな理由でウマ娘に怖がられることは、男の夢にとって致命的であった。
「……そっか」
「薄々は感じていたんだけどな。でもトレーナーになるのは子どもの頃からの夢だったし、ヤバいかなって思い始めたのはトレーナーの勉強してる真っ最中だった。退き際を誤ったな」
そうはいっても誤解は解けるだろ、と男は楽観的に考えていた。だが、実際に2年連続で面接で否定された以上、もはや言い訳はできない。
「……桐生院トレーナーと話したよ。キミのこと覚えてた」
「マジ? まあイケメンハンサムだしな」
「(無視) キミが不合格だったことをずっと信じられなかったって」
「彼女、見る目ないね」
男は自分以外にも立派なトレーナー候補がたくさんいたことを思い出した。この中には男から見ても優秀と思う人間がたくさんいた。そしてその多くは不合格となった。もちろん、例の質問は突破した上でだ。
それでも男は自分ならば! と思っていたが、結果は不合格。所詮、自分も彼らと変わらないんだと思ったこともあった。
「……聞いたよ。すごい大学の医学部を出てるんだって? ウマ娘のトレーナーになって、医学の知識を使って、ケガの無い子を育てたいって思ってるんでしょ? 桐生院トレーナー、すごく感動したんだって。他のトレーナーとは明らかに一線を画する知識。それに情熱。同期にこんなすごいトレーナーがいるのかってワクワクしてたらしいよ」
「お、嬉しいねえ」
見るからに優秀だった合格者が自分のことをそう言ってくれる。今の男には恨み妬みはなく、純粋に褒め言葉として受け取れた。
「キミの面接での発言は知ってたみたいだけど、『あれは何かの勘違いです!』って言ってた」
「勘違いじゃないんだよなあ」
「ね。本性はこんなゲスいヤツだって知らないんだよ」
「うるさいぞジャリ」
実に楽しげなイタズラっぽい顔をするウマ娘。
しかし、その口角は意を決した様に水平になった。
「でも、それを聞いて確信した。何かあるんでしょ……ボクの足」
「……なんだよ、わかってるじゃないか」
男はついと視線を逸らした。だがそれは目の前のウマ娘の辛気臭い顔を嫌がったのではない。
出会ってから短い時間しかないが、それでも男はこのウマ娘がとても頭の切れる子だと理解していた。だからこそ、言い逃れは難しいと思ったのだ。
「……仕方ねえなあ。そこ、座りな」
「うん」
先程まで威勢の良さはどこへやら。ウマ娘は借りてきた猫の様に男の言葉に素直に従った。
両手をグッと握りしめて膝に置き、身構える様にして男の言葉を待つウマ娘。
男は努めて深刻にならない様に口を開いた。
「とはいえ、別に大層なことを考えてたわけじゃない。ただ不自然だっただけだ。そんな走り方で大丈夫かな? って思っただけ」
「不自然……前も言ってたよね」
「なんとなく感じただけだからな。見た限り、君は凄い柔軟な体をしていて、しなりがある独特な走りをしていた。だけどそれは基本のフォームから外れてる」
「基本……」
「基本ってことは、効率が良い形ってこともあるけど、無難な形でもあるんだよ。言い換えれば、リスクが低い形だ。癖がついたフォームは体を痛めやすいって聞いたことがあるだろ? それと同じだ。基本から外れれば外れるほど、一般的に想定していない箇所に負担がかかったり、負荷の程度が大きくなる」
基本から外れた走りをしてる以上、基本的なフィジカルトレーニングではカバーし切れない負荷がかかる。そもそも、そういったトレーニングを元にしたメニューは基本的な走りをする上で使用する筋肉をバランスよく鍛えるためのものだ。独特の走りに対応したものではない。極端なことを言うなら、まんべんなく平均以上にフィジカルトレーニングをすれば、使用する筋肉と比率をカバーできるかもしれないが、走る上でムダな筋肉は邪魔だ。
つまり、彼女の走りは負荷とパフォーマンスのバランスが命になる。そこを間違えればタイムが伸びずにG1で勝てないだろうし、逆にベストを尽くしすぎて体を壊すことになりかねない。
男はそれを独特な走りをしていた子。なんて話のネタで済ませられないくらい、目の前のウマ娘から才能を感じていた。
「君の柔軟性は天賦の才だ。一般的には基本から外れた不自然な走りでも、その柔軟性があるからこそ推進力を生む走りになる。他にも君には瞬発力も備わっている。それが推進力と掛け合わさって、これまで素晴らしい結果を出せていたんじゃないか?」
爆発的な力は強力な武器になるが、同時に反動も大きい。彼女が才能あふれるウマ娘だからこそ、それは他の子以上に深刻な問題になる。男が特に彼女を気にしている理由がそれだった。
男はウマ娘の走り方が完成していることにも危惧を抱いていた。本格化前なのに、そこに至っていることに純粋に称賛したい気持ちもあるが、だからこそ彼女は負けないし、トレーナーが口を挟みづらい要因にもなると考えていた。
「だが、君が生きている以上、その体には必ず負荷がかかっている。疲労骨折が突然やってくるように、負荷によるダメージ――歪は蓄積される。それによる故障は十分に考えられる」
男は目の前のウマ娘の力を疑ってはいない。出会って2回目だが、フィジカルの面で安定した勝利を収めることができると考えていた。もちろんG1でもだ。しかし、その欠点による影響も確信している。それを防ぐためには、彼女に寄り添うトレーナーが、どこまで彼女の状態を把握して手綱を締めるかにかかってくる。つまりは全てトレーナー次第だ。
「そんなところだな」
「……」
説明を終えた男が一息ついた。
ウマ娘の顔は強張ったままだった。
「ああ、言っとくけど、見た感じで思ったことだからな。実際はそんな大事にはならない可能性はあるし、むしろ見当違いって可能性もある」
あくまでも男が彼女の走りを見て思った感想だ。彼女が男の想定を超える才能の持ち主ならば、男の心配は考えすぎで終わるかもしれない。
男は彼女を不安がらせたいわけではない。G1を諦めてほしいわけでもない。
「……どうすればハッキリそうだって確信ができるの?」
「診察すればわかる」
それは男にとって言いたくない言葉ではあった。間違いなく深入りすることになるという確信。彼女のためを思うなら、男の言葉を教訓として、すぐにでもトレーナー探しをするべきだ。だが、諦めたとはいえ、心の底からトレーナーに成りたいと願っていた男には、純粋な子どものウマ娘を前にして、レースに関する嘘はつけなかった。
「診察? じゃあ、してよ。お願い」
「まあ、そうなるよな……仕方ない。ただし条件がある」
「条件? ……なに?」
「触診させてもらう」
体のどこに負荷がかかっているかなんて、機械ではわからない。せいぜい温度くらいだ。無論、温度はとても重要な物差しではあるが、それだけでは正しく状況を判断できない。現状を正しく理解するためには、五感を研ぎ澄ませて状況を探らないといけない。男は真面目にそう考えていた。
「触診? 触って確かめるってことでしょ。いいよ」
「流石にレントゲンはないから骨の部分はわからないところがあるけど、ある程度はそれでわかる。ああ、言っとくけど、足とか尻とか股関節とか触るけど、ギャーギャー言うなよ」
ウマ娘の時が止まった。
「え……いや、言うよ! なんだよそれ! 足はわかるけど、お、お尻とか触る必要ないじゃんっ!! そ、それに股関節って……!!」
ウマ娘が少し顔を赤くさせながら言った。
対して、誓ってやましい気持ちのない男は平然としている。
「股のことだな」
「知ってるよっ!!」
「あと上半身のバランスも見たいから、胸も触ると思う。でも診察だから勘違いするなよ」
「するよっ! なんなら勘違いじゃないって自信があるね! もーっ! バカじゃないのっ!!」
ウマ娘は更に赤面し、体を大きく揺らしながら食って掛かった。
「超エリート大学の医学部を主席で卒業した俺に対してバカじゃないのとは……」
「バカだよ! 大バカだよっ!! キミ、それでトレーナー不適格って言われたんでしょっ!!」
「それはそうだが、それを理由に診察に手を抜いたらダメだろ。診療行為がセクハラに該当する可能性があるから手を抜いて診察して、結果、判断に誤りがあったらどうするんだ。医者は最後の砦だぞ。失敗しましたテヘペロが通用するのは、出来る限りの全力を尽くした後だけだ」
内心、塞がったばかりの傷口が開きかけるが、男はやはり動じない。自分と性欲に少しだけ忠実なところはあっても、男には医者としての信念があった。子どもの頃から親や兄に教わってきた、ブレることのない価値観である。
「そ、それは……そうだけどさ……」
食って掛かったからこそわかる男の圧力に、ウマ娘が勢いを失った。
「場所か? だったら安心しろ。こんなところでジャリの体をベタベタ触っていたら、お巡りさん待ったなしだからな。10分くらい歩けば家につくから、そこで診させてもらうつもりだ」
「家に連れ込むつもりなのっ!? 嫌だよ!!」
「? お前から診て欲しいって言ったんだろうが」
「そ、それはそうだけど! それにしたって……!」
やはり面倒なことになったと、男は内心でため息をついた。中学生1人くらい、なし崩し的に診察を行ってしまうことは容易い。しかし、やはりトレーナーの心得があるものとしては、躊躇するウマ娘に大人の汚さをぶつけたくはなかった。
とはいえ、自分の体の不安材料に思い当たっているウマ娘からしたら、ここは引き下がるという決断を下すことも難しいだろうと男は思った。
どうにも上手くいかないが、これ以上は無駄な時間になると男は思った。
「……時間切れだ。もうペットに餌をやる時間だからここまでな」
「え」
ウマ娘の手が上がりかけた。
「悪かったよ。オレから見たらジャリの君でも、思春期の女の子だもんな。いくら相手がイケメンハンサムだからといって、ホイホイと家について行くのはダメだな。むしろ、そのくらいの警戒心はあって当然だし、素晴らしい判断とも言える」
「う、うん」
打って変わってウマ娘を突き放そうとする男の勢いに、ウマ娘は呑まれるように頷いた。
「診察だって、ウマ娘専門の良い病院に行けば、正確な情報を教えてくれるはずだから、そっちに行きな。たぶん女医もいるだろうから、君でも抵抗ないだろう」
「それはそうだけど……」
言いながら、男は初めからこうするべきだったと反省した。なんだかんだで彼女との会話は嫌いじゃなかった。これもまた自分の意思の弱さが原因かと、男の傷がまた少し疼いた。
「キミは悪い大人の誘いを間一髪で切り抜けた。それが結果だ。良いね。もうここには来るんじゃあないよ」
「ここ、公園なんだけど」
「……やっぱり無しで。ここに来て、もし俺が座っているのを見ても話しかけちゃあいけないよ」
「……わかったよ」
「よし。じゃあ、お終い。……頑張れよ、本当にさ」
どんな形になるかはわからないが、せめて彼女が満足する結末になってほしい。トレーナーを目指していたものとして、大人として、この小さな知り合いの幸せを願う男の気持ちは、紛れも無く本物だった。