86-エイティシックス- 獅子の来訪   作:Aa_おにぎり

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#110 焦がれた願い

あの時も、シンはクレナをまるで置き去りにするように、遥か先に歩み去ってしまったように。終わるはずがないと思うこの戦争を、終わらせるための話に没頭していた。

未だ捨てられない、戦う者だという存在証明を、手放してしまうための話を。

立ち尽くしたままのクレナを置き去りにするように。

ほんとはとっくの昔に。……シンは自分の事なんか見捨てていたのでは無いだろうか。だから彼の戦場に、連れていてくれなかったのではないだろうか。

だから今も、声をかけてくれないのではないだろうか。

 

撃つべき時に撃てなかった、役立たずの自分を。

セオを、シャナを、リノを、救えなかった無力な自分を。ーーそんな自分なんかもう要らないからと。

 

少し冷静ならおかしいと思ってしまう滑稽な話だ。シンは攻性工廠型との戦闘中、話せる余裕があるはずがない。けれど冷静さを失いつつあるクレナに、そんな事実まで結びつかない。役に立てないのは嫌だ。無力なのは怖い。

 

ーー()()()()()()()()()()()()()()()()()()、本当は一番怖い。

 

記憶の中、白銀色の髪が振り返る。紺青の共和国の軍服。白銀の髪と目。

 

ーーそう。君があの時、ご両親が撃ち殺されるのを黙って眺めていたときのような。

……嘘だ。あの将校はこんな事は言っていない。『すまない。助けられなくてすまない』って。

だったらこれは……誰の。

 

ーー白ブタはみんなクズだ。なるほど。それならどうして君は、そのクズどもを止めなかった?叫んで縋りついてでも止めようとしなかった?……どうして、大好きだったパパやママが撃ち殺させるのに立ち向かおうとしなかったの?

それは……。

ーー大好きだったお姉ちゃんについてもそうだ。彼女を戦場に連れていく白ブタに掴み掛かりもしなかった。黙って何もせずに、立ち向かいもせずに連れて行かれるがまま。

そんな事できない。できるわけがない。だって。

 

だって。

 

銀の目……いや、これは……。金の目が嗤う。これは……。

 

ーーそうだよ。だって君は……

 

 

 

ーー君は立ち向かう力もない、()()()()()()()()()子供なのだからな。

 

 

 

「っ……!」

 

人を、世界を、未来を恐ろしいと思う、理由が分かった。一歩進むことさえ恐ろしい理由が分かった。

だって、()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()、何も出来ないのだから。

進もうとして、その先で誰かに悪意を向けられたら。幸福を掴もうとして、それを奪われそうになったら。

 

その時はまた何も出来ずに。ただ無力に奪われるだけなのだろうからーー……。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

〈シャナ〉の声を聞いてから、クレナの様子がおかしい。

 

その事が遙か後方の軍団司令所から、旅団本部の指揮を司るレーナにはどうしても気掛かりだった。

互いの意識を介して聴覚を同調する知覚同調は、顔を合わせて話している程度の感情も伝わる。繋いだままのクレナはひどく怯えているようで、途方に暮れて立ち尽くしている。

縋りたいと思っても、撥ね退けられるのを恐れて縮こまる様子に。シンも気付いていようで、何度も気にかけている様子がある。

とは言え、シンは戦闘中で話しかける余裕はない。それならと、口を開いたところで。不意にキルヴィースが口を開いた。

 

『ーー少し良いかい?ガンスリンガー。ククミラ少尉、だったかな』

 

 

 

 

 

同じ連邦軍所属とは言え、言葉も交わしたことのない別部隊の指揮官に声をかけられ、クレナと言う名のエイティシックスの少女は意表を突かれたようだ。

 

「君の評判は聞いている。ーーガンスリンガー。絶死の八六区を生き延び、機動打撃群の数々の武勲の一助となった。エイティシックスの比類なき狙撃手。その評判を聞いた上で、……俺は君を、〈トラオアシュヴァーン〉の射手にさせる気はなかった」

 

息を呑む気配が無線越しに伝わる。それが何故か、本人も自覚しているはずだ。どちらかと言うと失敗を咎められる子供のような反応だ。

 

「船団国群、摩天貝楼拠点の作戦時の、君の醜態。ーー俺は信用に値しないと判断した。必要な時に動けない兵士は、兵士じゃない。立ち尽くすなんて論外だ」

 

良い兵士は必要な時に動くもの。ただでさえ試作兵器なのに、信頼できない兵士に任せられない。いっそ作戦から恥ずべきだと、キルヴィースがレーナ達に要求していた。

しかし、それを強硬に反対したのが。

 

「それでも君に〈トラオアシュヴァーン〉を任せたのはーーノウゼン大尉だ」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

共和国の哀れな棄民、エイティシックスを率いるは混血の『ノウゼン』と聞いていた。その時からキルヴィースは一方的にその少年に親近感を抱いていた。かの権門が一族の端くれとでも見做しているならそんな下民ばかりの寄せ集めの部隊に置いておくはずがない。だから、自分たちミルメコレオ連隊と同じなのだろうと思っていた。

一族とは認められず、ただ戦功を奉るだけの便利な道具。獲物を食らっても己の血肉にする事ができない、いずれ飢え死ぬ蟻の腹の獅子。

誰からも愛されぬ、居場所もない子供。

しかしそうでは無かった。

 

「ーーこれは共同作戦で、〈トラオアシュヴァーン〉も先技研からの貸与品です。だから射手を部下の誰かに任せるかは俺の権限の範疇だ、とは言いません」

 

会議室で真っ向からキルヴィースを見据えてシンは言う。

 

「ですが、先の失敗の一つで、彼女を見限ると言うのならそれは采配として酷薄に過ぎます。一度の過ちで兵を切り捨てては隊など成り立たない。ククミラ少尉が立ちすくんでしまったのは事実です。それでも彼女が今後も立ち直れはしないと、判断される謂れはありません」

 

再び立ち上がれぬ機会さえ、与えないと言われる筋合いはないーーーと。

 

「それでーーまた失敗したら?」

 

キルヴィースは苦い思いを噛み殺す。ミルメコレオ連隊は戦歴すらない新規部隊。信頼で言えばすでに七年と言う戦歴を持つシンに何の反論もできなかった。けれどシンはそのことに一切触れなかった。恐らくは気づいているはずだ。出なければ〈レギオン〉との激戦を生き抜き、また彼らエイティシックスを従えられない。だから指摘しなかったのは、ただ卑怯だと思ったからだ。枯れた自身に課した規範にーーあるいは矜持にーーおいて卑劣だと。

 

その高潔。

 

これだけは同じ、血赤の双眸がこちらを見上げる。帝国では極めて忌まれる焔紅種と夜黒種の混血の色彩で、八六区で酷く言われたと言う帝国貴族の血の濃い外見。祖国からが汚い色付きと蔑まれたその容姿で。そのいずれも厭う風なく帝国貴種の、混血の、エイティシックスの少年はキルヴィースを見る。

 

「その時は俺が取り返します。ーー部下の失敗を庇うのも指揮官の役目ですから」

 

毅然と、それでいて気負いもない声色だった。仲間の挽回も、擁護も、まるで当然かのように考えているからこその声音。同席するレーナやドミトルも沈黙を貫き。これもまた信頼だ。シンへの。そしてこの場にいないクレナの。

この三人は先の失態で期待を裏切ったはずの相手にも、立ち上がれると信じているのだ。

 

不意に切なく。羨ましくなる。

こんな誰かが。ーーこんな風に庇い、守り、信じてくれる家族がいたなら。自分は。

……よりにもよってそれほど焦がれた信頼関係を、踏み躙ることは自分には出来ない。

 

「分かった。ーーそこまで言うなら、……任せてみせよう」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

その時の切なさや情けなさを思い返しつつキルヴィースは続ける。

 

「再び立ち上がれると信じたから、ノウゼン大尉は君に切り札を任せたんだろう。君は決して無力なんかじゃないと、信じているから任せてくれたんだろう」

 

抗おうという気さえへし折られ、己の無力さを深く、刻み込まれた幼子の目。自分自身を信じることさえ、出来なくなった子供の。

 

覚えがあった。何度も見た眼差しだ。ブラントローテの、押し込められた館の中で。あるいは見たくもない、鏡の中。

 

「それなら君は応えるべきだ。信じてくれる相手がいるなら、その相手を信じられるなら応えてやるべきだ。その人はーー君が思っているよりもずっと稀少な、得難い相手なのだから」

 

自分にはなかった。自分達にはそんな風に信じてくれる人も、庇ってくれる人もなかった。立ち上がるのを待ってくれる人はいなかった。

与えられたチャンスは一度きり、生まれる前に掴み損ねた自分達は、だからもう誰も顧みられもしなかった。焦がれるように欲した願いも、絶たれてしまった。

 

でも君はそうじゃない。信じてくれる人がいる。何かを欲し、望むことを願ってくれる人がいる。今は見えていないだけの人の心を、差し伸べられていた手を。

 

どうか、無下にしないで。

 

「だからーー立つんだ。ククミラ少尉」

 

自分には出来なかった。出来ないまま終わる。

 

「信じてくれる人がいるのだから、立ち上がるのを待っていてくれる人がいるのだから、もう一度、何度でもーーその人に応えて、その人の助けとなる為に、……立ち上がるんだ」

 

俺のように、ならない為に。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

その名前、その言葉に。無意識に背筋が伸びていたことにクレナは気づく。

やはり、見限られていたわけでは無かった。それどころか再び失敗してもシンは見捨てずにいてくれるつもりだったのだと、知ったことも大きいけどそれだけじゃない。

そう、自分は。無力でいたくなかった。共に戦う為に、傍らにいる為に。

でも、それだけじゃない。

最初は、そう思った最初の時は、それだけじゃなくて。

オペレーション・ハイスクールをやるか否か

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