86-エイティシックス- 獅子の来訪   作:Aa_おにぎり

73 / 186
#73 何百年の付き合い

「……それで、見送りが」

 

艦載機の状況を把握する為の管理卓が中央に置かれた臨時のブリーフィングルーム。その室内でシンは沈鬱と呟いた。深夜の出航にも関わらず、街の人全員が出て来たかのように海岸に集い、いつまでも手を振っていた見送りの人々。

彼ら…あるいは船団国群の国民全員が知っていた。

この作戦が、唯一残った征海艦隊の最後になると。

 

征海船団国群が国号に冠した誉をーー今日を最後に、失うのだと。

 

 

 

征海艦隊は無線封鎖中だが、この作戦では艦長、副長、通信士官が供与されたレイドデバイスを使用し、艦を隔てた通信を行っていた。イシュマルの言葉は周りにいる三隻の遠征艦と一回り小型の六隻の破獣艦、二隻の斥候艦にも伝えられる。

闇夜と風雨の帳の中。かろうじて見える左舷側前方の遠征艦〈ベナトナシュ〉の艦橋でシルエットが動く。最低限の計器の光だけを光源にした航海艦橋で艦長と副長らしき影があろうことかハイタッチしている様子を〈ステラマリス〉の艦橋五階、フラッグブリッジでクレナは見る。

 

どうして、と、呆然となる頭の片隅が思う。

どうして誇りを、自分達を形作る最後の欠片まで、無くしてしまうその時だと言うのに。

 

私達と同じだと言ってくれた人たちが。どうして。

笑って。

変わらないと言われた、同胞との絆。

あれはもしかして。何もかも失ってもそれでも仲間は残るからと、あの時は言うつもりで。

 

「……そんなの、」

 

 

 

 

 

〈ステラマリス〉を含め、ナビガトリア級征海艦の艦首は密閉されたエンクローズド・バウだ。格納庫にもその傍の待機室にも風雨は入り込まないが、音だけはわずかにくぐもりつつも響いてくる。

もはや礫を叩きつけるかの様な硬い雨音、高く低く、幾千の笛か古の蛮族の様に鳴る風のうなり。

大気を無理やり引き裂く様に走る稲妻の、破砕音にも似た雷鳴。

 

準備を終えた待機室の中、プロセッサー達が息を潜めて見えない天を伺う。嵐の経験があるが、遮るものがない大海原での暴風雨。

それ以上に、先ほどの艦内放送で初めて知った事実に、普段は無意識に心の底にしまっている不安と疑念を引き摺り出され。

 

彼らは最後に残った誇りさえ、放り棄てて戦う征海氏族の、船団国群の在り方は信じられない。

少なくとも自分にはできない。最後に誇りさえ無くしてしまったら、もう自分の形を保てない。

 

海を知らぬ彼らは未経験の、激しい上下動。

大時化の海だ。波の力で揺れる上下の運動は永遠と繰り返され、〈ジャガーノート〉に乗り慣れているから酔う事はないが。自分たちがいる場所の鉄板一枚挟んだ向こう側は広大無用の奈落である事を思い知らされる揺れ。

 

思い至れば、酷く心許ない感覚だ。

普遍の支えなどどこにも無い、立っている足場は確かに酷く脆い。

これまで何度か、思い知らされてきた。八六区の戦場で、雪の要塞で。この青い奈落の戦場でも。

 

何度も思い知らされてしまうくらいにーー誇りなんて本当は不確かだ。

 

毀れ垂れないものなどない。失われない保証なんてーーこの世界には一つもない。

その恐怖が歴戦の少年たちの言葉を奪う。怯えた子供の様にいつしか誰もーー怒り狂い啼き叫ぶ、天を見上げて息を殺していた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

マイクを切ったイシュマルは艦長席を立った。

 

「エステル、ブリーフィングの間指揮権を預ける……待たせたな、ミリーゼ大佐」

「了解、兄上」

「いえ……あの、イシュマル艦長、」

 

イシュマルは今にも泣きそうなレーナに苦笑をしていた。

 

「そんな顔しなくてもいいさ。俺たちがコロニーに移住した時、同時に駐留艦隊として軍艦が何隻か渡される。そこでやる事はほぼ変わんねえよ。コロニーに接近する原生海獣を追っ払う。海に出て原生海獣相手に仕事をするんだ」

 

ブリーフィングルームに行く為に廊下に出て歩きながら続けた。

 

「元々ロクな産業もない小国がそれに見合わない無相応な征海艦隊なんて抱えてたんだ。戦争が長引けば何もかも苦しくなって維持できなくなるのは時間の問題だった」

 

軍艦特有の狭い階段を降りながらすれ違った乗員が敬礼をして道を開けていた。

 

「それが今日だってだけの話で。最後って言ってもちゃんと役目を果たしての最後なんだからまあ、まだマシってもんさ」

「ーーマシなわけないでしょ」

 

そう言いながら少し息をしらしてセオが上がってきていた。

彼は階段の前、わずかに息を切らして立っていた。

 

「リッカ少尉……」

 

嗜めようとした口を聞かせてレーナを制し、イシュマエルは向き直る。

 

「先入っててくれ」

 

半ば無理矢理レーナのその細い背中を押し込んで扉を閉める。

イシュマエルなりの気遣いなのだろうと気付かずにセオは言う。

 

「故郷を取られて、本当の家族だってその後失くしたんでしょ。その上誇りまで棄てる事になってーーどうしてそれを受け入れられるのさ!?」

 

少なくとも自分……エイティシックスの誰もができないとセオは言う。

帰るべき故郷もなく、守るべき家族もなく、受け継いだ文化もない。戦い抜く誇り以外に、自分の形を規定する物が何もない。

だからその誇りさえ奪われる事を何より嫌いーー恐れている。

 

それなのに。

同じく故郷を失い、家族を失い、その上征海という誇りさえ戦果に奪われようとしているイシュマエルはーーこの征海艦隊の乗員達は、どうしてそれを受け入れて。

あまつさえ、笑って。

 

「……そうだな」

 

イシュマルはセオの叫びを受け止めると少し考えて口を開いた。

 

「ニコルは……あの原生海獣の骨は元々、俺の故郷の総督宮殿に飾ってあったんだ」

 

突然なんの話かと、セオは訝しむ。基地のホールに飾られていた原生海獣の骨。

 

「戦争が始まって国土を放棄する事になった時、オヤジは征海艦隊に詰め込めるだけの避難民とどうにかニコルを積んで港を出た。戦争は多分、すぐには終わらねぇ。祖国には長い間帰れなくなるだろうから、だからニコルが……祖国の象徴が一つでも残っていれば皆の心の拠り所になるだろうって」

 

クレオ船団国群の征海艦隊は、象徴として残る事は出来ないだろうと、艦隊司令はその時には覚悟していた。旗艦〈ステラマリス〉も、艦隊に属する征海氏族の子供達さえ。

その予測は、残念ながら正しかった。十年にも渡る〈レギオン〉との戦争で艦隊司令も、クレオ船団国群所属艦も海の底に沈んでしまった。

どうにか生き残った〈ステラマリス〉の乗員も去年の大攻勢の穴を埋めるために慣れない陸戦に駆り出され、散っていった。

今やニコルとステラマリス、そしてクレオ征海艦隊唯一の生き残りのイシュマルだけが祖国の存在した証でーーステラマリスとイシュマルもこの作戦で役目を終える。

その、喪失に、けれど。

 

「今ニコルが置いてあるあのホールは、本当は彼女の為のものじゃない。元々あそこはあの街が代々受け継いできた魚雷艇の、その最後の竜骨が飾ってあったんだ」

 

報いてくれた人達がいた。

 

「俺たちのために船団国群全体の為に自分たちの誇りを仕舞い込んで譲ってくれた。あの街も故郷。あの街が今は俺の故郷だーーそう、得られるんだ。たとえ何か失っちまっても、生きてりゃいつか、同じくらいに大切なものが。嘘でも拠り所になってくれる物が」

 

言葉とは裏腹。イシュマエルはどこか消えていくように、茫漠と広がる海に溶けて消えてしまいそうに、儚く笑った。

 

「船団国群の歴史は、敗北の歴史だ。原生海獣だけじゃない、隣の二大国に侮られ、蔑ろにされて多少まともな土地は全部切り取られて、それでも残った国土と征海艦隊を生き残らせる為に媚び諂って生きてきた……負けて失ったとしても生きないといけない。元々それを知っているから。だから…… また何か目指せば良いって事を知っているんだ」

「ーーそれで結局何も、得られないまま死んだらどうするのさ」

 

セオは駄々をこねる子供のように首を振って否定をした。悲鳴の様になったそれを、止められない、

 

「奪われてばかりで、失くしてばかりで……結局、代わりに何かなんて手に入らないまま死んだらーー何も報われないまま死んだらどうするのさ!?」

 

戦隊長の様に。

かつて、未来も家族も捨てて挙げ句の果てに戦死してしまい、周りから嘲笑われ、子供にさえその選択と死の意義を奪われ、結局最後まで仲間一人すら得られなかった。孤独の……

 

イシュマエルは笑う。

 

「そんなの、……自分に恥じないなら上等だしそれで十分だろ」

 

馬鹿みたいに陽気で、馬鹿みたいに強かった。戦隊長と同じ表情で。

 

「そうでもしないと、俺は艦隊司令に申し訳が立たない。艦隊司令は死んだのに、俺と氏族を守ろうとして死んだのに……俺が俯いて生きてちゃ、無駄死にしちまう」

 

そう言い、イシュマエルは続く。

 

「それに、俺たちにはいつも合州国がいた。俺たち船団国群の生まれ故郷であり、俺たちに取っては親だ。

親が子を守るのが当たり前と言わんばかりに、船団国群と合州国の結びつきは強かった。何百年も前からな」

 

いきなり船団国群の歴史かよと思うセオ。

しかし、イシュマエルはありがたいと言う少し嬉しげな目を浮かべる。

 

「本来、コロニー駐留艦隊は本国の艦隊が担う。しかしその艦隊を、俺たちに渡してくれる。……征海艦隊の代わりにはならないが。せめて、心の拠り所くらいにはして欲しいと言う願いが込められてな……」

 

それは船団国群と合州国が今までの歴史の中で紡いできた親子のような関係だからあり得た事。普通は考えられない話だった。

当然、自分たちがコロニー建設のための労働力である事は重々承知している。だが、合州国からの優しさを不意にしようとは思わなかった。

 

「おまけに今、俺よりも若い軍人がモビルスーツ率いて俺たちの為に命を張っている。……俺達の最後の船出を彩るためにな。

それに、もしかしたら子孫が再び征海艦隊を結成してくれるかもしれないだろ?」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「ーー兄上、指揮をお返しします。陽動艦隊は十五分前に通信があり、囮艦が全滅したと。『残弾は残り二〇発』です」

「了解。……感謝するぜ。親父達」

 

敵、残弾二〇発。距離残り、一四〇。

 

 

 

 

 

 

オペレーション・ハイスクールをやるか否か

  • やってほしい
  • やらなくていい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。