#90 被害甚大
ついに叶わなかったとはいえ、原生海獣最大の“巣”の制圧、数千キロの彼方への遠征を目的としたのが船団国群の征海艦だ。
つまり想定では最大半年にも亘る遠洋航海の間、艦の中だけで乗組員四千人余名の生活を完結させねばならない。基本的な衣食住に図書室にジムに酒保。基地が丸ごと、満載排水量十万トンの巨艦の腹に収まっているようなものだ。
充実した医療設備もまた、その機能だ。
「征海艦隊とか合州国と一緒だったのがーー不幸中の幸いか……」
夜の港に、傷付いた征海艦は巨大な死骸のように影そのものの様に蟠る。
その黒いシルエットを遠く望んで、視線を戻してダスティンが言う。海と港とそこから広がる街を見下ろす、小高い丘の軍病院のその廊下。
摩天貝楼拠点攻略作戦の負傷者は生き残った〈アレグランサ〉に載せられ、最大船速ですでに帰港していた。
〈ステラマリス〉が港についた時。すでに収容が終わり、こうして残った者はやるせなさを押し殺して立ち尽くす。
負傷者、そう。
電磁砲艦型を敗走に追い込むのとまるで引き換えの様に片手を失ったーー……。
「征海艦や〈アレグランサ〉なら手術室に集中治療室もあるから。ーー必要な治療が早く受けられただけ……」
「言いたいことはわかるけどな。…黙っててくれねえか、ダスティン」
遮ってライデンは口を開く。
獣が唸る様な、押し殺して軋む声が出たのは分かったが、今は取り繕う気にもならなかった。
征海艦の治療施設は高度なもので、原生海獣を追いかけて何ヶ月も航海をするのだから後送出来ないことも想定していた。
実際、セオは左腕を喪失したのにも関わらず命が危ぶまれる事態にはならなかった。
「だから何だってんだ。……あいつが、腕を無くした事に変わりねえだろうが」
「……すまない」
ポツリとミチヒが呟いた。
「負傷除隊……に、なるのでしょうか」
「本人が退役望むんでなりゃ、非戦闘職に転向かって形になると思うけどよ」
応じたのはマルセル。
皆の視線が集まる中、床を見るとなしに見つめたまま続けた。
「俺ら特士士官は軍から投資されてんだから。本当は士官に足りないのに、これから教育を受ける条件で先払いで士官の給料をもらってるわけだろ。だから怪我くらいで退役されちゃ軍も困るんだ。障害が残って、戦闘職でいられなくなっても、軍に残る道は提示してもらえる」
同期だったシンはここに居ない。
だからマルセルが〈ヴァナルガンド〉の操縦士だったのは、誰もが聞いた話でしかない。
「特士士官側も、軍を辞めたら食っていけない奴が多いからよっぽどじゃない限り退役なんざしねえし。そんで……エイティシックスは、その。色々配慮っつーか、特士士官の中でも教育とか待遇とかで金かけさせてるから。……そう簡単には手放してもらえねえと思う」
「でも……」
言い差し、口篭ったアンジュの言葉を引き取る形でダイヤが続けた。
「プロセッサーのまま残ることは、出来ないんだな……」
結合手術は、斬られた腕が海に落ちて失われてしまったから実施しようがなかった。あとは。
「義手ーーは」
「そう聞かれると思って一応、連合王国とか知っている国に総当たりしてみたが、どこの軍にも〈レギンレイヴ〉の戦闘について来れる高性能の義手はない様です」
淡々とベルノルトが応じる。〈シリン〉を応用した義手や義足を有する連合王国。〈ストレンヴルム〉の操縦に神経接続を用いる盟約同盟。帝国と張り合う技術力を有す合州国。それらの国々をもってしても……。
「連合王国のフェルドレスは重量級で、機動性能は重視していないですから〈レギンレイヴ〉どころか〈ヴァナルガンド〉の操縦にも追従できない。
盟約同盟の方はそれよりも反応性も精密性も高いですが〈ストレンヴルム〉の操縦は神経接続が前提で、やっぱり〈レギンレイヴ〉には対応しきれない、と。今の所、合州国の義手が無難ですが、それでも〈レギンレイヴ〉には追いつけないそうです」
戦闘はできないが、日常生活くらいはいけると言う。
続けてミチヒが細くする。
「それに神経を接続するので精神的負担もありますし、盟約同盟では神経接続ポートが埋め込まれていて、精密義手操作用のポートを頭部に埋め込む事に忌避感はない。でも、連邦やエイティシックスには見慣れない『異物』で、正直気味が悪いだろうからと……」
「そもそもここまで来たところで〈レギンレイヴ〉を今更神経接続に対応させる様に改修余裕もねえですし、どちらにしろ厳しいでしょう」
マルセルが首を傾げる。
「何だっけ。生体技術とか擬似生体技術って、確か戦前までは共和国が得意だったろ?元の手同然に動かせる義手って、共和国なら作れねえの?」
知覚同調然り、擬似神経結晶然り、生体組織の培養と人工素材での再現を得意としたのが戦前の共和国だ。
「大攻勢の前なら。もしかしたら……でも今は……」
共和国の技術は殆どが大攻勢で失われ、残された研究も合州国が根こそぎ持って行ってしまった。一応、いくつかの資料は復旧できるかもしれないが、ーーすぐにと言うのは難しい。
「………」
してやれることは、もう何もないのだと。
悟らざるを得なくて、けれど納得などはできなくはずもなくて、ライデンは沈黙に黙り込む。
脳裏にある性格とはまた違う不安を抱えながら……。
ブリジンガメン戦隊は十八名が戦死、あるいは戦闘中行方不明となった。
電磁砲艦型の自爆に巻き込まれ、海上要塞の崩落から逃げ遅れ、炎上する海に転落していた。
戦死を確認ーー遺体を回収できたのでさえ数名、後は機体の欠片一つ、引き上げることは叶わなかった。
戦隊副長のシャナも、その一人だった。
「狙撃のために最上階に残ったせいで、逃げ遅れたんだろうってよ。射撃なんざそんなに、得意でもなかったくせに……」
わずかな生き残りのシデンを見舞い、レーナは軍艦特有の小さな部屋で足を止める。
あちこちに包帯を巻かれ、膝を抱え込む様にしてうずくまるシデン。灯を消した暗い船室、皺の寄った白いシーツ。
「……あんな死に方もあるんだな」
引き上げられる直前、シャナとの同調が切れた。
それから二度と、繋がらなかった。
「寒い、ってさ。最後に。……血が多分、足りなくなったんだろうな」
「……シデン」
「四年と少し、だったかな。あいつとの付き合いは、最初はお互い気に入らなくて……掴み合いの喧嘩もした、だけどその時の戦隊がどんどん戦死していくもんだから協力するしかなくて。最後は二人で、戦死した戦隊長を埋めたんだ。次埋めるのはお前だって、言い合いながらさ」
そう言って、多くの戦場を生き抜いてきた。八六区をでて、さまざまな戦線を回った。
戦い抜いてきた、のに。
「八六区で。……あたしらの知っている戦場で死んだならまだ、天国と地獄だか分かんねえけど行くべきところに行けるってのはわかるんだ。あそこなら最後にゃ土に還るって分かるんだ。でも、」
海で死んだ者は。ーー遺体も上がらず、死んだ者は。
「水の底に死んじまった奴は、どうなるんだろうな……?先に逝った奴らと、同じ場所に行けるのか。あたしがいつか行く場所に、あいつらは居るのかな。……それとも原生海獣の野郎にでも連れてかれるのかな……?」
あのいけ好かない、忌々しいーーうつくしい死神に、ではなく。
レーナはそっと目を伏せる。
思い描く、光の届かない海の底。
そしてそこに生きる気味の悪い生物の群と酷薄な水の流れ。
地上で死ねば遺体を崩して地に溶かす。それはきっと変わる事なく。
「きっと、会えます」
チラリとみやる、雪の影の銀色の左目をーー薄闇の底でなお昏い、光なきその目をまっすぐに見返して、小さく、けれど確信を持って頷いてみせた。
同じ戦場で死んだなら、同じ場所に行ける。
それがきっと、神様も天国も信じる事をやめてしまったシデンたちエイティシックスの信仰で、それならきっと。
「同じエイティシックスなのですから。シャナも貴方も貴方の戦友達も、最期は同じ場所で眠るのだと……そう思います」
シデンの見舞いを終え、レーナはある場所に向かう。そこは病院、それも合州国の軍人が収容されている病院だった。
四機。
今回の戦闘後に母艦に帰還したモビルスーツの数だ。十八機居た拠点攻略ために参加したモビルスーツは居なくなっていた。
リゼル二機とジェガンD型、ジェガンSCだけしか母艦に帰って来なかった。
帰投中、その話を聞いたレーナ達はやはりあの言葉は幻聴ではなかったのだと理解する。
『ーー長生きしろよ』
最後に聞いた言葉がそうだった。知覚同調で全員に繋がっていたままだった為に何人かレーナやシンに聞いてくる事があった。聞いてきた人物はいずれも
リノ・フリッツは残っていた左腕にビームマグナムを持って、電磁砲艦型の主兵装を抉った
ーー相討ちとなって。
この事を知るのは一部の人間だけで、混乱を招くからと箝口令が敷かれた。堕とされた〈ハミングバード〉の中で、彼は息も絶え絶えに生きていた。しかし、損傷具合が酷くとても見せられる状態ではないと。救助したランチの乗員が言っていた。
面会は許可されておらず、同郷のクラウやテオですら今の状態すら見せてもらえなかったそうだ。
病院の休憩室の前に来るとそこにはハルト、レッカにクラウとテオ、ヴィーカまで……見知った面々が集まっていた。
海上に送り出した隊員達は十名が死亡、負傷者六名。陸上に残した部隊に死者は居なかった。
休憩室の椅子に座っていたハルトが沈んだ声で呟く。
「医者が言っていたよ…『生きているのが奇跡だ』って……」
「っ……!!」
皆の顔が沈んでいた理由が一瞬で理解できる。それほどの危篤状態。
「ーーあの馬鹿野郎が……」
クラウが持っていたペットボトルを強く握る。それを見てレーナはそれが事実であると認めざるを得ない。
すると、クラウは続けて怒りを混ぜた感情を込めて口を開く。
「まだ…
「えっ……!?」
部屋にいた全員が驚いた。クラウの口にした事、それはつまり……
「ああ、そうだよ。……彼奴は父親になったんだよ。……双子だって、言っていた」
「そんなっ……」
一同はそこで理解する。何故、エリノラが後方に送られたのかを。
恐らくは彼なりの優しさだったのだろう。あの二人の仲の良さは皆知っていた。彼が彼女を愛していたが故の……
「だから…後方に……」
するとクラウは悔やむ様に、ペットボトルを更に強く握る。
「その時に一緒について行けば……こんな事にはならなかったんだ!!」
その瞬間、圧力に耐え切れなくなったペットボトルは蓋が取れ、中身が吹き出して溢れた。
「指輪を取りに戻るんじゃなかったのかよ……」
クラウはそう嘆く様に言うと、銃を持った合州国兵が警備している外からは完全に見えない様になっている治療室を見ていた。
今回はほぼ原作のまんま書く予定です……
オペレーション・ハイスクールをやるか否か
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