実在の人物、団体、制度、その他一切とは関りありません。
昭和48年5月中頃
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、制度、その他一切とは関係ありません。
昭和48年5月中旬の頃。
同じ出版社に勤める同期の伊賀野が、神妙な表情で渡海の元を訪ねてきたのは、昼休みが始まってすぐのことだった。
「やぁ渡海、月末の日曜、用事はあるか?」
「いや、特に用事はないけど……、いきなりどうしたんだ?」
彼は別の部署で漫画雑誌の編集部の人間である。校閲部の自分とそれほど繋がりがある訳ではない。
とはいえ、同期ということもあり、顔を合わせれば話す程度の仲でもあった。
「それがな、月末にダービーがあるだろう?」
「ああ、もうそういう時期だな」
ダービー。それは全ての競走馬に関係する者にとって最も重要な競走である。
生産地を離れた渡海にとって、その単語には未だ惹かれるものがある。
世間にとって年末の大一番は、八大競走の一つである有馬記念であるが、関係者にとっての大一番こそはダービーで、これを境に新年が始まるのである。
動物を相手に仕事をする以上、年末年始などというものはない。
「俺が担当してる先生が、馬について分かるのを連れてきて欲しいということでな」
「ああ、それで話がわかりそうな自分に来てほしいと?」
「話が早くて助かる。お前さん競馬は詳しいだろう?」
「まぁ、ミーハーな連中に比べれば多少は詳しいはずだけど」
昨年の秋以来、一頭の競走馬が世間の耳目を集めていた。
その名はハイセイコー。
大井競馬場でデビューして以来、6戦6勝。
無敗のまま大井競馬場の重賞を制し、中央競馬への移籍を決めたのであった。
そして、53年は弥生賞から始動して、スプリングSを勝利し、ついには牡馬三冠の最初の競走である皐月賞を制していた。
マスコミがハイセイコーを「野武士」と持て囃し、大々的にその名を、普段競馬を知らない一般人に知らしめていたのである。
今や、高度経済成長期から高まりつつあった競馬ブームは、最高潮を迎えていると言ってもよいだろう。
とはいえ、渡海は世間一般ほどハイセイコーの実力を信じ切っている訳ではなく、斜に構えてブームを眺めているといったところであった。
だからこそ、浮かれずに分かるものを連れて行きたいという、そんなところだろうと渡海は考えていた。
「それで、自分に声がかかった理由はなんとなく分かったけど。今回の東京優駿はまともに見れたものではないと思うぞ?」
「どういう意味だ?」
「いや、単純に観客が多過ぎると思うんだ」
先日のNHK杯ですらも約16万人の観客が訪れたという報道があり、渡海は競馬が鉄火場以外の意味を持つ場になりつつあるのだと実感したものだった。
渡海は見ていないが、昭和26年に東京優駿を制し、その直後に亡くなったトキノミノルもまた、東京優駿で多くの観客を競馬場に呼び込んだ名馬であった。
それですらも7万人だったというのだから、ハイセイコーの人気ぶりがうかがえる。
「ああ、席については俺はよく分からんのだが大丈夫らしい。」
「大丈夫って、席を取っててもかなり多いと思うんだが」
「それがな、どうも馬主席らしいんだ」
「え?」
渡海は驚いてカエルの潰れたような声をあげる。
関係者とは、果たしてどのような意味の関係者なのか。
「いや、待ってくれ、一体その先生て誰なんだ?」
「『鉄人』の橫山光暉先生だ」
遡ること昭和36年。
とある漫画家がホースマンへの道を歩み始めた。
『漫画の神様』と渾名される人物に、「彼は彗星のように現れた」とまで言わしめた程の漫画界の新進気鋭。
彼はその代表作から『漫画の鉄人』とも呼ばれる。
それが橫山光暉であった。
ジャンルはSF、少女もの、忍法もの、幅広くこなし、それぞれが名作となり、後世には中国史を扱った歴史漫画によって漫画の歴史に名を残すことになる。
昭和40年に画家部門で長者番付1位となった彼は、兼ねてから趣味としていた競馬に、馬主として関わっていくことになる。
だが、その馬主活動は元来競馬界との繋がりが元来薄い彼にとって、芳しい成果を得られるものではなかった。
故に、彼は自宅での打ち合わせと称した麻雀の席で、編集者である伊賀野が漏らした「牧場出身者の同期がいる」という言葉を聞き逃すことはなく、彼を連れてくるよう求めたのだった。
今となって、彼としては軽率であったようにも思うが、逆に言えばそれ程までに現状に不満を持っているようでもあった。
あるいは、彼の天性の勝負強さから咄嗟に出た言葉でもあったのかもしれない。
馬主となって既に9年。これまで10頭を所有してきた。
最初は自分の所有した馬が走るだけで、我が子の運動会を見守るような気分であったものだ。今は勝てずとも、いずれダービーを制する馬を持てればと思っていた。
馬主としての欲が出てきたのか、ここ数年は思ったような馬が得られず不満ばかりが募ってゆく。
10頭という数はそれ程多い訳ではないが、セリに出てくるような折り合いがつかなかった幼駒や抽選馬では不満が残る。有力馬は当歳の内に庭先取り引きされ、良いと思われる馬に巡り会う機会はそう多くない。抽選馬の中にも確かに名馬がいない訳でない。昭和35年に有馬記念を制した名牝スターロッチ。昭和43年の優駿牝馬を勝利したルピナス。翌年の昭和44年には、ついには牡馬の中からダービーの有力候補となったタカツバキまで現れた。
しかし、そんな名馬は抽選馬の中でも一握りであるし、サラブレッドではなく、アングロアラブが多く混じっている。
また、預かるのは調教師であるのだから、その意見が最も重要で、調教師がダメだと言えばそれが全てであった。その眼識に適う馬でなければ入厩すらもままならず、多くの場合は調教師に勧められた馬を購入することになる。多くの場合調教師が懇意にしている牧場でもある。
だからこそ、伊賀野の漏らした言葉に、藁をも掴む思いですぐさま飛びついていたのであった。
それが馬主としての半生に、なんらかの変化を与える契機となればという打算はあった。そして、彼が最も求めているものでもあった。
この「頼み」がいかなる結果をもたらすのか、未だ『鉄人』でさえも知り得なかった。
「横」ではなく「橫」、「輝」ではなく「暉」。な辺り察して頂きたい。
元はArchive of Our Ownで投稿している作品で、そっちはReal Person Fictionが盛んなので実名でやっています。
どうでもいい事ですが、主人公の渡海博は、名前決めた後で「優駿」読み直して主人公とほぼ同じ名前だった事に気が付きました。
「博」は1950年生まれに多い名前だったので付けた経緯があったりします。