元ホースマンは零細馬主の秘書になるようです   作:綴人不知

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 この物語はフィクションです。
 実在の人物、団体、制度、その他一切とは関りありません。


昭和48年5月27日 出会い

 5月末日、東京競馬場のトキノミノル像の前で二人は橫山の到着を待っていた。馬主席に誘われたこともあり、どちらもスーツを着用してネクタイを絞めている。

 1961年に建立されたこの像は、東京競馬場の出入口から程近いところにあり、また分かりやすい目印であるため、集合場所として重宝されている。

 橫山の編集者である伊賀野と、わざわざ他の部署から呼ばれた渡海。二人は馬主でもある橫山を待っていた。

「麻雀を打ってる時に俺が先生と競馬の話していたんだが、その時ふとお前が牧場出身者だってのを思い出したんだ。それでお前さんのことを話したら、先生が妙に食いついてな」

 伊賀野はそう言ってから「悪いな渡海、俺が漏らしたばかりに」と謝った。

「いや、実家が生産牧場だから。という程度で東京優駿の観戦が叶うなら、こちらもありがたいよ」

 実家にいた頃ならいざ知らず。既に上京して二年程になる自分に、馬主席に招待されて観戦する機会はもうないものと思われていた。渡海牧場から東京優駿に出走した馬はおらず、観戦が出来たのも同日の条件戦に出走する生産馬がいたため、馬主から招待されたがためだ。

 そして、今回誘われて承諾した当初は嬉しかったものだが、馬主席に招待されるのであれば、当然知り合いと顔を合わせる可能性が高い。そうなった場合、気まずくもあると後になって気付いたものだ。今では彼は完全に諦めている。

「しかし、お前さんまさか競馬新聞まで予め購入してくるとは、やっぱり予想なんかもしているのか?」

 とは伊賀野であるが、渡海が脇に挟んだ競馬新聞を見てのことである。

「ああ、いや、これは……。まぁ、予想ではあるのか。でも競馬の予想はあまりしていないよ」

「よく分からんのだが、競馬の予想をしないのに、何故競馬新聞を事前に買ったんだ?」

「競馬新聞には馬主や生産者の名前が書いているだろう?」

 渡海が競馬新聞を開き、伊賀野に見えるよう馬柱の一部を指差す。

「どの知り合いがいるかの確認のためで」

 伊賀野は怪訝そうな表情をした後、納得したのか「なるほど」と呟いた。

 渡海は東京開催の馬柱の情報欄から、誰が来そうなのかを確認していたのだった。

「そんな使い方があったのか……」

「あまり一般的な使い方ではないのは確かだけどね」

 更に言えば、遭遇したくない関係者が来ているか確認したかったのが本音である。競馬の世界は狭いため、近所の生産者と顔を合わせようものならまず故郷で話に上るだろう。

 渡海はまだ5月であるというのに、盆の帰省を思って憂鬱になった。実家との関係に不和がある訳ではない。ただ、自分が馬産に耐えられず離農した身であるというのに、馬主席にいたというのはどこか筋が通らないように思うのだった。

「それで、先生の持ち馬はもう知っているのか?」

「この第8レースに出走するチハヤフジって馬だろう?」

 馬主が千早クラブという名義になっているが、橫山は法人馬主として競走馬を所有しており、この日、第8レースの条件戦に出走する予定であった。

「勝てると思うか?」

「新聞を見る限り難しいだろうけど、馬を見ていないからまだ何とも言えないな」

「ふーん、そういうもんなのか……。っと、渡海、先生が来られたぞ」

 チハヤフジの話を切り上げられ、伊賀野に促されてベンチから立ち上がる。道行く人々の間から、一際背の高い男が見えた、その顔には眼鏡を掛けている。

「先生、おはようございます」

「おはよう。そっちが例の牧場出身の?」

「ええ、彼が麻雀の際にお話した牧場出身者の同期です」

「はじめまして、伊賀野の同期の渡海博です。本日はお招き頂きまして誠にありがとうございます」

「はじめまして、漫画家で馬主をやっている橫山光暉です。よく来てくれたね。出走するのはメインレースではないですけど、楽しんでいってください」

 橫山はそう言うと、「では、馬主席に行こか」と馬主席の入口へと向かい始めた。

 

 競馬場は既に例年以上の観客が詰めかけていた。

 ハイセイコーの出走はまだまだ先のことだというのに、である。

 それらを傍目に橫山を先頭とする一行は馬主席へ向かっていく。

 馬主席のゴンドラに向かう途中、渡海は横合いから落ち着いた女性の声に呼び止められた。

「もしかして、渡海牧場さんのところの博君では?」

 ふと声を掛けられて振り返ると、貴婦人然とした人物が佇んでいた。隣には小学校低学年程の少女が手を繋がれている。

 声を掛けてきた女性の顔には覚えがあった。彼が上京する前、渡海牧場とも馬を取引していた相馬蘭子である。隣の少女については渡海も覚えがなかった。

「相馬さん。ご無沙汰しております」

「やっぱり、お久しぶりですわね。何年か前に上京したとお伺いしておりましたけど、競馬場ではお見かけしていませんでしたので、てっきり競馬から離れたものかと思っておりましたわ」

「お恥ずかしい事ですが、仕事が忙しく……」

「……そうでしたか」

 それは事実ではあるが、正確ではない。ただ、上京する前には生産牧場から離れたかったのだ。

 生産地では比較的死と離れたところにあるものだが、それでもなお生き物を扱う以上は死とは無関係ではいられない。

「それで、こちらのお嬢さんは……」

「娘の百合子ですわ」

「あ、娘さんでいらっしゃいましたか」

「渡海さんがまだ競馬場に来られていた頃は幼かったので、百合子とは初めてですわね」

「はじめまして、あいまゆりこです」

 百合子は一歩進み出てちょこんと一礼した。

 渡海は百合子に合わせるようにしゃがみこんだ。

「はじめまして、渡海博です。お母様とは実家の牧場が何度か取引させてもらっています」

 百合子は緊張してカチコチになっているようだった。

「百合子さんは、好きな馬は何かいるのかな?」

 好きな馬を問うと表情が変わり、おずおずと答える。

「えっと……ブリガディアジェラードです」

 ブリガディアジェラード。昨年まで英国で走っていた馬で、最終的な戦績は18戦17勝2着1回。

 1マイルから10ハロンで活躍した名馬である。英国でしか走っていないため、他の欧州の競走馬との比較は難しいが、3歳の2000ギニーではミルリーフを下しており、そのミルリーフは英ダービー、キングジョージⅥ&クイーンエリザベスステークス、凱旋門賞を勝利している。

「有名な馬だね。話でしか知らないけどかなり強かったらしいね」

「はい! きょねんおかあさまが、なつやすみにキングジョージ7世&エリザベス女王ステークスにつれていってくれました」

 相馬蘭子は欧州の競馬に通じていることで有名であった。

 1971年の活馬輸入自由化に伴い、その年から早速タタソールズのセリ市に参加する相馬蘭子の姿があったとか。

 百合子は小学校低学年程度なので、ハイセイコーであろうと思いこんでいたが、相馬蘭子の娘は思いの外母親の影響を受けているようだった。

「なるほど、お母様の英才教育だね」

 そう言って立ち上がる。

 相馬蘭子の所有馬は今では多くの所有馬が丸外であるという。

 71年にイヤリングセールで購入した幼駒は今年3歳である。恐らく東京優駿が終わり、新馬戦の始まる季節となった頃から相馬蘭子の丸外馬が競馬場に姿を見せ始めることだろう。ニクソン・ショックの影響で円高になり、輸入業はより仕入れやすくなっていたのも彼女の馬の入手に追い風となったのであった。

「時に、競馬場の方にいらっしゃられたのは、やはりハイセイコーのことで?」

「いえ、実はハイセイコーとはあまり関係がありません。私はこちらの方に招待された立場でして、幸運にもこの場で東京優駿の観戦が叶いました」

 そう言って、立ち位置をずらし橫山を指す。橫山はやや緊張した面持ちであった。

 相馬はそれなりに名の通った馬主で、オープンに上がった馬を何頭か所有している。その分所有頭数も多く、大馬主とまで言わぬまでもそれなりの馬主であった。

 片や条件戦に出走する馬を何頭か所有する零細馬主、そもそもオープンに上がる馬などそう多くはない。

「何度か馬主席でお見かけしておりましたが、こうしてお話しするのは初めてですわね。相馬蘭子と申します」

「ご挨拶ありがとうございます。初めまして、漫画家の橫山光暉と申します」

「漫画家の橫山光暉さん……。もしや15年程前『牧場の合唱』という作品をお描きになられておりませんでした?」

「それはまた懐かしい作品の名前ですね。あれはデビューしてすぐの頃のマンガでした」

 橫山はどこか懐かしむようにして言った。

「幼い頃に読ませていただいておりました。突然終わってしまい当時残念でしたわ。楽しみにしておりましたのに」

『牧場の合唱』それは橫山がデビューしていくらか経った頃に連載していた競馬ものの少女漫画であった。

 既に十数年以上前の作品で、『少女』誌に僅かな期間連載されており、相間蘭子はその読者であったのだ。

 ただ、少女漫画雑誌での連載であったことからそれほど人気がなく、構想のほとんどを終えぬまま打ち切りとなっていた。

「楽しみにされていたとは申し訳ない。あの当時は、私も競馬をほとんど知りませんでしたし、当時は受けるような題材でもなさそうでした。今のような時代なら競馬漫画を描く事も出来るかもしれませんが」

「そうですわね。少し前まで競馬場といえば鉄火場でしたから、感慨深いものですわね……」

 今もなお鉄火場ではあるのが、ハイセイコーを見に競馬場を訪れる客層というのは、純粋にハイセイコーを応援しようという新しいファンが多い。

 これらのファンは一過性のものに過ぎないかもしれないが、このようなファンが増えるならば、競馬に対する認知が変わっていくのではないかと思われるのだった。

「ところで、今日は橫山先生の愛馬も出走を?」

「はい、今日の第8レースの条件戦に出走する予定です」

「同じレースに出走する予定がなくて良かったと言うべきでしょうか。御健闘と無事をお祈りいたしますわ。では、これで……」

 立ち去ろうとした蘭子は、ふと、渡海に一度振り返り、再び口を開いた。

「博君」

「はい?」

「どういう縁があったのかは存じませんが、こういう縁は大事になさって下さいね」

 それだけ言うと、彼女は百合子を伴い立ち去っていった。去り際に百合子がペコリとお辞儀をしたので、こちらも軽く一礼を返す。

 相馬蘭子の言葉にどのような意味があったのか。渡海には計りかねた。

 相馬が去り、予約していた馬主席にあるゴンドラの一角に座る。競馬場の馬主専用の空間であり、ターフを一望出来るこれらの席は関係者であっても招かれなければ座ることが出来ない。

 渡海は何度か訪れたことがあるが、それでも数える程度のものである。

「それで、渡海君はやっぱり馬券も買うのかい?」

 とは橫山である。

「いや、よく考えてみれば自分はほとんど……」

 かつて、実家の生産馬が出走した際に、馬主席に招待されたことがある。

 その頃未成年だった渡海は、父や兄に、代わりに馬券を買ってもらったものだった。

「意外だね。競馬場慣れしているように見えたのだけど」

「当時未成年でしたので……」

「それはどうしようもないな。じゃあ、渡海君は財布の許す範囲で勝負するといい。馬券の買い方は分かるね?」

「ええ、まぁ、親父や兄が馬券買うのに窓口まで付き添っていましたので」

「じゃあ、牧場育ちのお手並み拝見といこうか」

 そして何故か伊賀野が高慢な風に言い、競馬新聞を握っていた。




 ウイニングポストシリーズを原案としているので、最近出てこなくなったNPCなんかも出します。
 ウイニングポスト9 2022はレース結果で使いますが、残りの部分は創作になります。

 過去作NPC
・相馬蘭子
 相馬百合子の母。WP7にて登場。
 娘と同じく海外志向の馬主。WP7で右も左もよく分からないプレイヤーをまるで母のように導く。

・相馬百合子
 初出そのものは相馬蘭子よりも先。
 WP7では特定の年代で相馬蘭子から馬主業を引き継いで登場する。
 相馬蘭子が登場する都合上、本作では若いというかまだ幼い。
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