元ホースマンは零細馬主の秘書になるようです   作:綴人不知

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 この物語はフィクションです。
 実在の人物、団体、制度、その他一切とは関りありません。


昭和48年5月27日 出会い 2

 結論から言えば、渡海の相馬眼は橫山と伊賀野の予想を上回るものだった。

 特券二枚の購入に始まった渡海の予想は、的中に的中を重ね、払い戻し金は聖徳太子の束となっていた。まだスーツのポケットに入る範囲内であるが、最早財布には入らない。

「……渡海君、君今いくらほどになっとるんだい?」

「大体40万円程ですね……」

 渡海はメインレースのダービーまでに大卒の初任給の5倍近くを稼いでいた。いくつか外した単勝はあったものの、的確に複勝圏に入る馬を的中させ続けた結果であった。

 なお、余談ではあるが第四レースはチハヤジヨウの複勝の豆券を購入して応援したものだが、何故単勝ではないのかと怒られたものであった。

 結局掲示板にも乗らず、全員で残念がったのは言うまでもない。渡海はしっかり当たり馬券を取っていたので裏切り者とも再び怒られていた。

「馬券当てるのはそんな簡単なものなんですか……? 自分はあまり勝てていないんですが」

「いや、流石に私もここまでは稼がないな。以前親父の年収の半分は稼いだことがあったが」

 かつて橫山は国鉄勤務の父の年収の半分を馬券で稼いで家族に驚かれていたという逸話が残っている。橫山も馬券を当てる方の人間であった。

「渡海、君は馬券で生活できるんじゃないのか?」

「流石に泡銭で生活はしたくないなぁ……」

 馬券で生活をする位なら、収入は少なくとも正業に精を出す方がまだマシである。

 かつて馬を見る目があるとは言われたものだが、同世代の岡崎スタッドの長男に比べれば大したものではないと思っている。彼は渡米して、クレイボーンファームで修行をしていると小耳に挟んでいた。

 自分は彼ほどのホースマンではないし、そもそも自分は既にホースマンから足を洗っている。

「それ程の馬を見る目があるのに、会社勤めというのは勿体ない話だと思うんだけどね私は」

「馬は趣味位でいいと思っていますよ。勝とうと思って勝てるものではないですから」

「馬券だけではないよ」

 橫山の眼は笑っているようではあるが、声はどこか真剣さを帯びていた。しかし、それもすぐに霧散する。

「いや、気にしないでくれ。私はどうも相馬眼があまりないようでね……。羨ましい限りだよ」

 黙っていた伊賀野はポツリと「私からしてみれば、二人とも馬券を当てられているのでどっちもどっちなのですが」とひとりごちていた。

「君の場合、下手に考えずに私か渡海君の買い目を合わせた方がいいんじゃないのかね」

「それはそうなのですが……」

「伊賀野の場合は枠連ばかりを買っているからじゃないのか?」

 この時代の馬券はまだ三種類しかなく単勝、複勝、枠連の三種である。

 枠連とは、出走馬を8つのグループ分け、1着と2着の馬が属するグループを当てる馬券である。1枠と1枠の組み合わせから8枠と8枠の組み合わせまであり、的中させるのは難しいがその分配当が高く射幸心を煽る。

「それはそうだが、単勝や複勝でチマチマ当てるのはあまり気乗りしなくてな……」

 伊賀野は枠連の魅力に取り憑かれていたのであった。

「伊賀野君は初めての競馬で枠連を当ててしまって、以来枠連ばかりなんだ」

「それで外していたら元も子もないのですが……。目的の馬券も買えるとは限りませんし。いや、馬主席ならそこまで気にしなくても良いのか?」

 この時代の馬券売り場にはそれぞれの枠連に対応した窓口がある。人気の組み合わせの窓口には人が殺到して行列が出来るのがこの時代であった。複数の枠連馬券を購入する場合、其々の窓口で購入する必要があるため何度も並ばなければならない。

 ましてやこの日、入場者数が例年に比べて非常に多く、購入予定の枠連馬券を手に入れるのも苦労していた。もっとも、馬主席で買うだけであれば、それ程混雑はしないのだが。

「今日ばかりは宗旨変えした方がいいと思うけどね」

「いえ、それをする位なら渡海の買い目に合わせますよ」

「君そこまでして枠連に拘りたいのか……」

 橫山は半ば諦め気味のようであった。

「とはいえ、次の当たり馬券なんてハイセイコーが絡みそうなものだが……」

 馬券売り場のハイセイコー絡みの馬券売り場は馬主席にあっても人の山が出来ており、買うとなれば長時間覚悟しなければならないだろう。

「とりあえず、パドックでも見に行こうか」

 橫山の提案もあり、三人は馬主席を出てパドックへ向かった。

 

 下見所、パドックでは既に出走馬が厩務員に引かれて周回が始まっていた。

「それで、渡海はハイセイコーについてはどう思う?」

 見たところ胴が短く、大柄な馬体で繋ぎは立ち気味である。踏み込みは確かに強い。しかし、渡海にはパドックを周回するハイセイコーの姿にやや疲れがあるように見えた。

 ハイセイコーは5月6日のNHK杯から中二週の出走である。疲れが残っていたとしても不思議ではない。

「絶対に勝てるとは言えないだろうね。少なくとも万全ではないし、体つきが長距離向きではないしな」

 競走馬には距離適性というものがある。それは精神的なものであったり、肉体的なものである。心臓の強さ、足の長さ、胴の長さ、首の長さ太さ。様々な要因がある。

 渡海の見るところでは、ハイセイコーは中距離までの馬で、それもダート向きであるように思われたのだ。血統的にも母の父がカリムであり、短距離に向いていることを裏付けているようにも思われた。

 こうなればハイセイコーに土をつける馬を探したくなるものである。

「予想ではグリグリ印が付いているが」

「それはこの熱狂だから仕方がないと思うがね」

 橫山は渡海の代わりに答えた。

 パドックに詰めかけるファンは熱い視線をハイセイコーに投げかけ、馬券売り場では2枠の絡む馬券売り場に人だかりが出来ている。

 そして、橫山は声を落として更に続ける。

「こんな中でハイセイコーに本命を打たないのは相当な勇気が必要だろう。何をされるかわからんからな」

 まだまだ物騒な時代である。

「それでハイセイコーが負けたらどうなるんです?」

「勝った馬が悪者か、フロック扱いじゃないかな? タニノハローモアは三強対決となったダービーを人気薄で逃げ切ったがフロック扱いだった」

 5年前の1968年、マーチス、タケシバオー、アサカオーの三強と目された東京優駿で、タニノハローモアは9番人気で逃げ切り勝ちを収めていた。三頭が其々を牽制しあった結果であると言われている。

 タニノハローモアはNHK杯で3着に食い込んでいたが、ダービーまでに18走していたため、使われ過ぎであると判断されて人気薄となっていたのだった。

「フロック、偶然ですか。ダービーは運が良い馬が勝つというんですけどね」

「それは確かにそうだ」

 フロックであろうがダービー馬はダービー馬である。

 ダービーは最も運がいい馬が勝つレースであると言われて久しい。戦前から既に20頭を越える頭数で実施されてきたが為に枠順や馬場状態により運に左右されやすい。

 そういえば英国のダービーも20頭を越える頭数で実施されることがある。日本で流行しているネヴァーセイダイも、確か22頭立てのダービーを低人気で勝っていなかっただろうか。もっとも、ネヴァーセイダイは後に16頭立てのセントレジャーを、12馬身突き放して勝利しており実力は証明している。

「ダービーはギリギリ長距離に含まれる。4歳5月までに体験していない距離だから、むしろこれまで勝てなかった馬から長距離に適性のある馬を探してみようかな」

「つまり?」

「見て良さそうだと思った馬を買うだけだよ」

「結局これまでと一緒じゃないか」

 落胆する伊賀野を他所に、渡海はパドックを巡る一頭一頭をつぶさに観察していく。

 その中で一頭の鹿毛の馬体に渡海の目が留まった。

 鹿毛の馬体が美しく陽光を反射している。その馬は背と脚が長く、飛節の角度は浅く伸びている。一般的にこのような体型は長距離に適性がある。

「タケホープか。父はインディアナ、母はハヤフブキ。半姉に去年のオークスを勝ったタケフブキ……」

 更にインディアナは英セントレジャーを勝利しておりエプソムのダービーを2着、その父サヤジラオもまた英セントレジャーを勝っている。

 タケホープは馬体的にも血統的にも、典型的なステイヤーであるように思われた。

 パドックの掲示板のオッズでは、50倍以上ついている。

「この馬を中心に、適性のありそうな馬から絞り込んでみるか……」

 長距離向けの体型をした競走馬は他にも何頭かおり、候補はいくつかある。

 以前ならここから何頭かに絞り込んでいくの渡海であるが、元はと言えば馬券で稼いだ泡銭である。元手の2000円は決して安い金額ではないが、これだけ遊べれば十分であるように渡海には思われた。

「露と落ち 露に消えにし なんとやら、とも言うし、馬券のことは 夢のまた夢、としておくべきか」

 所詮泡銭は泡銭である。渡海はそれを所得に加えようとは思わなかった。自ら望んで馬から離れた身で、どうして馬券で得た金を使うことが出来ようか。

「先生、伊賀野、自分は先に上の席に戻って馬券を買ってきます」

「ああ、行ってくると良い。また後で」

 渡海は足早に馬主席に戻る。時間的に余裕はあったが何しろ一点辺りの購入数が多い。早めに窓口に辿り着く必要があった。

 

 東京競馬場の馬主席に戻る。ここを一人で歩くのは何年ぶりであっただろうか。

 それは12年前、渡海がまだ中学1年生の頃だった。その日のメインレースは晩秋の天皇賞であった。

 実家の生産馬が出走するということで、父と応援に来たのである。無論メインレースではない。

 その日の天皇賞は渡海にとって忘れることの出来ない競走であった。

 レースも残り三分三厘に差し掛かった頃、タカマガハラが先頭に立つオンスロートを外から抜き出し、そのままゴールに粘り込んだ。

 その遥か後方で、サチカゼがヨタヨタと東京の坂を登りきって、なんとか入線を果たした。

 入線したサチカゼを、観客はまばらに拍手で出迎える。若い渡海は適性がないにも関わらず出走した馬を気の毒に思ったものだった。

 その馬の父はライジングフレーム、母は梅城。良血の牝馬に当時のリーディングサイアーを掛け合わせた馬であったが、馬格が大きく長距離に不向きな馬であった。

 馬産の世界に身を置いていると、何故出走したのかという話も耳に入るものである。サチカゼの馬主は天皇賞に持ち馬を出走させる栄誉に預かりたかったのだと言われていた。それ自体は渡海も理解出来る感情ではあったが。

 サチカゼの入線後、200m程余勢で走ったところで騎手が突然サチカゼから飛び降りた。何事かと思った次の瞬間にサチカゼは崩れるように倒れていた。

 場内がどよめく中獣医が駆けつけ、診察を始めた頃にはサチカゼは既に事切れていた。

 後に報じられるところでは、サチカゼの死因は心臓麻痺で、「サラブレッドの特性で本能的に走り続けて、力尽きて死んだのだろう」とのことであった。

 渡海はサチカゼの死にサラブレッドの儚さを改めて思い知らされたのであった。

 以来、どこかで生産地を離れたいと思う気持ちが強くなっていたのである。

 

「元はといえば馬券で稼いだ泡銭だし、全部突っ込んでもいいか……」

 馬主隻の馬券売り場、5-7と看板の掛けられた窓口を探す。5-7の窓口は閑古鳥が鳴く様であった。

 窓口に立ち、聖徳太子の束を小窓から押し込んで、窓口の係員に注文する。

「すいません、21番の単勝10万、21番と15番の複勝5万ずつ。5-7の複式連勝馬券を20万でお願いします。」

「かしこまりました。お兄さん随分買われるんですね?」

「元々馬で稼いだ分ですから、NCK(日本中央競馬会)に返すだけですよ」

 厚い馬券の束に専用の穴あけパンチで打刻される。

 大口で購入する場合、馬券束を貫通する穴あけパンチが必要となる。上ではこの額が動くのは日常茶飯事であるからこのような機械が導入されていた。

 恐らく特券400枚などまだ可愛いもので、100万単位で馬券を買っていくのが上の世界である。そうなれば特券1000枚は当たり前なのだ。

 そうして特券400枚の束を無造作にポケットに突っ込んで窓口を離れて、席に戻ろうとする。

「失礼します。馬券を落とされましたよ」

 背後から声を掛けられれ、振り返ると女性が右手に特券の束を手にしていた。長い黒髪で時代錯誤なお仕着せを纏っており、その左手には競馬新聞と赤鉛筆が握られている。

 渡海はポケットを確認すると、事実特券が一束足りていなかった。

「あ、ない。助かりました。ありがとうございます」

「いえ……。それよりも5-7の枠連とは随分な勝負されたのですね」

 彼女は5-7の特券の束を差し出し、渡海はそれを受け取った。彼女は特券の束を手にしても驚いた様子は見せておらず、場馴れしているように思われた。ここが馬主席であるから特券を束で買っていても不思議はないのだろう。

「5枠と7枠のある馬は明らかなステイヤーで、この条件では実力が抜けているように思います。窓口は仰る通りガラガラでしたが、勝ち負けできると思っていますよ」

「やはり、ハイセイコーは来ないと思われますか?」

「所感でしかありませんが、ハイセイコーは胴が詰まっていますから短距離か中距離、それでいてダートで使いたい馬だと思います。12ハロンは恐らくハイセイコーにとっては長いように感じますね」

「ほとんど同じ見立てですね。ファンの前ではとても言えませんが」

「全くですね。まぁ、八大競走ということもあって今回は馬券がよく売れてますから、多少買ってもオッズが変動しませんよ」

「それもそうですね。参考にさせていただきますわ」

 渡海は馬券を拾ってくれた礼をして席に戻る。

 席に戻る途中、思い返してみれば、あの時代錯誤な格好の女性の姿をこれまで購入した馬券の窓口の近くで何度か見かけなかっただろうか。だとすれば彼女もかなり当てる方の人種だったのではないだろうか。

 次に馬券を購入する機会があれば窓口の近くを観察することにしようと、渡海はなんとなく決めたのであった。

 馬券を買い終えた渡海が席に戻り、返し馬が始まった頃、橫山も伊賀野も席に戻ってきた。

「お前さん結局どう買ったんだ?」

「とりあえずこれだけ買ったよ」

 二人に特券の束を見せると、橫山は呆れたように、伊賀野は理解が及ばずしばらく固まっていた。

「これ特券何枚あるのかね?」

「400枚ですね」

「儲けた分全部賭けたのかい?」

「ええ、全部」

 淡々と答える渡海に、伊賀野は青ざめた様子で振り絞るように「もう何万か足せばカローラ買えるぞ」と呟いていた。

 

 そして、第四十回東京優駿が始まる。

 東京優駿はホワイトフォンテンがハナを奪って始まった。

 1番人気であるハイセイコーは27頭の内、前から10番目の位置であった。

 ハイセイコーは増沢が乗って以来、先行策を取っていた。

「ハイセイコーは前だが、大丈夫なのか?」

「ダービーポジションだな。ここを取る馬が勝ちやすいと言われている。頭数が多いから馬群を抜けて前に出るのが難しくなるんだ」

 とは伊賀野と橫山である。

 現代でこそフルゲートは18頭となっているが、この頃の東京優駿は出走頭数が多い。運がなければ勝てない。とまで言われるのはこの辺りが所以である。

 そして、4歳馬にとって2400mの競馬は未知の距離である。騎手と折り合いをつけて走るだけの我慢強さもまた必要である。

 そうこうしている内に先頭が1000mの標識を超える。標識を通過するのに合わせて渡海はストップウォッチの停止ボタンを押した。

 ストップウォッチの針は59.6秒を指していた。ペースが速い。ホワイトフォンテンやボージェストが引っ張り、それに釣られる形で自然とペースが上がっていたのだ。

 展開そのものは後方に控えた馬に向いている。

「前崩れの競馬になったか……」

 再び双眼鏡を覗き本命であるタケホープの姿を探す。タケホープは後方に位置し内側で脚を溜めているようだった。

 レースは進み、ハイセイコーは第三コーナーから進出を始める。第四コーナーを回り切る頃にはほとんど先頭に躍り出ていた。しかし、中央からイチフジイサミが上がり、タケホープがそれに続く。

 東京の長い直線の半ばにして、ハイセイコーがイチフジイサミに外からかわされる。その瞬間、場内が大きくどよめき、悲鳴にも似た声が上がる。そして、そのイチフジイサミも更に外からタケホープによって抜かされてゆく。

「今タケホープがヨレたか?」

 僅かにイチフジイサミ側にタケホープがヨレており、イチフジイサミの脚色が僅かに鈍っていた。

 ハイセイコーを尻目に二頭は更に差を広げ、タケホープが先に入線を果たす。続いて1馬身半程遅れてイチフジイサミが二着に入線、ハイセイコーは遅れること三馬身半の差であった。

 ゴンドラ席では、離れたところから女性の喜ぶ声と祝福する声が上がる。

「今のは勝った馬主さんか?」

「ああ、近藤たけさんだな。女性のダービー馬オーナーになったんだ。珍しいよ」

「そういえば、お前馬券当たったんじゃないのか?」

「え? あ、そういえば……」

「渡海君、自分の買った馬券位気にしなさい」

 タケホープは7枠21番、イチフジイサミは5枠15番。購入した馬券はタケホープの単勝10万円分、そしてタケホープとイチフジイサミの複勝5万。そしてその枠連20万円分であった。

 

 しばらくして着順が確定し払戻金が発表される。その払戻金は単勝が5110円、タケホープとイチフジイサミの複勝が560円と850円、そして枠連が9560円であった。枠連に関しては万馬券一歩手前である。

「結局その払い戻し金、いくらになったんだい?」

 橫山に尋ねられ、渡海は震える手で電卓(カシオミニ)を何度か打ち間違えつつ払戻金を計算する。その結果をボソリと「2400万円強です」と答えた。正確には2493万5千円である。

「2400万強ッ!? 2000円で始めて、最終的に2400万? どんな馬券回収率だそれ」

 伊賀野の悲鳴にも似た叫びが馬主席に響いたのを切掛に、周囲から好奇の目がこちらに向けられる。

 その内のいくつかの視線は、その馬券を当てたのが渡海であるのを見て取ると、懐かしがったり納得したようにしていた。そうした馬主は驚いている馬主にしたり顔で何かを説明し、再び驚かせるのである。渡海はこちらに注目する中に、見知った顔がいくつかある事に気が付いた。

 これで実家に噂が伝わるであろうと諦め、各々に軽く会釈をした。相馬蘭子もその視線を向けた中におり、苦笑したような笑みを浮かべていた。

「渡海、お前昔何やったんだ?」

「昔、父親や兄に代わりに買ってもらってた馬券が当たってただけだよ」

「とすると、昔からこんなことやってたのか? こんな大金を稼ぐようなのを?」

「いつもじゃないよ。でも今日は普段以上に観客が入っていて、オッズの歪んだ東京優駿だったから、昔よりは稼げているかもしれない。正直今は使い道がないから困る」

 泡銭と呼ぶには余りにも巨大な額である。特に趣味のない渡海には持て余すことが明らかであった。

「いやまぁ、一時所得で結構持っていかれるはずだよ?」

 恐らく2100万円程度に目減りするはずである。

 なお、この年の東京優駿の1着賞金は3600万円である。この賞金はすべてが馬主の懐に入るのではなく、馬主が8割受け取り、調教師に1割、騎手と厩務員に五分ずつ進上金として分けられる。

 今回の場合馬主は2880万円の賞金を税金である程度引かれた分が実質的な受取額となる。ここに毎月の預託料も1頭当たり25万程と馬鹿にならない。

 そこを考慮すると、渡海は一時所得である程度引かれるにしても、馬主が懐に納める賞金に近い額を馬券で稼いだことになる。

「それはそうかもしれんが、理不尽だ」

 伊賀野の言葉は居合わせた多くの馬主も頷く嘆きであった。

「それで、渡海君、そんな大金どうするんだい」

 渡海は電卓の液晶に表示される数字を見つめて悩む。

 これまで、馬券で稼いだ資金は実家の牧場のために使ってきた。種付け料の支払いや、採草地や放牧地の拡張費用の足しにもなっており、地味な収入源となっていたようである。牧場は金食い虫であるから、使い道には困らなかったのである。

 それらの使い道もあるが、流石に実家を離れた現在は余計な世話であるようにも思われた。

「まぁ、しばらくは預金ですかね」

 今使い道がない以上、面白みのない回答にならざるを得なかった。

「とりあえず、後で呑みにでも行きます?」

 それが差し当たっての使い道となったのであった。




 7以前のウイニングポスト初手風物詩、周囲がドン引きするレベルで馬券を当てる主人公の図。
 3連単導入以前のウイポなら馬連、以降なら3連単をウン千万一点買いしてパーフェクト予想を達成するのがウイポプレイヤーなので、主人公は可愛いものですね?
 
 現実と違ってオッズが動かないので、億単位の資金を稼ぐのが定石だと思いますが、この世界ではちゃんとオッズが動くので、そこまで馬券ファンから金を搾り取る事が出来ません。

・用語集
聖徳太子:この時代の1万円札。諭吉さんになるのはまだ少し先の未来の話。
カシオミニ:物語開始前の1972年に発売された小型電卓。12800円とこの時代では高価。渡海は脳内で算盤が弾けないので購入していた。例文「このカシオミニを賭けてもいい」
この時代にカシオミニを賭けるのは相当の本気度である。

競馬関係
NHK杯:NHKマイルカップの前身となる重賞競走。2000mで施行されていた。
NCK:Nippon Chuo Keiba-kaiの略である。冗談のような略称であるが史実である。現在のJRA表記は1987年からである。
豆券:100円単位の馬券。
特券:1000円の馬券、緑色の馬券で本来それなりに高い。
参考までに、1973年時点ではかけそば一杯150円である。
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