竜頭の錬金術師   作:ONE DICE TWENTY

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前話「キメラ・バックアップ」のスライサー兄弟についての記述を修正しました。


第七十一話 錬金術の到達「氷結の錬金術」

 泥仕合、というにはあまりにもお粗末すぎた。

 そも、生体錬成や合成獣の錬成に長けた錬金術師というのは、戦闘行為を行ったことのない完全な研究職ばかり。居て自身の作り上げたキメラをけしかける、程度のものだ。

 真白の空間。

 此岸と彼岸において行われる錬成勝負は、必然、基礎的な……ともすれば錬金術見習い同士の模擬戦闘のようにさえ見えるだろう。

 激しさはない。華々しさもない。泥臭ささえ達しない。

 少し離れた所で起きているレティパーユと成り損ない達の戦闘と比較すると、ああ、目も当てられないのだろう。

 

 だからこれは、喧嘩だった。

 最初で最後の兄妹喧嘩。

 

「アンファミーユ! なんだ、ありゃ! サジュの天使の完成形か!?」

「違う。そもそもサジュは死んだ。イリスも。見てたでしょ」

「見てたが、所長の奴が引き継ぐ……わけねぇか。あの手合いは引継ぎより自分の発想を優先するタイプだ。つーことは、ありゃ所長の人形ってとこか」

「そう」

「ッハ、サジュの奴も浮かばれねえな。翼こそ生えちゃねーが、あんなん立派に天使サマじゃねーかよ」

「……そうね」

 

 それはある意味心からの同意だった。

 レティパーユがいれば。あるいは「第二号」、「第三号」がいれば。

 アンファミーユなど──。

 

「成り損ない五体と互角。サジュも浮かばれねえが、この医者も浮かばれねえな。あぁそうだ、アンファミーユ。今の俺の状態がどうなっているのか説明できるか」

「ただその肉体の意識を乗っ取って、アンタの記憶を読み込ませただけでしょ。脳を移植したわけでも、頭蓋を取り換えたわけでもない。あるいは錬金術でいうところの魂をどうこうしたってことでもない」

「正解だ。だからよぉ、迷ってんなら躊躇うなよ。この俺は、俺じゃねえぞ~?」

「残念だけど、迷ってない」

 

 躊躇などあるはずもない。

 アンファミーユにオズワルドが撃てるわけがない──など、幻想だ。というか逆だ。

 過ぎ去った過去の幻影など、すぐにでも消し去りたい、が現実。なぜなら今、アンファミーユの世界の中心にはレムノスがいる。兄に類するものはすべて消し去って消し去って、そのけじめをつけるための献花だったのだ。

 それをわざわざ延長させて、溜息しか出ない。

 

「そんなに気に入ったかよ、アイツが」

「アンタ、所長のこと大嫌いだったものね。表向きはへこへこ従ってて、二人になると愚痴ばかり。年下で功績残してる上司──嫌いな条件ばかりだし」

「あぁそうさ。あんなに嫌いになれる上司も中々いねぇよ。若くして錬金術を覚え、軍に取り入った所まではおんなじなのに、なんだよこの差は。地位も名誉も知識も家族も、何もかもが上位互換だ。ンなもん見せつけられて正気でいられるほど俺は大人じゃねーんだよ」

 

 遅い。 

 何がって、錬成物の到達速度が。

 戦闘系の錬金術師であれば、どっかんどっかんと激しい打ち込み合いがあるだろう中で、マンテイク兄妹の戦いはずずずと蠢く石壁の押し合いに近かった。そんなものだ。だから余裕で雑談ができる。

 あるいはオズワルドの身体である金歯医者であれば、もう少し戦えたのかもしれないが──。

 

「つーか、お前聞かされてんのか? アイツがやってること。賢者の石の製法だのなんだのは」

「大勢の人の命でしょ。なに、私がそれ聞いてショック受けるような奴だとか思ってたの? 思ってたとしたら、アンタを兄とは認められないんだけど」

「思ってるワケねーだろ。ただ、信頼されてるみたいだな。じゃあよ、アイツが帰って来た時、お前が俺の手に堕ちてたらアイツどんな顔するかね」

「普通に私ごとアンタを殺すでしょ。所長に私への情があると思ってるの?」

 

 味方殺しをしないことで有名な錬金術師、と。レムノスは何度も何度も喧伝しているけれど。

 対象が味方でなくなった瞬間に容赦が消える、という意味であることなど、彼と共にいる者であれば誰でもが知っている事実だ。

 人質、ならまだ助かるかもしれないけれど。

 

 障害なら、除去されて終わりだろう。

 

「男運終わってんなーお前。俺含めてよ」

「自覚があったのは驚き」

「ハ、俺と結婚した奴は最終的にキメラになるんだろうよ。見た目じゃわからないキメラにな」

「その前に寿命が尽きるでしょアンタ」

「ああ。だからお前を狙ってたんだぜ?」

 

 びくん、と。

 アンファミーユの身体が止まる。そこへ追い打ちをかけるオズワルド……ではない。

 ニヤニヤしながら、動かない体をどうにか動かそうとするアンファミーユを眺める。

 

「やっぱり馬鹿はなーんにも直ってねーな。ただお前を殺したいだけならいくらでもやり様はある。俺が欲しかったのは、お前の躰なんだよアンファミーユ」

 

 動かない。

 動けない。

 まるで──体の内側から、操られているかのように。

 

「何のためにこんなくだらねぇ雑談に興じたと思ってんだよ。何のためにこんなクソジジイの身体で出張って来たと思ってんだよ。キメラの錬金術師同士とはいえ、万が一なんかザラにある。そうなりゃこんな老いぼれの身体より若いお前の身体の方が生き残る確率は高ぇ。おまけにあんなのまで連れてこられりゃな」

 

 オズワルドが。金歯医者のオズワルドが、ゆっくり、ゆっくり、一歩、一歩、一歩ずつ……アンファミーユに近づいてくる。

 

 体は、動かない。

 

「ナノキメラ。俺が俺だったころは、食いモンに混ぜるでもしねーと体内に埋め込めなかった。いや、基本的には今でもそうだ。錠剤の形にするなりしねぇと、適切な場所に配置できない。だがよ」

 

 大きく手を広げるその身体。

 もう、もう、あと少しの所まで来ている。レティパーユは──無理だ。成り損ない五体と互角であるということは褒められるべきことだけど、余裕がないということでもある。

 

「気付かなかっただろ。この部屋が密閉空間になってることになんか。いつ入って来た扉が閉じたのか、なんてのは戦闘音にかき消されちまったからな。──ここでなら、新しく開発した()()()()()()()()()()()を使えるってモンでね」

「それ、は……制御ができなくなる、から、禁じたはず……!」

「あん? なんで喋れる。……まだまだ研究不足か。全身の制御権奪ったはずなんだがな」

 

 錬成陣を描くだとか、レムノス製の錬成兵器を使うだとか、そういう次元にない。

 動くのは口だけだ。瞬きさえ自由がない。

 

「ま、いっか。話を戻すと、つまり、俺も嫌なんだよ。こんなクソジジイの身体は。だがよ、事故だっつったろ? まだわかってねーんだわ。どうやったらキメラ・バックアップから記憶データを他人にインストールできるのか。正確には法則が……いや、適性とでもいうべきモンがわかってねぇ。俺とこのジジイには適性があった。違うな、このジジイは恐らく自身を改造して適性を作った。それが己に益を齎すと信じて。そうして俺が意識を乗っ取った。さて、んじゃあ、どうだろうか」

 

 実の妹は、どれほどの適性率を誇るのか。

 

「安心しろよ、アンファミーユ。どうやらあっちの嬢ちゃんには効かねえみたいだし、お前に適性がなけりゃ何の関係もねぇ、俺の意識はお前に同調せず、このジジイにでも戻るか、あるいは死ぬかだ。天運を信じろよ。男運は悪いが悪運は強いだろ、お前」

「……」

「だんまりか。それもいいさ。──じゃあな、アンファミーユ。恨むんならいつまでも成長しない自分を恨めよ、馬鹿妹」

 

 金歯医者の手が、アンファミーユに翳されて。

 

 

 

 何も、起こらなかった。

 

「……適性が、なかった……?」

 

 動くようになった身体が手を開いたり閉じたりする。開きっ放しで乾いていた目を何度も瞬かせ、そうして、目の前で倒れる老人を見る。

 

「死んで、る……」

 

 ゆっくりと後ずさる。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。

 体を掻き抱いて、そうして。

 

 

「そこまでにしておけ」

 

 

 うなじ。

 後頭部に突き出された剣先に、足を止める。

 

「……何が?」

「妹の真似をするのは気味が悪いのでやめておけ、と言っている」

 

 手が上がる。無抵抗を示す。

 それでも突き付けられた刃物がさげられる気配はない。

 

 だから、強くナノキメラに思念エネルギーを送った。だというのに。

 

「……?」

「呼吸によって体内に入り込む不可視のキメラ、だったか。しかし、私はこう見えてもキメラでね。私自身が呼吸をせずともいいし、その逆も然り。確かに今弟は動けなくなっているが、私自身が動けているのなら問題はない。弟も呼吸はできているようだしな」

「チ、てめぇがスライサーって殺人鬼か。クソジジイめ、興味のねぇことにゃとことん興味がねえ。今の今まで思い出せなかった。……いや、いや、俺も知っていたはずだ。クソ、まだ記憶の同期が上手く行ってねえか」

「ああ、あちらで戦闘を行っている男達とはよく手合わせをしたものだが、毎度のことながらそこで倒れている医者の指揮が悪くてな。私が勝っていた」

「クソ、クソ、記憶……知識の同調に時間かけてちゃ意味ねぇだろうが! 適性もリスクも考えずに気分一つで誰かに乗り移れるようなモンを目指そうつったよなぁアンファミーユ!!」

 

 口が動く。

 だから。

 この思考さえも。

 

「あぁ、あぁ! ……あー。で、どうする気だよ殺人鬼。この首を刎ねるか?」

「生前であればそこに躊躇はなかったのだがね。今この身は飼い犬。主人より託った命を無視することはできん」

「んじゃ、今俺が後ろ向きに倒れたら、お前は刀を引くな?」

「致し方あるまい」

 

 身体が倒れる。背後に。受け身もとらず、倒れ込まんとして──支えられた。

 

「経験不足だな、錬金術師。刀を引こうとも、この身で拘束するのならばわけはない。そして残念だが──」

「ッ、うっ!?」

 

 動こうとしていた指が弛緩する。

 錬成陣を描こうとしていた指が、考えようとしていた脳がピリピリと微弱な痛みを覚える。

 

「私も錬金術を使える。習わされたのでな」

「……そう、だったな」

 

 しな垂れかかるように脱力する。

 まだだ。

 

 まだだ、ということを、伝えられない。少しばかり戻った思考がスライサー兄弟への警鐘を鳴らすが──届かない。

 

 ニヤリと口角が上がった。

 

 

 ギィン、と鳴ったのは、金属と金属が合わさる音だ。跳ね飛ばされる音。

 

「……そ、だろ」

「錬成兵器。主が伴侶に渡したものだ。その知識さえないと思われているのは誠に遺憾だが、発動に瞬きよりも長い時間をかけるものにやられる程私は遅くない」

「クソが、だったらここにいる全員ぶっ飛ばしてや」

「させませン!!」

 

 背後、地面を走ってくるのは錬成エネルギーだった。思念エネルギーではない。 

 それは何を目印にしてか、一直線にアンファミーユの身体へと伸びてきて、その頭部に直撃する。

 

 衝撃。

 目がちかちかする程の衝撃は、けれど。

 

「気を付けて! 空気中にガスのようなものがある! 見えない! 吸ったら身体が動かなくなる!!」

 

 口を解放するのに、十分だった。

 脳を解放するのに、十二分だった。

 

 気付いてくれた。

 アンファミーユがオズワルドの問いに対して黙っていた時、自身の口蓋に描いていた「流れ」の噴出口に。錬丹術の達人は、一瞬で気付いてくれたのだ。

 

 そんな。

 そんな、希望を抱いたアンファミーユを、その身体が抑えつける。

 具体的には、自身で己が首を絞める形で。

 

「ぐぅ……ぅ!」

「折るぞ」

 

 返事は聞かない。了承を下せないと思っての行動だったのだろう。

 アンファミーユを抱いたスライサーは、彼女の首を絞める彼女の両腕を折る。

 

 更なる苦悶の声は、けれど「ありがとう」を返すに至る。

 

「アイザックさン!」

「わかっている! 今描き終わった──全員、三十秒でいい、息を止めろ!」

 

 発露は瞬間的だった。先ほどの泥仕合が何だったのかと思うほどに一瞬だった。

 この真白の部屋の全てを埋め尽くす氷。スライサーやメイ、レティパーユのいる場所はちゃんと避けて、それでいて壁も天井もその全てを凍らせる冷気。

 

 そしてそれは、空気中に放たれていたキメラという「生物」の息の根をも止める。

 キラキラと、凍り付いたことで降り落ちてくる氷粒こそがナノキメラだろう。

 

「……っぷは」

「……国家錬金術師、か。成程。私達の錬金術は遠く及ばないな」

「元、だがな。もう国家資格は返上している」

 

 たとえ資格がなくとも、できることには変わりがない。

 この一瞬で部屋全体を凍らせ、倒れ伏す金歯医者も空気中のナノキメラも片付けた過剰戦力。これがあと三人と、プラスしてレムノスがいたのが、クラクトハイト隊。

 笑ってしまうのも無理はないだろう。

 過剰の、さらに過剰だ。それなら隣国が三つ消えるのも頷ける。

 

「立てるか?」

「……いえ。まだ体は兄の支配下にあるみたい。ただ脳がないから、命令は出されていないようだけど……どこかにいるカリステムに兄の意識が宿ったら」

「全身破裂、という未来もあり得る、か。私の弟も含めて」

 

 よし、では。

 と。

 

「メイ、といったか。そこの娘」

「……なんですカ」

「要望通り、上の有象無象は全て峰打ちに留めた。手足の一本や二本動かなくなったものもいるだろうがな。これで満足かね」

「ホントですカ!?」

「本当だ。それで、頼みを聞いた代わりに頼みがある。私はあちらでまだ戦闘を続けている者の所へ加勢に行く。故、アンファミーユ・マンテイクを頼めるだろうか。もし可能であれば、致し方なく折った腕の治療や、体内にあるナノキメラの除去なども頼みたい」

「治療ならお任せくださイ!」

 

 言って、氷の上だというのに器用にも駆け寄ってくるメイに、今度こそ本当の安堵の息を漏らす。

 

 アンファミーユの考え通りなら、メイはナノキメラの除去ができるはずだ。

 だってそれは以前レムノスによって行われたことだから。

 彼の使うものが錬丹術であると今は理解している。その達人であれば。

 

「……一応、最後まで護衛はしよう。……あの剣士と違い、二十三人。助けられなくてすまなかった」

「ア……いえ、私も、ですかラ」

 

 この二人はこの二人で何かあったようだけれど。

 アンファミーユの興味を引くことではない。

 

 あとはあちらが片付くのを、治療されながら見守るだけだ。

 

 

*

 

 

 初めに口を衝いたのは文句だった。

 

「加勢に来た、というには些か遅すぎるかと」

「そう言うな。これでも生前は殺人鬼。一般人相手の峰打ちなど経験が浅くてな、はじめの方の何人かは深く切りつけ過ぎて焦ったものだ」

「それで、この五人。あなた一人で対処が可能であると聞きました」

「可能だ、と言いたいところだが、それは弟が万全な状態であればの話。私一人では三人が限界だろう」

「そうですか。では残りの二人を対処します」

 

 情緒を育てろ、と。

 自らを作ったレムノス・クラクトハイト。そして自らを傍に置くアンファミーユ・マンテイクは言う。情緒を育てる。難しい話だ。

 レティパーユ。それがこの身に付けられた名であるが──しっくりは、来ない。恐らく他に名があったのだろう。そのあたりについてはレムノスから教授されている。この身の魂と呼べるものは、思念エネルギーによって抽出された賢者の石の誰かである可能性が高い、と。

 名の意味を聞いたら、水星だと言っていた。星。単純にスイルクレムが金星だからね、とも言っていたが。

 

 戦闘用のパーツである右手の金属の刃を叩きつける。

 耐久性能に特化した、辛うじて刃であるしかない金属塊。取り回しは困難だが、此度の敵である五人はあくまで人間の限界値を越えない。これを受け止められることはなく、避けるしかない。

 

「加勢に来た者がいる、ということを忘れていないかね?」

「この程度も避けられずに主の駒を名乗っているのですか?」

「……ほう、中々面白いプライドを持っているようだ。よくもまぁこれを生体人形などと……ふ」

 

 忘れていたのは事実である。

 何分、見た目が敵に近いから。

 

 情緒を育てろ。そう言われた。

 

「問います、スライサー兄弟」

「なんだ」

「目の前のこれらは、人間ですか?」

「さてな。人間として生まれはしたのだろうが、畜生と何ら変わりはないのではないか?」

「なれば、あなたは人間ですか?」

「勿論だとも。私達は人間だ。私達がそう思う限り」

「……つまり、私は」

 

 受け止める。

 軽い剣だ。先ほどまでは五対一だったから翻弄されていたけれど、二対一にまで減ったのならなんてことはない。

 受け止めて、その腕にクロスさせる形で左手を出す。

 パーツとしての名は、左腕機関銃α。関節駆動部への負担が大きいので威力を抑えた改良型のβが存在するものの、此度は此方を持ってきた。

 

 レティパーユは生体人形だ。

 だから負荷など関係ない。壊れても取り換えればいい。

 

「情緒とは、どう育てたら良いのでしょうか……」

「あまり笑わせるな。私とて一応真剣なのだ」

「笑わせた覚えはありませんが」

 

 容赦なく打ち込む弾丸は、成り損ないと呼ばれていた存在の顔面を破裂させる。

 ようやく一人。本当になんなのか、この成り損ないたちは。強い。本当に。

 

「ようやく一人か。成程、戦闘経験の浅さは補えんということだな、あの二人では」

「……いつのまに」

 

 いつのまにか、二人が斬り伏せられている。

 この剣客は。

 

「それが情緒だ、リビンゴイド」

「……?」

「今、感じただろう。私に。──私がいれば、自らは無用なのではないか、と。その憤り。嫉妬。強欲。それを情緒と言わずしてなんと言う?」

「憤り」

 

 最後の一人を、壁に叩きつける。そのまま内臓や骨が潰れるまで押し付けて、殺す。

 スライサーもまた縦の両断により最後を終わらせたらしい。

 

「憤りだけではないだろう。捨てられることへの恐怖もあるな。アンファミーユ・マンテイクを守り得なかった悔悟もあると見た。そして根源的なレムノス・クラクトハイトへの恐怖。自身が何者かわからぬ不安定な感情……まったく、私が言えたクチではないが、あの二人も形だけとはいえ夫婦であるというのなら赤子の世話くらいしたらどうなのだ」

「……」

「それとも、それさえも道具か? レムノス・クラクトハイト」

 

 返り血の一切を浴びていないスライサーはアンファミーユの、というかメイの方へ戻っていく。

 恐らく弟の中に入ったナノキメラの除去を頼むためだろう。

 

 レティパーユにナノキメラは侵入していない。もとからそういうつくりではないから。仮に付着していたとしても、氷結の錬金術で剥離したことだろう。

 

 終わった。

 オーダーは終わらせた。

 

 だというのに──何かが、レティパーユの中に残り続けるのだった。

 

 

 

*

 

 

 

 誰もいなくなった第三研究所。

 皆が地上に戻ったこの場所で、一つ動く影があった。

 

 氷漬けになって死んだ。……と、思われていた金歯医者。

 

「……甘ぇなぁ、最後まで……死亡確認くらいしねぇと、まだ」

「生きているかもしれないから、心臓が止まったくらいじゃ確認とは言えないわよねぇ」

「!?」

 

 パキ、パキと氷を割って起き上がろうとした金歯医者の首根が踏まれる。

 女の声。いや、聞き覚えがある。金歯医者の記憶には記憶がある。

 

 この女は。

 

「初めまして。そして、さようなら。あなたは余計な記憶を持ち過ぎているし、それでいてお父様のお気に入りに手を出しかけた──十分でしょう。世の中、小物の悪党程蔓延らないものよ」

「──人造人間(ホムンクルス)!!」

 

 四指。

 最強の矛がその脳を貫く。

 

「グラトニー。それと、そっちで転がってるの。全部食べちゃっていいわ」

「うん!」

 

 消えゆく意識の中で。

 いただきまーす、と、こえが。

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