自己肯定感の低い転生者が友達を助けるために化物の生贄になる話(続きません)

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異世界転生異類婚姻陵辱系貴族令嬢

 わたしの名前はヴィオレッタ・クラリティ。

 国境北端にある山脈の麓の町を治めるクラリティ子爵家の末娘。

 

 わたしが前世を思い出したのは、5歳を迎えてすぐの頃だ。

 

 雲一つ無い青空から太陽が照りつける暑い夏の日。

 母親が世話している、屋敷の裏にあるささやかな庭園に向日葵の花が咲きはじめていて、その世話を手伝っていた時だったのをよく覚えてる。

 

 日本で、花屋に勤めて普通に暮らしていた、と思う。

 思い出す前も花の世話が好きだったのはその名残なのかな。

 死因はあまり覚えてないけど、多分思い出さない方がいいんだろう。

 

 ただ、前世の知識を思い出したからといって暮らしは特に変わらない。

 前世を思い出したということも、必要がなかったので特に誰かに喋ることもなかった。

 

 国の北端にある、辺境子爵家の末娘。

 

 特に何も期待されることもなく、家族に普通に愛されてわたしは育った。

 

 正直、貴族がこんなのでいいのかなってくらい甘やかされてたと思う。

 前世がなければどうしようもないワガママ娘に育ってたんだろうなあ。

 

 生まれ変わるときに出会う神様なんてのには縁がなかったけど、生まれという点ではきっととても運が良かったんだろう。

 

 

 

 

「おまえいつも泥だらけで男みてーだな」

 

 いつも通りお母様……お母さんの花壇の世話を手伝っていると、背後からそんなことを言われる。

 確かにそこまで伸びていない髪を束ねて、麦わら帽子を被り土いじりをしている子供は男に見えるかもしれない。

 

 振り向けば生意気そうな面をした燃えるような赤毛の少年がそこにいる。

 もはや見慣れた姿だった。

 

 モーゼス北方辺境伯は名君として知られている。都から遠く離れた、環境も厳しい北の地がまともに治まっているのも辺境伯の力に依るところが大きい。目の前にいるのはその次男のアルバ様だ。

 

「楽しいか? それ」

「楽しいですよ。アルバ様もやりませんか?」

「俺は槍の修行でいそがしいんだよ。お前と違ってな!」

「忙しいのにわざわざこちらへいらっしゃったのですか」

「お前の父上に会うついでだ! その、兄様が一緒に来いって言うから仕方なくな」

 

 アルバ様は目を逸らしながら歯切れ悪くそんなことを言う。

 ははあ、多分こいつはわたしのことが好きなんだな、と思った。

 

 思春期の男は気になる子にほどちょっかいや悪戯をやりたがり、大人になってからそれが初恋であったと思い出して後悔するという。

 

 きっとわたしが転生していないただの少女だったなら素直にイヤな奴だと判断しただろうけど、わたしは前世でそれなりに生きてきた記憶がある。

 

「ねえアルバ様、わたしのこと好きなの?」

 

 だから何気なくそんなふうに上目遣いで茶化してあげると一瞬固まる。

 そして次の瞬間に赤い顔で早口で否定してくるのだからわかりやすい。

 

「そそそんなわけあるかっ誰がお前みたいな男みたいなヤツ好きになるんだよっ。カワイソーだから俺が話しかけてやってんじゃねえかっ」

「なるほどー、かわいそうに思って話しかけ続けてたら好きになってたと」

「違うっつってんだろがっ」

 

 アルバ様はさらに否定しようとしてその場で地団駄を踏み始めた。顔は真っ赤だ。

 ありゃりゃ、ちょっと遊びすぎたかな。

 

「冗談ですよ。また来てくださいね。もうすぐ秋桜が咲く季節ですからきっと綺麗です」

 

 わたしがくすくすと笑いながらそう言うと、アルバ様はぷいとそっぽを向いてしまった。

 

「別に花は好きじゃないっ」

「女はみな花が好きなものです。アルバ様が己の物にしたいと思う女子が現れたときに、知識としてもきっと助けになりますよ」

「女にうつつを抜かすつもりはないっ。北の辺境の男たるもの、強靭でなければならぬと父上からいつも言われている。大事なのは槍の修行だ」

「それは男色と勘違いされますのであまり大きな声で言わない方がよろしいかと」

「くそ、もう帰るっ。ヴィオレッタ、こんなこと言うのはおまえのせいだっ」

 

 うーん、この子無意識ツンデレなのかなあ。

 

 

 

 

 十歳になるころ、お父様が深刻な顔でわたしを部屋に呼び出した。

 

 アイドラ山脈に立ち入ったアルバ様が妖精から死の呪いを受けた。

 

 大陸を横切る壁のように広がる、北のアイドラ山脈の果てには妖精郷という名の魔界があると言われている。魔界というのはこの世界にいくつもあり、そこから秘宝を持ち帰ったものは勇者と呼ばれるそうだ。

 

 なぜそんなことを知っているかというと、アルバ様が頻繁に脚色された勇者たちの武勇伝をわたしに語り聞かせてきたからだ。

 すこしだけ年を経て、屋敷の裏庭にある東屋でふたりで語り合うのが日常のひとつになっていた。

 

「ヴィオレッタ、あのアイドラ山脈の向こうには妖精郷がある。聖女マルグレーテ様以来、誰も踏破したことのない未知の魔界だ。俺は北の辺境に生まれたモーゼスの男として、絶対にあの山を越えて勇者になりたいんだよ」

 

 そんな風にまっすぐ山脈の頂を見つめながら語るアルバ様に対して、そういうロマン的なのがわからないわたしは適当に相槌を打っていただけだ。

 

 アルバ様は本気だった。

 ただ、危ないからと諫めたところで何も変わらなかったと思う。

 

 女に言われただけで憧れを捨てるような男はいないのだから。

 

 そして、たかが十歳の小娘にできることなんてない。

 

 だけどわたしには前世でそれなりに生きてきた記憶があって、都合のいい能力もあった。

 

 モーゼス家の屋敷へ行き目の当たりにしたのは、呪いに侵食されて不可思議な幾何学模様の紋が顔中に浮かび上がっていたアルバ様の姿だった。

 その傍らではそのお母様が祈るように手を握り続けていた。

 

 ベッドで寝かされたまま苦しみ続けるその表情を見てわたしは決断した。迷う事はなかった。

 2回目の人生を送っておいて、友達を見捨てるなんてダサすぎる。

 

 妖精の呪いを受けたなら、妖精に頼んで治してもらうしかない。

 

 

 

 

 誰も起きてないくらいの暗い朝方。

 いつも土いじりをしているときに使っていた歩きやすい服装に着替える。部屋に書き置きを残して、こっそり屋敷を出た。

 

「お嬢様、どちらへ行かれるおつもりか」

 

 屋敷を出てしばらくした後、町の門をくぐるあたりで咎めるような声をかけられる。

 よく知っている声だった。

 

 顎下でばっさりと横に切られた黒髪が月の光で光った。いつも着ているふわりとした侍女服ではなく、動きやすさを重視した軽量の革鎧を纏って、腰には太刀が。

 

「友達を助けに行くの」

「それは、」

 

 わたしを見つめて、侍女のアヤが言い淀んだ。

 運が悪かった。どうしようもないことだ。そんなふうにわたしが傷つかないように一番良い言い方を探してくれたのだろう。

 

 優しい人だと思う。

 

「誰が何を言おうとわたしはやる」

 

 やらなければ、どうして2回目の命を得た意味がある?

 アヤは諦めたようにため息をついた。

 

「なればお供致しましょう」

「無理やり止めたっていいよ」

「それは私の役目ではございませぬゆえ。私はヴィオレッタ様の侍女であり騎士。見出されたあの日よりこの命はお嬢様と共にあります」

「クビになるかも」

「生きて帰れればそれも良いでしょう」 

 

 アヤは皮肉気味に笑った。主のため無意味に死んでもいいと言っている。

 

 狂ってる。

 

 アヤの言うそれはかつて時代劇で見た狂った武士道によく似ていた。この世界において忠節はそれほど重んじられない。なぜなら騎士とは生き方じゃなくて職業だから。だからこそ、アヤのそれは肩書きに依らない、魂に焼き付けるような恐ろしいものだと思う。

 

 アヤは黒髪黒目に鼻先の低い顔立ちをしている。それは意識しなくても日本人を思い起こさせた。

 

 郷愁に駆られたのかもしれない。だからわたしはお父様にワガママを言ってまで、辺境で無頼の賞金稼ぎをしていた刃物のような女を侍女として雇ったのだった。

 

 用心棒として雇ったわけではないのだけど、とにかくアヤは強かった。

 

 タチと呼ばれる異郷の武器を用いて、抜剣と共に神速で魔獣を切り捨てる異質な剣術。というのが物珍しさもあったようで、手合わせを願う騎士や流れの戦士がたくさんウチの屋敷を訪ねてきたのを覚えてる。

 

 わたしはそれが抜刀術というものだと知ってるのだけど、テレビ以外でそれを見たのは初めてだった。

 

 侍女として雇ってから2年後、その強さもありうちの騎士として叙勲されたとき、アヤが涙を流していた時はめちゃくちゃ焦った。

 

「くふ、ふふふ。あなた様が私の鞘でありましたか。もはやあてもなく朽ち果てる身命と覚悟しておりましたが。このアヤ……いえ、この樟葉綾香(くずのはのあやか)、ヴィオレッタ様の剣となりこの身命尽きるまでお仕え申し上げる」

 

 後々聞くと、貴族の道楽で雇われたものとずっと勘違いしていて騎士として身分を戴くことはまったく予想してなかったらしい。

 

 抜刀術は鞘がなければ成立しない。

 もしかすると抜刀術という有り様は、アヤの願いの形だったのかもしれない。

 

 アヤの本名はその時初めて聞いた。この世界の東方地域が昔の日本と似通っているとしたら、家名があるということはたぶん高貴な出自なんだろう。でもわざわざ隠していたものを知る必要もないと思ったので、聞いたことはない。

 

 

 

 

 ふたりで天を衝くようなアイドラ山脈へ向かう。季節はちょうど暖かい春の盛りで残雪もない。これが真夏や真冬でなくてよかった。

 

 いや、だからこそアルバ様は山脈へ登ったのか。

 

「ふう、こっちかな」

 

 気づけば太陽は真上に登っていた。

 

 比較的歩きやすい道を外れ藪を歩き、高い木が密集した急勾配をよじ登る。素人が遭難後に乱心したかのようなデタラメな道を行く。

 

 山師や修験者から見たら頭がおかしくなったかと思われるに違いない。

 

「分かるのですか」

「そういう能力なの。なんとなく聞けば感じ取れるみたいな」

「なるほど、霊媒のようなものでございますか。お嬢様が敏いのは存じ上げていますが、そこまでとは」

 

 汗の一つもなく、わたしが指示するメチャクチャな道を先導してくれるアヤは納得したようにそんなことを言っていた。

 

 手からビームが出るとかそういう系ならわかりやすいのだけど、この能力は本当に説明しづらい。

 

 前世での記憶によると、異世界転生にはチート能力がつきものだ。

 誰がそんなことを始めたか知らないけど、とにかくわたしにもそのチート能力とやらが備わっていた。

 

 わたしに与えられたのはシンプルに人でないものと交信する力である。

 交信と言っても言葉を交わせるわけじゃなくて、何となく考えてることとか秘められた意思や痕跡、その意図がわかる程度。

 

 人間以外の心がそれなりに読めるといったほうが正しいかもしれない。

 

 草木や岩の意志を聴いて、そこに残る妖精の痕跡を読み取って辿れば妖精郷への道を開くのなんて簡単なことだった。

 

 奴らは傲慢なので人間はそんな器用な真似はできないとたかを括っている。

 だからこそ妖精の残り香は色濃く残されてる。

 

 今のわたしって犬みたいだな、なんておかしくなって笑ってしまう。

 

 途中に出現した魔猪や狼は全てアヤが太刀で切り伏せた。

 剣術には全然詳しくないけど、アヤがとんでもない使い手なのは誰よりも知っている。

 

「一度くらい妖精を斬ってみたいのですが、なかなか姿を現しませんな」

 

 そんな恐ろしいことを言う始末だった。

 正直ドン引きしたけど、そのくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

「妖精を脅してアルバ様を治させるのもありか……」

「私がおらずとも元よりそのつもりでは?」

「あー、うん。そうだね」

 

 十歳の小娘にそんな力があるわけないでしょ! ぎこちない返事をするわたしを見てアヤが呆れたような顔をする。

 

「お嬢様、もしや妖精に接触さえすればどうにかなるとでも思っておられたのでは」

「いや、お願いすればなんとかしてくれるかもって」

 

 我ながらバカだと思うけど子供にできることなんて限られている。その中で自分のやれることを考えた結果、そうなった。

 

「化生とはただの人より強い力を持った化物に過ぎません。妖精がいかなるものかは存じませんが、願いを叶えさせるには屈服させるしかありますまい」

 

 アヤはこっち方面の話に詳しいみたいだ。

 

 そうすることになった。

 

 その後、1日かけて道とも言えない道を歩き続けた。

 するとやがて、開けた小さな草原のような平地に行き着いた。

 ただそれだけの、何の変哲も無い場所だ。

 

「何もありませんね」

「いや、あるよ」

 

 この空間は不自然だと、地面に生える草や飛び交う虫がわたしに訴えかける。

 魔法に近い何かで偽装してるんだろうけど、入り口のようなものが虚空にある。

 

 わたしはそれに向かって近づいて、ただ手を触れた。

 するとギュルリと風景が歪んで、空中に黒い裂け目のような穴が現れる。

 

 目に見えなくても、あると確信さえすればその入り口は実体化して開くことができる。

 なんでそんなことがわかるのか、という部分がこの能力がチートたる所以かも。

 

「行くよアヤ。たぶんこの先が妖精郷に繋がってる」

「……お嬢様は本当に恐ろしい力をお持ちなのですね」

 

 何気なく言って振り向くと、アヤが苦笑いしながらわたしを見つめていた。

 わたし、またなんかやっちゃいました?

 

 

 

 

 黒い裂け目の向こう側に行くと、わたしたちはふたりして言葉を失った。

 

 森のような場所、というには木の葉がすべて欠落していた。

 

 これは樹なんだろうか。巨大なポールハンガーみたいな黒い杭がそこらじゅうに沢山立っているけれど、まるで樹のふりをしたオブジェにしか見えない。暗闇で電柱を見るとこんな感じになるのかな?

 

 上を見れば、さっきまで昼だったはずなのに青とオレンジが混じった黄昏色の空がどこまでも広がってる。黒い杭の間には黒い火の玉に虫の翅のようなものがついた、生き物なのかもよくわからないものが音も無くふわふわと飛び交っていた。

 

 歩くとべちゃべちゃと音がする。

 ねっとりした水のようなものが靴の裏についていた。その色は墨みたいにどす黒い。見回すと水たまりから黒い草がぽつぽつと生えていた。

 

「あれは草ではありませんな。細かい触手を束にして擬態しているのです。近づけば食われるかもしれませぬ」

「なんかそんな感じするよね。草にしては過激っぽい意思を感じるから」

 

 そこが危ないかどうかくらいはわかるけど、その正体を看破する知識はない時が多いのでアヤの指摘はとても助かる。

 

「アルバ様を呪ったという妖精はこちらに?」

「うん。でも……」

 

 わたしが読んだのはそこらじゅうにいる火の玉に翅が付いた生き物の思考だ。こいつらからアルバ様にかかった呪いから読み取った「感じ」と同じ感覚がある。

 

 アルバ様はこの火の玉のどれかと山脈で偶然出会ったのか。

 そこで戦い呪いを受けたのだろうか。

 

「多分こいつらはただの使い魔みたいなもの。生きてるけど複雑な思考はしてない。たぶん呪いを解く以前に話をするのも無理」

「こやつらの“親”を探すしかありませんか」

 

 アヤが緊張から唾を飲み込む音が聞こえた。

 

「お嬢様。もはやこの場は人の理より外れております。はっきり申し上げますが、この先へ進めば、本当に死ぬやも知れませぬ」

「それでも行くよ」

「……御意」

 

 わたしは昔から、お父様から妖精とは恐ろしい怪物なのだと聞かされていた。

 命の危険があるなんて最初からわかっている。

 

 先導するアヤの後ろをただ歩く。

 

 世界の終わりみたいな場所だと思った。妖精郷なんて言うから、もっとメルヘンな場所を想像してたのに、ここには生き物の温もりのようなものがなにもない。

 

 春のはずなのに、秋の終わりのように寒々しい色のない風が吹く。

 

「妖精とは、一体なんなのでしょうな」

 

 アヤが呟く。たぶんろくなものじゃないんだろうなというのはお互いに思ってる。

 返事を返そうとした。空気が震えた。

 

「我が領域にヒトが足を踏み入れるなど許した覚えはないが」

 

 それはいつの間にかわたしたちの目の前にいた。

 

 黒髪の男の顔があった。ひび割れて黒ずんだ陶器みたいな朽ち果てた顔。瞳が白くてその周りは黒い。人間に見えるけど人間じゃない。首から下はガスみたいな黒い塵が胴体と手足のようなものを形作っているように見える。

 

 人間じゃないのに、意識が読めない。

 でもわかる。アルバ様の呪いの大元は絶対にこいつだ。

 

「ふ、ふふふ、このような怪物と切り結べるとは、冥土の土産にはいささか上等すぎましょう。お嬢様、お逃げください」

 

 死ぬ気だなと思った。

 

 アヤは強いけど目の前のこいつには絶対に勝てない。わかってるだろうけど、刺し違えるのも無理。いや、きっと大軍を率いてもこの化け物には人は絶対に勝てないだろう。

 

 だからわたしは戦おうなんて思わなかった。

 

 わたしは進み出てそいつを見つめた。虚の底を覗くようなぞっとする暗い瞳だけがそこにある。

 

「友達の呪いを解いて。代わりにわたしを全部あげる」

「お嬢様ァッ」

 

 アヤが悲鳴をあげた。こんな狼狽した声を聞くのは初めてだ。

 

 ひとりで屋敷を出たとき、本当に何も考えていなかったわけじゃない。

 こうするのは最初から決めていた。そもそもわたしが差し出せるのはこの身体くらいしか無い。

 

 そいつは風化したような唇で歪な笑みを浮かべた。

 

「なるほど、あの愚かな男の縁者か。良かろう。そこの女、主を捨て薬を持って走るがいい。貴様の主、虚の妖精王アグラフェールが貰い受ける」

 

「カアアアアアッ」

 

 絶対に人が出すものじゃない獣みたいな咆哮だった。居合の構えから刀を抜こうとしていた。ダメだよ。死んじゃうから。

 

「アヤ、やめて!」

「お嬢様を浄土へお送りし直ちに追腹仕るっ。なってはなりません。化生の花嫁になど、死ねもせず永劫に苦しみまするぞっ。それならば、私が」

 

 びっくりした。アヤは妖精王を攻撃するんじゃなくて、わたしを殺して自分も死ぬつもりだったらしい。

 

 らしいと言えばらしいかもしれない。わたしの行く末を案じた結果だろう。

 

 やっぱりアヤは優しい。

 ふっと笑うと、アヤは泣きそうな顔になった。

 

「大丈夫、たぶん、死なない。だからお願い。アルバ様を助けてあげて。あと絶対に死なないでね。自殺もダメだから」

 

 死なないというのはただのでまかせだ。

 でもこう言えばアヤはその通り受け取る。受け取らざるを得ない。

 

 だって狂ってるから。

 いや、頭がおかしいのはわたしも同じかな。

 

 我ながらひどい女だなと思った。

 

 何も言わなければアヤは全てが終わったのちに喉を掻き切るだろう。

 そんなことは許さない。わたしなんかのために死ぬなんて絶対に許さない。

 

「お嬢様、お恨み申し上げる」

 

 抜刀の体勢のまま堪えるように震えるアヤの唇から血が滴る。

 今にも憤死しそうで可哀想だけど、生きてもらわないと困る。

 

「信じて。行って!」

「仰せのままにッ」

 

 黒い火の玉が目の前に落とした、血のように赤い毒々しい薬瓶を拾ってアヤは背を向ける。

 その先の虚空が割れ開いて見慣れた青い空と緑の木々が見えた。そこにアヤは飛び込むように消えていった。

 

「ありがとう。妖精王って律儀なのね」

「ただのヒトであれば踏み潰すのみ。願いを聞いたのは、お前の魂が歪で寒々しい輝きに満ちているからだ。それを穢したらどのような色になるのかに興味がある」

 

 こいつは何を言ってるんだ。

 

 わたしは人以外の心が読めるはずだけど、なぜかこいつからは何も感じない。チート能力も万能じゃないのかもしれない。

 

 妖精王の肩口から塵のように放出されている、不定形の影のような腕がわたしの全身を捉えた。腕から触手のようなものがいくつも作り出されて、顔や手足、服の中まで調べるように撫で付けられた。それだけで底冷えするように体温が奪われる。

 

 恐れとかじゃない。単純に熱が一気に奪い取られてる感覚。

 

 この目の前の生き物には温度というものがない。

 どこまでも空虚で悍ましい闇だけがある。こんなものが生き物だというなら本当に哀れだ。

 

 強がって、できるだけ馬鹿にしたように鼻で笑ってみる。

 

「この変態。人の子供の身体に興味があるってこと?」

「生きの良さは誉めてやる。今からお前を作り替えるが、せいぜい耐えてみせよ」

 

 さあ、これから死ぬより酷い目に遭うのかな。所詮おまけで得た命だし、それだけで友達の命を助けられるなら、安いものだと思う。

 

「あ」

 

 ぬるりと身体の中に何かが入ってきた感覚があった。

 

 なに これ はいって ひろが る? さ む

 

 ぐちょぐちょぐちょ

 

 ずるりずるり

 

 あああああ あ あは あははは

 

 あはっ

 

 

 

 

鬼気を纏ったヴィオレッタの侍女が帰還したのはその翌日のことである。

 

 山脈を捜索していた馴染みの騎士たちの目の前に躍り出たその姿は壮絶なものであった。

 

 ひとときも休まず走り続けたのだろう。足裏はズタズタになり履物は赤く染まり、魔獣と思われる返り血と夥しい切り傷で全身は覆われていた。

 

 まさに鬼女のごとくであった。

 

 侍女が持ち帰った解呪薬は望み通りアルバ・モーゼスの呪いを全て打ち消した。取引は成った。

 それはヴィオレッタの全てが妖精王のものになったことを意味する。

 

 侍女に対する処分は真っ二つに分かれた。

 

 忠義の士であるゆえ放逐で済ますべきと言うものもいれば、主を拐かし死に追いやったとして処刑すべきと弾劾するものもいた。

 

 これ以上侍女を追求することはまかりならぬというクラリティ子爵の一声によりそれらの声は沈黙する。

 

 侍女の忠がヴィオレッタのみに向かっていることは子爵も察していた。だからこそ子爵は侍女の責を問わなかった。

 

 この先屋敷で後ろ指を刺されるのも辛かろうと過分な金子と共に暇を出したが、侍女は首を横に振る。

 

「ヴィオレッタ様は死なぬと言いました。なれば私も此処で待ち続けとうございます」

 

 主の言葉をただ信じる、真の忠節であった。

 狂っていると言ってもいい。だがその根拠なき狂気が子爵の心に一筋の希望を灯した。

 

 子爵は狂った侍女を信じることにした。

 

「あの子は帰ってくる」

 

 

 

 

 あれからどのくらいの時間が経ったのかよくわからない。

 

 大量の黒い触手が蠢く穴に毎日のように投げ込まれては文字通り体を作り変えられる日々が続いた。作り替えられてる途中は意識が飛んでるのだけど、気がつけば何事もなかったかのように目覚めている。

 

「なぜお前の魂は穢れぬ、なぜ」

「知らないよそんなの……」

 

 身体の中をワンパターンでぐちょぐちょされるのにも飽きてきた頃、ついに音をあげたのは妖精王だった。わたしを穴から引き上げて乱暴に地面に放り出す。

 

 地面にごろりと寝転がったままわたしは脱力していた。いつも通り黒い粘液みたいなのでべちゃべちゃだから早く身体を洗わせてほしい。

 

「……もうよい。お前の魂を穢すのはやめだ。我の負けだ。ヒトの娘よ」

「あ、うん。あとわたしの名前はヴィオレッタだよ」

 

 魂穢すの大好きおじさんこと妖精王アグラフェールは勝手に勝負を挑んできて勝手に負けていた。なんなんこいつ。

 

「ヒトの名に興味などない」

「じゃあわたしもあなたのこと魂穢すの大好きな変態おじさんって呼ぶけどいい?」

 

 アグラフェールの表情が固まった。

 

「………やーい根暗陰険変態ロリコンおじさん。小娘に負ける妖精王(笑)穢してやるぞっ(笑)」

「その口を閉じろっ」

「ぷっ」

 

 思わず笑ってしまう。妖精でも人間にバカにされてるのはわかるらしい。しかもこの世界の言葉じゃないのも混ざってるのに。罵倒は世界を超えても共通語なのかもしれない。

 

「……ヴィオレッタ。これでいいのか」

「ちゃんと言えてえらい! っと、わたしはなんで呼べばいいの? アグラフェール?」

「好きに呼べ」

「素直じゃないなあ」

 

 クールに言い捨てるその顔だけで言えば顔色の悪い美形の目が変なお兄さんなのだけど、その実態は触手いじめが大好きな変態おじさんなのが辛いところだ。

 

「……分からん。ヒトとは形を変じれば壊れる生物ではなかったのか」

「言ったじゃんわたしを全部をあげるって。約束は守ってくれたみたいだし、別に痛いこともされないし不満はないかな。毎日触手風呂でぐちょぐちょされるのは普通にヤダけど。その間頭おかしくなるし」

 

 それか、もしかしたら元から壊れてるのかもしれない。

 

 わたしは自分の背中に生えた翅を震わせて付着した粘液を弾き飛ばした。何度もぐちょぐちょされてる間にいつの間にやら生えてたけど、虫みたいでキモいのであまり好きじゃない。羽生えるならせめて蝶とかそういうキレイ系にしてほしかったよ。

 

「蝶も蟲だろう。お前の考えていることはわからない」

 

 心を読むなよ。わたしはおまえの心が読めないんですけど?

 

「種を同じくしないものの声を聴くという理外の力か。それゆえにお前の魂は歪なのか。それが何か追求し穢すのが目的だったがもはや興味も失せた。これ以上はやるだけ無駄だ」

「諦めただけだよねそれ」

「形なき無意味なものを追求する下等生物はやはり言うことが違う」

 

 遠回しな皮肉みたいなのはいうほど心に響かない。

 

「……何にしろ、お前のような煩いものをこれ以上ここで飼っておくつもりもない」

「ちょ、ちょっと待ってよ。せっかく手に入れたものをすぐ捨てるのはどうかと思うよ! わたしまだ新品だし! 若いよ!」

 

 ああっヤバイ。怒らせちゃったかな。ごめんて。てか今のわたしって言うほど新品か?

 

「ここから出られるというのにお前は本当におかしな奴だな。ヒトなら啼いて喜ぶものではないのか?」

「こんな見た目で放り出されても困るって言ってるのっ。せめて人間のフリできるようにするとかそのくらいのことはしてよ」

 

 今のわたしの見た目といえば、そこそこ気に入って肩まで伸ばしていたアッシュブロンドの髪と青い瞳は墨をぶっかけたように真っ黒になり背中からは半透明の虫の翅が生えている。

 

 それだけならまだいいんだけど、問題はそこから。

 わたしはあらためて自分の腰から下に目線を移した。

 

 下半身の両脚はなくなって、代わりに腰からめちゃくちゃキモい黒光りする長いムカデの胴体みたいなのが生えてる。最初に見た時は流石に変な声出たし夢だと思ったよ。現実だけど。

 

 いつもの感覚で足を動かしてみると、胴体が膨らみ大量の足がぎちぎちと動く。

 うわあ、やっぱこれわたしの足かあ。最近は見慣れてきたけどやっぱキモい。今のわたしの足の数は108本あるぞ!

 

「そのくらいできるようにしてやる。捨てるとも言っていない。ヴィオレッタ、お前は我の目となりヒトの世に戻ってもらう。我はお前を通してそれを観る」

 

 ウワッこいつ覗き属性まで入ってきた。変態のバーゲンセールじゃん。

 

 あ、めっちゃ嫌そうな顔してる。ごめんてっ。でも心読んで嫌な気分になるのは自己責任だと思うんだよね。

 

「よくわかんないけどそんなに人間の世界が気になるの? あとウチの家が傾くことはやりたくないかな」

「端末にすぎぬヒトのことなどどうでもいい。問題はその向こう側で好き勝手泳ぐ魚が増長していることだ」

 

 なんかまたよくわからないことを言い始めたなあ。アグラフェールの考えてることは能力で読めないし謎なので気にしても仕方ないけど。ていうか人が人以外の思考を理解するのなんて無理では?

 

「今はそれでよい。ヴィオレッタ、ヒトの支配者たちに接近し奴らをその目で見張り続けよ」

「支配者って、聖女さまたちのこと? ウチみたいな辺境も辺境の貴族じゃ近づくのも無理だと思うけど……」

 

 わたしの住んでる国、サフィーラ輝教国は7人の聖女さまが治める政教一致の宗教国家で、首都は大陸南端の海沿いにある。

 

 つまり国境北限にあるウチの家は最も都と縁が遠い部類に入るということになる。

 

 辺境イコール貧乏ってわけじゃないんだけど、アイドラ山脈付近に領地を持ってる辺境伯はじめ周囲を固める諸侯たちはいろいろな理由で上から煙たがられている人たちだ。いわゆる外様というやつ。

 

 隣の国の国境に接してる西方辺境伯はまた違うんだけどね。

 

 とにかく、ほとんど村に近い町の領主のひとつでしかないクラリティ子爵家が聖女に近づくなんて相当な理由がないとむずかしい。

 

 そう、相当な理由が……。

 

「あ」

「何だ」

「理由あったっ」

 

 思わずぶおっと立ち上がると、下半身が長すぎて身体が浮いたみたいになる。

 

 ふと思い出したのは、アルバ様に無理矢理聞かされていつの間にか詳しくなってしまった勇者の話。

 魔界から秘宝を持ち帰った者は例外なく聖女より勇者の位を叙される。

 

 ここは妖精郷でまさしく魔界だ。

 

「勇者になれば聖女さまとお近づきになれるかも」

 

 

 

 

 ヴィオレッタが屋敷から消えてから三月が経った。春を通り越して夏が終わる頃、果たしてヴィオレッタはちょっとした外出から帰ってきたような、当たり前のような顔をして屋敷に戻ってきた。

 

 妖精王から下賜されたいくつかの秘宝とともに。

 

 ヴィオレッタに何が起きて、どうして帰ってきたのか、なぜ秘宝を持ち帰れたのか。その本当の理由は誰も知らない。ヴィオレッタ本人を除いて。

 

「ヴィオレッタ、ただいま戻りました」

 

 その身体の内側が陵辱され尽くし人でないものへ変じていることなど、誰も知らない。

 

 この後、ヴィオレッタは教国史上最も若い勇者として都の大聖堂へ登ることになる。

 

 



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