トレセン学園に在籍するウマ娘による競争は、卓越した身体能力の成す、人間には到底不可能な高速走行によるものである。それは見る者を熱狂させ、大きなタイトルを獲得したウマ娘は生涯に渡って賞賛を浴びることにもなろう。
しかし強靭な肉体を誇るウマ娘といえど活躍できる時期というものは限られており、トゥインクルシリーズを走り抜いて自らのピークを過ぎたら引退するのだ。
その後は、新たなキャリアを目指して転身する者、家庭に入る者など様々。
中でも重賞と呼ばれる大舞台を勝利したウマ娘の多くは、後進の育成をしつつ、トゥインクルシリーズでは実現しなかった夢の対決を果たすウィンタードリームトロフィー、あるいはスターウマ娘たちによるドリームチームレース、トゥインクルスタークライマックスを目指す。
チームBTことBright Titanは、巨人のように強くたくましく、そして輝かしき功績を、といった理念として集まった有力なチーム、だったのだが……。
「どういうことだよトレーナー! リーダーがいなくなるなんて、オレ聞いてねぇよ!!」
学園施設内に設けられたチームの詰所では、長机を合わせて簡易的な会議室を作り、緊急の寄り合いが開かれていた。
机を叩いて立ち上がり、叫んだのはウオッカ。昨年デビューを果たし、阪神JFを勝利してジュニア級女王の座に輝き、間もなく桜花賞を控える期待の新人であった。
短く切りそろえた髪だが実は襟足が長く、細くまとめているためにそれは目立たない。ボーイッシュな出で立ちに、右目が隠れるような前髪は最も尊敬する先輩に影響されてのことだという。
「落ち着け、ウオッカ。求心力などなくとも、お前の脚でレースの常識なんて破壊しろ」
「ダメだよギムレットちゃん! ただでさえマヤたちは自由一番なんだから、トレーナーちゃん以外にもまとめてくれるリーダーがいないと困っちゃうよ」
どこか余裕の表情で額に指を当てて呟くのは右目を眼帯で隠すウマ娘、タニノギムレット。これに異を唱えたのは小柄の体格で輝かんばかりの栗毛を持つマヤノトップガンであった。
詰所の奥、トレーナーの隣にはもう一人のウマ娘が腕を組んで何事か考え込んでいる。
この緊急会議の議題は他でもない。これまでチームのリーダーを務め、何かと自由すぎてまとまりのないメンバーを落ち着かせ、優れた采配でウオッカのデビューに貢献したウマ娘が離脱することになったのだ。
とはいえ、ウオッカは既にギムレットを慕っており、実力をつけつつある。これからが大事な時期ではあるが、後は実際にレースを重ねていけばさらに能力を伸ばしていけるだろう。
問題は、その後。トゥインクルスタークライマックスへ挑む際にリーダー不在ではメンバーの実力を発揮しきれない可能性も高い。
そうとなれば新たなリーダーを迎えるべきなのであろうが、問題はその候補だ。
ウオッカはデビューしたてでむしろ教わる立場。到底リーダーに推薦はできない。
ギムレットは独自の世界観が強すぎてついていけるメンバーがいない。ウオッカですら、いくら慕っていても彼女の本意はよく分かっていないだろう。
マヤノは優れた直感力と的を射た発言ができるものの、メンバーをまとめるというよりは自分が真っ先に突っ込んでいくタイプだ。リーダーというよりは鉄砲玉といったところ。
残るメンバーは一人。こうなった以上、トレーナーが考える限りリーダーを務められるのは彼女しかいない。のだが。
「断る」
「そう、だよなぁ。しかし生徒会で副会長を務めるくらいだ、形だけでも……」
「副会長も名ばかりだ。私はただのお飾りにすぎん。それに、面倒だ」
彼女の名は、ナリタブライアン。鼻に貼った絆創膏が目立ち、無精なポニーテールが妙に似合うウマ娘だ。クラシックレース三冠に加え、有馬記念を制するなど、実はチームBTのリーダーを遥かに凌ぐ成績を有する学園内でもトップレベルの実力の持ち主だ。
しかしレースで強いことがそのままリーダーの素質というわけでもない。ブライアンも我が道を行く性格なため、メンバーへの気遣いはどちらかというと苦手。自ら動いてチームメンバーの団結のために動くことは、ないだろう。
「そうか。チームにはリーダーが絶対に必要というわけではないけれど、ただ全員がバラバラではな……」
溜息を吐くトレーナー。
このメンバーを全員野放しにしておいては、チームではなく烏合の衆に成り果てる。
そうとなればトレーナー自らがリーダーシップを発揮してゆくしかないのだが、トゥインクルシリーズを引退したブライアン、マヤノ、ギムレットにはそれぞれ目の前に目標を設定してやらねばならない。
これまではウオッカを育てる、そのためにはそれぞれに適した仕事が割り振られていたのだが、今ではウオッカがギムレットを目標に自立し始めた。
だったら。
「分かった。もうリーダーは定めない。その代わり、新人を一人迎えようと思う」
「えー? リーダーがいないのに新しい子を入れても、みんな混乱するんじゃないのかな」
トレーナーの判断に対して、真っ先に反論したのはマヤノ。
ウオッカがデビューできたのは前リーダーの采配があってこそであり、ここにトレーナーの効果的なトレーニングメニュー、メンバーそれぞれの能力に合わせたアドバイスが加わって成し遂げられたのだ。
つまり、前リーダーなくして新入りを育てるには不安が残る。
トレセン学園に入学するウマ娘は、己の一生を賭けて門を潜るのだ。これを指導力不足というチームの都合で棒に振らせてしまうかもしれないという責任は、彼女らには重すぎるのだろう。
「だからこそだ。前リーダーはこのチームの筆頭として、君らを引っ張ってくれた。特にブライアン、マヤノ。彼女は、君たちよりも後輩だろう。離脱せざるを得なくなった彼女に報いるなら、彼女なしで一人のウマ娘を立派に育ててみせるしかないんじゃないか」
「クッ、ハハハッ! この俺に、天より舞い降りし無垢なる卵を、その羽ばたき一つで世を照らす
意外にも、ギムレットは乗り気なようだった。ウオッカに慕われ、後進の育成に目覚めたのかもしれない。
その横でウオッカがゆっくりと座る。現状、一番の新入りである彼女には、この件に強く意見することができないのだろう。ギムレットがそう言うのなら、といったところか。
「私は協力するつもりはないぞ」
「ブライアンはそれでいい。ただ、新入りにトレーニングを見学させてやってくれ」
つまらなそうに吐き捨てるブライアン。彼女はウオッカの時にも進んで協力することはしなかった。
しかしウオッカの方がこのチームのメンバーを無条件に慕い、メンバーのトレーニングによく合流していたため、何もしなかったというわけではない。このあたりも前リーダーの想定した通りだったのかもしれないが。
毎年多数のウマ娘が入学してくるが、それぞれのウマ娘は基本的にチームに所属することになる。とはいえチームの状況によっては新入りを受け入れられない場合もあり、BTもこの年はウオッカを鍛えていくことに専念するために募集をかけない予定ではあった。
しかし今は、状況が違う。マヤノも渋々といった様子ではあるものの、これ以上反論はしなかった。
勧誘活動は四月頭。新しくウマ娘たちが入学した直後に始まる。
受入人数は一人。大々的な活動をせずとも希望者は集まるだろうという見通しだ。なにせ、三冠ウマ娘のブライアンが看板なのだから。
だから、勧誘活動といっても新入生が通りやすいチーム詰所棟の近くで「チームBT」と書いた札を持って立っているだけだ。
トレーナーと、ブライアンと、マヤノ。この三人で希望者を募る。ウオッカは桜花賞が近いために最終調整、ギムレットはそのトレーニングに付き合っているため不参加だ。
しかし。
「来ないな……」
「人手が足りないというから付き合ってやったのに誰も来ないのは何故だ。腰抜けばかりか」
トレーナーとブライアンが溜息を吐く。
しかし希望者が寄って来ないのには、明確な理由があったのだ。
「すみません、チームBTの募集って――」
「お前か、この私に勝つ気概があるウマ娘は」
「ひっ! あの、その、えーと、間違えました!!」
この調子だ。
チームに入りたいと希望者がやってきても、ブライアンの一睨みで引き返していってしまう。
入学してきたばかりの新入生にとって、三冠ウマ娘に凄まれるのはとんでもないプレッシャーに違いない。
つまり、これは明らかな人選ミスなのだが、これに気がついているのはマヤノだけのようで。
(これじゃあ誰も希望者なんて来ないよー。でも、ブライアンさんにも慣れてもらわなきゃいけないし、ギムレットちゃんはもっとキャラが濃いから、どっちにしてもここで逃げ出さないくらいの子じゃないと……)
やはり、前リーダーがいないだけで何もかも勝手が違う。
本来ならばトレーナーが模擬レースを観戦し、スカウトするのが基本だが、今回そうしないのには理由がある。
というのも、ウオッカがチームに入る以前のことである。
「お前はこの私の血を滾らせるレースができるのか!」
「パドックの見せ方? そんなもの、己を縛る
「トレーニングのやり方? こう、ギューンといってピューンと走ってドン!」
せっかくスカウトしてチームに入ったウマ娘に対し、チームメンバーの対応はこんな感じである。要は、こんなチームの一員としてやっていく自信がない、と脱退してしまうのだ。前リーダーの働きで多少は長く在籍したウマ娘もあったが、結果は同じ。
では何故ウオッカが残ったかというと、彼女は数々のスカウトを蹴って、自らこのチームに志願してきたのだ。というのも、ブライアンやギムレットが現役でクラシックを走っていた頃のレースを見て感銘を受け、是非同じチームになりたいと考えたそうである。
つまり。このチームでやっていくのならば、最初からメンバーのことをある程度認知しており、自ら強い意思で志願してくる者でなければ、すぐに辞めてしまう可能性が高いのだ。
だからこうして希望者を募るわけだが、これもなかなか上手くいっていなかった。
そんなところへ、周囲を見回しながら向かってくる一人のウマ娘の姿がある。
右の耳に四本リングの耳飾りをつけ、うなじのあたりでひと結びにした髪はさほど長くない。やや色味の薄い黒鹿毛といった毛色。下向きの矢印に三日月を合わせたような流星がよく目立つ。首には黒地に銀のラインが入ったスカーフを巻いている。ウマ娘には違いないが、少年のようにも見える。
「あ、あのっ、チームBTの募集って、ここッスか? もう、定員、埋まっちゃいヤしたか?」
言葉遣いの割にどこか自信のなさそうな語気。そんなウマ娘が、勧誘活動をしていた三人と目を合わせるような、合わせないような目線で問いかけてくる。
加入希望者だというのは、分かる。しかし……。
「そうだ。喜べ、定員はまだだ。だがお前、この私を楽しませ――」
「ナリタブライアン先輩ッスよね! あの、チームBTのリーダーはどうしてんッスか! 自分、あのウマ娘に憧れてんッス!」
先程同様、ブライアンが無意識とはいえ凄んでしまうのを遮り、この新入生は少し目を逸らしながら声を発した。
そういえば、前リーダーがチームを離れたことはまだ公になっていない。学園を去ったわけではないのだが、新入生が前リーダーに会う機会はないのだ。
とはいえこのウマ娘はあの前リーダーに憧れてBTに加入を希望してきたのだ。ウオッカと同じである。こんなチャンスがまた訪れるとは限らない。
「リーダーちゃんはね、今はいないの。いつか戻ってくるとは思うんだけどー、すぐに会うのは難しいかも?」
「そ、そう、ッスか……。あの、移籍したわけじゃないッスよね?」
それでも嘘を言うわけにはいかず、マヤノが言葉を濁す。
何があったのか、何故リーダーが不在なのかを詳しく語るわけにはいかない。ましてや、彼女を慕ってきたというのならば尚更。このウマ娘がトゥインクルシリーズをBTで過ごすのであればなおさら、前リーダーのことは隠しておく方が良いだろう。
「移籍はしていない。リーダーは今でもBTのメンバーだよ。しばらくチームを離れるから、前リーダーってところか……。新しいリーダーを決めるつもりはないけどね」
「じゃあ、本当にいつか戻ってくるんスね! じゃあ自分、BTに入りたいッス! あ、自分、チイノホッパーっていいヤス! ホップって呼んでください!」
リーダーに会えないことから諦めるかとも危惧されたが、この新入生ことホップは何も躊躇うことなくBTへの加入を希望して頭を下げた。
ブライアンにも怯まず、前リーダーへの憧れだけで決意できるのだから、もしかしたらなかなかの逸材なのかもしれない。
あとは、どれほどの素質を持っているかを図るだけだ。
「分かった。チイノホッパー、チームBTに歓迎する。これ、書類だから書いて提出――」
「い、いいんスか! やった!! 夢みたいッスー!」
トレーナーがチーム加入に伴う書類を渡そうとするも、話を最後まで聞かないホップはぴょんぴょんと飛び跳ねてグラウンドの方へと消えていってしまった。
随分と落ち着きのないウマ娘である。
「ふ、良かったなマヤノ。仲良くできそうじゃないか」
「ぶー! どういう意味!?」
新たにチームの潤滑油となるべき新入りはひとまず確保できたものの、これは騒がしくなりそうだと予感せざるを得ないトレーナーは、自分もチームに関する手続きのためにその場を離れてゆく。
散った桜の花びらが風に吹かれて渦を巻いた。チームBTに課された試練は、ここから始まるのである。