ウマ娘〜Hopping Bright〜   作:ちー助

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チイノホッパー(ホップ)

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本作の主人公にあたるウマ娘。
チームBright Titanに入ってきた新入生。
下っ端根性が強く、性格そのものは従順ながら粗暴な面も目立つ。
早合点や勘違いがしょっちゅうで、実は基本的に憶病でもあるようだ。


第2話「新入生の靴」

「夢みたいなこと言ってんじゃねェ!」

「あなたやめて、お願い!!」

「うるせェ、このガキにゃ社会の厳しさってのを教えてやらなきゃなんねェ」

「まだ小さい子供じゃないの」

「ウマ娘ってのはなァ、大きくなりゃ人間より力が強くなンだよ。今のうちにきっちり躾とかなきゃなァ!!」

「そんな! もうやめて、本当に死んじゃう!」

「オラオラどうした、アァ!? レースに出てG1勝ってみたいだァ? テメェなんかに、できるわけねェだろうクソガキがよォ!!」

 

 ―――。

 ――。

 ―。

 

「ねぇ聞いた?」

「うん、聞いた聞いた」

「ウマ娘として生まれたからには、G1勝ちたい、だって」

「一回も勝てずに引退するのがオチでしょ」

「あっは! それマジウケる!」

「辛気臭い顔でさぁ、荷物背負って、『ちっとも勝てなくて、帰ってきたッス』とか?」

「ぷっ、マジやめ、お腹痛い、ひぃー」

 

 ―――。

 ――。

 ―。

 

 自分は、周囲の人間とは違う。ウマ娘だから、というだけで好奇の目で見られることが多かった。

 他のウマ娘と交流する機会に恵まれなかったからか、小さい頃は自分も人間だと思っていた。鏡に映る耳と、尻尾。なんで自分にだけこんなものがあるのだろう、と。

 よく色んな人に引っ張られたっけ。走るのは速かったかもしれないけれど、自分だけ運動会には参加させてもらえなかった。不公平だから、だって。

 小学校に上がっても、自分は体育に参加できなかった。自分は他の子と違うから。

 テレビでは、ウマ娘によるレースがしょっちゅう放送されていた。自分がウマ娘であることを自覚した頃から、大きなレースは見るようにしていた。

 そんな中で、強烈に影響を受けたレースが三つ。

 ナリタブライアンとマヤノトップガンの阪神大賞典。怪我に苦しんだブライアンが不屈の闘志で蘇り、これに果敢に挑戦していったマヤノとのマッチレース。勝者、ナリタブライアンに翳りなしと評され、マヤノトップガンはその後のトゥインクルシリーズを牽引する一人となった。

 それから、タニノギムレットの日本ダービー。勝ちそうで勝ちきらない、そんなウマ娘だった。けれど自分の競争能力を喪失しかねない命がけの追い込みでもぎ取った勝利は、かっこよかった。

 そして、あのウマ娘。ギムレット以上に、いつも惜しいところで勝てない。ずっと二番手、三番手と言われ続け、それでも賢明に走り続けた。走って走って走って、ようやくチャンスが巡ってきた時、とうとうG1に手が届いたんだ。

 同じウマ娘として、彼女らの活躍には勇気をもらった。

 いつか自分も、あんな風にレースを走ってみたいと思った。

 母さんは、自分に協力してくれた。父さんにも内緒で、トレセン学園の入学試験を受けさせてくれた。結果は、ギリギリだけど合格。入学が認められたのは、嬉しかった。

 意を決して、父さんに報告した。また殴られた。お酒もかけられた。「いつまで夢みてェなこと言ってんだ」って。

 やっぱり、自分には無理なんだ。そう思った。部屋に閉じこもり、ベッドに座って、膝の上に溢れてゆく涙を眺めていた。

 部屋の外では、父さんと母さんが喧嘩する声が聞こえる。母さんが殴られている音も聞こえる。

 自分のせいで、簡単には手が届かない夢を見たせいで、母さんが殴られている。助けることもできなくて、怖くて、震えが止まらなかった。

 しばらくして、音が止まった。部屋の隣にある寝室の扉が銃声にも似たような音と共に閉められた。怒りが収まらぬまま、父さんは寝るらしい。

 それから、自分の部屋に母さんが入ってきた。情けなくて、母さんの顔が見れなかった。

 隣に座った母さんは、自分の手を握り、もう片方の手で肩を擦ってくれた。多分、自分よりもたくさん殴られたはずなのに。自分よりも痛かったはずなのに。

 その内に母さんが立ち上がり、自分の机に目を向けたようだった。

「これ、好きだったね。もう何年も、ずっと飾って……。ほら、何だったかしら、あなたが好きなセリフ。真ん中に、とかいうの」

「……真ん中に立てないことを思い悩んでいるのなら、次は大きな役を用意した。君のために、開演ベルは鳴る」

「そう、それそれ。ねぇ、私が言ってみても良い?」

 机の上には、子供の頃好きだったヒーローのフィギュアが飾られている。夢や希望を吸い取って世界征服をしようとする悪の組織と戦う、そんなヒーロー。風にたなびく黒いスカーフが、とにかくかっこよかった。

 先程のセリフは、確か、女優になりたい少女がオーディションに合格したものの全くセリフのない役で、落ち込んでいたところを励ました時のものだった。大きな役というのは、少女の演技力で敵の怪人を翻弄する役割だった、はず。小さい頃に見たものだから、細かいところはちょっと自信がない。

 でもこのセリフは大好きだった。

「次は大きな役を用意した。君のために……」

 母さんはうつむいたままの自分にまた寄ってきて、隣に座った。

 そして、首に何かを巻いてくれた。これは、スカーフだろうか。

開演ベル(ファンファーレ)は鳴る」

 ハッとして顔を上げる。

 痣だらけの顔で、母さんは笑った。

「何も心配しなくていい。私は大丈夫。あなたは、あなたの夢を追いなさい。さ、早く。荷物をまとめて」

「まとめ……え?」

「もう入学の手続きは全部済んでるのよ。だから急いで。お父さんに見つかる前に」

 

 こうして、自分はトレセン学園にやってきた。

 夜逃げみたいなものだった。

 あれから母さんはどうしているだろう。父さんは怒っていないだろうか。

 今まで使っていたスマホは、母さんに預けることになった。代わりに、新しく契約した、何の連絡先も入っていないスマホを渡された。母さんは予めその準備をしていたことになる。

 だから、夜が明けてから家がどうなっているのか、自分には分からない。

 着替えと、ヒーローフィギュアと、あの時に母さんが首に巻いてくれたスカーフだけを持って、寮に入る。

 同室は、自分と同じく今年入学した子で、穏やかで優しそうな子だった。

 入学式を終え、教室で学園についての説明を受ける。

 クラスメイトと自己紹介をして、所属チームを決めるよう指示された。全員と、というわけではないけれど何人かと挨拶をして回る。その中には、同室の子もいた。

「ねぇチイノホッパーさん」

「あ、ホップでいいッスよ!」

「じゃあ、ホップ。あなた、やっぱりクラシックを目指すの?」

 声をかけてきたのは、まさに同室の子だった。

 名前は、シャルヴブラフマン……長いので、シャルと呼ぶことにした。腰にまで届く長い栗毛がよく目を引く、落ち着いて静かな雰囲気のウマ娘。

 クラシックといえば、皐月賞、日本ダービー、菊花賞だ。あのナリタブライアンが全てを制覇し、彼女と激戦を繰り広げたマヤノトップガンもこの内の菊花賞を制覇している。タニノギムレットは日本ダービーの優勝ウマ娘だ。

 彼女らに憧れていた自分としてはもちろんのこと。

「当然ッス。むしろそこを狙わないで、何を目標にするのか、って感じッスね」

「ふぅん……。じゃあ、ライバルになるのかな。私も負けないよ。ところで、さ」

 どうやらシャルもクラシックを目指すらしい。いや、ほとんどのウマ娘はこのクラシックを目標にしてトレセン学園を訪れるのだとか。

 なるほど、と頷いたシャルは少し声のボリュームを落とす。

「あなたの喋り方、ちょっと変よ。直した方が良いかも」

「え、そうッスか?」

「それよそれ。語尾に、『ッス』ってつけるの」

「あれ、そう聞こえてんッスね。いやぁ、自分としては、『です』って言ってるつもりなんスけど、喋ってるとどうしても舌が回らなくて」

 こればかりは、クセなので仕方ない。直そうと思ったこともあったけれど、咄嗟の時にはこの言葉遣いが出てしまう。普段気を付ければ気を付けるほど、いざ口をついて出てしまった時の違和感が大きくなり、周囲に笑われる。だからもう、あまり気にしないことにしていた。

 シャルが心配してくれるのも、分かる。誰だって、ほんの些細な『みんなと違う』ことを見つけて、排除しようとするものだから。

 いつでも少数派は肩身の狭い思いをしてきた。多数派であることが正義であり、そこに同調できないものは悪である、と。

 だけど。少数派が許されるものがあるとしたら、自分の知る限りではレースだ。勝者はいつだって一人。それ以外は全員敗者だ。多数派である敗者は、注目されず、あるいは叱責され……。ウマ娘の中には、この多数派に入ってしまったがために悲惨な末路を辿る者もいると聞く。

 自分は、トゥインクルシリーズで少数派になるためにやって来たんだ。そして、身を投げ出す思いで自分をトレセン学園に入学させてくれた母さんに喜んでもらいたい。絵空事だと怒鳴り散らした父さんを見返したい。同じ学校に通ったクラスメイト達に、それ見たことかと言ってやりたい。

 少数派である孤独に、負けてなんていられないんだ。

「じゃあ、気を付けた方が良いよ。トゥインクルシリーズは甘くないから」

「分かってるって。レースで勝つのはただ一人。二着や三着で実力を認められても、皐月賞もダービーも菊花賞も、挑戦できるのは一生に一度。その舞台で勝たなきゃいけないんだから、そう簡単には――」

「分かってないね」

 シャルは、配られたパンフレットを鞄にしまい、教室の出口へ向き直った。そこには、この学園に存在するチームが一覧になっており、どこで勧誘活動が行われているか、あるいはどこでスカウト待ちの模擬レースが行われているか示されていた。彼女は、もうチームの目星をつけたのだろうか。

 去り際に、彼女はこう言った。

「一生に一度だからこそ、どんな手を使ってでも勝とうってウマ娘は、決して少なくないわ」

 言われるまでもない。

 上へ行くなら、誰かを引きずり下ろすしかないから。人は、結果にしか興味がないから。

 化かし合い、騙し合い、蹴落とし合い。勝者は常に、敗者の骸の上に立つ。

 分かっている。そんなこと、分かっている。だけど、だからこそ、自分は正攻法で挑まなきゃいけない。仮に卑怯な手を使ってくる相手がいたとしても、負けるわけにはいかない。

 そのために、もう心に決めた。堂々と戦える場は、ここしかないと。

 Bright Titan――。このチームなら、どんな逆境でもきっと乗り越えていけるはずだ。だってリーダーが、まさにチャンスが巡りくるまで、もがき続けたウマ娘だったのだから。

 

「で?」

「いや、その、すんません、用意、してなくて……」

 無事、BTに所属することが決まった翌日。自分は早速チームメンバーの前で走ることになった。

 現段階でどの程度の実力があるか、どんな走りをするか、様々な適正を見るためには、何よりも走ってみるのが手っ取り早い。

 だから授業が終わってからグラウンドにやって来たのだが。

 肝心の、シューズを忘れてきてしまった。ウマ娘がトレーニングやレースで走る際には、蹄鉄と呼ばれる滑り止めの金具を打ち付けた靴を使用する。そこらの運動靴では、ウマ娘の脚力には耐えられず、あっという間にボロボロになってしまうのだ。

 今日からトレーニングをすると思っていたから、シューズは間違いなく持ってきた、つもりだったけれど、うっかり忘れてきてしまったようだ。寮へ取りに戻っても良いのだが、もしそこにもなかったらどうすることもできない。

 ここはしっかりトレーナーさんに謝って、後日トレーニングに参加させてもらうしかない。もしも寮にシューズがなかったら、急いで用意しなくてはならないし、いずれにせよ今日走るのは無理がある。

「はぁ。レースに出るためにトレセン学園に入学したんだろう? シューズを用意していないってどういう神経してるんだ」

「本当に、すんま――すみま、せん。あの、それじゃあ」

「仕方ない、その靴で走ってもらおう」

 今履いている靴は、いわば通学用のローファーだ。当然、走るための設計はされていないし、トレーニングで使用したらあっという間に履けなくなってしまうだろう。

 だが、トレーナーさんだって暇ではないはずだ。チームメイトのウオッカ先輩は大きなレースを目前に控えているし、チームにとって大事な時期だということは分かる。だから、自分にばかり時間を使うわけにはいかない。

 それでもこうして走りを見てくれるというのだから、シューズを忘れただけのこと、と済ますこともできない。

 遠くのベンチには、チームメイト達が座ってこちらの様子を眺めている。先ほど全員に挨拶は済ませ、ひとまず名前に先輩をつけて呼ぶことにしたのだが……。偉大な先輩たちの前で、自分は何という失態を見せてしまったのだろう。

 

「あれ、ホップちゃん、あの靴で走るの?」

「ナメているとしか思えん。チームに入れたのは失敗だったかもしれんな」

 一方、ベンチからトレーナーとホップの様子を眺めていたマヤノは、靴の違和感に気が付いた。

 ジャージは着ているものの、靴はローファー。とてもトレーニングをするようには見えない。

 ブライアンはこの時点で既に新人への興味を失ってしまったらしく、その視線は同じくグラウンドでトレーニングに励む別チームのウマ娘に向けていた。

「シューズを忘れてきたんだろ。ふっ、面白ェーヤツ」

「ふ、魂の盟友に(なかよく)なれそうだな、ウオッカ」

「どういう意味ですか!!」

 どちらかといえばホップに同情的なウオッカと、これをからかって遊ぶギムレット。

 ただ、それでも。あの新人に対して好意的な感情は誰も持ち合わせていなかった。

 結局ホップはローファーのままスタートの構えを取り、トレーナーの合図と共に走り出した。

「あ、始まったよブライアンさん! ねぇ、ちゃんと見てあげようよ。マヤたちの仲間だよ?」

「くだらん。まともに靴も用意できないウマ娘の走りなど、見る価値も――」

 そう口にするものの、横目でチラリとホップの方へ視線を戻したブライアンは、そこで言葉を飲み込んだ。

 彼女ら、チームBTのメンバー全員が、そうだ。

 そしてストップウォッチを手にスタートの合図を出したトレーナーも。

 新人の走りを見た途端に、全身を撃ち抜かれたかのような衝撃を覚える。

「こ、これは!」

 どこからともなく漏れた言葉の続きを紡げる者はいなかった。

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