ウマ娘〜Hopping Bright〜   作:ちー助

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第3話「靴の行方」

「ど、どうッスか、自分の走り! やっていけそうッスか?」

 走った距離自体はグラウンドの半周程度、距離にすると一○○○メートルにも満たない。これは、シューズを忘れたことへの配慮という面もあったのだろうけれど、BTを率いるトレーナーにとって、ウマ娘の素質を見抜くには十分な距離であったのかもしれない。

 いずれにせよ、脚への負担は想像以上に大きかった。

 トレーニングのつもりで思い切り走った。それに、通学用のローファーでは特につま先への負担が大きい。なんというか、締め付けられる感じだ。途中、足の指が靴を突き破るのではないかと思うほどに。

 目標地点にまで到達したのでトレーナーのところへ戻る。入学試験は合格ラインギリギリだったし、靴のこともあったけれど、それを差し引いても我ながらなかなか良く走れていたと思う。

 ……思っていた。

「今のって、本当に走っていたのか?」

「え、そうッスけど」

 トレーナーの表情は険しかった。

 持てる力をしっかりと出して走ったつもりだったけれども、何を言われているのかよく分からない。まさか、走るにしても遅すぎるとか?

 大きな溜息が聞こえた。

「次までにシューズを用意しておくように。それから今日はウオッカのトレーニングをサポートしておけ。タオルと水の用意な。後は……」

 自分の、今日のトレーニングは終わり、ということ。

 この靴では、確かにまともなトレーニングにならない。次までに、ということはこの後解散してすぐ買いにいかなきゃならない。幸いトレセン学園の近くには店がたくさんあるから何とかなるだろう。

 それにウオッカ先輩がもう間もなく桜花賞を控えている。そっちに力を割くのは当然のことだ。

 一度言葉を切ったトレーナーが続けたのは、聞くまでもないことだったけれど。

「ウオッカと、併走するギムレットの走り方をよく見ておけ」

 わざわざそう口にしたのは、どういう意味だったのだろう。

 

 軽く汗を拭いて、ベンチに向かう。既にウオッカとタニノギムレットの姿はなく、トレーニングのためにグラウンドのコースへと向かったようだった。そういえば、この二人とはまだちゃんと顔を合わせていなかったな。

「おつかれさま! ホップちゃんの走り見てたよ。面白くなりそうだってブライアンさんが!」

「勝手に変えるな。面倒くさくなりそうだ、と言ったんだ」

 代わりに、勧誘活動をしていたマヤノトップガンとナリタブライアンが座っている。

どうしても年下の子供に見えるような背格好に言葉遣いだけれど、これでも偉大な先輩のマヤノ。一方のブライアンは口数少なく、どことなく威圧的に見える。

 二人が争った阪神大賞典を見た感動は、今も脳裏に焼き付いている。けれど、面白くなりそう、面倒くさくなりそう、というのはどういう意味だろう。

「言っておくぞ。レースはちょっとやそっとで勝ち残れるほど甘っちょろいモノじゃない。どうしてもこのチームに残るというなら少しは付き合ってやるが、泣き言は許さないから覚悟しておけよ、バッタ」

「ば、バッタ……?」

 確か、初めて会った時に名前は名乗ったはず。チイノホッパー、ホップと呼んでください、と。現にマヤノは「ホップちゃん」と呼んでくれた。

 まさかブライアンが極端に名前を覚えるのが苦手だとか、ホッパーを和訳してバッタと呼ぶ冗談なのかと考えたが、表情を見る限りそうではなさそう。

 となれば。

 憧れのナリタブライアンが、自分なんかに早速あだ名をつけてくれたに違いない!

「ねぇ、ブライアンさん。なんかホップちゃん嬉しそうだよ?」

「ふん、困ったやつだ」

 

 程なくして、ウオッカとギムレットの併走が始まった。まずは軽くグラウンドを一周して体を馴らし、少しだけ息を入れてからペースを上げてもう一周走る。坂路を走ったりすることもあるそうだけど、レース前にあまりキツイトレーニングをするべきではないとのことで、軽めの調整で済ませるらしい。本番前に消耗するのを避けるためだとか。

 本来、仕上げ前は気合を入れすぎると逆効果になる場合も多いため、単走でのトレーニングにすることもままあるとのことだが、ウオッカの場合、今回はちょっと気負うくらいが良いのだとか。

「同世代のライバルたちに勝ってきたからね。だから、油断して足元を掬われないようにするんだって」

 とマヤノは言っていた。

 理屈は分かる。そういえば、ウオッカのライバルたちって、誰のことだろう。

 自分も入学準備だったり、家でのごたごたがあって、正直レース観戦どころじゃなかったから、ウオッカと同世代のウマ娘について……いやウオッカについてすら、よく分かっていない。

 今度の桜花賞では、そのライバルっていうのが揃うのだろうか。

 少し遠くの方で、ウオッカとギムレットがスタートの体勢を取った。

「よく見ておけ、バッタ」

「はい、バッタ、見てるッス!」

「やっぱり、嬉しいんだね……」

 走り出した二人。

 トレーナーは、走り方を見ておけ、と言っていた。

 まずは、先を行くウオッカ。あのフォームは、かなり特徴が出ている。大きく前へ脚を伸ばし、着地したところを思い切り後方へ蹴り飛ばす形。かなりストライドの長い走り方だ。膝を曲げることがほとんどなく、長い直線でスピードを殺さずに走り続けることができる。

 一方のギムレットは、ウオッカと似ているようで大きく違う点がある。大きく踏み出し、大きく蹴り上げるところは共通するが、前へ出した脚を伸ばしきった瞬間に膝を曲げ、地面に脚を突き刺すようにしている。

 ウオッカがターフの上を弾む走りだとしたら、ギムレットは叩く走り。軽やかさと力強さの対比がそこにはあった。

 ウマ娘の走る姿は千差万別。似たようでまるで違う二人の走り以外にも、ここにいるブライアンやマヤノもまた、異なる走りをするのだろう。

 はて。そういえば……。自分はいったい、どんなフォームで走っているのだろう。正直、誰にもトレーニングに付き合ってもらったことがなかったから、よく分からない。

 軽めの一周が終わり、ここで休憩を挟む。

 すぐにタオルを持って駆け寄ると、二人は全く息を切らす様子もない。

 グラウンドの一周は、一八○○メートル程ある。ウォーミングアップとはいえ、ここまで鍛えてきたスタミナがそうさせるのか。拭うほどの汗をかいているようにも見えなかった。

「お、お疲れ様ッス。タオル、どうぞ!」

「サンキュー! って、さっき走ってた新入りじゃん。オマエ、やっぱ面白ェーな」

 タオルを受け取ったウオッカは首元を軽く拭いてニタニタと笑みを浮かべた。

 目の前で面白いと思われるようなことをしたつもりは全くない。だというのにこの反応はどういう意味だろう。

 その真意を計りかねていると、すぐに二人はトレーナーに呼ばれて行ってしまった。

 休憩というほどの時間ではない。ただ汗を拭くために一瞬立ち止まっただけだ。

 一度の走りにかけた熱量の違いがあるとはいえ、こうもすぐに次のメニューに移れるのは、やはり既にデビューを果たしてG1レースに出走するだけの実力をつけたが故なのだろうか。

 体力の違いはそのまま実力の違いに直結する、と思う。体力があればそれだけすぐ次のトレーニングに移ることが出来、走りを重ねることでどんどん肉体が鍛えられてゆく。一方で、体力がなければどうしてもトレーニングの回数が減ってくる。一日に坂路一本の差だったとしても、一ヶ月も経てば三十本の差だ。

 靴がトレーニング向きでなかったとはいえ、半周走っただけで息が上がっているようでは、この先大きく出遅れてしまうかもしれない。

 そう思うと、何故自分が合格ラインギリギリだったのかを思い知らされる。

 トレーニング参加一日目。G1級の先輩達の走りを前に、自分は早くも挫折を覚えそうだった。

 

「ただいまッス……」

「おかえりなさい。どうだったの、チームのトレーニングは」

 寮に戻ると、ルームメイトのシャルが先に帰ってきていた。

 既にシャワーを浴びた後らしくて、長い髪にバスタオルを被っている。彼女もまたどこかのチームに所属したと言っていた。少数精鋭のBTとは違って、大所帯で実力差もピンキリ、学園でもかなり大きな勢力を誇っていて近年のG1も荒らし回っているようなところだとか。

 シャルもまた、今日が初トレーニングだったはず。どんな様子だったのか聞いてみたいところだけれど、何だかそんな元気が出ない。

 荷物を放り出して、ドスンとベッドに腰掛ける。問い掛けに対して、どう答えるべきだろうか。

 自分一人で抱えていても仕方がないし、胸の内のモヤモヤをここで吐き出してしまおうか。でも、出会って数日のルームメイトに、いきなりこんな弱音を吐いていいのだろうか。

「あんまり、調子が良くなかったんでしょ。表情見れば分かるよ。それに、聞いちゃったよ」

 きっと自分は今、とても情けない顔をしているに違いない。

 意気込んでトレーニングに参加して、トレーナーには何もコメントしてもらえず、先輩の走りを見て勝手に自分と比較して落ち込んで。あぁ、自分が嫌になる。

 だからシャルはすぐに察したんだろう。

「トレーニング用のシューズを忘れていったんだってね。でも、私はちゃんと見てたよ。ホップが今朝、今日からチームに合流するんだってウキウキしながらシューズを持って登校したところ。変だなって思ったんだけど」

「あーっ!」

 話の途中で思い出した。

 そうだ、シューズだ。自分がこんなに弱気になったのも、元々はシューズを忘れていったからだ。シャルが言うように、やっぱり学園には持っていったけれど、なくしてしまった。

 それからすっかり落ち込んでしまって、忘れていたけれど。

「どどどどうしよう、そう、シューズッス! 帰りに買ってこなきゃと思ってたんスけど、うっかりしてて……今から買いに行って、店って開いてるんスかね?」

「待って、ちょっと落ち着いて。今から行っても、脚に合わせてシューズを選んで、蹄鉄を調節してなんて、もう間に合わないよ。それより、これ」

 落ち込んでトボトボと帰ってきている場合ではなかった。急いで靴屋に駆け込んで、閉店ギリギリまで時間がかかることを覚悟で店員さんに頼み込んで靴を作ってもらわなきゃいけなかったのに。

 それを忘れて帰ってくるなんて、自分はどこまでドジなんだろう。

 と、取り乱したところに、シャルはベッドの下からごそごそと何かを取り出した。

 見覚えのある袋だ。胸に抱えるくらいのサイズで、巾着のように紐で口を縛れるもの。グレーのそれは、まさしく。

「じ、自分の、シューズ袋! どこでそれを」

「教室の、ゴミ箱の中」

「へ? いやいやいや、まさか自分がシューズを捨てるなんて、そんなことありえないッスよ。それに、トレーニングへ行く前に散々探したッス。ゴミ箱もッスよ。でも見つからなかったし、何でシャルが持ってるんスか!」

 あの時。

 教室中を探し回った。机も、ロッカーも、ゴミ箱の中だって。それでも見つからなかったから、仕方なくローファーでトレーニングへ向かったのに。

 自分がトレーニングシューズなしでグラウンドにいたことを、シャルは知っていた。それからこの靴を見つけた、しかも教室のゴミ箱で、って、いったいどうなっているのだろうか。

「いや、私も知らないよ。ホップが教室にシューズを忘れたのかもと思って戻ってみたら、ゴミ箱にあったの。……ねぇ、もしかして、なんだけどさ」

 シャルの言うことが本当なら、昼間の内にシューズが盗まれ、自分がトレーニングに向かってからゴミ箱へ捨てられた、ということになる。

 わざわざ探してくれた彼女には礼を言わなくてはならないけれど、今はそれ以上に、事の次第がどうなっているのかを確認するのが先だと思えた。

 それに。彼女には何か、思い当たるようなこともあるらしい。

「昨日に話したみたいに、早速始まっているのかも。どんな手を使っても(・・・・・・・・・)勝ちたい誰かの妨害が」

 じゃあ、つまり。

 自分がトレーニングに参加できないよう、シューズを隠した?

 だとすると疑問が残る。何故自分が標的になったのか。まだ互いの実力も知らないというのに。

 もしや、誰でも良かったのだろうか。不幸にもランダムに蹴落とし合いのターゲットとして選ばれただけだとでもいうのだろうか。

「でもきっと、ホップが狙われたのは偶然じゃない。見て、これ」

 シャルが袋の口を開く。

 取り出されたシューズを見て、自分は愕然とした。

 ほぼ新品も同然だったシューズは泥だらけになり、ところどころ切り刻まれ、穴も開けられている。

 流石に頑強な作りの蹄鉄部分は汚されただけで、ひしゃげたりしている様子はないものの、この靴が使い物にならないようにここまでボロボロにするには、よほど明確な悪意がなければできることではない。

 ただ無作為に選んだ標的に、そこまでするだろうか。

「チームBTは、少数精鋭……それどころか、所属しているメンバー全員がG1級の実力を持っている。そうよね、ホップ」

「ま、まさか、犯人は!」

 ここまで根性の捻じ曲がったことをする相手だ。間違いない。

 相手を選んでいるんだ。それはつまり、所属して生き残れば学園に君臨する巨人となりうるチームに今期ただ一人所属したウマ娘、自分を潰そうと考える者がいても、不思議ではない。

「誰だか分からないけれど。狙われているのは、あなただからってわけじゃない」

「チームが……先輩達が!」

「いえ、流石にトゥインクルシリーズを引退した先輩を狙う理由はない。現役の先輩がいても、しばらく同じレースで戦うことはないわ」

 狙われる理由は、強く叩き上げられる可能性を秘めたチームBTに所属したから。

 そうとなれば、今後こうした嫌がらせが止むことはないだろう。

 つまり、自分が選ぶ道は既に限られている。

「チームを抜けて目立たないようにするか、それともこんな仕打ちを正面から受け止めてチームに残るか。あなたの選択肢はこれしかない。どうするの」

 決まっている。

 先輩の走りを見て、正直ついていけないと思った。大事な靴をこんなにもボロボロにされてかなりメンタルも削られた。

 だけど。こんな手段を取ってくる相手にだけは、負けたくない。

 だったら。

「その靴返してよ、シャル」

 ベッドから立ち上がり、傷だらけの靴を抱えて、顔を上げる。

 選択肢なんて、最初から一つだ。そのために父さんを振り切り、母さんの後押しを受けてここまで来たんだから。

「自分はこんなことに負けない。自分にビビってるヤツがいンなら、真正面からぶつかってG1取ってやるんだ!」

「そう」

 シャルは薄く笑って、自分の抱える靴に目を落とす。

 それから自分の棚の引き出しを開け、両の掌を広げたくらいの大きさの箱を取り出した。少し中身を確認すると、差し出してくる。

「これ、一晩貸してあげる」

「何スか?」

 受け取って、開けてみた。

 そこには、針や糸等、裁縫セットがキレイに整理されて収められている。

 今から新しい靴を買いに行く余裕はない。というより、デビューすら果たしていないので、普段の食事に困らない程度の持ち合わせはあるものの、出費は抑えておく必要がある。

 レースに出れば、あるいは結果を出せば、この問題も解決してゆくのだが。

 だったら。

「……ありがとう、シャル。自分、この靴で頑張るから! それで」

「それで?」

 靴と向き合い、修繕して使うことを決めたものの、一つだけ大きな問題があったのだ。

「どうやって使うんスか?」

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