ウマ娘〜Hopping Bright〜   作:ちー助

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第6話「九州から来たウマ娘」

 ウオッカの桜花賞が終わった。

 中団後方につけて脚を溜める戦略。ライバルのダイワスカーレットは三番手、アストンマーチャンは二番手で、いつでも前へ抜け出せる位置だった。

 第四コーナーを抜けたところで三人がスパート、直線を向いた時にはスカーレットが先頭、マーチャンとウオッカがそれを追う。抜け出したスカーレットは止まらず、ぐんぐんと差を広げ、そのままゴール。

 惜しくて遠い二着、一バ身半。先行策に打って出たダイワスカーレットの作戦勝ちといったところだった。マーチャンはスタミナが切れたかのようにずるずると下がって七着。

 悔しそうに顔を伏せる先輩に、かける言葉が見つからない。しかし彼女のケアはタニノギムレットが自ら名乗り出た。曰く、「教育係(ケイローン)の責務」らしい。

 そうして外泊許可を取った二人は、行き先も告げずに学園を離れてしまった。桜花賞から三日になるが、今頃どこで何をしているのだろう。

 

「はぁ……」

 一方、自分はちょっと違った悩みを抱えていた。

 不格好なフォームを改善しながら、タイムを縮めていく。これが自分の課題だ。

 相変わらずマヤノトップガンを背負って走る日々が続き、思うように走れずにいる。仕上がりの早い娘ならばそろそろデビューを見据えたトレーニングに移っているところだが、自分はまだ、走り方を覚えなくてはならない段階だ。

 このままで良いのだろうか、という不安はある。しかし、現在最大の悩みのタネというのはまた別にあった。

 学園の廊下には掲示板があり、様々なお知らせが貼り出されている。春の大感謝祭という名の運動会についてとか、チームメンバー募集の広告とか。

 この数日、毎日掲示板に張り出される写真があった。そして、見つける度にその写真を千切ることが、日課になりつつあったのだ。

「なぁに、またその写真?」

「あ、あぁ、これッスか? 毎日毎日、ホント嫌になるんスよね」

 引っ剥がした写真をその場で破いていると、声をかけてきたのはルームメイトのシャルヴブラフマン。学園内では他の子とつるんでいることが多い彼女が、部屋の外で自分へ寄ってくるのは少し珍しいことだった。

 誰が何の目的で写真を貼り出しているのかは全く分からないが、自分の関わるものを勝手に使うのはやめてもらいたいところだ。

「あれでしょ、靴の写真。おかげで変な噂が立ってるよ、チイノホッパーは学園をナメてる、って」

 シャルの言う靴とは、ギムレットが改造した靴のことだ。即ち、天使と悪魔の靴である。

 ビジュアルがとても恥ずかしいので新しい靴に買い替えたいのだが、せっかく修理してくれたギムレットに悪い気がして、トレーニング中はそのまま靴を使わせてもらっている。

 しかし左右でデザインの違う、羽つきの靴はかなり目立つようで、知らない内にあの靴を履いて走る姿が隠し撮りされていて、わざわざ名前とクラスまで書き込んで掲示板に貼られるという嫌がらせが始まったのだ。

 それも、マヤノを背負わず一人でアップをしている時に撮影されているらしくて、どこから撮られているのかも全く分からない。というより、自分がトレーニングをする時には他のウマ娘もトレーニングをする時間だったりするので、撮影可能な者はいくらでもいるわけだ。

 スマホを手にしているウマ娘も珍しくない。チームメイトの走りを撮影していたり、レースの情報を集めていたりするために利用するのはごく当たり前のことだ。

 だから、犯人探しをするのも難しい、というわけで。

「先生とか生徒会に相談したら? あなたのチーム、確かリーダーが副会長でしょ。そもそも、靴をボロボロにされた件もあるし」

「トレーニングで世話かけっぱなしなのに、こんな個人的なことは相談できないッスよ。それに、先生に相談するのはちょっと……」

 正直、それは嫌だった。少なくとも、自分にとって先生というのは、周囲のためにあなたが我慢しなさい、という存在だったからだ。

 ウマ娘だから体育に参加しちゃいけない、ウマ娘は力が強いから耳を引っ張られても我慢しなきゃいけない。だから、どんなに理不尽なことをされても、我慢しなきゃいけなかった。

 もちろんここはトレセン学園、ウマ娘の通う学校なのだから、こんな理由で遠慮するのは間違いなのかもしれない。それでも、先生……いや、人間を信用することはできなかった。

「じゃあトレーナーは? チームメンバーのケアだって、仕事の一つでしょ」

「はは、多分、無理ッスよ。自分なんかが、相談していい立場じゃないんス」

 様々な提案をしてくれるのはありがたいが、自分さえ我慢すればという気持ちになってしまうと、どうしても受け入れる気になれなかった。

 それに、ウオッカが戻ってきたら、そっちに力を割いてほしいから。

 まだデビューもしていないし、走り方に癖を持つ自分なんかより、G1優勝経験もあって桜花賞では二着。今後を考えたら、自分なんかに構う余裕はないはずだ。

 いや、違う。またウオッカが大きなレースで敗れることがあった時、自分が余計な相談をしたせいでトレーナーがウオッカに集中できなかったとか。お前のせいでウオッカが負けた、とか言われるのが怖いんだ。

 もちろん、こんな失礼なこと、口にはできないけれど。

「分かった、じゃあ私に任せて。犯人が誰だか知らないけれど、こんないたずら、やめさせることくらいはできると思うから」

「えっ、できるんスか?」

「こう見えて顔が広いのよ。私のルームメイトが困ってるから、写真を貼り出すのはもうやめてほしい、って色んな人に相談して回れば、すぐ収まるはず。数の力ってすごいのよ」

 要するに、この嫌がらせをやめないと、シャルがお友達をたくさん引き連れて潰しにかかるぞ、というのをオブラートに包んで広めよう、というつもりのようだ。

 しかも、自分から提案してくれたのだから、こんなにありがたい話はない。

「何だか、シャルには助けられてばっかりッスね。ほら、靴を見つけてくれたのも……今度、何かお礼を!」

「いいのいいの、ルームメイトでしょ。困った時はお互い様。じゃ、私、早速相談して周るからね」

 そう言って、シャルは廊下の先へ消えていった。

 もし彼女がルームメイトでなかったら、どうなっていただろう。嫌がらせがもっとエスカレートして、心が折れてしまっていたかもしれない。

 感謝してもしきれないな。

「あの。チイノホッパーさん、です、よね」

 そんな時、背後から声がした。

 振り返ると、そこには一人のウマ娘。背丈は自分より少し高いくらい。小麦色に焼けた肌、青毛と呼ばれる髪は首元でひと結びにされている。目つきは柔らかいようで鋭く感じる、底の見えない不思議な雰囲気があった。

 そして直感する。このウマ娘は、強い、と。

 とはいえ、彼女のことは知っている。なにせクラスメイトなのだから。会話したことはないけれど。

「えーっと……」

 名前、なんていったっけな。

「ニイロハヤト、です」

 言われて思い出した。確か、九州の方から来たって自己紹介していたような気がする。

 雰囲気というか、纏っているオーラは堂々としているのに、喋り方は辿々しい。自信のない態度というよりは、どうにも、かなり言葉を選びながら喋っているような感じだ。

「その、写真。いつも、掲示板に貼ってます、よね」

「あはは、結構迷惑してるんスよ。見つけるたびに剥がすんスけど、キリがなくて」

 やはり、このいたずら写真はかなり多くの生徒に見られているようだ。

 張り出される掲示板は自分らの教室があるこの廊下に限られているので、高等部はもちろん、別学年にも直接目に触れるようなことはないだろうけれど。それでも、こんな写真がある、ということ自体はそれなりに知られているのかもしれない。

「何か、誰かの、恨みを……買う? ようなこと、したん、ですか?」

 どうやら、彼女なりに心配してくれているらしい。

 シャルはルームメイトだからこそ声をかけてくれたようだけれど、他のウマ娘は君子危うきに近寄らずというか、見てみぬ振りだったり、遠巻きにこちらをちらちら覗いたり。だからちょっと意外だった。

 しかし誰かに危害を加えた覚えなんてないし、恨みを買うようなことなんて、なかったはず。こんな嫌がらせを受けるいわれはないのだ。

 そういえば。以前シャルと話した時に、一つだけ立てた仮説があった。

「自分がBTに……、あぁ、ナリタブライアン先輩やタニノギムレット先輩のいるチームなんスけど、そこに所属したからじゃないか、って思うんスよね。あそこは少数精鋭みたいなところで、今期あのチームに入れたのは、自分だけッスから。だからどうしてもBTに入りたかった誰かが、嫌がらせしてるんじゃないかな、と」

 それ以外に考えようがない。だって、最初の靴隠しはほとんど誰とも接点を作れない時から起こっているのだから。

 もちろん、その件と今回の写真が同じ犯人によるものって証拠はないけれど。

「それ、違うと、思います」

「えっ?」

 彼女は言った。

 BTが理由ではないというのは、何故だろう。本当にそれしか思い当たらないのに。

 しかし根拠を聞くとそれも少し納得できる。まとめるとこうだ。

 チームBTはメンバー募集をかなり積極的に行っていた。それこそ、ブライアンを筆頭に、通りかかる新入生を片っ端から捕まえて勧誘していたくらいだ。あまりに迫力のある誘い方故に、元から加入希望だったウマ娘まで逃げ出してしまうほどの熱心さだ。つまり、こんな嫌がらせをするほどに自分がBTに入ったことが許せない、それほどチームへの想いが強かったのならば、さっさと加入するなり後からチームに加えてもらうよう願い出たりするはずだ。

 そして、それほどBTへの加入を強く希望するならば、ブライアンの勧誘はむしろ喜んで受けただろうし、逃げ出すこともしないはず。

 つまり。チイノホッパーをBTから追い出すため、というのは理由にならないのではないか、ということだ。

「うーん、確かに」

 説得力はある。しかしこの通りだとすると、やはり問題となるのは「何故こんなことをするのか」ということだ。

「あたい、こんな、卑怯なこと、許せない、から。困ったら、相談、乗る、から」

「ありがとうッス。でも、自分と関わって大丈夫なんスか? 巻き込まれたりなんてことは……」

 申し出はとても嬉しい。とはいえ彼女まで標的にされないかという点は心配だ。

 折角こうやって親身になってくれる相手だからこそ、辛い思いはしてほしくない。気軽に相談するのも悪いような気がした。

「大丈夫。走りで、やり返す、から」

 その表情は自信に満ちていた。仮に嫌がらせを受けたとしても、レースで全てねじ伏せてやろうという、圧倒的な自信。

 何だかブライアン先輩みたいだなと感じた。

「ところで。写真の、靴、だけど」

「え、あぁ、これッスか」

 もう写真は破いてしまったが、靴が写った部分は割けていなかった。手の中でくしゃくしゃになったそれを広げて、見せる。

 左右で白と黒に分かれ、羽までつけられた、ちょっと恥ずかしくなるような靴だ。

 本当はあまり見せたくはないけれど、彼女なら、ハヤトになら、見せても悪いようにはしないと思える。

「……どこで、買った?」

「え、いや、これは買ったわけじゃないんスよ」

 かなり変わった靴だからこそ、その出処は確かに気になるなんてこともあるだろう。

 だがこの靴は、ギムレットが手を加えたものだ。学園指定の靴をベースに、あっという間の早業で。

 ということを、現在ギムレットの居所が分からないことも含めて説明すると、彼女はグイと顔を寄せてこう言った。

「帰ってきたら、教えて。あたいも、欲しい、この靴!!」

「え、えぇ……?」

 

 友達が増えた、と考えて良いのだろうか。

 ニイロハヤト、九州からやってきたウマ娘。

 彼女はどのチームに入ったんだろう。そしてどんな走りをするんだろう。

 そういえば。シャルの走りも知らないな。

 まだまだ自分のことで精一杯で、他のウマ娘のことにまで気を回している余裕がない。そもそも、まずはデビューしなきゃ話にならないし。

 放課後。そんなことを考えながらアップをしていると。

「おい、バッタ。今日はこれを使ったトレーニングだ」

 ブライアンが縄を持って声をかけてきた。これまではマヤノを背負い、ブライアンについていくのがメニューだっが、その際にも互いの距離を図るために縄を使っていた。

 しかし今回の縄は、かなり短い。左肩から右手の先くらいまでだろうか。これを使ってトレーニングということは、ブライアンとほぼ肩を触れさせたような状態で走ることになる。

「あの、まさかブライアン先輩とずっと同じペースで走れ、ってことッスか?」

「何を言っている。ひとまずじっとしていろ」

 どうやら、想像したトレーニングは的外れだったようだ。

 ブライアンはその場でしゃがむと、自分の両足をその縄で結んできた。なんだか、囚人の足枷みたいだ。

 こうやって縛られてしまうと、ただ歩くだけならともかく、走るとなるとかなり厳しい。飛び跳ねるようなフォームが癖になっている自分は、一歩を大きく踏み込むことで距離を稼いでいる。だがそれが封じられ、足を細かく動かす、いわゆるピッチ走法が要求されるわけだ。

「今日はその状態で走れ。ペースは任せるが、急ぎすぎて転ぶなよ」

「でも、これじゃ走れないッス」

 トレーナーも言っていたが、まず改善すべき点はフォームだ。だからブライアンの狙いも分かるのだが、急に足を縛って走るのは流石に怖い。

 一応抗議はしておこう、と思ったのだが。

 文句を言うな、と言わんばかりの眼光に刺されて喉の奥がキュッと閉まる感覚を覚えた。

 素直に従うしかない。

 この日は、マヤノの姿がない。自分のトレーニングをしているのか、それとも何か用事でもあるのか。

 トレーナーはというと、既にストップウォッチを手にコースの方で待機している。

 ペースを限定されたり、マヤノを背負ったり、歩幅を制限されたり。これはトレーニングの迷走なのか、よほど自分に合ったメニューを考えるのが難しいのか……。

 とにかくやってみなくては何事も始まらない。

 少しでも早くデビューして、一つでも多くのG1に挑戦して、いつかそのタイトルを手に入れるために。

 

 それから。

 ウオッカとギムレットが帰ってきたのは、世間でいうところのNHKマイルカップが開かれる直前のことだった。

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