ねこやのもう一人   作:マジックテープ財布

1 / 8
知っている方は毎度どうも。知らない方は始めまして。マジックテープ財布と申します。
正月らへんに異世界食堂を一気読みしまして、気がついたら書き上げていました。後悔は多分していません。


MENU:タンシチュー

 ここは某オフィス街の近くにある商店街。平日の昼時はまるで誘蛾灯に引き寄せられるかのように件のオフィス街からサラリーマンが押し寄せる。

 『推し』を求めに足早に、はたまたまだ味わっていない場所へ『冒険』に、目的は様々だが商店街を練り歩く歴戦の戦士と、それとも刻一刻と過ぎていく昼休憩の時間に慌てながらも自身の腹に今日の気分を必死に問いかけるビギナー。

 昼休憩から10分ほど経過した商店街はそんな人でごった返していた。

 

 そんな商店街の入り口近くという店構え的に最上級の場所に立っている1軒のビル。そんなビルの地下では今、砲弾飛び交う戦場となっていた。

 

「7番卓、ロース2!」

 

「2番卓、日替わり3! オムライス1! 日替わり1つはご飯大盛り!」

 

「あいよ、1番のロースとオムライスあがったよ!」

 

「皿が足りねぇ! 誰か洗っといてくれ!」

 

 客が入るごとに『注文』と言う名の砲弾が調理場に着弾し、数人しか居ないキッチンスタッフはそれらの対応に追われる。ホールスタッフもまた注文を調理場に通し、受け取った料理を配膳。食べ終わった食器やテーブルの片づけからレジ打ちまでを数人で行っているので、ほぼ全てのスタッフは足にローラースケートを着けた自分を思い浮かべつつも必死で店を回している。

 

「孝樹、10番の片付け頼む」

 

「ほい」

 

「タカ君、それ終わったら皿洗い頼む。誰も居ないんだわ」

 

「うい」

 

「タカ坊、3階からにんじんとジャガイモとミニトマト取って来てくれ」

 

「……ほーい」

 

 そんな調理場でコック帽を被った中年の男が孝樹という青年に声を掛ける。最初こそ頼み事にすぐさま応答していた孝樹だったが、中年の男の後に次々と別のキッチンスタッフから頼み事をされるので徐々に返事をする元気が削られていく。

 

(誰かやれよ! …………いや、誰も居ないからなぁ)

 

 内心ではほかに頼めそうな人に頼んでくれとは思いながらも、今もなお外から客が押し寄せて来ている。そんな中で悠長に考えている時間は無く、早々に事態の改善を諦めた孝樹はひとまずテーブルや空いた食器の片付けのために動き出した。

 

 その後、皿洗いや在庫整理、トイレ掃除や各種野菜のみじん切りといった雑務を終わらせた孝樹。気付けばディナータイムも閉店作業も終わっていた。

 

「おーつかれさまでーす」

 

「また来週よろしくなー」

 

「はーい」

 

 解放感のためかやけに間延びした返事をしながら最後のホールスタッフが退勤し、店に残ったのは孝樹とテーブルの片づけを頼んでいた中年の男──この店のマスターだけとなった。店先に出していたメニューボードを片付け、真鍮製のドアノブに営業時間外を告げる看板を掛けた2人は店の中に入ると、既に閉店作業を終えた調理場に備え付けられた冷蔵庫の中身を漁り始める。

 

「さぁって、仕込みをやっちまおう」

 

「え"ー、たまには休み欲しいよー」

 

「何言ってんだ。バアちゃんからコキ使ってくれって頼まれてんだ。それに、お前が居ないと約1名が困る」

 

「あー、うん。…………困るっていうか。ねっ」

 

 なにやら言葉にしにくいように口篭った孝樹は諦めて明日の仕込みに入る。

 本日は金曜日。明日は平日のような活気は無く、店を開けても大赤字になることは確定なので営業をしていないのだが、それは『こちらの世界』での話だ。

 

 異世界食堂。7日に1度開かれる扉から異世界の住人が料理を食べに来る不思議な店。

 これは平日は『洋食のねこや』という1件の洋食屋。ドヨウの日は通称『異世界食堂』というあちらの世界唯一無二の食堂で働く1人の青年料理人の物語である。

 

***

 

 洋食のねこやでは大抵の料理は1000円よりも下だ。それは先代──俺の曾ジイちゃんから続く伝統であるらしく、よほどのことがない限りは変えることは無いだろうと叔父さんでありこの店を切り盛りしているマスターは笑って俺に言う。

 それでも材料的に1000円というメニューはいくつか存在している。ほとんどが大勢で食べる前提のパーティメニューなのだが今、マスターが別々に仕込んでいるのは『単品で』1000円となるメニューで、俺が仕込んでいるのは『ねこやでは出さないが、異世界食堂で1000円で出しているメニュー』だ。

 

 土曜日という会社の人員のほとんどが休みになっている日の朝。俺は昨日の仕込んだ様々な食材が詰め込まれている冷蔵庫から肉というにはあまりにもグロテスクな塊を取り出した。

 牛の舌。タンと呼ばれているその部位をよく水で洗って血合いや手で簡単に取れる脂肪などを取り除き、その後は臭みや独特のクセを多少抜くために水の中に漬けておく。

 専門学校に在籍中、この店で働き出した頃は『臭みとかそんな変わるものかね』と気乗りしなかった作業だが、あの頃の俺に言いたい。『やってみな。変わるぞ?』と。

 俺は尖った時のことを思い返しつつ、今は随分丸くなったものだと軽く笑う。すると、その笑い声に気付いたのかマスターが不思議そうに声を掛けてきた。

 

「どした?」

 

「思い出し笑い。ブイヨンと出汁、今日はどれだけ?」

 

「ブイヨンを鍋3つ……いや、5つは欲しい。出汁は肉の日じゃないしな……俺がやっておく。俺は肉の下処理をしとく」

 

 なんとか誤魔化しながら俺は寸胴鍋に水を張るとにんじんやたまねぎ、セロリといった野菜類を細かく刻み始める。細かく刻みすぎると煮た時に崩れるが、ブイヨン用なのでむしろ崩れて漉しやすくなってくれた方が都合か良い。

 刻むという単純作業をしているからか、ついつい思考に没頭してしまう。洋食のねこやに入ってから3年、『異世界食堂』に顔を出してから2年。

 未だ越えるべき山の頂すら見えてこない自分が、はたしてこの店の戦力になれているのだろうか。そんな考えが横で火に掛けている寸胴鍋の中のようにふつふつと沸いてくる。

 

「悩み事か?」

 

「いやー、俺ってこの店の戦力になってるのかってね」

 

 ほら、また一段と越えるべき山が高くなった。こういった気の配り方一つをとっても叔父さんは上手い。『なってるなってる。むしろお前が居なくなったと考えると寒気がする』と嬉しい言葉を言ってくれているものの、この異世界食堂を1人で切り盛りしていた時代があったことを知らない俺ではない。

 決して言葉通りに受け取ってはならないと誓いながら、俺は切り終わった野菜を寸胴鍋に入れてしばらく炒めていく。これらの野菜などから出たブイヨンがカレーやシチューなどといった汁物の基本となるので、決して焦がさずじっくりと炒めて野菜本来の甘味を溶かし込む準備をしてやる。

 しかし、こんなに時間を掛けても食べられるのが一瞬なのは世の無常さを感じるね。うちはスープも味噌汁も食べ放題だから余計にそれを感じるよ。

 

「作る方に回ってみると、ほんと固形コンソメとか作った人って天才だよなぁ」

 

「そうだな、コンソメスープとか妥協しないとどこまでも凝ることが出来るが、一定の味にしたい場合や隠し味に固形や顆粒は使い勝手が良い」

 

「トマスさんに固形コンソメや出汁パック見せたらどうするだろ」

 

「お前、絶対やるんじゃないぞ! ただでさえビニール渡すのもどうかと思ってるんだから」

 

 たまに異世界の食材を売ってもらっているミートソースが大好きな商人のことを思い浮かべる。あの人の手に市販の固形コンソメや出汁パックが渡れば、おそらく異世界の汁物革命が起こるだろう。ならないほうがおかしい。

 マスターがなにやら慌てて止めようとするが、俺は別にやろうとはしていない。単純に興味を持っただけ。だから服を持ってガクガクするのはやめてください、調理中です。

 

「お前ってやつは……。ほら、タンの下処理は終わったぞ」

 

 十分に炒めた大量の野菜を煮立った寸胴鍋の中に入れているとマスターが肉の準備を終えたことを知らせてくる。

 見た目が気持ち悪い血管や噛み切りにくい筋が綺麗に取られた肉の塊。いつ見ても見事な下処理具合だ。家でも練習しているのだが、残念なことに今の俺にはこのような下処理を短時間で行う技術も無いし、修練に使う食材を買う金もあんまり無い。

 某会員制の倉庫型店舗さんとシェアで車を出してくれるマイフレンド、いつもお世話になっております。

 

「ブイヨンと出汁は終わったら放置しとくから」

 

「分かった」

 

 気を取りなおし、俺は炒めた野菜を煮込む間にタンに塩コショウと小麦粉をして焼いていく。本来は赤ワインや香味野菜に漬け込んで寝かせるのも美味いのだが、それを店でやったらもはや一介の洋食屋で気軽に出せるそれではない。

 それでも、ビーフシチューに金貨3枚をポンと出すあの人なら平気で作ってくれと言いそうなところが怖いが、平日のキッチンスタッフにマリネ液を見られる可能性も考えると面倒がない方がよっぽど良い。

 後で煮込むので表面だけ強火で一気に焼き固め、全方位全て焼いたら即座に寸胴鍋の中に投入。ここからは弱火でじっくりと野菜とタンに火を通していく。

 もちろんその過程ですごい灰汁が出るので、暇を見てそれらを取り除いていく。『灰汁は旨味』という考えもあるが、店の特徴である食べ放題のスープに使うブイヨンだけ取り除くのは非常に手間がかかるために全ての鍋から出てる灰汁は徹底的に取り除く。

 

 人間、美味い物の前では栄養といった小難しいことはあまり考えないもんだ。そうだろう? 

 

「よい……しょっっとぉ」

 

 そうこうしている間に野菜が柔らかく煮え、5つもある寸胴鍋からなんとも豊かな匂いが漂ってくる。そのタイミングで鍋をコンロから下ろし、ザルでブイヨンを漉す。

 たまに腰がグキッとなることもあるが、このなんとも綺麗なスープに心が洗われる。既に作るものは決まっているが、良い料理には良い下地があってこそだと俺は思うね。

 悦に浸りながら何気なく時計を見ると、もうそろそろ開店時間だ。叔父さんの方はまだまだ仕込み作業をしているから俺がやるしかない。

 ダスタークロスと薄めたアルコールを入れたスプレーを手に取ってから叔父さんに声をかける。

 

「叔父さん、テーブルの準備しとくよ。ブイヨンは俺の分は避けてるから」

 

「分かった。そっちにもデミグラス入れとくぞ」

 

「お願い」

 

 叔父さん愛用の中華鍋が翻るのを見ながら、俺は逆さまにしていた椅子を床に下ろしてからテーブルを拭いていき、ソファの席もアルコールで除菌してから乾いた布で水気を拭う。

 最近は色んな場所に扉が現れているらしく、俺が初めて異世界食堂の手伝いをした頃と比べると客層も数も豊かになってきた。

 そろそろ給仕を雇うべきだとはマスターとも話しているが、はたしてこっちの世界にファンタジー色が強い客層に対応できる人材が──居るなぁ。ネットの海の向こうに。

 ただ、勤務中にこっそりケータイで隠し撮りしてブログとかに載せるのは御免被りたい。……、もうこのままで良いか。

 

 そうしていると扉に備え付けられたドアベルが『チリンチリン』と平日とは異なる音を奏でる。未だ下ごしらえが済んでいないものもあるが、人が居ない異世界食堂では日常茶飯事だ。

 厨房に入ってからやろうとしている別の料理の下ごしらえを思い返しつつ、本日1人目のお客様に対して俺はにこやかに笑いながら恭しく礼をした。

 

「いらっしゃいませ。ようこそ、洋食のねこやへ」

 

***

 

 今日も疲れた。異世界食堂の営業が終わりに近づいてくるとこの一言が俺の喉に押し寄せてくる。

 だが、まだ残っている人やこれから来る人……ではないが、お客も居るのでその言葉はもう少し後に取っておく。

 

「おぅい、ヨミや。持ち帰りのロースカツサンドを頼む」

 

「お客様、俺はヨミではありません」

 

「おぉ、そうじゃった。目が似ておっての」

 

「はいはい」

 

 いつもと違う時間に来店して飲み食いをしていた『ロースカツ(アルトリウス)』の爺さんの持ち帰り注文を受ける。また爺さんが変なことを言っているが、相変わらずの調子に俺は軽くあしらってから厨房に注文を通しに行く。

 

 なんでもあの爺さんは昔、魔王や邪神を倒した英雄とのことらしい。当時は話半分で聞いていたが、魔王とか魔物とかなんとも暮らしにくそうな世界だというのが俺の本音だ。そんなファンタジー全開の冒険譚の中に、先ほどから爺さんが言っていた『ヨミ』が居るのだそうで……。

 姿は黒髪で俺と同じような目をしていた魔法や剣に精通していた人間らしく、ことあるごとに俺のことをヨミ扱いするから困ったもんだ。

 こちとら魔法なんざ中学2年生辺りで終わってるし、剣なんぞ中学校の部活で全国大会一歩手前に行ったぐらいの腕前だ。

 そのこともあってかあの頃は調子に乗っていたこともあったけど、曾バアちゃんが『鍛えなおしてやる』って竹刀持ち出してきて身体がブレたと思った瞬間に背後に回られて、そのまま後ろから面と頭の隙間に竹刀を突きこまれた時には俺の中の自信は木っ端微塵に砕けたよ。

 今だから言うけど、あの曾バアちゃんこそ化け物じゃね? 

 

 まぁ、そんなわけでロースカツ(アルトリウス)の爺さんには悪いが俺はヨミじゃない。そもそもこんな20歳を捕まえて数十年前の仲間と思う方が無理があるだろう。

 

「マスター、アルトリウスさんにロースカツサンド。あと、タンシチューの準備に入るから」

 

「あいよ」

 

 マスターが調理する傍ら、俺はタンシチューの付け合わせも作るためにコンロに片手鍋をセットする。

 俺のタンシチューは『最後の仕上げ』も含めて色が半端なく濃い。なので、付け合せには真っ白いマッシュルームをチョイスしている。

 研究と称して色んな店に食べに行ったが、色がはっきりとした付け合せの方が見た目が美しい。そして、付け合せは3種類より多くなるとシチュー本来の味がぼやけてしまうというのが俺の中の研究成果だ。

 もちろんこれは持論なので様々な論があるが、皆違って皆良いというのが当たり障りなくて良いだろう。

 

 まずはマッシュルームにペティナイフを当てながら回転させることで飾り切りを施していく。これで火の通りが均一になるという話を聞くが、俺はただの格好付けでつけている。

 男には時に格好つけたい瞬間があるんだ。決まってそう言うと妹に鼻で笑われるが、俺は料理に華やかさは大事だと思う。

 ただ飾りが多いのではなく、シンプルでも作った人間の情熱と誇りが飾りの一品。それが俺の目標だ。

 

 その点、マスターの料理は全てが『それ』だ。後十数年でそれに追いつけるのだろうか。

 ため息をつきつつも身体は作業を忘れない。片手鍋に少量の小麦粉とバターと共にマッシュルームを入れ、焦げ付かないようたまに鍋を回す。

 その片手間に別の片手鍋で赤ワインを煮込んでいると、マスターから声がかかった。

 

「孝樹、タンシチュー出来たか?」

 

「もうちょい」

 

「よし、ビーフシチューを先にお出しするからお前はタンシチューの仕上げをして後でお出してくれ」

 

 そう言ってマスターはソースで汚れた皿と泡が残ったジョッキを湯が入った流しに漬け、ビーフシチューを片手鍋にとって温め始める。流れるような手つきでビーフシチューを仕上げていき、完成したそれを持ってマスターは厨房を出て行く。

 

 さぁ、こちらも最後の仕上げと行くとするか。

 まずはタンの切り分けからだ。あの人……もうビーフシチューさんと呼ぶことにするが、彼女は厚切りが大好物だ。かといってタンを全て載せるほど俺は面倒くさがりではない。

 薄すぎず、厚すぎずの限界を見極めて慎重にタンをカットしていく。

 

 そして、次はカラメルだ。フライパンに砂糖と少量の水を入れ、よく煮詰めることでカラメルを作る。

 ここで注意したいのはカラメルの色だ。淡い色では甘味がクドくなってシチューの味が一気に落ちるし、逆に濃すぎても苦味が先行してシチューが台無しになる。

 苦味の中に甘味が多少残るぐらいの頃合で最初に入れた量の5分の1まで煮詰めた赤ワインを注ぎ込み、カラメルと合わせながら寸胴鍋の中に入れる。これによってシチューに深みが増すのだ。

 ただ、このタンシチューはねこやのデミグラスソースを使うという共通点はあるが、それ以外はビーフシチューのレシピと異なっている。ゆえにねこやでは出していない、言わば異世界食堂の裏メニューだ。

 なぜ俺がこんなものを作るようになったのかは──おっと、お呼び出しだ。

 

「孝樹、タンシチューはまだか」

 

「タカキよ、はよう持ってまいれ」

 

「少々お待ちをー」

 

 ヤバい、ちょっと手間取りすぎた。ただ、十分にカラメルと赤ワインがシチューに馴染んだ後はビーフシチューと同じ行程だし、問題ない。

 コンロの上にあるマッシュルームが入った片手鍋を温めなおし、厚切りにしたタンを1枚。片手鍋に取り分けたビーフシチューに入れて弱火にかける。

 そして、スプーンでシチューをタンに回しかけながら十分温まったところで、いよいよ盛り付けだ。真っ白い皿の中央にタンを鎮座させ、その上からシチューを品良く回しかける。

 そこにマッシュルームを見た目が美しくなるように添え、最後に皿の端に付いたシチューや跳ねた油などを拭ってあげれば──完成だ。

 

「お待たせしました。タンシチューです」

 

「おぉ……」

 

***

 

「おぉ……」

 

 先ほどビーフシチューを胃袋に納めたばかりなのに、目の前の皿から放たれる香りに彼女の口内から唾液が溢れてくる。

 ビーフシチューもまた素晴らしいものではあるが、このタンシチューもそれに劣らぬ美味であることをビーフシチュ──-異世界では『赤の女王』と称される竜は知っている。

 

(まずは──タンだ)

 

 竜らしく一口で食したいところをぐっと我慢し、用意されたナイフとフォークを持ってタンと呼ばれる肉に挑む。恐らく長時間煮込まれたであろう厚切りのタンはナイフを少し押し当てただけでほぐれ、瞬く間に一口に収まる大きさになる。

 その柔らかさに彼女の期待は最高潮に達し、心臓はまるで想い人に出会った乙女にように高鳴る。そのままフォークでタンを刺して──口に運ぶ。

 

「美味い……」

 

 吐息と共に思ったことが口から出てしまう。しかし、些末事のように彼女は夢中でタンを切りながら口に運び、何度も咀嚼する。

 ホロホロと崩れる肉は一見すると味気無いように見えるが、噛めば噛むほど肉本来の美味さとスープの美味さが交じり合って得も知れぬ口福をもたらす。近隣の村が丹精を込めて育てて生贄として捧げた牛を自身で丸焼きにしていた今までの自分はなんだったのか、あれは果たして料理といえるのかと彼女はふと疑問に思う。

 

(次はスープだ)

 

 タンを堪能した彼女はスプーンを手に取ると、今度はソースを掬い取る。口に近づける毎にビーフシチューにあった肉と野菜、そして複雑な香りが入り混じった香りが鼻を直撃する。

 このまま手を止めてずっと嗅いでいたい衝動が彼女を襲うが、食欲に勝てるはずもなく彼女の口にスプーンが入っていく。

 

「あぁ……」

 

 もはや言葉にならない。ビーフシチューでも味わった肉と野菜の旨味が凝縮されたスープに、なにを加えたのかほのかな苦味と甘さが足された味。その何かはビーフシチューにあった奥深いスープの味を何段も引き上げ、再び味わいたいという欲求を強く刺激してくる。

 彼女の世界では見たことがない白いキノコの放つ淡い乳の香りを堪能しながら食器が皿と口を往復させること数分。すっかりタンシチューが注がれた皿は空になっていた。

 

 だが、宴はまだ終わらない。彼女の座っているテーブルに、ライスにタンシチューのスープを掛けた皿が孝樹の手によってサーブされる。

 

「ビーフシチューさん、シメ食べますよね?」

 

「無論じゃ。時に店主よ、タカキは金貨何枚で譲る?」

 

 まさに撃てば響く。といった具合のタイミングに彼女はマスターへと目を向ける。その目が結構『マジ』だったので、マスターは少々ドモりながらも彼女の質問に解答する。

 

「えーっと……あの。なにぶん非売品なんで、それに孝樹が扉を出るとこっちの外に出ちゃいますよ」

 

「ふむ、ならば仕方がない。牛の解体を学ばせれば妾の愛するビーフシチューやタンシチューが毎日食べられるというのに」

 

 残念そうに目を伏せつつも、すぐさま彼女は机に置かれた皿に目を向けて匙をさしこむ。物足りないと呟いた彼女にタカキと言うマスターの親戚が『戦争の火種になる』と恐々語りながら出して以来、毎回食べ続けていたそれを彼女は一息に口の中に放り込んだ。

 

(何度も味わったが、たしかにこれは戦になろう。美味すぎる)

 

 どうやら彼女は宗教観の戦ではなく、美味すぎるから取り合いになるという勘違いをしているようだ。されど、彼女にとってこちらの世界の事情など知ったことでは無い。

 乳の香りが多少する温かなライスにタンシチューの濃厚な味が交じり合う。もう少し乳の香りがきつければクドかったかもしれないが、ライスや乳の甘味とタンシチューの重厚な味がなんと合うことか。

 もはや言葉は出ず、口から漏れる吐息と食器のこすれあう音のみが店内に響き渡る。その満足げな音を聞いた2人は黙って『お持ち帰り』の準備を始めた。

 

(最初はただの真似事だったが……。店を訪れるたびにビーフシチューとは別の美味になりつつあるな)

 

 食事が終わった後の少しの余韻。その間に赤の女王は厨房であくせく動き回る孝樹を見やる。

 ビーフシチューとタンシチュー。同じ『でみぐらすそーす』なるものが使われていると聞いたことがあるが、それ以外の味やライスを付け加えるという発想はねこやのマスターと孝樹は異なる考えになりつつあると彼女は感じていた。

 

(あの童がな)

 

 ビーフシチューとタンシチューの香りに鼻を引く付かせながら、赤の女王は数年前を思い返す。

 異世界食堂に顔を見せ始めた孝樹を見かけた際、彼女は彼のことを『覇気が感じられぬ抜け殻』と評した。その評価は当たっており、彼が洋食のねこやで働き出した経緯は彼の料理に何の情熱も感じられないことにある。

 専門学校で学んだレシピ通りの料理。そのレシピに固執し、ただの機械のように情熱も欠片もない料理を作った挙句『ゆくゆくは店を出したい』と言われれば、全力で止めるのは当たり前だろう。

 そこで彼の曾祖母である山方暦は彼──山方孝樹を洋食のねこやに預けることにした。

 

 幸いにも孝樹が通っていた専門学校も近く、またねこやにも『一つの懸念』を持っていた暦はマスターと直接面談することで彼をビルの3階の一部に下宿させ、ねこやでバイトとして雇ってもらえるように手配した。

 そんな孝樹は家を出て行く際に暦から言われた言いつけを守る傍らで様々な経験を得ていくが、依然として料理人としての自覚や情熱は欠如していた。

 

 そんなある日。異世界食堂の仕込みをしていたマスターの存在がバレ、孝樹は成り行きで異世界食堂の従業員として雇われることとなった。最初こそ『賃金増えるなら良いよ』と二つ返事で了承した彼だったが、その日の内に赤の女王の登場によって異世界食堂で働く意味を上方修正することとなる。

 

『お前の料理に火が感じられない』

 

『新しい従業員』と紹介された赤の女王は、ためしにビーフシチューをもう1皿。今度は孝樹に作らせた。ただ、その皿を完食した後に赤の女王が彼に先ほどの言葉を言い放つ。

 今まで当たり障りのない褒め方や助言には程遠いアドバイスもどきしか得られなかった彼が、初めて誰かから──しかもお客と言う立場の人物から苦言を呈される。料理人たるもの、客にそんなことを言われて黙っていられない。

 彼女からのその一言により、孝樹の目に炎が灯ったのだ。

 

『必ずお客様の舌に合う料理を御覧に入れます』

 

 その後、彼の行動は変わる。平日のシフトがない日や日曜日といった時間を使って他店へ料理を食べに行ったかと思えば、近所の商店街や大きい食材などが売られている倉庫型店舗で巨大な肉や切り分けていない魚を買ってきて捌き方の練習と修練に勤しむ姿が度々厨房で見られた。

 

 それが半年。一年と過ぎて行き、1年半というところで孝樹はようやく満足がいくタンシチューを赤の女王の前に出すことが出来た。

 あの時はねこやのビーフシチューの肉をタンに変えたような物だったが、確かに客を満足させようとする気概を見た彼女は彼を『守護するべきねこやの財宝』として認めた。──少々、強すぎる加護がついでに与えられたがそれはそれである。ただちに影響は無い。

 

***

 

「ではな。……それとタカキ、"しっかり"しておけよ」

 

 寸胴鍋を抱えたビーフシチューさんは店の端を一瞥すると帰っていく。廃棄予定の残り物で悪いけど従者の人へのお土産も渡したし、これでビーフシチューさんの1週間は安泰だろう。

 後は俺達の飯……の前に。

 

「なんだ、孝樹。お前またバアちゃんが言ってたことやってるのか」

 

「約束だからね。それにビーフシチューさんも言ってたし」

 

 そう言って俺は店の四隅に置いている塩を盛った小さな小皿を新しい物へと変える。

 曾バアちゃん曰く、このねこやの前の持ち主は戦争で亡くなったそうだ。それで回りまわって曾ジイちゃん──先代が買い取ったのだが、曾バアちゃん的になにかよくない気配を感じたのかこうやって盛り塩をしてるんだそうだ。

 

「まーた黒くなってる。1週間前に変えたばかりなのに」

 

「水とか使ってるからな。劣化が早いんじゃないか? 平日はサラリーマンがよく来るし」

 

 光の司祭とか言ってたねーちゃん曰く、あっちの霊は怨念の力で強化される場合があり、力ある司祭も『破ぁっ』だけで除霊できないことが稀にあるらしい。今日は随分陰気そうな場所から入ってくる人も居たし、恐らくなにか良くない物でも入ってきたのだろうか。

 曾バアちゃんに言われた盛り塩の手順に従いつつ、『もし嫌な予感がしたら使いなさい』と手渡された変な文字が書かれた札をこの前友達が京都土産にと置いていった火迺要慎(ひのようじん)のお札の横に貼る。

 

「孝樹ー、洗い物しといてくれー」

 

「はーい」

 

 そう言って俺は食器洗浄機に大量の皿を突っ込んでいき、それでも残った皿や洗浄機では洗えないような器を丁寧に洗っていく。

 明日は日曜日。どこへ研究しに行こうか。──これだから料理は止められない。




いかがだったでしょうか。
タンシチューはタンの値段に目を瞑ってしまえばいくらでも美味しくなる料理だと思っています。
バターライスにかけても良し。ロールパンやバゲットと合わせるも良し。ちょろっと余ったら耐熱皿にご飯を敷き、その上に掛けてチーズを載せてオーブンでブンッも良し。
皆様も素敵な食事を召し上がれますように。

山方 孝樹(やまがた たかき)
20歳。姿は漫画版の若い頃のマスターと似たような感じで、目元だけは暦と似ている。(アルトリウス談)
中学校の時は剣道部に所属していたが、自分よりも強い存在(某コ○ミ)の指南もあってか反抗期は短めで幕を閉じた。

その後、先代や当代のマスターのプライベートでの料理姿を見ている内に料理に興味は出るが、元々要領が良かったゆえに大した挫折もなく『芯』がない状態で育ってしまう。
そのため、既に他界した先代の代わりに暦が道を示し、そのまま流れる形で異世界食堂の従業員となった。
マスターのことは営業時間外は『叔父さん』、営業時間中は『マスター』と呼んでいる。

業務は調理補助に接客。皿洗いにテーブル拭きと多岐に渡りすぎてもはや『雑用』と変わりなく、そこに山方暦から『ちょっとした魔除け』の仕事もプラスされている。
ちなみに暦の魔王を倒すほどに高められた闇の加護は孝樹に欠片ほど受け継がれており、そこいらも見越して盛り塩での結界染みたことをやらせていたりする。
なお、終わりに孝樹が感じた感覚は正解で、営業終了間近に店に入った客と共にゴーストも来店。マスターや孝樹には見えなかったが無事に除霊が為された。

マスター的には『よく分からんが魔除け代』ということで給金にちょっと色がつけられているのだが、明細をじっくり見たことない孝樹はそこらへんの事情を知らない。20歳なんて給料がどのぐらい入ったかぐらいしか興味ないものである。

妹には原作に登場した早希(さき)が居るが、まだ彼女が大学生になる前なので登場しない。──というか、ゆくゆくは趣味のために3人も雇う形になるのではないだろうか。大丈夫か、この店。

※別作品があるので、短編です。更新予定は……多分ないです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。