※短いです
洋食のねこや──異世界食堂には『店の中で常連同士が呼び合う際には本名ではなく、その相手が特に大好物としている料理の名をあだ名として呼ぶ』という独自ルールが存在する。それが伝説のトレジャーハンターだろうが、刀1つで東大陸にて武名を轟かせるにまで至った伝説の傭兵だろうが、あちらの世界で最高の魔術の使い手である大賢者だろうが、等しく『メンチカツ』や『テリヤキ』、『ロースカツ』なのだ。
そんなルールを敷いている店内にて『カツ丼』と呼ばれる存在が居た。
名前はライオネル。獅子の頭と人型の屈強な肉体を持った魔族で、とある闘技場で奴隷剣闘士として戦って1年で自由を勝ち取ったあちらの世界では獅子王という大層な異名を持つ戦士である。
そんな彼は現在、楽しみにしている
「そういえば、今日の奴はいつもと違っていたな」
ふと記憶に残った先ほどの試合。魔物は魔物なのだが、誰かが調教したのかライオネルの動きの癖に対するカウンタ──-つまるところ、彼の動きを分析して有効打を与えれるように調整した魔物が相手であった。
最初こそ珍しく防戦を展開していたライオネルであったが、小国の騎士団をたやすく打ち滅ぼせるマンティコアというヘビーすぎる初戦からこれまで多くの難敵を葬ってきた彼がその程度の浅知恵で下せるほど弱くはなかった。
いつもならば力強い一撃を多用するところを手数による圧殺に切り替えたことで難なく勝利した彼はそこまで手こずらせた相手のことを思い返して──いなかった。
「そういえば、いつものカツ丼と違うカツ丼みたいなことをタカキが言っていたな」
既に相手のことなど記憶の彼方へ消し去ったライオネルの脳裏には、数回前の来店の際にマスターと孝樹がなにやらカツ丼のことで話し込んでいた記憶が過ぎる。
たしか、あの時孝樹は『そぉすカツ丼』のそぉすを作ったと言っていただろうか。ソースならばいつもロースカツを食べているあの老人や揚げ物を食べている面々が使っているだろうとなにも言わずに目の前のカツ丼を胃袋に押し込んでいたが、いざ気になると辛抱たまらなかった。
後ろにカツ丼とついていることからそぉすカツ丼は仲間なのだろう。既にライオネルの思考はあの卵でとじられたカツ丼から謎の存在であるそぉすカツ丼に意識が向いていた。
「試してみるか」
『カレーライス』を大好物にしている老人がたまに言っていることに倣い、たまにはいつもと違うものを味わってみるのも悪くない。なによりあのねこやのカツ丼なので、味については自身が良く知っている。
そう結論付けたライオネルはドアノブを回して中へと入る。いくら改装しようが闘技場の地下ということで少々陰気だった場所から一転、温かな光が降り注ぐ穏やかな室内へと入った彼は近くの席を陣取った。
こうして伝説的な剣闘士であるライオネルはねこやの常連である『カツ丼』へと順応していると、水やおしぼりを持った孝樹が近づいてくる。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「カツ丼。っと言いたいところだが、今回は普通のカツ丼じゃねぇ。タカキ、お前たしか"そぉすカツ丼"だかなんだかって話をしてなかったか?」
「ソースカツ丼ですか? ……えぇ、たしかに少し前にマスターと話しましたが……」
結構前のことだったが話したことを思い出せた孝樹がそう肯定すると、ライオネルは笑いかけながら人差し指を立てる。
「カツ丼ってことは何時も食ってるあれの仲間なんだよな? とりあえず、まずはそれを1杯くれ」
確認してから流れるような注文。常連とはかくあれかしといったような動作の数々であったが、それを受けた孝樹の表情が徐々にどう対応して良いか分からないような困惑顔へと変わっていく。
流石にそこまであからさまな反応をされてしまうと、カツ丼の方が逆に困ってしまう。何かまずいことでもあるのか聞いてみると、孝樹の口から『メニューにないんですよ』とメニューを差し出してくる。促されるままにペラペラとメニューを読み飛ばしてみるが、たしかにそういった名前の料理は存在しないことを確認したカツ丼は明らかにテンションを落していた。
「たしかにねぇな。そっかぁ、ねぇかぁ」
「すみません。作れることは作れるんですが、メニューにないのは流石に……」
残念そうに呻くカツ丼に孝樹は謝罪する。如何に日本の客を相手にしていないという理由からエルフに豆腐ステーキを即興で出すなどといった割と供出する料理に節操が無さすぎる異世界食堂だが、やはり店長であるマスターに断りも居れずに作るのはまずい。
そう思って断りを入れていると、厨房の方からマスターが声をかけてきた。
「いつものカツ丼の値段で出してやったらどうだ? それならいけるだろ?」
「マスターからお許しが出たので、ソースカツ丼1つ承りました」
「おぉ、ありがてぇ!」
カツ丼は立ち上がりながら吠えて嬉しさを表現する。ただ、ここは異世界食堂。刀傷沙汰もだが、騒がしくするのも異世界食堂から出禁になる厳格なルールがあることを思い出した彼はゆっくりと座り直すとそわそわと待機し始めた。
***
厨房に戻った俺はカツを揚げる準備を始める。既に真っ白い衣を纏った状態で置いてあるロース肉を深い油の海へと沈め、時折熱い油を回しかけてじっくりと中身に熱を通していく。
豚肉はE型肝炎ウイルスや食中毒菌による重い食中毒や感染症にかかるリスクがデカいと言った理由から生では食べられない。とある漫画ではあらゆる菌をまったく持っていない無菌豚でカツ丼を作っている描写はあるが、あぁいった豚は『Germ Free豚』と呼ばれて主に実験室で研究に使う存在である。
むしろ、あの主人公はどこであんなツテを持って豚を入手してきたのかは謎であるが、それはさておくとして……。基本的に市場に流通する無菌豚と呼ばれるのは高い衛生レベルの清潔な農場環境で飼育され、特定の病原体をもっていない豚のことを指す。ゆえにそれ以外の菌は存在するので必ず十分な加熱をしてあげないといけない。
(極厚カツ丼の話をしなくて良かった……)
キャベツの千切りをしつつ、俺はソースカツ丼以外の話をしなくて良かったと安堵した。──というのもカツ丼にはさまざまなバリエーションがあるが、その中にここ最近の『映え』も取り入れたらしい超極厚のカツ丼が存在するためだ。
厚さは確か5センチぐらいだっただろうか。そこまでの厚さになると低温でじっくり火を通す低温調理をしなければならないが、それを行う時間と手間的に洋食屋で気軽に出せるものではない。
どうせ話を聞けばライオネルのおっちゃんも『食わせろ』と言って来るだろうが、結論から言うと、あの人や時たま平日にやってくる大食い客以外は食べないであろうそんなカツ丼をお代わり分含めて出せるほどマスターも俺もチャレンジャーではないということだ。
仮に出して写真だけ取って半分以上残すってのを見た瞬間、少なくとも俺はグーを出すのも厭わないぞ。
そんなたられば話を脳内で行いながらも俺の作業は既にソース作りへと移っていた。片手鍋の中には既に中濃ソースとウスターソースを1:1で入れたものが沸々と泡立っており、そこにケチャップとみりんと出汁醤油を加えてあとはそれをよく煮詰めて完成だ。
ソースカツ丼は地方や店によってかなり材料や呼び名が異なる。例に挙げるとただのソースをキャベツが乗ったご飯の上に載せただけの物、ウスターソースをベースにしたタレやデミグラスソースなんかに浸した物とさらには浸す度合い。エトセトラ、エトセトラ……。そのバリエーションの豊富さはどこかの芋煮を思い出すほどである。
「ソースカツ丼強硬派に殺されかねないかな」
「あー、カツ丼にも派閥あるもんな。俺もかけカツ丼とか食ったことあるが、あれはあれで良いぞ」
どうやら口に出てしまっていたらしい。カツ丼の派閥についてマスターが同意してくる。仮に『これがねこやのソースカツ丼でぃ!』と出したらどこからともなくソースカツ丼絶対主義の面々が大挙して襲ってきそうな気配がするが、そこはねこやのメニューではなく俺のオリジナルという免罪符に免じて許して欲しい。美味い食べ物に理由なんていらないはずだ。
「ほい、丼」
「ありがと」
マスターから渡されたご飯が盛られた丼の上に千切りにしたキャベツを乗せ、最適な揚がり具合になったカツを油から引き揚げた。何とも美味そうな音を立てながら揚げたて特有の香ばしさや熱気を孕むカツだが、俺は何の抵抗もなく小鍋で作っていたソースにカツを浸す。
高温によってからッと上がったカツの衣から『ジュバァ』と何とも食欲を滾らせる音が響き、サクサクであろう衣を黒く染め上げて行くが問題ない。すかさず水分が入ったことで若干しんなりしたカツを切り分けて盛り付けを行う。
「ソースカツ丼、出ます」
「あいよ。お代わり分も用意しとくな」
相変わらず先手先手で動くマスターに苦笑いをしつつも、俺は提供のために厨房から出て行った。
***
「お待たせいたしました。ソースカツ丼になります」
「来たか!」
卓上に供された丼の蓋をカツ丼が開ける。いつもならば鮮やかに明るい茶色と卵の黄色と白が交じり合った眩い光景が目に入るのだが、今回はかなり趣が異なった。
「黒いな」
下に敷かれているタマナの鮮やかな緑の上の黒い物体。形から見るにカツなのだろうが、今まで食べてきたあのカツ丼の見た目とは程遠い姿に彼は呆気にとられながらも蓋が開かれたことで露になった香りにすっかり丼に釘づけにされてしまう。
「だが、この香りは……たまらん」
揚げ物によくかけられる『そーす』なるものの辛みと甘みが混合したような香りと葉野菜の香り。いつもの優し気なカツ丼の香りと比べるとかなり強く、なおかつ食欲に訴えかけるその香りを吸い込んだ彼の腹がお上品に座っている主人の代わりに力強く吠えた。
その瞬間、彼の食事は始まりを告げる。
(まずはカツからだ)
フォークで黒く染まったカツを突き刺すと、そのまま大口を開けて一口。しばらく粗食した後、カツ丼は大声を揚げそうになる──が、フォークが変形しそうなほど強く握りしめることで喉から出掛かっていた声を辛くも耐えた。
(うめぇっ! 甘辛くって肉に合いやがる!)
揚げ物特有の歯ごたえをほんのわずかに残したカツ。それを咀嚼するごとに染み出したソースと肉の脂が混ざり合うことでなんとも強い味が形成される。いつもロースカツが大好物とソースの組み合わせを推していた理由をたった1口で理解した彼は、その勢いで次のカツに取り掛かろうとフォークを動かした。
(いや……、ここは飯だな。カツ丼ならばそれが正解だ)
思い返すのは最初に大好物を食べたあの時。下に敷かれた白く輝く白米を『水増し』と称したが、その評価はすぐに覆されるというあの『美味い』経験がカツ丼の中に蘇った。
危うく同じ轍を踏むことになったと焦ったカツ丼は、おもむろにカツと白米と緑の葉野菜の細切りを同時に口に運び──吠えた。
「うめぇ! メシに合いやがる!」
「お客さん、煩いですぜ」
「おうっ! お代わりの準備もしとけよ!」
孝樹の文句を聞き流したカツ丼は改めてソースカツ丼を1口食べ、咀嚼する。あの黄色いカツ丼の甘い味付けも十二分に美味いが、このソースカツ丼も決して侮れる代物ではなかった。
やや濃いめな味に蹂躙された口内を蒸されたことでやや甘みを含んだシャキシャキのタマナと淡白な米が絶望的なまでによく合った。
その合い様はカツのたった1切れに対して丼の約半分の米。もはやカツの比重の方が多くなった丼を前にカツ丼は、『米が足りねぇ』と数多の魔物と戦っても流さなかった久方ぶりの冷や汗を流した。
だが、ここは異世界食堂。ゆえに──。
「すまねぇ、タカキ! メシだけ持ってきてくれ!」
カツ丼、ここでまさかの白米のみのお代わりを注文する。いつもは『カツ丼自体』をお代わりする彼に常連は目を剝くが、孝樹は白米を限界まで詰め込んだ丼にキャベツとソースを散らした物を持ってきた。
対応の早さから見るに分かり切っていたのだろう。掌の上を踊っていたようで少々癪だが、その気の利かせ方に免じてカツ丼は笑顔でその丼受け取ると食事を再開する。
「気が利くじゃねぇか!」
「お気に召していただけたようでなによりです。ですが、なんでソースカツ丼なんかを?」
カツ1切れに大量の米を掻き込むカツ丼の横で孝樹は疑問を投げかける。
本来ならば従業員が飲食中の客に向かって長々と話し込むのはご法度なのだが、それほどまでに常連が大好物をそっちのけで注文することはかなり珍しいことなのだ。常連客が密かに耳を澄ませる中、カツと野菜が載った白米を平らげたカツ丼は息を吐きだしながら心変わりの原因を語る。
「なるほど、いつもと違う相手だったからいつもと別の物が食べたくなったと」
「軽く片づけてやったがな。──というわけで、もう1杯頼む。メシはこれぐらい大盛にしてくれ」
2つの丼を掲げてにこやかに笑うカツ丼。その後、ロースカツの助言に従って辛子をちょいと付けたり、タクアンを挟み込んだりと『小技』を駆使した彼は都合7杯のソースカツ丼を平らげた。
「たまにはこんなのも良いな」
濃い味付けの食べ物を食べながら大量の米をグビグビと喉に詰め込んでいく快感を思い出していると、限界まで詰め込んだはずの腹が鳴った気がする。おそらく気のせいだろうが、このままここに居ると本当に鳴って食べ比べしてしまいかねないと珍しく自制心を働かせた彼は席を立つ。
「はい。今度、情報が洩れて対策された場合は是非ともソースカツ丼にしてください」
「どういう意味だ?」
「カツ丼と同じこじつけですよ」
孝樹から掛けられた言葉にカツ丼はドアを開けようとした手を止めて首を傾げる。カツ丼と同じこじつけという言葉から彼は先代が笑いながら言っていた記憶を蘇らせた。
「勝負に勝つだっけか?」
「はい。んで、ソースカツ丼のソースっていうのは僕たちの世界の別の大陸の言葉なんですが、"情報源"といった意味も含まれてるんです。なので、"情報源を食らって勝つ"と言った具合ですね」
「なるほどな! じゃあ、今度から俺の戦い方を研究してるってやつの情報でも集めとくか!」
愉快そうな笑い声と共に扉は閉じられる。
その後、来る物拒まずであったライオネルの対戦カードにライオネルの戦い方を研究していた相手やライオネル対策に調教した魔物が混ざるようになった。頻度は数か月に1度か2度ほどだが、わざわざライオネルが情報屋を雇うほど情熱を燃やしていたことに闘技場の支配人が訳を尋ねると、彼はこう言ったのだとか。
「美味い情報を食えるからな」
お後がよろしいようで。なんか思いついて時間できたら続きます。
豚肉はちゃんと火を入れようね!