「……で、どうすんだよ。実際」
「どうするもこうするもないよ。寮に呼ぶしかないんじゃないか?」
「警察に渡すわけにもいかないもんね」
「寮は託児所じゃねえんだけど」
「託児所って……。相手は私らと同じ高校生じゃないか」
「呪霊にビビって声も出せねえガキがあ? 冗談!」
五条はケッと唾を飛ばして、しかめっ面をした。
高専寮内の、五条の部屋でのことである。
五条はイスを後ろへギッと傾けて、乱暴にテーブルの上へ足を乗せた。それを見た夏油は顔をしかめて、「やめな行儀悪い」と言う。
「ハン。俺の部屋で行儀もクソもねーだろ。オマエこそ、来ンなら菓子折りの一つでも持ってこいや傑コラ。常識でモノを言え」
「なんて横柄な!」
「こんなに自分勝手な奴って存在するんだ」
高専悪ガキ三人衆、五条が任務で拾ってきた少年の処遇について話し合っていた。
少年とは、つい先日五条が担当した「呪霊の飼育崩壊屋敷」にて、たった一人取り残されていた少年である。
屋敷の主である呪詛師は逃亡中で、行方知れずであった。
なのでこの少年が唯一、呪詛師の手がかりを知っているかもしれないのである。
そんなわけで、彼は重要参考人として高専に連れてこられたのだ。
……発見当初。
少年は腐敗したような屋敷の中で、誰とも目を合わさず、三角座りで床ばかりを見つめていた。
五条が声をかけても返答はなく、彼は壊れた人形よろしく動かない。
「何かあるなコイツ」と思って、五条は天井を見上げて「レ」と舌を出した。半目になって、面倒臭さを隠しもしない顔で、ジロリと少年の顔を見る。
およそ呪詛師に虐待されていたか、あるいは……呪詛師に加担して人でも殺したか。
何にせよ、この手の塞ぎこんだ人間は面倒極まりなかった。
五条は人を思いやる気持ちなど持ち合わせちゃいないし、塞ぎこんだ人間を懐柔するような手腕もない。
なので、膝を抱えた少年を前に、五条は腕を組んで溜息を吐く。
──これ、俺がどうにかしなきゃいけないわけ?
呪霊も呪詛師も俺が全員殺してやるから、もう放置でよくない?
何度もそう思って、しかし五条は思いとどまった。
放置すると補助監督がうるさいのは、目に見えている。
呪術界の情報の秘匿とか、何とか。あとは単純に、この少年をこのまま放置して、ズブの素人(例えば警察官など)に嗅ぎつけられるのが面倒だった。
五条は舌打ちしながら彼を引きずって、迎えの車のトランクに放り込んだ。
バタン! と乱暴にドアを閉め、口を「イ」と曲げて、適当に自分も車に乗り込む。
もちろん五条はその後、キッチリ補助監督に怒られた。
人道的なナントカとか、倫理観のナントカとかを説かれ、コテンパンに怒られてゲンコツを食らった。
五条は頭を抑えながら、ちゃんとベッと舌を出し、中指を立てて反抗していた。高専生・五条、モラルが最悪である。
さて。
五条によるセカンドハラスメントもあり、夜蛾は少年に対して、猫なで声で声をかけるしかなかった。
事件の被害者かもしれない少年に、何たる暴挙だ。夜蛾は眉間をおさえて頭を振った。マァあるいは、彼は呪詛師側の人間かもしれなかったけれど。……
どちらにせよ、少年を野放しにはできない状況だった。
現在は夜蛾が少年に事情聴取中であるが、その後の処遇がどうなるかと考えれば。
大方夜蛾は、しばらくの間高専寮で暮らすこと(という名の監視)を提案するだろう。
ではもしそうなった場合、一体誰が彼の監視につくことになるのか。
これが悪ガキ三人衆の、目下の悩み事だった。
誰も面倒ごとなんて引き受けたくなかったし、素直に嫌だなあと思っていたからである。
多分、目を離すなという名目で、同じ屋根の下暮らすことになるし。
「……つかさ、オマエら何でいつも俺の部屋で集まんの? 俺の部屋別に作戦会議室とかじゃねんだけど」
「だって君の部屋、イス6脚もあるじゃないか……」
五条は怪訝そうに瞬きをして、夏油の顔を見た。
「それが何か?」という顔である。
「いやいや。普通一人暮らしなら、イスってあっても二脚でしょ。縦長テーブルに6脚ずつイスがあるんだから、そりゃ自然な流れでみんな君の部屋にくるよ」
「まあ私たちの部屋、3人いたら誰かひとり立たせることになるもんね。物理的にイスがないから」
「ったく……イスとか生活必需品だろ。買っとけよそんくらい」
「買っとけよったって……部屋に人を呼ぶ機会もそう無いし。現状困ってないんだから、無駄遣いする必要ないだろ。逆に悟は、何でイス6脚も買うことになったのさ」
夏油の問いに、五条はピリッと右目を細めた。
「あ?」という五条の不遜な声が聞こえてきそうな、分かりやすい表情である。
「何でって、普通に大は小を兼ねるみたいな気持ちで置いてっけど」
「一人暮らしに6脚だぞ。「大」どころじゃないだろ……」
「いや俺んちでは普通だったから。使ってねえ部屋に使いもしねえ数の机あんの。備えあれば憂いなし的な感じで置いてんのかと思ったけど、違うわけ?」
「うん違うね。何が違うって、規模感が違う」
「は??」
五条は金に困ることがないので、ピンと来てない顔で眉間に皺を寄せた。
夏油が含みのある言い方をするので、それが気に入らなかったのだ。
「何勝手に分かったような気になってんの? オエ。自己陶酔か? キッショ。ナルシズムも大概にしろよ」
「これがナルシズムに見えるんなら、キミは捻くれすぎだろ」
「うっせバァーカ。話しかけんな雑魚」
「誰も話しかけてないよ。キミこそ自意識過剰じゃないか?」
「ア”?」
「は??」
二人はニッコリ笑って、一斉に机の下で足を蹴ったり踏んづけたりした。
ダンス・ステップみたいな喧嘩だった。
五条は使いもしないイスを買うことに、「無駄遣いだ」という自覚さえない。
「理由は知らねーけど、うちではこうだったから」という経験則で、ものを買っている。
常識とは、それを取り巻く環境によっていとも容易く変化するのだ。
例えば五条は、食事は家長を中心として階級順に座ってするものだと思っているし、逆に夏油は、家族で丸いテーブルを囲んでするものだと思っている。
ここには三者三様の常識があった。
あるいは「常識」なんて、もはや無いも同然だったのだ。
「心配だなあ」
夏油は蹴り合いを止め、他人事みたいに言った。
「あ? 何がだよ」
「いや、そのキミが見つけた子さ」
「ハ。心配ならオマエが率先して監視しとけ」
「うん……マアそうだね。悟は会話すらマトモにできなさそうだし」
「ふざけんな。会話くらいできるっつーの。オ”? 舐めんな」
五条は歯茎をむき出しにして威嚇し、夏油に中指を立てた。
五条は誰に対しても平等にこの態度で接するので、逆に見上げたものだった。……
結果から言って、少年のサポート(という名の監視)は夏油がすることになった。
「まあ、そんな気はしていたよ」
夏油は、夜蛾が連れてきた少年を前に言った。
少年は夜蛾の3歩後ろにいて、やはり一度も夏油の方を見ない。
彼のウェーブがかった黒い前髪は、目元にかかって表情がよく見えなかった。薄い唇は真一文字で固まって、よくできた仮面を見てるみたいである。
スッと通った鼻筋は高く、顔の造形は整っていて傷一つない。
彼は本当に一般人……なのだろうか?
夏油は第一印象でそう思った。
どことなく、不吉な顔立ちをしていて……例えるなら、古びた人形のように、第一印象で不安感を抱かせる見目である。
「悪いが、頼むぞ。悟はセカンドハラスメントをしかねん……。あと硝子よりは、お前の方が面倒見もいいと思って……」
「ああ、はい。大丈夫です。任されるのは慣れてるので」
一般家庭出身・夏油、中学のころは学級委員をやっていた。
生徒や教師から勝手に見込まれて、面倒ごとを押し付けられるのには慣れているのだ。
もとよりスマートで良識のある夏油である。
数々の頼みごとを、要領よく解決してきた実績があった。
なので今回のことも、例え任されたとして、そんなに不安視していなかったのだ。……面倒であることに変わりはないけれど。
「初めまして。私は夏油傑だよ。どうぞよろしく」
「……」
「キミも災難だったね。でもこれからは安心してほしい。ここにキミの敵はいないから。もし……できたらで良いから、ここにいる間はリラックスして過ごしてほしい。何か困ったことがあれば、何でも私に聞いてくれ」
「……」
「……」
「……」
少年はチラッと夏油の首のあたりを見て、すぐに視線を床に戻した。
切れ長の目が、警戒するように何度も瞬いている。
唇はギュッと噛み締められ、硬直したように動かなかった。
「……えーっと、」
夏油は困って、夜蛾の方を見た。
夜蛾も力なく首を振って、「名前は、俺も聞けていない」と言う。
「……どころか、会話すらマトモにできていない」
「それは……」
強敵ですね、と言いそうになって思いとどまった。
悟じゃあるまいし、そんな直球な物言いは控えたいところである。
「ひとまず、何日か様子を見てみます」
「そうしてくれ。彼も突然悟が襲来したせいで、混乱している……のだろう」
「そうですね。まさに”襲来”って感じですもんね、悟って」
「本当にな……」
少年が一言も口をきかないため、気まずい沈黙が流れていた。
夜蛾も夏油も声量を抑えて、他人行儀なそよ風みたいな会話をする。
「えっと。キミを呼ぶとき、私はどうすれば良いかな」
夏油は控えめに少年に声をかけた。
何かリアクションがあればな、と思ってのことだったが、これは失敗に終わった。
少年は落ち着きなく瞬きを繰り返し、幼児みたいに下を向いて黙っている。
彼の黄色い目は瞳孔が開いていて、明らかに緊張状態だった。
夏油は顎に手を当てて、考える。
そういえばこの少年、背が高いな、と思った。
俯いているのに、夏油からも瞳の色が判別できる。
彼の瞳は爬虫類みたいな真っ黄色で、鮮やかだった。
爬虫類か……爬虫類。
まさかトカゲくんとかヘビくんとか呼ぶわけにもいかないし。
夏油は犬の名前でも考えるみたいにして、彼に名前を付けようとしていた。
「名前がわからないから……差し当たって、リューくんって呼んでいいかい?」
黄色い目と言えば、ドラゴンも黄色い目のイメージがあった。
ポケ○ンのレック○ザも黄色い目をしていることだし。
ドラゴンは龍なので、「リューくん」である。
アホみたいな名づけ方だが、マア嫌なら本当の名前を言うだろう。夏油は適当にそう思った。
「……」
少年はしかし、何も言わなかった。
だから当面の間、彼は「リューくん」と呼ばれることになる。
ここまで反応がないと、この先思いやられるなあ……。
夏油は頭の隅っこで、冷静にそう思った。
さて、同世代の少年の面倒を見ることになった夏油。
一週間もたたずに五条にヘルプを出すことになった。
「さ、悟。一日で良いから、彼の面倒を見てくれないか」
「ハ何? どうしたよマジ……」
夏油は憔悴しながら五条の部屋のドアを叩き、五条はびっくりした顔で玄関のドアを開けた。
夏油のスカした顔は山ほど見た事があるが、疲れ切ったような顔は初めて見たからだ。
なので単純に、不思議に思った。
傑にこんな顔させるガキって、一体何をしでかしたんだろう。
五条は場違いにもちょっとワクワクして、夏油に事情を聴いた。
「ぎ、逆だよ、逆。何にもないんだ」
「ハア? 何にもねーのに疲れんの?」
「疲れる。ご飯もろくに食べないし、部屋の隅に座ったまま、本気で何もしない。いや、私が指示すれば、全部ちゃんとやるんだけど。なんか……でもそういうのって、どうなんだろうって思って」
「どうもこうもねーよ。自分の意志で動かねえソイツが悪いだろ。何でオマエが後ろめたくなってんだよ」
「彼、一切逆らわないんだよ。主張が一切ないんだ。だから、彼の気持ちが分からなくて……。できれば尊重してやりたいけど、指示をしないとご飯も食べようとしないから……」
「アッソ。何もしないなら放っときゃよくね? マジに何でそんな疲れてんのオマエ」
「放っとくって、そういうわけにもいかないだろ……」
夏油は五条の出したペットボトルのお茶を飲んで、長い机の上に突っ伏した。
五条は机を挟んで夏油の向かいに座っていて、何だか面談みたいなフォーメーションである。
「オマエそういうとこ変だよな。ソイツは好きで動かないんだろ。どこに構ってやる必要があんだよ。つーか、腹減りゃ勝手に何か食うだろうし、動かないっつったってトイレくらい勝手に行くだろ」
「そうだけど、……」
五条は眉根を寄せて、心底理解できない顔で夏油を見た。
夏油は疲れ切った顔で机に肘をつき、額を手で覆う。
「相手は人間だ。何もしないで放っておくなんて、まるで虐待じゃないか。いじめでもしてる気分になる」
「だァから。ソイツ自身が既に意思疎通を放棄してんだろーが。なァ今の状況って、オマエが勝手に一人で悩んで、勝手に気疲れしてるだけだけど? 母親じゃねんだから、俺らそこまでする必要ねーよ」
「……」
夏油は顔を上げて、ジトっと五条の顔を見た。
五条は何で睨まれてるのか分からない、という顔で、形の良い眉を跳ね上げる。
「そんなに言うなら、キミに面倒見てもらおうじゃないか」
「ハン。別にいいけど? オマエと違って俺は要領良いから」
「キミのは要領の良さじゃなくただの冷徹だろ」
「じゃあオマエの優しさは、人を突き放す勇気が無いだけだろ」
「……」
「……」
お互い教育方針が違う夏油と五条は、冷戦みたいにムッとして睨み合う。
心配性のママと放任のパパみたいな会話であった。
硝子がいれば、手を叩いて爆笑しただろうけれど。ここにはいないので、夏油の方が先に視線を外して冷戦をやめた。
……そんなわけで、育児疲れした夏油に代わって、五条がリューくん(推定16歳男性)の面倒を見ることになった。
身長の高い五条は威圧感を隠さず、ぶっきらぼうな顔でリューくんを迎えた。
心底不安げに佇む夜蛾に背を向け、五条はリューくんの首根っこを引っ掴んで摘んでポイッとリビングのソファに転がしておいた。
あとはもう知ったこっちゃない。完全に放任である。
「あったけえメシが食いたくなったら、自分からそう言え。勝手にメシが出てくると思うな。俺は傑みてーに甘くねーかんな。あと俺の私物に許可なく触んな。あー……と、あと、痛いとこあったら右手上げとけ。以上」
後半なぜか歯医者みたいなことを言っていたが、これは五条なりの気遣いだった。
マブダチの傑が「何もしないのは虐待みたいだ」と言ったので、せめて何か、声くらいはかけとくか……と思ったのである。
五条には、彼につきっきりで監視する気がまるでなかった。なので適当にペットカメラを付けて、五条はさっさと隣の部屋へ移ってしまう。
四六時中 陰気野郎と同じ部屋なんて、まったく気が滅入る。そう思っての行動だった。
五条は自他の境界がハッキリしている為、平気でそういうことを考える。人が傷つこうと傷つくまいと、自分の感想は自分の感性として大切にしているのだ。
彼はそういう冷たさと、一種の自立がある人間だった。……
超放任主義の五条とリューくんの同居は、存外うまくいった。
五条は夏油みたいに、毎朝挨拶をしたり、四六時中同じ部屋で過ごしたりしない。それがかえって、功を奏したようである。
リューくんは、人の視線がないことによって、初めてリラックスできるようだった。
彼は相変わらずソファの上から動かず、三角すわりをしていたけれど……。
それでも時折、膝頭に頭を乗せて休んだり、つま先の爪を弄ったりして、多少は緊張が和らいだようである。
「……」
五条はリューくんに対して、一切声をかけなかった。
五条は彼のことを、野犬か何かだと思って過ごしている。一切気に留めないし、意識もしない。
彼の目の前で遠慮なく自分だけ温かいメシを食い、平気で一人でゲームをして遊んだ。
これは夏油にはできない芸当だった。
夏油はどうしたって、同じ部屋にいる”同じ人間”を気にしてしまうので。……
「やあ悟。どう? 彼、何か喋った?」
「え? 全然。耳ついてねえんじゃねーの」
「そんな言い方はよくないよ」
「ハン。一丁前に正論言ってんな。育児疲れしてたくせに」
「ムッ……」
ぐうの音も出なかったので、夏油は黙った。