桜が舞っていた。
風が吹く度に枝に縫い付けられていた花弁が力を失い、風に抱かれて落ちていく。
今が三月ということを考えると地球温暖化だなんだと心配になるが、ともかく風情はバッチリだ。
そんな中、トレセンの校門前は多数のウマ娘でざわついていた。
理由は簡単。先ほど卒業式が終わったばかりなのである。いつものトレセン制服の胸元に、いつものリボンとは別に花びらを着けたウマ娘たちがワイワイと話し込んでいた。
「じゃ行くよー?はい、チーズ!」
「うう……先輩お世話になったっスぅ~……!」
「今生の別れってわけじゃないんだから、そんなに泣かないの。あなたは才能があるんだから、私がいなくてもちゃんと走りに取り組んでね?」
「はいっス!!」
「◯◯は、どこの大学行くんだっけ?」
「K大。ほら、あの心理学に特に力いれてるとこ」
「あーあそこかー……。走りは続けるつもり?」
「まさか。もう自分の限界は悟りましたよっと」
「ね、ね、これから運動場行かない?」
「なんで?」
「最後に一回勝負しようよ。本気のレース、1200で」
「おっ。ついに本気レースの、48戦中23勝23敗2分の決着つけちゃう?」
「やるに決まってるでしょ!完全にレースだけに取り組める日々なんて、今日が最後なんだから!」
「よっしゃー!」
見渡す限り、青春が渦巻いていた。
『卒業式の1ページ』というテーマにおいて、これをインスパイアしたものを提出すれば平均点以上は確実そうな光景である。
そんな、少し眩しい光景を、校門から離れた位置で見つめるウマ娘とトレーナーがいた。
トレーナーの方は、特段優秀というわけでもない一般トレーナーである。そして隣にいる金髪の大人しそうなウマ娘もまた、トレセンには掃いて捨てるほどいる一般ウマ娘。
ウマ娘の名は『ファールーム』。
『最初の三年間』において、重賞レースで一度も一着を取れなかった、レース界隈においては掃いて捨てるほどいるウマ娘である。
「……終わっちゃいましたね」
ウマ娘の方の唇が、小さく動いた。
覚悟は既にしていたのか、言葉と裏腹に声音に悲壮感はあまり感じられなかった
「……ああ」
目を伏せて答えるトレーナー。
……彼女の『終わった』という言葉には、二つの意味があった。
一つは青春時代。トレセンで過ごした学校生活が終わってしまったという意味。
もう一つは───
「トゥインクルシリーズ……やっと、『楽しいかも』って思え始めてきたとこだったのになぁ……」
トレーナーと彼女が二人三脚で臨んでいた、トゥインクルシリーズへの挑戦が終わったという意味。
最初の三年間。
それはウマ娘の担当を開始したときから課せられる一種のタイムリミット。
この三年間の間に、トレーナーとウマ娘は一定以上の成果を出さなければならない。出せなかった組は、担当契約を解除されてしまう。
どんな場面でも、必ず最初にたづなさんから説明を受ける、誰でも知っているレースの掟だ。
そしてその三年間の間に……トレーナーとファールームは結果を残すことができなかった。
できなかったから、彼女が高等部の時から始まった契約が、今彼女の卒業と同時に解消されようとしている。戦績によっては、ウマ娘が大学に行ってからもレースの専属契約が続く例もあるそうだが、この二人には無縁のようだった。
「十八戦ぐらい走って、勝ちは一回だけですかぁ……ひどい戦績ですね」
諦めたように彼女は笑っていた。
その手には、一枚の紙切れが握られている。卒業生には皆配られる、トレセン在学中の戦績をわかりやすく纏めた物である。
この三年間、彼女が一着を取れたのは、未勝利戦での一回だけだった。
やれることはやったつもりだった。トレーニングにも人一倍取り組んだつもりだった。
だけど、レースは過程を重視してはくれない。重要なのは結果だ。結果だけなのだ。
ワァァ、とウマ娘の輪の方から声が聞こえた。
顔を向けてみると、そこでは一人のウマ娘がチヤホヤとされている。
テレビや月間トゥインクルで見たことがあった。選抜レースの頃から才能に溢れていて、GIを何度も勝ち抜いたウマ娘だ。
「…………」
その光景を、ファールームは静かに見つめていた。彼女の瞳にどんな感情が浮かんでいたのか……トレーナーから把握することはできなかった。
代わりに、ボソリと発せられた言葉があった。
「私、最近思うようになったんです」
トレーナーは静かにファールームの方を向く。
「GIを取れるようなウマ娘っていうのは、きっと最初から、そういう星の元に生まれてくるんだって。運命で決まってるっていうか……そういう風にいるんだっていうような。私は、どうやらそんな器じゃなかったみたいです……」
あはは、と自嘲するような表情になる彼女から、トレーナーは無言で目をそらした。
『そんなことはない』と言いたかった。だが、彼にその台詞を吐く資格はなかった。
現にトレーナーは、彼女を導いてやれなかった。彼女を勝たせてやれなかったのだから。
黙りこくっていると、そんな心情を察したのか、ファールームはぶんぶんと手を振った。
「いえいえ!トレーナーさんは何も悪くないんです!ただ私の能力が足りなかっただけで……!むしろトレーナーさんはいつも私のことを考えてトレーニングメニューを組んでくださったじゃないですか!そこは私、本当に感謝してるんです!!」
「……でも、僕は……」
顔を上げられないトレーナーに、ファールームは「そ、それにっ!」とスマホを取り出した。
「トレーナーさんのお陰でっ私……最後に出たGⅢのレースで、私は三着になることができたんですっ!重賞の舞台で、初めて掲示板に名前も載ったし、ウイニングライブだって踊れたんですよっ!!」
スマホには、泣き笑いのような表情を浮かべた彼女が踊っている写真があった。トレーナーが撮り、彼女のスマホへと転送した写真だ。
「これだって本当は、私には身に余るほどの栄光だったんです。トレーナーさんがいたから、私はGⅢレースで勝つことができたんですよっ。このことは、妹に一生自慢できますっ!」
本当に嬉しそうに、彼女は笑っていた。
……その表情に、トレーナーの心はほんの少しだけ軽くなる。
彼がようやく笑みを浮かべたことに安堵したのか、ファールームスマホに目を戻した。
スマホには、他にも様々な写真があった。
初めて掲示板に名前が乗って、感極まってトレーナーと手を取り合った写真。
一生懸命に練習した三着のダンスを、練習通りにしっかりと踊る写真。
ダンス中にふとトレーナーと目が合い、アドリブで少し手を振ってみた時の写真。
「─────」
それらを見ていると。
ファールームの胸に、不意に込み上げるものがあった。
体中にとある衝動が駆け巡る。
ダメだ、するべきじゃない、と理性が叫ぶ。
当初はこのまま帰るつもりだった。トレーナーには現役中に散々迷惑をかけたのだ。だからせめて、最後ぐらいはスッキリと、何事もなく終わらせるつもりだった。
だけど、やっぱり。
目元が熱を帯びたのを、ファールームは感じた。
「ファールーム?」
トレーナーが呼び掛ける。
急に彼女が目を伏せ、黙り込んでしまったのだ。心配にもなるだろう。
だが彼が近寄ろうとした瞬間、ファールームが先に動いた。
スマホをポケットに戻しながら、トレーナーの方へ駆けた。そうして軽く体当たりをするように、そのままトレーナーの胸に飛び込んだのだ。
「おっ、おい!?」
唐突に距離が近くなり、トレーナーが声をあげる。
彼女はこんな、大胆にくっついてくるようなタイプではなかった。故に驚いているのだろう。
それにここは公共の場だ。
誰かに見られたら色々と面倒なことになる。
そう思ってトレーナーは彼女を押し退けようとしたのだが……彼の体は動かなかった。
ファールームが意地でも離れないと言わんばかりに背中に手を回してきたから───というのもあるが。
抱き着いてきた彼女の体が微かに震え、嗚咽のような声を漏らしていたからだ。
「……一着、取りたかったなぁ……」
胸に、彼女の声が響いた。トレーナーの息が止まった。
「……もっと、勝ちたかったなぁ……」
「…………」
そんな資格が無いのは百も承知。
しかしトレーナーは、無言で彼女の背に手を回した。少しでもいいから、少女の感情を共に背負ってあげたかったかったのだ。
「一着のパートのダンス、踊りたかったなぁ……」
彼女が練習していた光景を思い出す。
ずっと音楽をかけて、足の皮がめくれるまで練習し続けていた姿を。
「一度でいいから、一番人気に推されてみたかったなぁ……」
レースの前日にはいつもそう言っていたのを思い出す。
大抵その後、『どうせ私は晩年二桁の人気ですけどねっ』と自虐し、『でもそれぐらいの人気から一着を取ったら、きっと会場の皆さんひっくり返りますよっ!』と空元気を見せていたことも。
「GIに出て、勝負服を着たかったなぁ……」
二人で勝負服を考えたことを思い出す。
夜遅くまで起きながら、ファールームの希望を取り入れ、トレーナーが細部を修正してデザインした勝負服。
結局それは形にならぬまま、紙切れの上だけの存在として終わった。
「勝利の栄光を……もっとトレーナーさんにプレゼントしたかったなぁ……」
「……ファールーム」
トレーナーは彼女を更に強く抱き締め、自分の胸に彼女の顔を押し付けるようにする。今の顔は、誰にも見られたくないだろうから。
「あははっ……私、なんにも返せてないや……。ずっとトレーナーさんに教えてもらって、支えてもらっていたのに……!私はっ、なんにもっ……!」
「……そんなことない。そんなことないよ。僕だって、君に何もしてあげられなかった」
「優しすぎるんですよ……トレーナーさんは。いっそ……もっと素直に糾弾してくれた方が、私は───」
どこか、恨むような声音だった。
ファールームは抱き締めていた手をようやく解き、自分の目元をゴシゴシと拭う。
密着していた体を離し、お互いの体が見える位置まで戻る。彼女の目元は赤くなっていたが、もう涙は見えなかった。
「……ファールームは、これからどうするんだ?大学、どこに行くつもりだったっけ?」
「……T大です。私、そこでたくさん勉強して、将来はトレーナーになろうかなって思うんです」
「そっか」
思わず口許に笑みが浮かんだ。
「君なら、きっと良いトレーナーになれるよ」
紛れもない本心だった。そのことを感じ取ってくれたか、彼女もまた現役のときのように屈託なく笑う。
「はいっ!将来、私と同じような娘を、勝たせてあげられるようなトレーナーになってみせますっ!」
「……ああ。その意気だ」
「トレーナーになれたら、またトレセン学園に戻ってくるつもりなんです!だから、もしその時に再会できたら……色々教えてくださいね!」
「わかった」
そこでようやく、二人揃って笑い合うことができた。
……こうやって笑い合えたのなんていつぶりだろう?
気づけば、周りのウマ娘はまばらになっていた。
皆話し終えたのか、会場を別に移して更に騒ぎにいったのか。
どちらにせよ、二人もここに留まる意味は無くなってきた。
「……それでは」
まだ名残惜しげな様子を見せつつも、ファールームは一歩後ろに下がった。
トレーナーも、右手を軽く上げる。
「うん。それじゃあ、またどこかで。次会う時は、お互い立派になっていたいね」
「はいっ」
『お世話になりました』と深々と礼をしてから───彼女はゆっくりと去ってしまった。
その後ろ姿を、トレーナーは手を振りながら眺め続けていた。やがて角を曲がってその姿が見えなくなっても、トレーナーは無心になったように手を振っていた。
こうして、とある一組のトレーナーとウマ娘のストーリーは、幕を下ろした。