ある日、ドラマを見ていたアグネスタキオンは、その内容から一抹の焦りを覚える……

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感謝の気持ちを込めて

 『昨日の夜、私のこと考えてた?』

 『そ、そんな……!僕は君のことを____』

 『自分のことばかりで、本当は私のことなんて、何も考えてないんでしょ!!』

 

 「んごっっ」

 「大丈夫でしゅか!? タキオンさん!」

 

 栗東寮のとある一室。カラスも鳴くのをやめた頃に流れていた、少々過激な恋愛ドラマを流し見していた少女――アグネスタキオンは、散らかったベッドの上で顔を青くして、頬をリスのように膨らませた。歯ブラシが勢い余って喉奥に触れてしまい、危うく全てを吐き出しそうになったのである。

 普段ならばしないであろう下らないミス。それが起こってしまったのは、単に、棚の上に置かれた小さなテレビが流していた内容によるもの。

 可愛らしい装飾がなされた寝巻きに、涎が混じった歯磨き粉がついていないことを確認した彼女は、耳を前に倒して鼻を鳴らした。

 

 歯磨きを終え、ベッドの前の方に置いてある、書類や書き置きやらが積み重ねられたデスクの椅子にかけたアグネスタキオンは、電源を落とされ、真っ暗になったテレビのモニターに映る、真顔の自分を眺めた。

 

 『私のことなんて、何も考えてないんでしょ!!』

 

 「……」

 

 テレビから目を離し、目の前の書類の山に正対する。“速さ”を追求している彼女には、理論の体系化、新薬の開発研究等、しなければならないことが山のようにあった。

 しかし、どうにも食指が動かない。

 どうにか目当ての書類を掘り出して、確認作業を行っても、文章の上を目は滑るばかりで、思考回路が円滑な活動を拒んでいるようである。

 なんとなしに後ろを振り返れば、ピンク髪の同居人がペンタブレットに向かって、奇声を上げながら何かを描いているのが見える。先ほどのドラマを真面目に見ていたのは彼女なので、あの修羅場から何かしらのインスピレーションを受けたのだろう。

 

 (それは、私もか)

 

 妙に身体がソワソワとして、落ち着かないでいる。思考回路の中で、あの一節が反芻され続けている。あの関係性を、自らの関係性に落とし込んでしまう。

 硬い背もたれにもたれかかり、天井を眺めてみる。

 だが、そこに、彼女が漠然と感じるものに対する答えが書いてあるはずもなく。

 

 「ひょえええ!!!……。ん?」

 

 捗っていたピンク髪の同居人は、いつもBGM代わりにしていた後ろからの物音が、今日は物静かなことに気づいた。

 上気して赤い表情を後ろに向けると、そこに見える筈の後ろ姿が無い。はて、と彼女は首を傾げ、視線を少しずらした。

 脱ぎ散らした靴下や下着が放置されたベッドの布団から、栗毛の耳が飛び出していた。

 

 「ひょっ…… タキオンさん、珍しいですね」

 「気にしないでくれたまえ。私はもう寝る」

 

 布団から、低く鬱陶しそうな声が帰ってきた。

 しばらく布団(決して、その周りの下着や靴下では無い。彼女の名誉に変えても、それらには目もくれていない)を眺めていたピンク髪の同居人――アグネスデジタルは、二、三度耳を揺らして、

 

 (デジたんはクールにさりましゅ……!)

 

 と、自分の世界へ顔を戻した。

 しばらくして、部屋の明かりが消え、さらに数十分後、小さな断末魔が部屋の中に反響した。自給自足である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「____時に、カフェ」

 「……何ですか、薬は飲みませんよ」

 

 薄暗闇のベールに包まれた、現世から切り離されたような雰囲気を湛える部屋――旧第一理科室。

 二人のウマ娘が占有し、片やアンティーク調のグッズで埋め尽くされ、コーヒーの芳醇な香りがして、片や足場が見当たらない程に研究資料が散らばり、怪しげに沸き立つ丸底フラスコからツンとした薬品の香りが漂っている。両者の領域は、理科室のちょうど中心を境としていて、互いに干渉している様子は無い。

 その内、研究室のようになった領域の回転椅子に腰掛けた、白衣姿の少女――アグネスタキオンは、いつものような笑みを貼り付け、ぐるりと回転して、透き通る青色の水溶液を通して、対面の黒髪の少女を見た。

 

 「君は、君のトレーナーに…… あー、何かしたことがあるのかい?」

 「……まぁ、……トレーナーさんには、……いつも、貰ってばかりですし……。それに、親しき仲にも…… 礼儀あり……、ですし」

 

 華やかなソファーに腰掛け、金色の目を伏せ、黒髪の少女は柔らかく言う。

 ふむ、と、気味悪い笑顔を繕ったアグネスタキオンは声を漏らして、ぐるりと椅子を机に正対させる。

 机の上に置かれたノートパソコン、その画面が映すのは、薄情そうな自身の顔。

 

 「タキオンさん……、なんだか、悩んでいるように…… 見えますが」

 

 こういう時、彼女の友人は目敏い。

 

 「急にこんなことを聞いてくるなんて…… タキオンさん……、とうとう、愛想尽かされましたか……?」

 「無い無い無い無い!あの彼が、あり得ないよ」

 

 そう言って、不敵に笑うアグネスタキオンの後ろ姿が、どうにも小さく見えるのが気のせいでは無いと、彼女――マンハッタンカフェは確信した。

 だからと言って、彼女が手を貸そうと思うことは無いのである。悪意からではなく、傍迷惑な彼女の友人として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、アグネスタキオンは、彼女のトレーナーとトレーニングをし、実験をし、黄緑に全身が発光した彼との世間話、じゃれあいに興じた後、普通に帰宅した。何もかも変わらない、当たり前の日常を謳歌した。

 故に、彼女の中の釈然としない疑問が勢いを増した。

 

 (モルモット君は、はたして本当に今を良しとしているのか?実は、私が知らない彼は……)

 

 彼の目。あの時、学園を辞めようとしていた自分を見つめていた時の狂った目。それは、今日に至るまで変化は無い。つまり、問題は無い。事実、彼と過ごしている間、彼女はなんの引っ掛かりを覚えることは無かったのである。

 なら、もう気にかけることでは無い。トレーニングを見るのも、マッサージをしてくれるのも、洗濯をしてくれるのも、弁当を作ってくれるのも、実験を嫌がらないのも、現状を受け入れているということ。自分は、彼に対して“果ての先”を掲示し続ければ良い。

 

 「……」

 

 なら、一時間前には、目の前の書類の検証を片付けられている筈。

 再び天井を眺めていると、ピンク色の髪の毛が視界で揺れる。

 

 「タ、タキオンさん……、昨日は良かれと思って何も言いませんでしたが……、そんなに大きい悩みなら相談に乗りますよ?」

 「いや、君が気にする……」

 

 そこで、彼女は言葉を切った。そして、背もたれから起き上がった。

 そして、机に肘付き、手のひらで頬を支える。

 いい加減、自分の世界観だけでは解決できない問題をこねくっているだけと気づいたのである。

 

 「……気づきを得たのさ。トレーナー君が、私の行うことに対して一つの文句も無しにしているというのは、あくまでも私の主観でしかないということにね。本当のところ、彼が何を思っているのかというのは、私には一切わからない」

 

 丸くなった同居人の背中を眺めていたアグネスデジタルは、黙って続きを促した。

 

 「私は、私の行動が一般的なそれから逸脱しているというのは自覚しているよ。だから、……うーん、私は彼の態度に甘えて寄りかかっているのではないか、とね。少し考えていた」

 「んひっ……そ、そういうことですか」

 

 愛すべき同居人が、こちらを向かずに黄昏ていることを、アグネスデジタルは神に感謝した。何故なら、今の自分の表情が酷いことになっているのは、鏡を見なくてもわかるからである。

 同時に、彼女は脳みそに意識を集中させる。

 慌てず急いで正確に、最適な答えを導くために。

 彼女のだらしなく歪められていた表情が、限りなく無へ近づく。半開きとなった小さな口から、一筋涎が伝う。

 

 「……!!!!」

 

 瞬間、アグネスデジタルは世界の真理を悟った。

 

 「タキオンさんは、トレーナーさんに感謝をしている……、ですよね?」

 「当たり前さ、彼の協力なしに今日の私は無い。悪感情など抱くわけもない____」

 

 段々と尻すぼみしていく同居人に気づかず、“領域(ゾーン)”への入り口に立ったアグネスデジタルは、自らのスーパーコンピュータが導き出した答えを言った。

 

 「プレゼントです」

 「プレゼント?」

 「そうです。タキオンの違和感を除くには、自分の感謝をどストレートに伝えるのが一番です。それには、プレゼントが最も効果を発揮します」

 

 ストン、と腑に落ちた気がした。

 

 「成程、プレゼントか。ふむ、参考になったよ。ありがとうデジタル君」

 「いえいえ、こちらこそありがとうございましゅ」

 

 それきり、二人は背中合わせになって、お互い静かに机に向かった。

 

 (なんだ…… ただ、日々の感謝を伝えるためじゃあないか……)

 

 アグネスタキオンは、頬が熱くなっていることの自己弁護に必死になって、

 アグネスデジタルは、限界を超えて、机に突っ伏していた。

 

 (昔はただの実験材料だと思ってたのが今は大切な存在に変わってたなんてもう無理〜)

 

 尚、尊みの限界を超えて、彼女はしばらく三途の川の河原で石を積むことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。気分の良い快晴の下、今日もトレセン学園には、ウマ娘達の鈴のなるような声が響き渡っている。

 その一人、アグネスタキオンは、人通りが多く姦しい廊下を無表情に歩いていた。

 普段ならば、この無秩序な音の重なりに文句の一つは出てくるものであるが、今の彼女の頭の中にあるのは、たった一つの命題について。それだけである。

 故に、彼女は実質、窓に寄りかかったり、顔を見合わせて笑っているウマ娘の姿は見えていなかった。

 そして、丁度中央階段に差し掛かった時であった。

 

 「きゃっ!」

 

 小さな悲鳴がし、どさり、と倒れる音がした。アグネスタキオンは、はっと正気に戻った。

 踏み出した右足に、何かがぶつかった感覚がしたのである。

 

 「いつつ……」

 

 右手に顔を向けると、そこには、四つ這いになっている、小さなウマ娘の姿が。

 アグネスタキオンは、その紅色のメンコに見覚えがあった。

 

 「フラワー君か……!済まない、前方不注意だった」

 「あっ、タキオンさん…… いえ、怪我もしてないですしっと」

 

 と、アグネスタキオンの差し伸べた手をとって、すんなりと立ち上がった、温和な雰囲気のウマ娘――ニシノフラワーは、花のような笑顔で心配そうなアグネスタキオンを見上げた。たちまち、彼女の表情は柔らかくなり、安心したようにため息をついた。

 

 「何か、考えごとでもしてたんですか?」

 

 その瞬間、アグネスタキオンの耳がピクリと動いた。

 

 「んー、まぁ少し……」

 「何か、手伝えることがあるなら協力しますよ!」

 

 そう言い、ニシノフラワーが浮かべた笑顔は、まるで、両の手で頬を優しく包んでくれるような温かさがあった。

 

 (……)

 

 何度か経験のある笑顔。何故だか、記憶を遡って____

 

 「あっ」

 

 パン、と手を合わせた彼女は、鼻息荒く、目の前の少女の小さな手を取った。

 

 「是非!お願いするよフラワー君……!これは君に頼むべきことだ……!」

 

 ばらけていたピースが、寄り集まってはまったような感覚に、アグネスタキオンは穏やかな笑みを浮かべながら陶酔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「やぁタキオン、今日はどんな実験……、どうした、その手」

 

 旧理科室の扉を引き、影に包まれよく見えないが、一向に片付く気配のない紙類を避け、やっとの思いで自らの担当の下にたどり着いた男――アグネスタキオンのトレーナーは、回転椅子に腰掛け、ノートパソコンのキーボードを叩くアグネスタキオンの手を見て、目を剥いた。

 左手の細く白い指に、何故か絆創膏を巻いているのである。

 

 「怪我をした」

 

 手が止まる。そして、左手とは相反して、まっさらな右手で絆創膏を撫でた彼女の、ブルーライトに照らされる、横筋の入った焦茶の瞳は、いつになく凪いでいた。

 

 「それはみればわかるけども……そんな、まるで子供が野菜切るのに失敗したような怪我を____」

 

 その瞬間、彼の目の前に、薄暗闇を淡く照らす液体が注がれた試験管が押し付けられる。その後ろに、こちらに目もくれず、ノートパソコンを空いた手で閉じた担当ウマ娘の姿が覗ける。

 まるで、詮索してほしくないような。

 

 「比率を変えた骨密度強化剤。飲んでからの経過気分効能その他諸々をそこのシートに記録しておくように」

 「あっ____」

 

 反射的に受け取ると、アグネスタキオンはツカツカとトレーナーを通り過ぎ、彼の後ろで、立て付けの悪い扉が音を立てた。

 

 「もう少し待っていたまえ。すぐにものにするさ」

 

 ピシャリ、と扉が閉められた。

 

 「……」

 「……」

 「カフェは、何か知っているのか……?」

 「さぁ…… 待ってみたら…… どうでしょうか」

 

 マンハッタンカフェは、黒猫が小さく装飾されたマグカップを手で包むように持って、薄く弧を描いた口元に付け、傾けた。

 どうやら、彼女も煙に巻くようである。

 

 「……」

 

 一先ず、彼は与えられた役目を果たすことにした。

 

 しかし、日に日に、しなやかで気品のある左手の指に、絆創膏は増えていくばかり。本人もはぐらかすばかり。それ以外は変わらずにこなしてくれる分、ますます彼女が何を隠しているのかわからなくなる。

 わかることといえば、時たま、絆創膏の貼られた手を撫でて、いつにも増して見惚れてしまう、落ち着き払った笑みを浮かべることだけ。

 練習中の目を焼き尽くしてくるような輝きではなく、豊満な胸に抱かれているような気分になる輝き。

 

 (……ん〜)

 

 喉に魚の小骨が刺さったままのような感覚を覚えながら、一人、トレーナー室のデスクで作業をしている時であった。

 

 「やぁやぁモルモット君」

 「ん」

 

 ガチャリと音がしたと思えば、懸案の担当ウマ娘が、ニタニタとしながら後ろに手を組んでやってきた。

 ふと目線を右上に向けると、時計の針が指し示すのは、丁度12時40分。今頃カフェテリアの盛況は計り知れなくなっていると予想できる時間帯になっていた。

 これもいつも通りである。

 

 「よーし、じゃあ昼飯にするか」

 

 ぐっと体を伸ばし、各部で留まっていた疲労感が全身に伝播していくような、えもいわれぬ快楽を享受し、思わず目を瞑った、

 その時。

 確かに、すぐ目の前に人の気配を感じた。今ここにいるのは、自分とアグネスタキオンだけ。

 目を開けると、モニターの隣の場所に、風呂敷に包まれた何かが置かれている。

 

 「風呂敷を解いて、開けてみたまえよ」

 

 トレーナーに背を向けて、アグネスタキオンは努めて平然と促した。しかし、隠しきれない感情が尻尾に現れ、デスクの縁を叩いて暴れている。

 トレーナーは、その風呂敷に包まれた何かの、風呂敷の結び目を持って、自分の方へ寄せた。随分重量のある感じがする。

 

 そして、風呂敷を解いた。

 

 「あえっ」

 

 情けない声がした。無論トレーナーのものである。

 風呂敷の中から出てきたのは、銀色の光沢を示す、二段になった弁当箱であった。

 無心になって、上の段を下から外すと、ちょこんと梅干しが乗せられた白米がお出ましする。

 上段を開けてみると、少し焼きムラのついた卵焼き、鮮やかなプチトマト、タコさんウィンナー、ブロッコリー、細切りにされたにんじんのきんぴら、にんじんとインゲンが肉で巻かれた、可愛らしい肉巻き、それらが丁寧に盛り付けられたのが顔を出す。

 彼は、この盛り付けの内容に、強い見覚えがあった。 

 もはや、声を上げることができない。

 

 「君にあげよう。最近の君の不摂生さ、目に余るよ。この前なんか、私に弁当を渡して、君は完全栄養食で済ましていただろう。モルモットとしての自覚を強く持ってほしいものだが、この私の管理責任がないと言われればそうではないからねぇ、……、あー」

 

 少し絆創膏が減った手が、もじもじと相談をするように動く。

 

 「……いや。繕うのはやめよう」

 

 揺れ動いていた尻尾が止まった。

 小さく咳払いをして、アグネスタキオンは、ようやくトレーナーと向き合った。

 彼は、目を丸くしてアグネスタキオンを見上げた。

 そんな、ゲーム機を初めて買ってもらった子供のような反応の彼をみて、彼女の緊張は、たちどころに崩れ去った。

 

 「君に感謝している。だから、何かできないかと思ってね。フラワー君に色々教えてもらって、作ってみたということさ」

 「た、たきおんがこれを」

 「失礼なこと言うねぇ、私だってやり方を覚えれば、これぐらい造作でもないよ」

 

 そう言って、彼女は弁当を指差し、

 

 「食べてみたまえ。味は保証するよ、まぁー卵焼きの見た目は改善の余地はあるけどねぇ、また今度作る時までに研鑽しておくよ____」

 「うまい」

 

 びくり、とアグネスタキオンは震えた。

 その卵焼きを、既に口に含んでいたトレーナーは、滝のように涙を流しながら、詰まった声で、

 

 「うまい」

 

 虚をつかれたような表情をしていたアグネスタキオンは、そんな彼を見ているうちに、みるみる困ったように眉を八の字にして笑みを浮かべる。

 

 「ハハ…… 喜びすぎじゃないのかい?ふふ、ハハハっ!」

 

 難題を乗り越えた時のような、確かな充足感がそこにはあった。




 

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