ピンポーン
約束の時間になり、電話で教えられた住所まで来た3人は部屋のインターホンを鳴らす。そうしたらすぐに「はーい」と返事が返ってきて、家主が扉をガチャリと開けた。
「失礼します。朝方こちらに連絡をした堀川百柄という者ですが、恩田累さんで間違いないですか?」
「うん、ここであってるよー。手前の白い髪の子が堀川百柄ちゃんでー、黒髪の子が十条姫和ちゃん、茶髪の子が衛藤可奈美ちゃんでしょ。さ、上がって上がってー」
「では、上がらせていただきますね」
「し、失礼します!」
「お邪魔します……」
「よろしくね、後輩達ー」
指定された住所の主、恩田累はビールの空き缶を片手にぷらぷらと振りながら、百柄達3人を取り敢えず歓迎する。いつ仕事を終えて帰ってきたのかは知らないが、既に結構顔が赤い。どうやらかなりの酒呑みであるようだ。
玄関から部屋の様子が少し見えるが、かなり物やゴミが散乱しており片付けが苦手もしくはものぐさな性格であることが窺える。初日にズタズタに破壊してしまい、いろいろなものが散らばってしまった寮の部屋を思い出すので、勘弁してほしいものだと百柄はそんな感想を抱いた。
──いろいろ汚い部屋って、あまりいい気持ちにならないよね。分かる。
チラリと後ろを振り返ると、どうやら姫和も可奈美も同じような感想のようだった。2人とも足を踏み入れるのを躊躇っているのが挙動で分かる。顔に嫌がる気持ちがはっきり出ているが、恩田累は特に気にすることもなく先頭を歩いていた百柄に紙袋を投げ渡した。
「あはは、散らかっててごめんね。一人暮らしだとどうしても掃除する時間も気力もなくてさー。それは私からの奢りだから、遠慮なく食べなー」
「ありがとうございます。いただきます」
「ふふ、百柄ちゃん以外の2人はすっごい怪しい奴を見るような顔だねぇ。まぁ私と話をしたのは百柄ちゃんだけだし、しょうがないけど」
恩田累の正体は、今はもう御刀を返納して引退した美濃関学院出身の刀使であった。つまるところは可奈美の先輩である。学長の羽島江麻には現役の頃からよく世話になっており、卒業後もこうして何かあった時には連絡を取って助け合う仲であるため、こうして3人を受け入れたという訳である。
姫和は元刀使という話を聞いて、刀剣類管理局の回し者かと疑ったが。本人の言葉を信じるのならばそんなことはあり得ない。一応は彼女を信用してみることにして、今後もできるだけ慎重に付き合っていくことにした。
──嘘をついてるような雰囲気はないか。先輩と可奈美の噛み合わなさをコント扱いして、げらげら笑えるような人だし今のところは大丈夫そう。
元刀使という話を聞いた時、姫和と違って可奈美は特に疑うこともせずに、恩田累の流派を聞こうとしていた。その2人の合わないところを見て大笑いできるのなら、あまり今くらいのレベルで警戒するのは過剰だろうと、彼女を少しだけ信用することを決めたのだった。
「あなた達の事情は聞いてるけど、余計な詮索はしないようにしとくわ。心も身体も疲れてるでしょうし今日はゆっくり休んでって、家の中の物は好きに使っていいからねー。おやすみー」
「おやすみなさい」
「あ……」
「取り敢えず、シャワー借りよっか?」
家の中の物を好きにしていいということだけ3人に伝え、恩田累は自身の寝室に行った。その後ろ姿を見送った百柄は、可奈美の言う通りシャワーを借りて身体を清めることにする。マンションの割には風呂場は広くのびのびと使え、思っていたよりも至福の時間を得ることができた。
ほかほかに温まった身体を拭きつつ与えられた客間に戻ると、先に風呂に入っていた可奈美と最後になる姫和が何か話をしていた。どうやら折神紫の裏に潜む大荒魂について、可奈美がどのようなものを見たのかを話しているようである。
「堀川さん。可奈美が見たという大荒魂の姿は大きな目玉のようだったそうだが、お前のところからはどんな風に見えていた?」
「私も同じような感じですよ。ノロ特有の橙色をした眼が睨んできたような感じで……折神紫は先輩の攻撃を防ぐ時に、御刀を無から取り出していたんですけど……その前兆みたいな感じでしたね」
「何というかさ、刀使が写シを貼った時と似たような感じだったんだよね。霊体を前に出して本体は隠世に引っ込ませるみたいな……その時に御刀も一緒に出てきたって感じ」
「隠世から御刀を取り出す……そんなことが」
普通、この現世と隠世は行き来できるような場所ではない。そんな場所に御刀を隠しそして取り出すなど、できるとは到底思えない行為なのだが……折神紫は実際にそれをやって、姫和の暗殺から身を守っている。いったいどんなカラクリが、そこまで考えたところで姫和は思考を打ち切った。別にここを深く考察したところで、次の機会に活かせる訳でもないのだから。
「姫和ちゃん……改めて聞くけど、もう一度御当主様の暗殺に挑むつもりなの?」
「……当然だ。二度目などないとは思っていたが、命ある限り諦める訳にはいかない。何度だって奴に挑み、そして斬ってみせるさ」
「……多分無理だよ。今のところ何となくでしか言えないけど、御当主様の強さは次元が違うような気がするんだ」
「確かに、あの速さの不意打ちを防ぐには未来でも見えていないとって感じでしたもんね」
姫和の奥義【一の太刀】は、【迅移】の段階を一気に引き上げることで銃の弾丸をも超える速度で攻撃する必殺の突き。同じく【迅移】を使っていない者には目で追うことすら不可能な速さを出せるはずだが、その一撃を折神紫は容易に防いでみせた。
二度目など警戒されて、出したとして更に悪い結果を生むだけになるだろう。ただでさえ一度繰り出せば反動で、しばらくの間写シも貼れなくなる程に消耗する技。それすらも通用しないとなると姫和にはもう切れる手札がない。可奈美はその点を踏まえた上で、暗殺は不可能と断じていた。
「ま、何のための協力者かって話です。私も同じく折神紫を斬ろうとした暗殺犯ですから、十条先輩への協力は惜しみませんよ。あの場では周りの人間を巻き込んでしまいかねないので、使うことはできませんでしたが……私の妖術は、例え折神紫が未来を知っていようとも、それで簡単に避けられるようなチャチな技ではありません」
「……頼もしいな。成り行きでのことだが今は協力者がいる、可奈美が考えている程絶望的な実力差はないはずだ」
「うん……うん?そういえばお前達、私は迅移で加速していても気付かなかったのに、よく奴の動きを眼で捉えられたな?」
「眼が良くなければ修行で死んでましたので」
「勘が働いた……ってのもあるかな?」
話の中で、姫和は百柄と可奈美の眼が異常に良いことに気が付いた。よくよく考えれば【一の太刀】を使っていた姫和は、普通なら眼では追えない程に速いはずだった。それを防げたことから折神紫の速度はそれ以上だったと分かるが、なのに見切ることができるのは尋常ではないという他ない。
百柄は七笑流の修行の中で、実戦で腕を磨いている内にこの視力が備わった。可奈美に関しては……本人もあまりよく分かっていないらしい。ぽりぽりと頭を掻きながら、勘の一言で片付けていた。姫和はそれを聞いて、「そうか……」と小さく呟くだけに留める。理由がないならそれで別にいい。
「恩田さんも寝てることですし、私達も今日はもう休みましょうか?せっかく布団で眠れるんですから今の内に有り難みを享受しておくべきですよ」
「……して、お前は起きて警戒か?」
「昨日も徹夜してもらったのに、今日もしてもらうんじゃ申し訳ないよ!今日は私が見張りをしておくから、百柄ちゃんこそゆっくり休んで!」
「……途中から私が交代する。そういうことだから堀川さん、お前も英気を養っておけ」
夜もかなり更けてきたし、そろそろ明日に備えて休むことを提案した百柄。昨日と同じように自分が見張りとして起きていようとしたのだが、可奈美と姫和の強い勧めで、無理矢理に布団の中に捩じ込まれることとなった。
──そういや私、平城の大会予選の時からずっと寝てないな。……甘えさせてもらおうかな。
布団の柔らかな暖かみが優しく百柄を包み、抗い難い眠気を与えてくる。瞼が落ちてくるのを自覚した百柄はこの際2人の好意に甘えることにし、襲いくる睡魔に身を任せることにした。
百柄が目を醒ましたのは、夜が明けすっかり陽も昇った午前7時のことであった。
〜
「……よし、全快だ!」
「これで十条先輩にも妖術を教えられますね」
「……やる時は屋上だぞ?」
「分かってますよ」
写シを展開し、姫和は身体中に漲らせた神力を電光として弾けさせる。もう【一の太刀】による体力の消耗からは、完全に回復したらしい。
妖術を教えても大丈夫にはなったが、人の家であるこの場でやる訳には当然いかない。マンションの屋上へ【天狗の風】で移動し、人が来ることのないそこで練習をさせることにした。
「十条先輩は筋が良いですね。私は風の制御を身に付けるのに5日かかったんですけど、この様子なら今日中には飛行もできそうですね」
「そうか?しかし妖術……凄い力だ。こんなものを隠していたとはな」
「隠していたのはそうですけど……やはり強い攻撃術となると、かなり範囲も広くなりますから。巻き込み事故を防ぐためには、刀一本でどうにかせざるを得なかったんです」
「と言いつつ、刀だけでも強いじゃないか」
姫和はなかなか筋が良く、死にかけで長く練習ができなかった百柄や要領のよくない可奈美よりも効率よく風の扱いを覚えていった。目視での風力の調節から、無意識での調節までをものの数時間で身に付け短時間であるが浮遊も可能とした。
百柄自身はこれだけできるようになるまでかなりの時間がかかったので、その上達の速さに嫉妬しない訳でもない……が、姫和が目的のために新たな力を手に入れて喜ぶ姿を見れば、そんな気持ちは何処へと消え去り微笑みだけが表情に残った。
「今日の練習はこの辺にして、続きは明日にしましょうか。写シをいつまでも貼り続けるのも疲れるでしょうし、そろそろ恩田さんも仕事から帰ってくる頃合いでしょうから」
「そうだな。間借りの礼に、食事の一品でも作っておくか」
疲労で姫和が風の制御を保てなくなってきたところで、百柄は練習を中断して部屋に戻るよう提案をする。時刻も午後5時を回り、家主もそろそろ仕事を終えて帰ってくる頃。練習に一区切りをつけるには丁度いい時間であった。
「先輩、料理できるんですね」
「母の世話をしていた頃に少し、な」
恩田累が帰ってくるまでの間に、冷蔵庫の中身を活かして夕食を2人で作る。可奈美が部屋の中を掃除していたのと合わせて、帰ってきた恩田は感動のあまり涙を流しそうになっていた。
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