「ほう……この一撃を耐えるか。だがその足掻きももう終わりだ。安らかに……眠れ」
百柄の奥義【天津甕星】と紫の【覇星剣】による衝突は、紫の勝利で終わる。土煙が晴れて姿が見えた百柄はうつ伏せに倒れ動かなくなっており、その手に握る陽剣【七笑】も、刃が中程からへし折れて限界を保たなくなっていた。
それでもまだ、息がある。不完全な状態で放った奥義であったが、【覇星剣】の威力を多少なりとも減らすことはできていたようだ。それが紫の一撃で致命傷を負うことを、本当にすんでのところで防いでくれていたのである。七笑がへし折られてしまったことも、攻撃のエネルギーを刀の方に分散させることで、百柄が受けるダメージをある程度は減らす役割を果たしている。
奇跡に近い状況で、百柄は命を繋いでいた。
しかし、紫にダメージを与えられずに五体満足で残してしまった以上は、この奇跡が長続きすることはあり得ない。現に【覇星剣】を撃たなかったもう一振りの御刀で、もう一度【覇星剣】を放ち百柄にトドメを刺す用意を整えていた。
「これでもう……異分子に惑わされることもない」
「おっと……それは早とちりだなァ」
右腕に握る童子切によって放たれた【覇星剣】の威力は、左腕の大包平で放った先のそれとは比べ物にならない。既に意識も抵抗する力もない的を相手に容赦がない、と知らぬ者に罵られても仕方のない絵面であるが。紫はそれでも百柄を確実に殺すことを選んだ。
最初の内は、鎌府の実験を元にノロ漬けにして手駒として使おうかとも思っていたのだが……自分を相手にした時の並々ならぬ殺意から、それを諦めて殺すことにしていたのだ。そこには未来すら見通す眼に映らなかった彼女への、紫の無自覚なくらいに小さな恐れがあった。
先程の一撃よりも大きな爆音と衝撃波で、道路は粉々に崩れ林は引き裂かれる。生身の人間が食らえば肉片の一つも残さない大火力であったが、百柄の五体は正常な形を保っていた。余波だけで数十m先までも破壊を伝播させる一撃から、何者かが百柄を守り切ってみせたのである。
「何者だ?貴様……!」
「問われたところで……答える名はねェ!」
頭から一本の大きな角を生やした、全身に血管が浮き出たかのような紋様が刻まれた大男。その身の丈に見合う大ぶりな剣を振るい、紫を敵と見定めて斬りかかる。二本の太刀を交差させて攻撃を受け止めた紫であったが、その途端に地面が陥没し身体を地中に埋められそうになる。そうなる前に脱出はしたものの、警戒度は更に跳ね上がった。
紫と大男の戦いは続く。倒れた百柄を守るように出てきた場からあまり離れず戦う男と、あわよくば諸共斬り殺すことを狙っている紫。しかしなかなか隙を見出せず、紫は苦戦することとなる。
──ちィ、隙がない……粗暴な口調と乱暴な剣筋からは想像もできん繊細な立ち回りだな。
二天一流を、ハンデを付けて尚も軽くいなす男が何者なのかは気になるところだが。厄介者なら早急に始末するに限る。御刀に込める神力の量をもっと増やし、【八幡力】と【迅移】を強化する。そのままでは打ち勝てないのなら、力と速さのゴリ押しで押し通るのだ。
「貴様の目的は、堀川百柄の救出か?既にそいつは虫の息……助ける価値などないと思うが」
「ごちゃごちゃうるせえ……コイツはなぁ、オレにとっちゃあ姪みたいなものなんだよ……!姪っ子が死にかけてるのを救うことが、何かおかしなことだと思うのかァ、てめェは……!?」
「成程、縁者か」
「随分と百柄を虐めてくれたみてェだから……その礼をくれてやるよ。こいつでなァ!!」
男から放たれる荒魂のそれにも似たプレッシャーに紫は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに気を取り直し【覇星剣】の構えを取る。第六感と眼が全力でこれからの脅威を警告し、紫に対抗するのではなく逃げるよう語りかけてくる……しかし紫はそれに耳を貸すことなく両手の御刀を振りかぶった。
「──────【横一文字】ィ……!!」
その言葉と共に、乱暴に薙ぎ払われた男の大剣が紫の横腹に突き刺さる。反応する間もなく圧倒的な破壊力によって写シが破壊され、紫の生身の身体は道路脇の林を掻き分けて、ここから遥かに遠い場所へと飛ばされていった。
見えなくなった紫のことなど忘れて、男は倒れたまま動かない百柄の方を見る。その力なく垂れた身体を優しく抱き上げると、彼女ごとその存在感が薄れていき、そこにいた誰かがいたという痕跡すらも消え去った。誰もいなくなった破壊の跡には冷たい木枯らしが一陣、ぴゅうと吹いていた。
「まだ息はあるなァ……死ぬなよ、百柄……!」
〜
百柄が目を醒ましたのは、赤と黒に埋め尽くされたそれ以外の何もない空間であった。
風隠の森での修行中、遊びに来たというナナワライの盟友に戯れで連れてこられたことがある。この世全ての悪意と呪いを司りし祟神の根城……ここは隠世。百柄が今いるこの場所は、『死後の世界』と呼んで差し支えのない場所である。そして、彼女をここに連れてきたのは──
「まさか、元の世界に帰ったのにあなたと再び会うことになるとは思いませんでしたよ……お久しぶりですね、スサノヲ様」
「挨拶なら構わねェよ……それよりもお前、身体は大丈夫なのか?一応治癒は施したが、それまでお前ずっと死にかけてたろう」
黒い靄のような何かを椅子代わりにしながら、スサノヲは酒を煽りつつ百柄の体調を気遣う。粗野な口調や態度と祟神という存在で恐れられている彼であるが、百柄とは友達の弟子に自分でも稽古をつけてやったという関係。お互いにそこまで悪い間柄という訳ではない。
……もっとも。スサノヲがつけた稽古といえば圧倒的な力でボコボコに打ちのめすくらいで、百柄の糧になったことといえば、格上に対しても諦めずに勝利を狙う心意気くらいなのだが。
それはそれとして、久しぶりの再会ということで百柄も少しだけ嬉しさを感じた。百柄の人間関係は全て風隠の森から始まったものであるため、そこで出会った人達との再会は、彼女にとってとても嬉しいものであるのだ。もう二度と巡り逢うことはないと思っていたから、尚更。
「私の身体なら大丈夫ですよ。治療してもらいましたし……というかどうして、スサノヲ様がここにいるんですか?いや、隠世のことじゃなくて」
「ふん……オレらの世界からお前らのところに流れていった技術やモンスターを利用して、何か悪巧みをしている奴がいることは知っていた。だがオレが知ったところで、そんな無闇に干渉して良いようなものでもねえ……だから静観を決め込んでた。そしたらお前が殺されかけたのを見て、こりゃあいけねェと助けに行ったって訳よ」
「そうだったんですか……私はまた、皆さんに命を救われたんですね」
「そういうことだな。ちなみにまだお前をあそこへ帰すつもりはねェぞ。今のまま戻ったところであの折神紫とかいう奴にやられるだけ……かわいい姪に同じ轍は踏まさせねぇ。お前を元の世界に帰すのはお前をパワーアップさせてからだ」
パワーアップ。スサノヲの提案はとても魅力的なものであるが、どのような方法で行われるのか皆目見当がつかない。少し内容が心配になった百柄が首を傾げていると、スサノヲの背後から小さな白い蛇を思わせる竜が姿を現す。竜は百柄と目を合わせると素人目でも分かるような笑みを浮かべ、百柄の胸に飛び込んでいく。抱きしめたそれは爬虫類の鱗のひんやりとした感触と、生物の温かみを併せ持っており、何だか不思議な可愛さがあった。
「しろちー!」
「スサノヲ様、この子は……?」
「そいつはシロッチ。オレが大昔に斬り殺してやった祟竜ヤマタノオロチ……その子どもだ」
「……そいつはまた、大層な子で」
自分が抱いている小さな竜は、どうやらとてつもない力を秘めた邪悪な存在であるらしい。そのことを知ってこんなにかわいいのに……と残念に思った百柄であるが。感じてみれば確かに、スサノヲにも劣らぬ禍々しい力を持っているのが分かる。
「コイツが持っている祟りの力を全て、お前に譲渡させる。失敗すれば祟りに取り殺されるリスクこそあるが……成功すればお前は強大な力を手に入れた新たな祟神となるんだ」
「私が、祟神に……なれる、でしょうか?」
「なれるさ。お前は七笑流剣術を半年にも満たない僅かな期間でものにしてみせた……ヒエンもハヤテもそうはいかなかった、お前は紛れもない天才ってやつだ。お前なら必ず、やり遂げられる」
「……分かりました。シロッチ、お願いね」
「しろちー!」
百柄は祟神になる覚悟を決めて、シロッチに利き腕を差し出した。死のリスクこそ確かに存在はしているが、そもそも折神紫に負けて隠世に来た時点で死んでいるようなもの。生きてもう一度戦えるチャンスがあるだけでも儲け物である。
荒魂を斬る……記憶を失った百柄に残ったのは荒魂への恐怖心と敵愾心だけであった。そのために七笑流剣術を修め、そのために伍箇伝に入学して刀使となった。荒魂を斬りこの世から消し去ることだけが唯一残ったアイデンティティ。荒魂に負けてしまった自分にはもう何の価値も残っていない、そのはずだったのだが……
──十条先輩、可奈美……もう少しだけ待っててください。あなた達だけに辛い思いは絶対にさせませんから……!
今の百柄には友達がいる。己が振るう刃で守りたい人がいる。その人達を守るために、百柄は生きて帰らなければならないのだ。それでも今の自分では力不足……百柄には絶対に、祟神に成らなければならない理由があった。
「しろつちー!」
「うっ……!ぐっ……ううううううぅぅ……!!」
「耐えろよ、百柄……そして至れ、神の境地へ!」
「ハァ……ハアッ……!」
シロッチが百柄の左腕に噛みつき、そこから祟りを流し込んでいく。その負担に百柄は全身が掻き回され崩れ落ちるような苦痛を味わい、立つことすらままならず膝を抱えて蹲る。
祟りを受けるというのは、例えるなら決して楽には死なせてくれない猛毒を飲まされること。それも漏斗を口に固定されて、流し込まれるのを拒否することも不可能な状態でだ。その苦痛たるや想像を絶するものであり、百柄が今受けている苦しみは計り知れるものではない。
──抑え込むんじゃ、ない……!自分の中に祟りを受け入れて、真に一つになるんだ……!
百柄がするべきは、この祟りを従えるでも抑え込むでもなく融和し一つとなること。人を呪い傷付けるための祟りを誰かを守るために使うことは、力の本質ではないため難しいかもしれない。
それでも百柄はできると信じて、祟りを少しずつ自分の中に受け入れていった。いったいどれ程の時間が経っただろうか、膝を抱えて蹲っていた百柄が再び顔を上げた時。
「しろつちー!しろつちー!」
「成功……したようだな。おめでとう」
「何だか……不思議な感じです」
「その力があれば、どんな相手だろうと負けるようなこともあるまい!行ってこい百柄、お前の使命を果たしてこい!」
「はい!」
百柄は祟神として、完全な存在と成っていた。