「……私、ここで倒れたんだね」
霧が晴れた時、そこにもう風隠の森は影も形もなくなっていた。あそこで過ごした日々は夢幻のようなものだったのかと思えるが、身に付けた贈り物の数々と陽剣【七笑】が存在を証明してくれる。百柄の四ヶ月は確かに、そこに有ったのだ。
元の世界に降り立って初めての場所は、記憶の中に薄らと残っていた始まりの場所。山を滑り落ちて瀕死の状態でヒエンに拾われた場所であった。
当時は死にかけていて、あまり鮮明には出来事を思い出せないのだが。それでもこの命が救われた場所ということで、他の記憶が壊れて思い出せない中でもしっかりとここだけは覚えていられた。
「さて、どこに歩けば町に出るかな?」
転がり落ちた結果、偶然に辿り着いた場所ということで。当然ここは山道からは外れている。一度整備された道に入ることができたらあとはそこを辿っていけばいいだけなのだが、そうできるようになるまでが大変そうだと百柄はため息を吐いた。
かと言って、いつまでも立ち止まってはいられない。取り敢えず上の方に向かって歩いてみる。転がり落ちてここまできたのだから、上の方にはそれまで歩いてきた道があるはず……そんな予想で取ることにしたルートだったが。
「うわあああぁぁ!!」
「悲鳴……先の方から!」
どうやら、このルートで正解だったらしい。
男のものと思われる悲鳴を聞いて、百柄は割とのんびり歩いていた歩調を早め駆け足になる。こんな森の中で悲鳴を上げるような出来事といえば、それはつまり今にも死にそうになっているということなのだろう。
森の中にある脅威といえば、百柄がやらかしたような滑落や猪や鹿といった野生動物の被害がある。しかしもっと可能性が高くて、その上で命の危険も段違いな相手もいる。
「荒魂……!こんなに早く、出逢えるとはね!」
「ミッ」
「……こんなものか?まぁ、小さかったし」
「あ、た、たすか、助かった……?」
声の聞こえる方にさっさと移動したおかげで、男が殺されてしまう前に間に合うことができた。襲っていたのは案の定というか荒魂。小型の大したことのない雑魚であったが、戦う術を持たない一般人にはそれでも大きな脅威となる。男の血塗れの頭を荒魂が噛み潰そうとしていたが、それよりも百柄が御刀を振り下ろす方が速かった。
斬られた荒魂は弾け、辺りに蛍光色の液体のようなノロを撒き散らして消えた。思っていたよりも呆気なく倒せたことに多少戸惑うも、まだまだ荒魂は数多くいるので、決して油断せず一体ずつ確実に斬り殺していく。例え百柄の一振りで散る儚い雑魚だとしても、そんなことは関係ない。
「七笑流──【紫電】!」
「ミッ」
「オブウッ」
「ェヅッ!」
「ギュッ」
十何体かを斬ったところで、ようやく新手が来ることはなくなった。安全のためにあまり時間はかけていられないので、【紫電】の連続攻撃で片っ端から斬り殺したのがよかったようだ。
「大丈夫ですか、怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫ではない、かも……助けてくれてありがとう、刀使さん……」
「今、携帯を持っていなくて。救急車は呼べないのでせめておぶらせてもらいますね」
「お願い、します……」
──私、刀使じゃないんだけどね。
スマホも何も持っていないため、百柄には外と連絡を取る手段が一つもない。当然だが救急車を呼んで来てもらうこともできないので、せめてこれだけでもと男を背負って歩くことにした。既にだいぶやられていたのかあちこち流血しているため、怪我を悪化させないよう気を付けて。
悲鳴を追って森を駆ける内に、気付けば道が整備されている所まで出てきていた。これを辿っていけば町に出られるはずと、百柄は道を踏み外さないよう慎重かつ足早に進む。
「何だろ……?町の方でも物音が酷いな」
「あ……ああ!そうだ、俺は、町が大量の荒魂に襲われたから逃げてきて、それでっ……!」
「……そういうこと、もっと早く言ってよ!」
「すっ、すまない!」
町には確実に近付いてきているはずだが、いつまで経っても夜景の灯りが見えない。しかも爆発だったり何かが壊れたりするような、物騒な物音が少しずつ目立ってきている。そのことに違和感を覚え百柄がボソリと呟くと、男は思い出したかのように狼狽えながら町の現状を訴えた。
当然そんな話は寝耳に水であるため、百柄は今更そんなことを言う男に悪態を吐きながら走る速度を更に一段階引き上げる。怪我人に少し大きな負担をかけることになるが、この際仕方がない。
「少し揺れますけど、病院まで飛びます!落ちないようにしっかり捕まっててください!」
「へっ、飛ぶっ?えっ、ああああ!!?」
速度を上げて更に走ると、ようやく町の端の方が見えてくるようになった。建物が火を噴き空を荒魂の放つ橙色の光が埋める、これこそまさに地獄絵図といった状況。降り立って荒魂を殲滅してやりたいのはやまやまだが、優先するべきなのは怪我人を病院まで送り届けること。沸き立つ荒魂への怒りをどうにか心の底へ沈め、百柄は一直線に病院へ向かうべく空を飛んだ。
起こした風に乗って飛行する妖術【天狗の風】で町を襲う荒魂をスルーしながら、一目散に病院に向かって飛んでいく百柄。背中におぶった男を振り落としてしまわないよう自分でも気を付けながら、どうにか妨害を受けることなく病院まで辿り着くことができたのだった。
「すいません、急患です!」
荒魂に襲われた被害者は他にも数多くいるため、病院では医療従事者達が患者に迅速に対応できるよう体制を整えてくれていた。そのおかげかどうかは分からないが、救急車に頼らず怪我人を連れて来たことに関して小言を言われたりすることはなく、治療に必要な情報を提供するだけで済まされた。
──よかった。まぁ救急車に連絡する手段も暇もなかったし、仕方ない……よね?
「私はこのまま、荒魂討伐に向かいます。怪我人の治療はよろしくお願いしますね」
「ええ、気を付けて。既に他の刀使さんが出動して対応してくれてるけど、荒魂の数が多過ぎて人手が全く足りてないみたいだから……」
「ありがとうございます。それでは皆さんもお気を付けて!」
「……最近の刀使さんって、飛べるのねぇ」
【天狗の風】で空を飛び、百柄は最も多くの荒魂が暴れている場へ直接向かう。何の脈絡もなく人間が空を飛んだのを見て、珍しいこともあるものだと首を傾げる看護師であったが、刀使ならそんな不思議なこともあるのだろうと自分を納得させて、意識を仕事に切り替えるのだった。
〜
「ギュメッ」
「まず、一匹……」
現場に辿り着いた百柄は、早速暴れていた荒魂の1体を斬り捨てノロに変える。中型の個体だったこともあり森で斬った小型の群れよりは硬く手応えがあったが、普通に一撫で斬れる範囲。殲滅するのに何の問題もない。
一体、そしてまた一体と、人を襲ったり、建物を壊したりしている個体から優先して斬る。助けた被災者は動ける者は学校などの避難できるところまで逃げるよう指示し、動けない怪我人はまだ壊れていない建物の中など安全な場所に避難させる。一般人を背にした状態での戦闘はなかなか骨の折れる難しい作業であったが、百柄はどうにか無傷で一帯の避難と荒魂殲滅を実現させたのだった。
「えーっと、東の方か……まだ戦ってる音がする」
──刀使ってどんな感じなんだろ?今までの反応からすると、空を飛んだりはしないようだけど。
記憶のない百柄は、荒魂と戦う刀使という人間がどんなものかをよく知らない。知らないが、『敵の敵はそのまた敵』ということには流石にならないだろうとポジティブに考えて、未だに戦闘の続く音が聞こえる方向へ応援に行くことにした。
「くそっ、敵の数が多過ぎる……斬っても斬ってもキリがない!」
「真希!後ろ来ていますわよ!?」
「しまっ……ガハッ!」
「真希!?このっ、痴れ者が!」
「此花さん!?」
「寿々花おねーさん!?そんな不用意に突撃しても意味な……あぁ、危ない!」
「あっ……!」
この荒魂災害に駆けつけた刀使達だが、その莫大な数を前にどうしても苦戦を強いられていた。十数人が戦闘に参加しておきながら、今尚継続して戦えているのは4人。『折神家親衛隊』と呼ばれる精鋭達だけであった。
しかし連戦に次ぐ連戦で彼女らも少なからず消耗しており、その隙を突かれ一人が戦闘不能に。仲間がやられたことに憤った寿々花と呼ばれた少女が仇を討ちに走るも、怒りで煮えた頭では単純な突撃しかできず返り討ちに遭う。御刀を弾き飛ばされた上に仲間も自分のことで手一杯、まさに絶体絶命というこの状況。
ー一ああ、一生の不覚ですわ……!
やられる。自らの死を覚悟し目を閉じた寿々花であったが、攻撃は一向に訪れなかった。不思議に思い目を開けてみると、そこにいたのは自分達の把握していない謎の白髪の刀使がいた。
「ふう、こっちは間に合った……かな?」
「え……あ、あなたは……?」
「えーと……通りすがりの、一般剣士です」
「え!?何それ!」
「質問なら後で受け付ける。私は増援、今はこいつらを斬ることに集中して!」
「あっ……えっ、は、はい!」
白髪の刀使の正体……百柄はすんでのところで守れた寿々花の質問に適当に答え、呆ける3人に残った荒魂の討伐に集中するよう伝える。ここでの百柄の働きはかなりのものであり、刀使達が何人も倒れた大群を瞬く間に斬り伏せ減らしてみせる。七笑流の技は【紫電】、息が絶えるまで続く連続攻撃で近付く端から荒魂をノロへ変えていった。
予期せぬ強力な援軍に、心折れかけていた親衛隊も再起し気持ち新たに御刀を振るう。参戦した当初より人数は少なく、一人でどうにかできる範囲にはどうしても限界があるが。それでも今なら勝てるかもしれないという思いで、疲労で重たくなった身体を無理矢理動かした。
「……皆さん、スペクトラムファインダーの反応がなくなりました」
「お、終わったんですの……?」
「やった、勝ったんだよ私達!」
「……して」
親衛隊の一人、皐月夜見の言葉は町を襲う荒魂が全ていなくなったという意味を持つ。それは即ちこの戦いが終わったということ。親衛隊は町を守り切ることができたのだ。
疲労困憊、といった感じで寿々花は事が終わった安堵に大きく息を吐いた。しかしまだまだ後始末としてやるべきことが残っている。避難民や匿っている怪我人の救助もそうだが、自分達がやるべきことは目の前の謎の少女を連行すること。
──この方、普通に荒魂を斬っていましたが、写シも何も刀使としての技能を使っていませんでしたわ。少なくとも味方……ではありそうですけど、いったい何者なんですの……?
「あなたには私達について来てもらいますわ。聞きたいことがいろいろありますの」
「うん、私もそのつもりだった。でも、その前に」
「……?刀を振りかぶって、何を……っ!?」
「七笑流【石切】。油断大敵、ってやつだね」
「おお……鮮やかな一撃!」
──け、計測器にも引っ掛からなかった荒魂にどうして気付けてるんですの……!?本当に訳の分からないお方ですわね!
地中に潜んでいた荒魂。戦いはもう終わったと油断しているところを襲おうとしたのだろうが、百柄はそれに気付いており荒魂が地面を割って頭を出したその瞬間に【石切】で粉砕した。
飛び散ったノロが身体にかかり、ねっとりとした不快感と共に寿々花は更に疑念を募らせる。必ずや謎の少女の正体を暴いてやると、半ば逆恨み気味に決意を固めるのであった。
「それじゃ、連れてってもらおうかな」