黄金律者の徒然 作:フィッツジェラルド
財貨の怪物、徳川天理。
成人にも満たない少年は、今では世界有数の大金持ちだ。
特に経済面においては、彼が資産を溜め込むだけでも経済に停滞が起きてしまうと言われるほどのもの。加えて、世界各地で事業を起こし“徳川グループ”と呼ばれる巨大な経済圏を成立させてしまっている。
「甘いものが好きなの?」
「ああ。体を動かした後には、糖分を取りたくなる。私自身、結構な甘党でね」
黒い革のソファを軋ませて足を汲んだ徳川天理は、湯気を登らせるマグカップに口を付けて旨そうに中身を啜る。
ある意味では年相応に見える彼の姿を見ながら、赤毛の女性マキマは倣うように珈琲の入ったカップへと口を付けた。
場所は在ソ連日本国大使館。
その一室にて、二人は足の短いテーブルを挟んでソファに座り向かい合っている。ついでに、徳川自身も用意させた黒いスーツに着替えていたりする。
「さて、着替えも済んで温かいものも飲んだ。話をしても良いかな?」
「構わんよ……しかしながら、何を聞きたい?」
「全てを。どうして、ここに居るのか。なぜあの場所に居たのか。本当にキミが銃の悪魔を打倒したのか。したのならその方法を、違うのなら誰がやったのか。簡単に、これ位かな」
「まあ、妥当な所か。とはいえ、そう変な事はないさ。この国に居たのは、私の商談の為だ。もっとも、その取引相手はあの悪魔に殺されてしまったがね。あの場に居たのは、喧嘩を売ってきたのがあの悪魔だと知ったから。叩きのめしたのも、私だ。少々手間ではあったが……大したことは無かったな」
「…………」
ココアを啜り肩を竦める徳川。
彼の言葉に嘘はない。そもそも彼は、必要以上に自身の事を包み隠すつもりはなかった
無駄に隠し事が増えれば、ソレは弱点と同義。思わぬところでポロリと零れてしまうのが世の常というものだ。
マキマは、目を細める。
彼女の今回の目的は、銃の悪魔を討伐する事。それから、もう一つの目的もあったのだが、どちらも目の前の少年の行動によってご破算となってしまった。
恨み言などを言う気は無いが、解せないという気持ちはある。
そもそも、
「キミ、悪魔と契約してる?」
「いいや?」
「『正直に言いなさい』」
「だから、していないと言っただろう?というか、そっちが素か」
マキマは、自身が格下と判断した相手を支配する事が出来る。
かなり反則染みた力であり、尚且つ特別デメリットが無い。この力を持って、彼女は多くの事を成してきた。
ソレが今、効果を発揮しない。
(私の支配を弾けるような悪魔は、そうは居ない。彼が嘘を吐く理由も無い)
理由は分からないが、常套手段は封じられた。
その一方で、徳川はやろうと思えばこの状態からマキマを縊り殺す事など苦労なく熟せる事だろう。
やるかやらないかは別として。
「それにしても、マキマは公安の所属だったか?」
「うん。公安対魔特異課」
「うーむ…………これは、渡りに舟、というものだろうか」
「?」
カップを置いて徳川は、顎を撫でる。
意味深な間が開いて、彼は改めてマキマの目を見返した。
「実は私も、近々デビルハンター業に手を出そうかと考えていたんだ」
「……それじゃあ、開業申請をしないとね。色々と手続きが――――」
「そこなんだよ、マキマ」
「ん?」
「私は、デビルハンターとしては素人だ。止むを得ず討伐する事はあれども、そもそも悪魔に対する知識も経験も不足している。一からやるのも嫌いじゃないが……うん、軌道に乗るころには少なくない数の従業員を失う事になるだろう」
「まあ、だろうね」
「それは困る。人材というものは、得るのは簡単でも育てる事は難しいんだ」
「それも分かるよ。うちも万年人手不足だからね。新人も一年以内に居なくなる事も多いから」
「かといって、他社から奪い取る事は後々の禍根が面倒だ。握り潰す事も出来るが、恨み辛みで悪魔を差し向けられるのは鬱陶しい事この上ない。そこで――――」
言葉を切り、徳川の指がマキマへと向けられた。
「私は、公安対魔特異課を
言い切ったその言葉は、傲岸不遜。しかし同時に、不可能ではない事でもある。
流石に予想外だったのか、マキマはキョトリと目を見開いた。
「……公安を?」
「その通り。ノウハウが無いのなら、ある場所からもらってしまえばいい。そもそも、国家公安と民間それぞれでデビルハンターを抱えるメリットは何だ?」
「個人では難しい悪魔に対して、国をバックアップとして事に当たれるのは良い事じゃないかな?」
「言っては何だが、その程度の事なら私でもできる。ノウハウが無いと言ったが、だからといってこちらも完全な素人じゃあない。一応、調べもついている。民間側と公安側では軋轢があるだろう?私は、その溝を取り除いてあげようと言っているんだ」
デビルハンターは金になる。
命の危険が常に付きまとうが、それでも討伐さえできればリターンは大きい。一度の討伐で数十万以上稼ぐ事だって可能だ。それが、命を懸ける事に釣り合うかは別として。
民間にも幾つかのデビルハンター会社が存在するが、その一方で先述のように国家規模で運営される組織もあった。
それが公安の一部署である対魔特異課。
殉職率は高いが、その分給与と福利厚生が確りとしており、金目当てに就職する者も少なくない。
その性質上、民間では相手できなかった強力な悪魔を相手取る事が多いのだが、その分生き残っている者達は強者揃い。
徳川の取ろうとしている手法は中々な強攻策だが、手練れを一気に獲得できるという点を顧みれば理にかなっている。
「…………本当に、買い取れると思うの?」
「とりあえず、五兆から始めるとしよう。そもそも、買い取るとは言っても君達公安の仕事を変えろ、と言っている訳じゃない。ただ、国から私に鞍替えするだけだ。給与、福利厚生に関しては国以上のバックアップを約束しよう」
初っ端の桁がおかしいが、しかしそれだけ彼も本気だという事。
マキマは、考える。
徳川はきっとこの買い取り交渉をやってのける事だろう。その場合、自分はどうなるのか。
彼女は、一応公安所属だが雇い主は官房長官の方になる。そして、あの老人たちが自分を手放すかどうか。
結論、手放さないだろう。そもそも、契約がある事だし。
しかし、
「…………それじゃあ、面白くないな」
口元を隠しながら、小さく呟く。
二人しかいない部屋だ。聞こえてしまったかもしれないが、マキマ自身隠す気はなく、徳川も突っ込まない。
手駒が減る事は少し困る。居てもいなくてもやりようはあるが、それでも使い勝手のいい相手が多い方が色々と楽だから。
何より、目の前の男を手放す事が面白くない。
彼女に支配できない存在。不確定要素だ。始末するべきだろうし、正直な話最大の障壁にもなりかねない。
一方で、その排除を惜しいと思ってしまう彼女も居た。
マキマには、マキマの目的がある。口元に運んでいた手を下して、ココアを飲み干した少年へと改めて目を向ける。
「ねぇ、キミはこの世界を良くしようと思ったら、どうやる?」
「ん?随分と抽象的な質問だな…………まあ、良いか」
問われた徳川は、左手で顎を撫でながら虚空へと視線を走らせる。
「何を持って、“良い”と評するのかによるか。ありふれた答えだが、同時に真理でもある。私の考える“良い世界”と君の考える“良い世界”は別物だ。それが個性であり、個人というものだからだ。この差を無くそうと思うのなら、そうだな…………人間という存在から“心”という概念を消し去るほかないだろう」
「心を?」
「ああ。人間の行動原理は、基本的には本能よりも感情が勝る。命の瀬戸際ではその限りではないがな。極限の状況でこそ人の本質が出ると言われるが、私としては常日頃から被っている仮面もまた本質の一端であると考えている」
「へぇ、ぜひ聞かせてもらいたいな」
「大した理由じゃない。仮面を被っている者達は、意識的にしろ無意識的にしろ、自分の本質というものを知っているのさ。そしてその本質が、周りに受け入れられない事もどこかで悟っている。だからこそ、仮面を被って周りに同調する。“知られたくない”これもまた人間の本性の一つだろう?」
徳川天理は、嘘を吐くという行為を否定しない。必要な嘘というものがこの世にあるという事を知っているし、嘘というものはコミュニケーションを円滑にする一種の潤滑剤にもなりえるから。
同時に、仮面を被る行為を許容する。人は誰しも触れられたくない一線というものが存在すると知っていたから。
マキマは目を細めた。
「キミも仮面を被ってるのかな」
「どうだろうか。被っているかもしれない、被っていないかもしれない。その判断は、私ではなく他人が付けるものだ。私が違う態度を取ってそれを裏切られた、と感じた時に人は相手が素を見せていなかったと思うようだからな」
面倒な事だ、と徳川は肩を竦める。
相手によって態度を変えるのは、ある意味当然。年功序列や縦社会、等という言葉があるのだから。そうでなくとも、親しい相手と、そうではない相手。家族、恋人、友人、同僚、上司、部下等々。人間社会が発展してきて、そのコミュニティも複雑化してきている。
そもそも、この問答に正答など存在しない。
「ま、大層な事を言っているが私としては、世界への正当性など求めていないんだがね」
「…………」
「これから先、時計の針が進めばそれに合わせて世界も変わっていくだろうさ。科学技術は発展し、世界人口は増え続ける一方。人間というものは、緩やかな滅びへと向かう」
ソファの背凭れから体を起こし両手の指先を合わせて、組んでいた足を解いて太ももの上に肘をつき徳川はじろりとマキマを見やった。
「マキマ。君は、いったい何をどうやって“良い世界”へと変えるつもりだ?」
「興味あるんだ」
「私ばかり語っても面白くないだろう?迎えも、まだまだ来ないようだからな」
「…………そうだね。私は、あるモノが欲しいんだ。その為に、今回の銃の悪魔討伐も必要だったんだけど……キミに会えたのなら、差し引きゼロでも良いかな」
「私か?」
「銃の悪魔の討伐何て、並大抵のデビルハンターじゃまず不可能だよ。でも、キミはそれを成し遂げた。どんな手品を使ったのかは分からないけれど」
「で、どうする?君は、悪魔なんだろう?」
「迷ってる。私がそのままに行動を起こすなら、キミは必要ないんだよ徳川君。でも、その一方でこのままキミを始末する事は勿体ないとも思ってる。能力が通用しない相手も珍しいからね」
再三再四とはなるが、マキマの興味はそこに尽きる。
このまま戦闘になり、屈服させれば自分の下僕に出来るのかどうか。そもそも、銃の悪魔を討伐出来ただけのカラクリは一体どういうものなのか。興味は尽きない。
指を離して、再びソファの背もたれに体を預けた徳川は、一つ息を吐き出した。
「ふぅ……なら、私と契約してみるか?」
「私が悪魔と知ってて?」
「これから先、秘書が欲しかった所でね。悪魔に関しては悪魔に聞くべし、といった所か。腕も経つようだし。もっとも、無理強いはしない。君が乗り気でないのなら、断ってくれてもいい。時間が欲しいのなら、そうだな…………私が対魔特異課を買い取るまでに返事をくれれば良いさ」
ひらりと手を振った徳川。
これに、マキマが返答を返す前に、部屋にノックの音が転がった。
迎えが来たらしい。
長い脚を動かして立ち上がった徳川は、そのままマキマを一瞥する事も無く扉へと向かう。
「それじゃあ、私は失礼しようか。縁があれば、また会おう」
重厚な扉が開かれ、そして閉じる。
その音だけが大きく響いた。