ここは馬と鹿の国。
1000年続く由緒ある国である。
「しかし、この国の馬はでかいな」
「ああ、こいつらはこの草原の草を食って生きているからな」
「へー、そうなのか。俺もここに来て、初めて知ったよ」
「まあ、知ってる奴なんてほとんどいないけどな。こいつらでかすぎて売れないから余所の国じゃあんまり見ないだろうよ」
確かに。
この国は農耕をする民族だ。馬も農耕用に使うし、乗るための馬もいる。
だけど、農耕用の馬に比べて大きいのだ。
この大きさでは乗れる人が限られてしまうだろう。
「こいつ、どうやって乗るんだ?」
俺は巨大な馬を指さして言う。
馬に乗るなら鞍を付けなければいけないが、そんなものは見当たらない。
そもそも、乗っている人は見たことがない。
その言葉に男は答える。
どうやら、この男はこの馬の世話をしているらしい。
だから詳しいようだ。
彼は言った。
「乗らねぇよ。こいつは荷物を牽くのに使うのさ」
なるほど、そういうことか。
農耕用の馬には荷車が付いている。
この馬も荷車を引かせるためにこんなに大きく進化したのか。
それにしても……。
ここまで大きくなるものだろうか?
「ここは馬と鹿の国だからな」
そう言って男は笑った。遊牧民族である馬の民と狩猟民族だった鹿の民が融和した歴史を持つ国。
そんな国で新たな王が即位したというニュースは瞬く間に広まった。
とはいえ、今回は今までとは随分事情が異なるようだった。
「今、王になる資格があるのは末の妹のアリア様お一人。果たして王になって下さるかどうか……」
***
馬と鹿の城は混迷を極めていた。
「嫌よっっ!!!!」
玉座の前に立って叫んだ少女の名はアリア・エオー・エオロー・オセル。前国王の娘にして、オセル王家の最後の一人である。
「そう言われましても、代々馬と鹿の王は、王家の秘宝を身に纏って頂く決まりとなっております故に……お受けくださいませぬか?」
恭しく頭を下げる老人は、馬と鹿の王の側近であり宰相を務める男である。
そして、その言葉を聞いていた周囲の者たちもまた同様に頭を垂れている。
「じゃあ、もう一回言ってみなさいよ!!その効果とやらを!!」
彼女は声を荒げて叫ぶ。
その表情からは怒りが見て取れる。
彼女の目の前にある宝箱の中には、七色の光を放つ薄衣があった。
「はっ……
申し上げます!『着た者には、あらゆる武器、魔法で傷つかず、毒や呪い、病すらも打ち消し、いかなる攻撃でも死に至ることはない祝福が与えられる』と伝承されています!」
アリアは神妙に頷く。
「他には?」
アリアの言葉に側近の男は再び口を開く。
それは、彼女が最も聞きたくない言葉であった。
しかし、聞かずにはいられなかった。
それを聞いたら本当に認めなくてはならなかったからだ。
それでも、認めざるを得なかった。
なぜならば、それが事実であることを知っていたからである。
「着用すると『透明』になります」
「……」
沈黙が流れる。
アリアはしばらく黙り込むと、意を決したように顔を上げ、こう言い放った。
「絶対イヤッ!!!!」
着ると透明になる服、そんなものが伝説として語り継がれているのは世界広しと言えどここだけであろう。
だが、彼女はそれを拒否せざるを得なかった。
理由は簡単だ。
そんな服を着たら痴女になってしまうからだった。
そんな彼女に、周囲から非難の声が上がる。
しかし、それも無理はない。
「しかしながら、初代オセル王が女神との対話に成功し、神の加護を受け賜った時に身につけたという文献が残っております故、その効果が確かなものですぞ?」
側近の男は言う。
アリアは唇を噛む。
その言葉が嘘ではないことを知っていたからだ。
この国の始祖は、裸で王になったという伝説がある。
彼の時代は良かった。なにせ、誰も彼も腰蓑しかつけていなかったのだ。
当然、下着などというものはなく、皆生まれたままの姿で過ごしていたという。
そんな時代も終わり、今は文明開化の時代である。
衣服を身につけないというのは、流石に抵抗があった。
だが、同時に、その伝承の信憑性の高さも理解していた。
なぜならば、彼女の父は裸にパンツ一丁で生活をしていたのだから。
そんな父の姿を見て育った彼女にとって、今更恥ずかしいということもないだろうと考えていたのだ。
だが、現実は違った。
「パ、パンツは許されるのよね?ね?」
アリアは側近の男に尋ねる。
彼女は必死だった。胸はもう諦めよう。それでも乙女として一番大事な部分は譲れなかった。
その質問に対して側近は答える。
それはあまりにも残酷な答えだった。
「恐れながら……前国王はそのパンツによって命を落とされたのです。そのため、パンツは許されておりません」
絶望的な言葉であった。
恐るべきことに神が与えた衣はほかの衣類を纏うことを拒んでいた。
つまり、着るならば全裸しかないということだ。
彼女は考えた。
どうすればいいのかを。
しかし、解決策は見つからなかった。
そして、彼女は決断する。
「少し覚悟を決める時間が欲しいの……明日まで待ってもらえるかしら?」
側近の男は恭しく頭を下げた。
しかし、そこに待ったをかける男がいた。
馬と鹿の国の騎士団長である。
「お待ちください。これ以上の裸の王の不在は周辺国に付け入る隙をあたえてしまいます!どうかご再考を!」
騎士団長は叫ぶ。
「待って?周辺国とは仲良くやってるはずよね?何が問題なのかしら?」
アリアは首を傾げる。
彼女は知らなかった。
隣国との関係が悪化していることを。
そもそも、彼女はこの国が戦争に巻き込まれることなど考えていなかった。
彼女は平和主義者なのだ。
だが、騎士団長の言葉はそれを揺るがすものだった。
「いいえ、それは裸の王の威信あってのものでございます!故に、その権威が失われた以上、もはや友好的に接する理由もありませぬ!」
アリアは絶句した。
彼女は何も知らなかったのだ。
騎士団長は語る。
きっかけは100年前、当時の王は七色の薄衣を纏い裸の王として君臨した。
そして、その全能感と開放感の赴くままに大陸中の国へ侵攻したのだ。
だが、それは長くは続かなかった。
理由は簡単だ。
彼は、強すぎたのだ。
七日のうちに戦乱は終結し、全ての国は降伏を宣言した。
それ故に今日まで馬と鹿の国は最大級の配慮を持って扱われてきたのだ。
しかし、その奇跡のような歴史も終焉を迎えようとしていた。
騎士団長の言葉にアリアは青ざめる。
(これはマズイわ。何とかしないと)
彼女は焦っていた。
もしこのまま、自分が裸にならなければ、隣国との戦争が起こるかもしれない。
そう思うといても立ってもいられなかった。
だが、彼女は知っている。
自分の力ではどうすることもできないということを。
だからこそ、彼女は願う。
神よ。私をお救い下さいと。
しかし、彼女が見上げた先には、ただ虚空が広がるだけだった。
アリアとて、本当は分かっているのだ。
もうこの国を救えるのは自分しかいないのだということが。
アリアは悩んだ。
それは、生まれて初めてと言ってもいいほどに。
「何卒、ご決断を!!」
家臣一同が頭を垂れる。
彼らはアリアを待っていた。
彼女の決断を。
「うぅ……あぁ……」
アリアは声にならない声で呟く。
彼女は悩んでいた。
つい、昨日までは淑女たれ、貞淑たれと教育されてきたのだ。
だが、ついに決心したのだ。
彼女は玉座から立ち上がる。
そして、彼女は言った。
それは、彼女の人生における最大の決断だった。
アリア・エオー・エオロー・オセルは叫んだ。
「着ればいいんでしょ!?着れば!!分かったわよ!!」
彼女は叫びながら走り出す。
その表情は怒りに満ちていた。
だが、その目には涙が浮かんでいる。
そして、彼女はそのドレスに手を伸ばし脱ぎ捨てた。
一糸まとわぬ姿のまま玉座に戻り、七色の薄衣を手に取った。
アリアの顔は真っ赤に染まり、その目は羞恥に震えていた。
それでも、彼女は意を決してそれを身に纏った。
次の瞬間、薄衣はまるで吸い込まれるように身体に張り付いた。
残ったのは生まれたままの姿のアリアただ一人である。彼女は泣いた。
そして、泣きじゃくりながらもこう思った。
(こんなことなら……いっそ殺してくれてもよかったのに……)
こうして、馬と鹿の国に初となる女王が即位したのであった。