ふと感じた肌寒さ。
かじかんだ手のひらに息を吐きかけて指先を暖めた。
時節柄、町は色とりどりの光と音に包まれ行き交う人々を見守っている。
笑顔いっぱいの親子連れ。
今になっても仕事に追い回されるビジネスマン。
そして、その光景に溶け込もうとする者たち。
ひと気のない公園の中、ベンチに腰掛けて夜空を見上げる。
12時を告げる鐘を耳に残し、遠目に光を俯瞰する。
温かみを覚えるからこそ自分がそこに揺蕩うことに違和感が拭えない。
いや、もはや忌避感と言って良い。
だからこそ、逃げるように巡り巡ってこの場所にたどり着いた。
色のない瞳のままただ光を見詰めていたその時…──
イルミネーションが色を喪い、静寂が世界を支配した。
光が単色に切り替わる。
単なる主観としてではなく事実として世界に切り離された感覚。
けれど、それで一体何が変わるのか。
突然の不思議な現象に虚を突かれたのも一瞬のこと。
首を振りその場を立ち去ろうとすると、背後で大きな音がした。
なにかが高いところから落下したような、それ。
振り返ると茂みに、一人の男が倒れていた。
年の頃は二十代に入るかどうか。
男本人には顔立ちが整っているという他に特筆すべき特徴はない。
しかし、その格好が変わっていた。
赤い上下の服に、ブーツ。そしてなにより大きな白い袋。
幾ら世間の流行り廃りに疎い人間であろうとその格好の意味は理解できる。
サンタクロースのアルバイトであろうか。
いかにもな『らしい』装い。
こんな日にサンタクロースが行き倒れているなど如何にも悪趣味な。
皮肉な笑みの一つも浮かべるのが礼儀だろうが特に心が動く様子もなく。
そして慌ただしい足音が近付いてくる。十中八九、男の関係者だろう。
「助かった。……しかし何故?」
特に理由はない。強いて言えば、そう、ただの嫌がらせである。
見るからに訳有りの男。そして忙しない足音。
そのままいけば実現したであろう感動の再会を、関係ない第三者によって踏み躙りたくなった。
ただの思い付き。
その感情の赴くまま足音から隠すように男を茂みへ押し込めたのだ。
なんとはなしに自分も隠れてみたのはご愛嬌。
ところが蓋を開ければ男は追われる逃亡者であり感謝される始末。
愉快なことになると思ったのに結果として男を救う羽目になったのは誤算であった。
痛恨である。
それを素直に述べてみれば。
「性根が腐っている。そして目が死んでいる」
にべもなく切り捨てられた。甚だ遺憾である。
特に後の一文は必要だったのか膝を突き合わせて議論したい。
とはいえ、所詮は行き摺りの関係。
いちいち目くじらを立てることすら無粋というもの。
それでは、と辞去せんとした自分の背に男は口撃を重ねた。
「出られないぞ。俺の仕事が終わらない限り」
は?
は???
「……そんなにぶすくれるな。仕方ないだろう」
男は本物のサンタクロースであった。
先代がとある事情で引退したこともあり、急遽あとを継ぐ形となった新人サンタ。
それが彼なのだとか。
当然それを面白く思わない輩だって存在するだろうから、先の襲撃を受けたのかも知れないとは彼の弁。
サンタはプレゼントを配る際に時間と空間の隙間を移動する。
逆説的に仕事を終えなければこのなんかよく分からない止まった空間は解除されない、というわけだ。
ファンタジー過ぎる世界観とかはこの際どうでもいい。受け入れよう。そうするしかないのだから。
しかし声を大にして訴えたい。
なぜ自分が巻き込まれる羽目になるのか。
「普通の人間ならば巻き込まれない。普通じゃない自覚は?」
抗議をする。
拳を振り上げることも辞さない。
「いいから早く仕事をしよう、お互いのために」
確かに不毛な争いをしていても仕方ない。
不承不承納得し、そうして仕事、プレゼント配りがはじまった。
赤の他人のために。
バカバカしい。
単色に塗れた笑顔。笑顔。笑顔。
皆一様に、それぞれの笑顔を貼り付けたまま固まっている。
親子も、ビジネスマンも、老若男女の区別なく。
悪趣味なマネキンの林を往く。
男と二人でプレゼントを配るために。
世界中の子供たちのもとに向かう羽目になるかと辟易したものだが、どうやらそうでもないらしい。
人は自力で大抵の願いを叶えられるようになった。
そういった子供たちにはプレゼントを配る必要がないのだとか。
ゆえにサンタの仕事量は減少の一途を辿っているらしい。
若造でも継ぐことが出来たのはそれが理由とのこと。
伝統工芸の後継者問題のようなものか。世知辛いものだ。
「そういえば、最後に回すが君自身のプレゼントも考えておくように」
? なるほど、いわゆるバイト代のようなものだろうか。
「そんな感じだな。……けれど、人の生死にかかわることは求めてはいけない。そこだけは注意しておくように」
──それは何故?
見透かされたような気がして思わず目を細める。
「気軽に取り返せるようになったらその相場は下落する」
納得しかねる。
既に人の命の価値など戦争、貧困、疫病、差別、その他諸々のコンボでストップ安なのだから。
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
言い聞かせるように言葉を紡ぎながら男はゆっくりと首を振る。
一体何が違うのか。
「君自身が決める、君の願いの価値は決して貶められて良いものではない」
そんな言葉を投げかけられるとは思ってもみなかった。
一瞬、言葉に詰まる。
それがたまらなく悔しかった。
ならば先程までプレゼントを配っていた子供たちの願いに価値なんてないということになろう。
苦し紛れにそう口にしてやれば。
「つくづく性根が腐っている」
男はそう言って、淡く微笑んだ。
それが無性に癇に障った。
それからはお互い無言のまま時の止まった町を進んだ。
作業に慣れてきたものだから進行に淀みはなかった。
やがて終りが見えてくる。
この単調な作業からの、この不可思議な空間からの解放の時が近付いてきた。
最後の家の前に黒尽くめの女が独り、立っていた。
黒い上下の服に黒いブーツ。何処か隣に立つ新人サンタと似た雰囲気の服。
この女こそ公園で聞いた足音の主だったのだろう。そう直感する。
こちらの警戒をよそに女は口を開く。
「こちらの家へは私が配っておきました」
「……ブラックサンタ。君か」
ブラックサンタと呼ばれた黒い娘は淡々と言葉を返す。
「正確にはその娘です。まだ襲名しておりませんから」
「何故俺を襲撃した?」
「目的は一つ。袋を使わせていただきたく。用が済んだらお返ししますので」
「……なんのために?」
男の質問に対して少女は表情を変えぬまま、言葉を紡ぐ。
「父、ブラックサンタを甦らせるため」
「それはできない。……君ほど優秀だったら理解しているはずだ」
「生死に関することを求めてはいけない、でしたか」
「そうだ。だから…」
「『できない』、とは言わないのですね? 最後のお願いです。さあ、袋を」
女の発言に男は押し黙る。しかし袋は固く握ったままだ。
そんな様子に気を悪くしたふうもなく女は歌うように朗々と言葉を続ける。
「悪い子供を折檻するブラックサンタ。子供たちみんなの嫌われ者」
「それは…」
「同時に子供の夢を吸い取り徐々に大人への道を歩ませる必要悪」
「………」
「なのに父は切り捨てられた。忘れ去られて消え去った。もはやこの地では知る者すら限られる」
そう言って女は、黒く輝く鋭い石を手に素早く男の腹を切り裂いた。
音もなく男は倒れ伏し、地面に血溜まりが広がっていく。
その光景を何処か他人事のように見守っていた。
「せっかく誰にも気付かれぬよう先代を殺したのに、次代になれなかったのは誤算でした。でもこれでおしまい」
ここで女は初めて泣き笑いの形へと表情を変化させた。
どこかで見たことのある表情だ。
あぁ、そうか。
「あなたは… あぁ、そうですか。あなたも」
視線がぶつかり合う。
「……あなたも、ご家族をなくされているのですね」
そのとおり。
クリスマスなんてクソ喰らえだ。
あんな曖昧で輪郭がぼやける光に包まれ誰も彼も同じような笑顔に浸るなんて怖気が走る。
「『この世界』に入れるわけですね。あなたも私も、そこの男も…」
誰かの隙間にしか存在し得ないちっぽけな世界。
そんな掃き溜めに入れる存在など。
なんてことはない。
自分たちは本来あるべき世界から弾かれ零れ落ちた無価値な存在に過ぎなかったのだ。
願いを持てぬ男。願いに押し潰された女。
そして… 願いを捨てた自分。
──………。
歩き出す。
倒れている男のもとへ。
「おや、袋を使われます? えぇえぇ、構いません。お先にどうぞ。あなたは私、私はあなた。あなたにはその権利がある」
女はせっかくの美人が台無しになるような、しわくちゃの笑顔のまま涙をポロポロこぼしている。
あぁ、どうでもいい。
きっと、なにもかもどうでもいいのに足は止まらない。
そして袋に手を伸ばす。
「あなたは何を願いますか? ご家族の生還? あるいはそこの男の蘇生なんてのもお人好しっぷりが強調されていいですね!」
もはや金切り声になった女の絶叫が耳障りだ。
これはそんなんじゃない。
『普通の人間ならば巻き込まれない。普通じゃない自覚は?』
『君自身が決める、君が望む願いの価値は決して貶められて良いものではない』
──これは、そう… ただのバイト代だ。
12時を告げる二度目の鐘が響き渡る。
自分の願いは、何もかもを台無しにして無価値に貶める冒涜的なものであったことだろう。
でもそれで構わない。
むしろようやく嫌がらせを為せた爽快感でいっぱいだ。
自分の家族は死なず、男は無価値な奉仕人から解放され、女は父との日々を取り戻す。
それら全ての価値を暴落させながら時は巻き戻った。
嗚呼素晴らしき哉、愉快でたまらない。もう目が死んでいるなどと言わせまい。
天の光は全て星。
それらを瞳に映し込みながら笑みを浮かべていると、背後の茂みがガサリと音を立てた。
「君はつくづく性根が腐っている」
「メリークリスマス」
二つの声が一つに重なった。さあ、自分たちの