婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
「アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ嬢。私は貴女を生涯に渡って愛し抜くと此処に誓います。どうか私、リオン・フォウ・バルトファルトの妻になっていただけますか?」
きっとこの光景を私は忘れる事はないだろう。
例え世界が変わっても彼と出会い、そして恋に落ちる。
私は満面の笑顔で彼の求婚に答えた。
「はい、謹んでお受け致します」
こうして私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルトになった。
私はリオンの
いや、私から強請ったのだから私の方が求婚したのか?
よく分からない。
胸の中に今までにない温かさが灯ったのを感じる。
昨日までの私と今日からの私は全く違う人間になったと錯覚してしまう。
初体験を済ませた男女が人生観が変わったなどと嘯くのを『何を馬鹿な…』と内心で嘲ってたが、そんな錯覚を自分が抱くとは露にも思わなかった。
さて、そんな風に契りを交わした若い男女が次にするのは何か?
正解は体の洗浄と褥の掃除である。
私とリオンの体は様々な体液で粘つきベッドのシーツは乱れていた。
私達の甘ったるい雰囲気とは別に体と部屋を清めなければ今夜寝る事さえも覚束ない。
リオンが水を溜めた盥と数枚の手拭きを持ってきたので体を丹念に拭く。
本当は湯浴みをしたいが今から湯船に水を張り沸かすには些か時間がかかる。
リオンは窓を開けて換気を行いシーツを剥がし洗面所まで持って行く。
せめて何か手伝いたかったが昨夜の情事の荒々しさですっかり消耗している私は震える己を脚を恨めしく睨む。
知識ばかりが肥大化した頭脳と無駄に胸と尻が肥えた肉体。
自活すら困難で夫となる者へ協力すら儘ならない。
開けた窓から陽の光が差し込み涼しい風が交合の残滓がここびり付いた空気を洗い流す。
リオンが私の為に部屋から取って来た服に着替えてる最中、彼はベッドのシーツを引き剥がす。
シーツには私が純潔だった証しである血痕と昨夜の情事の激しさを表す染みが存在し白いキャンバスを汚す絵の具のようだった。
それを見た瞬間に顔へ血が昇り頬を熱くなる。
何かしなくては。せめてリオンの役に立ちたい。
「いいから座ってろ、まだ力が戻ってないだろう?」
有無を言わさない口調でベッドの上に座らされる。
バルトファルト領で最も高い地位の男が甲斐甲斐しく中央貴族の娘の世話をする。
傍から見れば夫を顎でこき使う悪妻のようで申し訳なさに拍車がかかる。
「部屋に戻る、出掛ける準備が出来たら声を掛けて欲しい」
「了解」
そう声を掛けると私室に戻る。
まだ体のあちこちから悲鳴が上がるが何とか歩けた。
扉を閉めベッドに横たわり枕に顔を押し付け呼吸を整える。
「~~~~~~~ッッ!!」
悲鳴、絶叫、歓声。そのどれらも正しく且つ間違っている。
心を通わせた喜び、段階を飛ばし肌を重ねた羞恥、未来に対する不安、レッドグレイブ家よりリオンを選んだ後ろめたさ。
全ての感情が臨界を超えグチャグチャに混じり合い放出される。
何よりも大きいのは羞恥だ。
後先考えず行動し過ぎだ。
苛烈な私の性格は一度決めたら制御が効かない。
響き渡らない程度に叫んで漸く落ち着く。
半日ほど前はこの部屋で泣いてたのに。
今ではどんな顔でリオンと会えば良いか分からない。
もう後戻りは出来ない。私はこの地で生きてゆく事が確定した。
してしまった。
その為に必要な物、すべき事、それらを考えようとするが上手くいかない。
未来は未知数だ。
今にとっては最善に思えても後から振り返れば悪手な場合も存在する。
神為らざる私の頭ではバルトファルト領を如何に最良の方向へ導けるかが分からない。
せめてリオンに喜んでもらいたいが私は家事能力も女としての魅力に乏しい。
願いは多いのに私に出来るのは手の届く範囲の僅かな物で。
リオンを幸せにしたいのにその方法が分からない。
能力、経歴、家族構成、好み等々。
情報はあるがそこから明確な答えは出せない。
何をどうすれば良いのだろう?
そんな事を考えつつ瞼を閉じる。
リオンの準備が済んだら私も支度をしなくては。
彼がこの地に於ける最高権力者なのだから。
バルトファルト領は成立してから日が浅い。
一日でも姿を見せなければ何かが滞る。
思考は堂々巡りのするなかで体の感覚が遠くなる。
いつしか見えない答えを探す思考を放棄して私は自覚の無いまま眠りに落ちた。
「 ン ジェ アンジェ」
誰かに名を呼ばれた気がして目を開ける。
少し寝入ってしまったらしい。
体を軽く伸ばし凝りを解す。
完全に回復したとは言い難いが体調は幾分マシになってくれた。
呼びかけた相手を見る。
最も愛しい相手が其処にいてくれた。
「……リオンか」
盛大に欠伸をこぼし目元を擦る。
寝起き直後の脳はまだ働き始めない。
「すまない、少し寝てしまった。今すぐ準備を始めるから待ってくれ」
「いや、もうすぐ日が暮れるぞ」
「……えッ?」
慌てて窓の外を見ると既に空が紅く染まりつつあった。
どうやら盛大に寝過ごしたらしい、あまりに間抜けな醜態に怒りを通り越して乾いた笑いが込み上げる。
「何で起こしてくれなかった!?」
「気持ち良さそうに寝てたからさ、無理やり起こすのも可哀想だし」
半ば八つ当たりに近い口調でリオンに問い詰める。
リオンは私に優しいが、優しさだけではやっていけないのが領主という存在の宿命である。
こうも醜態続きな私を甘やかすのはよろしくない。
「最悪…、無理やり起こしてくれて良かったのに」
「俺のせいでくたくたに疲れてたからな。流石に無理はさせられない」
「リオンはきちんとバルトファルト邸に行ったか?」
「もちろん」
わざとらしいほど大きく溜息を吐いて両手で顔を覆う。
彼の優しさに甘える自分が厭わしい。
次代の王妃と為るべく育てられた私はどうにも他者を頼るのが苦手だ。
能力ある者を信用し使う事は上手くても他人を信頼し協力する事に慣れてない。
その意味ではやはり私は王妃に相応しくなかったのかもしれない。
「すまない、今日は何もせずに自堕落に過ごしてしまった。明日からはきちんと仕事を熟す」
「アンジェは働き過ぎなんだって。まぁ俺がだらしないせいで負担をかけてごめんな」
そう言うとリオンは私の頭を撫でた。
「どうにも疲れが取れない、このままだと支障が出るな」
「ならさ、温泉に行かないか?」
リオンの提案に一瞬思考が停止する。
温泉、温泉か。
リオンと私が協力して作り上げた最初の事業。
この地を繁栄させる為の起点。
温泉に浸かって体を癒し、湯上りに冷えた氷菓子や飲み物を楽しむのが現時点でのバルトファルト領に於ける最高の贅沢だ。
凝り固まった心と体を癒すには最適と言える。
「良い考えだ」
賛同してベッドから降りようとするが体調が完全に戻っていないのかよろける。
慌てたリオンが私を支えベッドに戻す。
「す、すまない」
「まだ足腰がダメっぽいな」
せっかく提案してくれたのに申し訳ない。
ここから宿泊施設には徒歩で数十分はかかる。
弱っている私では辿り着くまでに夜が更けそうだ。
「リオンだけでも行ってこい。私は別宅で過ごす」
どうにも情けないがリオンの負担になる事だけは避けたかった。
無言で私を見つめ続けるリオンの視線が痛い。
やるせないが私に構わず楽しんで欲しい。
そう私が思っているとリオンはゆっくりとベッドに腰掛けた。
やがてゆっくりとした動作で私の背と足に手を回す。
『キスか?流石に情事は御免蒙りたいのだが』
疲れきった体で情事を行うのは避けたいが、リオンに嫌われるのはそれ以上に嫌だった。
だが唇が触れる事も愛撫される事も無かった。
リオンの右腕は私の背を半周し、彼に近づけ左手は私の膝の裏を通って両足を持ち上げた。
視線が突然上がって混乱する。
恐る恐る周囲を見渡して漸く自分がリオンに抱えられている事実に気付く。
この姿勢には憶えがある。
世間一般で『お姫様だっこ』などと称される抱擁だ。
「ちょっ!待てリオン!」
「アンジェ、大人しくしてろ」
「いいから下ろせ!」
「どうせ下ろしたら逃げるだろ、だから断る」
手足を動かそうとするが宙ぶらりんな状況ではろくに力も入らず、密着しているので叩いて抗議しても大してダメージならない。
リオンの腕力なら女一人程度は無理やり抑えつけられる。
それをしないのは私を慮ってる以外にない。
「逃げないから!せめて靴を履かせてくれ!」
「どうしようかな?アンジェはすぐ無理をするから目を離せない」
「今日無理ならまたの機会に行けば良い!」
「今日行きたいからその案は却下」
「話を聞けッ!」
必死に暴れるが何の抵抗にもならない。
そうしているとリオンの顔が近づいてくる。
その表情は笑っているが目が据わっている。
これはリオンが怒りを湛えてる証拠だ。
リオンは一度怒ると恐ろしいが、怒りの許容範囲はかなり広い。
逆鱗に触れるか幾度も挑発しない限りまず怒らない。
そんなリオンが私に対し密かに怒りを持っている、その事実に背筋が凍った。
「…すまない、怒らせるつもりは無い」
「うん、それは分かってる」
「ただ私はリオンの負担になりたくないだけなんだ」
「でも拒否したな?」
有無を言わせぬ口調、いったい何をされてしまうんだ?
「じゃあコレはお仕置き。アンジェは温泉までこのまま俺に運ばれます」
「なッッ!?」
「それじゃ出発進行~!」
「待てリオン!謝るから!」
「聞こえませ~ん!」
「すまなかった!ごめんなさい!許して!」
私は宿泊施設までの道のりをリオンに抱かれて運ばれる事になった。
「明日からどんな顔してバルトファルト領を歩けばいいんだ………」
宿泊施設近くの道脇に設置されたベンチに座りながら頭を抱える。
結局は宿泊施設までお姫様だっこされて運ばれてしまった。
夕方と言えど夜の帳が下りるまでは暫しの時間がある。
開拓事業にリオンが顔を出すようになってから彼の顔は領民に知られるようになった。
その婚約者である私も同様だ。
寧ろ関係者との折衷で領民との話し合いに顔出しが多い私の方が認知されてるかもしれない。
運ばれてる最中に幾人もの人々にその姿を目撃された。
むしろ時刻を考えれば開拓作業を終え帰宅の為に道行く領民が多い時間帯だ。
そんな人通りがある道を領主自ら婚約者を抱いて運ぶ。
噂にならない方がおかしい。
娯楽の少ないバルトファルト領に於いて格好の話のネタだ。
思い返すだけで顔から火が出そうだ。
何事かと見つめる男性、驚いて目を見開く女性、口笛を鳴らす若者、事態を把握できない子供、微笑む老婆。老若男女問わず様々な領民に見られた。
きっと数日後には領地の隅々まで噂が広まる。
これまで私がバルトファルト領で必死に築いてきたイメージが崩壊だ。
「そんな悩まなくても大丈夫だろ」
私より先に宿泊施設に行ったリオンが呟く。
借りてきた外履きの靴を私に履かせると何事も無かったように振舞うのが実に腹立たしい。
「大丈夫じゃない、お前はこの領地の長なんだ。行動の一つ一つがこの地や民の評価に直結する。領主が『婚約者に夢中で仕事を疎かにしている』などと誹られたら名誉挽回するのは並大抵ではないんだぞ」
「俺としちゃアンジェと仲良くしたかっただけなんだ」
「ただの平民だったらそれで構わない。だが私達は貴族なんだ。自覚を持つべきだ」
私が懇切丁寧に説くと渋々ながら従ってくれた。
「でも楽しかっただろ?」
「恥ずかしさの方が勝った。具体的には衆目に晒されて婚約破棄された時と同じレベル」
「そこまで言うか」
もう少し説教すべきか。
だがリオンにお姫様だっこされるのは嫌じゃなかったのも確か。
此処は私が折れるべきだろう。
「バルトファルト家の皆に見られず幸いだった。もし見られていたら説明に苦慮したぞ」
「それは大丈夫だと思うぞ」
「どうして?いくら婚約者とはいえ限度がある」
「俺が
「………………何だとオオォォぉ!!!???」
今日一番の大声を放ってリオンに駆け寄る。
リオンの発言によって齎された驚嘆は全身の筋肉痛を物ともしない。
彼が着ている服の襟元を掴み何度も揺らす。
体格差があるので効果は期待できないが。
「ナ、なな何で話したァ!?」
「いや、家族にはきちんと報告するべきだろ?」
「そうだが物事には順序がある!バルトファルト家の事情も考えろ!貴族同士の結婚には相応の手続きが必要だ!」
何故、私達は求婚されてから一日も経たず言い争いをしてるのだろう?
貴 族として最底辺の環境で育ったリオンは貴族社会の慣習について疎い。
思わぬ落とし穴に嵌り頭痛がしてきた。
もう起こってしまった事についてはどうしようもない、気持ちを切り替えよう。
「…バルトファルト家の皆は私達の結婚についてどう思ってる?」
「誰一人反対してないよ」
「……本当に?」
「父さんは嬉しくて泣いてた。母さんは娘が一人増えるのを喜んでる。兄貴は弟の俺が先に結婚するのに少し落ち込んでる。コリンは素直に祝福してくれた。姉貴とフィンリーは俺がアンジェと結婚すると最初は信じなくてちょっとムカついた」
半年程の付き合いだがバルトファルト家の反応は想像が容易かった。
まぁ、レッドグレイブ家とバルトファルト家では家格の圧倒的な差で私の実家が婚約を迫れば拒めないから迂闊に反対も出来ないのだが。
「まさかレッドグレイブ家に報告はしてないな?」
「それをするほど命知らずじゃないよ。嫁入り前の公爵令嬢に手を出したと分かったら命が幾つあっても足りない。俺はもう死にかけたくない」
それはそうだろう。
その辺りの判断が出来るなら今後の手続きは何とか上手く出来る。
「良かった、私とリオンが情交したとは誰にも知られてないか」
「………ハッハッハ、ソウデスネ」
抑揚の無い声で目を逸らすリオン。
ちょっと待て。お前、今度は一体何をやらかした?
「バルトファルト卿」
「………はい、アンジェリカ様」
「私は、非常に、危機感を、抱いている。貴様が、何か、しでかしてないか」
「………はい」
元々きつい顔立ちの私は怒ると目が吊り上がりかなり迫力のある顔付きになる。
そのせいで悪女めいた評判を立てられたりするのだが。
そこに怒気を孕んだ声を腹の底から搾り出す。
気の弱い子供が今の私を見たら多分泣き出す。
「正直に話せば手加減してやろう、何があった?」
「……母さんと父さんにバレました」
………終わった、何もかも。
顔を上げて天を仰ぐ。
なんて綺麗な夕焼けだろう。
暫しの現実逃避から戻ると先程以上に力を込めてリオンの肩を揺する。
「何故話した貴様ァ!?話して良い事と悪い事の区別もつかんのか阿呆!?」
「違うって!報告に行ったら『アンジェリカさんはいらっしゃらないの?』って聞かれたんだ!」
「…それで」
「アンジェは家で寝てるって答えたら『あの真面目なアンジェリカさんが?』と尋ねてきた…」
「…ふむ」
「何とか誤魔化そうとしたけど無理だった。俺は昔から母さんに隠し事できた試しがない…」
女は強し、母は強し。
大人しそうな見た目に反し不遇な境遇で子供五人を育てた男爵夫人は思いの外強かな御仁らしい。
「ちなみに男爵の方は?」
「父さんは『リオンも若いから仕方ないさ』と俺に同情してくれた。怒った母さんに殴られて俺と一緒に正座で説教」
自業自得です男爵。
大きく溜息をついて眉間を揉む。
顔に力を入れ過ぎた。
ふとリオンに視線を向けると打って変わって落ち込んだ童のように恐縮していた。
どうやら本気で私に怒られたのがショックらしい。
このまま放っておこうかと一瞬思ったがすぐにその考えを振り払う。
これがリオン・フォウ・バルトファルトという男なのだ。
強い所も弱い所も、智慧の回る所もどこか抜けている所も、怒ると怖い所も自分に近しい者に分け隔てなく優しい所も。
総てひっくるめて彼なのだ。
そんなリオンを私は愛した。
ならば彼を支えるのが私の役目だ。
そう考えると眠る前に悩んでいた事がバカバカしくなる。
惚れた弱みだ、最後まで付き合ってやろうではないか。
「明日、一緒に御両親に挨拶へ行こう。きちんと結婚のお許しを貰いに」
「もう怒ってない?愛想が尽きた?」
不安げな表情のリオンが幼子のようで少し可愛らしい。
『しょうがないなぁ』と許してしまう私はやはり甘いのだろう。
「怒ってない。だが、これから何かをする時は必ず私に相談して欲しい」
「あぁ、気を付けるよ」
「じゃあ温泉を楽しもう」
「そうするか」
もう心の迷いは晴れていた。
一年後、十年後に何が起きるかなど分からない。
先を見通せない事に怯えて暮らすのは心が疲れる。
私の隣にはリオンが居てくれる。
そのたった一つの事実だけで私は幸福だった。
ここからはファンアートを拝見して得た着想を基にした成人向け後日談を全年齢向けに修正した物なります。
後日談を読んだ読者の皆様から「全年齢の方でも読みたい」という要望が寄せられたので性描写やセリフを修正して順次追加投稿する予定です。
自分の作品が高く評価されるなど思ってもいなかったので本当に驚きました。
コンセプトは『アルトリーベ ファンディスク(成年向け)アンジェリカGoodEnd』です。
婚約破棄されシナリオから消えた令嬢に救いは無いのか?
そんな筈はないという想いを込め糖度マシマシで行きます。
追記:今章のシーンをyuyuさんと祐稀桜さんがイラストにしてくださいました。まことにありがとうございます。
https://www.pixiv.net/artworks/unlisted/LwcUyeU3n8bw38uHrSqb
https://www.pixiv.net/artworks/107188853