婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第111章 A couple reconciling

 陣痛には前駆陣痛、本陣痛、後陣痛の種類がある。

 前駆陣痛とは臨月の際に感じる下腹部の張りや痛みだ。

 痛みはそれ程ではなく周期も不規則、数時間で治まる事も多く出産に備えた子宮の活動が原因と考えられる。

 後陣痛は出産後に感じる腹部の痛みや違和感を指す。

 これは胎児が失った子宮の収縮が原因とされ、数日間に及び出産で体力を消耗と相まって精神の不安を助長し易い。

 世間一般に知られている陣痛とは本陣通と呼ばれ出産が迫った場合に起きる。

 周期は規則的だが徐々に強まる痛みと増える頻度が特徴的だ。

 

 出産で一番厄介なのは本陣通だ、おそらく人間が体験できる痛みで最も強烈な物の一つだろう。

 生理痛を何倍にもしたような痛みの頻度を増え、その度に痛みが強くなる。

 耐えられる程度なら軽度の段階だ、本格的に分娩が迫ると思考が痛みに支配されていく。

 

 痛い、とにかく痛くて堪らない。

 貴族の女は血を残すのが役目とはいえこの痛みは耐え難く思考が如何に激痛を緩和させるかの一点に集約されていく。

 ベッドに仰向けに寝る、逆に立って壁に手をつく。

 腰の辺りを擦ってもらう、或いは体に触れるのを拒む。

 痛みが訪れる度に試行錯誤を繰り返して痛みをやり過ごす。

 それでも避けられぬ痛みは私の理性を削り苛立ちばかりが募る。

 

 部屋には父上と兄上、産医と助手、公爵邸のメイドが何人か控えて心配そうに私を見つめている。

 父上は私が公爵邸に滞在してから、いざという時の為に王都でも評判の産医を招き出産の準備を整えてくれた。

 

「アンジェ、大丈夫か?」

「……ッ、何とか」

「ご安心を、御息女の出産は現時点で異常は見受けられません。このまま行けば母子共に負担は軽いかと」

 

 痛みの波が治まったので辛うじて父上に問いに答える。

 父上の気遣いはありがたい、とてもありがたいのだが鬱陶しい。

 加えて年嵩の産医の言葉も苛立たしかった。

 出産は産む側の妊婦と産まれる側の胎児が当事者であり、他の者が介入する余地は殆ど無い。

 痛みに苛まれるのは私だけであり、他の者が代わりを務めるのは不可能だ。

 それなのにどうして、男の産医が訳知り顔で私の出産を語っているのか?

 貴様は自分の体で子を産んだ経験など一度も無い筈だ。

 産医というだけで私の痛みと苦しみを簡単に言い表すなど不愉快窮まる。

 女性と身体構造が違う男性なら尚の事、この痛みを男性は味わう事が無いのが妬ましい。

 いっそ世界の男性全てが女性化すれば世の中はもっとお互いを尊重した社会なるのではないか?

 今の私は虫か魚になりたい、あれだけ大量の卵を一度に産めるなら痛みなど然程では無いだろう。

 

 痛みで思考が纏まらない私は埒も無い妄想を掻き立てる。

 今は痛みを紛らわす為に取り留めない思考を繰り返すしかない。

 初産の時も途中まではどうにか憶えているが産む直前の記憶は曖昧だ。

 陣痛が強まり幾度も意識が朦朧とし、産声を耳に届くと布に包まれたライオネルが其処に居た。

 その直後に陣痛が再開すると同時に意識が途絶え、疲労困憊のままアリエルを産み落とした有様だ。

 出産は崇高な生命の営みだが常に死と隣り合わせの行為であり、一度でも体験すれば再び子を産むのを忌避する女性がいるのも納得できる。

 私はまだ二十歳を超えたばかり、早急に子供を産む必要があるほどバルトファルト家もレッドグレイブ家も追い詰められている状況ではないのに。

 

「彼はまだ来ないのか?」

 

 兄上の焦った声が私の耳へ届く。

 『彼』が誰を指し示しているかなど分かりきっている。

 結局こんな事態になるまでリオンは私に会おうとしなかった。

 薄情者め。

 私がバルトファルト領を発ってから、今までどんな気持ちで過ごしてきたのかも察せられない鈍感男。

 あれだけ普段から私を愛していると告げていたくせに、肝心な時に限ってしくじるのか。

 もう知らん、リオンの虚け戯け間抜け。

 貴様の顔など見たくもない。

 私など気にせずにさっさとバルトファルト領へ帰ってしまえ。

 

 陣痛が来れば痛みで心が苛立ちで覆われ、退けば心の中で悪態を吐く。

 凡そ子爵夫人にそぐわぬ思考だがそれ程までに出産の痛みは私の心と体を乱す。

 五感は痛覚に塗り潰され、呼吸は痛みを緩和しようと乱れ続け、体温の上昇に伴い汗が止め処無く流れ落ちる。

 その場に座り続けるだけで体力の消耗が続く。

 今の私は痛みに苦しみながら呻く事しか出来ない生き物だ。

 

 何で私はこんなにも苦しんでいるのだろう?

 答えは決まっている、リオンが私を抱いたからだ。

 戦争がホルファート王国の勝利で終わりバルトファルト領へ無事に帰還したリオン。

 その頃の彼がどうにも落ち込んでから仕方なく慰めだけだ。

 離れ離れだった間隙を埋めるように求められたら私としても断りきれる者ではない。

 それをリオンは遠慮する事無く私を貪り懐妊させた。

 出産後は母胎を慮って二年程の期間を空けた方が良いと耳にしてはいたが、リオンは的確に狙ったとは考え難い。

 義両親の男爵夫妻が五人の子沢山な家庭であり、新興領地のバルトファルト領が人手を求め若年層の結婚と出産を奨励している。

 『領主の俺達が実践するべき』とリオンが閨で口にした事が幾度もあったな。

 つまり総てリオンのせいだ、そうに決まっている。

 この怒り、一体どうしてくれようか?

 

ガチャッ… 

 

 部屋の扉が開きコーデリアが慌てた様子で入室して来る。

 そのすぐ後ろに続く見慣れた顔を見た瞬間、感情が爆発した。

 

「何をしに来た貴様ァァッ!!」

 

 取りあえず手が触れた何かを思いっきり投げつける。

 リオンは避ける様子も無くそのままの体勢で止まった。

 

ボフッ

 

 投げた物体はリオンにぶつかると軽い音を立てるに床を転がる、どうやら投げつけたのは枕らしい。

 私の行動に部屋の誰もが硬直していた、そんなに私が怒鳴るのはそんなに衝撃的か?

 いや、リオンだけが気にする様子もなく私に歩み寄って来る。

 

「一体どの面を下げて私の前に現れたッ!?」

「いや、その、だってアンジェが呼んでるっていうからさ…」

「だったら早く来いッ!貴様がもたもたしてたから陣痛が始まってしまっただろうが!」

「それ、俺が原因なの?」

「当たり前だ!誰のせいで私が苦しんでいると思っている!?」

「……ごめん」

 

 私の剣幕に驚いたのかリオンが怯えている。

 自分でも八つ当たりと自覚しているが、痛みのせいで感情の制御が覚束ない。

 この状態すら痛みが治まり辛うじて理性を保っている状況だ。

 再び陣痛が押し寄せたらリオンにどんな悪口雑言を放つか分からなかった。

 

「あのさ、ほら、手紙にも書いてたけど今日はライオネルとアリエルを連れて来たから。会ってくれないか?」

「…………」

 

 どうしてこう、彼は察しが悪い行動ばかりするのだろう。

 陣痛に苦しみ喘ぎながらのたうち回る母親の姿など私が見せたいと思っているのか。

 それでも一ヶ月近く子供達と会っていない。

 私の中の母性が辛うじて痛みを凌駕する、呼吸を整えゆっくりと頷く。

 リオンの後ろから私と同じ髪色の小さな幼子が近寄る、必死にベッドに乗ろうと手足を動かし藻掻く姿は私の荒んだ心を和ませる。

 メイド達が二人を抱えてベッドに乗せると急いで私に抱きついてくる二人が愛おしい。

 

「ははうえ!」

「ははうえ」

 

 声を張り上げて私に抱きつくアリエル、心配そうに私を見つめ手を握るライオネル。

 対照的な二人だが、どちらも私との対面を心の底から喜んでいるのが分かる。

 このまま母子の再会を心ゆくまで堪能したいが何しろ状況が悪い。

 陣痛は徐々に感覚が狭まり痛みも強く激しくなっていく。

 痛みの周期が再び訪れた時に我が子に醜態を曝すのは母親としての沽券に関わる。

 

「二人とも、リオンと一緒に他の部屋で待ちなさい」

「いやです」

「やっ!」

「……もうすぐ弟か妹が産まれるの、お願いだから」

 

 二人は私に抱きついて離れようとしない。

 子供の力では大した物ではなかったが、今の私にとってはその僅かな力さえ引き剥がす事が難しい。

 せめて良き母であろうと子供達の頭を優しく撫でるが、その顔は戸惑いに満ちている。

 蒼褪めた顔で額から汗を流す母の姿など見た事も無い異常事態だ。

 早く二人を連れ出せという焦燥に急かされ、この場に居る全員を睨み行動を促す。

 腰の辺りに違和感が生じた数秒後、恐ろしい激痛が脳を直撃した。

 

「…………がァぁっ」

 

 駄目だ、腰の辺りに猛烈な痛みで蹲る事しか出来ない。

 獣じみた唸りを上げて必死に呼吸を整えるが頭の中が痛みで埋め尽くされていく。

 子供達は不安そうに私を見つめているが気遣える余裕は今の私に無かった。

 早く別室に移して欲しいのに双子が私の子故か使用人達はどこか遠慮している。

 これまで二人を伴って公爵邸を訪れた事は数回のみ、その数回も宿泊する事無く帰った影響で使用人達はライオネルとアリエルに馴染みがほぼ無い。

 こんな時に率先して行動するべきなのはリオンの筈だ。

 なのに彼は私達から少し離れた場所で立って眺めている。

 怒りの矛先が視界に映るリオンへ向かったのは当然の成り行きだった。

 

「他人事のように眺めるな!少しは協力したらどうだッ!?」

「邪魔しないようにしてんじゃん!俺なりに精一杯気遣ってるぞ!?」

「貴様は自分が産まないから他人事でいられるんだ!凄まじく痛みに耐えてる私の苦しみを少しは味わえ!」

「じゃあ何すりゃ良いのさ!」

「子沢山が良いなどと宣って!子供が八人欲しいとは正気なのか!?貴様は自分が産まないから気軽なんだ!」

「それ今みんなの前で言うなよ!」

「これ程の痛みを八回も私に味わえだと!?ふざけるなッ!」

「もう二人産んだから今回を含めて六回じゃ?」

「だったら貴様が産んでみろォ!!」

「ふぇええぇぇん」

「ああぁぁぁん」

 

 私とリオンの言い争いに驚いた双子が泣き叫ぶ。

 此処まで激怒する私を一度も見た事が無いから当然だ。

 豹変した私の態度に皆が呆然とする中でリオンは双子を使用に手渡すと外に出るよう指示を下す。

 子供達を抱いた使用人が部屋から立ち去る頃には私の我慢は限界に達していた。

 

「何を見ているッ!?さっさと失せろ!!」

 

 私の怒声にこの部屋に残っていた者はリオンを残して部屋から退去する。

 重苦しい空気のまま私とリオンは数日ぶりに対面した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「何をしに来た貴様ァァッ!!」

 

 部屋に入るなり怒鳴られて枕を投げつけられた。

 高価な花瓶とか分厚い本じゃないのはアンジェの優しさだ、とりあえずそんな風に考える事にしよう。

 そんなに嫌われたかと考えると悲しくて泣きたくなるし。

 見た限り陣痛が始まって数時間ぐらいか?

 顔色は少し悪いけど血の気はある、痛がり方から出産まで時間の余裕はありそうだ。

 子供の頃からフィンリーとコリンが生まれる時の手伝いや牛とか羊の出産とかでその手の経験は豊富だ。

 アンジェがライオネルとアリエルを産んだ時もずっと側に居たけど、初産で双子という特殊な状況を基にするのはマズい。

 まず最初はアンジェを落ち着かせるのを最優先だ。

 

「一体どの面を下げて私の前に現れたッ!?」

「いや、その、だってアンジェが呼んでるっていうからさ…」

「だったら早く来いッ!貴様がもたもたしてたから陣痛が始まってしまっただろうが!」

「それ、俺が原因なの?」

「当たり前だ!誰のせいで私が苦しんでいると思っている!?」

「……ごめん」

 

 今回もアンジェはバルトファルト領で出産する予定だった。

 公爵邸で出産する事になった原因は俺が公爵邸を襲撃してアンジェを怒らせたからだ。

 出来るだけ早く説得するはずだったけど、手間取っている間にアンジェが産気づいたのは俺の失敗で間違いない。

 男の俺には出産がどれぐらい痛いかは分からないけど、普段は冷静なアンジェの取り乱す姿から途轍もないのだけは分かる。

 ここまで長引かせるぐらいならいっそ無理やり攫う方が手っ取り早かったかな?

 いや、それじゃ襲撃事件の繰り返しだ。

 アンジェの機嫌が更に悪くなる、ここはもう謝罪を続けるしかない。

 謝って謝って謝り倒して、アンジェの機嫌が直るまで怒られ続ける以外に解決方法が思い浮かばなかった。

 

「あのさ、ほら、手紙にも書いてたけど今日はライオネルとアリエルを連れて来たから。会ってくれないか?」

「…………」

 

 自分の子供達を餌に仲直りを企むとか最低だな俺、でも優先すべきなのは子供達の方だ。

 父さんや兄さんから聞いたけど二人ともアンジェや俺に会いたがってたみたいだし。

 夫婦仲の改善より親子の再会が重要なのは親として当然だろ。

 

「ははうえ!」

「ははうえ」

 

 ライオネルとアリエルがアンジェに抱きついて嬉しそうな顔をしてる。

 強張ってたアンジェの顔も何処となく気が弛んだように感じた。

 公爵とギルバートさん、公爵邸の使用人やメイド達も母子の再会を見守ってる。

 これなら俺とアンジェが別れる事になっても二人が雑な扱いをされる事はなさそうだな。

 

「二人とも、リオンと一緒に他の部屋で待ちなさい」

「いやです」

「やっ!」

「……もうすぐ弟か妹が産まれるの、お願いだから」

 

 出産は何が起きるか分からないし、近くに子供が居たら落ち着けないだろうな。

 二人が生まれた時も半日近い時間がかかった。

 意識が朦朧としてたアンジェを必死に励まして何とか無事に終わったけど油断は出来ない。

 久々に会う公爵と挨拶をさせた方が良いかも。

 

「…………がァぁっ」

 

 アンジェの呻き声が聞こえる。

 マズいな、陣痛の波が来たらしい。

 はっきり言うと前にアンジェが出産した時はかなり凄まじい状態だった。

 初めての陣痛と出産に半日も苦しんで怒る、泣くとその度に対応を変えなくちゃいけない。

 怒った時は要求に従って受け止め、泣いた時は慰めてして欲しい事を確かめる。

 母さんは俺達五人を産んだ熟練だし、父さんも出産の付き添いには慣れてたけど義両親に見られる恥ずかしいと言われてアンジェの引き下がってもらった。

 出産で苛立ったアンジェの怖さを知ってるのは世界で俺しか居ない。

 

「他人事のように眺めるな!少しは協力したらどうだッ!?」

「邪魔しないようにしてんじゃん!俺なりに精一杯気遣ってるぞ!?」

「貴様は自分が産まないから他人事でいられるんだ!凄まじく痛みに耐えてる私の苦しみを少しは味わえ!」

「じゃあ何すりゃ良いのさ!」

「子沢山が良いなどと宣って!子供が八人欲しいとは正気なのか!?貴様は自分が産まないから気軽なんだ!」

「それ今みんなの前で言うなよ!」

 

 それ、寝室で一緒に寝た時に言った半分冗談だろ!?

 今ここでみんなにバラす必要あんのか!?

 

「これ程の痛みを八回も私に味わえだと!?ふざけるなッ!」

「もう二人産んだから今回を含めて六回じゃ?」

「だったら貴様が産んでみろォ!!」

「ふぇええぇぇん」

「ああぁぁぁん」

 

 あぁ、こりゃあダメだな。

 陣痛で我を忘れてるアンジェに俺が何を言っても火に油を注ぐだけになっちまう。

 ライオネルとアリエルは自分の母親がいきなり怒鳴り始めて怯えて泣き出して。公爵邸の連中はアンジェが乱心したと思ってる。

 ここは俺が楯になるしかない。

 子供達を別の部屋に行かせた方が良いな。

 このままじゃずっと二人がアンジェに怖がって可哀想だ。

 とりあえず二人をアンジェからベッド引き離し、近くにいたメイド達に預けて場所を移すように指示する

 

「何を見ているッ!?さっさと失せろ!!」

 

 アンジェの声に俺以外にみんなが部屋から出て行く。

 すげぇな、使用人達は当然だけど公爵やギルバートさんまでビビッて退室したぞ。

 王家との和解交渉の時もアンジェがこの調子だったら俺が脅さなくても良かったんじゃないか?

 医者まで部屋の外に出たせいで俺がアンジェを世話をするしかない状況だ。

 そんな事を考えながらベッドに腰掛けてアンジェに近付く。

 一旦落ち着かせた方が良いな、妊婦は頭に血が上った状態が続くとマズい。

 とりあえず俺に敵意を向けさせて周囲への被害を食い止める。

 俺っていつもこんな役割ばっかだな。

 

「……ぁぐぅ、……かはっ」

「痛むか、どの辺りだ?」

「腹と腰全体が痛い…」

「楽な姿勢になろうな、手を貸すからゆっくり息を吸え」

「……ふぅ~~、はぁ~~」

 

 アンジェに深呼吸させて気分を落ち着かせる。

 陣痛が始まって腹の子が移動すると痛む場所や範囲がどんどん変わっていく。

 その度に一番楽な姿勢を見つけて痛みをやり過ごす。

 ライオネルとアリエルを産んだ時の経験を参考にしてベッドの上で座るアンジェの背中を支える。

 

「腰を擦った方が良いか?」

「……治まるまでは止めて欲しい」

「分かった」

 

 二人きりになって落ち着いたのか、特に罵られたり叩かれたりしなかった。

 痛みが強まった時に体を支えて楽な姿勢を探る。

 陣痛が治まってアンジェの呼吸が整うまでひたすら待ち続けた。

 

「……もういい」

「大丈夫か、何がしたい?」

「水を飲みたい」

 

 近くに置いてあるコップに水差しの中身を注いでゆっくり飲ませた。

 大量に汗をかいたアンジェは喉を鳴らしながら二杯目を求めてくるので噎せないように背中をさせる。

 背中を擦る手に湿った感触が伝わってきた、出産用の簡易ドレスは汗を吸ってけっこうな重さだ。

 

「汗を拭くぞ。とりあえず顔と背中だ、他に拭いて欲しい場所があったら言え」

「……うむ」

 

 軽く濡らしたタオルでアンジェの顔と首元をゆっくりと拭く。

 その後は腕、次は背中だ。

 上気したアンジェの体は妙に艶めかしくて触れてるだけで妙な気分になりそうのを懸命に抑える。

 こんな状況で盛るほど俺はバカじゃない。

 

 ……とりあえずは拭き終えたけど、何を言っていいか分からない。

 謝ろうにも仕出かした事が多過ぎるし、何を言ってもアンジェが怒りそうだ。

 好きとか嫌いで割り切れる問題じゃない。

 ホルファート王国が出来た頃に生きてた先祖の因縁とか、自分の意志を持ったロストアイテムとか俺達の周りは問題だらけ。

 いくら考えるても納得できる答えを俺の足りない頭で用意できるならもっと上手くやれたはずだ。

 

「……もっと早く迎えに来い」

「ごめん」

「そんなに私が恐ろしかったのか?」

「アンジェは怖くないよ、アンジェに失望される方が怖い」

「私を救う為に砲弾が飛び交う戦場を駆け抜ける、公爵邸を襲う不届き者の言葉とは思えん」

「好きでやってる訳じゃないの!俺は穏便に解決したいのにどいつもこいつも意地を張るだぞ!」

「だから私が赦すのを気長に待ち続けるのは愚かだろう」

「強引に行ったら今度こそアンジェが俺を見限りかねないし」

「女は何歳になろうとも自分の為に命を賭す男を魅力的に感じるものだ」

「公爵邸に居残るって言って譲らなかったのはアンジェの方じゃん…」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も言ってません」

 

 会話で少しは気が紛れたのか、アンジェの表情が徐々に柔らかくなってきた。

 アンジェが痛がる度に世話をすると俺達が離れてた時間が少しずつ埋まっていくようで安心する。

 あと気弱なアンジェは可愛らしい、気の強いアンジェも好きだけどこれはこれで良いもんだ。

 

「何日か前にユリウス殿下に誘われてローランド陛下と会ったんだけどさ」

「……ふむ、何か恩賞を賜ったか?」

「そっちは辞退したよ。でも結構面白い話をしてくれたぞ」

「何だ?」

「俺のご先祖が本当に初代国王の仲間だったって言われた。わりと凄い奴みたいだな」

「……すまん」

「何でアンジェが謝るんだよ?」

「私も先日知った、父上はそれを知りつつ私とリオンの縁談を画策したらしい。事実を知りながら私はリオンに非得した。公爵家が重要視していたのはバルトファルト家の血筋であってリオン個人ではない」

「そっか~~」

 

 あのオッサンの推察通り、そんな裏事情があった訳ね。

 まぁ、成り上がり者の若造と王国で一番デカい貴族のお嬢様の結婚なんて普通はありえないし。

 そもそも貴族同士の政略結婚なんてそんなもんだろ。

 うちの父さんと母さん、兄さんとドロテアさんみたいに恋愛結婚の方が珍しいし。

 打算があってもちゃんと夫婦仲が良いならわざわざ掘り返す必要は無いだろう。

 

「怒ったか?」

「いや、別に何も」

「公爵家はお前を利用して自分達が王位を得ようと画策してたのだぞ」

「そんな事情があったのか、ぐらいしか感じないよ」

「……私がバルトファルトの血を継ぐ子を産む役目を担っていたとしてもか」

「アンジェはそんな目的で俺と婚約したのか?」

「いや、だがリオンにそう疑われても仕方のない状況だ」

「俺がアンジェを疑う訳ないじゃん」

 

 バルトファルト領を発展させたのは半分以上がアンジェの手腕だ。

 ただ俺の子供を産むだけならそこまでやる必要は無いはずだ。

 仮にそれが真実だとしてもアンジェには感謝しかない。

 死にかけだった俺を救ってくれたのは間違いなくアンジェだからな。

 

「バルトファルト領に来た頃は王都の連中を見返すって息巻いてたじゃん。あれが演技だったとは思えないし」

「そんな事もあったな、懐かしい」

「アンジェが幸せになれるなら俺は別れても構わない。王都に住みたいならそれで良いよ」

「リオンは物分かりが良過ぎるぞ」

「じゃあ『別れるのは嫌だ!』泣き叫べば許してくれる?」

「そんな見っともないリオンは見たくない」

 

 アンジェは答えた後に唸り始めた。

 時計を見ると一時間以上も経過している。

 陣痛の感覚もも狭まってきたし医者を呼んだ方が良いな。

 

「そろそろ生まれそうだから医者を呼んでくる。答えは生まれた後で聞かせてくれ」

「……あぁ」

 

 こういう時の男親は無力だ。

 アンジェと生まれて来る子供の無事を祈るしか出来ない。

 たまたま戦場で死ななかった命だけど。

 神様、せめて残りの寿命と引き換えにアンジェを安産にしてくれよ。

 背中に聞こえるアンジェの呻き声を聞きながら無力な自分を呪った。




いよいよ第三子の出産です。
直接的な表現は無しなので直前までの描写になります。
陣痛に苦しむアンジェの発言は知り合いのお産で実際に聞いたやり取り。(怖い
痛みで朦朧としたまま過激な発言をしたりパニックになる人も多いので優しく見守ってください。

追記:依頼主様のリクエストによりvierzeck様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。

vierzeck様 https://www.pixiv.net/artworks/122352831

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
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