婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第118章 The World is Beautiful●

ゆっくり吹く風が頬を撫でていく。

 風に流され千切れた雲の隙間から零れる陽光が大地を照らす。

 空に向かって伸びる麦に埋め尽くされた辺り一帯の畑はさながら緑色の絨毯のようである。

 あと数ヶ月もすれば美しい緑から輝く金色へ移り変わり豊かな恵みを領内に齎してくれるだろう。

 

 嘗ての私ならこの光景を見て美しいとは思っても尊いとは思わなかった筈だ。

 土壌を調べ、種を蒔き、水を与え、丹念に育て、収穫する。

 その苦労の果てに得た麦穂の一本一本が本物の黄金の如く貴重に感じられる。

 命の息吹を感じる春の休日に領内を見渡せる丘の上を散策するのが私達の恒例行事となった。

 

 散策の後に丁度良い大きさの樹の根元に敷物を敷いて軽食を楽しむ。

 食後の午睡を堪能する彼は私の膝の上へ無防備に頭を置く。

 何をする訳でもなく、ただ時間だけが無為に過ぎてゆくのを愉しむのはこの上ない贅沢だ。

 

 少し離れた場所から聞こえるのは複数の子供の声が聞こえて来た。

 男子もいれば女子もいる。

 その全員が私と彼の愛しい子供達。

 私達が歳を重ねる度に一人、また一人と笑い声が増えてゆく。

 子供の成長は親が思うよりもずっと早い。

 さながら麦穂の如く何も出来ない種からすくすくと成長して実を結ぶように、今では己の足で立ち元気に駆けてゆく。

 首も座らず私や彼に抱かれて眠りについていたのが昨日のように感じられるのに。

 一抹の寂しさを感じて顔を下げると無防備な彼の顔が目に入る。

 何処にでも在るような片田舎の他愛ない光景。

 余人が見たらそう思うだろう。

 だが、この光景こそ私にとって何よりも代え難い宝だ。

 

 ささやかな幸福があった。

 我が子の産声を聞いた瞬間、領地が徐々に拓けてゆく光景を見た瞬間。

 避けられぬ天災があった。

 突然の嵐に作物をダメにされ、せっかく開拓した土地が農業に適さないと判明した瞬間。

 

 予期せぬ戦争があった。

 突如として崩壊した共和国、再び侵攻してきた公国。

 愛する彼の安全を祈り、我が子を護る為に奔走した日々は私を強くしてくれた。

 

 国を二つに割る争いがあった。

 罪を問われ追放・奪爵された貴族たちの叛逆、王家と公爵家の確執。

 完全な国家など存在しない、その歪みを是正する為に奔走した私達の努力はは歴史に記される事無く偉人の栄光の陰で忘れ去れる。

 

 得た幸せと味わった苦難を比較したら全く割に合わないだろう。

 だが不思議な物でつらいと思う事は無かった。

 生きる為に知恵を搾り後悔している暇など欠片も無い。

 無様と誹られようとも神ならざる人の身で出来る事など限られている。

 最良最善の選択をしたとはとても言えない。

 後世の史家が見たら愚劣と思うような行動をした事もある。

 それでも、私達は必死に出来る事を精一杯にやり尽くしたのだ。

 地を這い泥に塗れ傷だらけの醜い姿になり笑われてもそれが私達の生きる証なのだから。

 

 私を破滅した悪女と蔑む者が居る。

 私を落ちぶれた令嬢と憐れむ者も居る。

 なるほど、筆頭公爵家の息女であり王子の婚約者の立場から一転して醜いと言われる辺境の領主に嫁ぐのは醜態と言えるかもしれない。

 

 だが、今の私はこの生活に何の不服も抱いていない。

 私を迎え入れる王宮は存在しない。

 それでいい、彼の腕が私を包んでくれるから。

 人は上を向いて生きるものだ。

 世を照らす日輪を、闇夜に浮かぶ月輪を、旅人を導く明星を。

 天に座す存在に憧れる余りに足元で咲く花の美しさに気付かない。

 あらゆる存在は定められた滅びから逃れられない。

 偉大な王は死して埋葬され名は史書に記される文字の羅列と為り壮麗な墓標もいつしか崩れ灰燼と化す。

 あらゆる敵を屠る最強無敵の鎧もやがては駆る者を喪い、錆が浮き朽ち果てた鉄塊と成り果てる。

 

 愛だけが不朽不滅などというつもりは毛頭無い。

 時の流れという絶対にして不可逆の存在には貴賤も老若も強弱も意味を為さない。

 ある意味であらゆる者に対し平等である。

 だから私は野に咲く花のように生きてゆこう。

 花を咲かせ、実を結び、種を蒔き、そして散る。

 当たり前の事を為していこう。

 

 時折、この幸せが怖くなる。

 幸せだからこそ喪う事を恐れる。

 時の流れの果てにいつかその日が必ず訪れる。

 抗う事すら出来ずに絶対的な死が私達を引き裂く日が訪れる。

 或いは眠りに耽っていた魔王が突如として起き出し世界を劫火で灼き尽くすかもしれない。

 

 最後の時が訪れて今わの際に自分の生涯を振り返る。

 それでも、やはり私はこの生涯を後悔しないだろう。

 満たされ続けると何時しか感謝の気持ちを忘れてしまう。

 嘗ての私は満たされていた。

 満たされていたのに常に不足を感じていた。

 堕ちたからこそ幸福の価値に気付く。

 与えられる事の尊さを、与える事の素晴らしさを。

 

 完璧な宝玉よりも瑕疵のある輝石にこそ価値があると思う者も存在する。

 輝石の瑕疵こそかの者が歩んできた歴史だから。

 少しだけ満たされぬ位がちょうど良い。

 万事上手くいく人生など起伏も無く何も起きていないのと同じなのだ。

 

 私の膝を枕に眠る彼を見やる。

 もし、彼が私より先に逝くなら最後の瞬間に隣に居るのが私であればいいと願う。

 彼が安心して逝けるように哀しみを押し殺し笑って見送ろう。

 葬儀が終わった後に墓標の前で彼を偲んで涙を流そう。

 もし、私が彼より先に逝くなら最後の瞬間は彼の手を握りしめ笑いながら逝こう。

 出会えた幸運、愛してくれた喜び、生きる意味を与えてくれた感謝を述べて眠るように息を引き取ろう。

 私の事を忘れないようにほんの少しだけ彼の心に消せぬ痕を遺しながら。

 眠る彼に顔を近づけ唇を重ねた。

 今の幸せを与えてくれた彼に感謝を込めて。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 不思議な夢を見る。

 婚約破棄されたあの夜に彼が現れて私を救ってくれる夢。

 面白い夢を見る。

 玉座に座り国を治める彼の隣に私がいる夢。

 

 奇妙な夢を見る。

 婚約破棄され怒り狂った私が王国へ反旗を翻し世を灼き尽くす夢。

 夢は深層意識が顕現した物という学説がある。

 もしそうなら、自覚してなかった己の心中に苦笑いがこみ上げてしまう。

 

 婚約破棄された彼が口汚く殿下を罵り唯一人で私の味方をしてくれる。

 どうやら私は年頃の乙女のように彼が私を助けてくれる事を疑ってないようだ。

 

 王となった彼が慣れない立場に戸惑う隣で私が国の政務を執り仕切る。

 どうやら私は未だに王妃の地位に未練があるらしい。

 

 婚約破棄された私は憤慨し王国へ侵攻を開始し敵地を焦土と化し笑みを浮かべる。

 自分では蟠りを棄てたつもりでも心の内ではずっと怒りが燻っているのだろうか。

 

 妙な現実味がある夢のせいで『そんな形の世界も在りえたのかもしれない』と納得してしまう。

 彼が居なければ何処までも私は堕ち、彼はいつでも私を救ってくれると信じきっている。

 何処まで彼は私の運命にとって重要な存在なのか。

 そんな事を想い笑みが零れる。

 

 もし神が存在し時間を戻しやり直す機会を私に与えると問いかけたなら?

 少しだけ悩んで、それでも私はこの人生を選ぶと思う。

 私の伴侶は彼だけだ。

 多くの者を死に追いやる英雄でも世界の為に奔走する王者でもない。

 

 面倒くさがりで皮肉屋でお調子者で少し甘えん坊で優しい地方領主。

 彼が彼のままで生きられる事が重要なのだ。

 現実の私もまた夢の私のようになれない。

 国を統治する王妃にも、災厄を齎す魔女にも、人々を導く聖女にもなれない。

 

 それでいい、そうあるべきだ。

 地位や権力を持つ事と己が幸せな事は必ずしも同類項ではない。

 良き妻であり、良き母であり、良き人であろう。

 それが今の私にとっての生きる規範なのだがら。

 世界は厳しいと人々は言う。

 欲に満ちた者が我が物顔で闊歩し争乱の火種は燻り続け怒りと憎しみと悲しみが天を焦がすと。

 

 確かにその通りだろう。

 国の中枢近くに居た私はそれらを人より多く見て来た。

 幼少の頃から人という存在に対しある種の失望と諦めと憤りを感じたからこそ己が正しく国を導けると錯覚した。

 

 なんたる傲慢だろう、所詮は私も己が嫌う自分こそが正しいと妄信する無知蒙昧の輩と同じだった。

 この地で知ったのは人々の優しさと他者に対する情けと無償の愛。

 人の世は醜く悍ましい物で満ちている。

 

 だけど、それと同じ位に美しく尊い物に満ちている。

 もし本当に世界が残酷なら人はとうの昔に滅び去っている筈だ。

 それでも尚、人は今も生き残っている。

 だからきっと大丈夫。

 

 史書に名を遺す事なく去った善き人々がいるから今日も世界は続いていく。

 身を裂くような深い絶望も、人々を照らす大きな希望も時の流れで繰り返される事象の一つに過ぎない。

 私と彼の子達が世界に絶望しないように誇れる生き方をすれば良い。

 並べて世は事も無し。

 きっと世界は美しいのだから。

 

 子供達が私と彼を呼ぶ声がする、そろそろ家に帰る時間だ。

 

「リオン、起きろ」

 

 優しく彼の肩を揺らす。

 眠たげに目元を擦る彼を愛おし気に優しく撫でる。

 やがて私の手を彼の手が覆いゆっくりと引かれる。

 手を引かれ徐々に彼の顔が近づいて唇が重なってゆく。

 その柔らかさと温もりが堪らなく愛おしい。

 

「家に帰るか」

「うん」

 

 子供達に声をかけ帰途に就く。

 西に傾き始めた太陽を見て、きっと明日は晴れると思う。

 私と彼の、我が子達の、この地に生きる総ての人々の幸せな未来を想い願う。

 

私、アンジェリカ・フォウ・バルトファルトは

 

愛しきリオン・フォウ・バルトファルトと共に

 

人に厳しくも美しいこの世界を逞しく生きてゆく




モブせか二次創作小説第六部エピローグ後半になります。
原作はweb連載の頃から読んでいましたが、当時は私が二次創作を書く事になるとは思いもよりませんでした。
潮里潤先生のコミカライズが連載され、アニメが放映され、何とな~く某掲示板のネタや店舗特典で基にした短編を書き綴ったのが今作の始まりになります。
最初にpixivに投稿して好評だったので、後にハーメルン投稿するとランキング入りした驚きは忘れられません。
海外サイトでも私にしていただき、読者の皆様には感謝しかありません。
https://www.reddit.com/r/MobuSeka/comments/1730vim/the_original_route_i_guess/
https://www.reddit.com/r/MobuSeka/comments/1cxvciy/illustration_from_a_mobuseka_fanfic/
後に依頼主様によって今作のイメージイラストが描かれ、そこから今作は長編化しました。
「原作最終巻が発売されるまでに終わらせよう」「コミカライズ終了までに間に合わせようと」と思いつつ書き続け、第六部終了の相成りました。

さて、初期構想では今章がラストでしたがリオンとアンジェの子供達のイラスト(https://www.pixiv.net/artworks/122886120)から着想を得て、今後は第七部の執筆を開始する予定です。
第七部の開始は約一ヶ月後から、リオンとアンジェに加えて子供達を交えた展開になります。
20章程度で今章から約10年後のホルファート王国が舞台、今作で登場しなかった原作キャラも何人か登場予定です。
モブせか留学編コミカライズ開始やアニメ2期まで皆様の暇潰しになれば幸いに思います。
それでは再開まで暫しお待ちください。
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