婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
暇を持て余して時が無為に過ごすのはある意味で贅沢の極みである、そのように幼少期から自覚している者は極めて稀だろう。
そして私は極めて稀な側に属する人間だった。
何しろレッドグレイブ公爵家に生を受けた後は物心が付かない頃から淑女教育を施され、王子と婚約し次期王妃としての教育も並行して受け続ける日々は忙しいの一言では言い表せない。
親と王家から課される試練を必死に熟す日々は王子の我が儘で呆気なく瓦解した。
それまで積み重ねてきた私の人生その物を否定された気分に陥り、いっそホルファート王家を滅ぼしてやろうと夢想したのは数えきれない。
公爵家や王家の様々な思惑があったにせよ、婚約破棄後に降って湧いたような縁談によって私の研鑽は報われる事となった。
バルトファルト領の発展に関して私の知識が活かされた事実を鑑みれば決して無駄ではなかったと今なら考えられる。
世界は理不尽な災厄や移ろう人の心によって乱される事が多いが、正しき道を歩む者に対して慈悲を施す時もあるらしい。
こうして我が子達と共に夫の帰還を待つのはよく家庭の一幕だろう、我が家が王国内で上から数えた方が早い高位貴族であってもそれは変わらない物だ。
屋敷を発つ時刻は予めリオン達の到着を考慮して決めていたが、いざ空港で無為に過ごして待つのも時間を浪費しているような錯覚に陥る。
リーアは空港の待機室ではなく隣接した領軍施設に向かって訓練を眺めこの場に居らず、ロクサーヌとメラニーは屋敷から持ち込んだ数冊の本を暇を潰していた。
末子であるディランのみが私の傍らに控えているが、退屈のあまり先程から現実と夢の間を往復している。
もう何度目か忘れて時計に視線を送る、そろそろ到着時刻だが未だに連絡は来ないままだ。
バルトファルト領は数年間で空賊による略奪行為をほぼ根絶しているが万が一の事態もありえる。
ガチャ……
扉が開くと黒髪を備えた少年が入室して来た。
初対面時のリオンの面影とあまりに似通った彼の容貌に既視感を覚える。
しかしよくよく見ればリオンと彼の差異は否が応でも目に付いた。
馬鹿げてる、全く以って馬鹿げてる、息子に夫の面影を見出して動揺するなど醜態でしかない。
「……リーア、此処で大人しく待ちなさい」
「何もしないで待つのは退屈です」
「退屈なら弟と妹の子守りを放棄して良い、そう考えているのならば思い上がりも甚だしい行いです。貴族は自由が赦される訳ではありません、民を護るからこそ主君から力を行使する権利を与えられた存在に過ぎません」
「父上が帰って来るから居ても立っても居られなくて…」
「なればこそ落ち着いて待ちなさい。勝手気ままに振る舞う貴方をお父様がどのように思うか考えてから行動なさい」
「……申し訳ございません」
やや不服そうだが素直に首肯するリーアは大人しく私の言葉に従った。
バルドファルト伯爵次男リーア・フォウ・バルトファルトは私が産んだ子の中で最もリオンの血を濃く受け継いでいる。
黒髪黒瞳という形質を持つのは次女のメラニーも備えている、しかし男子で受け継いでる者はリーアのみ。
尤も外見とは裏腹に性格は似ているかと問われれば父子でもかなり違うのは世の常。
ともすれば陰気と感じてしまうリオンに対しリーアは活発な性格で長女アリエルに次いで私達の手を焼かせる問題児だった。
自信を持つのは結構だが限度を過ぎれば傲慢になりかねない。
私とリオンは子供達を殊更厳しく躾けている訳ではないのだが、貴族としての勉学や振る舞いを大人しく学んでくれるのは長男ライオネルだけ。
アリエルとリーアは活発過ぎて大人しく従わず、ロクサーヌは勉学こそ熱心だが功利主義的な思考が目立ち、メラニーは興味を示さない事柄には無頓着であり、ディランはまだ幼く人格形成の途中。
私の勤勉さや礼節を重んじる部分は後天的に備えた物らしい、どうにも子供達を見ていると気の短い若い頃を思い出してしまう。
自分が親となって初めて教育という物の大切さを実感する、そもそも親の思い通りに育つ子など世の中に存在しているのだろうか?
育児とは戦闘や経営に比する難事と考えて差し支えない。
漫然と時間を消費する事に飽いた頃、窓の外から騒がしく物音や人の声が聞こえて来た。
どうやら御領主様のご帰還らしい、軽く手を叩くと各々が好き勝手に行動していた子供達の視線が私に集中する。
「行きましょう、お父様を御出迎えしなくては」
私の言葉に慌てて準備を始める子供達、しかしディランだけは完全に眠っていた影響か今も気怠げに目を閉じたまま。
仕方なくディランを抱えて使用人の呼び出しを待つ、流石に六歳ともなれば相応に成長して私の細腕で抱えるには些か重過ぎた。
それでもどうにか起こした頃に入室した者から準備が整ったという連絡が入る。
可能な限り威厳を以って答えると子供を引き連れて空港の一角へ向かう、敬礼する数十名の領兵達に会釈を行い指定された待機場所へ向かう。
私と手を繋いでいるディランを除いた三人の子供達も後に続く、こうした時と場所に応じた貴族の令息と令嬢に相応しい振る舞いを身に付けさせるまでにどれだけ苦労した事か。
見晴らしが良い空港の一角で待つこと暫し、澄んだ蒼空に現れた黒い点が視覚に入る。
時間の経過と共に徐々に大きくなる黒点は徐々に見知った飛行船とへ形を変え蒼空を覆うが如く肥大化した。
やがて空港の上空で滞空する飛行船はゆっくりと下降を始め、大きな物音も立てず着陸に成功する。
折り畳み式の昇降口が開くとまず最初に飛行船内で待機していた数名の領兵が降りて周囲を確認、次いで飛行船とバルドファルト領に於ける支配者が空港に控える者全員を睥睨するように見渡す。
リオンの堂々たる振る舞いはこの地に於ける最高権力者として何ら遜色ない威厳を醸し出していた。
ふと出会った頃のリオンの姿が脳裏に思い浮かぶ。
私が父上からリオンとの縁談を打診された頃の彼は心と体が傷付いた半死人の有様だった。
そんな男が今では旧ファンオース公国との戦争で叙爵された新興貴族で最も重んじられているバルドファルト伯爵。
嘗て王国軍に入隊を決意した少年が貧しい男爵家を出奔してから約二十年、私と婚姻してから約十七年の月日が経過している。
今日この時に至るまでの歳月は決して平坦な道では無い。
幾つもの思わぬ困難に遭遇し、必死に悩み続け時に他者の助けを借りながら一歩ずつ進んで来た結果がこうして運良く結実しただけだ。
他人は結果のみを評価して道程に落ちた血と汗と涙に気を払わないものだ。
私達の苦労を知らない他人に若干の苛立ちを感じるも、リオンの苦労を知るのは彼と苦楽を共にした者達のみが知るリオン本来の姿。
私達だけが正しくリオンを理解すれば良い、ごく自然に湧き上がったリオンへの尊敬の念を込めながらゆっくり彼の前で首を垂れる。
耳に入る物音は私に続いてリオンに一礼する者達が動く音だろう。
「王都に於いて伯爵様の此度の御活躍、お疲れ様でございました」
「大儀である、だが私の留守中に領主代行を務めた夫人の働きこそ讃えられるべき功績だ」
「お褒めの言葉、恐縮に御座います」
大仰で芝居がかったやり取りに苦笑してしまう、恐らくリオンも同じ気持ちだろう。
領地が発展すればそこに集う人々も増える、この地に集う者の中には良からぬ望みを持つ者や自身の功利を優先する者も必ず潜んでいる。
そんな不心得者達を牽制する意味でもこうした示威行為は貴族にとって重要な行事でもあった。
貴族社会を生き抜く為に他者に対する威嚇と金銭物資の流通を目的とする公的な催しや奢侈は必要経費として認められる。
だが食欲や色欲といった個人的な欲望に根付いた浪費は身を滅ぼしやがて家を傾ける所業と断じられてしまう。
同じ金銭を使う贅沢という行為なのは変わりない、しかし目的が違うだけで片方は貴族として当然の行為と認められもう片方は悪業と謗られる。
本当に人の世とは奇々怪々で目に見えぬ柵に張り巡らされているものだ。
こうしたわざとらしい示威行為も馬車に乗るまでの戯れだ、馬車に乗り屋敷へ戻れば貴族も平民の家庭と大差無く穏やかな家庭である。
用意している馬車は二台、本来ならば領主のリオンと妻の私が同じ馬車に乗るのが通例なのだが領地に留まっていた子供達はリオンと同じ馬車に乗りたいと騒ぎ始めた。
微笑ましい光景ではあるが領兵や使用人達の前で子供達が騒ぐのは些か体面が悪い、此処は母として私は辞退するのが筋であろう。
「ライオネル、アリエル。貴方達は私と同じ馬車へ、積もる話もありますから」
「わかりました」
「…………」
素直に頷くライオネルに対してアリエルは押し黙ったままだ。
片方の馬車にリオンが乗り込み、次いでロクサーヌとメラニーが続く。
最後にリーアが乗ろうとした瞬間、黒い影が私達の前を横切った。
「私はお父様と一緒が良い!」
甲高い少女の声、その主はアリエルだった。
「ちょッ、姉上!?父上と一緒に行くのは俺の方だろ!」
「良いから譲りなさいよ、これからしばらくの間は父上と一緒に過ごせるでしょ」
「姉上だってそうだろ!飛行船の中で父上と一緒だったはずじゃん!」
「リーア、アンタは淑女に優しくするって貴族令息の優しさが足りないわ。それじゃ一生モテないままよ」
「姉上もまだ婚約者いないくせに!」
「うっさい、黙れ、バカ。ほら、さっさと出発してちょうだい」
私が口を挟む直前にアリエルは御者に命じて馬車を出発させる。
そのあまりに思い切りが良いアリエルの行動に判断が鈍り行動が遅れてしまった。
身の危険を察知した時に淑女として在りえない行動を躊躇わず行う決断力は確かに優れた貴族の妻君に必要な素養ではある。
あるのだが今この場に於いてあの行動は無い、幾ら何でも横暴が過ぎていた。
馬車で屋敷に戻るまでの僅かな時間を私に説教されるのが嫌であんな行動を選ぶ、後先を考えない娘の奔放さに頭痛すらしてきた。
「仕方ありません、別の馬車で向かいましょう」
待機させていたもう一方の馬車にライオネル、リーア、ディランと共に乗り込んだ。
皮肉にもリオンの周りには娘達、私の周りには息子達という構成になったのは神の采配だろうか?
甘え上手なロクサーヌ辺りがリオンに何かを強請らないように見張りたかったのだが、アリエルの独断でこんな形になるとは。
そもそも私だってリオンと同じ馬車に乗りたかった、この埋め合わせは屋敷に戻った後でリオン自身にしてもらう事にしよう。
馬車へ乗り込むと幼いディランを隣に、ライオネルとリーアを向かいの席に座らせると馬車の扉が閉まり振動と共に景色がゆっくりと変わり始める。
「おかえりなさいライオネル、学園での生活は如何でしたか?」
「ただいまです母上、とりあえずバルドファルト家の嫡子としてどうにか及第点に達していたと自分では思っています」
返答したライオネルは頭を下げると二つの書簡を懐から取り出して私に手渡した。
書簡には『王立学園在籍者 保護者宛て』を記入されている、封を開けた痕跡があるのは帰宅する前に自分達とリオンで中身を検めたせいだろう。
中身を取り出して書面を一字も漏らさぬように指でなぞり読み進める、馬車の中は重苦しい空気に満ちていた。
書き込まれた文章の全て確認し終えた書簡を懐に収めゆっくりと息を吐く、やはりアリエルを向こうの馬車に乗せたのは失敗だったか。
「拝見しました、王都でも弛む事無く上級クラスで精進していたようで安心しました。今後も油断せず勉学に励みなさい」
「ありがとうございます」
「しかし問題はアリエルの方ですね。成績は普通クラスのほぼ平均ですが素行が悪い、それが私の第一印象でした。アリエルはそんなに問題児なのですか?」
「いえ、学園の教官達に反抗的だとか授業を勝手に無断欠席するといった問題行動はしていません。むしろ実技では珍しく熱心な女生徒として教官から高く評価されています。ただ…」
「ただ?」
「自分が不服に思った事に対しては臆面も無く意見を述べます、その相手が教員、寮監、先輩でも怯みません」
「…………」
「ただの我が儘なら僕も諫められますが、その殆どは『特定の生徒を贔屓している』『立場を利用し私腹を肥やそうとしていた』と相手に非があるの場合です。他の者が黙って従う中でアリエルだけが不服の声を挙げるのです」
「……なるほど」
「だから私としても止める術がありません。実際アリエルに感謝している生徒も数多くいるので表立って咎める訳にもいかず」
「アリエル自身は他者に迷惑をかけていないのですか?」
「主な被害者は僕です」
「分かりました、後で注意しておきます」
辛うじて言葉を捻り出すと同時に頭痛が酷くなる。
嘗て私も随分と気が短く規律や道徳を声高に重んじたものだ、アリエルはそんな私の気性を受け継いだらしい。
若かった、そう断じるのは簡単だが過去に犯した己の失態を娘が繰り返そうとしていると考えれば落ち着ける物ではなかった。
何しろ私がユリウス殿下、いや元殿下と婚約破棄した年齢とアリエルは同じ歳なのだ。
手痛い失敗で我が子の経歴に傷が付くのを避けたいと思うのは母親として当たり前の親心である。
「兄上も大変だね。まぁ、その分俺は楽だけど」
「何を呑気を言っているのですか?兄や姉の愚行が親や弟妹の人生を揺るがす事もあります。貴方も数年経てば学園に入学するのですから事態を甘く見てはいけません」
「でも母上、俺は学園に通う気はありません。勉強よりも騎士になる訓練を受けたいんですよ」
「入学を拒否する事は許しません、騎士を目指すにしても勉学は必要不可欠です」
アリエルも問題だが次男のリーアも問題だ。
リーアは王国の貴族令息にしては珍しく爵位や宮廷階位に対して興味が薄い、その代わり鎧の操縦や騎士として名を挙げる事に執着していた。
私が産んだ子供の中で最もリオンに似た容貌の影響か、父親の人生を真似る事ばかりしている。
屋敷を抜け出して訓練場を入り浸り、勉学よりも銃器の扱いや格闘術を学ぼうとするのを幾度も叱ってはいるのだが効果は今一つ。
やがてリオンと同じように親に黙って家を出て軍に入隊しかねない行動力に私は戦々恐々していた。
「父上はお祖父様や伯父上から学んだのは必要最低限の知識です、それでも部隊を指揮してついには伯爵になりました」
「リーア、貴方はお父様が特例中の特例だと何度聞けば理解するのでしょうね?」
「でも家を出て王国軍に入った父上の方が学園に入学していた伯父上よりも爵位は上です」
「確かにお父様は学園に在籍していません、だからと言って全くの無学だった訳ではありません。王国軍に入隊してから必死に勉学に勤しんだからこそ部隊の指揮を任され戦功を挙げたのです。お父様の学歴を貴方が勉強したくない言い訳にする事は断じて許しませんよ」
「…………」
リーアは不満気な表情を浮かべているが流石に己の分が悪いと悟ったらしい。
そもそもリオンは家を出て王国軍に入隊した後も、叙爵され領地を賜った後も独学ながら率先して様々な分野について知識を求めている。
リオンとの縁談が持ち上がりバルトファルト領を訪れた私の仕事は領地の開拓に着手の他にリオンの健康管理と一人前の貴族に育て上げる事だった。
口では文句を言いつつも私の指導から逃げ出さなかったリオンをリーアが勉学を怠る理由にするなど私が看過する訳が無い。
「ライオネル、リーア。二人共よく聞きなさい。領主にしろ指揮官にしても確かに武力や知識は必要です。しかし人を統べる者に求められるのは『最も賢い事』でも『最も強い事』でもありません」
じゃあ、一体何ですか?」
「他人の意見を聞き、正しい判断を下し、もしも失態を犯したのなら身命を賭して償う事です」
所属する組織が小規模ならば人手が足りず組織の長が様々な役割を果たす必要もあるだろう。
だが組織が成長し人員が増えれば組織の長に求められる素質は変わっていく。
人員が増加すれば人間関係が複雑化比例して揉め事も増え、利権や地位の奪い合いが起き続けるのが人間社会という物だ。
組織の長に必要に必要とされるのは他者を導く英明さや困難を退ける力ではなく、争いを調停し他者の能力を見極め最適な部署に配属させる才覚が求められる。
優れた力を持つ英雄が為政者として凡庸なのはよくある話だ、そもそも求められる能力が全く違うのだから。
確かにリオンは頭が悪くはない上に優れた軍才を持つ、それでも私から見れば領主としての能力はそれほどではない。
惜しむらくは彼が軍に入隊する必要も無い高位貴族の家柄に生まれていたのならここまで苦労しなかったに違いない。
そうしたリオンの苦労も知らず凡庸な領主ではなく優秀な戦術家と父を判断する息子達を見ると歯痒くなる。
「愚か者に指揮を任せる軍上層部などありません。領兵は領主の命令に従うものです、しかし愚かな領主の命に従い死ぬ事を許容する兵がこの世のどれだけ居る事か。貴方は軍学に興味を持っているようですがあまりに短慮です」
「でも兄上が居るのに嫡子に必要な勉強までする俺が必要はありません」
「その考えは早計です。もし父と兄に何か起きたら貴方がバルトファルト領を受け継ぐのです。戦争、災害、疫病で当主や嫡子を喪った家は数多くあります。万が一に備え行動するのが貴族と心得なさい」
「……面倒くさい」
「そもそもの話、勉学を怠り私から妹と弟の子守りを任されたのに屋敷を抜け出す輩が良い騎士に為れると思う貴方の性根はとても騎士に相応しいとは言えません。上官の指令を理解できず務めを放棄するなど騎士としてあるまじき振る舞いです、屋敷に戻ったら己の行いを猛省なさい」
「…………」
「返事は?」
「……分かりました」
「よろしい」
リーアに反省を促した後に思わず溜息が漏れた、どうしてこうも子育てとは親の思い通りにいかない物なのか?
良妻も賢母も演じ続けるのは至極困難、いっそ力と恐怖で我が子を縛り付けた方が良いと思う事も多々ある。
だが貴族という生まれ持った血筋を理由に誤った特権意識を持ち続け内憂外患の種となった腐敗貴族を私はこの目で数多く見て来た。
そのような者達が嘗てバルドファルト家にも存在し、あろう事か私や子供達を害そうとした事実を私は憶えている。
当時はまだ物心が付く前のライオネルや私の腹の中に居たリーアにその事を思い出せと説いても無理があった。
結局の所、子供達が道を誤りそうになる度に説教じみた小言を地道に繰り返すのが遠回りでも一番効果的な教育法なのだ。
我が子を大声で叱りつける平民の母親を今まで何度も見て来た。
ああは為るまいと思いながら、いざ己が母親になれば似たような行動をしている現状に眩暈すら覚える。
まったく、子育てとは万事儘ならない。
揺れる馬車の振動を感じながら屋敷に戻るまでそんな事をぼんやりと考えていた。
久々に家族が揃った晩餐の後、私とリオンは執務室で軽い経過報告をする予定だった。
屋敷に戻ったその日の内に熟さなければならない仕事は無かったが、突発的な問題が起きないように常日頃から備えるのは領主としての責務だである。
「…………」
「露骨に不満な顔をするな」
「いや、だってさ。今日帰ったばっかだぞ俺、なのにどうして夕飯食ったら仕事に取り掛からなきゃいけないの?」
「お前が居ない間に溜まっている問題の簡単な報告だけだ、決済については後日で構わん。緊急性が高い物は無いから安心しろ」
「アンジェリカ様、どこをどう見ても安心できる要素が見えませんが」
「報告書は要点のみを纏めている、リオンの頭なら十分に理解出来る筈だが」
「いや、そうじゃなくてさ……」
「明日は詳細な報告と領主の承認が必要な案件の決裁をしてもらう。明後日は商人ギルドの要人を交えた会談だ。近日中に領軍の視察を行う予定だ、義兄上を交えた会食に備えておけ」
「領地の事はアンジェに任せてただろ」
「私の判断で進められる所まで進めておいた。後はリオンの判断すれば完了だ、口を動かすより先に頭と手を動かせばそのだけ早く終わるぞ」
「面倒臭え、アンジェの裁量でやってくれた方が確実だろ」
答えるリオンの仕草は息子達に酷似している、夫の性格が息子に遺伝している事実に溜め息が漏れた。
昼間にライオネルとリーアに貴族の責務とは何か、領主の資質について講釈をしたばかりなのに肝心のリオンがこの有様だ。
彼が領主の責務以外にも様々な柵を抱えており、それを私が出来得る限り補佐している維持に現状は夫婦共有の秘密である。
リオンが妻の私を信頼し領地刑をを任せている状況に不満は無いが、あまりに頼り過ぎて最低限の務めすら怠っては本末転倒だ。
「この地を治める者はアンジェリカ・フォウ・バルトファルト夫人ではない、リオン・フォウ・バルトファルト伯爵だ。夫の留守中に領主代行を任されているとはいえ、お前が戻ったら傅いて指示に従う必要がある」
「みんながアンジェのお陰でここまで来れたと思ってるんだから構わないぞ」
「駄目だ、それでは領民が従うのはリオンではなく私になってしまう。今はそれで良いかもしれん、だが時が経ち領主を軽視する風潮が蔓延すれば禍根を残す」
主君に代わり実権を握る補佐役が忠誠心を持つ間は何事も起きないかもしれない。
だが動乱の時代ともなれば主君を裏切り自ら主君に立つなど歴史を紐解けば幾らでも記述されている。
貴族の責務を要約すると如何にして領地を繁栄させ血脈を存続するか、この命題についてどれだけの名君賢王が頭を悩ませてきたか当事者の立場になって初めて苦労が偲ばれた。
最終決定権を失った統治者など飾り物に過ぎず、夫と息子を傀儡にする気など私には全く無い。
息子達に統治者の命題について諭したその夜に夫が妻に決定権を委譲しようとしていたなどあまりに酷い話で笑えなかった。
「リオンはローランド陛下に似ているな」
「似てねぇ!あのジジィになんか絶対に似てねぇぞ!!」
「妻に仕事を全て任せようとするなど陛下そのままではないか」
「……俺が悪かった、真面目に仕事をします」
「よろしい」
最も嫌悪する人間に酷似していると他者に言われるのは誰もが苛立つ、陛下に対して嫌悪感を抱いているリオンにはこれが一番効く。
ミレーヌ様からの手紙によればローランド陛下は城を抜け出し遊興に耽る回数も嘗てよりは減少し多少は政務に勤しむようになったと書かれている。
このまま平穏な時代が続き無事に譲位を済ませれば暗君ではなく凡庸な王と評価されるだろう。
私としてはリオンを荒事は得意だが政務に関しては凡庸だった初代バルドファルト伯爵と後世に伝えるつもりはない。
完全無欠に至らなくても子孫から崇敬される程度には育て上げるつもりだ。
「もうすぐレッドグレイブ家で育った期間とバルトファルト領に嫁いで過ごした期間が逆転する、私が産んだ子供達を育てるよりリオンを此処まで鍛える方が苦難だったぞ」
「何だよ、俺の母親みたいな事を言いやがって」
「まだ幼子は性格や価値観の矯正が可能だが齢十七の男を一人前に育てる苦労がお前に分かるか」
「悪かった、許してくれ」
「溜まった仕事を済ませたら休暇を取ろう。ライオネルとアリエルが学園に戻るまで暫くの間は一家団欒をのんびり過ごしたい」
「……そうだな、そうしたい」
「出来れば旅行が良いな、是非とも行きたい場所があるのだが」
『それは無理です』
男の声とも女の声とも判別できない声が執務室の中に響く。
温かみを感じない虚ろな声が私の鼓膜を揺らすと久しぶりに穏やかだった私の心が憤りで昂った。
眼を動かし視線を天井付近から床まで満遍なく見渡すと窓の外に球形の何かが浮かんでいる。
それが魔法でも浮遊石でもない原理で浮かんでいるのは知っていた、その不気味さは私達の平安を度々乱してきた忌むべき存在。
『リオン・フォウ・バルトファルトには休暇の前に果たすべき任務が存在しています』
リオン一行帰還&波乱の予感。
ルクシオンという強大な力と関わった時点で平穏の人生とは縁遠くなります。
原作でも国王就任したリオンはアンジェに政務を任せきりなので状況が似通うのはある意味で運命です。
追記:依頼主様のリクエストによりコンテ留様、Tororo Kafka様、SH339様、あんてぃー雲様、えんご様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。
コンテ留様 https://www.pixiv.net/artworks/125074072(成人向け注意
Tororo Kafka様 https://www.pixiv.net/artworks/125027875
SH339様 https://www.pixiv.net/artworks/125167551(成人向け注意
あんてぃー雲様 https://www.pixiv.net/artworks/125239609(ちょいエロ注意
えんご様 https://www.pixiv.net/artworks/125304182
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。