婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第127章 Adoration

「ハッ…、 ハッ…、 ハッ…、 ハッ…」

 

 前へ、ひたすら前へ。

 右、左と交互に足を動かして呼吸を規則的に繰り返す。

 少しでも体の負担を減らす為に正しい姿勢を維持して頭の中を空っぽにしたままひたすら走り続ける。

 余計な思考をすればするほど疲労感は鉛製の手枷足枷のように体の力を奪って地面にキスさせるように引き寄せてしまう。

 どんなに苦しくても拒否権は無い、泣き喚く事も許されない。

 この場で僕を助けてくれるの僕だけだ、苦しい時間を一秒でも早く終わらせる方法は走り続ける以外に存在なかった。

 

 視界の隅に目的の場所が映る、あと少しでこの苦しみから解放される。

 だけど、その前にやるべき事が幾つかあった。

 周囲に誰も居ないのを確認してから姿勢を正して額の汗を拭い何事も無かったように平静な態度を作り上げる。

 この場所で弱みを見せちゃいけない、少なくても僕がバルトファルト伯爵家の嫡子でいる間は許されない。

 弱い指揮官は部下の兵士達から信用されない事が多いと父上に聞かされた。

 自分より弱い癖に生まれた家柄だけで実践経験も無しまま部隊を率いる令息に命を預ける物好きな兵卒なんて世界中をどれだけ捜しても見つからないはずだ。

 

「お疲れさまです坊ちゃま。走練はこれで終了となります」

「…分かりました、この後の予定は?」

「全員が到着したら休憩時間に入ります。午後は射撃訓練と格闘訓練を行った後に解散する手筈です」

「…父上はどうしていますか?」

「伯爵様は正規兵達と共に訓練と打ち合わせです。何か御用が?」

「…いえ、結構です。それじゃ僕は全員が到着するまで此処で待機しています」

「承知しました」

 

 訓練教官と少し話し合った後、人目が届かない木陰に隠れて膝をついた。

 他人の視線は嫌いだ、特に故郷の人々はいつも僕を値踏みするような視線で見ている気がする。

 今年か領軍に入ったばかりの新人兵に交じって訓練を受けても皆が余所余所しいと感じてしまう。

 疲労が一気に押し寄せて全身に汗が流れ始め、取り繕った表情を捨て踏みつぶされた蛙みたいに無様な体勢で地面に寝転んだ。

 空に浮かぶ浮き島が地上より気温が低いとは言っても季節は初夏だ、少し運動すれば汗が滲み出て下着を濡らし体の水分を抜けていく。

 必死に呼吸を整え遠くなる意識を保つ、しばらく休憩すれば午後の訓練も耐えられそうだ。

 

「お疲れ~、随分と遅かったわね」

「何でアリエルも参加してるんだよ」

 

 声の方向に顔を動かすのも疲れるから視線だけで声の主を追うとにこやかに笑う双子の妹が太い木の枝に座っていた。

 よっ、そんな掛け声をアリエルは発すると何事も無く着地に成功する。

 汗に塗れて疲労した僕と違いアリエルは汗一つかかず呼吸も乱れていない。

 アリエルの横にいると女性が弱い存在という考え方がバカらしくなる、ここまで違うと性別の差ではなく生物としての格差に感じ嫉妬すら起きなかった。

 ホルファート王国が所有している軍隊において入隊を認められているのは基本的に男性のみだ。

 王族が直轄する王国軍にせよ、領主貴族達が保有している領軍にしても総司令から兵卒見習いに至るまでほぼ全員が男性で構成されている。

 神殿にとって信仰の象徴である聖女様、何らかの事情で領主が亡くなり男子が居ない家が妻や娘を領主代行として軍事力の統括者扱いされる場合は今まで存在した。

 兵役を課されたが男子が居ない平民の家が男装した娘を息子と偽った事もあったみたいだけどすぐバレて処罰されてる。

 女尊男卑社会だった戦前、下位貴族男性の地位が保障された戦後でも女領主や女司令官は特別に認められても女性の兵卒はホルファート王国の歴史において一人も確認されていない。

 

「だって屋敷に居たらお母様に追い回されるんだもん」

「…そうじゃないよ、父上に同行するだけなら分かるけど訓練に参加してる意味が理解できないって言ってるんだ」

「訓練に参加すれば体を動かせるし銃も撃てるじゃない。上手くいけば鎧の操縦だってさせてもらえるかも」

「…………」

「ライオネル、あたしより遅い順位とか情けないわよ。生温い上級クラスの授業で体が鈍ってるんじゃないの?」

「…僕よりずっと早く到着する君は何なんだ」

「才能の差かしら」

 

 分からない、双子の妹の趣味嗜好が分からない。

 ホルファート王国は昔から周辺国と比べて精強な軍を保有していると言われてる。

 国祖達が流浪の冒険者達であり出世への近道が冒険の功績を王家へ献上するのが出世の近道だったからだ。

 冒険者の中には空賊じみた奴らが多くて何かある度に国内の治安が悪くなる、そうなると空賊を退治する為に強い軍が編成される。

 そんな繰り返しをずっと続けた歴史の影響でホルファート王国は軍事力に秀でつつも野蛮な冒険者達の末裔と周辺国から蔑まれていた。

 だけどホルファート王国の歴史を動かした人物の殆どは男性だ、女尊男卑だった時代でさえも政治を動かして命を懸けて戦争で活躍したのは男性。

 今の国民に女性の偉人を聞けば初代聖女と二代目聖女の姉妹、そして現在の王妃様と当代の聖女オリヴィア様ぐらいだろう。

 他国の姫君だった王妃様、平民出身だけど国を護る活躍をした聖女様ぐらいしか王国の未来を変えられる女性は居ない。

 優秀な母上でさえ辺境のバルトファルト領を開拓して近隣の領地との友好を築いた程度に留まっている。

 貴族の妻や娘には夫や兄弟や息子の補佐、そして家の存続と交流を深める橋渡しとなる子供を産む事ぐらいしか求められていない。

 活発なアリエルにとってそんな世界は息苦しさばかり感じてしまうのだろう、僕の妹はどう考えても刺繍やお茶会を楽しんで夫の為に尽くす性格じゃなかった。

 

「お父様も軍学校の入学資格に『男性のみ』と定めるなんて気が利かないわ」

「別に父上が軍学校の規則を全部決めた訳じゃないだろ」

「弱っちいあんたでも試験さえ合格すれば軍学校に入れるのにあたしは女だから門前払い、そうして何もできないままいつか顔も知らない貴族のお嫁に行かされるんだわ」

 

 生まれる時代が違ったら、貴族の家に生まれなかったら、僕と性別が正反対だったら。

 きっとアリエルは歴史に名を遺すような冒険者になれただろう。

 だけど貴族令嬢に求められるのは冒険者の才能じゃなかった。

 ホルファート王国がどれだけ冒険者を特別視して優遇政策を敷いても其処は他の国と変わらない。

 

「おう、二人とも此処に居たのか」

 

 よく知った大人の声を聞こえたから急いで立ち上がって敬礼する。

 畏まる必要は無いけれど親しい間柄でも最低限の礼は必要だ、特にこの方はバルトファルト一族と領地にとってはもう一人の主君なのだから。

 

「お久しぶりです伯父上」

 

 現れたのは軍服を着ても厚みのある筋肉質な肉体を備えた偉丈夫、父上の兄であるニックス・フォウ・バルトファルト子爵だった。

 父上も爵位持ちの貴族としてはかなり鍛えられた体だけど伯父上は更に大きい。

 ちなみにバルトファルト一族で体が一番大きな男はバルカス祖父上で、黒髪で優れた体躯持ちが多い一族の特徴を何一つ受け継いでいない僕は本当に父上の実子なのか不安になる。

 身内に対しては礼儀を省略しがちなアリエルも伯父上に対しては別人のように素直に従う。

 王都関係の仕事で領地を空けがちな父上に代わってバルトファルト領の政務を協力して執り仕切るのが母上と伯父上だった。

 屋敷を抜け出すアリエルが匿ってもらうのはいつも祖父上や伯父上の所であり、アリエルが体力お化けになったのは確実に二人のせいだろう。

 

「何か御用でも?」

「久々に帰ってきた甥と姪の顔を見に来ちゃいかんのか」

「いえ、僕達の方から挨拶に向かうべきでしたから」

「面倒な礼儀は抜きだ、うちの連中は伯爵家の双子が居なくなってからずっと帰りを待っていたぞ」

「ニックス伯父様しばらくでした」

「おぉ、息災かアリエル」

「伯父様もお元気そうで何よりです」

「ははっ、頑丈なのが俺の取り柄だぞ。風邪ひとつ引いちゃいないさ」

 

 臆面も無く伯父上と挨拶を交わすアリエルが羨ましい、僕は昔からどうしてもニックス伯父上に対して身構えてしまう。

 伯父上が善人なのは分かっている、本心から僕らを心配してるのも本当だ。

 それでも昔から伯父上と関わりを持つのを僕が苦手なのは単なる伯父と甥の関係に収まらず伯爵家と子爵家の微妙な事情を孕んでいるからに他ならない。

 

「姉様!」

 

 突如、伯父上の背後から黒い人影が現れアリエルに向かって襲い掛かる。

 完全に意表を突かれた僕は目で追う事しか出来ない、伯父上も自分の背後から飛び出した人影に驚き佇むだけ。

 そんな僕達と正反対にアリエルは何処までも冷静だった。

 体を真横へ一歩だけずらす事で影の突撃を最低限の動きで回避する、但し片脚だけはその場から移動させず元の位置に残した。

 人影はアリエルの体に触れる事が出来ず、その場に残っていたアリエルの片脚に自分の両脚を絡め取られそのままの勢いでゴロゴロと地面を転がる。

 ちょうど伯父上の位置から見えないように脚を引っ掛けたのが実に狡猾な仕掛けだった。

 少し離れた位置まで転がった人影はそのままピクリとも動かない、慌てて駆け寄った伯父上に解放される人影をアリエルは何処か冷めた目で見つめている。

 

「~っ゛ う゛ぅ゛~~」

 

 聞こえてきたのは子供の声だった、男の子か女の子か判別できないような声変りが始まる前の甲高い声。

 僕達は声の主をよく知っている。

 

「…アリエル」

「何よ」

「流石にどうかと思う」

「いきなり令嬢へ抱きつこうとする暴漢を手荒にあしらっただけよ」

「相手は年下の男の子だろ」

「あたし以外の女にも同じ事をしないよう躾けるのは重要でしょ」

「伯父上が見てる、少しは慎みを憶えた方が良い」

「まったく……」

 

 不機嫌を隠そうともせずアリエルは少年に近付いていく。

 少年の名はアンドレ・フォウ・バルトファルト、ニックス伯父上の長男であり五歳ほど離れた従弟だ。

 普段は伯父上に似た穏やかな容姿の少年なのだが今のアンドレは両目から涙を流し鼻水を垂らした見るも無残な状態だった。

 昔からアリエルはアンドレをよく泣かせていた、アリエルが子爵家を訪ねるかアンドレが伯爵家に招かれる度に必ず一回はアンドレが泣く状況が起きる。

 この地を治める領主の子供である僕達は同年代の友達が少ない。

 平民の子供達に交わって遊ぼうとしても相手が委縮してしまうし、辺境の土地柄のせいで同じ貴族の子供達は距離が離れている。

 そうなると遊ぶ相手が同じバルトファルト一族の子供になるのは自然の成り行きだった。

 だけどアリエルは普通の令嬢じゃない、何しろ男子以上に暴れまわる嵐みたいなお嬢様なのだ。

 他の妹達と一緒に遊ぶ事は殆ど無く、いつも弟のリーアと従弟のアンドレを引き連れて領地のあっちこっちで騒動を起こす。

 歳が近くて運動が得意なリーアはともかく五歳も年下のアンドレはアリエルに付き合わされ、いつも痛い目に会ってきた。

 何度も泣いて子爵家へ帰るのに数日経つと泣かされた事実を忘れたようにまたアリエルを背中を追い回す。

 どうしてアンドレは泣かされてもアリエルを付きまとうのだろうか?

 何年も二人を見てきた僕はその理由を薄々と察していた、たぶん伯爵家と子爵家の何人かも気付いている。

 

「私は弱っちい男が嫌いよ、大声で泣く奴は特に」

「~~~~っ゛」

 

 アリエルが発した言葉を耳にした途端、アンドレは唇を噛み締めて必死に鳴き声を抑え込む。

 そんな息子の様子を見た伯父上は何処か困ったような表情で二人を見ている。

 二人の間には主従関係にも似ている明確な上下関係があった、即ちアリエルが上でアンドレが下だ。

 子爵家当主である伯父上にとって嫡男のアンドレが従姉のアリエルに従っている状況は息子が当主に相応しくないと考えても仕方ない。

 尤もバルトファルト一族の当主は妻の尻に敷かれている男ばかりだ。

 バルカス祖父上とリュース祖母上、ニックス伯父上とドロテア伯母上、そして我らが父リオン・フォウ・バルトファルトと母アンジェリカ・フォウ・バルトファルト。

 みんな夫婦仲が良いのに問題が起きればすぐに妻に降参する夫しか見当たらない。

 その点でアンドレは正しく伯父上の血を受け継いでいる、僕も父上の血を受け継いで何れ妻になる女性に頭が上がらない未来を想像して軽く目眩がした。

 

「洟垂れアンドレがやっと泣き止んだみたいね」

「な゛い゛て゛ま゛せ゛ん゛っ゛!」

「嘘つき、涙で頬が濡れてるわ」

 

 ゴシゴシと服の袖で顔を拭くアンドレを見つめるアリエル、そろそろ止めないと伯父上の機嫌を損ねてしまう。

 どうして故郷に帰っても胃が痛くなる事態ばかりが待ち受けるのか。

 こんな状況が続くなら長期休暇中は学園に残って自習した方が遥かに気が楽だったな。

 

「しばらくは休憩の筈だ、学園の様子はどうだったか教えてくれないか?」

「伯父様はお父様と違って学園をご卒業されたはずしょ」

「俺が学園に通ってたのはもう二十年も前だぞ、あの頃と今は教員も校則も全てが違い過ぎる」

「上級クラスについてならアリエルよりも僕の方が詳しく説明できると思いますが」

「いやいや。あの頃の学園は貴族なら誰でも上級クラスに在籍できたみたいに思わがちだが俺は普通クラスに在籍していた。比較対象としては上級クラスのお前よりも普通クラスのアリエルが適任だ」

 

 さっきから伯父上は強引にアリエルとアンドレを伴って場所を移そうとしている。

 おそらくアンドレが伯父上に頼み込んだに違いないだろう。

 帰省したアリエルに声をかけて二人きりになろうとしても素直に応じるとは限らない、手酷く扱われて断られるの可能性が高い。

 だけど伯父上が声をかければ流石にアリエルも拒み切れない、二人きりではなくなるけど拒否されて会話さえ出来ないよりは遥かに良いはずだ。

 アンドレがそうまでしてアリエルと二人きりになりたい理由は薄々ながら察している。

 貴族令嬢なのに屋敷の中で刺繍や読書のような淑女の嗜みに興じるより、領内の森や野原で遊ぶのが得意だったアリエルは女子の集まりから浮いた存在だ。

 加えてこの地を治める領主の子なら平民の子は一緒に遊ぶ事を親から窘められ、同じように辺境の領主貴族の子は簡単に訪れる事は無理。

 そうなると僕達が一緒に遊ぶ相手はどうしても同じバルトファルト一族の子供になりがちだった。

 従姉弟の遊び相手という関係がいつの間にか変化しても不思議じゃない。

 尤もアリエルが気付いているかは不明だし、アンドレはバルトファルト子爵家の嫡男だ。

 アンドレが何処の誰と婚約するかを決めるのは伯父上と伯母上であり、貴族が望んだ相手と結婚できる可能性はかなり低い。

 祖父上は祖母上と両想いだったけど家の事情で他の女性を正妻に迎える必要があったと聞いているし、うちの両親も政略結婚だ。

 伯父上と伯母上が貴族として稀な恋愛結婚に近い形だったからアンドレは無意識にそうなると信じ込んでいるのかもしれない。

 

 場所を移そうとしている伯父上達を追おうとしたけど人の気配を感じて足が止まった。

 誰が近くに居る?

 振り返るとアリエルが登っていた木の裏側に小さな影がはみ出ていた。

 訓練所に似つかわしくない華やかな色調のドレスを纏い腰の辺りまで伸びた黒髪を揺らしている相手は生まれた頃から知っている少女の物だ。

 僕の機嫌を損ねないように怯えながらこっちを窺う様子は年相応の仕草で可愛らしい。

 彼女の方から近寄るのは難しいだろう、なので僕の方から声を掛ける必要がある。

 

「久しぶりだねテレジア、元気にしてたかい?」

「お、お久しぶりですライオネルお兄様ッ」

 

 顔を真っ赤に染めた少女は僕の前でスカートの裾を抓み丁寧なお辞儀(カーテシー)をする。

 首から上の表情と首から下の動作があまりに不釣り合いで笑いが込み上げるが懸命に堪えた。

 必死な令嬢を嘲笑するなど紳士以前に男として言語道断だと母上から口酸っぱく言い聞かされてる。

 尤も母上に言われるまでもなく四歳も幼い少女を笑うつもり悪趣味な真似をするほど僕は下衆な性根じゃない。

 相手が婚約者なら尚更だった。

 

「僕が王都に居た間にテレジアは随分と成長したね」

「本当ですか?」

「うん、同級生のご令嬢達と比べても見事だよ」

 

 ほんの少し心の奥が痛む、テレジアの緊張を紛らわせる為とは言え学園の上級クラスに在籍している生徒はホルファート王国に生まれた同い歳の少年少女の中でも最上位級の者達だ。

 平民の家柄でもその場に於ける最適な礼儀作法を入学前に仕込まれている、決して野卑生まれと育ちの連中ではない。

 目の前の少女を傷付けない為に他者の品位を下げるような物言いをしていないか?

 心の奥が罪悪感で重くなる、自分がまるで嘘を吐く卑劣漢に思えた。

 

「…………」

「何か不満なのかい?」

「……お兄様、いったい誰と比べましたか」

「誰って、そりゃ王立学園の生徒さ」

「私と比べた相手はどんな女の子なんでしょうね」

 

 これだ、これがあるからテレジアは怖い。

 名家と謳われるローズブレイド伯爵家出身の伯母上から美しさと賢さ、そして愛する者に対する独占欲を受け継いだテレジアは僕が他の女性と関わるのを嫌がる。

 大人しくて素直な性格なのに僕に固執する部分だけが明確な欠点だった。

 伯母上も伯父上が仕事で領地から離れた後は似たような振る舞いをするらしい、つくづく似たもの母娘だ。

 

「そうやってすぐに他人を疑うのはテレジアの悪い癖だね、直した方がいい」

「私はお兄様の婚約者です!妻が夫の浮気を疑うのは当然でしょう!」

「へぇ、テレジアは僕が浮気する男だと思っているんだ」

「それは…、その…」

 

 かなり姑息な言い方だけど、これが一番テレジアに効果的な言い方だから仕方ない。

 テレジアには理想としている淑女は実母である伯母上ではなく現バルトファルト伯爵夫人である母上だ。

 公爵令嬢として厳しい教育を受けた母上は宮廷や社交界のマナーに精通している。

 新興の領主貴族である伯爵家が周辺の領主に侮られなかったのはレッドグレイブ公爵家という後ろ盾があったから、しかも貴族の妻として完璧な母上の支えがあったから父上は社交界で認められた。

 その評判が評判を呼び、母上は近隣の貴族令嬢がマナー教育を行う際に招かれる事も珍しくない。

 テレジアにとって夫に尽くし領地を盛り立てる母上こそ目指すべき理想像だった。

 まぁ、息子が見れば母上もかなり嫉妬深い本当の顔を知っているのは内緒にしておこう。

 わざわざテレジアの夢を壊す必要は無い。

 

「だってお兄様ってば、私が何通も手紙を送っても返事を下さらないんですから」

「ごめんよ、何しろ王立学園の授業に付いていくのが忙しくて」

「返事の手紙だって『欲しいものは何?』と本人に聞いてくるなんて気遣いが足りませんね」

「去年まで贈り物のお菓子で喜んでたじゃないか」

「それは昔の話です!私は日々成長しているんです!」

「分かった、僕が悪かった。とりあえず許して欲しいんだけど」

「……なら頭を撫でてください」

 

 テレジアはそう呟くと僕の目の前で頭を下げた。

 この状況に困惑してアリエル、若しくは伯父上とアンドレの助けを求め周囲を見渡す。

 三人の後ろ姿はかなり離れた場所に居る、大声で必死に呼びかけても聞こえる距離じゃなかった。

 もしかしたら、この状況を作り上げたのはテレジアかもしれない。

 僕と二人きりになる為に伯父上に頼み込み、アリエルを引き離す為にアンドレを同行させたのならとんでもない女策士だ。

 

「令嬢の頭を撫でるのは紳士に相応しい振る舞いに思えないけど…」

「婚約者の私が認めるから良いんです」

 

 どうやら逃げられそうにない、諦めてテレジアの頭を優しく撫で始めた。

 最高級の毛皮より滑らかな感触の黒髪が指に絡みつつも引っかからず掌に心地良い感触が伝わる。

 上質な石鹸や髪油を使い入念な手入れをしているんだろう、心地良さにいつまでも撫でていられそうだ。

 撫でられてるテレジアは毛繕いされてた動物のようにウットリしてる。

 幼い頃からやたら僕に甘えて撫でるように要求したせいで伯父夫婦や両親に控えるように注意されてからテレジアとは儀礼的な接触に留まっていた。

 

「少し背が伸びたかな」

「…やっぱりお兄様は私への気遣いに欠けています」

「どうしてだい?成長しなきゃ立派な淑女に為れないよ」

「私はお父様のような大柄でムキムキに成長したくありません」

「流石にそこまで成長しないと思う」

「お兄様より背が伸びたら頭を撫でてもらえなくなります。キスをする度に私の方が屈むのは淑女として恥ずかしいです」

「別にテレジアの背が僕を追い越しても気にしないさ」

「あと結婚式でお兄様に抱っこされるのが私の夢なのに、お父様に似たら私が抱っこする事になってしまいます」

「それは僕の体格が大きくてもキツいなぁ」

「でも伯爵様はアンジェリカ叔母様と婚約していた頃に抱っこして領内を歩き回ったそうです」

「若い頃の父上は恥って物を持ってないのかよ」

「なのでお兄様にも同じ事をしてもらいます、これは確定事項です」

 

 何やってんだうちの両親は?

 父上と母上のせいでとんでもない約束をさせられてしまったぞ。

 困惑する僕とは正反対にテレジアは満足そうに微笑んでいる、僕と結婚する未来を欠片も疑っていないんだろう。

 

 その愛が重いと感じるようになったのはいつからだろう?

 テレジアの事を嫌っている訳じゃない、幸せになって欲しいと心から願っている。

 但し彼女に対する感情が親族としての愛情なのか、それとも男女の愛情なのか僕自身にも分からない。

 僕とテレジアの婚約は彼女が産まれる前から決められていた。

 従兄妹同士の婚約は新興貴族のバルトファルト伯爵家の地盤固め、そして父上と伯父上の後援者である領主貴族筆頭のレッドグレイブ公爵家と名門のローズブレイド家という両家の思惑が絡んでいる。

 貴族同士の婚約や結婚に本人の愛情が関与するのは極めて稀だ、まだ物心が芽生えない頃に顔も知らない相手と婚約をさせられる例なんて珍しくもない。

 ただテレジアの愛情が本当に彼女が望んでいる物なのか分からない。

 卵の殻から出た雛鳥が目の前の対象を思い込む刷り込みと同じだ、幼い頃から両親や叔父夫妻から僕と結婚する事が幸せと教えられたテレジアは無条件に僕を愛するように仕組まれているんじゃないか?

 確かな証拠もないままズルズルとこの歳まで来てしまった。

 テレジアが王立学園を卒業すれば否応なしに僕達は夫婦になるよう強制される。

 それは本当に彼女の幸せなのか?

 周りの大人達が強制した幸せじゃないのか?

 

「テレジア」

「はい?」

「母上から無理強いをさせられてないか?」

「アンジェリカ叔母様は厳しいですけど優しい御方です。次期伯爵夫人としてお兄様に相応しいよう頑張ります」

「悩んだらすぐに僕に言え、自分を押し殺してまで生きる事はない」

「…お兄様が何を仰っているのかよく分かりません」

「困り事や悩み事があったらすぐ僕に相談して構わない、頼りないかもしれないけどテレジアには幸せになって欲しいんだ」

「はい、分かりました」

 

 やっぱりテレジアはよく分かってなさそうだ、困惑して小首を傾げる動作は年相応の少女に見える。

 次期バルトファルト伯爵夫人に為るのは母上の跡を継ぐという事だ。

 公爵家で厳しく育てられた母上が要求する水準はかなり高い、あのアリエルが数えきれないぐらい逃げ出したほど厳しい。

 まだ十一歳のテレジアは母上や伯母上の期待に応える為に相当な努力をしているはず。

 僕は弟妹達が遊んでいるのを遠巻きに見つつ嫡子としての勉強を強いられる日々を送ってきた。

 やがて嫁ぐ伯爵家の為に従妹の人生を生け贄にしているような言いようのない嫌悪感が腹の奥から湧き上がる。

 

「兄上ッ!やっと終わったよ!」

 

 突然、横から声をかけられ振り返ると走り終えた僕以上に汗まみれのリーアが近寄って来る。

 着ている訓練着は大量の汗を吸い水を被ったように濡れていた。

 

「あ~ッ!ビリになっちゃった!」

「当たり前でしょ、入隊年齢にもなっていない貴方が大人の訓練に耐えられる訳ないじゃない」

「何だ、テレジアも来てたのか」

「私が来たらいけないのかしら?お兄様の婚約者なら訓練する御姿を見守るのも務めよ」

「少しは俺を褒めろよ、年上に混じって訓練してるんだぞ」

「それで他の人に迷惑かけたら意味が無いじゃない。自分が伯爵様の息子だからって調子に乗り過ぎね」

「認めてくれたっていいじゃんか」

「伯爵様は自分の息子だからって贔屓しない公正な御方よ。参加する前に己の愚かさを呪いなさい」

「テレジア、そこまでにしよう。リーアもよく頑張った」

「へへっ」

 

 リーアは誇らしげに胸を張って僕を見返す。

 実際の所、十二歳のリーアが十五歳から入隊可能な領兵の訓練に最下位とはいえ熟せるのは素晴らしい成果だ。

 ホルファート王国軍やバルトファルト領の領軍への入隊が認められるのは王立学園への入学が認められるのと同じ十五歳から。

 戸籍調査と身体検査が行われた後、筆記と実技の試験を経て合否が決まる。

 今日の訓練は今年入隊した新兵向けの物であり、同年代の者達に交じって領主の子供である僕が参加する予定だった。

 なのに何故か同行したアリエルが好成績を収め、僕は平均的な成績、リーアは年齢に達してないのに訓練に参加している。

 新兵の指導を担当する領兵はさぞ困惑しただろうな。

 

「俺は父上の子だからな、武勇で身を立てるぐらい強くなるんだ」

「減らず口はアリエルお姉様に勝ってから仰いな。アンドレと一緒にお姉様の子分をやってたくせに」

「そりゃ姉上の実力がおかしいだけだろ、俺だって姉上が居なくなっても毎日自主練してるんだぞ」

「結果は最後尾じゃない。まぁ泣き言を吐かない事だけは褒めてあげる」

「よっしゃ」

 

 リーアの身体能力は同年代と比べれば高い方だ、むしろ一歳違うだけで身体能力に明確な違いが出る年齢を考えればかなり上位だろう。

 同じ年頃の僕がリーアと同じ成果を出せるかと言えば自信が無い。

 バルトファルト一族は歴史こそ長いけど爵位持ち貴族になったのは曾祖父の代からで、それまでは半農半貴族的な生活を送ってきたと聞いている。

 貴族として貧しく領主自ら農耕や牧畜、加えて兵役を課された影響で体格が良い男が多く生まれている。

 祖父上、伯父上、そして父上は大柄で鍛え上げられた体格を持っていたからこそ戦功によって叙爵・陞爵された。

 そんなバルトファルト一族男子の血を伯爵家の子供で一番受け継いでいるのはリーアだ。

 黒髪・黒瞳・恵まれた体格は幼い頃の父上にそっくりだと祖父上と祖母上はよく話している。

 レッドグレイブ公爵家の特徴が色濃く出た僕と並べればとても同じ両親から生まれた兄弟には見えない。

 あまり父上に似ず陰気な僕に比べ、父上そっくりで快活なリーアは領民によく慕われている。

 そして何より名付け親は祖父の前レッドグレイブ公爵であるヴィンス祖父上だ。

 バルトファルト伯爵家の寄親であるレッドグレイブ公爵家が名付け親になる、それを公爵がリーアの後見人と受け取って当然の行為だ。

 その影響か、僕よりもリーアの方が次期公爵に相応しいと思っている者達が存在してる事実を成長してから薄々と察している。

 父上に似ておらず平凡で陰気な僕よりも、父上に似て才気に満ち快活なリーアの方が嫡子に相応しいのではないか?

 今日の訓練も領兵達は僕に対して何処か余所余所しいのに比べ、リーアには蟠り無く接している。

 父上の部下にとっては父上が隠居すれば息子が自動的に新たな主君になる、より親しい相手に傅きたいと思うのは当然の心理だ。

 

「リーア、テレジア。言い争いはそこまでにしよう、父上や伯父上が待っているから」

「分かりました」

「了解」

 

 僕が嫡子の地位を躊躇うのは他にも理由があった。

 リーアは僕から見ても明らかにテレジアを慕っている、バルトファルト一族の子供達の中で最も年齢が近いのは伯爵家次男のリーアと子爵家長女のテレジアだ。

 他家の令嬢に対し距離を置くリーアはテレジアの時だけ自分から絡みに行く。

 反対に普段は礼儀正しいテレジアが砕けた口調で接する令息もリーアだけ。

 この二人の相性はとても良いのでは?

 テレジアが僕に向ける好意は周囲の大人達の思惑によるものであり、僕本人に対する好意など実は存在してないのではないか?

 そんな不安を抱き始めたのは何時からか、今では憶えていない。

 

 ただ長男に生まれただけで凡庸な僕が伯爵家を継いでいいのか。

 リーアの初恋を踏みにじってテレジアと結婚していいのか。

 生まれた時から強制された婚約でテレジアは幸せになれるのか。

 思考がぐるぐると同じ所を回り続け思考が袋小路に陥っていく。

 

「兄上、どうかしたの?」

「お兄様、疲れていらっしゃるの?」

「……何でもないよ。テレジア、休暇中に屋敷に来るといいよ。王都のお土産があるから」

「お兄様。ありがとうございます」

「あッ、あの美味い菓子!?」

「リーア、君へのお土産はもう手渡しただろう」

 

 僕にとっては弟のリーアも従妹のテレジアも大事な家族だった。

 だけど他ならない僕自身が大事な家族を不幸にしているかもしれない。

 倦んだ気持ちは決して治らない傷のように僕の胸の奥でずっと痛みを発し続けている。




悩めるライオネルくん、母そっくりのテレジアちゃん、父そっくりなリーアくんの今章。
この三角関係は原作のリオン、ノエル、コリンの三角関係をオマージュしています。
原作ほどドロドロしない予定ですが、代わりにライオネルくんの胃が痛い。
ライオネルくんは原作リオンの陰性部分を継承しているのでかなり自己評価低めです。
テレジアちゃんは黒髪のドロテア、リーアはややハンサムなリオンのイメージとなっております。

追記:依頼主様によりピザシー様、鈴原シオン様にリクエストのイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。

ピザシー様 https://www.pixiv.net/artworks/125899240
鈴原シオン様 https://www.pixiv.net/artworks/126017118
 
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
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