婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第170章 The monster's roar

 何かが近付く音がする。

 この場所に閉じ込められてどれだけ時間が経過したのか分からない。

 腹を満たす肉どころか渇きを潤す水すらも最後に口にしたのは何時だったのか。

 如何に自分が他の同族と比べて秀でた頭脳と体躯を持っていたとしても未だに餓死していないのは単なる偶然ではない。

 規則正しく金属の地面を叩く音から音を発している存在が走っている事、それが『二本足』か『耳長の二本足』かという事が分かる。

 それを知覚した瞬間に心臓が跳ねた。

 寒さが厳しい冬の洞窟で体を丸めて冬眠してた頃は生きる為に最低限の呼吸と最低限の鼓動でどうにか生き延びていた、奇しくも今の状況はあの時と同じと言える。

 昂る心音は体全体に血を巡らせ徐々に四肢に力が戻って来るのが分かった。

 閉じ込められてから水も肉もろくに与えられていない、まだ生きているのが不思議なこの状況で近付く者は全て自分の獲物だ。

 沸き立つ本能を冷静に制御して今はただ獲物の訪れをひたすらに待ち続ける。

 

 草木が一本も生えない金属に覆われた場所で『耳長の二本足』が己の体に何かを無理やり埋め込んだ。

 全身の血と肉が爆ぜそうな苦痛に悶え苦しみながら生き残った後、明らかに自分が自分でありながら全く別の存在になった事だけは分かる。

 嘗て森に住み一族を率いていた頃の自分は『分からない』、『知らない』という事さえも気付かなかった。

 生きる為にひたすら獲物を狩り、殺し、喰らう日々。

 時間の感覚は緩やかで日が昇り始める頃に起きて沈む頃に眠るを繰り返してるといつの間にか季節の移り変わっている事に気付く程度の認識しか持っていなかった。

 獲物に対してもどんな習性で行動するかを感覚で把握していた、その生き物が同族達とどんな群れを形成してどの立場なのかを把握できるようになったのは明らかに『耳長の二本足』に何かをされてからだ。

 

 だが、新たな力に目覚めた喜びはあっても『耳長の二本足』に対して感謝の気持ちなど持ち合わせてはいない。

 そもそも奴らは明らかに此方の立場を下に見ているのが分かった。

 母の胎内に居た頃から自分こそが絶対的強者だと理解している、たとえ『二本足』や『耳長の二本足』に捕らわれようともその認識は変わらない。

 何かを埋め込まれてから冴えた思考によって『耳長の二本足』の鳴き声の大まかな意味が分かってきた。

 どうやら『耳長の二本足』の群れは『二本足』の群れと仲が悪いらしい。

 それ自体は森や平原に住む生き物にとって一族の長を決める争いや縄張り争いなど珍しい事ではない、ただ金属ばかりのこの場所を争う『耳長の二本足』と『二本足』が珍妙な生き物に思えた。

 

 『耳長の二本足』によって体に何かを埋め込まれてからひたすら寝て喰らい寝て過ごすだけで明らかに体が強くなる事だった。

 感覚はより鋭敏に、思考はより詳細な事柄を把握できるようになり、体の構造は森に居た頃とは全く別種の生き物へと変貌を遂げていた。

 何時しか体は横方向に厚みを増し、前脚は関節の形と筋肉の付き具合が別物となって指が伸び、後脚で立つ方が楽に移動できるように変わっていく。

 いつしか自分が『二本足』とよく似た姿になっている事実に気付いたのは何時だったか、今となっては思い出せない。

 

 どうやら金属に覆われたこの場所は『耳長の二本足』の縄張りらしい。

 陽光と違う光を放つ灯りが照らす金属の洞窟、自分が知る森の洞窟とは全く違うここはまるで大蛇の腹の中だ。

 あの礫を放つ金属の棒を持った『耳長の二本足』が洞窟のような場所で森の中では一度も嗅いだ事のない不快な臭いを放ちながら忙しなく行き来する光景が理解できず怒りが込み上げる。

 何よりもあの脆弱な『耳長の二本足』が自分を力で従わせられると思い込んでるのが気に食わない。

 気に食わないが『二本足』達の策略と力によって敗北したのは紛れもない事実。

 ならば『耳長の二本足』が隙を見せるまで待つのが賢い選択だ。

 一方的に獲物を蹂躙し続ければやがて縄張りに住むあらゆる生き物は警戒心を見せ始める、敢えて従順な姿を晒し相手の油断を誘うのも有効な狩りの方法と言えよう。

 

 この金属の洞窟では時間の経過は分からない、一定の間隔で肉の塊を与えられる時間で察する以外の方法は無い。

 与えられる肉の塊がどんな生き物かは味では判別できない、分かるのは肉を喰らい『耳長の二本足』に体を弄られる度に自分の体が別の生き物のように変化していく事のみ。

 四脚で歩いていた体が『二本足』と同じように立って歩けるようになった頃、『耳長の二本足』に急かされながら狩る獲物は『二本足』へと変わった。

 どうやら『耳長の二本足』は縄張りに入り込む『二本足』を追い払う為に自分を使役を試みているらしい。

 二つの種族を見比べれば『耳長の二本足』と『二本足』の力はそれほど差があるように見えなかった、少なくとも火や雷といった現象を起こさないなら両方の力は対等に思える。

 つまり『耳長の二本足』は『二本足』が狼を飼い馴らしたのと同じように自分を操りたいのだろう。

 自分が殺されないまま『耳長の二本足』がこの場所に連れて来た思惑が分かった瞬間に新たな怒りが込みあげる。

 だが『耳長の二本足』の縄張りに入り込んだ『二本足』を襲い喰らった時、怒りすらも超える驚きで思考が染められた。

 今までも『二本足』は極上の味だったが、肉を喰った時に起きる体の変化は今までにないほど凄まじい。

 体のあらゆる場所が強靭な変化を遂げている、刺激が少ないこの場所で鈍っていた思考が鮮烈に冴え変化を続ける自分の体をどう使えば効率的かさえも把握できた。

 これは『耳長の二本足』への反撃に必要な力を蓄える為に目覚めた才能、本能で理解した力を使い『耳長の二本足』と『二本足』を肉片に変え喰らってやろう。

 そう決心した後は『二本足』に従順な態度を示し、たまに縄張りを訪れる『二本足』を喰らって更なる力を得る事の繰り返し。

 やがて訪れた決行日、『耳長の二本足』が集まった時を狙い澄まして叛逆の牙を剥きその爪を振るい本能のまま暴れ狂った。

 

 しかし命を賭した叛逆は失敗に終わり、『耳長の二本足』の僅かな血肉を啜り喰らっただけでこの場所へ閉じ込められた。

 自分の力は確かに『耳長の二本足』を凌駕していた、奴らが扱う礫を放つ棒も以前の自分と同じように体を傷付ける事は出来ず何匹かを仕留められた。

 逃げ惑う『耳長の二本足』に噛み付き引き裂きながら気が付くと周囲に獲物達の姿が消えている事に気付いた時にはもう遅い。

 逃げ場を閉ざされた上で異臭を放つ空気を吸うと体が痺れ動きを封じられ意識が朦朧とした事は憶えてる。

 後は『耳長の二本足』によって持ち込まれた更に大量の礫を放つ棒を使われ、全身から血を流し痛みに悶えながらこの場所に運ばれ放置されたまま。

 本来ならば死んでいてもおかしくなかったが、今もこうして自分が生きている理由は薄々と察している。

 体に埋め込まれた何か、自分の体を全く別の存在に変えた何かが自分の体を生かしている。

 まるで虫の蛹のように傷付いた外皮の下で新しい体へ造り変えられているのをはっきりと感じたが、今の自分は死なない事に集中して何かを止める事は出来ない。

 このまま生きてるのか死んでるのかさえも分からない状態でも生きる事を選択したのは『耳長の二本足』を再び喰らう為。

 次こそは失敗しない、確実に迅速に奴らを殺して喰らった後この場所から逃げ出してやる。

 その想いだけを抱きながら今も叛逆の機会をひたすら窺っていた。

 

 足音が徐々に近付いて来る、何も無ければもうすぐでこの場所まで辿り着く。

 閉じ込められてから『耳長の二本足』が来たのは数回、自分の傷が癒えたかを確認するだけで肉も水も与えられなかった。

 今まで自分の存在を忘れ去ったように扱われた事が却って嬉しい、『耳長の二本足』がこの付近に近寄る時は自分の様子を窺う時のみ。

 予想外の何かが『耳長の二本足』達に起きたのは足音から伝わる焦りから察せられた、しかも近付いて来るのは一匹だけなのは明らか。

 まさかこんな幸運が起きるとは、期待で昂る鼓動が耳障りだ。

 しかし気を抜いてはいけない、格下の獲物と侮って思わぬ反撃を受け失敗した狩りは何度もある。

 今はただ獲物が自分の牙と爪が届く場所まで近付けさせる為に弱った擬装をしなくては。

 

 逃げ場の無いこの場所の一部が動いて何者かが侵入すると同時に上方向から光が降り注ぐ。

 陽光とは全く違う光だがそれでも光には違いない、思い返せばこの金属の洞窟に連れて来られてから一度も太陽を見ていなかった。

 久しく機能していない眼球の働きが戻るまでの数十秒、耳と鼻と体毛を使い相手の情報を調べ尽くす。

 周囲に漂う汗の臭いと甲高い鳴き声から『耳長の二本足』の成獣が一匹、仲間の気配は全く感じられないので単独なのは確定。

 同時に金属と腐敗した卵のような臭いも感じられる、間違いなくあの礫を放つ棒を持っている。

 今すぐ襲うのは得策ではない、どれだけ自分の方が『耳長の二本足』より圧倒的な強さを備えていたとしても飢えと渇きで弱った体に不意討ちを受ければ致命傷になりかねない。

 まずは視力の回復を待ち隙を窺うのが優先だ。

 何かを体に埋め込まれてから『二本足』と『耳長の二本足』の鳴き声がどんな意味を持っているか凡そ理解できるようになった。

 まるで自分が『二本足』に近付いてるとでも伝えたいように体の奥で何かが蠢く。

 どうやら『耳長の二本足』は『二本足』に負け、閉じ込めていた自分を使い『二本足』を倒そうと考えているようだ。

 何処までも自分を侮っている『耳長の二本足』の態度が気に食わない、それでも感情を抑え弱った姿を偽装し続ける。

 

 やっと視力が戻った頃、『耳長の二本足』と自分を隔てていた透明な何かが動いたのを感じた。

 同時に自分に近付いてくる『耳長の二本足』の様子を感覚器官の全てを用いて観察を開始。

 まだ我慢しろ、相手は礫を放つ棒を自分に向けたまま警戒している。

 このまま襲っても体に礫を受けた隙に逃げられ叛逆の機会は失われてしまう。 

 敢えて抵抗する力を失い死を待つだけの姿を偽装し『耳長の二本足』の反応を見極める。

 恐る恐る近付いた『耳長の二本足』は礫を放つ棒で幾度も自分の体を突いた。

 全く反応の示さない姿の偽装を見破れなかったのだろう、怒りを含ませながら何度も腹を蹴り付け感情を剥き出しにする。

 思わず反撃しなかったのは逃げられるのを防ぐ為、かつての失敗が無ければ此方も爪で引き裂こうと動いていたはず。

 

 焦りを隠そうともしない愚かな『耳長の二本足』が背を向けた瞬間、四肢に力を込めて飛び跳ねる。

 凝り固まった筋肉は嘗ての半分に及ばない力しか出せず、動く度に骨が擦れる音が聞こえた。

 目指すは上方向の隅、空気が流れ込んでいる小さな穴。

 伸ばした前脚を穴に引っ掛けたままぶら下がる、『二本足』によく似た指は物を掴むのに適した形らしい。

 不安定な姿勢だが悪くはない、『耳長の二本足』が振り返って驚き隙が生まれた瞬間を狙う。

 何も知らない『耳長の二本足』は再び振り返った、それと同時に前脚を離して壁を力任せに蹴った。

 困惑した表情の獲物が急に現れた影によって自分の存在を知る、だが遅い。

 あぁ、これだから狩りは愉しくて止められない。

 怯えた獲物を爪と牙で嬲ってから慈悲のように最期の一撃で仕留めるのは自分が圧倒的強者だと感じられ高揚する。

 それと同じくらいに隙を突いて自分が死ぬと理解できないまま愚鈍な表情を晒す獲物が恐怖に歪んでいく変化はとても愉快だ。

 しかも獲物はこんな場所に自分を閉じ込めた『耳長の二本足』の一匹。

 存分に愉しませてから喰らわせてもらうか。

 

ギャブュッ!!

 

 頭を突き出して『耳長の二本足』の首元を狙う。

 獲物を確実に仕留めるならこの場所が一番だ。

 首に噛み付くと同時に首の骨を強力な顎の力で思いきり嚙み砕く、成功すればどんな獲物の確実な死が訪れる必勝法。

 首の骨を嚙み砕く事で体の動きを封じ、首に牙を突き立て穴を空ける事で呼吸を止める。

 これで仕留められなかった獲物は一匹も存在していない。

 だがこの『耳長の二本足』は必死に抵抗を続け、礫を放つ棒を此方に向けようとすらしている。

 狩りの方法に失敗は無かった、これは自分の体が衰弱しきってる影響だ。

 獲物を前にしても唾液さえ湧かないほどに体内の水分が枯渇し、空腹の影響で僅かな動きですら途方もない疲労が蓄積してゆく。

 

 このままでは危うい。

 

 そう感じて首の骨を砕く事は諦めた、代わりに何度も何度も牙を突き立て首を切り刻み穴を開ける方法に切り換えた。

 牙は『耳長の二本足』の首にある動脈を切り裂き大量の血液を滲ませ周囲に撒き散らす。

 流れる血液で口内が潤い、喉が鳴る度に獲物の生命力を秘めた液体が乾いた肉体を癒していくのが分かる。

 

 美味い、『耳長の二本足』とはこれ程の美味だったか。

 

 前の叛逆では『耳長の二本足』を数匹だけ殺す事に成功はしても僅かな肉片を喰らうだけで終わってしまった。

 今度は違う、あれから我慢を覚えて更に狡猾になった自分なら『耳長の二本足』も『二本足』も確実に仕留め喰らい尽くせる。

 奴らを喰らい体をより強靭に、思考をより明敏にすればいずれこの地を支配する事も十分に可能だ。

 いつの間にか息絶えていた『耳長の二本足』の死骸から口を離すと金属の地面に倒れ伏す。

 次は骨が無く栄養が詰まった内臓を喰らおう。

 久しぶりの肉と血を前に思考が喜悦に染まった、この瞬間だけは我慢などしたくはない。

 

オオォォオォォン!!

 

 あぁ、金属に覆われた洞窟の中に遠吠えが響き渡るのが心地好い。

 喰うとはこれ程までに素晴らしい行為だったのか。

 獲物の血と肉と臓物と皮膚と体毛が自分の物と交じり合い一つとなる。

 これこそ生きるという事だ。

 だが足りない、全く足りない。

 きっと他の『耳長の二本足』もこの金属の洞窟に居る筈だ。

 もう失敗はしない、奴らを一匹残らず喰らってやろう。

 

 口元を濡らす血を長い舌で舐め取りながら獣は再び歓喜の雄叫びを放った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ほら、大人しく縛られてろ」

「…………」

 

 背嚢に収納してあったロープや治療用の包帯を使ってエルフ達の手を縛る。

 本当なら金属の手枷でもあれば一番だけど、そんな重量物を持ち込んで遺跡の中を探索できる訳がない。

 代わりに探索に仕えるかと持ち込んでいたロープは本来の役目を果たさないままナイフで分割され、今じゃエルフ達を拘束するのに一役買ってる。

 エルフ達の半分は敵意を隠そうともしないが、もう半分は茫然自失の状態か怪我の痛みに苦しむ怒りを示す事さえ出来ない。

 元気があるというのはそれだけ戦闘の怪我が軽い証拠だ、重傷の奴らの中にはエルフ特有の長い人生を体に生涯を抱えたまま生きる事になる奴らもいるだろう。

 それもホルファート王国の上層部がこいつらを生かしてくれればの話だ。

 こいつらは二十年ぐらい前に王国への叛逆を企て、新しい国王から恩赦を受けたくせに性懲りも無くまた叛逆を企ている。

 たぶん首謀者の殆どは死罪、良くても数百年の長い人生を牢の中で過ごす終身刑になるだろう。

 それならいっそ殺してやった方が温情だったかもしれないな。

 そこまで考えた自分の酷薄さを否定するように頭は左右に振った。

 

「お父様、終わった?」

「あぁ、そっちはどうだ?」

「血止めぐらいしか施せないわ、あたしもライオネルも回復魔法なんて使えないし」

「それは仕方ない、これ以上の死者を出さなきゃそれで構わない」

「……こいつら助ける意味あるの?」

 

 まるで俺の真意を代弁するような言葉をアリエルが放つ。

 俺の娘がこの部屋で拘束されているエルフを見る目は明らかに怒りや敵意が宿っている。

 それは俺達を睨むエルフ達と同種の物だ、その事実が酷く俺の心を抉った。

 敵を倒す事と殺す事は似ているようで全く別の行為だ、少なくとも俺は昔からそう感じている。

 戦争で活躍して爵位を貰い貴族なった俺がこんな感性の持ち主だと知られたら嘲笑う奴も出てくるだろう。

 だけど俺は人を殺す事をどうしても好きになれない、例え相手が俺を殺そうとした連中だとしても。

 

「俺達の目的はあくまで遺跡を確保してアンジェを元通りにする、王都のお偉方からの指示はエルフ達が叛逆を企てているかの調査だ。そこまでの権限は与えられていない」

「そりゃそうでしょうけど」

「あと人間を嫌ってる過激派のエルフは他にも居る、そんな連中の指導者がこいつらだ。もし殺したら俺達に復讐する為に襲ってくるかもしれないぞ」

「ん~、そっかぁ。そういう事もあるのね」

「だから今はこいつらが逃げ出さないようにするぐらいでいい、アンジェを元に戻して王国軍が到着したらさっさと屋敷に帰ろう」

「……なんか今日は物凄く疲れたわ」

「俺の方がもっと疲れてるぞ、エルフの里に来てからろくに休めてない」

 

 帰れるなら今すぐにでもバルトファルト領に帰りたい。

 温泉に入って、好きな料理を食べて、ベットでぐっすりと昼近くまで寝過ごしたかった。

 もちろんアンジェは俺と同じベッドで抱き枕の代わりになってもらう。

 今の小さくて可愛らしいアンジェも魅力的だが俺が力を込めたら体が折れそうなぐらい細くて肉も脂肪も足りてない。

 だけど大人のアンジェは肉付きが良くて指に吸い付くような肌のきめ細かさと柔らかい感触の存在感が凄くて朝までずっと抱き締めていられる。

 この中枢を占拠したまま早くアンジェを呼んで元通りにするのが最優先、それと同時にこの遺跡のヤバい部分を洗い出してエルフや王国軍が悪用できないようにしておく必要もある。

 とにかくやらなきゃいけない事が多過ぎて、何から優先すれば一番効率的か悩ましい。

 もしも補佐役が務まりそうな誰かが居たら高値で雇いたい位だ。

 

『事後処理は終わりましたか?』

「お前は見てるだけかよ球っころ、少しは手伝ったらどうだ」

『この遺跡から提供される情報のダウンロードを実行中です。老朽化の影響で断片的にしか分からない部分も多く、解析には時間がかかると思われます』

「何か俺達の役に立ちそうな情報はあったか?」

『分かりませんね。貴方達にとって最優先事項はアンジェリカ・フォウ・バルトファルトの肉体を復元する事でしょう、それなら遺跡に頼めばよろしいかと』

「正直に言えば遺跡の奴を完全に信用は出来ねぇ、付き合いが長いだけお前の方がまだマシだ」

『奇遇ですね、私も貴方を新人類の中では利用価値がある存在だと認識しています』

 

 売り言葉に買い言葉だが現状では遺跡より球っころの方がまだ信用できる。

 率直な物言いばかりで腹立たしい奴だが嘘はつかない、その点に関してだけは十年以上の付き合いで凡そ把握していた。

 その一方でやたらお喋りな遺跡が静かになってるのが気に掛かる。

 今までエルフを上手く誘導し協力者に仕立て上げ、今度は俺達を新しい仲間に勧誘してきた遺跡が今は物を言わず大人しい。

 道具は自分の意思を持たずに持ち主の命令に従うなんて誰が言ったんだか。

 主の旧人類を失って何千年と経った筈なのに球っころも遺跡も勝手に動き出し、新人類の末裔である俺達や旧人類が造ったエルフを従わせて今の世界に波乱を起こそうとしてる。

 もし当時の旧人類が今も生きてたら思いっきりぶん殴ってやろう、たとえ女子供でも容赦しねぇからな。

 

「……怪我はどうだ?」

「見逃した奴以外は全員負傷してるでしょ、お父様はもうちょっと加減しても良かったんじゃ?」

「そっちじゃなくて、お前とライオネルの方って事だよ」

「あたしは特に問題無し、エルフを襲ってる怪物を後ろから撃つ楽な仕事だったし」

「なら良かった」

「ライオネルは気分悪そうね」

「何処か痛むのか?」

「あいつは体よりも心の方かしら」

 

 視線を室内のあちこちに巡らせると金髪の男子が見えたのでそっと近付く、アリエルは何も言わず俺の後ろから追って来た。

 ライオネルが佇んでいる場所には射殺した怪物達の死体が今も放置されていた、その近くには怪物達に襲われて息を引き取ったエルフの骸も並んでいる。

 あまり、というか教育的には非常によろしくない光景だ。

 俺だってこんな光景を見続けてたらと気が滅入りそうになる、今日が初実戦のライオネルなら尚更だろう。

 偶には父親らしい事を放棄し続けてるとそのうち子供達から見捨てられちまう。

 ただでさえ領主の仕事や望んでもいない役職に就けられて家族団欒の時間が減るのに加えて、二人が王立学園に入学してからは更に減少してる。

 こんな時だからこそちゃんと子供達が心の傷を負わないようにしないとな。

 

「無事か、ライオネル?」

「……父上」

「顔色が悪いな。まぁ、見ていて気分が良い物じゃないからな」

「…………えぇ」

「吐けるなら吐いた方が良いぞ、無理に感情を圧し殺す必要は無い」

「そういうものですか」

「俺が立てた作戦で敵が死んだとしてもそれは俺の責任だ、従ったお前が気に病む必要は無い」

 

 出来るなら人間を嫌ってる過激派エルフでも殺したくなかったけどな。

 ホルファート王国や神殿としても死人を出して人間とエルフの関係が悪化するの避けたかっただろう。

 だから言って襲って来た連中に殺されてやるほど俺はお人好しな善人じゃない。

 家族を護る為なら自分の手を敵の血で染める覚悟は持ってる。

 それと同時に今後の人間とエルフの付き合いに於いて、俺の行動が影響して不和が起きる可能性は捨てきれなかった。

 エルフにだって人間を毛嫌いする奴ばっかじゃない、ユメリアさんや里長の派閥みたいに人間と一定の距離を保ちつつ共存したいエルフや今の村長みたいに積極的に関わって稼ぎたいエルフも居る。

 仮に今日死んだエルフの身内が人間を嫌ってなかったとしても、家族が死んだ原因となった俺や調査を命じたホルファート王国を憎む切っ掛けになりかねない。

 そこまで考えて軽く気分が凹む、どうしてこうも俺の人生は上手くいかない事が多いんだろうな?

 最悪の事態は避けられてもそれなりに犠牲が出る、出来るだけ犠牲が減るように努めても完全に消す事は出来ない。

 お偉方や聖女様は俺に期待し過ぎてる、所詮俺は戦いがそこそこ上手いだけの凡人だ。

 決して犠牲者を出さすに戦争を終わらせられる聖者や敵軍を薙ぎ払う無敵の英雄なんかじゃない。

 

「俺も戦争中に初めて人を撃ち殺した時は気分が悪くなって吐いた事もある」

「父上にもそんな時期があったんですね」

「意外か?まぁ、俺を英雄扱いする部下も多いからそう思うのは仕方ないかもしれないな。だけど俺は昔から自分が痛いのも他人を傷付けるのも心底嫌だ、面倒事を出来るだけ避けて楽しく生きられればそれで構わない」

 

 これは息子を慰める為の言葉じゃなくて昔から思ってる俺の本心だ。

 普通の平民として嫁と子供を十分に食わせられる食べ物を畑で収穫し慎ましく生きる、それが俺が心から望んでる人生だった。

 それなのに何の因果か辺境の領地を宛がわられてやりたくもない領主をやってる、本当にどうしてこうなった?

 領主になったからには跡継ぎに選ばれた息子には相応の教育を施す必要がある、息子本人の意思とは無関係にしなきゃいけない。

 だからと言って実戦を初めて経験した息子を 咤するのは性に合わない、弱音を吐いてすっきりするなら吐かせた方が良いに決まってる。

 俺に出来るのはその程度の事しか無かった。

 

「意外ね、お父様にもそんな頃があったなんて」

「……逆に僕の方はどうしてアリエルは平気なのか聞きたいんだけど」

「そりゃまぁ、あたしとあんたの間に存在してる才能の差って事じゃないの?」

「…………」

「あとあたしも女だから、そこそこ血には慣れてるし」

「若い女の子がはしたない事を言うのは止めなさい、嫁に貰ってくれる家が無くなるだろ」

「……ふんっ」

 

 どうしてうちの長女は令嬢らしいお淑やかさとか可憐さに欠けてるんだろう?

 俺の粗野な部分とアンジェの気の強さが遺伝したのか、どっちにしてもお父さんはお前の将来が心配だよ。

 絶対に身分と資産を持った男と結婚しろと強制するつもりは無いけど、孤独な人生を歩む娘を放置できるほど俺もアンジェも薄情じゃないし。

 誰かうちの長女を嫁に貰ってくれる物好きな男が居ないもんか?

 高位貴族の娘がこの年齢で縁談が無いってのはかなり致命的だから助けてくれ。

 

「それより父上、一つ気になる事が」

「何かあったか?」

「怪物の死体とエルフの遺体を確認しました。僕達がこの部屋に来た時のエルフの人数と今この部屋にいるエルフの人数が一致しません」

「……何?」

「数え間違いじゃないの?だってほら、バラバラの死体もあるし…」

 

 俺が立てた作戦によって怪物達はエルフ達を襲った。

 人間を遥かに凌駕し複数の腕を持ち人肉を喰らう怪物に襲われたエルフの死体は無惨としか形容できない。

 首と胴体が分かれ、四肢は簡単に捥がれて床に転がり、爪や牙で裂かれた胴体からは血で染まる内臓がはみ出している。

 監察医ですら検死解剖に苦労する凄惨な状況だ、数え間違いがあっても不思議じゃない。

 

「遺体がバラバラにされてるからこそ気付くのが遅れたんだよ、何度も確認したけど明らかにエルフが一人足りてない」

「……そいつは何をするつもりなの?」

「分からない、この状況を打破する方法があるのか。それとも外に居る過激派エルフを援軍として呼んで来る可能性もある」

 

 油断してた、戦闘の勝利に酔い痴れて人数の確認を怠るとは。

 まさか今日が初実戦のライオネルに教えられなんて、これほど間抜けな話は無いだろう。

 弛んでいた意識を無理やり総動員させ考えうる最悪の事態を必死に想定し始める、ふと何かが聞こえた気がする。

 

……オオォォオォォン

 

 部屋の空調が発する金属が擦れる音とは明らかに違う、生き物だけが発する叫び。

 それを聞いただけで肌が泡立った、猛烈な悪寒が俺を襲い体中から汗が噴き出し始めた。

 戦いはまだ終わっていない。




かなり遅れ気味の投稿のなりました。(猛省中
登場の怪物くん、原作にも登場するある物体を用いて改造されています。
モンスターではないので倒されても肉体が残るこの世界の動物という設定です。
基本は四脚歩行の肉食獣であり、特に魔法も使えない生き物がエルフと遺跡の改造によって誕生した怪物になります。
次章から怪獣映画じみたモンスター側優勢な展開、頑張れバルトファルト家。

追記:依頼主様のリクエストによりオスワーニ様、BOCA様、감자싹様にイラストを描いていただきました。
本当にありがとうございます。

オスワーニ様 https://www.pixiv.net/artworks/141909974(成人向け注意
BOCA様 https://www.pixiv.net/artworks/142092496(肌色多め注意
감자싹様 https://www.pixiv.net/artworks/142619134

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
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