婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
帰りてぇ。
家へ帰って風呂に入って嫁を抱いてベッドで寝てぇ。
頭の中はそれでいっぱいだ。
……いや、それがマズいのは理解してる。
俺だって領主としてそれなりにやってきたんだ。
貴族に取って社交や夜会が重要なのは骨身に染みるぐらいに味わった。
それでも慣れない、いつまで経っても慣れない。
そもそも爵位持ち貴族として最下層の男爵家に生まれて跡継ぎになる予定もなかった俺を一足飛びに子爵にする方がおかしいんだよ。
爵位とか要らない、金を貰った方が後腐れなくて百倍楽。
こっちが金払っても良いから誰かこの爵位引き受けてくんねぇかな。
でも公爵家から嫁貰っちゃったしなぁ。
子供も三人目が出来ちゃったしなぁ。
本ッ当に俺にはもったいない良い嫁なんだ。
まだ小っちゃい子供達も嫁に似て可愛いし。
あんまり俺に懐いてないのはこの際横に置いとく。
自分が親になって初めて父さんの偉大さを思い知ったよ。
王都の土産になんか美味いもん買って帰ろう。
俺の行動で嫁と、子供と、家族と、領民が危険に晒される。
頑張るしかないかぁ。
地味で優しいおっぱいの大きな女の子と恋愛結婚して子供達に囲まれてささやかだけど幸せな家庭を持つ筈だったのに。
美人で有能なおっぱいの大きな貴族令嬢と政略結婚して子供達と離れ離れで領地経営や軍役で苦労するとか聞いてない。
嫁と子供達に不満は無いけどさ。
いつになったら好きな時に畑を耕して疲れたら温泉に入ってゆったり寛げるような隠居生活を送れるんだよ俺は。
貴族になんてなるもんじゃない。
ワインは極上、つまみの料理は美食珍味、使ってる食器も最高級。
美味いのは確かなのに味気なく感じるのは俺の舌が狂ってるからじゃない。
一緒に飲んでる相手が原因だ。
ヴィンス・ラファ・レッドグレイブ。
そしてギルバート・ラファ・レッドグレイブ。
公爵家の当主と嫡男。
どう考えても男爵家の次男坊と酒を酌み交わすような人達に見えない。
子爵という地位を貰った今でも気軽に会える方がおかしい身分差だ。
空気が鉛みたい重い。
せめて無礼講できるなら気が楽なんだけど、俺から話しかけるのは無礼だから口を閉じるしかない。
やっぱアンジェに同行してもらうべきだった。
アンジェなら実の娘で妹だから自然体で接してくれただろう。
俺と公爵の関係は義父と娘婿というより上司と部下に限りなく近い。
それでも俺に対しての物腰がだいぶ柔らかいってのがアンジェの評価。
この気難しい態度がフレンドリーとかどんだけ普段は怖いんだよと泣きたくなった。
王都に来てからずっと公爵家が絡んでくる。
戦争の報告と費用請求の為に来たのにそれ以外の催しにさんざん付き合わされた。
資料を提出して認可を受けるだけなら一日で済む筈なのに、公国と戦った貴族が大挙して報告に来たから今の王都は大賑わいだ。
毎日のように夜会が催され公爵が招かれたら俺も付き合わされる。
憶えきれないぐらいに各家の当主を紹介されて引き攣った顔で応対する。
どう計算しても仕事より夜会に参加してる時間が長い。
これでも公爵が便宜を図ってくれたから十日も経たずバルトファルト領に帰れる。
王都を訪ねた貴族には一ヶ月近く滞在してもまだ認可を貰えない奴も多い。
あぁ、帰りてぇ。
家へ帰って風呂に入って嫁を抱いてベッドで寝てぇ。
頼むから会話だけでもして欲しい。
野郎三人が黙々と酒飲んでるとか身内の葬式よりも空気が重い。
貴族しか参加できない夜会とは違うつらさが俺を苦しめる。
「バルトファルト卿」
重々しく公爵が口を開く、やっぱ怖いわこの人。
「身内だけの宴席だ、君の昇進祝いも兼ねている。飲みたまえ」
素直に飲めるならもう既に飲んでます公爵。
身内って言っても俺以外は公爵家の男しかいないじゃん。
勧められたワインをちびりちびりと舐めるように口に含む。
元々あまり強くないし酔って不手際をやらかし公爵の機嫌を損ねる方がマズい。
「今回の論功行賞で卿の陞爵はほぼ確実となった。階位についても四位のいずれかを賜る事になる」
「閣下、やっぱり私のような若輩者にその地位は相応しくないと思うんですが……」
「これまでの働きを鑑みればそれだけの働きを君はしている。寧ろ前の戦争の時点で伯爵位を叙爵してもおかしくはなかった」
ギルバート義兄さんまで会話に加わってきた。
こうなるともう俺に発言できる機会は回ってこない。
「指揮官が逃亡した状況下で部隊を纏め上げ敵司令官を討ち取る。君の活躍で王国は国土の一部を失わずに済んだ。むしろ理由を付けて叙爵を低く見積もった王家が悪い」
「あの頃より宮廷は随分と風通しが良くなった。溜まった澱が流され始め少しは頭の血が行き渡り始めたらしい。必要な
公爵はワインの注がれたグラスを掲げ空を睨む。
赤色の酒がまるで傷から滴り落ちる血に見てるのは気のせいだと思いたい。
「今回の働きに関してもそうだ。部隊の損耗を限りなく減らし数ヶ月も戦線を維持し続ける。どうやら君は攻勢だけでなく守勢も上手いらしい」
「単に私が臆病なだけです。公国軍を退ける力が無いんで犠牲を出したくなかったので。今回の戦争では敵将を討ち取ってませんし」
「その言葉は戦力があれば公国軍を退けられたようにも聞こえるな」
何でだよ、どんな耳してたらそんな風に聞こえるんだ。
そもそも二十歳を超えたばっかの若造を部隊指揮官に据えるなよ。
おまけに部隊に配属された貴族や騎士は名門出身だったり俺より軍歴が長かったぞ。
とにかく恨まれたくないから必死で犠牲を出さないように頑張った。
少ない戦力を一つに纏めて敵を深追いせずガチガチに固めた防衛線をひたすら死守。
部下達との仲介役になった兄さんは過労で何度も倒れたし、俺だって胃薬と睡眠薬が手放させなかった。
また軍役を要求されたら金払ってでも拒否してやる。
「君の部隊が最も損耗が少ない。前の戦争で多くの家が当主や嫡子を失い今も苦しんでいる事態を踏まえれば戦死者を減らしたのは評価に値する功績にあたる」
「その結果、卿に恩義を感じた家々が陞爵を推挙した。むしろ十分な恩賞を卿に与えなければ他の者の恩賞が値切られかねん。大人しく受け取りたまえ」
嬉しくねぇ、全然嬉しくねぇ。
推挙したの誰だよ?
こんな感謝の気持ちより金とか食料を貰った方が数倍嬉しいんだけど。
「推挙した者の中には娘や姉妹を是非とも娶って欲しいと言う者すら居る。地方領主から宮廷貴族まで選り取り見取りだ」
「卿は些か血気盛んらしいな。仲睦まじいのは大いに結構だが慎みも覚えたまえ」
「……」
遠回しに夫婦生活を控えろと注意された。
いや、結婚して即妊娠はどう見ても婚約期間中からヤッてるようにしか見えないけどさ。
自分でも結婚して三年で子供が三人は多いと思ってるけどさ。
これは仕方のない事なんです。
アンジェは気が強いように見えるけど本当は臆病なんです。
ちょっと夜の営みを控えると『もう私に飽きたのか?』と凄く悲しそうな顔をするんです。
少しでも俺に喜んでくれるように尽くしてくれるんです。
普段は完璧な美女が夜の間だけ可愛らしく俺に奉仕してくれる。
どんな恥ずかしいプレイだってしてくれる。
寧ろ積極的に求めてるのはアンジェの方だと思うんだ。
あんな綺麗な嫁に迫られたら拒める男は存在しないって。
うん、俺は悪くない。
全く悪くない。
全部アンジェが可愛くて俺に夢中なのが悪いんだ。
バルトファルト領に戻ったらアンジェを抱き締めたまま朝まで寝よう。
「戦争の影響で貴族同士の婚姻にも変化が生じている。男の数に対し女が余っているのが現状だ。下級貴族の令息を軽んじていた令嬢が頭を下げ支度金を払い婿入りを願うなど数年前は考えられない光景が其処彼処で見られる」
「実力がある男なら複数の妻を娶るのも常識に成りつつある。妻が一人だけでは手の届かない場所もあるだろう」
何やら雲行きが怪しい、どう考えても碌な話になりそうにない。
「出世頭のバルトファルト家と懇意になりたい家は数多い。我がレッドグレイブ家は勿論、ローズブレイド家やアトリー家といった名家も同じ思惑を持っている」
「卿が望むなら喜んで娘を差し出すだろうな。アンジェは元々王家に嫁ぐ教育を施された。夫が側室を持つぐらいは許」
「必要ありません」
聞き終える前に公爵の言葉を遮っていた。
思わず口から出た言葉の意味を理解するまで数秒、理解した後にしくじりを悟り心の中で舌打ちをした。
アンジェ以外の女と結婚しろ?
ごめんだね。
ろくでもない人生だけどアンジェが俺に惚れてくれただけで十分にお釣りがくる。
顔の傷痕もアンジェに出会うまでの虫除けだと思えばそう悪くはない。
だからもう、この話題は終わりだ。
滲み出た怒気のせいで室内にさっきよりも重苦しい空気が漂い始める。
どうにも俺は家族に関わる事になると抑えが効かない。
「……さすがに結婚して三年で側室を持つのはいかがなものかと思います。兄は未だ婚約者も決まっていないのに私だけ何人も妻を娶るのは外聞がよくありません」
何とか理由を捻り出して全力で拒否する。
確かに正当な理由があるならアンジェは頷くだろうさ。
でも泣く、絶対に泣く。
しかも俺が悪いと怒るんじゃなくて自分に至らない所があるって思い込む。
俺の看病が上手く出来ない時とか家事が下手なのを自覚した時は物凄く落ち込んでた。
下手すると『私はリオンの妻に相応しくない』と離縁してレッドグレイブ家に戻りかねない。
アンジェじゃないと俺はダメ。
能力とか家同士の繋がりとか関係ない。
俺の嫁はどんな美女でも、どんな才女でもダメだ。
俺の幸せにはアンジェが必要だ。
「ふむ、兄君は未婚だったな。有能な男が独り身なのは確かに外聞が悪い」
「政情が不安定では婚姻どころか婚約も覚束ないが、公国を下した今なら良縁も見込めるだろう」
……なんか俺の思惑が明後日の方に向いている。
もしかして兄さんが標的にされたか?
ま、まぁ俺が妻子持ちなのに兄さんが独り身ってのはマズいのは事実だし。
とりあえず心の中で謝っておこう。
あと姉貴とフィンリーはもう少しまともにならないと嫁き遅れ確定だから頑張れ。
「しっかり務めを果たしたまえ。卿が軽率な行動を取ればバルトファルト家に関わる者全てが誹謗中傷に晒される」
「肝に銘じます」
やっぱ公爵の言葉を遮ったのはマズかった。
なんでお偉い方々は自分の言いたい事だけ言って相手の話は聞かない連中が多いんだろうな。
対等の存在に思ってるのは王族と上級貴族だけで俺みたいな家督を継ぐ予定すらなかった奴なんて地べたを這う虫けら同然だ。
どうして評判が悪かったとは言え次期王妃だったアンジェを俺なんかに嫁がせたのか。
高貴な方々の思考はよく分かりません。
「アンジェも王都を離れて慣れない辺境で苦労しているだろう。土産を用意したから持って行きたまえ」
「お心遣いに感謝します閣下」
ギルバートさんが手を叩くとメイドが室内に入って来た。
「コーデリア、馬車の用意を。バルトファルト卿に渡す土産を積み込むよう命じておけ」
「かしこまりました」
立ち去ったメイドを追うように席を立つ。
「今後の活躍に期待しよう。くれぐれも娘を後悔させるような真似はしてくれるな」
それだけは嫌だ。
アンジェに俺の情けない部分を散々見せて来たけど見限られるのは御免蒙りたい。
「ギルバート、玄関まで送って差し上げろ」
「分かりました」
ギルバートさんが見送るとなると公爵邸を出るまで気が抜けない。
拒否する訳にもいかないし、溜め息を吐いたら見咎められる。
上級貴族ってのはこんな緊張しっぱなしの生活を送ってるのか。
つくづく俺とは違う世界に生きている。
「すまんな、少々父上の言葉が過ぎた」
高そうな絨毯が敷き詰められた廊下を歩いている最中にギルバートさんに謝られた。
「ああ見えて父上は君に大層期待している。アンジェについても気を遣ってるつもりだ」
「はぁ……」
それはそれで気が重い。
俺はどこまで行っても凡人なんですよ。
たまたま運良く戦場で生き残り、たまたま運良く公爵家の令嬢を嫁に出来ただけの半死人。
むしろ今の俺は出涸らしの紅茶みたいなもんです。
だからさっさと隠居させてください。
「また王都に来た時は子供達も連れて来なさい。孫達に囲まれれば父上もお喜びになる」
あの鉄面皮な公爵が孫に対して甘くなる姿を想像できない。
どう見ても冷静沈着に政治の駒として使いそうだよ。
アンジェと王子の婚約破棄の顛末を聞いて以来、俺は政略結婚に否定的だ。
俺とアンジェも政略結婚だけどたまたま相性が良かっただけ。
せめて子供達には仲良く出来る相手と結婚して欲しい。
「それじゃ失礼します」
玄関に辿り着くと装飾過多な馬車が待機していた。
これ一台でうちの馬車が何台賄えるだろ?
どうにも王都の雰囲気も公爵家の厳かさは俺の性に合わない。
そんな生活も今日で終わりだ、明日には漸くバルトファルト領に帰れる。
馬車に乗り込んだ瞬間、緊張が途切れた俺は座席の上に寝転んだ。
「彼は帰ったか?」
「ええ、滞りなく」
酒を呷る者が一人減った室内に言葉に屋敷の主の声が重々しく響き渡る。
その声色は部屋を去った若者に掛けた声色と何ら変わらない。
リオンが抱いた印象は決して的外れではない。
今や王国に所属する貴族の三分の一はレッドグレイブ公爵の傘下となった。
このまま順調に事が進めば王家を凌ぐ支持を得られるだろう。
それは一つの王朝の滅亡であり、同時に一つの王朝の勃興を意味する。
生と死は決して対極の存在ではない。
死せる骸は朽ちてその肉と骨は大地を肥やし新たな生命の萌芽へと変じる。
生命は流転する、旧世界の終焉は即ち新世界の創造。
「相も変わらずおかしな男だ。才能の割に小心で覇気に欠ける。彼が本当に英雄と称されるほどの男か目を疑いたくなる」
「ですが武功は確かです。むしろバルトファルト家はこれまで冒険者として目立った実績を上げた者は居ません。領地経営と戦功のみで貴族位を保っていた家系なのは調査の明らかかと」
怯えるように酒を舐めて此方を見ていた若者。
どう見ても部隊の指揮官としての器を備えているようには見えない挙動だった。
しかし、彼と戦場を共にした者達は口を揃えて同じ発言をする。
『バルトファルト卿は英雄である』
証言する者達に身分の差が無ければ一笑に付す事も出来ただろう。
名門貴族の子息も貧民窟出身の古兵も同じ印象を抱くのだから認めざるえない。
何より先程の会話の途中で放たれた怒気。
側室か妾を持つ事を勧めた瞬間、場の空気が緊張で一気に硬直した。
確かにあの男は英雄たる資質を備えているのだろう。
本人が無自覚なのか、それとも故意に隠しているかは不明だが。
「父上にお聞きします。彼の存在はそれほどまでに重要なのですか?」
「重要だとも。本人が知っていようが知っていまいがバルトファルトの家名にはそれだけの価値がある」
レッドグレイブ家はホルファート王家の分家として生まれその起源は元をたどれば同一だ。
王家に変事があった場合に於いて国を差配できるように王位継承権を持つ。
故に断片的ながらも王家の秘奥についてもある程度の情報が代々の当主に継承されてきた。
王家が所有するロストアイテムの大型艦然り、学園の創設理由然り、初代国王の暗部然り。
ホルファート王国が誕生した瞬間に生まれた闇についても公爵家は概ね把握してきた。
「バルトファルト家の開祖は国祖達と共にホルファート王朝の建立に尽力した。貢献の度合いについてはバルトファルトの功績は初代国王を凌ぐ程とも記録されている」
「それほどの実績がありながら辺境で平民同然の扱いを受けていたと」
「大方その力を恐れて初代国王が手を回したのだろう。国を興した王が真っ先に行うのは功臣の粛清だよ。いや、寧ろ悪臣が主に叛逆したのかもしれん」
生徒に歴史を教えに講師のように何処か愉快気な口調で語り出す公爵。
その口から語られるのは王朝の正当性を揺るがしかねない内容であった。
「辺境に追いやられた初代バルトファルト卿が如何なる人物であったにせよ、その功績は簒奪され王座に就いたのはホルファート王家の始祖だ。以後、王家はバルトファルト家に対し報いる事なくのうのうと権力を握り続けた。王家を弾劾するには有効な手札の一つとなりえる」
「だから彼にアンジェを嫁がせたのですか?」
「そうでなければ手柄を立てたとはいえ子爵位の若造に公爵家が娘を差し出すと思うのか。彼個人の能力は確かに秀でてはいるが代わりが居ない程ではない」
差し出された娘がその言葉を聞いたなら怒りを露わにするような内容だった。
自らが政争の道具とされた怒りではなく、愛する夫を侮辱された怒りであろうが。
「尤もアンジェを慮ったのも嘘ではない。あの頃のアンジェには心の平穏が必要だった。まさかあれ程までに惚れ込むとは思わなんだ」
「アンジェと相性が良いのが王位継承者ではなく平民同然だった成り上がり者とは誰も思いませんよ」
「分からん。我が娘ながら男の好みがまるで分からん。或いはそれ程までにアンジェを惹き付ける何かをバルトファルト卿が持っているのか」
父と兄が首を傾げるが答えは永久に出ないであろう。
人が知性を得た後に己でさえ抑えきれない慕情に狂わされ多くの物語や詩や曲が生まれたのだから。
理性で制御できず道理で納得できるほど愛という存在は弱くはない。
人は誰しも愛に狂い溺れる可能性を秘めている。
「せいぜい家名を利用できる程度の輩だと思っていたが、領地の経営や今回の戦争で名声を高めたのは嬉しい誤算だったな」
「彼本人は困惑していました。父上が裏から手を回した結果では?」
「一を二や三に増やすのは容易だが無から有を産み出すのは困難だ。国の危機に嘗て追放された英雄の末裔が馳せ参じる。因果という物は我等の予想を超え皮肉な結果を齎す」
「王家が気付いている可能性は無いのですか?」
「婚約の届け出をした際に王家からは何も言われなかった。気付いて何もしないなら国を統べる器に非ず。気付きもしないなら度を超えた愚者だ」
吐き捨てるように呟く公爵。
その言葉から侮蔑と嫌悪がありありと聞き取れる。
「王のやる気が無いのなら他国から優れた女傑を娶らせれば少しは真っ当な王子が生まれると思ったがアレは論外だ。陛下も酷いが殿下はそれ以下の愚物。そのくせ腕っぷしだけは人並み以上に優れているから始末が悪い」
「だから私を聖女殿と婚姻させるのですか?」
「……そうだ。救国の聖女にすら見捨てられ建国の闇を晒されたホルファート王家に人心を統べる資格は無い。力尽くで王位を簒奪しては後々の禍根となる。必要なのは人々を納得させる物語だ」
息子が放つ父を咎めるような発言に言葉を詰まらせながらも答える。
それでも目を逸らさずに息子を見つめる。
何時の世も王位を巡る争いは暗く血と臓物の臭いに満ちている。
「バルトファルト卿に側室を勧めたのは其方の罪悪感を和らげる為だ。要らぬ発言だったのは私の失態であった。すまぬギルバート」
「いえ……」
「王族に生まれただけの愚物に子の子が、孫の孫が傅く未来が待ち受けるなど私は許容できぬ。史書にて簒奪者と誹られようと主君と戦う道を選ぶ」
「父上の御覚悟は理解できます。ですが親が血塗られた道を歩もうとするのを止めるのも親孝行かと」
「全ての罪業は私が墓に持って行く。お前は浄化された新しい王国の礎となれ」
「王家の者を全て弑するおつもりなのですか?」
「素直に退いてくれるなら命までは奪わぬ」
「もし退かぬのなら?」
「十に満たぬ命で数十万の命が救われる。選ぶならより多き方だ」
答えた後にグラスに注がれたワインを一気に呷る。
息子を見つめる父の瞳は優し気な光を湛えていた。
国を想うが故に乱を起こす、子を護る為に誰かの子を殺める。
その矛盾を彼らは気付いているのだろうか。
人の心は複雑怪奇、裏と表が繋がり善も悪も存在しない。
世界はどこまでも非情で残酷、そしてどこまでも寛容で優しかった。
眠れねぇ。
ベッドに入ってから数時間が経ったと思うのに一向に睡魔が訪れない。
時計の針を見るとまだ一時間も経ってない。
原因は分かりきってる、公爵とのやり取りが原因だ。
しくじった、確実にしくじった。
父親と娘婿の仲が悪いなんてありふれた話だけど、うちの場合が政治が絡んでくるからややこしい。
あの公爵邸の贅沢さに比べたら碌にドレスも宝石も新調してやれない俺は公爵から見れば情けない婿なんだろう。
溜め息を吐いてベッドから降りた。
明日には領地へ帰還する、つまり今夜が王都に留まる最後の夜だ。
少しぐらい羽を伸ばしても罰は当たらないだろ。
部屋から一歩出ると非常灯だけが光る飛行船の殺風景な廊下に出る。
王都に滞在する時は専ら飛行船のゲストルームで寝泊まりするのが習慣になってる。
だって王都の貴族御用達のホテルって宿泊費が馬鹿にならねえんだぞ。
じゃあ屋敷を購入したら良いじゃんと言われるけどそんな金は今のバルトファルト領にはない。
公国との戦争から没落したり取り潰された貴族の屋敷が売り出されてるけど物色する暇なんて俺にはない。
かと言って公爵家の世話になるのも気が引ける、
公爵邸で寝泊まりする?
ストレスで病気なりそうだから嫌です。
結局は所有する飛行船に寝泊まりするのが金もかからず気楽なんだ。
つくづく俺は贅沢が無理な体質らしい。
飛行船の中は人の気配を感じず気味が悪い程に静かだった。
同行してる寄子の騎士と搭乗員達は交代で飛行船を管理してる。
最後の夜ぐらいは王都を満喫するのに目を瞑るぐらいの度量は俺にだってある。
王都に同行してくれた兄さんは今夜も夜会に繰り出して婚活に勤しんでる。
公爵家から縁談を打診されたと言ったら怒るかな?
いや、兄を心配するのはデキた弟の義務だ。
公爵の紹介ならよほどひどい令嬢を紹介されはしない筈だ。
忘れよう、嫌な事は全部忘れよう。
取り敢えず近くの酒場で酒とつまみを楽しもう。
二日酔いで甲板にゲロを吐くまで飲まなきゃ大丈夫だろ。
そう思って控室に向かう。
寝間着を脱いで備え付けの作業服に着替えたら何処から見ても冴えない作業員の完成だ。
どうして俺みたいな風采の上がらない傷持ちが貴族なんだか。
護身用に内ポケットへ収納できるナイフを一本忍ばせる。
手に馴染んだ軍用ナイフはデカ過ぎて懐に隠せないし、拳銃は殺傷力が高過ぎる。
戦争が終わったのに暴力沙汰はごめんだ。
警備に居残ってる奴らに声をかけて気を遣わせるのも面倒だし。
何処に行っても側に誰か控えているような日々にはウンザリしてた。
誰にも見つからずに外出するだけなのにワクワクしてきたぞ。
温くて雑で薄めた味の安い酒、やたら味が濃くて何の動物のどの箇所か分からないような肉料理、見た目が悪く味もそこそこな雑魚、煮るか焼くか蒸かしただけの芋。
そういう安酒場の雑な料理で良いんだ。
美味い料理だけだと逆に心が貧しくなる。
さっさと一杯飲んで帰って来よう。
明日の帰還中は船室で寝続けて屋敷に戻ったら子供達を抱き締めて寝室でアンジェのおっぱいに顔を埋めて甘えよう。
そんな馬鹿げた妄想をしつつ俺は飛行船を折りて夜の街に躍り出た。
新章リオン王都編開幕。
と言ってもいきなり帰郷する前日ですが。(おい
公爵家がリオンの愛人に勧めてる相手は原作を読んでいただければお分かりになるかと。
ルクシオンが存在せず転生者でもないリオンが嫁の実家に翻弄されてしまうのは仕方ありません。
嫁や家族を侮辱されたらキレるのは原作との共通部分です。
リオンの惚気はもう少しあったのですが嫁の事しか頭に無い危ない男に見えたので少々カット。
明日は原作12巻とマリエルート2巻の発売日。
しっかり備えて読破予定。
追記:依頼主様のリクエストでつくだ煮。様に挿し絵イラストを描いていただきました。ありがとうございます。
つくだ煮。様 https://skeb.jp/@ore624/works/22
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
リオン編後にアンジェとリオンがイチャイチャ回を書きます。別途に成人向けシーン書きますが、リオンとアンジェのどちら視点で読みたいか教えて下さい。
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アンジェ視点
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リオン視点