婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
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まだ夜も更けていない王都の街は活気に満ちている。
酒場からは食い物の香ばしい匂いが漂って来るし、娼館の客引きのおっさんは道行く男に見境なく声をかけまくる。
「そこのお兄さん!良い娘いますよ!」
俺を無理やり店へ引きずり込もうとするおっさんを軽く振り払って街を歩く。
生憎と明日は領地に戻ってアンジェを抱いて寝る予定だ。
田舎のバルトファルト領の街並みとは人間の密度も活気も違い過ぎる。
尤も数ヶ月前まで公国との戦争で王都でも戒厳令が敷かれたらしい。
その損失を埋める為に商魂逞しい連中は夜遅くまで働いている。
とりあえず適当な店を探そう。
冷やかすように開いてる店をいくつか見て回る。
何軒か覗いた後に一際美味そうな匂いが鼻を刺激した。
小さな店だが肉が焼ける音とソースが焦げる匂いが食欲をそそる。
腹も減ってるしこの店に決めた。
即断即決は戦場に於いて重要な指揮官の条件だしな。
店に入ると入口から見える小さな厨房で気難しそうな爺さんと若い男がせわしなく働いていた。
椅子に座ると若い女の子が近づいて来た。
「ご注文は?」
壁を見るとにいろんな料理の名前が書かれてる紙の値札が所狭しと貼られていた。
初めて来た店で美味い食い物を選べないと精神にデカいダメージを負うから慎重に選ばないと。
「エール。あとお薦めの料理は?」
「串焼きですね」
「じゃあ適当に何本か見繕ってくれ」
「わかりました」
注文を聞き届けた給仕の女の子が俺の近くから去るのを見届け店内を観察する。
小さい店だけどそこそこ繁盛してるみたいでいろんな年代の男達が和気藹々と食事と酒を楽しんでる。
注文を聞いた女の子がエールを運んできた。
木製のジョッキになみなみと注がれたエールを見て少し後悔する。
酒飲みが集まる酒場じゃ量を多めに出すのはよくある事だった。
適量の酒を出される貴族の宴会に思いの外慣れていたらしい。
思えば幼い頃に父さんが酒場に連れて行った時と軍の先輩や同僚に誘われた時以外に酒場に入った記憶が無い。
軍の給料日になると上司や先輩に詰所近くの酒場へよく誘われた。
迷惑に思いつつも付き合って酒の味を覚えたり、いろんな裏事情を教えてもらったのが懐かしい。
十代前半のガキがいきなり徴兵検査を受けるなんてよほど切羽詰まった事情だと少し考えたら分かる。
とにかく金を稼いで自由を手に入れたかったから暇があれば本を読んだり自主鍛錬を繰り返してた。
そんな俺を見かねて飯を奢ってくれたり、世話をしてくれたんだろう。
思い返せば良い上司と良い先輩達だった。
そんな良い奴らも公国との戦争でみんな死んだ。
俺に友達が居たのはガキの頃の王国軍に所属してる頃だけだ。
同年代の貴族は表面上の付き合いがあるけど友人とは言えない。
友人が一人も居ない現状に少し落ち込む。
時々どうして強くて軍歴が長い奴らが死んで俺が生き延びたか不思議に思う。
目端が利いて何となく危険を察知したから、実は自分が思っている以上に優秀だった、単に幸運だった。
考えても答えは出ない。
田舎の貧乏貴族の家に生まれた家督も継げない次男坊がもうすぐ伯爵になる。
幼い頃に聞いた英雄物語みたいだけど俺自身にその自覚はない。
必死に生きて必死に戦ったらなんか生き残って爵位を貰って綺麗な嫁と結婚して子供ができた。
二十年弱の俺の人生でこの五年が波乱万丈過ぎだ。
「は~い、こちら串焼きで~す」
給仕の女の子が皿に盛られた料理を持って来た。
肉やら野菜が食べるのにちょうど良い大きさに切られソースを塗られ香辛料を塗された焼きたての串焼きは見てるだけで美味そうだ。
豪快に齧ると溢れた肉汁と甘辛いソースとピリッとした香辛料が口の中で混じり合う。
美味い。
最初の肉を食べ終えてエールを飲む。
口の中が洗い流されて次の串に刺さっている野菜へかぶりつく。
焙られた野菜は柔らかく齧ると野菜の味を含んだ水が口の中に溢れる。
そしてまたエールを飲む。
串焼きとエールを交互に味わい、串焼きを食べきる頃にはジョッキも空になっていた。
まだ胃に余裕はあるけどこの辺りが引き際だ。
喰い過ぎ飲み過ぎで体調を壊したくないし、俺が居ない事に気付いた船員達が騒ぎ出す前に帰らないと。
会計を済ませて店を出る。
少し多めに支払って釣り銭は受け取らない。
王都に来た時の楽しみが一つ増えた。
やっぱり俺はお高くとまった貴族様になれやしない。
公爵家のフルコース料理より小さな店の串焼きとエールで満足するどこまでも平々凡々な平民だよ。
腹が満たされて酔いが回ったせいでようやく眠気が来た。
このまま飛行船に戻って布団に潜ればぐっすり眠れる。
さよなら王都、次に来るのは領地の定期報告だろうな。
次来た時もあの店に寄ろう。
そんな事を考えながら空港へ向かう道を満ち足りた気分で歩き始めた。
気配に気づいたのは大通りを抜けて裏路地に入った辺りだ。
道を歩く人が減って街灯も少ない路地に入ると後ろからかすかな足音が聞こえた。
まぁバルトファルト領と違い王都は人が多いからそんな偶然もあるかなと足を止める。
するとその足音もすぐ止まる。
歩き始める、また足音が聞こえる。
酔って幻聴が聞こえるのかと自分の頭を疑ったがどうも違う。
気付かれないぐらいに少しずつ歩幅を拡げて速度を上げると足音にズレが出た。
追跡者は二人以上、足音を出す歩法をしてるから暗殺者の類じゃない。
物盗りにしては足音が規則正し過ぎる、つまり何らかの訓練を受けた相手の可能性が高い。
思わず溜め息が零れ出た。
面倒事に巻き込まれた可能性が凄く高い。
夜の外出は控えるべきだったかと一瞬思ったけど、飛行船で寝ていたら出入り口を抑えられ逃げ場が無いまま襲われていた可能性は否定できない。
飛行船に戻って船員や騎士を武装させて応戦するのが一番だけど、もし爆弾でも仕掛けられてたら自分から棺桶に足を突っ込みかねない。
何気なく立ち止まり靴紐を結び直すふりをしてしゃがむと足音が再び止まった。
やっぱり目的は俺らしい。
そっと上着のボタンを外し懐に右手を入れる。
ゆっくり右手を動かして上着の内ポケットに忍ばせたナイフの存在を確認する。
立ち上がって身繕いをしてるように装いながらナイフの留め具を外した。
再び歩き始める、今度は動きを緩慢にして速度を気付かれない程度に遅くする。
上着のボタンを一つずつ外しながら相手の素性を考える。
公爵と争ってる貴族連中?
俺への嫌がらせ、公爵への牽制としちゃいくら何でも強硬手段が過ぎる。
近頃の公爵家は王家に匹敵するぐらいの力を持ちつつあるらしい。
もし俺に何かあったら公爵は徹底的に調べて犯人を捕まえるだろう。
憐れな犯人は捨て駒として切り捨てられて公爵家は大義名分を手に入れる。
俺を成り上がり者と嫌ってる公爵家の派閥でも古参の奴ら?
公爵に尻尾を振るだけの奴が俺に喧嘩を売る度胸があるとは思えない。
夜会とかで俺に睨まれただけでビビるヘタレだぞあのオッサン共。
公国出身で俺を恨んでる奴?
たぶんこれが一番可能性高い。
そもそも一兵卒だった俺が出世した前の戦争の時点で俺を殺したい奴は多いだろう。
あの奇襲が成功しなきゃ公国はかなりの土地を王国から奪えた筈だ。
上手くいけば王都近くまで攻め込み王国は不平等な条約を結ばされた可能性が高いとは公爵談。
おまけに今回の戦争では否応なしに部下の命を預かるから兵の損耗を気にしなきゃいけない。
一兵卒の頃は自分の命だけ気にすれば良かったのに。
敵の情報をひたすら集めて何処が弱いか探り出す。
味方の犠牲を最小限にする為に夜襲、不意討ち、補給路の分断ととにかく敵が嫌がる戦法を採った。
捕虜を処刑して罪に問われるのも嫌だったから人質の交換や捕虜の釈放を餌に退却や降伏を迫る。
卑怯な戦法をやりまくったおかげで公国に付けられた渾名は『外道騎士』ときたもんだ。
命を救われた味方からは感謝されたけど、他の国じゃ俺の評判は最低最悪になってる。
それに敵味方の犠牲を無くすなんて器用な真似はどう足掻いても俺には無理だ。
部隊の戦死者はゼロじゃないし、俺の作戦で死んだ公国兵は多い。
戦争だからって大切な人を奪われた恨みはそう簡単に消えるもんじゃない。
国が負けたから復讐を禁じられても納得できるほど人間は賢くないし情が薄くないのは俺にだって分かる。
英雄なんて護った味方の数より殺した敵の数が多いだけ。
今でも戦争で殺した奴が俺を睨む悪夢を夜に見る。
たぶん俺は死んだら地獄に堕ちるだろうな。
まぁ、考え込むのは一旦止めよう。
最優先すべきはどうやってこの状況を切り抜けるかだ。
心を落ち着かせて頭の中の地図を開く。
あと少しで裏路地を抜けて広がった大通りに辿り着く。
王都のメインストリートの一つとして馬車が往来できるぐらい道幅が広く身を隠せるぐらい育った街路樹も植えられている。
仕掛けるなら其処が狙い目だ。
人目があるなら襲撃の可能性は低いし、夜道を照らす街灯で相手の姿を確認できるな。
少しずつペースを落としながら歩き続ける。
大事なのはタイミング、早過ぎても遅過ぎてもいけない。
数十歩先にある曲がり角が開始地点だ。
あと五十歩、体を解しながら曲がり角に近づく。
あと二十歩、呼吸を整え耳を澄ませて足音を確認。
あと五歩、ゆっくり息を吸い込んで覚悟を決める。
角を曲がった瞬間、全力で駆け出す。
戦士が成り上がる為に必要なのは相手を倒せる腕力と武器を使いこなせる器用さ。
冒険者が成り上がる為に必要なのはダンジョンに対する正しい知識と宝に巡り合える幸運。
じゃあ兵士に必要な才能は一体何か?
答えは一定の速さで走り続けられる持久力と脚力、そしてどんな苦痛にも耐えられる我慢強さだ。
走れない兵士は敵の攻撃から逃げられずに死ぬ。
我慢できない兵士は不必要な行動で我が身を危険に晒す。
兵士だった俺が生き延びられたのは他の奴より臆病で逃げ足が速く嫌な事に慣れてただけだ。
全力で走り続けつつ上着を脱ぐ。
財布は上着に入れたまま、ナイフを内ポケットから取り出すのは忘れない。
次の角を曲がると脱いだ上着を投げ捨てた。
あれは囮だ。
数十秒、いや数秒でも相手の注意を逸らせれば良い。
鼓動がうるさくてたまらない。
少しでも速く、少しでも先へと必死に腕と足を交互に動かして前に進む。
たぶん百数十秒ぐらい全力疾走したか?
裏路地を抜けてメインストリートに出た。
首を振って周囲を見渡すこと数秒。
くそっ、俺以外に誰も道に居ない。
とりあえず体が隠せそうな太さの街路樹を見つけてその影に身を隠す。
同時に手頃な枝を一本折って左手に持つ。
人間ってのは不思議なもんで人の形から外れた物を認識するのが遅れがちになる。
同時にナイフをズボンとベルトの間に挟んでおく。
汗が次から次へと出て心臓が鳴りっぱなしだ。
それでも気配を察知されるかもしれないから深呼吸すら出来ない。
小刻みに浅く音を立てないように呼吸をして何とか手足の震えを抑える。
隠れてから数十秒後、足音が徐々に大きくなって近づいている。
どうやら俺がいきなり駆け出したから慌てて後を追って来たらしい。
出てきた人影は二人、どちらも男。
片方は大柄な体格でもう一人は普通。
投げ捨てた上着を持ってるから俺が標的なのは明らかだ。
さて、どうするか。
このまま隠れてやり過ごせるならそれが一番だろう。
でも相手はキョロキョロと辺りを見渡し俺を探している。
見つかったら何をされるか分かったもんじゃない。
飛行船が停泊してる空港への道は途中まで一直線だから途中で追いつかれると一巻の終わり。
公爵邸に逃げ込もうにも道が複雑な上に深夜だから馬車すら走っていない。
つまり、逃げるにはどうにかしてあの二人の動きを止める必要がある。
ゆっくりと動いて相手をもう一度確認。
デカい方は歩くたびに体が大きく揺れてる、もう一方は体の揺れ幅が小さく歩幅も一定だ。
つまり小さい方は何らかの訓練を受けた可能性が高い。
狙うならデカい方だ。
街灯に照らされてるとはいえ夜の闇は深い、相手はまだ俺を発見していない。
大して賢くもない俺の脳みそ、必死に働いて何とか乗り切る方法を考えろ。
そんな俺を嘲笑うように相手は少しずつこっちに近づいて来る。
ちくしょう、このままじゃ見つかる。
不意を突くなら今しかない。
音を立てないようにゆっくりと長く息を吸う。
肺にこれ以上ないぐらい空気を溜めた瞬間、閉じた目に映ったのは俺の大切な人達。
アンジェ ライオネル アリエル
父さん 母さん 兄さん 姉貴 フィンリー コリン
数秒の間に家族の顔と記憶を思い出す。
そして吐き出した息と一緒に湧き上がった感情を俺の中から消し去る。
前の戦争で何度も死にかけた時、俺の心の何処かが壊れた。
苦痛を他人事のように感じ、躊躇わず敵を撃てる空白な部分が出来てしまった。
殺す相手を気にかけてる正気を持ってたら戦争なんてやれる筈がない。
きっと俺は狂ってるんだろう。
心の中が凪いでいく。
俺の総てであの二人を叩きのめす事だけ考えろ。
生き残って俺の家に帰るんだ。
追跡者の二人が俺が隠れている街路樹に近づいて来た。
右手に折った木の枝を持って這うように体を屈める。
タイミングは隣の街路樹に近づいた瞬間。
心臓の鼓動がどんどん速くなるのに不思議と頭の中は冷静だった。
一歩、また一歩と二人が隣の街路樹に歩み寄る。
隣の街路樹を覗き込んだ瞬間、木の枝を二人の後方へ投げた。
木の枝が放物線を描いて二人の後ろに落ちる。
コンッ
二人が音に気を取られ振り返った瞬間、隠れていた街路樹の陰から躍り出る。
標的はデカい奴。
まずは厄介そうな相手を先に仕留める。
木の枝に気を取られた二人は突如現れた俺に対処できない。
『やれる!』
加速した体の勢いを殺さないよう歩幅を調整する。
最後の一歩を踏みしめた脚に力を込める。
足首、膝、股関節、腰、肩、肘、手首の動きを連動。
左手を軽く開いて指を曲げる。
渾身の掌底打ちをデカい奴の顎先へ思いっきり突き上げる。
軍で習う格闘術は人間を倒す事、殺す事に重点を置く。
体格で勝る相手に対しては鍛えられない急所を狙うのが常套手段だ。
顎先に上手く当てれば子供でも大人を昏倒させるのは充分に可能。
幾度となく繰り返し体に染みついた動きを行う。
俺の掌底打ちを喰らったデカい奴はそのまま昏倒する。
その筈だった。
『硬てェ!?』
掌から感じる感触に戸惑いを覚えた。
上手く掌底打ちが当たるとそのまま相手の体に掌がめり込むような感触を感じる。
それが無い。
樹木か岩を叩いたような重さ。
デカい奴は掌底打ちを喰らってなお踏み止まっている。
驚いたせいで反応が一瞬遅れた。
相手の顎を打った左手に相手の右手が近づいている。
気付いた時には左手を握られていた。
決して俺を離さないと握られた手から伝わる相手の力は凄まじい。
握られた左手がミシミシと音を立ててるように感じる。
『どんな鍛え方してるんだよコイツ!』
デカい奴の左手が俺の頭に近づいて来た。
マズい、この状況じゃ不利なのは俺だ。
相手の力は俺より遥か上。
殴って来たら俺の防御なんて簡単に貫通するし、拘束されたら碌に抵抗も出来ないぞ。
そう思った瞬間、右手を握りしめて拳を放つ。
狙うのは股間。
人体には鍛えられない箇所が幾つも存在する。
生殖器もその一つ。
デカい奴は慌てて左手を動かし俺の拳を払う。
男なら金玉を打った苦痛は耐え難いから絶対に避けたいだろうしな。
でも残念だったな、そっちは囮だぞ。
俺の右拳に気を取られた隙に左膝を思いっきり叩きつける。
狙うは相手の右脇腹から背中にかけて。
右腹には急所の肝臓や右腎臓があるし、肋骨の十一番目と十二番目は胸骨と繋がっていないから折れやすい。
加減しないで相手の骨を折る気で蹴ったのに脚に伝わったのが硬い樹脂みたいな感触。
『テメェ、何処まで鍛えてるんだよ!?』
それでも怯ませるには充分だったらしく俺の左手を掴む力が緩んだ。
思いっきり左手を引いて拘束から逃げるのと同時にベルトに挟んでいたナイフを抜く。
そのまま斬りつけようとした俺とデカい奴の間を何かが通り過ぎる。
追跡者の片割れだった。
どうやらデカい奴の隙を護る為に割って入ったらしい。
なら標的をお前に変えるだけだ。
右手に握ったナイフを突こうとした次の瞬間、刃先に何かが触れた感触が伝わった。
よく見ると相手は何かを握っている。
今度はナイフを左から右へ斬りつける。
やっぱり何かが当たって俺の攻撃が弾かれる。
それはさっき俺が投げた木の枝だった。
相手が木の枝で俺の斬撃を防いでいる事実に驚く。
試しにもう一度だけ刺突を放つ。
木の枝がナイフの先端に添えられ向きを逸らされる。
驚愕しつつ攻撃の手を緩めない。
刺突、右へ斬撃、もう一度右へ斬撃、左へ斬撃、再び刺突。
鋼鉄を加工したナイフの攻撃が木の枝に翻弄される悪夢みたいな光景。
そうこうしてる間にデカい方が回復したのかゆっくりと動き始めた。
マズい、一旦距離を取ろう。
そう思って重心を後ろに傾けた瞬間、初めて相手が攻撃を仕掛けた。
ゆっくりと美しいとすら思える動きで木の枝が俺の方に向く。
『ヤバい!!』
本能的に体を横に傾けた瞬間、右の上腕に痛みが走る。
充分に距離を取った筈なのに獲物へ襲い掛かる蛇みたいに撓った木の枝が俺の腕を強かに打った。
痛みを堪えて何とか数歩下がって距離を保つ。
余裕のつもりか相手は追撃して来ない。
ナメやがって、俺なんかいつでも倒せるって思ってるのか。
何とか意識を保ちつつダメージを確認。
デカい奴に握られた左手はまだ痺れが残ってる、もう片方に打たれた右腕は何とか動かせる。
逆に相手は俺から受けたダメージから回復しつつある。
このまま行けば確実に俺の敗北だ。
完全に相手の実力を見誤った。
こいつらは俺を遥かに上回る力の持ち主だ。
手加減して勝てる相手じゃない。
作戦も糞もない、向こうが本気を出せば何時でも簡単に俺を仕留められる。
せめて軍用ナイフ、いや拳銃を護身用に持って来るべきだった。
嫌な汗が体中から溢れ出してくる。
どうする?
どうすれば良い?
必死で頭を動かそうとするほど腕の痛みを自覚して思考力が削がれていく。
雑念がどんどん湧き上がって考えが纏まらない。
完全に回復したのかデカい方が動き始めた。
もうダメか。
そう思って瞼を閉じる。
闇の中で最後に見えたのは愛しい嫁と子供達の顔だった。
「………ハハッ。ハハハ」
思わず出た俺の笑い声に戸惑った相手は動きを止めた。
思考が急速に纏まって汗が引いていく。
この感覚は身に覚えがある。
前の戦争で上官達が逃げ出して部隊が取り残された時のあの感覚だ。
恐怖は感じない。
口の中が酸っぱくて堪らない、鼻の奥が血の臭いで噎せ返る。
単純だ、どれだけ悩んでも出て来る答えは何時だって単純だ。
俺はいつもくだらない事で悩み過ぎだ。
解決方法は分かりきってるのに。
「殺す」
目の前の こいつらを 殺す
こいつらが俺の大切な人達を狙うなら生かしちゃおけない。
出会ったのが俺で本当に良かった。
こいつらは俺が此処で仕留める。
二人共、最低でもどちらか一人は道連れにしてやる。
そう思うとどんどん頭が冴えて痛みが遠くなっていく。
刃を横向きに、右手で柄を強く握って左手を柄尻に沿える。
ナイフで相手を確実に殺すには自分の体重をかけ相手の臓器を深く傷付けなきゃいけない。
体当たり同然で深くナイフを突き刺す。
護身用の小さいナイフは確実に折れるだろう。
狙うなら図体がデカい方だ。
的がデカいから全力で体当たりする俺を避けきれる可能性が低い。
折れたナイフが体内に残れば確実に死ぬ。
そのまま勢いでもう片方を襲う。
木の枝は厄介だが俺を殺すほどの攻撃力は無い。
頭を打たれないように守って組み付けば十分に勝機はある。
俺の構えが変わったのと同時に二人も姿勢を変える。
やっぱりこいつらは手練れだ、相当な訓練を重ねている。
悪かったよ、お前らの事ナメてた。
きちんと敬意を払って全力で戦うから許してくれ。
ジリジリと俺と奴らの距離が縮んでいく。
膨れ上がった殺気で肌が泡立つ。
あと一歩踏み込めば最後の闘いが始まる。
前傾姿勢を保ち動き出そうとした次の瞬間
「双方!引け!」
俺と相手の間の地面が光って音が鳴った。
よく見ると石畳が少し抉れてる。
何かが高速でぶつかって削り取ったらしい。
声のした方向を見ると新たに一人近づいて来る。
そいつの手が放つ光に見覚えがある。
あれは魔力が放つ独特の輝きだ。
つまりこいつは何かの魔法を使えるって訳だ。
「僕が目を離してる間に何をやってるんだ君達は!?」
どうやら新しい相手は二人の仲間らしい。
詰んだ、完全に詰んだ。
二人相手なら何とかなったかもしれないけど、三人相手じゃ勝率はゼロだ。
言い争ってる三人を尻目に頭が冷えてくると諦めの方が勝った。
ごめんなアンジェ、どうやら俺の命日は今日らしい。
未亡人にしてすまない、子供三人を残して逝く俺を許してくれ。
俺は地獄に堕ちるけど皆の幸せを願ってる。
街灯に照らされたナイフが鈍い光を反射してる。
握ってる手が震えていた。
拷問を受けて殺されるぐらいならこの場で自害した方がマシかな?
ぼんやりそんな事を考えながら三人の様子を窺う。
赤い髪を短く刈り込んだ筋肉質の大男、眼鏡をかけた青みがかった髪の男、そして新しく加わった紫髪を肩まで伸ばした魔法使い。
特徴があり過ぎる男共だった。
「すまないバルドファルト卿。どうしようもない愚か者共の非礼を詫びよう」
「愚か者とはなんだよ、愚か者とは」
「交渉に来たのに相手と戦い始める馬鹿を愚か者と呼ばずして何と呼ぶ!」
「仕掛けたのはあっちだ!俺達は自分の身を守っただけだ!」
「それで交渉が失敗したら本末転倒だと分からないのか!」
言い争いを始める紫髪と赤髪を横目で見つつ何とか逃げ道を探すが青髪が俺から目を離さない。
「バルトファルトって誰の事です?見ての通り私は単なる作業員。恰好で分かるでしょう」
「どこの世界に軍式格闘術を習得した作業員がいるんだ」
「この間まで従軍していたので訓練を受けていました」
「その顔の傷で誤魔化せると思ってんのか」
「これは事故でついた傷痕です」
「諦めろバルドファルト卿。君の顔はこの国の貴族に広く知られている」
どうやら口で誤魔化すのは無理っぽい。
まぁ通用するとは思ってないけどさ。
溜め息を吐いてその場に座り込む、もう完全に自棄だ。
「殺すなら八ヶ月ぐらい待って欲しい。妻が妊娠してる。せめて生まれてくる子を見てから死にたい」
「お子様は少し前に生まれたばかりでしょう」
「三人目だ。俺の命はくれてやるから家族には指一本触れるな」
「何か勘違いしてるな。俺達は戦いに来た訳じゃない」
「そんな話信じられるかよ」
「本当だ。本当なら真っ正面から話し合う機会を窺っていた。レッドグレイブ公爵の監視が厳しくて警戒が解かれたのが今夜だったんだ」
あぁ、やっぱ公爵が裏で手を回してたのか。
前は随分といろんな貴族が声をかけてきたのに今回は随分少なくなったと思ったけど。
「頼む、話だけでも聞いてくれ。我々とは初対面ではない筈だ」
「知らん」
「話した事は無いが戦場や夜会では顔を合わせただろう」
「記憶にない」
「嘘をつかないでもらえるか」
「アークライト家とセバーグ家とフィールド家のお坊ちゃま達と関わり合いになりたくありません」
「「「しっかり憶えてるじゃねえか!!!」」」
思い出したのはついさっきだけどな。
そうだ、こいつら王子の取り巻き連中だったな。
公爵派と水面下で争ってる王家派の若い連中が俺と話し合いたいとか嫌な予感しかしねぇぞ。
「本当なら君の飛行船を今夜訪ねる筈だった。だが外出する君の姿を見つけて追うしかなかった」
「ずっと俺を追い回してた訳か」
「悪かった。まさか飛行船を抜け出すとは思わねえだろ」
「一体俺に何の用だよ?言っておくが俺は単なる田舎領主だぞ。王都のゴタゴタなんて関係ないだろ」
「それはこれから話す。ついて来てくれないか」
正直関わり合いになりたくない。
それでもこいつらが力づくで俺を連れ去ろうとしないのは俺に配慮しているからだろう。
「それは命令か?」
記憶が正しければこいつらはまだ爵位持ちじゃない。
何らかの役職には就いてるかもしれないけど俺に強引に従わせるだけの権力は無い筈だ。
「いや、懇願だ。リオン・フォウ・バルトファルト子爵。どうか我々の話をお聞き願えますか?」
そう言うと三人は俺に頭を下げる。
やめろよ、そんな事をされると断れないだろ。
「……話を聞くだけならな」
「感謝する」
「俺の身の安全は?」
「保障する。どんな攻撃も俺の筋肉が防ぎきる」
「筋肉はどうでも良い。飛行船の奴らに気付かれたら大騒ぎになるぞ」
「今すぐ案内する」
体を解して立ち上がる。
何でこう、俺の所にはトラブルばっかり舞い込むんだろう。
俺なんか悪い事した?
いっぱいしてるか、じゃあ仕方ないな。
あぁ、帰りてぇ。
バルトファルト領へ帰って温泉に入ってアンジェを抱いてぐっすりで寝てぇ。
唐突なバトル回、そして三馬鹿登場。
リオンと五人が戦う展開はずっと考えていました。
発売された原作12巻でリオンと五馬鹿の決闘と時期が重なったのは本当に偶然です。
今作のリオンは兵士としては優れているけど戦士や冒険者としては五人に劣るイメージで描いています。
ただ大切な人を傷つけられてキレたら容赦なくなる部分は原作に近づけました。
リオンお得意の口撃はありません。
三嶋与夢先生がお創りになるキャラの煽り能力はとても素晴らしい。(褒めてます
追記:依頼主様のご依頼でelun@様といち様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
elun@様 https://www.pixiv.net/artworks/110435962
いち様 https://skeb.jp/@itinoe89/works/21
更に追記:原作12巻とマリエルート2巻の発売記念にSSを書きますが、シーンの内容についてアンケートにご協力していただけたら嬉しいです。
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
リオン編後にアンジェとリオンがイチャイチャ回を書きます。別途に成人向けシーン書きますが、リオンとアンジェのどちら視点で読みたいか教えて下さい。
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アンジェ視点
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リオン視点