婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
土壌を改良する事は農業に於いて不可避の問題だ。
どの植物も土から養分と水を吸収し種から芽を出し成長を続け花を咲かせ実を結ぶ。
その工程を支えるのが土壌である。
人間社会の始まりが農耕が可能となり集落を作る事で継続的な食糧の供給を可能にした時点であるなら、人の歴史は農耕の歴史と言い換えても過言ではない。
長い歴史の中で数多の王達は自国の民を如何にして食べさせるかに腐心してきた。
時に作物に必要な河川の灌漑工事を執り行い、また或る時に食料を確保する為に隣国を攻め、また或る時は食料を与える事で民の支持を確保する。
生きてゆく上で食事は不可欠だ。
故に民を飢えさせない領主はそれだけで英主と讃えられるべきなのだ。
たぶん、きっと、おそらく。
バルトファルト領は元々王家が所有していた浮島だった。
一応は直轄地という体裁ではあったが、実際には未発見だった浮島を確保した王家が取り敢えず直轄地と言い張っただけでほぼ未開拓の土地である。
リオンに下賜される以前から開拓が進められてはいたが、あくまで数少ない領民がギリギリ自給自足を行える最低限の開拓しか行われていないのが実情だった。
温泉といった資源はあったものの開発する手段と資金を領民は持っておらず、王家も開拓に必要になる資金を算出し大して収益にならない浮島の開拓を主導するより王都の政治に勤しんだ方が有益と判断したのだろう。
まぁ、そのおかげで領民が王家ではなく領主たるバルトファルト家の方へ感情移入してくれるのが救いだ。
ぼんやりとこの地の歴史を振り返りながら畦道を歩き続ける。
領主の妻である身重の子爵夫人、いや伯爵夫人が護衛すら付けずたった一人で出歩くなど王都では考えられない事だ。
畦道の両脇の畑からは農作業に勤しむ領民が黙々と作業を続けている。
田舎特有の長閑な時の流れは数ヶ月前まで国同士の戦争が起きていたとは思えないほど穏やかだ。
公国との戦争でバルトファルト領も戦死者を出した。
開拓が本格化して間もない領地であり、徴兵されたのは元兵卒などの軍務経験がある帰農者であり大半が独身だった。
現在のバルトファルト領は開拓の為に退役兵の受け入れに積極的だから、この地で家族を作り領民として根付いてもらう計画にだいぶ狂いが生じた。
この地で結婚し子を為した領民が戦争で命を散らした。
遺された者は悲しみに苛まれながらも逞しく生き大地の恵みを育む。
もし私がリオンを喪ったら同じように振る舞えるだろうか?
私は弱い女だから耐えられないかもしれない。
それとも子供達を育てる為に歯を食いしばり生きるのか。
答えは出そうになかった。
人は自分の大切な物がいつまでも隣に在り続けると錯覚する。
そして喪った時に初めて自分にとってどれほど貴重な存在か気付くのだ。
漸く目的地の畑が見え始める。
バルトファルト家が個人経営する農園には領主専用の畑が存在する。
普段は信用できる領民が交代で世話をしているが一ヶ月に数日間のみ誰も近づく事を禁じられる。
禁じたのは私だが事情が事情だけに致し方ない。
そんな立ち入り禁止期間の畑の中央で屈みながら作業を続ける男の後姿が目に入る。
農夫だ。
どう見ても農夫である。
地味な作業服に身を包み黙々と畑の土弄りを続ける厳めしい男。
顔の左側には傷痕が残り細身に見える体躯はよくよく見れば鍛え抜かれた体だと服の上からでも判別できる。
貴族としてはあまりに規格外であるし、裏社会の人間としては人が良過ぎる。
この珍妙な男がこの領地を治め貴族だと判別できる者は極めて稀だ。
不要な枝を剪定し、生い茂る雑草を抜き、地面を掘り返して土壌を整える。
手馴れた動きはまさに農民のそれだった。
「いずれ伯爵位を賜る男の趣味が土弄りとは他の貴族にあまり大っぴらに言えない趣味だな」
「趣味と実益と兼ねてるんだから合理的だろ。農作業は良いぞ、丹精込めて作物を世話した分だけ応えてくれるから下手な人間より信用できる」
「もう少しこう、貴族らしい趣味にしないか?温室で花を育てるとか」
「食えない植物を育てても腹は膨れねぇ」
「……私が悪かった、この話はお終いにする」
リオンの思考は食料の確保と領地の安泰が最優先事項であり華美や絢爛という言葉は頭の中に無い。
それは確かに領主として喜ばしい資質ではあるのだが、あまりに吝嗇だと領地の発展を妨げかねない。
質素倹約は確かに必要だが人の上に立つ者が金を渋ると経済が萎縮してしまう。
バルトファルト領の温泉は療養施設の体裁を整えてはいるが、収益の半分近くは富裕層の観光客が落とした金である。
貴族の嗜好を仕込む為に他の領地を訪ねた際にリオンを誘い芸術品やら美食やらを体験させているが芳しい反応を得られない。
貴族向けの詐欺防止や商取引の目利きにある程度の美的感覚が必要なのだが。
リオンを注意すれば『アンジェがいるから大丈夫だろ』と返されるので私としても反応に困る。
私が居ない時の為に正常な判断が出来るよう教育してるのに、私が常に自分の傍らから離れないと考えてるリオンが愛おしくてついつい甘くなってしまう。
「そろそろ休憩にしよう、食事を持って来た」
「もうそんな時間か、腹が減る訳だ」
「丹精込めて作ったから期待して良い」
「……アンジェの手料理か」
何だその目は。
確かに私の家事能力は平民の子供にも劣るかもしれないが少しずつ成長はしている。
特に今日の料理は会心の出来栄えだと自負している。
籠の中に納められた弁当箱の蓋を開けリオンに手渡す。
「これはパンに新鮮な野菜を挟んだ物だ。こっちはパンに肉と卵を挟んである。そちらはパンに焼いた魚を挟んだ」
「全部パンに何かを挟んだやつじゃないか」
何が不服だ?
パンに何かを挟むだけで炭水化物と蛋白質と野菜を同時に摂取できるんだぞ。
しかも包丁も火も殆ど使わないお手軽さでえありながら挟む食材を変えるだけで無限の組み合わせが可能という素晴らしさ。
どれほど料理の技術が進歩してもこの素晴らしさには決して届かないと私は考える。
決して手抜きではない。
私が手ずから食材の選定を行い慣れない調理を他の者に手伝わせる事なく作った愛妻料理だ。
「嫌なら食べなくていい。これは私が全て平らげる」
「食べる、食べます。ありがとうございますアンジェリカ様。貴女の優しさにボンクラの俺は嬉しくて涙が止まりません」
謝ったリオンは弁当箱を私の手から奪うと黙々と平らげる。
水筒に納めた茶を時折差し出してはリオンの反応を窺う。
文句を言われるよりも何の反応も無い方が傷付く。
「どうだ?」
「昔よりは美味い」
「比較するな。現時点で美味いか不味いかだけ答えろ」
「美味いよ。素材の良さを存分に引き出してる」
「素材が良いだけのように聞こえるのは気のせいか?」
「だって不味く作る方が難しい料理だろコレ。大抵の食い物はパンに挟めば食えるんだぞ」
文句を言いながらを頬張るのを止めないリオンが何処か可笑しくて口元が緩む。
「使った食材が全部バルトファルト領で収穫できた物じゃないのが減点対象だな」
「そこまで開拓が進んでいないのは仕方あるまい。本格的な開拓が始まってまだ五年も経っていないからな」
開墾して種を蒔いたらすぐに収穫が可能になるほど農業は甘い物ではない。
王家の所領だった頃から住んでいる領民のおかげである程度は耕作が可能な作物の傾向が分かっているはいるが、それだけで領地の民を養えるほどバルトファルト領の食糧自給率は高くはない。
麦や各種作物の苗、茶の木や実が食料になる樹木を植えてはいるがどれも軌道に乗るには十年近くの歳月が必要になる。
レッドグレイブ領や他領の経験豊富で移住に積極的な農業従事者を何名か招聘してはいるがそれでも足りない。
ただでさえ公国との戦争で予想外の出費と人的損失を抱えたバルトファルト領が自給自足の域まで発展するのは当分先になりそうだ。
「明日からは仕事に戻ってもらう。領主が仕事よりも趣味の畑仕事に没頭してるなど噂になっては困る」
「これも立派な仕事だろ。この土地に適した作物を植えて結果を調べる。開拓には必要な仕事じゃん」
「領主自らするべき仕事ではないと言っている」
「俺の嫁さんはおっかないな」
リオンがこうして畑仕事に勤しむのは何か嫌な事があった時だけだ。
貧しかった子供時代に回帰して心を落ち着かせているのは分かる。
それでも貴族として、領主としてリオンに行動してもらわなければこの地の経営は成り立たない。
かと言って戦争や王都での駆け引きで心労が溜まっているリオンに無理をさせ続ければせっかく癒されてきた心の傷が再び疼くのでダメだ。
私とリオン本人と医師で相談した結果、休養の名目で時折こうした農作業をさせるのが一番良い解決方法と分かってきた。
弁当箱を籠に戻すと食後の何とも言えぬ微睡みを誘う陽気にリオンが瞼を閉じる。
やれやれと溜め息を吐きながら足を崩すとリオンが私の膝に頭を乗せる。
気持ち良さそうに伸びをしながら私の太腿に頬擦りするリオン。
私の太腿は枕じゃない。
そんな事を思いつつ拒絶する気持ちが一切起きない時点で私はこの夫に気を許しているのだろう。
人目が無いからこそ出来る所業だ、領民はもちろんバルトファルト家の面々がいたら絶対に出来ない。
「少し休んだら午後から収穫を始める。豆と芋と野菜が幾つか食べ頃だと思うぞ」
「見事に野菜ばかりだな。私は菜食主義者ではないのだが」
「妊娠してるんだから食べ物には気を遣わないとマズいだろ。ただでさえ悪阻があるんだし」
確かに悪阻が始まってから食欲が些か落ちている。
味覚や嗅覚が変わって今まで平気だった食べ物を体が拒絶する。
かと言って食べられる物ばかりでは栄養が偏ってこれまた母子双方に悪い。
妊娠中の食事は数少ない楽しみでもあり苦行だ。
「せっかくだから手伝ってくれよ、今日はもう暇なんだろ?」
「暇ではない。書類整理が幾つか残っている。出来れば今日中に目を通したい」
「でも俺が居なきゃ話は進まないだろ?なら明日に回しても問題ないって」
どうして我が夫はこうした悪巧みに関して知恵が回るのか。
野心の無さと善性で誤魔化されているが一歩間違えれば悪徳領主になってもおかしくはない男だ。
「逢引きする為に休みを取らせた訳ではないのだぞ」
「二人きりになる時と場所をわざわざ作った嫁さんが言うと説得力が無いんだよなぁ」
仕方あるまい、貴族の夫婦ともなれば二人きりになれる場所は必然的に減ってゆく物だ。
配偶者の家族、屋敷を維持する家人、領地の経営を担当する部下、軍事力として仕える寄子や騎士。
常に公人としての振る舞いを求められ私人として気を抜ける場所など作ろうとしなければ精神が疲弊する。
その点で言えばこの農園は領地開拓の一環という名目で私とリオンが一緒に居ても文句を言われる事が少なくて済む絶好の場所である。
「作物の収穫は楽しいぞ。実がなるまでの苦労が吹き飛ぶし、自分が育てたって満足感が最高に美味くしてくれる」
「やだ、土弄りも栽培も苦手だ。何より虫は怖い」
「蜘蛛は害虫を喰う、蝶や蜂は受粉に必要、ミミズは土を豊かにしてくれるんだぞ」
リオンが懐から剪定・収穫用の鋏を手渡す。
逃げたくても既に逃げ道は塞がれている。
「二人でやれば早く済む。そうすれば一緒に過ごす時間も増えるから効率的だろ」
「上手く出来る自信が無い」
「ちゃんと教えるから安心しろ」
無理やり鋏を握らされるとその上からリオンの手が覆い被さる。
彼のゴツゴツと節くれだって皮の厚い掌の感触と温かさが心地良い。
結局私達は作物を収穫しているのか、それとも逢引きしているのか分からないまま農園で日が傾くまで過ごした。
「……疲れた」
普段は使わない筋肉を酷使したせいで屋敷に戻らず別宅に向かう事態となったのは失策だった。
王国の貴族は冒険者だった祖先を敬慕している為に国全体が尚武の気風だ。
私も学園に在籍していた頃は自主鍛錬に励んでいたし、妊娠中や出産後は体型が崩れるのが嫌で積極的に運動してる筈だが運動と農作業では使う筋肉が違うらしい。
ただでさえ子供を産んでから胸と尻と腰回りに余分な肉が付きやすくなったのに、あの程度の作業で疲れるとは情けない。
つくづく私は貴族の家に生まれついた令嬢であり、半農半貴で育ったリオンとの違いを認識する。
「風呂を沸かしたから先に入れ、その間に飯を作っておくから」
「すまん」
のろのろと体を動かして浴室へ向かう。
嘗てリオンが一人で暮らしていた別宅は主が屋敷へ移った後も解体される事なくバルトファルト領の片隅に存在している。
むしろ執務に必要な資料や物品を運び出したせいでリオン専用の隠れ家になっている。
暇な時にちょくちょく改良を加えられた結果、浴室や調理場は常に使用可能であり食料も貯蔵され生まれた子供達に汚されないようにリオンが好む本やら玩具も移された。
私と過ごすより別宅の模様替えの方が楽しそうなリオンに少々腹が立ったものだが仕方なく許した。
リオンにとって不可侵の別宅に招かれる者は限られている。
それこそ無条件で立ち入りを許されているのは私ぐらいで、いつ私が来てもいい様にお気に入りの食器や着替え等も常備してあると思えば面映ゆい。
体を洗い些か狭い浴槽に浸かっていると何やら良い匂いが漂ってきた。
リオンの手料理は手抜きのように見えてなかなかに美味いのが癪である。
もちろんお抱えの料理人と比較にはならないが、有り合わせの食材をほんの少しの工夫でそれなりの出来に仕上げる。
これでは私がひたすら不器用に見えるではないか。
必死に材料の大きさを揃え、調理時間や火加減を調節に気を配り、味をその都度で修整している私の何がいけない。
何故煮込んでる最中に味が変わる?
味が変わる度に水を加えたり調味料を足すほど出来が微妙になるんだ?
そもそも「適量」「一つまみ」「少々」「しばらく」「お好みで」という表現が気に食わない。
料理本は正確な重量や時間の単位で事細かに記載されるべきである。
ぼんやりと取り留めない思考をしながら浴槽から出て体を拭く。
現時点で体型に変化は無いが二・三ヶ月もすれば胎児の成長と共に入浴や着替えが一手間となってしまう。
そうなればこの別宅を訪れるのもしばらく出来ない。
妊娠すると行動が制限されるのが最近の悩みだ。
着替えが終わり台所兼居間に戻るとリオンが椅子に腰かけて読書をしていた。
鍋で何かが煮られている音だけが室内に木霊する。
私の姿を確認しテーブルの上を指差すと私用のティーポッドとカップが置かれていた。
椅子に座りティーポッドからカップへ茶を注ぎ口を付ける。
やや温いハーブティーは風呂上りの体を冷ます事なく私の心と体を落ち着かせる。
ただ静かに時間が過ぎていくのが心地良い。
婚約して一年ほどで結婚と妊娠をした私達は二人きりで過ごした夫婦の時間が欠けているように思える。
いや、婚姻前から性交渉を行い愛欲に耽溺した日々を結婚前まで送ったからむしろ貴族として慎みに欠けているか。
元公爵令嬢、子爵夫人、そうした肩書きから解放され素顔の私が此処にある。
ティーポッドを空にしたのが頃合いらしい、リオンが火を止めると鍋の中身を皿によそり始める。
軽く火で炙られた黒パン、豆と芋と野菜と干し肉を煮たスープ、湯で温められた卵。
とても貴族の食事とは思えない質素さだ。
「いただきます」
「遠慮なく食え」
スプーンで掬ったスープを啜ると旨味が凝縮された味に舌が喜ぶ。
細かく刻まれた野菜から沁み出した水分、干し肉の旨味と香辛料、形が崩れる直前まで柔らかくなった芋、歯応えが残る豆。
特徴的な味を残し、同時に互いを邪魔をする事なく見事に調和している。
「どうだ?」
「美味い。美味いから腹立たしい」
「何でだよ」
「私が苦労して作った料理よりリオンが適当に作った料理の方が美味い。これを屈辱と言わずして何と言う」
「理不尽過ぎるぞ」
いっそ私が男になり、逆にリオンが女性になるのが私達夫婦にとって一番良いのかもしれない。
男になった私が領地の経営を担当し、リオンは家に籠って家事と子育てを担当する。
これは理想的な夫婦像ではなかろうか?
生まれた子供は愛おしい、愛おしいのだが妊娠と出産は女性とって凄まじく重労働なのだ。
私の場合は初産で双子だったから苦労も多かった。
それなのにリオンは私に八人も産んで欲しいなどと本気なのか冗談なのか判別しがたい事を宣う。
いっそリオン本人が産めば解決するのでは?
男になった私が女性になったリオンを抱くという倒錯的な光景が脳裏を過ったので思考を止める。
半ば本気で考え始めた辺り私も相当性癖がおかしい。
性別を変えるなどいう絵空事を考えるよりも夫の手料理を堪能する方が遥かに有意義だ。
スープの具が半分ほど減った頃合いで黒パンをスープに浸すこと暫し。
硬い生地の黒パンがスープを吸って柔らかくなる。
貴族の食事に相応しくない食べ方だがリオンに唆されて試したらなかなかに美味だったので別宅でリオンと二人きりで過ごす際はテーブルマナーに拘らなくなった自分が恐ろしい。
リオンと暮らしていると私が際限なく堕落してゆく。
自分にこんなだらしない一面があったとは知らなかった。
「卵を入れるとまた違うぞ」
私のスープ皿に上で卵が真っ二つに割られると半熟の黄身と白身がスープに投入されゆっくりと混ざってゆく。
濃厚な黄身がスープに融けプリプリとした食感の白身が堪らない。
「……こんなに私を餌付けして何が目的だ」
「三人目を元気に産んで欲しいだけだって。あと取り敢えず現状で栽培可能な作物のお披露目って感じだな」
「悪くはないが領主がそれなりに整った土地で手間をかけたからこその成果だ。領民の食を賄うには時間がかかる」
「当面は麦以外の食糧の大部分を外から輸入しなきゃダメかぁ。いつになったら公爵家に頼らずに済むんだよ」
「軽く見積もっても十年はかかる。安定にはその倍だ」
「その頃には引退してもおかしくない歳じゃん。現役の間ずっと悩み続けるの俺?」
「私も一緒に悩むから安心しろ。それより私から提案がある」
「また教育の話?」
「必要な事だからな」
聖女オリヴィアと御付きの女官マリエの話を聞き、どうしようもなく子供達の将来が不安になった。
平民でありながら貴族を凌ぐ才覚を持つ者が存在する。
子爵家の生まれでありながら親に真っ当な教育を施されない令嬢がいる。
各々に事情はあるだろうが秀でた力、優れた才を持ちながらそれを発揮できぬ者の何と多い事か。
ライオネルとアリエルは愛おしい我が子であるが、天才と信じるほど私の眼は曇っていない。
貴族の子供が平民の子供より優れているのは幼少期から教育を施された結果に過ぎず、真の天才が数ヶ月学んだ結果に数年間努力した凡人が負けるなど充分にありえる状況だ。
リオン自身も優秀だがあくまで常識の範囲内であり、私の才覚とて幼少期から王妃になるべく最高峰の教育を施された結果である。
この地を発展させる為には人手が足りない。
私達夫婦がどれだけ努力しようが数とは単純にして手っ取り早い解決方法なのである。
公国との戦争で優秀な人材の囲い込みが随所に見られている。
父上や王家派の貴族がリオンを取り込もうとしてるのが良い証拠だ。
歴史は長いが最底辺のバルトファルト家がこの地を発展させる人材を他所から呼び込むのは不可能に近い。
ならば使えそうな人材を育てるしか手は無い。
「理屈ではアンジェが正しいのは分かってるんだよ。その為に学校を作ったり、開拓に必要な労働力が減るのが難し過ぎるぞ」
「無論だ。領内の生活水準が上がらない限りこうした政策は単なる都合が良い理想で終わる。まずしっかり地盤固めするのが先決だ」
「領地の経営がこんな難しいとは思わなかった。やっぱり貴族になるんじゃなかった」
いつものリオンらしい愚痴だ。
尤も最近の私も似たような事を考えている。
もし私が婚約破棄されず王妃の座に就いていたのなら、或いは男として生まれ公爵家にある程度の権限を任されていたのならこの手の問題を解決するのに十年もかからないだろう。
子爵位に叙位され領地を賜って数年の成り上がりの田舎貴族に為せる物事はあまりに少ない。
「休みは充分に与えたぞ、明日からきっちり働いてもらう」
「俺の嫁は他の奴の倍くらい俺に厳しい」
「逆だ、リオンに甘いからこの程度で済んでいる。本来なら休みなど取らせたくない」
私の言葉にリオンが頬を引き攣らせる。
失敬な、何だその恐ろしい物を見る目付きは。
この地で生きる夫と子供達の為に必死で奮起している妻を見る目ではない。
リオンは私をもっと褒め讃え愛でるべきだ。
「前のアンジェはもう少し優しかった気がするんだけど」
「女は子を産むと逞しくなるらしいからな。三人も子が出来れば否応なしにそうなる」
「……俺のせいだって言いたいの?」
「リオンが自分一人で采配を振るうなら私も大人しく引っ込んでいる。いつまでも私に頼らないで領主として成長するんだ」
いつの間にかスープ皿が空になっていた。
慣れない畑仕事で体力を消耗したせいか、それとも胎内の子供を育てる為に体が食べ物を欲してるのか。
妊娠中はゆったりした服装になるので油断すると今まで着れた服のサイズが合わなくなるので気をつけねばならない。
「リオン、おかわり。具を多めに」
「食べ過ぎると太るぞ、大して収穫してないから明日の朝食分まで食うつもりか」
「私が太ったぐらいでお前は嫌いになれるのか?」
「なれないな、惚れた弱味だ」
「リオンは私に甘いからどんどん私に勝てなくなるのも自業自得だぞ」
結局私はスープを三杯目の飲み干し鍋の中身を半分以下にして今日の夕食は終わった。
別宅にある私専用の部屋に置かれたベッドに寝転びながら物思いに耽る。
バルトファルト領の開発は少しずつ進めるしかない。
外貨を求めて遊戯施設や色街を誘致しても一時の稼ぎにはなるかもしれないが、それはあくまで一時的な物だ。
温泉施設で得た収益を少しずつ開拓に回しながら地道に食料の自給率を上げ、生産の余剰を他領へ売り払えるようになった頃に漸くこの地の開発は軌道に乗ったと言えるだろう。
そうなるまで二十年程はかかる筈だ。
だが、それはあくまでホルファート王国に何も起きなかったという前提条件だ。
今の王都はどうにもきな臭い。
父上がどのようにお考えなのかは定かではないが、おそらくリオンを巻き込む気でいる筈だ。
もし王位をお望みになり戦になってしまえばどう転ぶか見当がつかない。
いっそ私の方から積極的に協力する代償にリオンを領主の仕事から解放するのも悪くないかもしれない。
家督を継ぐ男子が幼い場合に於いて前当主の妻が政務を一時的に爵位を賜り家政を執り仕切った例は存在する。
もしレッドグレイブ家が王座を頂くのであればあくまで重要なのはレッドグレイブの血を引く私とその子供達であり、リオンの存在はそれほど重要視されないだろう。
積極的に公爵家へ働きかけ安全策を狙うか、それとも王家に恩を売り単なる田舎貴族として現状維持に勤めるか。
どちらにせよ情報が足りない。
王妃にせよ、聖女にせよ、五人の馬鹿共にせよ各々の思惑が入り混じって複雑な事この上ない。
田舎の生活を維持する為に国内の勢力図を書き換えかねない争いに加わる。
順序が逆で出鱈目だ。
いずれにせよ新しい情報が齎されるまでは待つしかない。
今の私にはリオンが作る明日の朝食の方が大事だ。
リオンに似てきた思考に笑みが零れた。
私達に出来る事は限られている。
まずこの地の富ませる為に尽力するのみだ。
の地が戦火に巻き込まれぬ事を祈りながら私は瞼を閉じた。
休日回です。
しばらくアンジェとリオンが離れ離れだったので二人きりの休日。
過剰なイチャイチャも良いですが心が通じ合う夫婦の何気ないやり取りも好きです。
イチャイチャは成人向けの方にあるのでよろしければそちらをお読みください。
https://syosetu.org/novel/312750/16.html
次章からしばらくアンジェとリオン以外の視点が続きます。
婚約破棄された公爵令嬢と成り上がりの田舎貴族がイチャイチャする為には国内の平和維持が必要です。(汗
追記:依頼主様のご依頼でカナタ様、Lcron様、こなつゆり様、ピザシー様、エロ大好き様、ぽ様、ちり様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。
カナタ様https://www.pixiv.net/artworks/111007486
Lcron様https://www.pixiv.net/artworks/111069766 https://www.pixiv.net/artworks/111326615
こなつゆり様https://www.pixiv.net/artworks/111124437
ピザシー様https://www.pixiv.net/artworks/111126675
エロ大好き様https://www.pixiv.net/artworks/111342610(成人向け注意
ぽ様https://skeb.jp/@ahoahopopopo/works/3
ちり様https://www.pixiv.net/artworks/112954448
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。