婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
『民を犠牲にして父である公爵に刃向かえと嘯くのならそれだけの対価を差し出せ』
アンジェリカ様はそう仰った。
聖女と周りの人達に崇められても私自身は学園に通っていた頃と何も変わってない。
勉強が好きで回復魔法が使える平民の小娘のまま。
どれだけ周りの皆が私を崇めても全ての人を救えるほど私の腕は長くない。
どうしても取り零してしまう人が出てしまう。
むしろ私に救われた人が少数で、圧倒的多数を救えていないと考えた方が正しいんだろう。
苦しむ全ての人々を救う。
掲げた理想は崇高でも其処に到る道はあまりに遠く険しい。
飢えた人に食べ物を与える、戦火で住処を失った人が体を休める場所を作る、家族を喪った人の為に葬送の祈りを捧げる。
人は私を心優しい聖女と讃えてくれるけど、私がやっている事は単なる対処療法に過ぎない。
戦で傷付いた人を癒すより戦を起こさせない。
貧しい人に食べ物を与えるより助け合える仕組みを作る。
流行り病の薬を配るより病が病が流行らない環境を整える。
聖女になって三年以上が経ったけど私の力が必要になるのはいつだって面倒事が起きた後。
考えるのはいつも多くの人達をどうしたら助けられるか?
神殿に伝わっている歴代聖女の資料を読み漁ったけどあまり参考にはならない。
そもそも聖女という存在自体がホルファート王国にとって都合の良い存在として創られた偶像だと分かる。
初代聖女について遺された数少ない書物を調べたけれど、彼女はこの国の初代国王の仲間だった女冒険者に過ぎないというのが私の結論。
もちろん優れた冒険者だっただろうし、国として成立したばかりのホルファート王国に多大な功績を上げたのは事実だけど、神の生まれ変わりでも悪魔の現身でもなくあくまで只の人間。
王家の艦が起動した時に私が初代聖女の子孫である可能性をローランド陛下が仰ったがいまいちしっくり来なかった。
どうして崇められている初代聖女の子孫と言われた私の家が平民なのか、歴代の聖女が大貴族や名家出身の貴族令嬢ばかりなのか。
その理由は少し考えれば誰にも分かる事。
ホルファート王家や貴族にとって権力を確固たる物にする為に神格化されたのが私のご先祖様、利用価値が無くなった女冒険者に価値は無いと放逐されたと考えるのが筋だと思う。
国を治める人達が権力の正当性を求めるのは理解できる。
ただ、国を支えているのは圧倒的多数の平民という事実を忘れてはいけない筈。
ファンオース公国との二度に渡る戦争は王国の体制を多く変えた、変えてしまった。
プライドが高い家柄だけが拠り所の貴族は没落し、代わりに能力がある下級貴族や平民の人々が活躍する機会を得た。
学園に通っていた頃は平民が読み書き出来るだけで生意気と絡まれ、成績で貴族を上回ればたちまち目の仇されるのが私の日常。
今はその人が「どの家柄に生まれたか」よりも「何が出来るか」が重要視される。
それ自体は良い事の筈。
でも戦後の急激な変化は人々の意識を大きく変え過ぎた。
能力が家柄に変わる判断基準になった反動で『能力の低い者を蔑んで良い』という風潮が出来つつある。
長年に渡って身分制度や女性優遇政策を盾に平民や貴族男性を抑圧する政策を執り続けた反動は人々の心の中に王家への不信を植え付けるには充分過ぎる。
旧弊によって凋落しつつある王家と身分を問わず能力で採り立てる公爵家の立場が徐々に逆転してしまう。
このまま内乱になってしまえば良い方向に変わりつつあるホルファート王国の体制を根こそぎ破壊してしまう可能性も否定できない。
暴君を討った英雄が民に幸福を齎す王様になるとは限らないのを歴史学の授業と自主勉強で私は嫌という程知った。
平民でありながら聖女になった私は否が応でも目立つ存在。
そんな私に急速に接近してくる公爵家に危機感が募る。
また人がたくさん死ぬかもしれない。
二度に渡る戦争で人々の心は荒み、街には職を失った職人、身分を剥奪された貴族、退役を強制された軍人が溢れ国内の治安と経済は低迷したまま。
そうした状況で苦しむのはいつも貧しくか弱い平民の人々。
苦しむ人々を助けたくて色々な活動をした。
内心で私を蔑んでいる神殿の上層部も人気取りの為に協力せざるえない。
聖女に就任してからはある程度の裁量権が持ったので最大限に活用させてもらった。
そうして三年が経った頃には人々からの多少の信頼と私を世間知らずの偽善者と罵る人の憎しみと私を信じてくれる大切な人達を得た。
漸く何かを出来るようになったと思った私自身は全くの無力。
公爵家との関係を強化したい大神官様に表立って逆らう事も出来ず、国政に携わる貴族の人達からは平民出身の小娘と侮られ、王家と公爵家の争いを止めようとしても何一つ解決策が思い浮かばない。
何も見えない夜道を手探りで歩くみたいに私は先の分からない不安に蝕まれて王国や神殿の思惑に逆らえないまま言い渡されたスケジュールを熟す日々を送る。
雲海をかき分け進む私の乗った飛行船は神殿が所有するだけあって快適な空の旅を提供してくれる。
神殿は存在自体が権威の象徴として人々の崇敬を集める事が優先される。
やたら華美な装飾で彩られた最高級の飛行船、厳選された材料を鍛冶職人が丁寧に加工した神殿騎士の武装、平民出身の私より見目麗しく家柄の良い貴族の家に生まれた女官。
そのどれもが過剰とも言える程の手間と資金をかけられ、少しでも相手を威圧し優位に立とうとする本性が滲み出ていた。
これでも戦争前と比べたら大分規模が縮小したと耳にした時は愕然とした。
ホルファート王家にとって神殿は王権の正当性を保障する為に粗略に扱えない存在。
神様や聖女を崇めると同様に人々が王家に対して崇敬されるよう演出する舞台装置。
そして私もまた王国の存続の為に人々からの信頼を集める為に作られた生きている偶像。
そう考えると思わず溜め息が口から洩れる。
「オリヴィア様、何か気になる事がありましたか?」
紺色の髪の女性が私に声を掛けてくれた。
彼女は私の補佐を担当してくれる女官。
聖女になった私のささやかな成果の一つが神殿に所属しようとする人々の増加。
立身出世を望む人も多いけど中には私が行ってきた慈善活動で知り合って積極的に私を助けようとしてくれる人も居る。
戦争によって没落した貴族も居るし平民も居る。
マリエさんもそうだし、彼女もそうした内の一人。
彼女は学園で私にいじめを行った貴族令嬢の取り巻きだった。
その貴族令嬢の実家は空賊や王都の腐敗貴族と癒着して様々な非合法な悪事に手を染めていたが、私達の活動によって真実が明らかとなり取り潰された。
そして彼女は実家から放逐され、学園が休校になった後は行方知れずとなっていた。
彼女と再会したのは数年後、病に倒れ骨と皮だけに痩せ細って元貴族と思えない程にみすぼらしい姿になった彼女が担ぎ込まれた救貧院へ慈善活動で私が訪れたのが切っ掛け。
私の存在に気付き彼女は気まずそうにしていたけれど、私が何も言わず回復魔法を施すのを繰り返していたある日救貧院から姿を消した。
そして数ヶ月後の神殿には私の補佐を担当する新人女官になった彼女が其処に居た。
「ちょっと考え事を。到着までどれ位ですか?」
「一時間もありません。そろそろお召替えの準備を」
そう告げられて鞄を差し出される。
中には式典などで用いられる聖女専用の服が丁寧に畳まれて収められていた。
幾度となく着た服装だけど未だに体に馴染む気がしないのは私が平民出身だからか、それとも人に褒められるのが苦手な私の性格が原因なのか。
着付けを手伝ってもらって華麗な衣装に身を包まれるが鏡に映る自分の姿は服装と中身が不釣り合いだと笑われる芸人みたいに滑稽だった。
扉を叩く音がしてそちらを振り返ると十代後半に見える背が低い少女が入室してきた。
「カーラさん、オリヴィア様の準備は?」
「着替えが今終わった所です、後は装飾だけ」
「じゃあ始めますか」
そう言って彼女が持ち出したのは金属製の大型ケース。
例え鎧による攻撃を受けても中身は損傷しないというのが謳い文句の特殊金属を加工して作られ幾重にも鍵が施されている。
解錠番号を合わせ、神殿から預けられた数種類の鍵を差し込んでゆっくりとケースを開く。
中に納められているのは金属で作られた首飾りと腕輪と杖。
それらの装飾はかつて初代聖女が身に纏ったと言い伝わる品々。
ゆっくりとケースから取り出したそれらを身に纏うと私という存在が希薄になるような錯覚を覚えます。
此処にいる私は平民のオリヴィアではなく、ホルファート王国の聖女オリヴィア。
目的に到着した飛行船はゆっくり速度を下げ着陸態勢に移る。
窓から見える異国の風景は在りし日の栄光と失われた国家の威信を物語っていた。
嘗て此処には周辺国から一目を置かれる国が存在していた。
聖樹によって齎される魔石は貴重な資源として各国に輸出され人々はその栄華は永遠に続くと誰もが思い込んだ。
事態が急変したのは約二年前、大貴族達の合議制によって国家の運営が決められていたその国で大貴族同士の意見の対立が切っ掛けとなり血で血を洗う内乱が勃発した。
驕り昂った大貴族は決して引かず相手を族滅するまで終わらない抗争に発展、昨日までは手を取り合っていたのに今日には騙し討ちを行うという泥沼の状態によって僅かな期間に国は荒廃する。
そんな人々に愛想が尽きたんだろうか?
国を守護していた聖樹は力を急速に失い、その恩恵にあやかっていた人々は自らの国の崩壊に絶望した。
そんな事態を収めたのは新たな聖樹の加護を受けた巫女。
周辺国からの援助を取り付けた巫女の活躍によって大貴族同士の争いは終結し、誰もが国の崩壊を覚悟していた状況はあと一歩の所で止まる。
その国の名はアルゼル共和国、沈まぬ陽と讃えられた大国の残滓。
私が共和国を度々訪れるようになったのは王国上層部と神殿の意向が原因だった。
共和国の争乱に介入して何らかの利権を手に入れたいが他国の追及は避けたい上層部、聖女である私の名を広める事で権勢を強めたい神殿の思惑が絡み聖女に就任して日の浅い私が共和国への派遣が決定した。
仲間達と一緒に共和国の争いを鎮める為に奔走したのが昨日の事のように思い出せる。
その過程で私は聖樹の巫女と個人的に親しくなり、今では彼女と私の関係は遠い国にいる友人と呼べる位に仲が良い。
ホルファート王国は援助を盾にアルゼル共和国の内政に干渉するようになった。
国家として正式な要請はホルファート王家が共和国の大貴族に対して使節を送るが、聖樹の巫女に対して行われる干渉は私に一任された。
新しい聖樹の加護を受けた巫女に非礼を行い損害を出すのなら警戒心を持たれていない友人である私に任せた方が確実と判断されたのがその理由だ。
今日の来訪は数ヶ月に一回行われる聖樹に関する報告の受理と久しぶりに会う数少ない私と友人の気晴らしが目的だった。
船内が慌ただしくなる中で私達は部屋で声を掛けられるまで待ち続ける。
カーラさんが私の服装を整える真横でマリエさんが護身用武器の手入れを行う。
流石に来訪した使節を襲う人達がいるとは思えないけど油断は出来ない。
アルゼル共和国の人々にとってホルファート王国は亡国の危機に付け込んで内政に干渉する目障りな存在だ。
国を想う心は時に暴走して争いを巻き起こすのを私はこの数年間で嫌という程に知った。
船内の喧騒が落ち着き始めた頃に扉が数回ノックされエルフの青年が入室した。
彼は私が個人的に雇っている従者。
『聖女が奴隷を持つとは』と私を批判する人も存在するが、私は彼を奴隷として扱った事は一度も無い。
少なくなったとはいえ私を悪し様に罵る、聖女に相応しくないと思い悪意を以って接してくる人は今でも存在してる。
自衛の為には信頼できる人々を味方に付け常に安全を図らなくてはならない。
「護衛の用意が整ったと言われました」
「分かりました。取りあえずカイル君は船内で待機、マリエさんとカーラさんは同行してください」
カイル君が不満そうに顔を歪めるけど彼はあくまで私が個人で雇った使用人だ。
公的な場に同行できないし、そもそも王国内は未だに亜人種に関して差別意識が根強い。
そうした風潮を変えようと努力しても微々たる成果しか上げられないのが現状。
最近は自分の無力感に圧し潰されそうになる。
どんなに聖女とと讃えられても私に世の中を良い方向へ変える力なんて無い事実を毎日突きつけられる。
「オリヴィア様、どうなされました?」
気付かない内に物思いに耽ってしまったらしい。
心配そうに私を見つめる二人の視線にぼんやりしていた意識が戻って来た。
「何でもありません、行きましょう」
心中の不安を誤魔化すように頭を振って歩き始める。
このままじゃ与えられた仕事はもちろん、これから会う聖樹の巫女にも礼を欠いてしまう。
迷いを振り払うように背を伸ばし姿勢を整える。
飛行船の昇降口には既に護衛の神殿騎士達が整然と並んでいた。
その先の開けた場所には何人もの護衛に囲まれ私とは違う装飾に彩られた服を身に纏う女性が佇んでいた。
一歩、また一歩と足を進め聖樹の巫女に近付く。
神殿騎士の視線と共和国の護衛の視線が絡みついて私を見つめていた。
私の一挙手一投足がホルファート王国代表としての品格を判定されてしまう。
片手に持った杖を地面に突き立て膝を曲げゆっくりと聖樹の巫女に拝礼を行う。
「聖樹の巫女様におかれましてはご壮健のご様子、何よりと存じます。聖女オリヴィア、ホルファート王国より参上仕りました」
本来ならばアルゼル共和国に多大な援助を行っているホルファート王国は政治的に優位な立場なのだから畏まる必要は無いという人々も多い。
けれど、そうした傲慢が憎しみを招き争いの火種になった事を私は身を以て知っている。
何より異国の地にいる友人に横柄な態度を取りたくはない。
「遠路はるばる聖女殿にご足労おかけし誠に恐縮です。聖樹の巫女ノエル・ベルトレ、アルゼル共和国の民を代表し聖女オリヴィア様に改めて御礼申し上げます」
格式ばった挨拶が終わるとすぐ近くに見える施設へ案内される。
まだ新築特有の匂いが漂う施設は新しい聖樹の研究機関。
この場所で聖樹の巫女が中心となって新たな聖樹の苗を育成し、今後のアルゼル共和国の行く末を担う様々な活動が行われていた。
「これより先は関係者以外立ち入りを禁じます、どうぞ外でお待ちください」
聖樹の巫女が毅然とした態度で神殿騎士達に待機を促す。
外交に於ける守秘義務を盾にされては大人しく従うしかない。
やや不服そうな顔をしつつも神殿騎士は大人しく従い施設の外へ向かった。
灯りに照らされた廊下を歩き貴賓室とネームプレートが貼られた部屋の前で立ち止まる。
ゆっくりと扉が開き室内に通された。
簡素な内装だけど室内は広く来客用のソファーやテーブルは最高級の品だとは分かる。
貴賓室には聖樹の巫女、私、マリエさん、カーラさんの四人だけだ。
「あ゛ぁ~~、本当に疲れた~」
動物の唸り声みたいな声が響き渡ると聖樹の巫女は帽子や上着を脱いで近くのソファーへ放り投げる。
「皺になりますよ」
「どうせ普段は着ないから問題ないわ、そもそも友達が訪ねて来るのにこんなの着てたんじゃ全然寛げないでしょ」
巫女が綺麗に結われた髪を解くと金色と桃色が混じった髪が波打ち服に被さる。
さっきまでの威厳ある聖樹の巫女と同一人物とはとても思えない。
彼女はいつだって勝気で快活、私とは大違いの性格だ。
「ほら、みんなも座って座って。流行りのお菓子とかお茶とか用意しておいたから早速食べよう」
「ノエル様、オリヴィア様と私達は一応仕事で共和国に来たんですけど」
「固いことは言いっこなしよマリエちゃん、数時間しか会えないんだからさっさと仕事終わらせよう」
「聖樹の巫女として良いんですかそれ?あとちゃん付けは止めてください」
「あたしなりの親愛表現だよ。そろそろ共和国に来る決心はついた?マリエちゃんなら大歓迎するんだけど」
「ありがたいお言葉ですが私はオリヴィア様の専属です」
二人の応酬を見ながら私とカーラさんは苦笑する。
彼女ノエル・ベルトレこそ聖樹の巫女。
アルゼル共和国の争いを鎮め聖樹の加護を受けた世界で唯一の存在。
そして私の大切な友達だった。
「数値上はプラス方向の変化、成長速度は僅差の範囲内ね」
「魔素の吸収率はどうなんですか?」
「少しずつ上がっているわ。それでも魔石を生み出すまでにはあと数十年はかかりそうね」
「あんまり王国へ良い報告を出来そうにありませんね」
「普通の樹木でも安定して実を収穫できるまで十年はかかるから仕方ないですよ」
女性がお菓子をつまみお茶を飲みながら話す光景にしては些か話の内容が重大過ぎる。
アルゼル共和国に対するホルファート王国の支援は成長した聖樹が生み出す魔石を他国より多く配分するという名目で行われている。
新しい聖樹がどれだけの魔石を産出するか分からない現状ではファンオース公国との戦争で疲弊した国内への支援を優先させるべきという考えが根強い。
そうした風潮を変える為に私を経由して定期的に聖樹の報告をしているけど芳しいとは言い難い。
「聖樹以外で何か技術や産業を興すのは無理なんですか?」
「共和国は聖樹に依存してたから無理ね。他の国から工場とかを移転してもらおうとしたけど自分の国でやった方が安上がりって断られたわ」
「わざわざ共和国で作る意味がありませんものね」
「あと今まで他国を偉そうに見下してたのも悪いですね。ぶっちゃけ評判悪いですよ共和国」
「助けてリビア!マリエちゃんがひどい!」
マリエさんの忌憚ない意見にノエルさんが涙目になる。
私としても何とかしてあげたいけど共和国の印象が悪いのは今更変えようがない。
「いっそ完全に帰順するって方法はダメなんですか?」
「そうすると魔石の独占したって他の国から責められるよ」
「王国は公国との戦争で疲弊しています。戦争になってまで共和国を助ける理由が無いんです」
「八方塞がりですね」
カーラさんの提案は王国がまだ衰えていない頃だったら有効だった。
けれど今の王国は問題を抱え過ぎている。
吸収された公国に加えて共和国まで取り込んだら許容範囲を超え王国自体の存続が危うい。
それに加えて王国上層部にも不穏な空気が流れている。
王家と公爵家の争いが表面化すればもはや支援どころではなく国を割っての争いになってしまう。
私の考えが伝播したのかマリエさんとカーラさんも顔を強張らせる。
「どうしたの?何かあった?」
訝しむノエルさんに真実を伝えるべきか否か逡巡してしまう。
王国の趨勢は共和国の未来を左右する。
もし共和国の上層部が王国の内部事情を知れば公爵家の側に付いても不思議じゃない。
大切な友人が私達と対立する立場になった場合を考えたらどうしても口に出来なかった。
「……今の王国は厳しい状況です。内情を知ったらノエルさんを巻き込みかねません」
我ながら卑怯な言い方だとは理解している。
ノエルさんがこの言葉で引いてくれるならそれが一番良い選択肢の筈だ。
「巻き込まれても構わないから喋っちゃいなよ」
「王国の政争に共和国を巻き込む訳にはいきません。下手をすれば支援が滞る可能性だってあるんですよ」
「それならますます知らなきゃダメでしょ。巻き込まれるって言うなら王国の手を借りた時点でとっくに当事者なってるから」
テーブルに置かれた菓子を一つ抓んで頬張るノエルさんの態度は事の重大さを警告しても相変わらずだった。
「いいから話してみなよ、あたしでも何か協力できるかもしれないし」
「……私も話した方が良いと思いますよ」
「何言うのマリエさん」
マリエさんの発言にカーラさんが声を上げる。
声は出さなかったけれど私も同じように驚いていた。
「ノエル様は私達が話すまで諦めないと思いますよ。どうせ巻き込むのなら少しでも良い方法が思いつけるように意見を聞いてみるべきです」
「それはそうでしょうけど」
「アンジェリカ様は話し合いの場を用意してくれると仰ってました。手をこまねいてる時間なんてありません」
「……」
「マリエちゃんは優秀ね、やっぱ
「行きません、諦めてください」
抜け目なくマリエさんを再度スカウトするノエルさんは確かに狡猾な方法を思いつきそうに感じる。
アンジェリカ様と再会してから今日まで悩んでいたけど有効な手立ては今も考え付かない。
他国を訪問してる国の代表として守秘義務に反する行いをするか、それとも友人に現状を話して知恵を借りるか。
悩んだ末に私が選んだのは後者だった。
私の話をノエルさんはずっと黙って聞いていた。
内容を考慮すれば共和国の象徴である聖樹の巫女に話すべきではない。
それでも藁にも縋る思いで打ち明けてしまったのは聖女としての私の弱さだ。
全てを話し終えた後、彼女はずっと貴賓室の天井を見つめる。
何か在る訳じゃない、ただ思考を纏める為に視線が定まった先がたまたま其処だっただけ。
全て話終えて後、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干す。
乾いた喉にはかえってその温さがありがたい。
カーラさんが温め直してくれた二杯目を飲んで漸く心が落ち着く。
同時に私の行動が王国に対する裏切りではないかと思い返して罪悪感が押し寄せた。
「……それで、その公爵は共和国への支援をどう思ってるの?」
「詳しい事は分かりません、公爵様は頼りない王家に国を任せられないと思っていますが外交についてどのようなお考えなのかまでは把握していませんし」
「でも貴族達への人気取りの為に共和国への支援を減らす可能性はありますよ。ただでさえ公国との戦争のせいで王国は財政難になって恩賞も滞りがちですし」
「魔石も産出できない聖樹の成長を数十年も支援するより国内の貴族に報いる方が先決と普通は思いますよね」
「最悪じゃん」
悲鳴に近い叫びを上げるノエルさん。
彼女、いや共和国にとって王国の支援は命綱だ。
これが打ち切られるのなら共和国はもう他の国によって解体される道しか残っていないだろう。
「……実際の所、公爵の考えはそれで本当に正しいの?」
「分りません。公爵様が王家に対して不信感を募らせているのは承知していますが、それがどの程度なのかはご本人にお話を聞くしか」
「待って、リビアは公爵本人と話してないの?子供との縁談まで持ち掛けているのに?」
「何度か催しで同席したぐらいで会話した事もありません。ギルバート様も遠目で見た程度です。何より私はアンジェリカ様の婚約を破綻させた原因ですから嫌われている筈です」
ユリウス殿下とアンジェリカ様の婚約破棄が王家と公爵家の関係が悪化した直接の原因。
その切っ掛けとなった私は公爵家から恨まれて当然だ。
私とギルバート様の婚約話についても公爵家と神殿の思惑が一致しただけで私の意思なんか一切介入していない。
「つまり口も聞いてないし、向こうが何を考えてるかも自分達で考えただけと」
「そうですね、ノエルさんが仰る通りです」
「じゃあさ、公爵とその子供に直接話してみなよ」
ノエルさんの発言の意味が分からず私達は顔を見合わせる。
そんなの考えた事もなかった。
「話した事も無いならさ、もしかしたら交渉の余地があるかもしんないじゃん?本人に直接聞いた方が絶対良いって」
「私は平民の出身です、公爵と面会できる可能性は殆どありません」
「今はホルファート王国の聖女でこうやって代表として
私に忠告するノエルさんの表情は何処までも率直だった。
「話せるうちに話した方が良いよ、これはあたしの経験なんだけどさ」
ノエルさんが空になったティーカップを差し出すと慌ててカーラさんがお茶を淹れた。
カップから立ち昇る湯気越しに見る視線が何処か憂いを含んでるのは気のせいだろうか?
「昔好きな男の子が居たんだ。物心ついた時からの幼馴染。その子はあたしの婚約者でね。大好きな男の子と将来結婚するんだって思い込んでた幼いあたしは自分が世界で一番幸せだと信じてたの」
ノエルさんは気安い態度から勘違いされやすいけれど本当は平民ではない。
平民同然に育ったと話したけど本来はアルゼル共和国でも屈指の名家レスピナス家の出だと本人から聞いている。
お父様が平民出身だったので平民や下級貴族に対しても偏見が無く、そのおかげで私とも友人になってくれた。
「状況が変わったのはその子が死んでから。その子の家は養子を迎えて急にあたしに冷たくなったの。優しかった父さんと母さんは他の貴族に殺されてあたしは貴族じゃなくなって。幼いあたしは随分とその人達を怨んだっけ」
何処か虚ろな笑いを浮かべるノエルさんの身の上話は私達の想像を絶する物だった。
両親に捨てられたマリエさんでもそこまでの体験はしていない。
「共和国で内乱が起きてその人達と対立して、あたしは怨みを晴らしてやろうと心の何処かで思ってたんだろうね。あの人達が国を蝕む悪党だって信じ込んでた。全てを知ったのはあの人達が死んだ後」
「何があったんですか?」
「あの人達は共和国をどうにかしようと必死に足掻いてた。腐敗した貴族達と対立してまでこの国が正常になる道を模索していた。あたしなんかよりずっと真っ当な心の持ち主だったんだ」
その人達が誰だか察しはついた。
共和国での戦いで最後まで抵抗した貴族の人達。
彼らの一軍が精強だったのは士気の高さはもとより国を想う気持ちの顕れだったのだろう。
「最悪だったのはあたしの両親が全ての原因だって事実。母さんは婚約者だったあの人を裏切って父さんを選んだ。そのくせ恥知らずにも男の子とあたしを婚約させて利用する気満々だった。男の子が死んでからあの人達が冷たくなったのも父さんと母さんが婚約破棄を一方的に主張したから」
その行動のついて私達は言葉を紡げない。
貴族の関わり合いは家の利益が絡む物だからこそ何より信用が重視される。
ノエルさんのご両親の行動はとても褒められた物じゃなかった。
「何より滑稽なのは両親が殺された原因は自分達が聖樹を支配しようとしてた事実をあたしは知らなかったんだ。聖樹はこの国にとって何より重要なのに、それを独占しようとすれば他の貴族達に殺されて当然だよね。あたしが生き延びたのはあの人が『子供に罪は無い』って庇ってくれたおかげなのに両親の仇だって信じ込んでた」
そんな事情があったなんて知らなかった。
ノエルさんが聖樹の巫女として必死に活動しているのは罪滅ぼしの意味もあるんだろう。
「今でも後悔してる。何で話し合わなかったんだって。どうして話し合う事さえ思いつかなかったんだって。もし真実を知ってたら協力できたかもしれない。共和国も崩壊しなかったかもしれない。でも、もう仲直り出来ない。だってあの人を討ったのはあたしなんだから」
嗚咽が混じっている声を誤魔化すようにわざとらしくお茶を啜る音が室内に響いた。
私達も言葉を飲み込むように続いてお茶を啜る。
目元を拭ったノエルさんは照れたように笑いを浮かべてるといつもと同じように明るく振る舞い始める。
「公爵は悪人じゃないの?」
「少なくても汚職や賄賂や横暴とは無縁ですね」
「堕落した貴族を一掃したのは王妃様と公爵の働きが大きいかと」
「王様になって贅沢したいってダメな奴じゃない訳ね」
「愛国心は人一倍強い御方です」
だからこそ私の言葉を聞き入れてくれるとは思えない。
私とはあまりに積み重ねてきた年月と信念が比べ物にならないほど重厚過ぎる。
交渉の余地が殆ど残っていない。
「じゃあ、そんな皆に私からの特別プレゼントを披露しますか」
立ち上がったノエルさんが部屋の隅に置かれた金庫から何かを取り出した。
テーブルの上に置かれたのは数冊の本。
「これは?」
「ここ最近の共和国で起きたいろんな問題の資料。物価の推移、犯罪率の増減、入国者の傾向、起きたトラブルの原因と結果、その他諸々のデータを私と仲間達が纏めたんだ」
軽く目を通したけれど内容はとても分かりやすく纏まっている。
同時にこんな重要な資料を見せてくれるノエルさんの意図が分からず困惑する。
「共和国で起こった問題を調べたんだけどさ、ちょっと怪しいデータが出て来たんだよね」
「それは何なんですか?」
「それを
悪戯っ子のように楽し気に体を震わせ私達の手から資料を奪うノエルさんを見て嘆息する。
これは交渉。
友人と言えども政治が絡むのなら割り切る他にない。
「私より王国の使節に渡した方が有効に活用できると思います」
「一方的に巻き上げられて終わりだよ。あたしと対等に話し合ってくれるのはリビアぐらいしか居ないし。少しでも良い条件で取引がしたい」
「私に王国の政治を決定できる権限はありません」
「でも交渉の窓口にはなってくれるでしょ?其処から先は
答えるノエルさんの瞳は力強い光が宿っている。
ふと、弱りきった今の私を振り返る。
いつからこんなに悩むようになったんだろう?
前の私はもっと精力的に聖女の務めに励んだ筈なのに。
権謀術数が渦巻く宮廷の駆け引き、聖女を崇めながら利用する事を躊躇わない神殿、公国との戦争で散っていた人々に対する罪悪感。
悲しいまでに私に出来る事が微々たる物だから弱気になっていた。
私を信じてくれる人達がいる、ホルファート王国の為に我が身を惜しまず行動する。
漸く私は聖女に就いた時の初心を思い出せた。
気付けに思いっきり自分の両頬を叩くと快音が部屋に響いた。
驚いたマリエさんとカーラさんが私を見つめる。
大丈夫だ、私にはまだやれる事が沢山ある。
「誰との交渉を望みですか?」
「王妃様、って言いたい所だけど流石に無理だよね。外交担当者と財務担当者に交渉できれば良い」
「交渉の内容は?」
「共和国へ十年単位で支援の確約。出来れば書面にして正式に締結させたいわ」
「分かりました、交渉の席について貰えるように頼みます。ただ成功するとは断言できません」
「その辺は承知してるよ。これはプレゼントって言ったでしょ。少しでも共和国が立て直せるようにやれる事は全部やり尽くしたいんだ」
何処か晴れやかな気持ちで私達は微笑む。
今の私はノエルさんに対して友情ではなく同じ志を持つ人に対しての敬意を感じている。
「あ、あとマリエちゃんが共和国に来てくれると嬉しんだけど。主に私が」
その言葉に六つの瞳が彼女に向かう。
自分が取り引きの材料にされていると気付いたマリエさんの顔が徐々に青くなる。
「勝手に決めないでください!!」
私達は大きな声を出して笑い合った。
聖樹の巫女ノエル登場。
頼りがいのある乙女ゲー主人公としての側面を出す為にかなり強かになっています。
原作に於いて全く別タイプの主人公としてオリヴィアと対比させました。
カイルやカーラは救ってくれたのがマリエではなく乙女ゲー本来の主人公であるオリヴィアのイメージです。
ラウルト家の面々がひどい事になってるのは乙女ゲー設定です、私のせいではありません。(またかい
ラウルトリオンを生かそうかと一瞬悩みましたが、そうなるとノエルが乙女ゲー主人公にならないので死亡確定。(無常
アルトリーベ世界は本当に厳しいです。
追記:依頼主様のおかげで実靜様、ruri_様、ばんしぃ様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
実靜様https://www.pixiv.net/artworks/111689537
ruri_様https://www.pixiv.net/artworks/111726163
ばんしぃ様https://www.pixiv.net/artworks/111765772(成人向け注意
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。