婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第33章 答え合わせ

 世界は死に満ちている。

 いや、私達は自分の周りが生に満ちているから死の存在が遠い物と勘違いしているだけだ。

 

 死はあらゆる者に対し差別をしない。

 健康な者が突発的な事故で病を患った者より先に呆気なく死ぬ。

 腰の曲がった老人が産まれたばかりの赤子よりしぶとく生きる。

 忙しない日々の営みに気を取られ私達は死という誰も逃れられない存在を頭の隅に追いやりやがて訪れるその最期の瞬間を忘れたふりをする。

 別離はいつも唐突で、心の準備すらしていなかった私達は悲しみに暮れる。

 生という存在の尊さを忘れ、それが永遠に続くものだと錯覚し今生きるこの時に伝えなければいけない物を明日へ回してしまう。

 

 永遠に生きたいなどと不遜な考えは持っていない。

 ただ、愛する者達と大過なく共に生きたいだけだ。

 あの人が最期の時に私を見て良い人生だったと思ってくれるように。

 私が最期の時にあの人を見て素晴らしい人生だったと振り返られるように。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「神と聖女の名に於いて護国の戦士達に惜しみ無き感謝を此処に。彼らの魂に安らぎがあらんことを。遺された者の生に幸多からんことを」

 

 聖女が謳う戦没者への鎮魂の祝詞が朗々と晴れた空に吸い込まれていく。

 彼女の口から紡がれる言葉を粛々と聞きながら戦没者への想いを馳せる。

 耳を澄ますと微かに誰かが泣く声が彼方此方からしていた。

 俯いたまま音の方角へ顔を動かすと喪服に身を包んだ年嵩の女性が、母親に不安そうな顔で抱きつく子供が、声こそ出さないが涙を流し続ける少女がいた。

 その誰もが大切な人を亡くしたのだろう。

 

 戦没者に対する祝詞と故人を偲ぶ泣き声が混じり合い奇妙な葬送曲が出来上がる。

 この慰霊祭は周辺の領地と合同で行われる為に参列者も相当な人数に上った。

 元々は合法的にオリヴィアと出会うという裏事情があったのだが、バルトファルト領の戦没者は他領に比べ少なかった。

 リオンがなるべく兵の損耗を避けようとした結果なのだが、数十人の戦没者の為に王都から聖女を招き大掛かりな慰霊祭を行うのは些か非効率だった。

 それならばと周辺の領主貴族に声を掛けたのだが、王都から聖女が訪れると分かるとこぞって合同で執り行いたいと願う者や出資を申し出る者が殺到した。

 

 その結果として一目だけでも聖女を見ようとする参列者が数百人で訪れる大規模な慰霊祭がバルトファルト領で執り行われる運びと相成った。

 バルトファルト領の知名度を広める為に都合が良い、参列者による経済効果を頭の隅で計算する私は平民を単なる数字として捉えていたあの頃の私と大差ない。

 そう考えながら自分の真横と膝の上を見る。

 愛しい夫と子供が其処に居た。

 リオンは神妙な表情で黙祷を続けている。

 

 私にとっては直接的な関わり合いが少なかった領民達でもリオンにとっては苦楽を共にした部下であり戦友だ。

 リオンに冥福を祈られる戦没者に対し罪悪感とほんの微かな嫉妬が湧き上がる。

 安全な場所で夫の帰還を待ちわび無事を祈るしか出来なかった私が戦場に散った英霊を羨むとは思ってもいなかった。

 この慰霊祭を何処か他人事のように冷めた思考で観察しているのもリオンが戦争を生き延び五体満足で帰って来てくれたからだろう。

 

 自分が愛する者の死を悼み涙を流す者にならなかったのは単なる偶然の産物に過ぎない。

 リオンは決して物語に謳われるような英雄ではなく、いつ戦場の露と消えてもおかしくはない生きた人間だ。

 誰もが功績にばかり気を取られリオン個人の弱さを見ようとしない。

 彼を無理やり戦わせようとする者も、彼の愛に縋り護ってもらう私も等しく卑怯者だ。

 

「彼らの清き魂が神の慈悲によって再び現世に顕れんことを。聖女オリヴィアの名に於いて祈ります」

 

 オリヴィアの体から柔らかな光が発せられ感嘆の声が漏れる。

 私とリオンの膝上に座る私の子も目を輝かせてその光景を見つめる。

 ふと、隣のリオンに目を移すが、先程から表情を変えず黙祷を続けていた。

 彼なりに戦没者に対して思う部分があるのだろう。

 こうしてリオンが生きて私の隣に居てくれる。

 

 そっと自分の腹を撫でて、其処に宿る命の気配を確かめる。

 この命もリオンが死んでいたら存在しなかった。

 誰も私達に注目していないのを確かめてからそっとドレスグローブを脱いで私の手をリオンの手に重ねる。

 確かな感触と温もりが感じられる。

 たったそれだけの事なのに愛おしさで心が満たされ私は幸福感に包まれた。

 聖女の祈りが終わり司会が各方面からの式辞を読み上げているが参列者の多くはオリヴィアから視線を外さない。

 

 相も変わらずオリヴィアは無自覚に人を惹き付けるのが上手い。

 それが長所なのか短所なのか私には判別が出来なかった。

 まぁいい、オリヴィアがこれから進む道はオリヴィア自身が決める物だ。

 私は私の人生を歩む。

 

 今なお王都への未練が全く無いと言えば嘘になるが、この地に生き骨を埋めるのも悪くないと漸く思い始めている。

 少しずつバルトファルト領の発展させるのが当面の最重要課題だ。

 さて、そのバルトファルト領の発展に必要な仕事を熟さなくてはならない。

 死者を悼んだ後は悲しみを拭う為に宴を開くのが古来からの習わしだ。

 葬儀とは死者よりも生者が心の整理を行う意味で執り行われる。

 これを機にリオンとバルトファルト領の風評をより良い物としなくては。

 存外私は強かな女だったらしい。

 さっさと始めてさっさと終わらせよう。

 本当の目的はその後にあるのだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 暫く、とは言っても時間で見ればそれほど経過してはいない。

 来賓への挨拶回りを行い、他愛もない談笑で情報交換を行い、それとなくバルトファルト領の喧伝する。

 宴を取り仕切るのは私達だが主賓は聖女であるオリヴィアだ。

 物怖じせずに笑顔で貴族に対応するオリヴィアは逞しく成長したらしい。

 そうでなくてはこの後の話し合いが有意義な物にならない。

 

「アンジェリカ様、アンジェリカ様」

 

 背後を振り返ると少女が私に縋りつくような視線を送ってくる。

 その両足には私が産んだ双子が抱きついていた。

 

「久しいなマリエ、息災だったか?」

「お久しぶりです。早速で申し訳ありませんがお坊ちゃまとお嬢さまを何とかしていただけますか?」

 

 双子を引き剥がそうとしているが存外に力が強い上に泣き出されたら宴の雰囲気を壊しかねず苦慮しているらしい。

 私の子達は普段なら人見知りする質なのだが理由は分からないがマリエに懐いている。

 我が家で子守り係として雇えば私達の負担も減るのではと一瞬考えつつライオネルとアリエルの頭を撫でた。

 幼児特有のフワフワとした髪の感触が薄いドレスグローブ越しにも伝わり心地良い。

 

「それで、私が出した宿題はきちんと終わらせて来たか?」

「どうでしょう、かなり無理して仕上げたんでアンジェリカ様がご満足していただけるかは保証できません」

 

 テーブルに供された料理を皿に盛りながら呑気に呟くマリエは何処か不安げだった。

 私が一食で食べる量の肉をマリエは一口で食べきって次の肉を皿に盛ったように見えたが気のせいだと思いたい。

 

「オリヴィア様は寝る暇も惜しんで調査を進めました。もちろん私達だって手助けしたんですけど最後までオリヴィア様に適いません。あの細い御身体の何処から気力と体力が湧き上がってくるんでしょう?聖女って体の構造から私達と違う生き物に見えてきました」

 

 或いは歴史や国の命運を左右する傑物とはそんな者なのかもしれない。

 それならば私がオリヴィアに敵わなかったのも必然だったのか。

 心中の迷いを振り払うようにライオネルとアリエルを優しく抱き締める。

 

「アンジェ、此処に居たか」

 

 リオンが些かくたびれた様子で近寄って来た。

 貴族のあしらい方もある程度は手慣れてきたリオンだがそれでも大人数を捌ききるのは未だ無理らしい。

 私とてリオンの手助けをしたいが主宰がバルトファルト家であるなら当主とその妻が別々に挨拶回りをした方が手っ取り早い。

 何より正妻である私のが側に居ない隙を狙ってリオンに近付こうとする輩を遠巻き観察できる。

 娘やら妹やらを紹介する領主貴族や自ら進んで懇意になろうとする令嬢達には要注意だ。

 バルトファルト領の資産か、或いはリオンの才能が目当てか。

 本気でリオンに好意を抱いているなら質が悪い。

 

 リオンは私の夫だ、妊娠した妻が居ない間に寵愛を得ようとする卑劣な女を近付ける気は毛頭ない。

 これは貴族の妻として当然の責務だ、悋気などではない。

 決して、決して子供を産んでから夫婦の時間が減ったからとか妊娠して閨の回数が減ったからではない。

 

「もう少ししたら宴を終わらせるぞ。その後は聖女様をうちへ招く」

「わかった、準備はほぼ終わっている。マリエ、オリヴィアに伝えて欲しい」

「ふぁあひあひた」

 

 口一杯に料理を頬張りながら喋るな、リスか貴様は。

 料理を飲み込んだマリエは素早く私達の前から退散すると人混みの中へ消えて行く。

 

「今の子は?」

「オリヴィア付きの女官だ、以前バルトファルト邸を訪ねてオリヴィアと話し合って欲しいと頭を下げられた。今日の催しは彼女が原因だな」

「ふ~ん」

 

 何気なくマリエが向かった先を見つめるリオン。

 気付いた時にはリオンの足の上に私の足が乗っていた。

 

「アンジェ」

「どうした?」

「痛い」

「そうか」

 

 前言を撤回しよう。

 基本的に私はリオンに近付く全ての女が嫌いだ、これは私自身にすら矯正不可能な部分だから仕方ない。

 なので先んじてリオンに釘を刺しておく。

 

「ああ見えてマリエは私達と同い歳だぞ」

「マジか」

 

 やや引き攣った顔で驚くリオンに子供達を押し付ける、これから先の準備は私が手ずから行う必要がある。

 

「閉会後にオリヴィアと付き添いの者は馬車で移動、バルトファルト邸に休息の名目で数時間は滞在してもらう。賓客用の宿に泊まってもらい明日の昼には此処を発つ」

「たったそれだけの時間で大丈夫なのか」

「提案するのはオリヴィアで私達は判断する側だ。協力が無理と思ったなら速やかにお引き取り願おう」

 

 そもそも公爵家が王位を簒奪しても私達に損は無いのだ。

 私やリオンの政治的な負担が増す事にはなるだろうが、それならそれで私がリオンの政治に疎い箇所を補えば問題は無い。

 それを覆しえる何かが無い限りオリヴィアの目論見は失敗に終わる。

 我ながら意地が悪いと思うがそれが政であり商談という物だ。

 足早に会場を後にする。

 これ以上は心の中で渦巻く嫉妬や憤懣をリオンに見られたくなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「お待ちしておりました聖女オリヴィア様、バルトファルト邸へようこそ」

 

 バルトファルト邸の門前で粛々と歓待のこの場を述べる。

 反りが合わない者、嫌っている者、家ぐるみで争っている者が相手でも感情を圧し殺し表面上は笑顔を浮かべ応対するのは貴族としての必須技能だ。

 傍から見ればかつてと敵対した相手が嫁ぎ先を訪ねて来て首を垂れるという屈辱的な光景だ。

 たとえオリヴィアが善人でもあっても負の感情という物はどうしても湧き上がってしまう。

 この場にリオンが居なければ正直やっていける自信は無かった。

 

「当主リオン・フォウ・バルトファルト子爵です。はじめまして聖女オリヴィア様。この度はご来訪いただき光栄に思います」

「妻のアンジェリカ・フォウ・バルトファルトです。多忙のなか当家へご足労いただきありがとうございます」

「お招きいただきありがとうございますバルトファルト卿。神殿を代表してお礼申し上げます」

 

 

 決まりきった社交辞令を口にして頭を上げるとにこやかに笑うオリヴィアと折り目正しく応対するリオンが目に映る。

 一人一人丁寧にバルトファルト家の面々をオリヴィアに紹介してゆくリオン。

 面白くない、全く以って面白くない。

 人目があるから我慢するがオリヴィアに遜るリオンを見るのは苦痛だ。

 そもそも初めて出会った頃から私はリオンに令嬢としてきちんと扱われた記憶が無い。

 私は可愛げの無い女である事実は自覚しているが、私だってリオンに笑顔で対応して欲しいのだ。

 閨であれだけ情熱的に私を口説くリオンの睦言よりオリヴィアへの社交辞令の方に気合が入っているように見えてしまう。

 

「邸内をご案内いたします」

 

 張り付いた笑顔を浮かべリオンとオリヴィアの会話を打ち切る。

 これ以上は私が我慢できそうにない。

 オリヴィアの付き添いはマリエとは別の女官が一人とエルフの使用人が一人、神殿騎士達はバルトファルト邸の周囲を固める。

 神殿から出た時は常に護衛が付き纏うらしい。

 以前にミレーヌ様と共に私に会いに来た時はどんな策を用いて抜け出したのか。

 マリエが優秀なのか、それ以外の付き添い達も有能なのか。

 執務室の扉の前で振り返る、オリヴィアと付き添いの三人は離れようとしない。

 問いかけるようにオリヴィアを見つめた。

 

「みんな私に協力してくれた人達です、同席するのを許してください」

 

 どうやら拒否するのは無理らしい。

 私は溜め息を吐いて執務室の扉を開けた。

 執務室の内装はオリヴィアが来訪する今日の為にいつもとは違う趣にわざわざ誂えた。

 来客用のテーブルとソファーをわざわざ取り寄せたし、念入りに掃除も済ませ、用意してある菓子や茶も近隣の領地で人気の銘柄だ。

 気に食わない相手とはいえ手抜かりがあれば即座に其処を突かれるのが貴族社会という物だ。

 私の懊悩を他所にリオンは四人に席を勧める。

 オリヴィアが一人用のソファーに座り、私とリオンは同じソファーに座る。

 複数人用のソファーにはマリエともう一人の女官、エルフの使用人は着席しない。

 

「あらためて自己紹介させていただきます、オリヴィアです」

「オリヴィア様付きの女官マリエです、仕事はオリヴィア様の護衛やらお世話やらいろいろやってます」

「同じく女官のカーラです、主にオリヴィア様のお世話と仕事のお手伝いをさせていただいてます」

「使用人のカイルです、僕はまぁオリヴィア様に個人的に雇われた使用人で。荷物持ちとか護衛とかその辺の肉体労働担当」

 

 自己紹介が終わり四人の顔を観察する。

 一癖も二癖もありそうな面々だがこれからの話を聞いて口を噤む覚悟はありそうだ。

 

「リオン・フォウ・バルトファルトです、よろしく」

「よろしくお願いしますバルトファルト子爵」

「そう畏まらずに、何せ数年前に叙位されたばかりの平民同然だった似非貴族なもんで」

「私も平民出身ですからお気になさらないでください」

「……アンジェリカ・フォウ・バルトファルト、宜しく頼む」

 

 にこやかに談笑を始めるリオンとオリヴィアの間に割って入る。

 何を親し気になってる貴様ら、呑気な茶会をしに来たわけではあるまい。

 これ以上ストレスを溜め込みたくはないので強引に話を進めよう。

 

「それで、聖女殿はきちんと宿題を終えて私が納得できそうな答えをご用意してきたか?」

 

 敢えて傲然とした態度と微かに怒気を含んだ声でオリヴィアの反応を窺う。

 これは試しだ、怯えて交渉に失敗する程度の覚悟ならそもそも此処へは来ないだろうが。

 

「いろんな人達に協力してもらってギリギリまで考えました。アンジェリカ様に納得していただけるかは分かりませんが」

「まさか二ヶ月も経たずにバルトファルト領を訪れるとは思わなかった、逆に此方が周辺の領主貴族を招待する為に苦慮するとはな」

「申し訳ありません、予定をかなり切り詰めて無理やり捻じ込みました。そうしないと手遅れになりそうだったので」

「急いだからといって私は手心を加えるつもりはない」

 

 オリヴィアがカイルに視線を送ると持って来た鞄を開け中からさまざまな物が取り出された。

 書類、地図、筆記用具、色が塗られた加工石等々。

 テーブルの上に地図が敷かれ次々に加工石が並べられてゆく。

 よくよく見れば地図は細かい記入がされているし書類には付箋が挟んである。

 準備を終えたオリヴィアは力が籠った目付きで私を見つめる。

 その視線は真っ直ぐで前に会った時と違い全く物怖じしていなかった。

 

「内乱と戦争の気配があります。今ホルファート王家とレッドグレイブ公爵家が争ったら国が亡びます」

 

 オリヴィアらしからぬ物騒な物言いだ。

 いや、私が知っているオリヴィアは学園に在籍していた頃に見かけた特待生の大人しいオリヴィアだ。

 戦場に赴き聖女として崇められているオリヴィアではない。

 

「最初に気付いたのはアルゼル共和国を訪ねた時です。今の共和国は復興の真っ最中なんですけどいろんな所で揉め事が頻発しているんです」

 

 テーブルに置かれた地図上のアルゼル共和国を指差す。

 どうやら印が付いた所が暴動が起きた土地らしい。

 軽く数えただけでも二十は下らない。

 カーラが複数ある書類の束から一つを取り出してオリヴィアに手渡すと付箋が挟んであるページまで捲り私達の前にその書類を置いた。

 

「共和国は内乱が起きて崩壊しました。今では物資が足りてなくて各国の援助無しには立ち行かないぐらい疲弊しています。貴族とそれ以外の人達の争いが激しくて問題が起きる度に暴動が起きてる状況です」

「それが王国と何の関係がある」

「今のホルファート王国はファンオース公国との戦争で疲弊しています。その隙に乗じて王国内をかき乱して更に弱らせようとしている人達がいます」

「具体的には?」

「ラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国、或いはその両方です」

 

 思わず舌打ちが零れた。

 聞き及んだ話では今のアルゼル共和国は聖樹の加護を失って国家として疲弊している。

 近隣諸国はそのアルゼル共和国の国土を虎視眈々と狙っていたが聖樹の巫女の存在がそれを食い止めた。

 聖樹から産出される魔石こそ共和国の要だったが聖樹無き共和国など外交するに値しない。

 

 近隣諸国は共和国が内乱で弱りきった後に軍事介入する予定だったが聖樹の巫女は新たな聖樹の存在を公表し王国に協力を取り付けた。

 王国を頼ったのは軍事力に於いてはホルファート王国が頭一つ抜けていたからだ。

 数十年後、或いは数百年後に成長した新たな聖樹から産出される魔石を優先的に王国に回す事を条件に内乱の早期終息と援助を王国から勝ち獲った。

 

 気に入らないのは近隣諸国だ。

 静観するつもりがホルファート王国に出し抜かれる形で軍事介入を許し、結果としてただでさえ減っていた共和国から回される魔石の総量が更に減少した。

 それでも国際情勢の建前ではホルファート王国を糾弾できる大義名分が無い。

 唯一その状況に異を唱えたのがファンオース公国だ。

 結果としてファンオース公国は敗れホルファート王国の一部として併合されたのが今回の戦争の結末。

 いや、五年前の戦争で引き分けのまま講和を結んだ公国が単独で王国に戦争を挑むとは考え難い。

 裏でラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国と密約が交わされても何らおかしくはなかったのだ。

 

「だが共和国の諍いに神聖王国か帝国が介入していると考えるのは些か早計では?人は都合が悪い状況だと自分が原因とは思わず外に瑕疵を求めがちだ」

「それについてはこっちの資料に書いてあります」

 

 マリエが次の書類をオリヴィアに手渡す。

 こちらは開かれたページの所々に記入跡や斜線が引かれていた。

 

「共和国内で発生した騒動のデータです、王国と共和国の戦争が起きた直後から数倍に増加しています」

「王国、或いは公国から共和国へ逃げた民衆が起こしたトラブルの可能性は捨てきれないぞ。戦争が起きればどうしても周辺国の治安が悪くなる」

「確かに戦火から逃げた人達による問題は起きています。でも共和国の人達が起こした暴動はその数十倍なんです。そして暴動に加わった人達は原因が『王国による圧政』と主張しているんです」

「王国の圧政だと?馬鹿も休み休み言え。王国は確かに共和国の内政に干渉こそしているが統治は全て共和国に一任している」

 

 確かに援助の名目で人材を派遣し共和国内の状況を逐一報告させ、便宜を図ってくれる者を外交の担当にするように要請してはいる。

 だが共和国の内政へ直接的な干渉は行えない。

 行えばホルファート王国によるアルゼル共和国の支配としてラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国のみならずレパルト連合王国などの友好国にまで批難されかねないからだ。

 それなのに一方的にホルファート王国が敵視されるのはどう考えてもおかしい。

 

「何よりおかしいのは暴動の主導者がいつも不明なんです。鎮圧された暴動の関係者を逮捕しても主導者だけは見つかりません」

「この提出された資料は信用できるのか?共和国が恣意的に報告している可能性も捨てきれない」

「私にこの資料を手渡してくれたのは共和国の信頼できる然る方です。王国の資料編纂室に協力をしていただき、提出された資料の確認や現地の担当者の証言を伺ってもらいました。内容についてはほぼ事実です」

 

 資料を妄信した訳ではなくきちんと裏付けを取ったか。

 平民出身でありながら特待生となった明晰な頭脳は聖女として活動する間に腹を括った事で補強された。

 大人しそうに見えてオリヴィアはひどく強かでこちらの疑問点を先に潰してくる。

 交渉相手としてはやり難い事この上ない。

 

「リオン、仮に神聖王国か帝国と今戦争になったら勝てるか?」

「無理だな」

 

 私の疑問にリオンは即答する。

 

「公国との戦争で人が死に過ぎた。戦えそうな若い奴らを身分問わず徴兵しても使い物になるまで時間がかかる。何の義理も無いなら俺だって家族を連れて亡命したい」

「私もバルトファルト子爵の意見に賛成です。王家の舟の修復は殆ど目処が立っていません。辛うじて飛行が可能になりそうですが兵装の修復はほぼ不可能らしいです」

「聖女様のおかげで勝てたけどありゃ奇跡みたいなもんですよ。もう一度やれって言われても出来る類じゃありません」

「オリヴィアで良いですよバルトファルト子爵。いちいち聖女様と呼ばれても気が張っちゃいますし」

「なら俺もバルトファルト子爵って呼び方を止めてください、家名と爵位で呼ばれるのは堅っ苦しいんで」

 

 夫として、交渉相手として減点しようかなコイツら。

 私だって婚約してからアンジェと呼ばれるまで数ヶ月かかったのにどうして初対面で気安く声を掛け合っているんだ貴様ら。

 

「私の夫の意見は分かった。聖女の資料も拝見したそれでも王家と公爵家の諍いを止めるには不十分だと思うのだが」

「話はまだ途中です。他国の干渉は既に王国でも行われている可能性が非常に高いと私達は考えています」

 

 リオンを敢えて『私の夫』と強調したが会話の流れ押し切られた。

 隣のリオンを横目で確認するが会話に夢中で私の視線に気付いていない。

 少々腹が立ったのでリオンの尻を抓った。

 何か言いたそうにリオンが私を見るが敢えて無視する。

 オリヴィアが写真が貼られた書類を手渡してきた。

 

「これは?」

「アンジェリカ様なら見て分かる筈だと思います」

 

 随分と挑戦的な発言だな。

 一枚一枚ページを捲り記載されている写真を見比べる。

 写真の人物は全て女性、しかもそのうちの何人かは見覚えがあった。

 身分は様々だが貴族の妻か娘の筈であり、もう一度見直すとある共通点が見えて来た。

 

「全員が貴族階級、そして没落した家の出自だ」

「正解です。より詳しくするなら公国との戦争で裏切った、或いは逃げ出した貴族の妻女です」

「彼女達が何をした?」

「そこは私からご説明します」

 

 私とオリヴィアの会話にカーラが割り込んで来た。

 

「アンジェリカ様、私の顔を憶えていますか?」

 

 ジッとカーラの顔を見つめる。

 先程の自己紹介の時点で彼女に対しどこか見覚えはあった。

 顔の輪郭、紺色の髪、整った体型を判断材料に記憶を一つ一つ照らし合わせる。

 朧気ながらそれらしき記憶を手繰り寄せた。

 

「記憶が正しいのなら学園で何度か見かけたな、会話した事は無かったと思う」

「はい、私の本名はカーラ・フォウ・ウェイン。準男爵家の出身です」

 

 幼少の頃から行われた王妃教育によって私はホルファート王国内全ての貴族の家を記憶していた。

 尤もその記憶は婚約破棄される以前の物であり、二度の戦争によって勃興する家や没落した家の多さ故に些か心許なく、平民と貴族最下位の男爵の間にある準男爵家までは流石に網羅していなかった。

 

「一ヵ月ほど前に王都で貴族を狙った誘拐事件が起きました。犯人の要求は多額の身代金、食料、武器、そして就いている役職の辞任です」

「その誘拐犯は馬鹿なのか?」

「アホだろそいつ。いくら何でも欲張り過ぎだ」

 

 思わず私とリオンの口からそんな言葉が出た。

 貴族は暗闘にも長けてなくては家を存続できない。

 高位貴族になる程に裏での争いに対抗する術を否が応でも叩き込まれる。

 リオンの場合は戦場での捕虜交換や撤退時の交渉で鍛え上げられたのでまた趣旨が違うが。

 相手への要求は簡潔に少ない程に成功率が上げる。

 身代金を増やせば増やすほど、用意させる品が多岐にわたるほど、役職に対する権限を削ぎ落そうとするほど時間がかかり見つかる可能性が飛躍的に上がってしまう。

 

「ご察しの通り貴族は王国に救援を呼びかけました。要求の品を用意すると見せかけて時間を稼ぎその隙に王国軍は捜査を行い誘拐犯を見つけ逮捕しました」

「その犯人が元貴族のコイツらって感じか?やだねぇ、貴族に生まれついたのに盗賊家業に勤しむなんて世も末だな」

「それは偏見ですよバルトファルト様」

 

 リオンに反論したのはマリエだった。

 私はマリエの過去を知っているがリオンは知らない、その差が話題に対する対応の差になった。

 

「飢えれば人は何だってしますよ。盗みも売春も裏切りも人殺しだってやります。私もカーラさんも親に捨てられた貴族の娘です。稼ぐ方法が無い若い女が生き抜く方法なんて体を売るか犯罪に手を染めるくらいしかありません」

「……悪かったよ」

 

 気まずそうに返答するリオン、どうやらマリエの気迫に圧されたらしい。

 

「話を戻します。誘拐犯一味の実行犯は空賊、問題を起こして除隊された元軍人、没落した貴族の男性。ですが首謀者は女性達でした」

「その内の一人は私達がよく知っている人物です。おそらくアンジェリカ様もご存知の人物です」

 

 そこまで答えたカーラの顔は恐ろしい物を見たように青ざめて震える自分の体を抱き締めた。

 あまりの異常さに部屋が気まずい沈黙に包まれる。

 

「カーラさん、やっぱり私から報告した方が」

「大丈夫ですオリヴィア様。これは私の務めです」

 

 恐怖を振り払うようにカーラは人物帳のあるページを開く。

 そのページに記載されている人物に私は悪い意味で見覚えがあった。

 学園に居た頃に何度もその女の顔を見た記憶がある。

 浅学菲才、厚顔無恥、品性下劣、彼女を表す言葉は全て蔑称となる。

 

『ステファニー・フォウ・オフリー伯爵令嬢』

 

 記されていた名を私はよく知っていた。




今章からは基本的にアンジェ&リオン視点の話になります。
王国の情勢は原作書籍8巻の状況に近いです。
学園が休校状態(そもそも時空列が数年後にずれ込んでいる)のでミリアリス、フィン、ブレイブの出番はありません。
ラストに登場のステファニー、登場時点で逮捕後で出番終了のお知らせ。(憐れ

追記:依頼主様によりNoa様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
Noa様 https://www.pixiv.net/artworks/112223139(成人向け・声優ネタ注意

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