婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
恋なんて絶対にしないと思い込んでいた。
男なんていくら取り繕っても結局は私の見た目か家柄しか見ていない。
試しに無理な注文をした所で引き攣った笑い顔を浮かべて誤魔化すか、家柄を武器にすれば無理やり女を従わせられると思い込んでるような男ばかり。
卑屈になって飼い主のご機嫌を窺うような駄犬、力で雌を従わせるボス猿に恋をする人が何処にいるのよ。
ただ自分と対等な人間と付き合いたいだけ。
私は綺麗な服を着せられてガラス箱に飾られる人形じゃないわ。
外見、性格、思考、感情、肉体、魂、性癖。
それら諸々を含めて理解した相手をひたすらに望んでいる。
何故そんな風に考えてしまうのか自分でも分からない。
貴族の家に生まれた女なんて打算に塗れた婚姻をして子供を産むだけの存在だと頭では理解してる。
なのにどうして此処まで今まで縁談を断り続けるのか自分でも分からない。
好きな相手が居るのか?と問われても一人として私の心を揺らす男は居なかった。
感情が欠落している訳じゃないわ。
喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、恐れ、驚き。
それらの感情は確かに私の内にあって理解はしているの。
どうしても男と女の間にある愛情が理解できない。
私を口説いて来る男の顔がどれも同じに見えて口から発せられる声が雑音に聞こえてしまう。
学園の同級生や社交場で和気藹々と恋話する女性の気持ちが理解できない。
ドロテア・フォウ・ローズブレイドとはそんな冷めた女。
きっと誰かを恋い慕う気持ちなんて分からないまま凪いだ心を抱えて生きていくと思ってた。
私だって恋に憧れる程度の女心はある。
淡い期待を秘めて賽を振る、いつの日か止まったマスで思いがけない出会いがあると自分に言い聞かせながら。
時計の針が時を刻む音だけ響き渡る室内で誰もが会話すらせずに来客を待つ。
この場にいるのは屋敷の主であるローズブレイド伯爵とその家族、そして一族に信頼された使用人のみ。
ゆったりと椅子に腰掛けた伯爵とは対照的に、妻と娘達は三人が座っても広過ぎるソファーに身を寄せ合っている。
密集する必要も無いソファーの上で三人が固まっているのは中心に座する令嬢が原因だった。
ほんのりと体全体を上気させ必死に呼吸を整えるように胸元に手を当てる姿は病弱な深窓の令嬢に見えるかもしれない。
肉体的には全くの問題は無い。
ただ歴史に名を遺す名君英雄美姫賢女を破滅させてきた不治の病を患っているだけだ。
息苦しそうに呼吸しながら額や頬に手を添える姿は艶かしくもあった。
「……やっぱり着替えた方が良いかしら」
「落ち着きなさいドロテア、これで何度目だ?」
「四度目になるわねぇ」
些か疲れた面持ちな伯爵と伯爵夫人が朝から娘の着替えた回数を確認する。
あれだけお見合いを待ち望んでいたドロテアは陽が昇らないうちから起き出し、万全を期する為に自ら屋敷と庭を見回った後に、歓迎に用意した品々を確認を終えると、時間をかけて入浴しこの日の為に用意したドレスに身を包んだ。
それなのに一時間も経たないうちに不安に陥ると夢遊病の如く庭を徘徊し、自らの見栄えを確認すると全く別の装いに着替えるのを繰り返す。
曰く『これならニックス様もきっとお気に召すでしょう』
曰く『いえ、数年前まで辺境でご苦労されてたニックス様は贅沢な女は嫌いかもしれないわ』
曰く『成熟した女の雰囲気なら内助の功を期待できると思ってくださるわね』
曰く『年増の若作りに見えちゃう、むしろ若さを全面に出した方が好印象の可能性が高そう』
その度にクローゼットと衣装箱を全てひっくり返す勢いで服を漁り時間をかけ化粧と装いを変える。
ドロテアに付き従う使用人達は見合いの前から既に疲労の極致に達しつつあった。
「お姉様、不安になるのは分かりますが気を鎮めて下さいまし。落ち着きがない女性が嫌われるのは世の常です。ローズブレイド家の娘なら常に優雅な淑女を心掛けなければ」
「ディアドリー、あなたニックス様と同学年だったでしょう!何をお好みか本当に知らないの!?」
「いえ、会話した事さえ無く面識もありませんので……」
「あぁもうッ!これじゃ何をどうすればニックス様に喜んでいただけるか分からないわ!」
恋をする女は誰にも止められない、どんな諫言も火に油を注ぐだけとは巷でよく言われるがまさか姉がここまで当て嵌まるとは思いも寄らなかった。
興奮を抑えきれず騎手を振り落とす荒馬のように今のドロテアが期待と不安で情緒不安定だ。
「もうダメ、ニックス様の事を考えてたらおかしくなりそう!体が火照るし胸が苦しくて眩暈までするわ!」
いっそ鎮静剤や睡眠薬を投与すべきか?
娘に対し恐ろしい考えが頭に浮かんだ伯爵は必死に思い留まる。
既にドロテアは幾つもニックス・フォウ・バルトファルトに無礼な物言いをしていた。
これ以上の醜態を晒す前に部屋へ押し込めた方が不興を買わずに済む。
いや、そんな真似をすればこの情熱がローズブレイド家全体に対する怒りとなって何を仕出かすか見当もつかない。
よくよく見れば手を力一杯に握り締め凍えるように体を震わせている。
其処までか、其処までたった一度だけ会話した相手に恋煩えるものなのか。
些か奇矯な所がある娘だとは思っていたが恋はこうまで女を変えるものなのか。
何度目になるか分からない溜め息をつきながら口煩くドロテアに縁談を急かした己の判断を呪う。
本当に、どうしてこうなった?
『そろそろ真剣に縁談を考えなさい』
戦争が終結し数ヶ月が経った頃から両親が急かすように縁談を持ち込んで来るようになった。
二十歳を超えた辺りから徐々に縁談の数が増えたが未だに縁が無い娘を心配しているのは分かるわ。
名門ローズブレイド家の令嬢でありながら適齢期の終わりが目前なのに未だ縁談を断り続ける私はさぞ珍妙な生き物に見えるのでしょうね。
だけど、これまで見合いの相手に心惹かれた事が一度として無いの。
そもそも人として認知してるかすら自分でも怪しいわ。
どれだけ資産を自慢されても、どれだけ功績を誇られても、どれだけ美貌を見せつけられても何の興味も抱けない。
令嬢達の愛玩動物自慢を聞かされるようでピンと来ない。
諦めるか怒るかの違いはあれど成功しない縁談が続けば巷の噂も悪辣に変わるし、娘の気性に悩む両親に対する申し訳なさだって生まれるの。
だけど、どうしてもダメだった。
自分から社交の場に出向くようになったのは僅かな希望に縋ったのと婚姻を真剣に考えてると周囲に対するアピール。
口さが無い連中は婚期を逃して焦ってると嘲笑っていたが気にも留めない。
どの場でもそれなりに言い寄ってくる男はいたけれ誰もが浅ましい下心を隠し切れない獣しか居ない。
この日の夜会もいつも通りのルーティンで終わる筈だった。
言い寄って来た二人組は金と力を見せつければ女が靡くと勘違いした典型的成り上がり者。
あしらえばあしらうほど食い下がる男達に辟易した頃に一人の男性が近づいて来た。
服の上からも鍛えられた体と判る肉付きに見苦しくはない程度には整った顔立ち。
最低限の礼儀も弁えている事実から下級貴族の出といった所かしら。
まぁ、お礼としてこの夜会の間だけ相手をしてあげても良いかも。
そう思っていたのに彼は私が存在しないみたいに立ち去ろうとする。
はぁ?
ありえないでしょう。
声をかける所か見向きもされない事に猛烈な怒りが湧き上がる。
呼び止めて会話する度に彼の語気が荒くなってゆく。
一方の私は体を駆け巡る未知の感覚に戸惑いを隠せない。
話せば話す程に鼓動が高鳴り懇々と湧き上がる熱が引く事なく全身を覆う。
『他人にどうこう言う前にその捻くれまくった性根を直せクソ女!』
『俺を犬扱いするならお前だって雌犬だろうが!』
『親の爵位を持ち出すんじゃねぇよアホ女!』
『お前の取り柄なんて外見と親の身分だけだ!さっさと家に帰ってパパに泣きついて来い!』
気が付けばいつの間にか走り出していた。
逃げ込むように辻馬車へ乗ってローズブレイド邸へ向かうように命じる。
怒りと屈辱で涙が滲み出し、破裂しそうな頭を必死に抱え今起きた出来事を忘れようと必死になればなるほど鮮明に蘇る。
知らない、こんな感情私は知らない。
誰かに殴られる経験は無く、面罵された事さえ稀。
他人の罵り言葉なんて今まで犬の遠吠えにしか聞こえなかったのに、あの男の言葉だけがずっと耳に残る。
忘れてしまえば楽になるのに私を襲った衝撃は今まで人生で最大の物だからとても忘れられない。
屋敷に到着したと告げられた瞬間、得体のしれない何かに怯えるように手足を動かして自室に戻る。
途中で私の帰宅を待っていた使用人達が何事かと驚く顔が見えたが一切無視して扉に鍵を掛けドレスを着たままベットに飛び込む。
偶々視界に入った枕を引き寄せ何度も拳で殴りつける。
許さない、絶対に許さない!
私を暴言で辱めておきながら無事なまま生かしておくものか!
一生私を忘れないように心と体に消える事のない証しを刻んでやる!
怒りの叫びを吠えながら力尽き意識を失い倒れ込むまで部屋の中を暴れ回った。
夜会から数日経ち怒りも漸く治まった頃、私は一人悩み続けていた。
屈辱的な言葉を吐いたあの男がどうしてか忘れられない。
寝ても覚めてもあの男の事ばかり考えてるのを自分でもおかしいとは思ってはいるのだけど。
瞼を閉じてあの瞬間を思い出すと怒りがすぐに蘇る、なのに一瞬で治まってしまう。
そ れなのに胸に宿った熱はずっと引かず鼓動が高鳴る。
食事量は減り睡眠も浅く気が付けば溜め息ばかりついている。
家族の皆が心配しているのに答えは出ない。
ただ、どうしようもなく全てが億劫で日々を漫然と過ごす。
体調の悪化を侍医に相談したけどろくな回答は無い。
役立たずな医者はクビにした方が良いわね。
ただ、あの男について考える時間だけが増えていく。
あの男、気付かれないように私を呪ったのかのかしら。
そんな私を心配したお父様が新しい縁談を持ち込んで来た。
お父様が何処ぞの貴族の誰それという男の写真を見せ、お母様がその男の特徴を告げるているのにまるで頭に入って来ない。
どれだけ素晴らしさを教えられても全てが色褪せて見える。
「どうかな?先方は乗り気だ、ローズブレイド家の婿としては見劣りする男ではない」
「はぁ……」
「では縁談を進めていいのね」
その言葉を聞いた途端、意識が急速に覚醒する。
縁談?私が?
今までそれとなくしてきた行為が途轍もない嫌悪感を催し全身が震える。
「嫌です!絶対に嫌です!」
「どうしたドロテア!?落ち着きなさい!」
「縁談なんて絶対にしません!これから二度と持って来ないでください!」
「何があったの!?今まで素直に受けてきたでしょう!」
「お姉様、暴れないでください!皆が困ってしまいますわ!」
「私、お慕いする殿方ができましたッ!!」
自分の口から出た言葉が他人の指摘に聞こえた。
言葉の意味を反芻して自分の身に何が起きたのかやっと腑に落ちた。
そうか、そうなの。
あぁ、これが誰かに恋するという感情だと理解したわ。
二十代の半ばに差し掛かって、やっと私に初恋という物が訪れた。
漸く初恋という感情を理解した私に訪れたのは焦燥の炎に炙られる日々。
『その男性は誰なのだ?』と皆に聞かれても答えられない。
あの御方の家柄、何処にお住まいなのか、御名前すらも私は知らない。
立ち振る舞いから貴族として最低限の教育は受けている、お召しの服からそれほど裕福な経済状況ではないとそれとなく察せられただけだ。
どうしてあの時に御名前すら聞かずに逃げ出した自分の愚かさが本当に呪わしいわ。
せめて誰か知っている者が居ないかとお父様に頼んであの夜会に参加したと思わしき者達に尋ねてもらったが満足な成果は得られない。
あぁ、愛しの御方。
貴方はいったい何処の誰なのですか?
せめて今一度、御目文字する御機会を私にお与えください。
貴方を恋い慕うだけ日々に私は狂ってしまいそうです。
投げつけられた言葉を思い出す度に背筋に電流が走ったように身悶えしてしまう。
ダメよ、はしたない真似は。
あの御方はきっとふしだらな女を嫌っていらっしゃる。
私の肉も心も魂すら捧げても惜しくはないのに、愛しの貴方は何処に。
貴方を想うだけの日々がこんなにもつらいなんて、なんて罪作りな御方なの。
そんな日々に変化が訪れたのは半月ほど後にディアドリーと共にお父様に呼び出された時。
いつになく厳しい顔のお父様が大きな冊子を机の上に置いた。
「まずい事になった。レッドグレイブ家から縁談の申し込みが来た」
「お父様、私は縁談を受ける気など……」
「お前の気持ちは分かっている。だからと言って無視する訳にもいかない。今の公爵家は王家の力を凌ぎつつある。手を拱いていてはローズブレイド家の力は衰える一方だ」
「座して死を待つだけなのは性に合いませんわ。ここは恭順とはいかないまでも友好的な姿勢を見せるべきかと存じます」
「その通りだ、筋を通せば公爵家とて強気には出られない。とにかく一度会うだけでも構わない」
「御相手は?ローズブレイド家と釣り合う家格をお持ちでなければ断る理由になりますけど」
「……男爵位だ」
「それでしたら断るのも容易でしょうに。わざわざローズブレイド家が受ける理由はありませんわ」
「その相手は公爵家の娘婿リオン・フォウ・バルトファルトの兄だ。断るには些か厄介な相手になる」
「あの成り上がり者の」
「公爵家はあからさまに我々と手を結ぼうとしている。払い除けるにはそれ相応の力が求められるだろう」
「仕方ありませんわね。お姉様と私のどちらがお相手ですか?」
「それは話し合って決めなさい。ドロテアの心を奪った相手もまだ見つからないからね」
好きな相手が出来ても家の都合で結婚させられるのが貴族の義務であり運命。
物語で悲恋に悩む女達はどうしてこう見苦しいのか分からなかったけれど、今になって心から理解できる。
こんな想いを秘めたまま別の男に抱かれろなんて拷問じゃない。
でも断るには相手が悪過ぎる。
私も妹を差し出してまで自分の恋を貫けるほど人でなしじゃないし。
嫌々ながら置かれている冊子を手に取り開く。
瞬間、私の世界が覚醒する。
その目、その鼻、その耳、その口、その髪。
あぁ、忘れられるものか!
出会えた!
やっと出会えたッ!
麗しの君!
私の愛しい御方!
喜びの咆哮が家に轟いた直後、興奮し過ぎた脳の負荷に耐えきれず私は意識を手放した。
「まさかお姉様の初恋の相手がお見合いの相手だなんて……。偶然にしては出来過ぎでは?」
視線の先に居るドロテアは先程までとは打って変わって落ち着いていた。
胸の前で手を組みながら天を仰ぐ姿は敬虔な信徒にも見える。
「あぁ、神様。この出会いに感謝致します。清く正しく生きていれば必ず報われる時が訪れるのですね。いえ、ニックス様と結ばれるの為に今まで縁談が上手くいかなかったのでしょう。私、喜びのあまり昇天しまいそう」
『『『本気で言ってるの?』』』
その場に居た全員が『清く正しいとは?』という疑問を一斉に抱いた。
同時にこの令嬢に恋い慕われる相手の不遇に同情した。
周囲の視線を無視して、いや気付く事なくドロテアは感謝の祈りを捧げ続ける。
その姿を見る一家はこの縁談の成功率が限りなく低い事実に落ち込んでいた。
特に当主であるローズブレイド伯爵は娘が喜びから絶望へ一気に叩き落され子爵家・伯爵家・公爵家を巻き込んだ争いが起きる未来を予想し絶望の淵に居た。
せめて見合いの相手の弟がリオン・フォウ・バルトファルトでなければ此処まで悩まずに済んだであろう。
あの若者こそホルファート王国に於ける変革の象徴と言っていい。
全ての問題は其処に帰結する。
発端はファンオース公国との戦争、あのひどい戦はこれまで根付いていた王国の価値観を一変させてしまった。
国祖達が冒険者という歴史故にホルファート王国では冒険者の社会的な地位は他国と比べても非常に高いものだった。
冒険で功績を上げ貴族と為り、子々孫々が更に冒険による実績で確固たる地位を築き上げる。
それが王国に於ける理想的成功例であり、その代表といえるのがローズブレイド家だった。
故に貴族は先祖以上の繁栄を求めダンジョンに挑み続けた、それこそ領地の経営を部下に任せ領民を粗雑に扱っても文句が言われない程に。
一方で戦功や商売によって貴族に取り立てられた者は低く見られた。
特に国境近くの小競り合いや空賊退治で成り上がった者に対する嘲笑はひどいものがあった。
ホルファート王国の貴族社会を揺るがしたのはファンオース公国との戦争だった。
いくらホルファート王国に於ける貴族の平均的武力が他国より秀でていても、それが戦の役に立つとは限らない。
突然の侵攻に貴族達は慌てふためき有効な手段を何一つ取れない、酷い者は領民を見棄て我先に逃亡する始末だった。
そんな状況を変えたのは一人の少女、平民出身でありながら敵総大将であるヘルトルーデ・セラ・ファンオースを討った聖女オリヴィアの存在である。
平民が醜態を曝け出した貴族を尻目に志ある者達と団結し国を救う。
厄介な事に別の地では下級貴族の子が敵軍を一時撤退させるという快挙を成し遂げていた。
下級貴族の出身であり平民同然に育ち学園に入学すら叶わず軍に入るしかなかった貴族社会の落ちこぼれ。
そんな十代半ばの少年が部隊を率い傷を負いながらも司令官を討ち取り敵軍を退けた。
並みの貴族は勿論、冒険者として優れた功績を残す貴族にもそんな真似は不可能だった。
ならば貴族の存在価値は何処にあるのか?
血筋を誇り暖衣飽食を貪りながら領地を治める事も領民を護る事も能わず、ダンジョン探索に明け暮れ敵が攻めてくれば宝物を手に我先に逃げ出すならず者。
聞けば彼の者の家は辺境で代々戦功を上げ貴族として最底辺の爵位を授けられ貧しい生活を送っている。
どちらが君主に相応しいなど誰の目からも明らかだった。
学園の上級クラスに所属しておきながら戦功を上げられない者は下級貴族の次男坊や平民すら劣る者として侮蔑される。
同時に冒険者としての功績など火急の時には全くの役立たずという認識が王国全体に広がった。
それは代々冒険者としての功績によって尊敬を集めてきたローズブレイド家にとって致命傷と為りえる事態である。
無論、ローズブレイド家は今まで領地経営を真摯に行ってきたし戦争に於いても公国軍からの防衛に成功している。
しかし、領地の防衛が敵将の討伐に見劣りするのは致し方ない事だ。
それを為しえたのが上級貴族から存在さえ認識されない下級貴族や平民なら尚更である。
故に公国との戦争が引き分けで終わった直後から上級貴族は行動を開始する。
自分の姉妹や娘達を戦功を上げた者へ嫁がせる事で戦力の増強を図る。
その筆頭格がリオン・フォウ・バルトファルトだ。
最低限の教育しか受けていないのに戦術を使い熟す頭脳。
十代半ばで部隊を率いる指揮力と影響力。
少数部隊で傷付きながら敵将を討ち取った武力と胆力。
あれは稀少鉱物の原石だ、磨けばどれだけの傑物になるか予想がつかない。
故に少し知恵の回る者達は彼との婚姻を進めようと画策する、ローズブレイド家もそのうちの一人だった。
未婚のドロテア、或いはディアドリーとリオン・フォウ・バルトファルトを婚姻させれば戦力の増強と名誉の回復が同時に為される。
そう思い密かに接触を試みるも上手くいかない。
王国内の上級貴族は互いを牽制し合った上に、当時のリオン殿は戦傷を理由に退役している。
おまけに彼へ与えられた領地は未開拓の浮島だ、開拓に必要な費用を負担するのは彼の婚約相手の実家になるのは明白だった。
その隙に物の価値も分からない下級貴族との縁談が持ち込まれたらしいが上手くいってない。
心身を病んだ成り上がり者に身内を嫁がせ、宛がわれた領地の開拓に必要な金をせびられでもしたら共倒れになりかねない。
誰もが二の足を踏んだ状況で先んじたのはレッドグレイブ公爵家だった。
文句を付けようにも王家に次ぐ力の持ち主に対し面と向かって逆らえる者など存在しない。
誰もが苦し紛れに公爵家の酔狂と笑った。
その結果はバルトファルト領に於ける療養施設の開設と領地開拓の順調な発展、公国との再戦で数多くの命を救ったリオン殿に対する賞賛である。
最早認めるしかない、リオン・フォウ・バルトファルトの優秀さと後援するレッドグレイブ家の強大な力を。
今後の王国は公爵家が中心となる、娘婿であるバルトファルト家と繋がりを持てば自然な流れでレッドグレイブ家とも昵懇になれる。
幸いにしてバルトファルト男爵家は子沢山であり、未婚の兄弟姉妹が一人ずつ居る。
そのうちの一人と婚姻を為せば当面の間は危機を回避できるだろう。
公爵家から縁談を持ち込まれたのは僥倖だった。
この縁談は成功させなければならない、この際娘達の気持ちは二の次である。
聞けばバルトファルト家の長兄ニックスはなかなかに優秀な男であるらしい。
比較対象がリオン殿なのでかなり見劣りを感じるが、それはあまりに酷な話だ。
学園から取り寄せた資料や持ち込まれた情報によれば謹厳実直な人柄と聞き及んでいる。
何より戦時では弟の補佐に徹し、部下や他の貴族が指揮する軍の折衷を担当したのが彼との事だ。
弟ほど優れては居ないかもしれんないが、娘婿として考えるなら寧ろ好感を持てる。
些か、いやかなり峻烈な部分がある娘達にはこうした男の方がちょうど良いのかもしれない。
これは良縁だ、何としても成功させなくては。
ローズブレイド伯爵は調査資料を読み終えると早速娘達を呼び出した。
「ふぅ~~」
ゆっくりと息を吐き出した伯爵の顔は暗い。
こんな事になるとは思わなかった。
まさかドロテアが惚れた相手が見合いの相手とは。
突如叫んで卒倒したドロテアを慌てて部屋に運び医師の診断を受けさせた。
事情を聞くとなんと娘が捜し求めた男こそニックス・フォウ・バルトファルトと判明する。
偶然とは恐ろしい物だが、これこそ好機と思い早速公爵家へ縁談を了承すると使者を出した。
そうして部屋に戻ると妻とディアドリーが青褪めていた。
一方のドロテアは顔を上気させたまま食い入るように見合い写真を凝視している。
何事かと妻に尋ねるとドロテアとニックス殿の出会いを更に詳しく聞き出したらしい。
その詳細を聞き終えた後に今度は絶望で私が膝をついた。
まさかドロテアがニックス殿を激怒させていたとは思いもよらなかった。
今までの縁談のように多少の嫌味は吐いたかもしれないと思っていたが今回は度が過ぎていた。
これではバルトファルト家との縁談はとても纏まりそうにない。
ひょっとして公爵は既にこの事をご存知だったのでは?
そう考えた瞬間、どうしようもない悪寒に襲われる。
現在ローズブレイド家はレッドグレイブ家と敵対していないが、あくまで現時点に於いてという前置きがあるにすぎない。
貴族にとって敵対していない第三者は味方ではなく今は敵対していないというだけだ。
いずれ敵に回るかもしれないなら先んじて潰しにかかるか友好的に懐柔を図るのが貴族社会の常識。
これは公爵家が用意した罠か?
そんな考えが頭の中をよぎるとそうとしか思えなくなる。
これは懐柔ではなく脅し、子供の喧嘩が戦争の原因になるなど史書を紐解けば幾らでも散乱している。
争いとは他人が見て馬鹿馬鹿しい切っ掛けで起きうる。
このまま自分がローズブレイド家最後の当主になるのだけは回避したかった。
取り潰される危機を回避する為ならドロテアだけでなくディアドリーを捧げる必要があるかもしれない。
貴族にとって家の存続こそ最優先するべき選択だ。
既にディアドリーにはそれとなくリオン殿を見極めよと命じてある。
さすがに娘を二人同時に政略の道具として用いるのは気が引ける。
しかし既に賽は投げられたのだ。
横目で娘二人をじっと窺う。
娘達には幸せな結婚をして欲しい、そんな父親としての愛情と貴族としての冷徹な思考が考させる。
話し合いが必要だ。
まずニックス殿、次いでリオン殿に誠心誠意の謝罪をしよう。
爵位など関係ない、何しろバルトファルト家の背後にいる公爵家は既に王家の力を凌ぎつつあるのだから頭を下げた所で問題は無い。
せめてニックス殿がドロテアを赦してくれる事を祈ろう。
運が良ければ少しの間だけ付き合ってくれるだけでも良い。
結婚までは望まない、ただ初めての失恋のショックでドロテアが自害するような事態だけは避けて欲しい。
もし上手くいったならローズブレイド家はその恩を忘れない。
バルトファルト家の要請に何でも応じよう。
それが父として当主として出来る最後の譲歩だ。
ローズブレイド伯爵は悲壮な覚悟を胸に家族の身を案じた。
部屋に戻って少しでも気を落ち着けようと忙しなく室内を歩き回る。
既に見合いの予定時間まで三時間を切っていた。
もうニックス様をお迎えする用意の変更は出来ない、後は最善を尽くすのみ。
壁に掛かった額縁を外す。
収納されているのは絵画ではなくニックス様の御写真を大きく引き伸ばしたもの。
愛おしそうに額縁をひとしきり撫でた後、写真に写る男性の口の部分に自分の唇を重ねた。
それだけで途方もない多幸感で意識を失いかける。
時計の針が進む度にニックス様が此方に少し近付いてる、そう思うと気が狂いそうになってしまう。
もしこのまま御声を聞いたらどうなってしまうのだろう?
婚約が成立したら? 婚姻が決まったら? もしニックス様に抱かれたら?
妄想が止まらず体が震える、このまま待っているだけで意識が飛びそう。
胸に宿った火がずっと灯り続けている。
あぁ、これが恋なのね。
今までの私は生きていなかった。
ただ息をして食事をして眠るだけで本当の意味で生きていなかった。
世界はなんて美しいのでしょう。
この世の総てが私を祝福しているように見える。
窓を開けて空に輝く太陽を見上げる。
この空の下であの御方が今も私に会う為に此処へ近づいている。
たったそれだけで全ての人に優しくなれるぐらい幸せだった。
「お待ちしていますニックス様♥私は貴方の虜です♥」
ニックス様の御耳に届くよう私は愛の言葉を放った。
「嫌だ!絶対に嫌だ!俺はあの女と付き合わない!さっさとうちに帰らせろ!!」
「落ち着けニックス、別に付き合えって言ってる訳じゃない。取り敢えず顔合わせするだけだ」
「絶対嘘だ!あの女、俺が『見た目と家柄だけの女』って罵ったから本当に家の力で潰しに来やがった!」
「そんな事は無いと思う。向こうはニックス兄さんをご指名だし」
「リオンじゃなくて俺を指名って時点でおかしい!明らかに俺を標的にしてる!罠に決まってるだろ!この見合いは中止だ!」
「ダメよニックス。せっかくおめかししたのに台無しだわ」
「これから家同士の争いになるのに着飾ってる場合かよ!」
「兄さん、見合いも悪くないぞ。もしかしたら向こうが兄さんを気に入って縁談を持ち込んだのかも」
「お前、自分が見合い結婚して夫婦円満だからって浮かれ過ぎるぞ!兄を尊敬するなら逃げるのに協力しろ裏切り者!何とか中止になりませんかアンジェリカさん!?」
「申し訳ありません義兄上。この縁談を斡旋したのは公爵家です。断っては各方面に些か支障が出ます」
「ちきしょう!どうして俺がこんな目に!」
その頃、ローズブレイド領に向かう飛行船の一室でニックス・フォウ・バルトファルトが見合いから全力で逃げ出そうと画策するも家族に拘束されていた。
「弱くて善良な奴を助けてくれる神様なんていねぇ!!世の中間違ってる!!」
彼の悲痛な叫びはドロテアに届く事はなかった。
ドロテア&ローズブレイド伯爵回。
思いの外文量が増えたのでリオン&アンジェは次回へ持ち越しです。(無念
ちなみに原作でリオンと親しくなったヒロインや候補達は前の戦争が終結後にリオンと見合いする可能性がありました。(死亡したヘルトルーデ、出会わなかったノエルやルイーゼ等を除きます
原作だともっとはっちゃけたドロテアさんですが今回は控えめ、エキセントリックな部分は今後書く予定です。
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。