婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです 作:品☆美
飛行船が高度を下げ着陸態勢に移行する。
室外から伝わってくる乗務員が慌ただしく準備する足音とは対照的に貴賓室は静寂に包まれている。
流石にこの時点ともなれば義兄上も諦めがついたのだろう。
顔色こそ青褪めたままだが隙を見て逃走しようという思惑は完全に失ったと思われる。
誤魔化す為に化粧を施すか少量の酒を飲ませるべきかと皆で相談するも止めておく。
下手に刺激してこれ以上の騒動が起きるのは御免蒙りたい。
「兄さん、此処まで来たら覚悟を決めろよ」
「分かったよ、俺も貴族の端くれだ。最低限の努力はする」
拘束していた縄を解かれても義兄上は落ち着いたままだった。
これなら見合いの場で醜態を曝さず済みそうに思える。
「言っておくが会うだけだ!上手くいくなんて保証しないぞ!伯爵家や公爵家が何を企んでようが破談になっても俺のせいじゃねぇからな!」
「分かった、分かったよ。俺達もそこまで強制しない。いろんな所へ義理立てしなきゃうちも不味いんだって」
「ったく、どうしてこうなる……」
青褪めた義兄上の左右を逃げられぬようにリオンと義父上が固め乗降口へ向かう光景は犯罪者の移送にも見えた。
ローズブレイド領の空港はバルトファルト領とはまた違った趣がある。
開拓に用いられる大量の資材を運ぶ為に大型飛行船の搬入を想定したバルトファルト領とは違い、ローズブレイド領の空港は冒険者用いる小型の飛行船が大量に停泊を可能としている。
但し、停泊している飛行船の数はかなり少ない。
確かに領主の娘の婚姻が行われるなら空港は整備されて然るべきだが、この状況は整頓されているというよりは閑散に近い。
ぼんやりとそんな事を思いながらタラップを降りると赤絨毯が敷かれていた。
その途中には佇むドレスに身に纏う女性が一人佇んでいる。
見覚えがある容姿に内心の苛立ちを隠せない。
「ようこそバルトファルト家の皆様。本日はお越しいただきありがとうございます。私、ローズブレイド家の息女ディアドリー・フォウ・ローズブレイドと申します。我が父ローズブレイド伯爵より当家へ皆様をご案内させていただきます」
恭しく首を垂れるその動きは洗練された淑女教育を受けた貴族女性の振る舞いその物だ。
尤も内心はどう思っているか分からない。
誇りの高さは時に傲慢となり周囲を威圧し嫌われる。
私が知るディアドリー・フォウ・ローズブレイドはそんな女だった。
バルトファルト家の面々が順に挨拶している最中もその眼光は新参者を値踏みしている貴族その物だ。
そしてディアドリーの視線は当事者の義兄上でも義父上でもなくリオンに注がれている。
またこの状況か、思わず舌打ちしなくなるのを懸命に堪える。
業腹ではあるが現時点に於ける立場はローズブレイド家が上、我々が遜らなければならない。
「リオン・フォウ・バルトファルト子爵です。今日は兄の付き添いとして来ました」
「アンジェリカ・フォウ・バルトファルトです。ディアドリー様もご壮健で何よりです」
愉快そうに肩を揺らすディアドリー。
嘗ては公爵令嬢として自分より立場が上だった私がバルトファルト子爵夫人となり立場が逆転したのが愉快らしい。
昔の知り合いと出会うと憐れみと蔑みが入り混じった視線を送られる事も多い。
最初は腹立たしく感じた物だが慣れると大して気にもならなくなる。
今の私はバルトファルト子爵夫人だ、リオン・フォウ・バルトファルトの妻というただそれだけの事実が誇らしい。
「では、バルトファルト
ディアドリーに告げられて義兄上、義父上、義母上、コリンが馬車へ乗り込んだ。
敢えて男爵家と伝えるディアドリーは底意地が悪い。
貴族の中には馬車に搭乗する者の身分によってあからさまに様式や対応を変える者もいる。
用意してあった馬車は同じ様式のようだが、男爵家の四人と子爵家のリオンを私を分断したのは些かいただけない。
「ディアドリー先輩、質問してよろしいですか?」
「もう学園ではないのだから畏まらずとも結構ですわアンジェリカ」
「ではディアドリー、いったい何のつもりだ?」
少々明け透け過ぎるが許可したのは向うだ。
まだまだ政に疎いバルトファルト家の面々を私が護らなくてはならない。
「何とは?」
「とぼけるな、男爵家と子爵家を分けて何を企てている?」
「あらあら、相も変わらず癇が強いですこと。そんな有り様だから王家のご不興を買ったのではなくて?」
相も変わらず嫌味な女だ、苛立ちを抑え込みながら会話を続けるには少々骨が折れる相手と再確認する。
「知り合いなのか?」
「王都にいた頃の顔見知りだ。学園では二年先輩にあたる」
「そうか」
横で私とディアドリーの会話を聞いていたリオンが加わった。
無邪気なのか空気を読んだのか分からないが少しだけ私の気が紛れ落ち着く。
「改めて自己紹介を、リオン・フォウ・バルトファルト子爵です」
「ご活躍はよく存じていますわ。良い意味でも悪い意味でも」
「それはどうも」
扇で口元を隠しながらリオンの様子を窺うディアドリー。
礼節を弁えてながらリオンを値踏みするような視線を送り続けるのが腹立たしい。
「随分と羽振りがよろしいご様子。聖女様を領地へお招きして宣伝とは考えたものですわね。バルトファルト卿は将才のみならず商才もお有りのご様子。是非ともご教授にあやかりたいものですわ」
「俺は何もしちゃいませんよ。アンジェが頑張ってくれてるからこその賜物です」
「ご謙遜を。全てはバルトファルト卿の精進の賜物と見受けられますわ」
過剰とも言える程にリオンを褒めそやすディアドリー。
おそらく目的はリオンの値踏みだろう。
領地経営を妻とその実家に丸投げして自身は遊興に現を抜かす成り上がり貴族も王国内では増えている。
最近リオンをこうした放蕩貴族と同一視してちょっかいを手を出そうとする女も後を絶たない。
今日のディアドリーほど露骨なのは稀だが。
もしやローズブレイド伯爵の差し金だろうか?
名のある貴族の男なら側室や愛妾を囲うのも決して珍しくはない、自らの姉妹や娘を差し出すのも政争に於ける常套手段の一つだ。
「妻の横で夫を口説くとは感心しないな。いつからローズブレイド家はお零れを狙うほど卑しくなった?」
「意中の男性に近付く女性を排斥しようとする所は変わりませんわね、悋気深い妻は夫の器量を下げるのではなくて?」
「戦が望みかディアドリー?」
「あら怖い、綺麗な御顔に皺が寄っていましてよ」
其方が引かないのなら私も引くつもりもない。
周囲の者達は私達の間に漂う空気に後退りを始める。
「ディアドリーさん、そうアンジェをイジメないでやってください。アンジェは怒ると加減が出来ませんから」
にこやかに笑いながらリオンが割って入る。
こうした舌戦は社交界における洗礼だ。
如何に表面を取り繕い称賛の態で相手の急所を狙うか、化粧と装飾で彩りながら足元で相手の向う脛を蹴り合うのが貴族と嗜みと言っていい。
「あら、別に言い争いなどしておりません。単なる社交辞令でしてよ」
「そりゃ失礼を、なんせ不調法な田舎者でして。宮廷のやり取りについて未だになれない事も多いんで戸惑います」
「仕方ありませんわ、新たに叙爵された方々に行き届かない部分があるのは致し方無き事かと。このような時の為に王国には学園が存在しておりましたのにまさか休校になるとは残念ですわ」
ディアドリーの言い分は『成り上がり者の礼儀知らずは学園に通ってやり直せ』という意味だ。
貧しさ故に貴族として真っ当な教育を受けられず学園に通えなかったリオンに対する嫌味としては実に上手い弁だ。
腹立たしいので言い返そうと思って前に出ようとするもリオンに止められた。
「えぇ、荒事と農作業で漸く身を立てられた若輩者なんで。他の貴族の方々みたいに先人の眠りを妨げる程の度胸はとても持ち合わせていません」
『先人の眠りを妨げる』、これはダンジョン攻略や遺跡探索に対する蔑称だ。
国祖が冒険者であるが故にホルファート王国は冒険者の社会的地位が高いが、他国に於いて冒険者は山師・盗掘者・墓荒らしとして軽んじられる事も多い。
そして冒険者の功績で名門貴族の地位を維持してきたローズブレイド家に対する皮肉としては上手い。
「……確かに不調法なご様子。奥様に礼儀をご教授されては如何ですの」
「そうですね、兄の見合い相手の家すら覚えられない出来の悪い弟ですから。確か
「
「失敬、なにしろ成り上がり者なんんで。最近功績を上げた連中の名前ぐらいしか憶えられない若輩者だからご容赦を」
「……っふ」
思わず笑いがこみ上げてしまう。
宮廷マナーの教育過程で気付いたがリオンはかなり口が達者なのだ。
幼い頃から姉と妹から罵声を浴びせられた経験からか嫌味に関しては其処らの貴族には劣らない。
更に戦場では敵に戦意を削ぐ為に罵声や挑発に関して知恵が回る者は重宝される。
見事に返されたディアドリーは声を荒げ肩を震わせ始めた。
私達は争いは望まない、然りとて言われっ放しで退散するほどお人好しでもないのだ。
さて、これでローズブレイド家はどう出るか?
数十秒間の沈黙が流れた後にディアドリーは私を睨んだ。
「アンジェリカ」
「何だ」
「なかなかに面白い夫ですわね」
「横に居て退屈しない事だけは保障する」
「俄然興味が湧きましたわ。私がバルトファルト卿を口説き落としてもよろしくて?」
「認めん、リオンは私だけの夫だ」
本心では認めたくはないが、どうしてもリオンが側室や愛妾を望むなら受け入れるだけの度量を私は持ち合わせてはいる。
但し、その場合は私のお眼鏡に適う女性だけを認める。
リオンを心の底から愛している。
それがリオンの側室や愛妾に求める最低限の条件だった。
ディアドリーは確かに美しく賢い女だ。
だが彼女の存在は政治的な意味合いが強い上にリオンに対する興味は有っても好意は感じられない。
そんな女にリオンの隣を赦すほど私は大らかな妻ではなかった。
「残念ですわね。私、バルトファルト卿に興味が出ましたのに」
「それはローズブレイド伯爵の意思か?」
「その辺りも踏まえて話し合いましょう」
ディアドリーが手を鳴らすともう一台の馬車が動き出す。
どうやら伯爵邸に到着する前にひと悶着ありそうだ。
「つまりローズブレイド家はレッドグレイブ家と協調を望んでいると」
「だけど兄さんとドロテアさんが既に出会っていたのは計算外って訳か」
話を聞いてみて漸く事態が把握できた。
同時に義兄上とドロテアの見合いが到底上手くいきそうにない状況に困惑する。
「危機的状況、という程ではありませんが今のローズブレイド家は決して芳しいとは言えませんわ。戦争で多くの血が流され権威は落ちつつあります。戦後の復興を最優先する為には領地経営に注力しなければなりません」
「全然落ち込んでるように見えないんですけど」
長閑な辺境地のバルトファルト領と違いローズブレイド領は発展した城塞都市に近い。
舗装された道路や石造りの住居の多さはバルトファルト領と比較にならない。
「もっとこう、冒険者を代々輩出してるっていうから荒くれ者ばっかの無法地帯を想像してました」
「貴方、王国の貴族なのに冒険者に憧れないんですの?」
「ちっとも。何せ平民と大差ない生まれと育ちなもんで。一獲千金を考えるほど夢見がちじゃありませんよ。まぁ戦働きで貴族になった家系な上に、俺自身も戦場で手柄を立てて貴族になったって意味ならこれがバルトファルト家の特徴なんでしょう」
「……全く理解できませんわ。アンジェリカ、貴女どうしてこの方と婚姻しましたの?」
そう問われると返答に困る。
ホルファート王国の男子の殆どは冒険者に憧れるし、女子も冒険者の先祖に畏敬の念を抱いている。
最初から畑を耕す生活に憧れ、追い詰められると冒険者ではなく兵になる道を選んだリオンの感性はホルファート王国の貴族どころか全体から見ても異端だ。
そんなリオンが冒険者として大成できそうな頭脳と身体能力を有しているのは皮肉としか思えない。
ただ、そんなリオンだからこそ私が惹かれたのも事実なのだ。
単なる冒険者として名を上げた、若しくは戦功で成り上がっただけの男が婚約者ならば、私はその才能を上手く利用しようとは思っても心の底から愛せたとはとは思えない。
こうして仲睦まじく夫婦をなっているのは神の采配としか考えられなかった。
「まぁ、言葉では説明し難いな。家柄や能力以外に惹かれる物が彼に存在していた、それだけだ」
「随分と幸せそうですこと。醜い成り上がり辺境貴族の慰み者になってると評判でしたのに」
「噂など当てにならん。殿下との婚約を解消された私が幸せそうに生きているのが気に食わない輩が多いだけだ」
そろそろ本気で噂の払拭に動き出してもいい頃合いかもしれないな。
私だけでなくリオンの評判まで悪くなるのはバルトファルト領にとって全く益が無い。
「ローズブレイド家はレッドグレイブ家と手を組む、そう判断して間違いないな?」
「えぇ、もとよりそのつもりですわ。お姉様のお見合いの結果云々に関わらずこれからは公爵家と協調した方が有益と判断しました」
「王家に対する叛意を疑われないか?」
「男爵家と伯爵家の縁談と侮っているか、裏で公爵家が手引きしてると知りながら傍観しているのか。前者なら無能、後者なら王家の弱体化が浮き彫りになります。愚かで力無き者に仕えるほどローズブレイド家は酔狂ではございませんわ」
王家は下級貴族の婚約に関して介入が無いも同然だが、上級貴族同士の婚約については別物と言ってよいほど制限が課せられていた。
力を持った家同士が婚姻によって一体となり叛乱の萌芽を防ぐ為に厳格なまでに審査を重ね王家の承認が必要となる。
国内のパワーバランスを制御する為に有力貴族の婚姻を規制するだけの力が今のホルファート王家には無いのか。
それともある程度は見過ごして国内の復興を優先したいのか。
王家の思惑が何処なのかこの後で調べる必要がある。
「私達といたしましては別段お姉様に限定した婚姻でなくてもかまいません。如何でしょうバルトファルト卿?私を側室として娶るのはお嫌ですか」
「ディアドリーさんはそれで良いんですか」
「貴族の婚姻なんて最初から愛がある方が稀ですわ。正妻にしろとも産まれた子を嫡子にしろとも申しません。私、貴方本人に興味が湧いてきました」
口元に笑みを浮かべ時折私を窺うディアドリー。
挑発と分かりきっている、分かりきってはいるが看過できるとは限らない。
かと言って口論するのも不味い、先程はまんまと挑発に乗ってしまった。
妊娠の影響か最近は感情の制御が覚束ない。
「遠慮しときます。俺の嫁はアンジェだけです」
「複数の妻を娶るのも男の器量と思いますけど」
「成り上がり者の俺には嫁が増えても困るだけなんで。複数の嫁を平等に愛するのに苦労するより一人の嫁を心底愛してやるのが性に合ってます」
リオンが隣に座っていた私を引き寄せて肩を抱く。
見上げると先程の不敵な笑いと違い優し気に微笑む彼の顔が目の前にある。
駄目だ、胸に熱い物がこみ上げて彼の顔を正面から見られない。
「お熱い事で。分かりました、私と貴方の婚姻は諦めます。あくまで現時点に於いてですけど」
ディアドリーは私達夫婦の間に割り込むのを諦めたらしい。
但し、当人が言っているようにそれは現状が維持された場合に於いてだ。
今のホルファート王国の政情は不安定過ぎる。
戦後のこの平穏が次の戦争までの僅かな休息にならないとはとても言えなかった。
屋敷に到着すると手入れの行き届いた廊下を丁重に案内された。
ローズブレイド家が住む屋敷は城と称しても違和感が無ないほど重厚に作られ、ファンオース公国との二度に渡る戦いでは防衛都市として陥落する事なく最期まで持ち堪えた。
冒険者の祖先を誉れとし武を偏重した家風は領地の構造その物から察せられる。
商家や豪農と大差ない屋敷に住み領土を防衛する城壁も最新の鎧も無いバルトファルト家とローズブレイド家の間には圧倒的な兵力差を肌で感じられる。
リオンが陞爵し伯爵となった所でその差は埋まらない。
伯爵の娘であるドロテアに対し無礼を働いたと義兄上が原因で一方的な殺戮劇が起きても不思議ではなかった。
案内された客間には先に到着した四人が待機している。
義兄上の顔色は更に青みを増し、義父上も緊張した面持ちだ。
一方でコリンは室内に飾られている装飾品に興味津々であり、義母上は出された茶菓子を呑気に食している。
「兄さんの様子は?」
「緊張してるね、父さんもだけど」
「こんな屋敷に住んでるお嬢様と見合いだからそりゃ緊張するだろうな」
「僕は王都の公爵邸より、こっちの方が好きだよ。ワクワクする」
「公爵邸は他家に対する牽制の意味で華美に築かれている。冒険者や英雄に憧れるならローズブレイド邸の重厚さの方が好ましいとは私も思う」
「俺は今の屋敷で十分だよ」
義母上と一緒に茶菓子を頬張りながら現状で満足するリオンはこの国の貴族としては異質だ。
彼にとっては名誉ある称号も華美な屋敷も最新式の鎧も興味を引く物ではない。
のんびり畑を耕し愛する人達と慎ましい暮らしを営む為に必要最低限の物さえあれば満足なのだろう。
リオン、いやバルトファルト家は本来政争とは無縁の人生を歩んでいた筈なのだ。
バルトファルト家をこの状況に追いやっているのは私、そして私の後ろにあるレッドグレイブ公爵家の存在。
私と結婚しなければリオンが次から次へと面倒な問題に巻き込まれる事は無かった。
彼はあの別宅で誰とも関わる事なく、静かな余生を生きていたのかもしれない。
リオンが功績を上げる度に彼の周囲に人が増える、リオンの中で私の存在が徐々に小さくなるような錯覚すら覚える。
『如何でしょうバルトファルト卿?私を側室として娶るのはお嫌ですか』
もしもリオンがディアドリーの提案を受け入れていたら?
そう思うと背筋に寒い物を感じた。
無理やり思考を切り替えて時計を確認する。
待ち合わせまであと二時間、慣れないこの地で目的の場所に行くにはすぐにでも移動した方が良い。
「リオン、そろそろ時間だ」
「そうか、じゃあ行ってくるから」
本来は私達夫婦もこの場に残るべきだとは理解している。
だが、これから向かう先で待ち受けるのは男爵家と伯爵家の婚姻以上の厄介事だ。
バルトファルト家の面々に申し訳ない気持ちが胸を苛むが、下手をすると義兄上とドロテアのお見合いの結果を待たずにバルトファルト領が崩壊しかねない。
「どうしても行くのか薄情者」
「これから会うのは太客だって何度も説明したじゃん。上手くいきゃバルトファルト領がもっと豊かになる」
「王都からはるばる此方の予定に合わせてくれたのです。商談に遅れては命取りになりかねませんので」
「こっちは任せておいて」
「頼むぞコリン、父さんと母さんは当てにならない」
客間から出てローズブレイド家の使用人に声を掛け馬車を用意してもらう。
訝しげに私達を見る使用人の視線が痛い。
見合いの直前に相手の身内が外出するのは流石に印象が悪過ぎる。
周囲から粗略な扱いを受けても為さねばならなかった。
これを出来るのは私だけだから。
予め用意してある地図で場所を確認する。
目的地はローズブレイド領の一画にある高級宿。
ローズブレイド家は冒険者で名を成した家柄故に領内でも冒険者に関係する店が多く建ち並ぶ。
近接武具、銃器、防具、道具屋、鑑定所、冒険者ギルド、賭博所、娼館、宿屋等々。
此処で装備を整えた冒険者がダンジョンに挑み稼いだ金銭を消費させ領内の経済に還元する。
ローズブレイド家の歴史は自身の功績とこのサイクルを維持する事で成り立っていた。
その維持に無理が生じつつあるのも今回の見合いが行われた裏事情だろう。
戦時中にダンジョンに挑む冒険者は少ない。
確かに競争相手は減るだろうが同時に協力者も減る。
危険なダンジョンや未発見なダンジョンほど他者との協力が不可欠であり単独で挑むなど自殺と同意義だ。
例え無事にダンジョンから生還しても戦闘に巻き込まれたり斥候として攻撃されないとも限らない。
冒険者とおいう存在は国が安定して初めて成り立つ。
戦争が終わったとはいえダンジョンに挑む冒険者が少ない現状はローズブレイド領にとって死活問題となる。
「案外、公爵家との関わり抜きにこの縁談を持ち掛けられたかもしれんな」
「どういう事だ?」
目的地近くの停泊所まで送ってもらった後、リオンと宿までの道のりを歩く。
冒険者という職業に関して憧れを抱かないリオンだが所狭しと建ち並ぶ店には興味深々らしい。
祭りの出店を覗く子供のように足を止めて商品を眺める姿に頬が緩む。
ライオネルとアリエルが産まれてから夫婦二人きりの時間は減った。
子を産んだ事に対し微塵も後悔は無いが、子を産んで即座に母親になれるほど私は女を捨ててなかったらしい。
リオンが子供達ばかり構うとどうしようもないくらいに寂寥感に襲われてしまう。
自分にこんな感情があるとは知らなかった。
「街を見ろどう思う?」
「
「あながち間違いではない。冒険者には犯罪者紛いな連中も数多いからな。ローズブレイド家が冒険者として成功しただけでは此処まで発展はさせられん」
「そんな連中相手にどうやって発展したんだ」
「領内の法を整備し、治安を守る官憲を増やし、換金などの不正を取り締まる。商人に税を収める引き換えとしてある程度の裁量を与えた」
「当たり前の事じゃん」
「未だ人口が少なく犯罪もほぼ起きないバルトファルト領とは違う。人が増えればそれだけ揉め事も増え抑える為に頭ごなしに法で縛っても不満が溜まる。規制と自由のバランスを上手く見極められるのが良い領主の条件だ」
「ちなみに俺は?」
「ギリギリで合格点かな。まだまだ甘い部分が多い」
「ちぇっ」
どうやら臍を曲げたらしい。
仕方ない、閨では甘やかしてやろう。
「現時点に於いてはだ。十年後、二十年後にバルトファルト領がどうなっているかは誰にも分からない」
「今より良くなるように頑張ってんじゃん」
「ローズブレイド領は寂れ、バルトファルト領が発展する可能性も十分にある。私達がローズブレイドに資金を貸す日が絶対に訪れないとは言い切れない」
「……だから縁談が来たって言いたいの?」
「街を見てみろ。店の数に対して客の数が明らかに足りていない。客の取り合いが始まり、値段の高騰や安売りが始まれば領内の商売が成り立たなくなる。領地を増やせばその分の人口増加で税収が増えるかもしれないが失敗すれば逆に命取りだ」
「そこまでヤバいように見えないぞ」
「積み重ねた歴史が違うからな。それでも名門と謳われた貴族が没落する時は拍子抜けするほど呆気ない」
「戦争が終わっても問題は無くならないな」
今のホルファート王国で一番大きな問題を起こしているのはレッドグレイブ家だ。
望む望まないに関わらずバルトファルト領は問題の渦中に投げ込まれる。
この国が抱える問題を解決するにはどうしようもない程に私は無力だった。
「すまない」
「何が?」
「私はいつもリオンを巻き込んでばかりだ。今回の縁談では義兄上を巻き込んでしまった。これから先公爵家がバルトファルト家の皆や私達の子を巻き込まない保障は何処にも無い」
「アンジェが裏で頑張ってるのは俺が一番知ってるよ」
「昔から私は自分なら上手くやれると思い込んでしくじる。それが命取りにならないか怖い」
「公爵家の娘と結婚した時から覚悟はしてる」
「リオンはそれで良いかもしれない。だが他の皆はどう思う?」
「うちの連中も俺が出世した時点で納得してるから。腹を括る時が来ただけさ」
リオンに申し訳なさを詫びる度に彼が慰めの言葉をくれる。
その優しさに縋ってしまう己がひどく浅ましい女に思えてきた。
「だから今日は俺も付き合う。その為に来たんだろう」
「正直リオンを関わらせたくはなかった」
「心配してくれるのはありがたいけどさ。其処まで嫁に庇われると逆にショック」
「半分は面倒事に巻き込む心配、もう半分はリオンの貞操に心配だ」
「何でまた」
「さっきディアドリーと楽しそうにしていただろう」
「あれは単なる社交辞令だぞ」
「これから会う御方を見ても同じ事を言えるか怪しい」
「人妻を口説くとかどんな変態だよ。其処まで命知らずの馬鹿じゃないぞ俺」
リオンと話す度に心に溜まった澱が流されてゆくように感じた。
道行く者にはこうして軽口を叩き合う私達が仲睦まじい夫婦に見えるのだろうか?
ながら漸く目的地の看板が見えた所で足が止まった。
何故 彼が 此処に 居る ?
見覚えのある後ろ姿は忘れようと思っても忘れられない。
もう二度と会う事も無いと思っていた。
私の中の何かが崩れていくような錯覚を覚える。
恐怖 憤怒 悲哀 厭忌 嫉妬 怨讐
言い表せない感情の奔流が私の心を圧し潰す。
時計の針が逆回りに刻を遡る。
今の私があの時の私へ染まる。
リオンの声が何処か遠くに聞こえ幸せな自分が淡い夢のように希薄になってゆく。
誰 か 私 に 愛 を く だ さ い
ディアドリーが話の中心です。
書籍版ではディアドリーもリオンの側室になりそうなので積極的です。
原作の口が悪いリオンの罵声をお貴族様の遠回しな皮肉にするのは難しい。
戦闘で煽るリオンの活躍も予定しているのでお待ちください。
追記:依頼主様のご依頼でばんしぃ様、ちり様、阿洛様、あめぱ様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
ばんしぃ様https://www.pixiv.net/artworks/112896138
ちり様https://www.pixiv.net/artworks/112954448
阿洛様https://www.pixiv.net/artworks/112978163
あめぱ様https://www.pixiv.net/artworks/112993106
追記:依頼主様のご依頼でMOB様に挿絵を描いていただきました、ありがとうございます。
MOB様https://skeb.jp/@MOB_illust/works/4
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。