婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第48章 強襲

 視界いっぱいに広がる雲海は敷き詰められた純白の絨毯か。

 或いは床にこぼしたミルクか。

 綿花のように淡く儚げに見え刻一刻と風の動きにその容貌を変じる。

 空には飛行船を阻む物が存在しない。

 気の向くままに何処まで行けそうな解放感を感じ風が頬を撫でる感触は否応なく心が昂るものだ。

 かつて私の祖先である冒険者達もこのような昂りを胸にホルファート王国を立ち上げたのだろうか?

 窓ガラスに顔を押しつけて食い入るように外を眺めるアリエルはそうした冒険者気質なのだろう。

 何事にも興味を示し、手足を必死に動かしながら飛行船の中を駆け回る姿は貴族令嬢として随分とはしたない振る舞いなのだが。

 

「ライオネル、お前は外を見ないのか?」

「いやです」

 

 一方のライオネルはずっと私の傍らから動こうとしない。

 窓の外の風景が変わる度、何か物音がする度に震えて必死に私の体へしがみつく。

 年齢を考えたら親に甘えて当たり前の年齢なのだが双子の兄妹がこうも対照的では評価に困る。

 ライオネルは優しく大人しいが覇気が足りず、妹のアリエルは快活ではあるが些か気性が荒く我が強い。

 兄妹喧嘩ともなれば泣かされるのはいつも兄であるライオネルであり、アリエルは自分は悪くないとばかりに傲然と振る舞う。

 双子の性格は両親である私達に似たのだろうが、私が常にリオンを尻に敷いているように思えて面映ゆい。

 

「元気な御息女ですこと、誰に似たのかしら?」

 

 背後から私の思考を読むような呟きが聞こえた。

 振り返ると丹念に手入れをされた黄金色の巻き髪に視界が埋め尽くされる。

 幅広の扇で口元を隠し簡素ではあるが上物の生地を用いた略服に身を包むディアドリーの姿は平民が多く乗っている飛行船に似つかわしくない。

 

「私に似た、そう肯定すれば満足か?」

「あら、自覚はあるみたいね」

(おや)になれば分かる。子は否応なしに親に似るものだと」

「貴女自身にとってそれは喜ばしい事なのかしら」

「嬉しいさ、確かな絆を感じられる」

 

 親の私達に似ている事実は子供達が私達の愛の結晶の証明だ、嬉しいに決まっている。

 私にしがみつくライオネルはディアドリーを見て必死に私の服を握りしめる。

 我が息子はどうも私とバルトファルト家の面々を除いた女性に対し苦手意識があるようだ。

 おそらくは妹に普段から泣かされているのが原因だろう。

 いずれ克服してもらわねばバルトファルト家の将来に影響しかねない。

 

「安心しろライオネル、このおばさんは見た目ほど恐ろしくはない」

「お、おお、おばさんですって!?私をおばさんッ!?」

「義兄上とドロテアが正式に婚約するならいずれそう呼ばれるだろうが」

 

 二十歳には婚約者が決まっているのがホルファート王国貴族の平均的な結婚事情である。

 ファンオース公国との戦争以前でも下位貴族の男や騎士は若くして死ぬ可能性が高かった。

 故に早くから婚約し後継ぎを儲けよと周囲から強要されがちである。

 子を成す事は夫の義務であり、子を産む事は妻の責務。

 故に妻を抱かない夫は貴族としての責務を果たしておらず、子を産めない妻はやがてその地位を追われる。

 そこまで考えて私に抱きついて腹を擦るライオネルと胎内の未だ見る我が子に想いを馳せる。

 結婚して四年で子供が三人は確かに多い。

 だが軍を退役した筈のリオンが再び戦争に巻き込まれてしまったのを鑑みれば早めに子を産めたのは僥倖と言えた。

 辺境は荒事が多く王都に比べ貴族男性の死亡率が高い、当主や長男が亡くなった時の為に子供は多いに越した事は無いだろう。

 新興貴族であるリオンに子供が多ければそれだけ政略結婚による家同士の繋がりとなりえる。

 

 決して、決して私が多淫という訳ではない。

 そもそもバルトファルト家が多産の家系であり、リオンがやたら私にベタベタするから拒み切れないだけだ。

 義兄上とドロテアの間に多くの子が産まれるなら、それはバルトファルト家の特徴だと立証されるだろう。

 私は決して多淫ではない、単にリオンとの相性が良過ぎるだけだ。

 

 馬鹿馬鹿しい思考を一旦止めて視線を移す。

 貨物の輸送を執り仕切る商人、肉体労働者として雇われてる亜人、湯治目的らしき老夫婦、或いは観光が目的な若者達。

 年齢も人種も様々な者達が乗船し一番広いこの客室で思い思いに過ごしている。

 人数は凡そ三十名に届かない程度、経済的に多少なり余裕がある者達なのだろう。

 そんな客室の隅に異様な集団が居た。

 簡素な服装でありながら隠しきれない美貌を湛えた育ちが良さそうな女性が一名。

 さらに居心地が悪そうな表情で椅子に座っている女性が二名。

 その周囲に屈強な男達が取り囲むように四名ほど控えている。

 今回わざわざ私達が出向く事態となった原因であるドロテア本人。

 そしてローズブレイド伯爵が娘を心配して同行させた護衛の一団だった。

 

「お前は混ざらなくていいのか?」

「あの場に居られるほど私の神経は図太くありません」

 

 厳めしい護衛達に囲まれ、疲れた顔で接待を続けるジェナとフィンリーを他所にドロテアは幸せそうな表情を浮かべ忙しなく体を揺らしている。

 頭の中が義兄上で染まっているドロテアの相手は私でもつらい物がある。

 あれが本当に社交界で何人もの男を手酷く袖にしたドロテアと同一人物なのだろうか?

 自分の記憶にあるドロテアと一致せず困惑してしまう。

 

「まさかここまでお姉様が変わられるなんて。ここまで顕著な例を見た事がありませんわ」

「恋とは厄介な物だ。あの身を焦がすような情動を自制するのはなかなかに難しい」

「それは貴女の実体験かしら?」

「その通りだ」

 

 己の所業を振り返ると恋を自覚した頃の私は完全に感情のまま突っ走っていた。

 リオンの重荷になる己を厭い、彼に嫌われるのを恐れ、挙句に嫌われる前に別れようとする。

 本末転倒な所業ばかり繰り返した私は本当に今の私と同じなのだろうか。

 あの頃の私は今のドロテアほどひどくはないと思いたい。

 

「……貴女、やっぱり変わったわね」

「古い知り合い達によく言われるが自分では分からん。良い方に変わったと思いたいが」

「それはバルトファルト卿の仕業?」

「かもしれん」

「なかなか面白い男のようね」

「やらんぞ、リオン(あれ)は私の物だ。他の女と分け合うつもりなど無い」

 

 睦言で私の身がもたないから側室を娶ったらどうかと幾度か口にはした。

 あくまで冗談であり本気で認めるつもりなどない。

 義務として子を産んだら務めを果たしたと閨を拒み、子育ては乳母や教育者に任せ愛人との逢瀬を楽しむ貴族の夫婦は王国に於いてはよくある話なのだ。

 もしユリウス殿下との婚約が破棄されず、そのまま王妃になったとしても今のように満ち足りた気持ちでいられたかは疑問が残る。

 殿下は私以外の女に愛を求め、私は国政に勤しみながら夫婦の溝を埋めるのを諦めてしまう気がしてならない。

 

 結局のところ円満な夫婦関係に必要なのは家柄でも財力でもなく相互理解だと最近になって漸く気付いた。

 私はリオンを拒まない、拒む理由など存在しない。

 今の私はただひたすらに夫と子供達の幸せを願う一人の女であり母に過ぎない。

 偶々王妃の才能があっただけのつまらない女が真実の私だったのだろう。

 優しくライオネルの頭を撫でているとアリエルが近づいて来た。

 私の娘は双子の兄が誰かにかまわれているとすぐに割り込もうとする。

 この部分はきっと私に似たのだろう、早々に矯正しなくては後々の禍根になりかねない。

 

「ははうえ」

「どうした、アリエルも抱っこか?」

「あれ、たべたい」

 

 そうして指差した方向には客室用の簡素な売店があり派手な色彩の菓子やら飲み物が売られている。

 リオンに小遣いを貰ったのをきちんと憶えていたようだ、貨幣の価値は分からずとも金を払えば何かが買えると理解しているらしい。

 おそらくリオンや義父上が私の目の届かない所で子供達に買い与えているのだろう。

 甘やかし過ぎるのは問題だが、家族の愛情を感じられず歪な人格に育っても困る。

 

 子は親の思い通りに育たないと自分が親になってやっと気付いた。

 私は親や教育係の命じた事を遵守するのが苦にならない質なので、嘗ては子が自身の思い通りにならないと泣き喚く者の気持ちがよく分からなかった。

 私の腹から産まれたのに私の子は私の望み通りに育たない。

ままならないのが人生の本質だろうか?

 リオンは子供達に邪険にされていると嘆くが、寧ろ叱ってばかりの母親の私より甘やかすリオンの方が懐かれていた。

 こうして何か買う度に私の許可を強請るのもこっそり何か買ってバレたら怒られると思い込んでるからである。

 

「分かった、何が欲しい?ライオネルも一緒に来なさい」

「はい、ははうえ」

「やったぁ」

 

 娘に手を引かれながら売店へ向かう、双子は各々が目を輝かせ物色してる。

 バルトファルト家に嫁いでから随分と私も世俗に染まった。

 王都に於いて貴族の催しとは茶会や夜会を意味し、政の延長としての催事であり心の底から楽しめた経験は皆無と言ってよい。

 リオンに連れられて辺境の祭に幾度か誘われたが、そうした制約が無く好きな相手と気ままに楽しむのは初めての経験だった。

 同時に現金での取引、地方の物価に対する理解は私の領地経営にとって実に有益な成果を齎してくれる。

 公爵家、次期王妃は現金を扱わず書面で国家規模の金額を扱う。

 白金貨や紙幣を直に触った事すら稀なのに金塊や札束を越える金額を取引するのは異常だ。

 平民の家族が数ヶ月も生活できる程の資金を一回の食事で消費するのは贅沢であり、それが常態化している王家や公爵家に恐ろしさすら感じるようになった。

 こうして人々の営みを肌で感じられるのは人を統べる上で必要な資質であり、いずれリオンの跡を継ぐ我が子達にも教え込む必要があった。

 

「これ!これほしい!」

「ぼく、こっち」

 

 ライオネルは様々な動植物を象った干菓子、アリエルは串が刺さった大きな飴を欲した。

 二人はリオンから与えられた硬貨を店員に手渡し座席に戻ると食べ始めた。

 手の上で菓子を一つ一つ弄ぶライオネル、大きな飴を口元を汚しながら舐めるアリエル。

 同じ親から同日に産まれてもこうも差が出るのは生命の不可思議さである。

 両脇に双子を座らせつつ物思いに耽る。

 あと数ヶ月で産まれるお腹の子はどのような性格なのだろうか?

 下の子を敵視する兄姉も多い世の中だ、己の子が啀み合う姿は親として懸念すべき案件である。

 

「ん」

「はい」

 

 アリエルが手を伸ばすとライオネルが干菓子を一つを差し出す。

 やれやれと溜め息をついてアリエルの手を握る。

 

「アリエル、ライオネルにありがとうと言いなさい」

 

 口を尖らせて不満げなアリエルに注意を促す。

 思い返せば学園には下位貴族や平民を粗略に扱い平気で物を奪い関係を迫る高位貴族出身の令息令嬢が多かった。

 そうした高位貴族の存在がホルファート王国の逼迫した現状を生み出したと省みれば幼少期から矜持と傲慢を混同しかねない性格の矯正は必要と言える。

 

「ライオネルはお前に菓子を与えた。きちんとありがとうと言えないなら誰もお前に菓子を与えないぞ」

「……ありがとう」

「よし」

 

 私の許可が下りるとアリエルは急いで干菓子を頬張った。

 どうやら私に干菓子を取り上げられると思ったらしい。

 私が望んでいたのは自分の物を分け与えた兄に対する心からの感謝なのだが。

 謝意を伝えるのは恥ではない、貴族とは下々に支えられなければ生きていけぬか弱き存在。

 だからこそ領地を発展させる義務が生じ、最悪の場合は己の命で失態を贖わなければならない。

 これが出来ない者は貴族である資格は無い、ただ社会の歪さを体現し政を滞らせる害悪その物だ。

 娘をそんな存在にさせないのも母親としての愛情である。

 

「ははうえ」

「どうした」

「これあげます」

 

 ライオネルの小さな手には花を象った干菓子が握られていた。

 どうやら母と妹の諍いを見てご機嫌取りを始めたようだ。

 こちらはこちらで周囲に気を使い過ぎ、そして気前が良過ぎている。

 貴族の消費は決して悪ではない。

 金銭の流れは社会全体の豊かさに繋がっている、貴族が浪費せずに金銭や食料を溜め込めばやがて民が困窮し飢えてしまう。

 浪費と言えない程度の消費、吝嗇と謗られない程度の節制。

 これらを程良く行えるのが良い為政者なのだ。

 恩賞を渋る主君は部下に見放されるが、だからと言って気前良く分け与え過ぎる主君も部下に軽んじられかねない。

 

 ライオネルがいつもそこまで考えてアリエルに分け与えているとは到底思えない。

 妹のやっかみを回避する為に菓子や玩具を差し出しているのが正しい状況だろう。

 アリエルの気の強さは問題だが、逆にライオネルの大人しさも問題と言える。

 均衡こそが重要だ。

 力が無ければ奪われ続けるだけだが、力を持ち過ぎては逆に狙われる機会も増えてしまう。

 己の身を護る程度の力を持ち他者を傷付けない優しさを備える、これが一番難しい。

 

「いいから自分で食べなさい。それはライオネルの物だ」

「ははうえとあかちゃんにあげます」

 

 ライオネルは優しい、それは人として望ましい物だろう。

 だが、優しさだけでは人の上に立てないのが貴族という存在だ。

 時に誰を切り捨て、時に誰かを押しのけて優位に立つ。

 そうした闘争心がどうしても必要になる時が否応なしに訪れてしまう。

 この子の優しさがこの子自身の人生を豊かにしてくれる、この子の優しさを好む者に出会えるのを切に願う。

 息子から貰った干菓子を口に含む。

 甘いはずの味がひどく苦いものに感じた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 定期船の駆動音と振動が眠気を誘ってくる、口元を隠して欠伸を噛み殺し窓の外の風景を眺めた。

 この定期船は近隣の領地を巡りつつ私達が治める地へ近づいている。

 次の停泊地である空港まで一時間も無い、その次は漸くバルトファルト領だ。

 朝一番の始発から近隣の領地を巡り昼過ぎに漸く戻れる。

 他領からの直通便も無い訳ではないが貨物の輸送船が主であり、人を移送する為の定期船はあまり多くない。

 

 この辺りは新興貴族の悲しさだ。

 如何にリオンが有望な若者であり数々の戦功によって貴族に取り立てられようが、それはあくまで戦争に関する功績だ。

 領地経営に関しての功績はほぼ皆無であり、バルトファルト領が現在に至るまでの発展はレッドグレイブ家の後援が在ればこそ。

 その影響もあってリオンの領主としての評価は『公爵の娘婿』『戦で成り上がった若輩者』の域を出ない。

 結果が分かりやすい戦働きと違い領地経営の評価はとにかく時間をかけて実績を積むしかないのだ。

 

 十代後半で爵位と領地を賜ったばかりの若造など長年に渡って血と伝統を継いできた貴族にとっては異端の存在だ。

 現状のバルトファルト家は近隣の領主と関り合いが薄くどうしても軽んじられてしまう。

 温泉ぐらいしか特徴が無い発展途中の新興地より比較的栄えてる地方都市の利便性が優先されるのはやむを得ない。

 ここで公爵家が無理に介入しても横槍をくらった他領の反感を買うだけだ。

 少しずつ地道にバルトファルト領を発展する以外の方法は無い。

 バルトファルト家が完全に貴族として認知されるのは最短で約二十年はかかる。

 私達の子の代、孫の代となり公爵家からの借入を完済して漸く認められるだろう。

 

 その頃にはリオンが望む隠居生活が手に入れば良い。

 子と孫に囲まれ作物を育てながらのんびり温泉に浸かる日々を送りたいものだ。

 ぼんやりそんな想像をしながら双子を見ると、揃って窓の外を食い入るように眺めていた。

 刻一刻と形を変える雲を切り裂いて空を駆ける光景は新鮮に映るらしい。

 いったい何を見ているのだろうか?

 

「どうした、何か面白い物でもあったか?」

「あれ」

「ふねみたい」

 

 窓から双子が指差す方向を眺めると視界の隅に黒い影が小さく映った。

 他の商船だろうか?

 浮島の近くだと飛行船同士が近づき過ぎて事故になるのは嘗てよくある事故だった。

 通信技術が未発達で雲に視界を遮られ事故が頻発し多くの者が戦や冒険と関わりなく空にその命を散らした。

 技術が向上した現在でも年に数回はそんな事故が起こる。

 次の停泊地が近づいたので視認できる範囲に他の飛行船が現れたのだろうか。

 そのまま双子の側に座ったまま外の様子を窺い続ける。

 普通は視界に他の船が見えたなら速度を落とし距離を離すのが通例の筈。

 なのに相手の船は速度を落とさずに距離を保ったまま。

 

 いや、徐々に船影が大きくなっている?

 心中の不安を隠すように双子の手を引いて窓から離れた。

 どうにも様子がおかしい。

 予定なら既に停泊地に降りている予定なのに未だに到着していない。

 雲の動きから飛行船は速度を上げているが後ろの飛行船は徐々に近づいて来る。

 この広い雲海の真ん中に浮かぶ飛行船など大海に落ちた麦粒、人間は砂の如き小ささだ。

 予定時間と違う事に気付いた乗客達が訝しげな顔で忙しなく動き出し始めた。

 客室の隅で話し合っていたドロテア一行に近付いて事情を説明しなくては。

 

「何かありましたの?」

「わからん、怪しい船が一隻近づいている。とにかく落ち着いて状況を把握しなくては」

「もしかして空賊?」

「ちょっと、冗談じゃないわよ!」

 

 やはり空賊の可能性は否定できないか。

 なにせファンオース公国との戦争が終わってまだ一年も経っていないのだ。

 多くの兵が戦場に散り国家や貴族が保有する戦力は大きく目減りした、その一方で荒事でしか生きる術を持たない者は後を絶たない。

 貴族が領地と軍の立て直しに必死でどうしても治安維持にまで手が回らない隙を狙って空賊が跋扈しているのがホルファート王国の実情だ。

 それでもバルトファルト領の付近は空賊の出没などこれまで一度たりとも起きなかった。

 バルトファルト家は戦功によって貴族の地位を保って来た武門の家系であり、リオンは王国軍に所属し若くして空賊退治によって上官に評価されのが出世の切っ掛けだ。

 そんな男達の目の前で略奪行為を行うのは無謀だと少しは知恵のある悪党は気付いているのだろう。

 

『ブォーン!』 『ブォーン!』 『ブォーン!』

 

 突如船内に警告音が響き渡り非常時を知らせる灯りが点滅し始める。

 これはもう確定したと考えて良いだろう、この飛行船は空賊の標的にされたのだ。

 客室の外から慌ただしい物音が漏れ始め人々が不安げに身を寄せ合う。

 喧騒に驚いたのか私の足に抱きつく気配を感じた。

 ライオネルかと思い下を向くと其処には今にも泣きだしそうなアリエルが居た。

 慌ててライオネルと探すと先程までとは打って変わり窓の外を凝視する息子が佇んでいる。

 その表情は呆けているのか、それとも冷静に観察しているのか判別が出来ない。

 慌てて息子を窓から引き離して皆の元へ戻ると既に状況を把握した護衛達が物々しく準備を始めていた。

 

『乗船中のお客様にご連絡いたします。本船は現在、所属不明の不審船に追跡されています。速やかに客室へ集まり乗務員の指示に従ってください、繰り返しご連絡いたします。乗船中の…』

 

 船内に緊急事態を知らせる放送が流れ続々と人々が集まり始める。

 この定期船は人の移送を目的として設計されており最大で百人程度を収容できた筈だ。

 客室に集まった者の数は約五十名程度、客室の広さに対し過密状態となり些か息苦しさを感じる。

 その殆どが平民と思われる質素な服装であり、多少なり着飾った私達を見る人々の視線が痛い。

 

「……妙だな」

「どうしましたの?」

「仮に不審船が空賊だったとして目的は何だ?どう考えても平民ばかりが乗る船を襲うのは不自然だ」

「単なる偶然では?とりあえず目の前に来た船を襲っただけでしょう」

「元公爵令嬢と伯爵令嬢姉妹と男爵令嬢姉妹が乗った船を的確に狙うのが偶然に思えるか?」

 

 金銭目的の空賊なら貴族が個人で保有する飛行船か、或いは物資を輸送する大型船を狙うのが常道だ。

 無論、そうした船は自衛の為に武装を施したり護衛の鎧を搭載し戦闘に備えている。

 こんな平民ばかりが利用する定期船を襲った所で得られる物は僅かな金銭だけだ。

 人身売買を目的とするならその可能性も捨てきれないが、そうした取引を行う組織は強大さ故に足がつきやすい。

 その矛盾がこの状況の違和感を作り出している。

 客室の中が人々の不安げな声で満ちた直後、扉が開いて中年の男性が息を切らして入って来た。

 

「皆さん!私がこの飛行船の責任者です!これより本船は不審船からの逃走を試みます!どうか落ち着いて指示に従ってください!」

 

 こうした状況は不慣れなのだろう。

 青褪めた顔色のまま船長は震える体を必死に抑え乗客を宥めるのに必死だ。

 既に予定の停泊地を過ぎ去ろうとしている状況に苛立っている乗客は自身が空賊に襲われるかもしれないという不安を船長にぶつけ始めている。

 

「船長、状況を詳しく教えて欲しい」

「失礼ですが貴女は?」

「……バルトファルト子爵夫人だ。偶々この船に乗船している」

「ッ!?これは大変失礼を!」

 

 バルトファルトの名を出した途端に周囲から驚きの声が上がり場の空気が少しだけ収まる。

 船長は帽子を脱ぐと恭しく頭を下げ服の袖で額の汗を拭った。

 

「本船は最大船速で不審船からの逃走を試みております。また救難信号は既に発信致しました。ですが救援部隊の到着には今しばらくの時間がかかると思われます」

「この船に武装は無いのか?」

「旧式の鎧が三体ほど。ただ操縦者は戦闘の経験が多くありません。他には銃が数丁と威嚇用の大砲が右舷と左舷に一門ずつ。戦闘になればとても対処できません」

「流石に厳しいか。船の進路は?」

「救難信号を発信しながら軍を所有する領主がお住まいな付近の浮島を目指しています」

「バルトファルト領に向かえるか?」

「現在向かっているのがバルトファルト領です」

「それまで逃げられるかが問題だな」

 

 奥歯を噛みしめながら必死に状況を整理する。

 救難信号がバルトファルト領に届けば良いがそうそう都合良く物事が進む筈はない。

 人間の移送を目的としたこの船は武装も貧弱な上に速度も出ないだろう。

 いざとなれば乗客を巻き込んだ戦闘になりかねない。

 

「その鎧、私達の護衛にお貸し願えないかしら?」

「……こちらの方々は?」

「ローズブレイド伯爵の御息女だ。そして周りの男達は護衛として同行している騎士である」

「鎧の戦闘は素人には難しいでしょう。幸いにも私達の護衛は鎧の戦闘にも手慣れています。いざという時に時間稼ぎぐらいは出来ますわ」

「……いいのか?」

 

 もし鎧同士の戦闘になれば死ぬ可能性は格段に上がる。

 相手の命を奪い合う凄惨な戦闘に老若男女の区別は存在しない。

 あるのは少数の勝者と多数の敗者のみ。

 恋に血迷った主君の娘を護衛してたった一つの命を散らすなど不満が出ても仕方あるまい。

 

「手を拱いても状況は悪化するだけです。それならこちらから仕掛けた方が上策かと存じます」

「船長、鎧と銃の準備を」

「船員を呼んで客室の前に椅子とテーブルを移動させろ、即席の阻塞を作るぞ」

「わ、分かりました」

 

 船長が慌てて船内通信を始め、客室を訪れた船員に誘導された護衛の騎士達は我々に恭しく頭を下げると退室した。

 そうしている間にも後方の不審船が既に全容すら見えそうなほど近付きつつある。

 海賊旗こそ掲げていないがこの飛行船を狙っているのは明らかだった。

 汗ばむ子供達の手を握りながら心の中で神に祈る。

 少しでも早く救難信号が気付かれる事を願いながら心中の不安を噛み殺す。

 たとえ今殺されてもこの子達が無事なら私は満足して死ねる、数年間だけでも心の底から愛した男と夫婦になり子供まで産めたのだから。

 

 だが、彼と私の子達が死ぬのだけは許容する事だけは受け入れられない。

 己の命を捨てても護りたい物が今の私には存在している。

 既に窓の外には不審船の機影が映り始め、右後方からゆっくりと一定の距離を保ちつつ徐々に迫っている。

 如何に不審船がこの定期船より頑丈とはいえ急な速度変更によって衝突すれば両者とも飛ぶ鳥の餌になりかねない。

 じわじわと追い詰めてこちらの疲弊を狙う、何ともいやらしいやり方だ。

 

『ブォーン!』 『ブォーン!』 『ブォーン!』

 

 先程と同じ警告音が鳴り響き反射的に身を竦めた。

 船長が備え付けの通信機を手に取って口角泡を飛ばしながら話し合っている。

 連絡が終わり私達に近付く表情は打って変わって明るい物だった。

 

「この空域に近付く飛行船があります!きっと救援です!」

 

 その言葉の意味を理解した者の口から順々に歓声が上がる。

 荒事とは無縁に生きて来た人々にとってはさぞ生きた心地がしなかっただろう。

 周囲を見渡せばディアドリー達も義姉妹もどこか安心した表情を浮かべていた。

 言葉の意味を理解できず呆けている双子の姿が少し滑稽で私も口元が緩む。

 後はこのまま助けを待つだけだ。

 普段の強気な態度とは打って変わり震えながら私にへばりつくアリエルは中々に珍しい姿だ。

 リオンが見たらさぞ驚くだろう。

 喜びに震える客室の空気を他所にライオネルは窓に近付いて行く。

 不審船が見える方向とは正反対だった。

 普段は私やリオンから離れない息子が危機的状況で物怖じしないのは異様だった。

 

「ははうえ」

「どうした?」

「あれ」

 

 ライオネルが見つめるのは船の左側、その視線の先の紺碧な大空の一点だけが黒く染められている。

 その黒点が時間の経過と共に徐々に引き伸ばされ見慣れた形へと変わっていく。

 あれは王国で最も普及している軍用飛行船の形だ、バルトファルト領も同型の物を数隻所有している。

 漸くこの異常な状態から解放されると思い四肢の力を抜くと思わずよろめいた。

 慌てて近くの座席に座りライオネルを手招きする。

 いつもなら急かさなくても両親や祖父母に近付くライオネルがここまで他の物に興味を抱くのは珍しい。

 

「ちがう」

「何が違うんだ」

「みてない」

 

 息子が指し示す方向に目を凝らす。

 徐々に近付く船影は確かに王国軍の船だ、だがその色合いがどうにもおかしい。

 あんな色で染められたか?砲門はあの数で合っていたか?

 同型の飛行船でも用途や所有する貴族によって細部は異なるのはよくある事だ。

 あの飛行船はバルトファルト領の物ではない。

 では()()に所属してる船だ?

 喜びに沸く客室の中で私だけが真実に気付いた。

 先に気付いたライオネルは理解していない。

 

 事態は更に悪化している。




五人が訪ねた来た頃に女性陣は空賊に襲われていましたとさ。
モブせか世界の飛行船の詳細は不明な面も多いのである程度は想像して書いてます。(メーデー!民脳
子供は親が思う以上に個性的だったり記憶力が良かったりするのは実体験を基にしました。
2023年の高校は今章まで、次章の投稿は来年です。
某掲示板の元ネタから一年が経ちました。
こうして連載している事に自分でも驚いています。
私の文章を楽しんでくれる読者の皆様、依頼主様、絵師の方々に惜しみない感謝を。
よいお年をお迎えください。

追記:依頼主様のご依頼によりふぇnao様に挿絵イラスト、NiShiChi様Lcron様にクリスマスイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
ふぇnao様https://www.pixiv.net/artworks/114424424
NiShiChi様https://www.pixiv.net/artworks/114482036
Lcron様https://www.pixiv.net/artworks/114508758

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