婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

54 / 174
第53章 腐敗

 押し込められた船室の内部は廊下とは違う匂いで充満している。

 香辛料、酒、干し肉、乾燥ビスケット、にんにく等々。

 床に放置かれた空箱の底は潰れた芋が数個だけ入っている。

 この船室はどうやら食糧庫らしい、当面の間は飢え死にする事は無さそうだ。

 大きさが同じ木箱を何とか並べ、かび臭い布を被せて簡易ベッドを作りジェナを寝かせる。

 室内は食料の保存の為なのか空調が肌寒く窓すら無い為に外を窺う事も出来ない。

 軽く見回すも水道や化粧室らしき場所は備え付けられていない、当たり前か。

 閉められた金属製の扉の取っ手を握り手前に引くが殆ど動かず金属がぶつかり合う音だけが響き渡る。

 古臭い格子付きの扉を破壊するのは女の手では難しい。

 室内にあるのは食料のみで刃物はもちろん掃除道具すら置かれておらず、空の空き瓶、干し肉の欠片、野菜の皮等がそのままにされている。

 ジェナの容態が心配だ、顔からの出血は止まっているが感覚器官が集中している頭部への攻撃は後遺症が残る可能性がある。

 

ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 

忙しなく扉を数回叩くと扉が開き男が顔を覘かせた。

 

「義姉の治療をしたい、水を貰えないか?」

 

 男は舌打ちをして扉を閉めた。

 どれだけの水を持って来るかは分からないが人質を無下に放置する事は無さそうだ。

 フィンリーに関してはドロテアが傍らで世話をしているからとりあえず任せよう。

 改めて室内を物色して何か役に立ちそうな物がないか探してみる。

 度数が高い酒が入った無造作に置かれていた、この度数なら消毒に使える。

 再び扉が開くと男が水の張った盥を床に置いて去って行く。

 監禁はしても監視し続けるつもりは無いらしい。

 付け入る隙がある事実に安心するがまずは治療が先だ。

 まず度数が高い酒を空き瓶に移した後に水を注ぎ軽く振り続ける。

 酒と水の比率は四対一、目分量で簡易な作り方だがこれで消毒液になる。

 ハンカチを取り出して水に濡らしゆっくり丁寧にジェナの顔を拭く。

 

「ひっ……」

「すまない、痛むか?」

「……大丈夫」

 

 呻くジェナに謝りながら何度もハンカチを洗って顔を拭き続ける。

 どうやら出血は鼻と口からで顔に傷はほとんど無い。

 ただ腫れがひどいので骨が折れていないか心配だ。

 一通り拭き終わったら先ほど作った消毒液を別のハンカチにつけ顔を拭く。

 

「スースーするわね」

「幸いにして出血の割に顔に傷はほぼ無い、頭は大丈夫か」

「えぇ、少しクラクラしたけど大分良くなったわ」

「後はしばらく冷やしておこう、腫れが残ったら不味いからな」

「メルセの糞女、もし顔に傷が残ったら嫁に行けなくなるじゃない」

 

 こんな時にも婚期を気にするジェナに呆れつつ逞しい生命力に安堵する。

 一方のフィンリーも剣の鞘で叩かれた箇所は青痣になってはいたが骨は折れてなさそうだ。

 痛みを堪える義姉妹と何処か気もそぞろなドロテアを見ながら先ほど見つけた乾燥ビスケットを差し出す。

 外の様子を窺えない船室ではどれだけ時間が経過したか分からない。

 ただ何か起きた時の為に体力は温存しなくてはいけない。

 ボソボソとした食感のビスケットは頬張るとたちまち口の中の水分を吸収する。

 先程見つけた酒の中で度数が比較的低い安ワインを飲んで潤す。

 妊娠中に大量の酒を摂取するのは胎児に悪影響だが背に腹は代えられない。

 皆が黙々と食べ物を頬張る、特にジェナは口中が切れているのか口を動かす度に唸っていた。

 漸く人心地がついて安堵の溜め息が漏れる。

 昼に襲われてからずっと生と死の境を行き来した心労は想像以上に心身負担になっていたらしい。

 

「それで、あいつらは何者なんだ?」

 

 情報収集と眠気を誤魔化す意味合いでフィンリーに尋ねる。

 負傷したジェナは長時間喋らせるのは負担になるだろう。

 

「父さんの元妻よ。私達とは血が繋がっていないし、メルセとルトアートも父さんの子じゃないけど」

「あれが義父上が語っていた女か、詳しくは知らなかったがあんな母子だとはな」

 

 バルトファルト家の事情についてはリオンや義父上から聞き及んでいたがまさかあんな者達だとは思わなかった。

 確かに娘と息子の顔は整っているが苛立ちや驕慢といった性根の歪みが如実に滲み出て醜悪さが増している。

 ゾラに至っては痩せた体を誤魔化すように過剰なまでに服の装飾や部屋の内装にまで拘っていた。

 自らの振る舞いが他者からどのように思われているかも察せられず、空賊達に行動を誘導されている自覚すら無い。

 何故あのような輩が空賊達に命令できる立場にいるのか疑問が残る。

 

「ファンオース公国の戦の前に逃亡して貴族籍を剥奪されたとは聞いていた。消息も全く聞いてないから既に亡くなったか国外に居ると判断したのだが随分と羽振りが良いようだ」

「私達だってとっくに死んだと思ってたわ。まさかこんな大それた事をやらかす度胸があるなんて思わなかったわ」

 

 だとしたら奴らの目的は何だ?

 既に先の戦争から五年、ファンオース公国がホルファート王国に併合されて半年以上が経っている。

 それほどの期間を潜伏し続けバルトファルト家を狙っていた?

 いや、その可能性は低いだろう。

 ルトアートという男は私の顔はもとより素性さえ知らなかった。

 公爵令嬢の私が成り上がり者のリオンに嫁いだという情報は社交界で知る人ぞ知る噂だ。

 父上は私とリオンの婚姻に関して情報を規制する真似はしてない。

 だからと言って払拭した訳でもない。

 醜聞の揉み消しや情報操作は高位貴族の御家芸ではあるがこの件に関して公爵家は気味が悪いほど何もしていない。

 そんな情報すら知らない者が眈々とバルトファルト家を狙い続けるだろうか?

 リオンと義兄上が従軍した頃のように防備が薄い期間はこの数年間に幾度もあった。

 数年前の情報すら入手せず、襲う機会を逃し続けた者達が今になって行動し始める理由が想像もつかない。

 分かるのは奴らはバルトファルト家を敵視し、私達を人質にして何かを企てている事だけだ。

 

「駄目だ、疲れたせいか頭が回らん」

「どうにかして居場所を教えられないかしら?」

「無理よ、だってこの飛行船ずっと飛び続けてるじゃない」

 

 何の指標も無くこの空から飛行船一隻を見つけるのは極めて困難だ。

 地上のように何かを置く事も匂いを辿る事も出来ない。

 雲は刻一刻と姿形を変えて移動し、あらゆる痕跡は風によって吹き飛ばされる。

 身代金を要求するならバルトファルト領からそう遠くない場所に留まり続けるだろうが、私がレッドグレイブ家の娘と知り逃亡を図る可能性は捨てきれない。

 そうなればリオンが私達を追跡するのは極めて難しくなってしまう。

 

「問題ないわ、ニックス様がすぐに私の居場所を突き止めてくださるから」

「義兄上を信じるのは結構だがそう簡単に事は進まないだろう」

「あら、私が何の秘策も無いまま捕まったと思っているの?」

 

 ドロテアはそう告げると服のボタンを外し豊かな胸元から何かを取り出す。

 派手な装飾こそ無いが精巧な細工が施されたペンダントが私達の前に置かれた。

 ドロテアがペンダントの裏面を何やら操作するとペンダントの一部が明滅を始める。

 

「専門の職人と技師に特注で作らせた発信機付きペンダントよ。ニックス様に同じ物を差し上げたわ」

「……私達に同行したのはそれがあったからか」

「お優しいニックス様は妻に妹達を見捨てるような女を選ばないわ。あの方の為に最善の方法を取ったまでよ」

 

 確かに義兄上もリオンと同じように家族に対して愛情深い性格だ。

 或いはそれがバルトファルト家の男性特有の気質なのかもしれない。

 そんな義兄上なら婚約者が妹達を見捨てたと知れば婚約を解消しても何らおかしくはないだろう。

 逆を考えれば義兄上との関係にとって有利になる。

 即ち己の利にならぬならドロテアは私達を放置したかもしれない。

 この場に於いては頼もしいが同時に厄介な女でもある。

 

「発信を検知できる範囲は?」

「おおよそ王国の領空の半分程度ね。信号は専用の特殊周波数だからここの連中には感知不可能よ。あとはニックス様達の到着まで時間をどれだけ稼げるが問題」

「こんなのあるならさっさと言って欲しかった!」

「バレたら元も子も無いわ。奪われて破壊されたら追跡できなくなるし」

「こっそり私達に渡せなかったの?」

「私達姉妹だけ助かったらニックス様に嫌われるじゃない!」

 

 ドロテアは声を荒げつつ自らの体を抱くように腕を絡ませ身悶え始めた。

 その脳内でどのような妄想が繰り広げられているのかは不明だ。

 ただ頬を染め上気した表情のまま体をくねらせるドロテアという存在は傍から見ても凄絶なものだ。

 

「私とニックス様はどれだけ離れても決して切れない愛の絆で結ばれてるの!」

「どう考えても技術だろうに」

「風より疾く!太陽よりも情熱的に!ニックス様は私を助けようと馳せ参じる姿が目に浮かぶわ!」

「お兄ちゃんはそんなタイプじゃないと思う……」

「あぁ、いけませんわニックス様!?そんなはしたない真似はお止めください!」

「どんな想像してんの…?」

「でも、ニックス様がお求めになるのでしたら…。婚姻前は清らかなままで迎えたいと思っていましたが…」

「そこまでにしておけ、妄想でも身内のそんな姿は想像したくない」

 

 なまじ外見が惚れ惚れするような美女なせいでその異常さが逆に際立つ。

 怜悧冷徹な計算と苛烈なまでの情愛が入り混じっている残念な女だ。

 

「しばらくは体を交代で体を休めよう、他の者は室内に何か役に立ちそうな物が無いか探してみてくれ」

「わかったわ」

「悪いけど先に休ませて、まだ殴られた所が痛むから」

「じゃあアンジェリカさんとお姉ちゃんが先ね」

 

 室内にある布を毛布代わりに体に巻き付けて壁に背を預ける。

 振動に揺られていると心身の疲れと飲んだ酒の酔いが全身に回って急速に眠気に襲われる。

 発信機があるからといって楽観は出来ない。

 どれだけリオン達が急いで向かって来ても人質という絶対的に不利な条件を抱えては真正面からの戦いは厳しい物となる筈だ。

 せめて何か手助けになる物を見つけなければ。

 思考は続けたまま、されど五感が急速に遠ざかる。

 気を失うようにいつしか私は深い眠りに落ちて行った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 どれくらい眠ったのかは定かではない。

 目を覚ますとフィンリーとドロテアが休息に入った、ジェナは手伝うと言っていたが顔の腫れが引いていないのでそのまま休ませる。

 室内を見渡した後に隅々まで確認する。

 壁は金属製で人の手で破壊できるような物ではない、天井には空調の為か幾つかの配管が剥き出しのまま放置されている。

 大きな空箱を二つほど積み重ねて何とか配管に触れる、こちらも女の細腕で壊せる代物ではない。

 ただ数ヵ所に蓋があったので触ってみるとその部分だけは少し動く。

 ゆっくりと動かし続けると最初は抵抗があったが徐々に緩くなり外れてくれた、埃まみれの蓋に触れた両手は真っ黒に汚れている。

 首を動かして内部を観察するがこの太さでは成人女性が通り抜けられるのは不可能だろう。

 

 配管を調べるのはいったん中止して次は置かれている箱を一つずつ物色していく。

 大半は食料であり乾物、缶詰、瓶に入った液体が殆どだ。

 ただ調理用の油を発見できたのは収穫だ、上手く使えば何らかの反撃に使えるかもしれない。

 大方調べ終えた後に軽く手を洗う、黒ずんだ手を見られて怪しまれたら一大事だ。

 ふと、リオンが授けてくれた御守りが目に入った。

 安産祈願の御守りに厄除けの願いを託すのは些か筋違いという物か。

 

トン トン トン

 

 扉を外から叩く音が聞こえ慌てて動かした物を元の位置に戻す。

 ジェナに促されフィンリーとドロテアが目を覚まし室内に緊張が走る。

 顔を覘かせたのは空賊が二人と元騎士と共にいた一人だ。

 

「そこの女二人、出ろ」

 

 空賊が私とドロテアを指名して外へ出るように促す。

 ジェナとフィンリーも続いて出ようとするが制止された。

 

「お前ら姉妹はここで待ってろ、坊ちゃんが呼んだのはこの二人だ」

「坊ちゃんってルトアート?」

「そうだ」

「二人が危ないじゃない!」

「黙れ!大人しくしていろ!」

 

 二人の抗議が荒くれ者達の罵声に掻き消される。

 抵抗を続ける二人を優しく見つめ続けると渋々ながら引き下がってくれた。

 これからどうなるか分からない。

 ルトアートという男は見た限り傲慢でありつつ小心な男。

 そうした輩は追い詰められると途方もない馬鹿げた行動を突発的に行う傾向にあるから注意が必要だ。

 賊達に促され船内を歩んでいくと囚われた直後に案内された部屋とは別の扉の前に案内される。

 扉が開くと先程の部屋とは打って変わり簡素な内装が目に付く狭い室内だった。

 中央に置かれた悪趣味な椅子にルトアートが鎮座している。

 その前に粗末なテーブルと椅子が二脚置かれていたので首も垂れず座る、ドロテアも私と同じようにマナーを省略して座った。

 ルトアートは舌打ちしたがそもそも相手は賊だ、私達が礼儀を払う必要など何処にも無かった。

 部屋に居た男が茶を淹れてくるが賊が差し出した物を口に含むほど私達は愚かな女ではない。

 そんな私の態度が気に食わないのだろう。

 ルトアートは眉間に皺を寄せ血走る眼で私達を睨んだ。

 

「名前は?」

 

 名を尋ねられたが敢えて無視する、ドロテアも同様だ。

 そもそも私は襲われた時に自ら名乗っている、それを憶えないのは其方の不手際だ。

 

「名前を聞いている!答えろッ!」

「……アンジェリカ・フォウ・バルトファルト。旧名はアンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ」

「ドロテア・フォウ・ローズブレイド」

 

 嫌々答える態度を崩そうともしないドロテア。

 この女は身内と義兄上以外の者に対して基本的に辛辣だ。

 私も相当に傲慢な女だと自覚してはいるがこれ程ではない。

 だが相手を怒らせ会話の主導権を握るのは商談や取引に於いて基本的な技だ

 この男、そしてゾラが何を企んでいるのか。

 私達をどうするつもりなのか正しく把握しなければならない。

 

「公爵家の令嬢が平民の血を引く汚らわしいあいつに嫁ぐとはな。リオンにどんなを脅しをされた?」

「何も脅されていない。父上が持ち込んだ縁談だが彼に嫁ぐと決めたのは私自身の意思だ」

「馬鹿を言え、公爵令嬢が平民に嫁ぐなんておかしな話があるか。裏で取り引きがあったに決まっている」

「それは貴族の婚姻全般に言える事だ、珍しくもない」

 

 確かに父上は私をリオンに嫁がせる事で派閥の結束と強化を画策している。

 もし公爵家が王家に弓を引くなら援軍としての協力をバルトファルト家に求めるのはほぼ確実だ。

 争いが起きない為に私とリオンが奔走しているのだが、そんな裏事情をルトアートが知る筈はあるまい。

 

「あいつは卑しく臆病な猿だ、そんなリオンが貴族だと?王家や貴族達はいったい何を考えてる」

「十代半ばという若さで戦場を駆け回り敵将を討ち取って軍を撤退させた。その功績を正しく評価され爵位と領地を拝領しただけだ」

「汚らわしい平民の血を引いているんだぞ!?あんな奴が領主になるなど貴族の品格を落とす行為だ!」

「領地と領民を見捨てて逃げ出す卑怯者の数万倍は貴族に相応しい」

 

 私の発言が突き刺さったのだろう、ルトアートが形相を一変させ殺意に満ちた視線を放つ。

 だが私には一向に効果が無い、嘗て婚約期間中に心に傷を負っていたリオンが私を襲った事がある。

 あの時の私は己の死を覚悟した。

 それと比較すれば目の前のルトアートにどれだけ睨まれようが震えさえ起きない。

 寧ろ軽い挑発の言葉で動揺するルトアートの方が器量の小ささを態度で示した。

 妻としての欲目もあるが人間としてあらゆる面でリオンにルトアートは敵わない。

 

「ニックスもそうだ、あいつは私が継ぐはずだった物を掠め取った簒奪者だ。そんな男が貴族に相応しいと思うか?あの地を治めるのにもっと相応しい者がいるはずなんだ」

「そして相応しい者が己だと主張したいのか?」

「分かっているじゃないか」

「そこまでにしておきなさい下郎」

 

 ルトアートが義兄上を貶める言葉を呟いた次の瞬間にドロテアが横から口を挟む。

 その瞳は静かに怒りを湛えている。

 ルトアートが放つ殺気よりよほど恐ろしさを感じる。

 

「ニックス様を辱める者は誰であろうと手加減しないわ。主君だろうと、宰相だろうと、親であろうと平民であろうと。必ず見つけ出し切り刻んで鳥の餌にしてあげる」

 

 ドロテアの言葉に嘘偽りは一片も混じっていない。

 実行する力と覚悟を持つ者のみが放てる本当の殺気。

 例え今まで人を殺めた事が無くとも確実に始末されると思わせる冷酷さが存在した。

 その殺気に気圧されたのだろう、ルトアートと空賊達は体を少しだけ後ろに仰け反らせる。

 

「話は終わりか、ならば元の部屋に戻りたい。ジェナの傷の具合が気掛かりなのでな」

「待てッ!話はまだある!」

 

 席を立とうとする私達をルトアートが制止する、まだ何かあるのか。

 なりふり構わず私達に何を求めるのか。

 あの母と姉から解放されたいのならまず私達を逃がす所から始めるべきだ。

 空賊の戦力がどの程度かは分からないがバルトファルト家とローズブレイド家が連携すれば勝ち目は十分にある。

 或いは父上と兄上に助力を求めれば公爵家は快く力を貸す。

 人質となった私達の安否を考慮しなければ決して恐ろしい相手ではない。

 だがルトアートの要求は私達の想像を遥かに超える物だった。

 

「私を貴族に戻る為に協力しろ。卑劣な簒奪者共から私の名誉と地位を奪い返し、王国貴族の威信を取り戻すのだ」

「……何を言っているか全く意味が分からんな」

「行きましょう、馬鹿に付き合う暇は無いわ」

「王国に必要なのはニックスとリオンのような卑しい平民の血を引いた奴らではない。貴き血を受け継いだ者達こそ次代の王国を担うべき存在なのだ」

「自分こそ王国の未来を担う存在だと?」

「そもそも平民が聖女など神に対する冒涜でしかない。真に優秀な者こそ国の政治を担うべきなのにどいつもこいつも惑わされている」

「話にならないわ、聖女の地位なんて単なるお飾りよ。単に最も優秀な者がその地位に就いただけに過ぎないわ」

「目を覚ませ!どうして奴らに媚び諂う!?あいつらは貴族の地位と財産を狙う極悪人共だ!」

 

 誇大妄想も此処までくれば不快を通り越して滑稽になるとは。

 私は自分が優秀だという自負は在れど、仮に私が聖女の地位に就けたとしてもファンオース公国の侵略からホルファート王国を護る事は不可能だ。

 平民でありながら聖女となったオリヴィア、平民同然の出生に屈さず子爵となったリオン。

 今の王国は家柄や血筋ではなく本人の能力によって評価される変革期を迎えてつつある。

 どんなに先祖が優秀であろうと受け継いだ爵位と財産を護りきれない者に貴族たる資格は無い。

 そんな現実を受け入れられない愚物に限って優れた者の足を引っ張り王国の復興を妨げている存在だ。

 

「バルトファルト家の家督だって本来は私の物だった。連中が卑劣にも私の受け継ぐ物を奪った。お前達だって本当は私の妻になる筈だったのにリオンとニックスが奪った」

「因果が逆転している。貴様達が公国との戦争に加わらず逃走したから義兄上がバルトファルト家の家督を継いだ。リオンは王国軍に所属して戦功を挙げた恩賞として子爵に叙された。そもそもお前は義父上の血を引いていない赤の他人。簒奪者はお前だ」

「あいつらの物は私の物だ!それを奪い取った卑劣な連中をどうして庇う!?」

「庇ってなどいない。貴様らは従軍拒否、敵前逃亡、血統詐欺。どれも国への忠誠と貴族の正当性を蔑ろにしたお前達の方が貴族に相応しくないと分からんか」

 

 私とドロテアの体を舐め回すような視線で見つめ、情欲を隠そうともしないルトアートがひたすら不快だ。

 馬鹿馬鹿しい、どうして私がお前の妻にならなければいけない。

 確かに私とリオンが婚約した切っ掛けは公爵家の都合であり、私自身もその腹積もりでいた。

 だがリオンとの婚約に同意したのは私の選択、リオンを愛したのは私自身の意思だ。

 例え貴様がバルトファルト家の家督を継いだとしても惚れる可能性など毛程も存在しない。

 

「あのような状況で戦うなど野蛮人がする事だ!私の他にも多くの貴族が逃げ出した!」

「護るべき領地も民衆も見捨ててな。そんな奴らに傅く必要など何処にもない。自国を護ろうとすらしない者に人を導く資格は無い」

「奴は学園に入学さえ出来なかった!そんな男が領地の運営など出来る訳ないだろう!」

「リオンが学園に通えなかったのは経済的な事情とお前の母に宮廷貴族の女と婚姻を命じられたからだ。彼の知性に欠陥は無い。むしろ同年代の貴族令息に比べ賢い」

「公爵家の後ろ盾があるから失敗しても誤魔化せるだけだ!あいつは運が良いだけに過ぎない!」

「幸運なだけで五年に渡り未開拓の浮島を維持できようか。彼は常に悩み自ら学び続け陣頭に立って戦い続けた。隣で見ていた私がそれを一番理解している」

「貴族は先祖から受け継いだ地位と資産を護るのが務めだ!わざわざ辺境の地に住むなど無能の証明だ!」

「不労所得が貴族の美徳など過去の幻想だ。今の王国に必要としているのは身を粉にして働く勤勉な者達で血筋と財産に胡坐をかいた者ではない」

「私ならもっと上手くやれる!本当に優秀なのはどちらか!分かるはずだ!」

「確かに分かりきってるな、貴様はリオンの足元にすら及ばない」

 

 ルトアートと会話し続けるどうしようもなく苛立ちが募る。

 もしゾラが義父上と結婚しなかったら。

 もしメルセとルトアートがリオン達の異母姉兄に扱われなかったら。

 もし宮廷貴族の女との婚姻を強制されなかったら。

 きっとバルトファルト家は穏やかな日々を送れた筈だ。

 リオンは貴族の非嫡出子として扱われなかった、学園に通う事も出来て優秀だと認められたかもしれない。

 何より軍に所属せずに傷を負って悪夢に魘され憔悴せずとも済んだ筈だ。

 貴様らのせいでリオンは長年苦しい立場にいた。

 貴様らが居たからリオンはその優秀さを人々から認められなかった。

 貴様らが真っ当ならリオンは戦場で傷つかずに済んだ。

 

『こいつらは敵だ』

『リオンの バルトファルト家の そして、私の敵だ』

 

 腹の底から湧き上がる怒りを殺意に変え怯む事無く目の前のルトアートを睨む。

 私の気勢に怖気づいたルトアートは私から目を逸らした。

 

「な、ならニックスはどうだ!?あいつは凡庸で才能など無い!私の方が秀でている!」

「はぁ?死にたいの貴方」

 

 どうやら今度はドロテアの触れてはならない部分に触れたようだ。

 それまで冷静にこの状況を見据えていたドロテアの目が吊り上がる。

 

「ニックス様は貴方と違い逃げなかったわ。先の戦争ではお義父様と共に旧バルトファルト領を護り続けたわ。敵わぬと尻尾を巻いて逃げ出した似非貴族の腰抜けとは器が違うのよ」

「私が腰抜けだと!?」

「腰抜け以外の何物なのよ。バルトファルト家の皆様と共に開拓に従事し続けたわ。此度の戦争もバルトファルト子爵と共に戦い抜いて正式に家督を継ぐのが決定済みよ。王都で茶を啜るだけの阿呆と一緒にしないで」

 

 簡潔に要点のみを纏めてルトアートを罵るドロテア。

 愛する男を侮辱した者を縊り殺したいのは私も同じだ。

 あぁ、今この時に銃を一丁この手に握り締めていたなら。

 こんな不快な事だけを呟く輩の口を永遠に閉ざせるのに。

 

「自分の所業を見つめ直せ。お前には貴族たる資格も才覚も存在しない。ただ先祖が打ち立てた栄光に縋り付いているだけの能無しだ」

「…………………だまれ」

 

 ルトアートの目に狂気が宿る、怒りで我を忘れたか。

 私はその程度で屈しはしない。

 私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルト。

 リオン・フォウ・バルトファルト子爵夫人だ。

 

「黙れぇぇェェェェッ!!」

 

 ルトアートの振り上げた拳が迫る。

 とっさに避けようと思ったが思い直し腹を庇う。

 次に瞬間、右の頬に衝撃を感じよろめいて数歩退いた。

 

「どいつも!こいつも!母上も!姉上も!皆が私を認めない!」

 

 部屋に居た空賊達が目を血走らせ追撃を試みるルトアートから必死に私を庇うという異常事態だ。

 空賊の二人が腕と胴にしがみ付き、残る一人は周囲の者に声をかけ続けた。

 たちまち何事かと数人の男が集まって室内の様子を窺い始め、正気を失ったルトアートを取り抑える。

 口から涎を垂らしながら私に襲いかかろうとするルトアートは既に正気を失っていた。

 

「離せェ!殺してやるッ!」

「止めろ馬鹿!自分が何をしているのか分かってんのか!?」

「あの雌犬!貴族の私を侮辱しやがった!」

「人質を殺したら金も計画も台無しだろうが!少しは考えろ糞貴族!」

「おい!女共を連れ出せ!坊ちゃんを落ち着かせろ!」

 

 数人の空賊が私達の周りを囲んでルトアートから隠すように部屋を追い出す。

 ルトアートは扉が閉まる直前まで私とドロテアに対する下劣な呪詛の言葉を吐き続けた。

 溜め息を吐いて頬を撫でる、口元が切れたのか少し血が滲んでいた。

 衝撃の割に傷は深くない、リオンや義兄上と比べ鍛錬が足りないのだろう。

 そのおかげでお腹の子が助かったのは皮肉だ。

 あの男は駄目だ、もはや性格の矯正すら効かないほどに歪みきった価値観に毒されている。

 

 嘗てのホルファート王国はあのように考える者達の巣窟だった。

 自らが優れた存在と疑わず、民を傷付けても何も感じず、堕落を是とした腐敗貴族。

 身分制度と平穏が齎した国を蝕む血膿、だからこそ一刻も早く切除しなければならない。

 ドロテアの通信がリオン達に届いている事を祈る。

 この問題を解決する為には私も骨を折らなくてはならない。

 今の私はレッドグレイブ公爵令嬢ではなくバルトファルト子爵夫人だ。

 夫の為、子の為、家族の為、一族の為。

 襲い来る災厄を取り除かねばならない。




今作の連載が始まってちょうど一周年となりました。
まさかこうして一年も書き続けている状況に驚いています。
そんな時にヒロインがひどい目にあってる章を書く私って一体…。(汗
三嶋与夢先生の作品には性根が腐りきった悪役が数多く登場しますがあれほど突き抜けたクズを書くのは実に難しい。
改めてクズキャラを描ききる原作者の力量に感服します。(褒め言葉です
次章はユリウスと敵キャラ視点です。

追記:依頼主様のご依頼によりm.a.o様とdonat様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。

m.a.o様 https://www.pixiv.net/artworks/115093517(成人向け注意
donat様 https://www.pixiv.net/artworks/115093980

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。