婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第54章 未練

 薪ストーブから木が爆ぜる音のみが部屋に木霊する。

 古めかしいソファーには自分以外に小さな隣人が二人寝息を立てている。

 母親と別れてからずっと泣いていた疲れが出たんだろう。

 する事も無くただ待つだけの時間が流れる速さはあまりに遅い。

 

「……ひゅん」

 

 可愛らしい声が隣から聞こえた。

 兄妹のどちらか分からないが寒さでくしゃみをしたと分かるまで数秒かかった。

 ずれた毛布を肩までかけてやりストーブをソファーの近くまで移動させる。

 これで少しは暖かくなるだろう。

 

 四人とバルトファルト家の面々が出撃してから数時間、隊舎で彼らからの報告を待ち続けるのは退屈窮まる拷問だ。

 この空港に停泊している王家専用の飛行船で待機しても誰も俺を咎めない筈だ。

 しかし領主の妻が賊に誘拐され領主が直々に討伐に向かうという状況は非常事態と言っても差し支えなかった。

 

 何よりバルトファルトが言ったように防御が手薄になったこの地を襲う者が存在する可能性は捨てきれない。

 ディアドリー嬢がローズブレイド家に援軍を要請したが、伯爵がバルトファルト領に到着する頃には日付が変わ陽が昇っているだろう。

 現状に於いて最高責任者である王子が気を抜いては下の者達に示しがつかない。

 この任務に同行している気心知れた部下なら飛行船の自室で眠りこけても見て見ぬふりをするだろう。

 

 だが、この場にいる兵の殆どはバルトファルト領の領民だ。

 不躾な振る舞いはそのままホルファート王家に対する批判と不信に繋がってしまう。

 かといって四六時中部下が付き纏っているのも鬱陶しい。

 この部屋に居るのは俺と、現在のバルトファルト領で一番地位が高い男爵夫人が置いていった子爵の子供達だけだ。

 やるべき事を済ませたディアドリー嬢はさっさとバルトファルト家が用意した宿に行ってしまった。

 あの奔放さが少し羨ましい。

 

『王族とは不自由なものだな』

 

 もう何千、何万回も繰り返した諦めと絶望の入り混じった言葉を頭の中で呟く。

 思い返すと学園時代の俺は鳥籠で育った小鳥が風の寒さも肉食獣の恐ろしさも知らないまま空の広さに憧れるようなものだった。

 王族として責務が厭わしく思え、冒険者として己の力のみで生き抜く者達に憧れた。

 その日の糧を得る為に命を賭け金する人々の辛さ、横から報酬を掠め取ろうとする小悪党、傷を負い道端で物乞いをしながた飢えて死ぬ元冒険者。

 危険も悪意も貧困も存在しない絵空事の優しい冒険譚の世界。

 アンジェリカとの婚約が破棄された後に空賊退治や戦争に参加した。

 

 王族として政務に携わって漸く目が覚めた。

 いや、いろいろな視点から物事を見る事が少しずつ出来るよう目が肥えたんだろう。

 オリヴィアを大事にしたいのなら俺が為すべきなのは彼女を護る事ではない。

 能力のある者、正しき者が差別されず真っ当に認められる社会を作る事だった。

 平民と貴族の間に存在する偏見の壁を取り除くのは並大抵ではない。

 知らないからといって無礼な振る舞いを許しては単なる贔屓に終わってしまう。

 オリヴィアが一人の人間として貴族に認められるような立ち振る舞いを教えなくてはいけなかった。

 

 過去を振り返ればアンジェリカがオリヴィアに対し直接的に関わったのは俺に親しくした時のみだ。

 それも俺とオリヴィアに苦言を呈したのみであり、嫌がらせなど積極的に行うような女ではなかった。

 公爵家の力を使えば平民の特待生を普通クラスに移籍させる、或いは退学に追い込むなど訳もない事だ。

 だが、アンジェリカはそんな事はしなかった。

 理路整然と俺とオリヴィアの非を説いて慎むように諫言し続けただけ。

 そうして訪れたあの日、俺達の関係は修復できないほどに壊れてしまった。

 

 オリヴィアを迫害していた貴族達は俺達五人の婚約者が首謀者だったと後から調査で判明したが、その中にアンジェリカは含まれていなかった。

 平民に対し差別意識が強い公爵家の取り巻きが暴走した結果であり、むしろアンジェリカはそうした輩を何度も止めていた。

 長年の付き合いでアンジェリカは不正や身贔屓を嫌悪する性格だと知っていたはずなのに、俺は首謀者がアンジェリカではないと疑いもしなかった。

 

『下の者を抑えつけられないのならそれは上の者の責任だ』

 

 そう思って在りもしない罪を何の非も無いアンジェリカを放逐した俺は愚か者の窮みだった。

 下の者を統率できないのが罪なら婚約者の機嫌すら取れない俺達もまた同罪のはず。

 理不尽に権力に振るい罪無き者を責めたてる俺達はオリヴィアを迫害していた貴族と何も違わない。

 裏でフランプトン公爵が暗躍して俺とアンジェリカの仲違いを煽り、オリヴィアの後援者として権勢を振るいファンオース公国と内通していたと判明して国を護った英雄などと讃えられ調子に乗っていた俺達はようやく自分が仕出かした過ちに気づいた。

 

 後悔した所で時間が戻る訳もなく赦しを乞う事も出来ないまま時は流れ続ける。

 廃嫡こそ免れたが国益を損なった俺を持て余した王家が空賊退治やアルゼル共和国への派兵させたのも『いっそ死んでくれた方が良い』という下心があるのは分かっていた。

 傷付いた国を癒す為に奔走するオリヴィアは確かに聖女に相応しい人柄で俺は彼女に相応しい人間には思えなかった。

 

パチッ パチッ

 

 大きく薪が爆ぜた音に意識が覚める。

 ストーブの温かさについうとうとしていたようだ。

 時計の針は大して進んではいなかった。

 今この時に皆は戦っているかもしれないのに。

 

コンッ コンッ コンッ コンッ

 

「入れ」

「……失礼します」

 

 許可を呟くと男爵夫人が恐る恐る入室して来る。

 手に持ったトレンチには皿が一つ載せられていた。

 

「大した饗しも出来なくて申し訳ありません」

「気を使わなくてかまわない、楽にしてくれ」

「せめて何かにお腹に入れていただけたらと思いまして」

 

 野菜を大量に煮込んだスープが湯気を立てていた。

 確かにバルトファルト領に来てからろくに食事を取っていない。

 空腹を自覚した途端に抑えきれない食欲が湧き上がってくる。

 

「毒見は部下の方達が済ませてくださいました。このような粗末な物は王家の方々の御口に合わないと思いますが」

「いや、ありがたくいただこう」

 

 匙を手に取って最初の一口を啜る。

 味付けはおそらく塩と少量の調味料だろう。

 野菜から染み出した出汁と肉の脂が溶け合い濃厚ではないが優しい口当たりだ。

 毒見のせいか少しぬるくなってはいるがそれでも具材の良さがはっきりと分かる。

 何より肌寒い夜に温かい食事は豪華な宮廷料理に勝る満足感を与えてくれる。

 黙々と匙を動かし続け、気が付けば皿は空になっていた。

 

「美味かった、感謝する」

「畏れ多いお言葉です、ここで採れる食材作った簡単な料理でしたけどご満足いただけたようで」

 

 男爵夫人は頭を下げて双子の側に寄ると優しく頭を撫でる。

 思い返せば先王夫妻はもちろん父上と母上にさえこうして触れ合った記憶が俺には無い。

 政務に明け暮れ息子を顧みない母親と面倒事を妻に押し付け気ままに生きる父親。

 親からの愛情は確かに在った、それが俺の求めた物とは違う歪な形だっただけ。

 それに気付かないまま俺の行動に口を出すアンジェリカの姿が母上と同じに見え、いつしか厭うようになってしまった。

 

「アンジェリカは……」

 

 気が付けば声に出して尋ねていた。

 

「アンジェリカは此処で幸せに暮らしているか?」

 

 何故尋ねたか、自分でも分からない。

 

「はい、アンジェリカさんはよく幸せそうに笑っています」

 

 朗らかに答える男爵夫人はとても嘘をついているようには見えなかった。

 笑うアンジェリカを最後に見たのはいつだろうか?

 婚約したばかりの頃はよく笑っていた気がする。

 次期王妃としての教育を受けるようになって、成長して学園に通い始め、オリヴィアとの関りが増えた頃にはいつも不機嫌な顔をしていた。

 それも全ては俺が原因だ、アンジェリカの行動に瑕疵は無かった。

 

「初めて会った時はこんな素敵なお嬢さんとの縁談が来るなんて信じられませんでした。まさか公爵家のご令嬢とうちの息子が婚約なんて」

「バルトファルト子爵はそれだけの功績を成し遂げた、誇らしい息子ではないか」

「そりゃあ、お腹を痛めて産んだ子ですから偉くなるのはいいんです。でも親としてはずっとあの子が心配でした」

 

 忙しなく孫達の毛布を掛け直しストーブに薪を追加する男爵夫人は貴族の奥方ではなく使用人のように感じる。

 バルトファルトの母が平民であり、妾が産んだ非嫡出子として長年扱われたのは知る者なら予め知っている基本情報だ。

 

「人一倍聡いのに何処か遠慮しがちでした。私が平民の出だから学園にも通わせられなかったんです。無理やり縁談を薦められて私達に危害が来ないように家を出るような優しい息子で」

「彼の才能はそこらの貴族令息よりはるかに優秀だ。それこそアンジェリカを誘拐した輩共よりも」

「戦争から帰って来た時は心と体にひどい傷を負っていました。苦しむあの子は私達に遠慮して独りで死ぬ気になっていて。夫と二人で泣き続けた夜もあります」

 

 バルトファルトに比べたら俺の苦悩など甘ったれの戯言だろうな。

 自分が恵まれている事を知らない愚か者だから平民の暮らしを自由な物と勘違いしていた。

 己が生きるのに必死か、国の為に命を捧げられるか。

 命の重さや使い方に身分など関係ないのかもしれない。

 

「アンジェリカさんが付きっきりで介護してくれたおかげでリオンは立ち直れたんです。今じゃこうして孫を抱ける日が来るなんて。若い頃は想像もしてません」

「苦労は無いのか?」

「こんな辺境ですから失敗も苦労も山ほどあります。でも終わってみれば案外良い思い出になってくれてますから」

「アンジェリカも大変だな」

「領主の妻としては満点です。農家の嫁としては目も当てられません」

 

 当たり前だ。

 オリヴィアなら経験はあるだろうが俺達五人が生きていくなら貴族か冒険者の二択しかない。

 王妃になるべく教育されたアンジェリカも同じはず。

 公爵家と比較にならない小さな辺境の浮島で戦争で成り上がった荒くれ者と結婚するなど本来は世の総てを怨んでも仕方ない境遇だ。

 しかし再会したアンジェリカは王家を怨む事も自分の境遇を嘆く事もしていなかった。

彼女はとっくに自らの力で幸せを掴んでいた。

 そこに俺の入り込む余地はもう無い。

 

 隣で毛布に包まって眠る子供を見る。

 特に女の子の方は幼い頃のアンジェリカの面影が強い。

 俺とアンジェリカが婚約破棄したからバルトファルトは立ち直れた。

 この地でバルトファルトとアンジェリカが結ばれたからこの双子がこの世に生まれた。

 皮肉な巡り合わせ、或いは天の采配だろうか?

 結局はアンジェリカを幸せに出来るのはバルトファルトで俺ではなかった。

 もし婚約が続いたとしても父上と母上以上に冷めた夫婦となっていたと確信できる。

 アンジェリカにとやかく言う資格を俺は持っていない。

 謝罪した所で自分の罪悪感を誤魔化す行為にしかならないし、アンジェリカも望まないだろう。

 

「彼らは大丈夫だろうか?」

 

 延々と思考を続ける状況に耐えられずゆっくり言葉を吐き出す。

 今はただ誘拐された者達と救出に向かった者達の無事を祈るしか出来ない。

 

「大丈夫だと思います。殿下がお連れになった皆様は強いと評判ですし、うちの男衆は簡単に死にません」

「信頼しているのか」

「昔から何度も危険な目に会ってきました。でも夫は傷を負っても絶対に帰ってきたんです。息子達も同じでした」

「この地の者は逞しいのだな」

 

 少しだけ、いやかなり緊張が解れてくれた。

 男爵夫人は礼をした後に孫達を抱えて退室し、部屋に静寂が再び訪れる。

 先の事などまるで分からない。

 最善と思った行動が混乱を招き、愚かと嘲った行為が命を育む。

 ままならない世界では人が出来る事などたかが知れている、英雄と謳われる者ですらそうだ。

 今はただ、皆の無事を祈るしか出来ない。

 窓から見える冬の夜空に瞬く星々に願いが託しながら、いつしか俺の意識は遠のいた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 男は王国のとある貴族の三男として生を受けた。

 王国の貴族は長男が嫡子、次男は予備、三男以下は余程の幸運に恵まれない限りは己が力で身を立てるしか生きる術がない。

 物心がついた頃から明確な兄達との待遇差を自覚してから男の人生は憤懣に染められていた。

 確かに貴族の家に生まれた男子は何をせずとも騎士にはなれる、だが一代限りの身分だ。

 先に産まれたというだけで自分と大した差が無い兄達を主君として媚び諂う人生を送らねばならない。

 実家は婚約者を用意してくれるが、貴族の令嬢ではなく平民出身の商人の次女だ。

 どうして貴い血を受け継ぐ己が平民を妻とせねばならないのか。

 

 不満の発露は他者への攻撃という形になり、婚約者や使用人に対する罵倒や暴力になった。

 王国の学園に通う頃には似たような考えの者達とつるみ普通クラスに所属する者に対する蔑視と迫害に発展する。

 婚約者の扱いを実家や相手の家に咎められ、学園を卒業した後は実家ではなく学園で得たコネを使い自分と同じ考えを持つ貴族の家に仕官した。

 騎士とは良い身分だ、その時々に主君の命令として適度に平民を痛めつけ税として金やら物やらを奪い取る。

 役得として咎められない程度に上前を撥ね欲を満たし続けた。

 腐った世の中だ、これぐらいは許される。

 そう言い続けた男は騎士ではなく賊と大差ない存在に成り果てていた。

 

 

 転機になったのは王国と公国の戦争だった。

 それまで国境でちまちま小競り合いを繰り返していた両国が本格的な戦争を開始した。

 男の主君は売国奴だった。

 落ち目の王家を見捨てさっさと公国と裏で繋がり戦争後の安全を担保してもらう密約がなされていた。

 戦闘で死ぬ気も国も護る忠誠心も無い男は目の前を通り過ぎる敵軍をわざと見過ごした。

 主君の命であったし、勝ち目の無い戦などしたくもない。

 戦の後に貰えるであろう恩賞は何かと呑気に考えていた。

 

 

 だが、そうはならなかった。

 王国を護る為に立ち上がった聖女と五人の英雄によって公国の主は討ち取られた。

 指揮系統を乱した公国は撤退を余儀なくされ、拍子抜けするほど呆気なく戦争は終わりを迎えた。

 訪れたのは粛清の嵐。

 王家は裏切者を許さなかった。

 主君の一族は弁明すら許されず、病を患った老人から頑是ない幼児に至るまで処罰された。

 男も処罰の対象にされたが主命だったと考慮され騎士の身分と財産を没収されたが命だけは拾えた。

 寄る辺の無い男は生家を訪ねたが既に関り無い輩として追い払われた。

 婚約者からは今までの扱いを理由に婚約の解消と慰謝料を請求された。

 

 金すら無い男の行きつく先は冒険者だが巷にはそんな輩が幾らでも居る。

 競争は激しさを増し、その日の稼ぎを得る事さえままならない。

 自棄になり街中で酒をあおっていた時にかつての婚約者を街中で見つけた。

 新しい交際相手と楽しげに語らう平民の女、薄汚くみすぼらしい姿に落ちぶれた元騎士の自分。

 猛烈な殺意が生まれ、こっそり元婚約者を尾行しその住処を探る。

 その夜、家に押し入り手にした剣で幾度も斬りつけ命を奪った。

 事が済んだ後に金品を奪い屋敷へ火を放つ。

 男は賊となった。

 

 

 一線を越えてしまえば罪悪感も良識も意味を為さない。

 金が欲しければ商家を襲い、腹が減れば農家を蔵を壊し、女を抱きたくなったら村を焼き女を攫う。

 自由気ままな空賊暮らし、主家や法律や身分に縛られず欲望の赴くまま生きる。

 世界は己を中心に回っているとすら男は思っていた。

 

 そうではなかった。

 戦後の混迷と粛清の対象者の多さによって男の悪行は無数にある悲劇の一つとして埋もれているだけ。

 事態を重く見た王国の重鎮は賊の討伐に英雄達を駆り出した。

 学生の時分に空賊の大船団を討ち取った者達である、瞬く間に空賊共は討伐されていく。

 男は悪辣ではあるが身の危険を感じないほど愚かではない。

 悪党の己が生き抜く為には何者かの庇護を受ける必要を熟知していた。

 嘗ての主君の伝手を辿りある組織に所属する。

 

 

 数多くの貴族が粛清されたとしても、その全てが裁かれた訳ではない。

 不満を抱えた非主流派の貴族、悪行が露わとなり地位を剥奪された元貴族、平民を虐げる事に愉悦を憶える元騎士。

 組織は肥大化し未だ王国を蝕んでいた。

 

 男は不満だった。

 またしても気に食わない貴族に仕えなくてはならない事態に歯噛みした。

 組織の貴族は人格や素行に問題がある者達ばかり、そんな輩共の走狗として働かねば討たれてしまう。

 蓄積された鬱憤は自分より弱き者を虐げて晴らす。

 男は自分が軽蔑している貴族と同じ存在だと気付いていなかった。

 

 

 組織が肥大化すればあらゆる部分で人と接触する機会が増える。

 必然的に情報が漏洩する可能性は高まった。

 ただでさえ己の無能を覆い隠す為に弱者を虐げるのが常態化した集団である。

 英雄達によって組織は次第に弱体化し始めた。

 息を潜め悪行を積み重ねながら生きる男の姿もまた弱者であった。

 

 後戻りできる時はとうの昔に過ぎ去っている。

 いつ己の死が訪れるか分からず酒量だけが増える日々。

 転機は素性の知れぬ何者かが組織に接触してから。

 甘い言葉を囁く見るからに胡散臭い相手は金の詰まった袋を手渡しながら言った。

 

『王国を乱しましょう』

 

 真意は分からない、だが言われた通りにするしかない。

 己の不明を見直さず裁いた相手を逆恨みするような連中である。

 与えられた資金を元手に王国の者の手が及ばない裏から嫌がらせを続ける。

 事態の収拾に奔走する英雄達を嘲笑った。

 愚者共は終末が近づいている事に気付きもしない。

 

 

 再び公国が王国へ攻め入った。

 唆した相手は公国の差し金だったのか、それは分からないままだ。

 だが愚者共は王国の崩壊に期待した。

 日の目を見ない自分達が漸く報われる時が来たと快哉を上げる。

 その愚かさ故に気付かない、王国が崩壊したら自分達も終りという事実に。

 

 男は公国が進攻する光景をほくそ笑みながら見続ける。

 これでやっと元通りだ、王国が亡びさえすれば己は罪人ではなくなると。

 迫り来る公国に再び英雄が立ち上がる。

 馬鹿め、もうお終いだ、奇跡は二度起きない。

 男は気付かない、前の時も己はそう思っていたという事実に。

 

 

 奇跡は二度起きた。

 聖女の力によって王国は再び救われた。

 王国の人々は感謝する、かの聖女こそ神の御使いと讃えた。

 男達は恐怖する、あの平民の女には神の加護があると信じた。

 貴族だった者達は前にも増して苛烈な処罰を受けて消え去った。

 もはや聖女に立ち向かうのは不可能、そんな気概がある者は居ない。

 生き残るには何かしなくては、だが何をすれば良い?

 再び姿を現した怪しげな輩が提案する。

 

『王家と公爵家の対立を煽りましょう』

 

 確かに王家と公爵家の関係はこの数年間悪化している。

 上手く立ち回り公爵家が王位を簒奪すれば協力者として生き残れるかもしれない。

 とにかく死にたくなかった、公爵の真意はもちろん接触しないまま王家との対立を煽る。

 

 そんな愚者の行動を見過ごすほど王家は甘くは無い。

 英雄達によって組織は壊滅させられた。

 たまたま生き残った男は仲間と共に逃走した。

 自分が絵物語で勇者に討伐される盗賊だと漸く己の姿を直視した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「くそっ……!」

 

 口にした悪態は飛行船の駆動音によって掻き消され怒りは誰に知られる事も無い。

 尤も耳にした者が存在したとしても状況は変わらなかっただろう。

 焦っていた。

 刻一刻と迫りつつある死の予感に。

 世の中には決して手を出してはいけない相手が居る。

 どれだけ個人として優れていようが世界には己より優れた者が幾らでも存在し、不眠不休で戦い続けられる猛者はおらず、権力者の気まぐれで被支配者層は容易く破滅し、民衆の迫害によって英雄は吊るされる。

 王国の庇護を受けた英雄が自分を追い回す。

 強大な影響力を持つ公爵家を敵に回した。

 妻を奪われた狡猾な成り上がり者に狙われる。

 

 どう考えても先行きは暗い、そして事実に気付いている者はあまりに少ない。

 いや、気付いてはいるが敢えて目を逸らしているだけか。

 元はと言えばあんな愚か者共を組織の編成で上に据えたのがマズかった。

 そもそも貴族籍を奪われたあいつらは既に貴族ではない。

 如何に先祖が優れていようが今の奴らは単なる穀潰しでしかない。

 組織の名目で一時的に指導者に据えただけ。

 だが場の空気を読めない奴らは勘違いを起こし、こんな馬鹿げた事態に陥った。

 助かる為には一刻も早く行動しなくてはならない。

 すぐにでももう一隻の飛行船に居る手下に連絡をしなくては。

 

 しかし、この飛行船を操縦しているのは空賊共だ。

 数で劣る今の状況で下手に行動しては逆に縊り殺されるのは此方になる。

 慎重に行動しなくては。

 何かが当たった感触に足を止める、下を見ると中身が少し残った酒瓶が転がっていた。

 猛烈に湧き上がった怒りのまま瓶を蹴り飛ばす。

 壁にぶつかり割れた瓶からこぼれたワインは血を思わせる不吉な赤色だった。

 

『そもそもの失敗はあの母子達を一団に加えたのが間違いだった!』

 

 誰かに聞こえないように心の中で吐き捨てる。

 王都にあった淑女の森の本部が五英雄の主導で一斉に検挙されたのが一ヶ月近く前。

 自分が逮捕されなかったのは本部から離れた場所に居た偶然に過ぎない。

 王都の空港はほぼ捜査の手が回っていたので裏社会の組織に預けてあった飛行船に部下達と共に乗り込んで逃走した。

 もし数時間遅かったなら捕まっていたはずだ。

 各地に存在したアジトも次々に摘発され辛くも逃れた同志を集め地下に潜伏した。

 だが人が集まればその分の諍いも増えていく、逮捕された者の多くは組織の幹部だった貴族であり実働部隊の騎士階級や構成員の平民は他の部署の者の顔と名すら知らない。

 

 疑心暗鬼が積み重なり組織が崩壊する可能性を考えて一応の指導者が必要になった。

 そこで辺境にある小さなアジトに居た元貴族の構成員に過ぎなかったゾラ達に目を付けた。

 幹部にすら軽く扱われ小間使いしているあいつらなら上手く操れると思っていた。

 

 まさか奴らこれ程までに愚劣で増長するとは予想できなかった。

 あまりに無能だから本部から遠く離れたアジトに送られたのだと分かった所でもう遅い。

 奴らは自分達が指導者になったと勘違いし始め欲望の赴くまま行動し始めた。

 当然それを咎める者も出て来る、何しろ人数ならこちらの方が上だ。

 元貴族とはいえ今の奴らは貴族籍どころか戸籍すら抹消されている身分の身元不明人に過ぎない。

 

 それを理解したのか今度は組織と繋がりのある空賊を独断で仲間に引き入れる。

 臆病な奴ほど味方を引き連れて群れを作る、空賊を盾に俺達に対抗しようとしてる魂胆は見え見えだ。

 確かに人手は欲しかったが、空賊共は頭が悪く品性すらない獣同然の存在だった。

 いたずらに物資を消費し欲しい物があれば無計画に町を襲い略奪を行う。

 捜査の手が届かぬように身を潜めている我々にとって邪魔な存在でしかない。

 日に日に対立は深まり一触即発の雰囲気となる中で追い詰められたゾラ達は苦し紛れにある計画を俺達へこっそり持ちかけた。

 

 計画はバルトファルト領の乗っ取りだった。

 なんと巷で評判のバルトファルト子爵の父とゾラはかつて夫婦関係だったらしい。

 バルトファルト領を継ぐ予定だったルトアートならかの地を継承できると奴らは主張する。

 近隣の船を空賊に襲わせバルトファルト子爵の統治能力に疑問を持たせる。

 その後に空賊を切り捨てルトアートが討伐する事で貴族への復帰、及びにバルトファルト領の引継ぎを行う。

 粗が多い作戦なのは分かっていた、だがそんな物に縋らなければならないほど俺達は追い込まれていた。

 その初襲撃でまさかバルトファルト家の者が襲った飛行船に乗っているとは!

 ルトアートと空賊共が計画を無視して身代金の要求するような途方もない馬鹿とは!

 このままではマズい、バルトファルト家は間違いなく追っ手を差し向けるに決まっている。

 場合によってはローズブレイド家とレッドグレイブ家が加わるだろう。

 もはや国外に逃走する以外に生き延びるしかない。

 

 いや、ゾラ達を差し出すのはどうだ?

 人質を確保してゾラと空賊共を討伐すればまだ命の保障はされるかもしれない。

 そうだ、ここまで追い込まれたのはそもそも奴らが原因だ。

 汚らしい命で失敗を贖ってもらおうではないか。

 その為にはまず艦橋へ向かい定期連絡と称して我々の飛行船にいる仲間に連絡を取らねば。

 人数こそ空賊が多いが練度なら我々が上だ、勝機は十分にある。

 腰に差した剣を感触を確かめる。

 集団を引き連れてはバレる可能性が高い、さり気なく振る舞わねば。

 足早に艦橋へ向かうと操縦員が何やら揉めていた。

 

「どうした」

「接近してくる飛行船がある、かなりの速さで真っ直ぐこっちに向かってる」

「商船、或いは警備船では」

「こんな夜明け前に?警備船なら先に警告とかするだろ」

 

 あからさまに馬鹿にした口調で言われたが剣を握ろうとする手を何とか抑える。

 計器を見ると確かに普通の飛行船とは思えない速度だ。

 嫌な予感がする、死の気配を背中に感じる。

 このままでは数百秒で接触してしまう、どうにかして逃げなくては。

 

――――――ッ!

 

―こ―――ん――ぐ―――し――く――ろ!

 

 雑音に混じり人の声が聞こえて来る、男の声。

 

『リオン・フォウ・バルトファルト子爵だ。そこの不審船二隻に告ぐ、大人しく減速しろ』

 

 相手側の通信が死刑宣告に聞こえた。




ユリウス視点+元騎士視点の話になります。
元騎士は今作マリエのように巡り合わせが悪かったのではなく堕ちるべくして堕ちた腐敗貴族の一人です。
モブ視点から見たオリヴィアや五馬鹿はある意味それまでの王国に於ける社会制度を崩壊させかねないイレギュラー+敵に回したら恐ろしい存在です。
社会の変革期には大量の血が流れますというお話。

モブせか原作小説の最終巻発売日が決まったので、余裕があれば何か短編を書くかもしれません。(曖昧な発言
一般向けか成人向けも決まっていませんが。

ちょうど今日はコミック版マリエルートの更新日、マリエのほっぺたムニムニしたい。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
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