婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです   作:品☆美

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第59章 因果

 異様だった。

 私の知るリオンは争いを好まない。

 戦場で敵を撃つよりも畑を耕しているのがよほど似合う男だ。

 そんなリオンがルトアートを殴り続けている。

 ルトアートの所業は自業自得だ、裁判を省略し一方的に処罰されても文句は言えない。

 それだけの罪をゾラ母子は積み重ねてきた。

 

 今感じている違和感の正体はそんなルトアートを痛め続けるリオンの姿。

 リオンは他者に甘く感情的ように見えるが、心の何処かで冷徹で必要ならば非情な判断を下せる部分が存在している。

 政治は理想論だけでは行えない、戦場では兵の命より勝利を優先せねばならない場合もある。

 利に聡い頭脳と他者を押し退ける貪欲さを心に抱えつつ、微笑みを絶やさず甘い言葉で寛容と慈愛を説き己が聖人の如く振る舞う。

 それは優れた統治者や軍人の必須条件とも言える。

 

 私とて公爵家で生まれ王宮の暗部を見て育った女だ。

 権謀術数は貴族と嗜みと理解している。

 なればこそ、そうした手練手管を厭うリオンが愛しい。

 彼は口では文句を言いつつも決して逃げ出さない、悪態をつきながらを良き夫良き父良き領主であろうと努める。

 何より戦を嫌うのに並みの貴族より遥かに荒事に長けている我が夫。

 己の行いに迷い悩み苦しむ彼を慰める事で背徳的な悦びを得ている私はどこまでも卑しい女だった。

 

 思い返せばリオンが他者に暴力を振るう様をこの目で見るのは初めてだった。

 伝え聞く風評とリオンの人柄のあまりの差に戦意高揚や成り上がり者の嫉妬が混ざって外道騎士などという不名誉な異名を付けられたと思っていた。

 だが、今目の前でルトアートに暴力を振るうリオンは明確に他者を傷付ける快感に酔っている。

 婚約時代に戦場の残影に怯え私を襲ったリオンとは違い過ぎる。

 その原因が私達、いや私を攫われた事に対する怒りと知って心の何処かに暗い愉悦が生じる。

 同時に私が止めなくてはいけないという焦燥にも駆られた。

 彼は優しい男なのだ、たとえ戦争で侵略してきた敵兵だろうと殺めた後で己が犯した罪に悩む。

 幾夜、悪夢に魘され私の手を握る彼を宥めだろう。

 幾度、戦場の恐怖に怯える彼を慰める為に体を交えただろう。

 これ以上リオンが傷付く姿を見たくなかった。

 人殺しはいけない等と美辞麗句を吐くつもりなどない。

 ルトアートの命など私にとっては心底どうでもいい存在だ。

 私にとって大事なのはリオン、彼を助けられるのなら理由など何でも構わない。

 

 ルトアートの首を絞め続けるリオンを横から抱き締めた。

 下手に言葉より行動でリオンを落ち着かせる。

 伝説で語られる荒れ狂った神を鎮める聖女や巫女のようにリオンの怒りを宥めようと私の総てを用いてリオンを止める。

 私の体温や感触が軍服に遮られるのがもどかしい。

 この命が尽きるまで彼の隣にいると誓った。

 たとえリオンに嫌われようと彼の怒りと悲しみを私が受け止める。

 リオンが罪を犯すなら私も共に裁かれよう。

 今はただ、彼がいつものリオンに戻ってくれる事を祈った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 温かい何かが俺の頭に触れた。

 柔らかい感触と匂いからそれがアンジェだと目で確認しなくても分かる。

 アンジェが生きている。

 その事実だけで安心と喜びが湧き上がってきた。

 俺を抱き締めながら細かく震えているのが伝わってくる。

 ほんのちょっとだけ冷静になって目の前で痙攣するルトアートが目に入った。

 顔色は黒に近い紫に変わって腫れあがった目と耳と鼻と口から血とそれ以外の体液を垂れ流してる。

 

 俺がこいつをここまで痛めつけた、容赦なんかするつもりもない。

 既にローズブレイド家の騎士が三人、他には鎧を操縦してる空賊や淑女の森の連中が何人か死んでる。

 作戦を継続すればさらに死者が増える、バルトファルト領の連中も死ぬ可能性が高くだろう。

 その原因はこいつらだ、ファンオース公国との戦争が始まった時に父さんがゾラ達を始末しておけば。

 いや、俺が貴族になった後で訪ねて来たこいつらを殺しておけば死ななくて済んだ人が何人もいる。

 俺は人殺しだ、敵国の兵を殺した数で貴族に成り上がった荒くれ者。

 どれだけ取り繕っても俺の爵位は殺した奴らの血と肉と骨で出来てるのは間違いない。

 ゾラ達を殺した所で混じる死体が少し増えるだけだ。

 何の躊躇いも後悔も無くルトアートを絞め殺せる。

 

 なのに、何故か首を絞める手の力が弛んでいく。

 アンジェに抱き締められただけで俺を支配していた怒りと憎しみがどんどん小さくなった。

 自分を奮い立たせてルトアートにとどめを刺そうと力を込めているのに手が震えて絞められない。

 必死にゾラ達が俺の家族にしてきた仕打ちを思い出して対抗する。

 かき集めた怒りを殺意に変えようとしているのにいつの間にか両手はルトアートの首から離れていた。

 

「……ぅえホッ、グゅェホ」

 

 気道が開かれたルトアートが咳き込みながら呼吸を再開する。

 あと数十秒、容赦なく絞め続けていれば絞め殺せたはずだ。

 なのに出来なかった。

 アンジェに抱き締められたら安心して体から力が抜けちまった。

 そういや婚約した頃から俺が魘されてたら付きっきりで看病してくれたのはアンジェだ。

 眠そうになりながら朝までずっと傍で手を握ってくれた事もある。

 俺がどんなにひどい事をしても許して慰めてくれるアンジェは俺が自分で思っている以上に大事な存在らしい。

 不安になって甘えると仕方ないなと抱き締めてくれたアンジェの柔らかいオッパイは俺の鎮静剤になってたみたいだ。

 ゾラ達の憎しみよりアンジェや子供達の思い出の方が強かった。

 何より人を殺す俺の姿をアンジェに見せたくない。

 その想いが昔から憎んでいたこいつらを殺せなくなるとは皮肉なもんだ。

 

「……アンジェ、もう大丈夫だから離してくれ」

「本当か?」

「嘘は言ってない。これじゃアンジェの顔を見れないし」

「分かった」

 

 俺の体から離れたアンジェの温もりと柔らかさが名残惜しい。

 男は惚れた女のオッパイに勝てない、これは世界の真理だから仕方ないよな。

 ルトアートから離れて立ち上がるとアンジェがもう一度抱き締めてくれる。

 改めてアンジェの安否を確認する。

 手足に異常は無いし、体も特に外傷は見当たらない。

 だた右頬が少し腫れてるのが気にかかった。

 

「アンジェ、その顔」

「少し腫れてるかな。他に傷付けられた部分は無い」

「……誰がやった?」

「其処で気絶している男だ」

 

 やっぱきっちりと殺しておこう。

 そう思ってルトアートに再攻撃を仕掛けようとしたけどアンジェが離してくれない。

 

「何処へ行くつもりだ?」

「ちゃんとトドメを刺しておこうと思ってさ」

「それは私との抱擁より優先すべき事柄か」

「ケジメは取らせるべきだろ」

「リオンが十分やってくれた。許す気は無いが気は晴れた」

「……アンジェが満足ならそれで良い」

 

 正直殴り足りないけどアンジェが良いならそれで終わりにする。

 貴重な人生をクズの為に費やすのは精神衛生に悪いからな。

 視線を皆の方に向けると兄さんはドロテアさんに纏わりつかれて大分困っている。

 姉貴とフィンリーはメルセを痛め疲れたのか肩で息をしてた。

 父さんはゾラを視界に収めつつ殺した空賊の死体を確認してる。

 もうここに用は無い、さっさと戻ろう。

 腰に入れておいた通信機を取り出してボタンを押す。

 甲高い雑音が混じりの起動音が聞こえた後に口を近づけて報告を始める。

 

「こちらリオン、人質四名と首謀者三人の確保。そちらの状況は?」

『こちらはアークライト。少し前に艦橋の制圧に成功した。兵は数名が軽傷だが死亡者は無し。外もグレッグとジルクが全ての鎧を破壊した後に敵飛行船を攻撃、敵は降伏しこちらの飛行船に被害は見当たらない』

 

 二十倍以上の数の鎧を全滅させたのかあいつら、やっぱ規格外の英雄だな。

 コリンも無事みたいだし早く家に帰りたい。

 

「了解した、これより甲板に移動し飛行船への帰還を開始する」

『敵兵はどうする?降伏した生き残りは三十人ほどいるが』

「向うの敵船はどうなってる?」

『健在だ、武装は解除させている』

「なら両船ともこのままバルトファルト領に向かわせよう。お前らがいて抵抗を続ける奴はいないだろ」

『それだが少し困った事態が起こってる』

「どうした?」

『機関部で小規模な火災が起きてる。鎮火すれば運航は可能だがこの状況では無理だ』

「何でまた火災なんか起きたんだ、どっかの馬鹿が武器庫で暴れたのか?」

 

 報告を聞いたアンジェがビクッと体を震わせて視線を逸らした。

 これ、何か知ってるな。

 

「アンジェ」

「何だ?」

「怒らないから何したか正直に言ってくんない?」

「……飛行船の配管へ油や塵を流し込んで火を放った」

 

 アンジェの頭を少し小突く、何やってんだ俺の嫁さん。

 

「馬鹿な事すんなよ。もし動力炉に引火してたら船が沈んでたかもしれないんだぞ」

「ちゃんと考えた!リオン達が来たと同時に火を放った!ここまで大事になるとは思っていない!」

 

 人質が囚われてる場所に火を放つとか焼け死んでもおかしくない阿呆の所業だ。

 俺もファンオース公国との戦争中は結構な無茶を繰り返したけどきちんと計算してやってるぞ。

 素人の暴走ほど怖いもんはない。

 

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。私なりにリオン達の手助けをしたくて頑張った結果だ」

「大人しく攫われたお姫様やっててくれ。素人の勝手な判断ほど当てになんないから」

「ほほぅ、随分と棘がある言い回しだな。戦場に慣れた子爵様は随分と戦術にお詳しいご様子で」

 

 何かアンジェが不機嫌になってきた。

 どうも誘拐されて気が立ってる所に役立たず呼ばわりされたのが我慢ならないみたいだ。

 まずい、このままだと泥沼の言い争いになりかねない。

 火の回りも気掛かりだしさっさと逃げるに限る。

 

「空賊達はもう一隻の飛行船に移してもらえるか?こっちは人質と兵をうちの飛行船に戻したい」

『了解した、速やかに行動する』

「とりあえず移動するぞアンジェ、このままじゃ流石にマズいし皆の体調も気になる」

「……わかった」

 

 よし、このままアンジェが本格的に怒り出す前に移動しよう。

 上手くいけばこのまま忘れてくれそうだ。

 

「みんな!さっさと船に戻るぞ!」

「分かった、準備しろお前ら」

「ゾラ達はどうするんだ?」

「首謀者のこいつらは殿下に引き渡す!まずこの場から移動するのが先だ!」

「気絶してるルトアートとメルセは?一応は生きてるぞ」

「父さん!こいつら二人運べるか!?」

「二人は無理だ!。ニックス、お前が一人運べ!」

「了解した!離れてくださいドロテアさん!」

「あぁ!?」

 

 人質全員が歩けるのは幸いだった、誰かが怪我をしてたら逃げるのが遅れる。

 メルセとルトアートはいざとなったら見捨てられるし、最悪ゾラ一人を連行できれば面目は立つだろう。

 抵抗を諦めたのかゾラは大人しく俺達に従っている、こいつも今は死にたくないみたいだから縛る必要も無い。

 格納庫から廊下に出ると蒸し暑い空気が漂ってるし、あちこちの空調から黒い煙が出てる。

 

「マズいな」

 

 思った以上に火の回りが早い、船底に近い船尾格納庫でこの有様だ。

 このまま甲板に出るまで船内を歩かなきゃいけないのに上の方は煙が充満してる可能性が高い。

 とりあえず廊下を急いで歩き侵入した非常口の扉を開けると熱と煙と煙が充満してたから慌てて閉める。

 

「非常口はダメだ、船内を歩かなきゃいけない」

 

 この事態を引き起こしたのがアンジェだと思うと笑えない。

 俺の嫁さん怒ると超怖い、これから怒らせるのは控えよう。

 階段を上がると景色は一変してた。

 あちこちから黒い煙が噴き出して廊下の上半分近くを覆ってる、せっかく人質を救出したのに火災で死ぬなんて笑い話にもならない。

 

「ハンカチや布で口を押さえろ!絶対に煙を吸うな!姿勢を低くして甲板を目指すぞ!」

 

 船内の構造を事前に憶えておいて本当に良かった、何でも準備が大事だ。

 隣のアンジェや後ろの皆を確認して大きく息を吸い込む。

 

「行くぞ!」

 

 四足で這い回る獣みたいに廊下を移動する。

 速度を出し過ぎて離れ離れになっちゃいけない、皆の安全を最優先だ。

 歩けば数十秒の距離を倍の時間をかけて踏破する。

 こっちの階段は煙が充満してない、上がるならこっちからだ。

 慌てず、ゆっくり、確実に。

 一段一段昇ってようやく外に出る扉に辿り着いた。

 思いっきりドアを開けると新鮮な空気と蒼い空が出迎えてくれる、安全に呼吸が出来るって素晴らしいな。

 

「子爵!ご無事でしたか!?」

 

 部下の一人が慌てて駆け寄って来た。

 もう少しだけ生きてる喜びを噛みしめたいのにすぐに仕事だ、指揮官はつらい。

 

「状況は?」

「兵は全員が生存。軽傷が六名ですが作戦行動に支障はないかと。敵兵は三十一名です」

「まず全員を飛行船に移すぞ。俺達はエアバイクで帰還、負傷した者は運転担当から外せ」

「はっ。人質と敵兵は如何いたしますか?」

「人質は俺達の船に。敵兵はあっちの飛行船へ移す。グレッグとジルクの鎧に運んでもらえ」

「分かりました」

 

 命令を聞いた兵達が行動を始めていると紫と水色の髪が近づいて来た。

 

「無事だったかバルトファルト」

「おかげさまでな。そっちは大丈夫か」

「僕らは怪我一つしてないよ。まぁ物足りない相手だったし」

 

 視線の先には空賊やら兵士やらが三十人以上も甲板の床に座り込んだ。

 これだけの人数に加えて鎧や飛行船をうちの軍だけで相手にしたら相当な苦戦を強いられたはずだ。

 明かされた事実に背中が寒くなる、同時にこの戦力差を覆す英雄四人の力も怖い。

 

「そっちの指揮官は捕まえたのか?」

「淑女の森の指揮官はクリスが捉えた。剣術で彼に敵う相手は王国にほぼ居ない。腕の骨を折って無力化したよ」

 

 腕を添え木された体格の良い男が拘束されている、どうやらこいつが事件の主犯らしい。

 どう考えてもゾラ達が真っ当に指揮が出来るような奴らじゃないから、こいつが実質的な指導者だろう。

 

「空賊の方は分からん、鎧の戦闘が終わる頃には彼らと別行動していたらしい。戦闘に巻き込まれて死んだ可能性もあるが死体の顔を調べる時間が無い」

「飛行船が沈んだら死体の確認どこじゃないしな。近くの浮島にでも着陸させたいんだけど」

 

 報告を聞きながら気を抜いてると背後から何かが近づいて思いっきり弾き飛ばされた。

 

「ヤだ、夢みたいなイケメン」

「お兄ちゃん、この人達誰!?」

 

 俺の姉と妹だった。

 メルセをボコボコにして煙に満ちた船内を非難したのに元気良いなお前ら。

 

「私はクリス・フィア・アークライトだ」

「ブラッド・フォウ・フィールドです。お嬢様方、初めまして」

「わ、私はジェナ・フォウ・バルトファルトです!学園で何度も見ていました!」

「フィンリー・フォウ・バルトファルトです!ところで御二人に気になる女性はいますか!?」

 

 自己紹介もそこそこに婚活始めやがった俺の姉妹。

 俺からの忠告だ、そいつらは止めておきなさい。

 確かにイケメンで強いけどこいつらが義兄弟になるのはご遠慮願いたいし、何より聖女のオリヴィア様を一途に慕ってる連中だ。

 どう考えても悲恋になるのが目に見えてるぞ。

 

「こっちは首謀者三人を連れて来た。あとアンジェと姉貴が顔を殴られたから早く医者に見せたい」

「分かった、急いで運ぼうか」

 

 二人がエアバイクを指導させようとした所で父さんが焦った駆け寄って来た。

 何か問題が起きたか?

 

「すまん!緊急事態だ!ゾラの奴がどこにも見当たらない!」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 上手くいった。

 船尾の格納庫へ戻りながら笑い出したくなるのを必死に堪える。

 バルカスに捕まった時はもう終わりかと焦ったがやはり神は私を見放していない。

 煙で覆われた廊下を移動する時に監視の目が弛んだ隙を狙い横道に私が逸れたのを誰も気付かなかった。

 生まれが卑しい奴らは頭に知恵が回らない猿共だ。

 貴族の私にこんな屈辱を与えるとは身の程知らず共め、いずれ必ず復讐してやるから精々一時の勝利を喜んでいるがいい。

 

 しかし今回の戦いで失った物は大きい。

 組織が崩壊してくれたおかげでせっかく首領にまで上り詰めたのにこの有様だ。

 まぁ、役立たず共が勝手に負けただけで私が負けた訳ではない。

 組織にとって有益でない者を切り捨てたと思えば必要な犠牲だった。

 あんな無能達に頼ったのがそもそもの間違いなのだ。

 やはり私は人の上に立つべき存在、神の寵愛を授かっている。

 

 メルセにルトアート。

 せっかく産んでやったのにあの体たらくとは実に情けない。

 あれらの父もせっかくこの私が愛してやったのに役立たずだった。

 生まれの卑しいバルカスの子を産むなど悍ましいからせっかく愛人になってやったのに従軍を拒否し逃げ出して家を取り潰された間抜けめ。

 頼った私達を捨てた挙句に何処ぞの没落貴族同士の争いで殺されたらしいが当然の報いと言えよう。

 その血を受け継いだルトアートも愚にもつかない臆病者だ。

 あれが素直にバルカスに従いさえすればバルトファルト家は私の物だった。

 上手くいけばリオンの子爵位さえ奪えたかもしれないのに役に立てないのなら産んだ意味があるのか。

 メルセもそうだ、男に股を開くなら何処ぞの正妻でも愛人にでもなれば良いのに高望みして。

 私がこうして苦しんでいるのも全てあれらが無能だからだ、もはや我が子とすら思わない。

 

「誰かぁ!!居ないのぉ!?」

 

 逃げるにはどうしても人手が必要だ。

 生き残りがいるならそいつを働かせてさっさと逃げるに限る。

 私に対し幾度も口煩かった元貴族の騎士は捕まったか殺されたのか。

 奴が取り調べで口を割る前に無事な淑女の森のアジトに行かなくては。

 場所を記した地図は格納庫で殺された空賊に持たせていた。

 アジトに蓄えてある金品や物資を使って再起せねば、いや売り払って贅沢に暮らすのも悪くない。

 いずれは組織と関わり合いのある貴族を通じて何らかの地位に納まるのも良いではないか。

 そうだ、子供など再嫁する時に邪魔なだけの存在に過ぎない。

 男爵領を奪う為に産んでやったのに役目も果たせないとはつくづく忌々しい息子だった。

 そんな煩わしさ解放される、今後の人生を自由気まま愉しむ為の身辺整理と思えば良いのだ。

 

 何とか格納庫へ辿り着くと何かが動いている、近付くと徐々にその影は見覚えがある形に変わっていく。

 空賊の長とその部下が数人いた。

 せっかく雇ってやったのにこいつらは私を放置して何をしているのか。

 怒りが込み上げて思いっきり怒鳴りつけた。

 

「何をしているのお前達!?さっさと逃走の準備をしなさい!!」

「……生きてたのか」

「口の聞き方に気を付けなさい!貴族に話しかける時は礼儀を持って接するの!これだから野蛮な空賊は嫌いよ!」

 

 空賊達が不満げな顔をするが無視する。

 お前達を組織の金で雇ってやったのは私、あの煩い元騎士に対抗する為に雇ってやったのにろくに成果を出さない。

 そもそもこうして追い詰められたのはこいつらがバルトファルト家の連中を誘拐しようと企んだからだ。

 お前達が欲を出さなければ私は無事だったはずだ、この無能共め。

 

「あんた、こいつらと一緒に逃げようとしたのか」

「そうよ!なのにバルトファルトの連中に先回りされたわ!本当に忌々しい!しかもリオンに起動キーを奪われたわ!何とかしないとここから逃げられないのよ!」

「そりゃ気の毒なこった」

 

 あからさまに私を侮辱するような視線を投げかけるこいつが腹立たしい。

 私の命とお前達のでは価値が違う。

 平民の賊が何人集まろうと貴族一人の命に遠く及ばない。

 ひたすら貴族の為に奉仕するの平民の存在意義であり使命なのだ。

 

「どうだぁ、起動キーが無いのは本当かぁ?」

「本当です頭ァ!これじゃ動かせません!」

「なら問題ねぇな」

 

 空賊の長が懐から取り出したのは加工した小さな金属片だった。

 それはリオンが持っていた金属片とよく似ていた。

 

「ど、どうして?」

「この飛行船はそもそも俺達のもんだぜ。備え付けの起動キーは偽物さ。俺達だけが脱出できるようにしとくのは当たり前だろ」

「よくやったわ!さっさと逃げるわよ!こんな所はもううんざり!」

「あぁ、それと今後の事なんだがな」

 

 呑気に紙煙草を咥え火を付ける空賊の長が忌々しい。

 さっさと逃げなければ処刑されてしまう。

 再起するにも一刻も早くアジトに落ち延びなければ私の命が危ない。

 

「逃げるのは俺達だけだ」

 

 目の前に突然壁が現れ思いきり体を叩きつけた。

 痛みよりも衝撃で何が起きたか分からない、頭の上で人が壁に対して垂直に立っている、

 ようやく目の前が壁であり、自分が倒れている事に気付いた。

 慌てて立とうとするが突如腹を襲った猛烈な痛みに呻く。

 何だ?何が起きた。

 必死に顔を空賊達に向けると長が握っている銃から煙が立ち上っている。

 その瞬間、自分が撃たれたと認識した。

 

「あ、あぐギゃあアぁぁァあぁァ!!?」

「うるせえ声だな、貴族様は撃たれたらもっとマシな悲鳴をあげると思ってたぜ」

 

 腹部を押さえた手が血に染まる。

 血が、私の血が、貴い血脈の赤き血が床に流れていく。

 抗議の声をあげようにも激痛で言葉が出ない、襲い来る死の恐怖に汗が噴き出て止まらない。

 なぜ?どうして?私が撃たれるなんておかしいでしょう!?

 

「ババァ、俺達を見捨てて自分達だけ逃げすなんて許されると思ったのか?いつまで自分が主だと勘違いしてやがる」

 

 目の前に煙草の吸殻が落とされ、汚れた靴に踏まれ潰れた。

 その吸殻がまるで自分のようで屈辱に身が焼かれる。

 この私が虫ケラみたいに這い蹲るなんて!

 抗議しようも喉に込み上げる吐き気に襲われ呼吸すらままならない。

 出産とはまるで違う痛みに精神が削られてゆく。

 吸殻を踏み潰した靴底で顔を踏みにじられる声はおろか息すらまともに出来ない。

ただの呼吸がこんなに苦しいなんて。

 

「この飛行船はそもそも俺達のもんだ。お前らはただ間借りしただけ。それも英雄サマと外道騎士のせいでお終いになった」

「あぇ…… うぁ……」

「年増の元貴族の価値なんて銅貨一枚にもならねえ。このまま殺してもいいがアジトの地図をもらったから命だけは勘弁してやる。もっとも、いつまで体が保つか知らねえが」

「うぉ…… おぁ… 」

「組織の隠し金目当てに組んでやった同盟だ、うるさい奴らが捕まれば後は俺達が頂いても文句は出ねぇ」

「ぎぃあ……」

「あばよ、貴族様。残り少ない人生を満喫しな」

 

 痛みに悶えるゾラがその言葉を理解する事はなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

『グレッグだ、飛行船の後部の乗降口が開き始めた』

 

 捕まえた空賊達を飛行船に移送をしていたグレッグから報告が入った。

 この状況で格納庫にいる奴なんて心当たりは一人しかいない。

 あれだけひどい目にあって反省も諦めもしない精神はある意味で感心する、絶対に真似したくないけど。

 

『どうします?撃ち落としていいならすぐ仕留めますが』

 

 たぶんジルクやグレッグにとっちゃ片手間で終わる仕事だろう、俺も相手がゾラがじゃなきゃ任せたい。

 つくづく余計な雑務を増やしてくれる、俺達に嫌がらせする為に生きてるような女だ。

 もちろん逃がすつもりはない。

 だけど煙が充満する船内を戻って始末する時間も手間も惜しい。

 

「なぁ、淑女の森の指揮官がいるならゾラを捕まえなくても十分か?」

「彼の言葉が真実ならゾラ達は組織を繋ぎとめる為に担ぎ上げられたらしい。詳しい情報を握っている者は既に捕縛済みだ」

「じゃあ始末しても問題ないか」

 

 懐から遠隔操作機を取り出しボタンを押して起動させる。

 何かあった時の為に仕掛けておいたけどこうなるとは思ってなかった。

 

「救命艇が完全に出たら教えてくれ」

『了解した。いったい何をした?』

「まぁ黙って見てろ」

 

 スイッチを押す準備をしてるとゾラの報告に来た父さんと目が合う。

 少しの間考えて遠隔操作機を手渡した。

 

「俺がやっていいのか?」

「ゾラと一番因縁が深いのは父さんだろ。だから任せるよ」

「……すまんな」

「いいよ」

 

 あんなクソ女でも一応は身内だった奴だ。

 それにさっき止められなきゃアンジェの目の前でルトアートを殺す所を見られた。

 これ以上アンジェに俺の醜い部分を見られて失望されたくない。

 だから父さんに嫌な事を押し付ける俺もひどい奴だな、俺とゾラ達は大差ないのかも。

 

『昇降口から出てきたぞ』

 

 通信機からの報告が入る、逃げ出すなら始末するしかない。

 最後の最後までゾラは自分の事しか考えない女だった。

 父さんの顔を見ると少しだけ悲しそうな顔をしてる。

 悪人でも自分の妻だった女を始末するのは躊躇って当然だ。

 

「じゃあなゾラ。もし生まれ変わるなら真っ当な心になってくれ」

 

溜め息を吐いた父さんがボタンを押した。

 

ドドドオオオオオオォォォォォッッッッンンン!!!!

 

 空に火柱が立った。

 爆風が船を大きく揺らして思わず甲板にそうになる、デカい爆発音で耳が痛くて麻痺した。

 甲板を見渡すと皆がへたり込んで呆然としている。

 

「爆破ボタンを押すのが早過ぎる!!」

「距離を取られたら指令が届かなくなるだろ!!」

「そもそも救命艇に爆弾を仕掛けるのがおかしい!!」

「父さんも兄さんも持ち帰るのが面倒臭い、今までの恨みだって笑いながら持って来た爆弾を全部詰め込んだだろ!!悪いのは俺のせいか!?」

 

 おかしい、ここはカッコ良く爆発した救命艇を見るはずなのにしくじった。

 救命艇は跡形もなく消し飛び、爆風やら衝撃で飛行船は大きく傾いてる。

 船の被害も大きいけど皆の視線が痛い、特にアンジェが怒りながら近づいて来た。

 

「おい、リオン」

「……はい、なんでしょうか?」

「一体何をやった?」

「爆弾を仕掛けた。飛行船のドアとかを破壊する為の指向性爆薬とか白兵戦で使えそうな手榴弾を脱出艇の動力炉に山盛りで」

「考え無しに爆薬を仕掛けた訳だ。それで私には『素人の勝手な判断ほど当てになんない』だと?その割にはお粗末だな」

「……実戦ではこんな事が予想外に起きるから。いい勉強になっただろ?」

 

ボグッ!

 

 思いっきりアンジェに殴られた、心と体が痛い。

 

「馬鹿な真似をしてないでさっさと帰るぞ」

「はい」

 

 すごすごと引き摺られるように俺のエアバイクの所まで連行された。

 跨って操作盤を弄ると装置が起動し甲板から少し浮き始める。

 アンジェの手を取って後ろに乗せる、密着すると柔らかい感触が背中に当たって気持ち良い。

 

「助けに来ると信じてたぞ」

「惚れ直した?」

「最後の失態が無ければな」

「採点が厳しいなぁ」

「惚れ直すから満点まで格下げだな」

「基準が甘いのか厳しいのかはっきりしてくれ」

 

 操縦桿を捻り上昇加速、バルトファルト家の飛行船に向けて飛び立つ。

 煙を出し続ける公国製の飛行船を横目で確認しながら長い因縁に決着がついた事に胸を撫で下ろした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 爆発の衝撃で遠のいた彼女の意識が覚醒する。

 何が起こったのかは把握できない。

 ひしゃげた昇降口や傾いた格納庫の床から途轍もない力の奔流があった事だけは察せられる。

 激痛に苛まれ意識を失ったまま死ぬのと爆破の衝撃で残り少ない人生を生きるのはどちらが幸運なのか。

 ただ一つ分かっているのが確実に死の気配が迫りつつある事だけ。

 腹部の銃痕からの出血は今も続いている。

 船内に漂っていた黒煙と炎熱は格納庫の隙間から溢れ出す。

 爆破の衝撃で抉れた昇降口は女のすぐ傍まで迫っている。

 待っている結末は失血死か、または窒息死、それとも焼死、或いは墜死。

 いずれにしても逃れられぬ死。

 助けを呼ぼうとしても気道に溢れる血は声を遮り、臓物を生きたまま喰われる如き苦痛は気力を奪う。

 

『どうしてこんな事に?』

 

 今際の際に無意味な思考を行うが答えは出ない。

 例え万全であっても出なかっただろう。

 

 彼女は自分に都合の悪い事は全て他人の責任と断じてきた。

 ろくな縁談が無いのは男に見る目が無い。

 贅沢が足りないのは夫の稼ぎが悪い。

 爵位を剥奪されたのは国が悪い。

 組織に於ける扱いが悪いのは実家が悪い。

 貴族に戻れないのは娘と息子が悪い。

 戦に負けるのは部下が悪い。

 

 自身が受ける一切の理不尽は他人のせい。

 自分は憐れな被害者であり、己の欲求が満たされない世界に対し憤懣を募らせた。

 そうして最期の時を迎え、彼女は一人で世界に向き合う。

 

 小さな呼吸音しか出せない口で必死に娘と息子に助けを求める、だが誰も居ない。

 何故なら彼女は我が子を見捨てたから。

 嘗ての夫に救いの手を願う、だが誰も来ない。

 何故なら彼女は夫との愛を育まなかったから。

 自身を撃った部下達に赦しを乞う、だが誰も聞いていない。

 何故なら彼女は部下を先に切り捨てたから。

 

 もし血筋を誇るだけでなく家柄に相応しい者であろうと努めたなら。

 縁談は途切れる事は無かった。

 もし結婚した夫を見下す事無く夫婦の愛を育もうとしたなら。

 夫は彼女を見捨てなかった。

 もし我が子を道具ではなく己と違う一個人として認めたなら。

 娘は母を敬い息子は国を護る為に戦い爵位を奪われずに済んだ。

 

 総ての物事には始まりと終わりが存在する。

 己の行いが人生の明暗を分ける。

 彼女は己の終末になっても子供でもわかるような因果に気付かなかった。

 最後まで世界が悪いと呪詛の念を抱き続ける。

 

 その呪詛が世界に届いたのだろうか?

 少しずつゆっくりと飛行船が傾き始めた。

 慌てて藻掻くが既に四肢に力は入らない。

 溢れ出る己の血が昇降口へ向かう潤滑油のように体を滑らせる。

 歪んだ昇降口はまるで彼女を呑み込もうとする怪物の顎。

 必死に手を伸ばすが掴んでくれる相手は何処にも居ない。

 

 健康な体なら気にならないほど緩やかな坂を少しずつ滑る。

 重力というこの世界で生きる者総てが逃れられない力が彼女の体を捕らえて離さない。

 意識が朦朧としてもなお生への欲求が途絶えないのは幸運なのか不幸なのか。

 

 ついにその足に触れる床が無くなる。

 必死に手足を動かそうにも失血の影響で腕が上がらない。

 既に太腿の辺りまで昇降口の縁に引っ掛かってる状態だ。

 最期の瞬間まで意識が途切れなかったのは冥府に堕ちる前の一瞬の慈悲なのか。

 

『何故?』

 

 炎によって機関の一部が破損し極僅かな振動が起きる。

 些細な、しかし決定的なソレが最後の一押しとなる。

 一瞬の浮遊感。

 直後に逃れられぬ世界の力によって彼女の体は大地に引かれていく。

 結局、彼女は最期の時まで理解しなかった。

 救いの手は既に幾度も差し伸べられていて、

 それを振り払ったのは己の偏見と悪心だったという事実に。




今作ゾラの最期です。(合掌
原作と違い基本的に悪役がいない今作なのでヴィランを引き受けたゾラ親子が相対的に酷い目にあってます。
ゾラは生存して処刑か、誰にも知られずいつの間にか死んでるのどちらが良いかを考えてこの形に落ち着きました。
次章は第四部の最終話予定、おまけにあのキャラのエッチ回も別途に用意するつもりです。

追記:依頼主様のリクエストによりm.a.o様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。

m.a.o様 https://www.pixiv.net/artworks/115681807(成人向け注意

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